「女神の継承」

一条真也です。
29日から公開されている、タイを舞台にしたホラー映画「女神の継承」をシネプレックス小倉で鑑賞。原題は、「THE MEDIUM」。ホラー映画史に残る名作のエッセンスが詰まった内容で、わたし好みの映画でした。ものすごく怖い映画でしたが、何よりも、こんなミニシアター向けの名作が小倉のシネコンで観れたのが嬉しい!


ヤフー映画の「解説」には、「『哭声/コクソン』などのナ・ホンジン監督が、原案とプロデュースを担当したホラー。タイの村を舞台に、祈祷師一族の家に生まれた女性が不可解な現象に襲われる。メガホンを取ったのは『愛しのゴースト』などのバンジョン・ピサヤタナクーン。サワニー・ウトーンマ、ナリルヤ・グルモンコルペチ、シラニ・ヤンキッティカンらが出演する」と書かれています。

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「タイ東北部、イサーン地方。その小さな村に暮らす女性ミンが突如体調不良に陥り、それまでの彼女からは想像できない凶暴な言動を繰り返す。ミンの豹変になす術もない母親は、祈祷師をしている妹ニムに救いを求める。ニムは、ミンが祈祷師を受け継いできた一族の新たな後継者として何者かに目され、取りつかれたために苦しんでいるとにらむ。ミンを救おうと祈祷を始めるニムだが、憑依している何者かの力は強大で次々と恐ろしい現象が起きる」


「女神の継承」は、「チェイサー」(2008年)、「哭声/コクソン」(2016年)で、その名を轟かせた韓国映画界が誇る気鋭 ナ・ホンジンが原案・プロデュースした最新作です。もともと、カンヌ国際映画祭に出品され、世界中の度肝を抜いた「哭声/コクソン」の続編として、ファン・ジョンミンが怪演した祈祷師・イルグァンの物語をナ・ホンジンが思いついたことから、企画がスタート。その構想はタイの祈祷師をモチーフに、本作へと受け継がれ、「哭声/コクソン」のアナザー・バージョンとも言える衝撃作が完成しました。先祖代々続く祈祷師の一族に生まれるも、呪術を信じない、若く美しい娘ミンに異変が起こり始め、そこから祈祷師一族のみならず、周囲の人々までをも巻き込んだ戦慄の映像が加速度的に展開していきます。「女神の継承」には世界のホラー映画史に残る名作のモチーフがたくさん込められていますが、真っ先に挙げるべき作品とは、 本作のプロデューサーであるナ・ホンジン監督の代表作「哭声/コクソン」です。


哭声/コクソン」は、「チェイサー」「哀しき獣」ではスピード感を重視して直接的な暴力描写を用いたナ・ホンジン監督が、一転してシャーマニズムのほかキリスト教に関する要素を取り入れ、徐々に追い詰められる心理を丹念に捉えた作品です。韓国国内では観客動員数687万人を超える大ヒットとなりました。謎めいた山の中の男を演じた國村隼は、外国人として初めて青龍映画賞で賞を得ています。日本人の國村がキャスティングされた理由は、イエス・キリストを「歴史上最も世界に混乱を与え、疑念を持たれた人物の1人」と評したナ・ホンジン監督の、「同じアジア人ではあるものの韓国人とは違う"よそ者"が必要だった」という考えによるそうです。たしかに、國村隼演じる「よそ者」は圧倒的に怖かった!


何の変哲もない田舎の村である谷城(コクソン)にやってきた日本人。番犬とともに、山中で孤独な生活を送る。村にやってきた目的や、どんな人物かは「言っても信じない」として一切自分の口から語ろうとせず、さらに彼の来訪から事件が頻発したことによって不審がられます。やがて、その村の中で、村人が家族を惨殺する事件が立て続けて発生。容疑者にいずれも動機はなく、幻覚性の植物を摂取して錯乱したための犯行と発表されますが、謎の発疹を発症するなど説明しきれない不可解な点が多く残っていたことから、いつしか、村人たちの中では山中で暮らす謎の日本人が関わっているのではないかとささやかれはじめるのでした。「哭声/コクソン」は超一流のオカルト映画であり、宗教ホラー映画の大傑作です。終盤に登場する儀式によって戦うサイキック・ウォーの場面が圧巻で、それは「女神の継承」にもしっかりと継承されていました。


「女神の継承」に強い影響を与えたと思われる映画が「エクソシスト」(1073年)です。ホラー映画史に燦然と輝く最高傑作の1つですね。12才の少女リーガン(リンダ・ブレア)に取り付いた悪魔パズズと二人の神父の戦いを描いたウィリアム・ピーター・ブラッティ(オスカーを受賞した脚色も担当)の同名小説を映画化したセンセーショナルな恐怖大作で一大オカルト・ブームを巻き起こしました。アメリカ本国において1973年の興業収入1位を記録。第46回アカデミー賞の脚色賞と音響賞を受賞。題名となっているエクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味で、この映画は、その後さまざまな派生作品を生みました。「女神の継承」では、ヒロインのミンに憑依したのは神でなく悪霊でした。最初は涙目で、助けを求めるような顔でこちらを見つめていたミンですが、邪悪さを含む表現しがたい表情へと変わり、黒い体液を吐き、ついには何かが乗り移ったかのような 見るもおぞましい姿へと変貌します。そして、その姿は「エクソシスト」の悪魔少女リーガンにそっくりでした。


「女神の継承」への強い影響を感じる次のホラー映画の名作は、ブログ「ヘレディタリー/継承」で紹介したアリ・スター監督の映画で、A3の製作です。ある日、グラハム家の家長エレンがこの世を去る。娘のアニーは、母に複雑な感情を抱きつつも、残された家族と一緒に葬儀を行う。エレンが亡くなった悲しみを乗り越えようとするグラハム家では、不思議な光が部屋を走ったり、暗闇に誰かの気配がしたりするなど不可解な現象が起こります。「女神の継承」の冒頭にはタイの葬儀のシーンがありますが、「ヘレディタリー/継承」の冒頭にも、グラハム家の家長である老女エレンの葬儀の場面があります。予告編の印象から、わたしはエレンが魔女か何かで、その血統を孫娘が受け継ぐ話かなと思っていたのですが、その予想は完全に裏切られました。「継承」には、もっと深い意味があったのです。「女神の継承」の邦題にも「継承」の文字が入っていますが、わたしは日常的に「継承」という言葉を使っています。一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長として儀式継創委員会を担当していますが、儀式継創とは儀式の「継承」と「創新」という意味です。

儀式論』(弘文堂)

 

「ヘレディタリー/継承」には葬儀の他にも、さまざまな儀式が登場します。それは死者と会話する「降霊儀式」であったり、地獄の王を目覚めさせる「悪魔召喚儀式」であったりするのですが、『儀式論』(弘文堂)を書いた「儀式バカ一代」を自認するわたしとしては、これらの闇の儀式を非常に興味深く感じました。そのディテールに至るまで、じつによく描けています。ブログ「来る」で紹介した日本映画は和製儀式映画でしたが、「ヘレディタリー/継承」は西洋儀式映画と言えるかもしれません。そして、「女神の継承」こそは東洋儀式映画であると言えるでしょう。ミンに憑依した悪霊を祓う当日まで「儀式5日前」「儀式3日前」「儀式前日」などと期待を煽っていくのですが、ついに行われた悪霊祓いの儀式は、闇夜に行われます。壁に頭を打ち付け続ける男、絶叫する祈祷師ニム、暗闇に引きずりこまれる人々、血まみれの祭壇など、おぞましい映像が随所に差し込まれ理解が追いつきません。儀式は正しく行わなければ、とんでもない禍を呼ぶことを「女神の継承」ほど見事に示した映画はないでしょう。


「女神の継承」に強い影響を与えたと思われる次の作品は、「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」(1999)です。ビデオを使った最恐ホラーとして大きな話題になりましたが、超低予算(6万ドル)・少人数で製作されながらも、全米興行収入1億4000万ドル、全世界興行収入2億4050万ドルを記録したインディペンデント作品です。「魔女伝説を題材としたドキュメンタリー映画を撮影するために、森に入った3人の学生が消息を絶ち、1年後に彼らの撮影したスチルが発見されました。彼らが撮影したビデオをそのまま編集して映画化した」という設定ですが、実際は脚本も用意された劇映画です。この手法は、擬似ドキュメンタリー(モキュメンタリー)映画の先駆けとなりました。とても怖い映画でしたね。「女神の継承」には巫女の継承ドラマをドキュメンタリーとして撮影するスタッフが登場するのですが、映画の終盤でカメラマンたちが「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」のような恐怖のブレブレ動画を撮りまくります。


モキュメンタリーの手法が使われたアメリカのホラー映画といえば、「パラノーマル・アクティビィティ」(2007)を忘れることができません。タイトルの意味は“超常現象”。この映画は実話に基づいて作られているそうですが、家族設定や怪奇現象等、異なる点もいくつかあるとか。同棲中のカップル、ミカとケイティーは夜な夜な怪奇音に悩まされていました。その正体を暴くべくミカは高性能ハンディーカメラを購入、昼間の生活風景や夜の寝室を撮影することにしました。そこに記録されていたものは彼らの想像を超えるものでした。これもかなり怖い映画でしたが、しっかりと「女神の継承」に影響を与えています。ドキュメンタリーの撮影クルーたちは、怪異が続くミンの自宅の様子をカメラで隠し撮りするのですが、そこには恐るべき光景が写っていました。ミンの叔父夫婦の夜の寝室の隠し撮りなどは、「パラノーマル・アクティビィティ」そのものと言っていいぐらいでした。


このように「女神の継承」には、「エクソシスト」「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」「パラノーマル・アクティビィティ」「ヘレディタリー/継承」、そして「哭声/コクソン」といった最恐のホラー映画の名作たちのテーマやモチーフを“継承”しているわけですが、タイ東北部イサーン地方を舞台に、観る者を社会の常識が通用しない戦慄の秘境へと招き入れていくところは、同じくタイを舞台にした映画「ブンミおじさんの森」(2011年)です。第63回カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞した話題作です。物語の主人公は、腎臓病を患い、自らの死期を悟ったブンミ(タナパット・サイサイマー)。彼は、亡き妻の妹ジェン(ジェンチラー・ポンパス)を自宅に招きます。昼間は農園に義妹を案内したりして、共にゆったりとした時間を過ごしますが、彼らが夕食のテーブルを囲んでいると、唐突に19年前に亡くなったはずの妻(ナッタカーン・アパイウォン)の幽霊が姿を現し、行方不明だった息子が猿人の姿で帰ってきたりします。死期を悟ったブンミは洞窟に向かうのですが、「死別の悲嘆」と「死の不安」を乗り越えるというグリーフケアの二大機能を見事に描いた大傑作でした。


ブンミおじさんの森」は、タイの僧侶による著書『前世を思い出せる男』を基に、ある男性が体験する輪廻転生の物語をファンタジックに描いた映画です。タイ映画として初めてパルムドールを獲得した、独特な世界観とストーリーに魅了されます。ホラー映画というよりも、ファンタジー映画やグリーフケア映画と表現するべきでしょう。でも、「ピー」と呼ばれるタイの精霊を扱っている映画という点は、「女神の継承」と共通しています。「女神の継承」のオープニングでは、「タイにはピーと呼ばれる精霊がいる」といった説明が登場しましたが、タイには「ピー信仰」と呼ばれるものがあるのです。主にタイ族が信仰するアニミズム(精霊信仰)のことです。


ピー信仰は、バラモン教、仏教などの外来宗教の伝来以前からタイ族全般に存在したとされる信仰の形態であり、現在でも外来宗教の影響を受けながらも、タイ族の基層の信仰として根強く残っています。Wikipedia「ピー信仰」の「概要」には、「ピーとは、タイ語において『精霊、妖怪、お化け』の類を説明するために用いられる言葉である。ピーが一般的にどのようなものを指すかというのは人によって考えに相違があり、一定のイメージは存在しないであろうといわれている。しかし、大まかに分けて解説をすると、バンコクなど都市部では、ピーについて話すと映画などで現れる死霊がイメージされる場合が多い。なお、英語のghostや日本の霊、お化け、妖怪の類はタイ語ではこの語を用いて表現される」と書かれています。


他方、農村部でのピー信仰になると、「日本で言う、霊、妖怪、小さき神々の総体として存在し、民間信仰の神々としてのイメージが現れてくる。荒神的性格があり、人々の生活を守護すると同時に、不敬な行いに対しては祟ることがある。一方で自然霊、悪霊・浮遊霊のようなイメージもあり、日本の妖怪のような性格を持つ。実体のないものとして存在される場合もあるが、プラカノーンのメー・ナークなどのように実体を伴っている場合もある。また、ピーの会話の中での用法には、『死体』『死者』を意味する言葉として用いることがある。火葬はパオ・ピーなどと表現される。また、『ピーのように不可思議なもの・人』を表現するためにもこの語を用いる。例えば、ピー・プン・タイは流星を表す」とも書かれています。


映画「女神の継承」におけるピーは、まさに悪霊そのものでした。その悪霊の暴れっぷりは、「エクソシスト」の悪魔バズズどころではなく、すさまじい破壊力でした。タイの悪霊は故人の怨念だけでなく、複数の怨霊はもちろん、動物や植物の霊まで動員して、復讐を目的とした一大グループを形成するというから恐ろしいです。正直言って、ドキュメンタリーの撮影クルーの存在には違和感をおぼえましたが、これだけの名作ホラーのコラージュといっていいほどの作品が破綻せずに映画として完成したことは見事としか言えません。



ラストでは、女神バヤンの巫女であるはずのニムが「バヤンの存在を信じられなくなった」と告白する衝撃的なシーンがあります。心の底からバヤンの存在を信じていたはずの巫女でさえ、その存在を疑うようになるとは・・・・・・これも悪霊のパワーのせいかもしれませんが、それにしても信仰というものの難しさを感じます。その意味で、日本史上に残る犯罪者となった山上徹也容疑者の母親をいまだに洗脳し続けているという旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の凄さがよくわかりますね。

 

2022年7月31日 一条真也

「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」

一条真也です。
29日から公開のSF大作映画「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」をシネプレックス小倉のレイトショーで観ました。ブログ「ジュラシック・ワールド」ブログ「ジュラシック・ワールド/炎の王国」で紹介した映画の続編で、「ジュラシック」シリーズとしては6作目となります。期待通りに、今回も面白かったです!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「現代によみがえった恐竜たちを描く『ジュラシック』シリーズ完結編。人類と恐竜たちが混在する世界を舞台に、両者の行く末が描かれる。監督などを務めるのは『ジュラシック・ワールド』などのコリン・トレヴォロウ。前作にも出演したクリス・プラットブライス・ダラス・ハワードをはじめ、『ジュラシック』シリーズ初期作品のキャストに名を連ねていたローラ・ダーンジェフ・ゴールドブラムサム・ニールらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「メイジー・ロックウッド(イザベラ・サーモン)の決断により、イスラ・ヌブラル島からアメリカ本土へ送られた恐竜たちが世界各地に解き放たれて4年が経過する。恐竜の保護活動に力を注ぐオーウェンクリス・プラット)とクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、ロックウッド邸で保護したメイジーを大事に育ててきたが、ある日、メイジーヴェロキラプトルとともに連れ去られる」


まず、この映画の前前作となる「ジュラシック・ワールド」(2015年)から振り返りましょう。スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務める「ジュラシック」シリーズ第4弾となるアドベンチャー大作です。恐竜をテーマにした巨大テーマパークを舞台に、遺伝子操作によって生み出された新種の恐竜が脱走、人間や恐竜を襲うさまを臨場感たっぷりに描き出しました。世界的な恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」恐竜の飼育員オーウェンクリス・プラット)が警告したにもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させます。知能も高い上に共食いもする凶暴なインドミナス。そんな凶暴なインドミナスが脱走してしまう事件が起こります・・・・・・この作品の全世界のトータル興行収入は16億7000万ドルを突破、日本でも2015年度公開映画の“年間興行収入No.1”となる興収95億円というメガ・ヒットを記録しました。


前作となる「ジュラシック・ワールド/炎の王国」(2018年)は、「ジュラシック」シリーズ誕生25周年という節目を迎えた年に公開されました。前前作でハイブリッド恐竜インドミナス・レックスとT‐REXが死闘を繰り広げ崩壊したテーマパーク「ジュラシック・ワールド」を有するイスラ・ヌブラル島で「火山の大噴火」の予兆が捉えられていました。迫り来る危機的状況の中、人類は噴火すると知りつつも恐竜たちの生死を自然に委ねるか、自らの命を懸け救い出すかの究極の選択を迫られます。そんな中、恐竜行動学のエキスパート、オーウェンクリス・プラット)はテーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)と共に、行動を起こす事を決意、島へ向かったその矢先に火山は大噴火を起こし、生き残りをかけた究極のアドベンチャーが繰り広げられます。


そして、「ジュラシック」シリーズ6作目となる「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」では、人間と恐竜との共生が描かれます。しかし、恐竜たちを管理するバイオシン社は、ひそかにイナゴの巨大化実験を企てていました。巨大化したイナゴの大群が各地に出現すれば、その農作物はすべて食い荒らされ、世界中で食糧危機が発生してしまいます。そんな罪深い行為に、なぜ、バイオシン社は手を染めるのか。それはやはり人類の命運を自分たちが握って、莫大な利益を得ようとするからでしょう。ハリウッドでは公害企業の隠蔽工作をジャーナリストや市民活動家が暴く映画がよく作られますが、「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」もそれらに似た企業告発映画の側面がありました。まあ得体の知れない悪の秘密結社などよりも金儲け主義の企業の方がリアリティがありますね。


イナゴの大群といえば、『旧約聖書』の「出エジプト記」10の第八の災い「イナゴ」が有名です。主はモーセに「あなたの手をエジプトの国に差し伸べなさい。イナゴが出て来て国中を覆い、雹の害を免れた物を食い尽くそう」と命じました。モーセが杖を上げると、神はまる一昼夜、東風を吹かせました。朝になると、東風がイナゴの大群を運んで来ました。イナゴはエジプト全土の隅々まで埋め尽くしました。エジプト史上、これほどのイナゴの大群は、後にも先にも一度も見ないものでした。 イナゴが全地を覆ったので、太陽の光もさえぎられて薄暗くなりました。雹の害を免れた作物は全部イナゴに食べられてしまいました。エジプト中の木や草が食い尽くされ、緑のものは何ひとつ残りませんでした。


イナゴは同じ『旧約聖書』の「ヨエル書」にも登場します。「ヨエル書」は、まさにイナゴの大群によってユダ王国に飢饉がやってきたときに記された書で、世の終わりのことがイナゴになぞらえながら書いてあります。終わりの日にやってくる災いはイナゴのように突然やってきて、あらゆるものを食い尽くしてしまうというのです。その後には神様の恵みがあるわけですが、イナゴが「世界の終わり」のシンボルであることは間違いありません。「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」にイナゴが登場する理由は、滅亡したはずの恐竜をバイオ・テクノロジーによって蘇らせることは、同じくバイオ・テクノロジーによって巨大イナゴを作って人類を滅亡させることに等しい、すなわち、どちらの「神への冒涜」であるということが言いたいのでしょうか?


「蝗害(こうがい)」という言葉があります。イナゴなどのバッタ類の大量発生によって起こる災害のことです。「蝗」という漢字は、バッタやイナゴと読みます。増殖したバッタは草木を食い荒らし、さらなる食料を求めて移動しながら、農産物などを食べ尽くしてしまいます。2020年2月頃には東アフリカを中心にサバクトビバッタが大量発生し、ソマリア政府は国家非常事態を宣言。被害はアフリカだけに収まらず、その後中東やアジア20カ国以上にまで広がっている。そんな危険な虫を巨大化する実験をするなど、まさに神への冒涜と言えますが、わたしはこれは「新型コロナウイルス」のメタファーであるとピンときました。イナゴの品種改良を企むバイオシン社の研究所は、武漢のウイルス研究所を連想させます。なお、新型コロナウイルスの発生とサバクトビバッタ大量発生には因果関係があるという説もあります。


でも、「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」の主役はイナゴではなく、やはり恐竜たちです。幼い頃にテレビの洋画劇場や映画館で観た「恐竜100万年」(1966年)、「恐竜時代」(1969年)、「恐竜グワンジ」(1969年)などの恐竜映画が大好きだったわたしにとって「ジュラシック」シリーズのリアルな恐竜たちの造形や動きはたまりません。ただ、これまでのシリーズ作品に比べて、恐竜よりも人間や企業の闇にスポットライトが当たっていた感はありました。それでも、カーチェイスならぬ恐竜チェイスはド迫力でしたし、ラスト近くの肉食恐竜同士の最強対決も見所満点でした。プロレス好きであるわたしは最強対決というと、昭和のプロレスを連想してしまいます。そして、T-REXはスタン・ハンセン、アロサウルスブルーザー・ブロディ、そして今回登場する大型肉食恐竜ギガノトサウルスはアンドレ・ザ・ジャイアントの往年の雄姿に重なりました。彼らが繰り広げるバトルロイヤルはもう圧巻です!

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

最後に、クローン技術について。
この映画に登場する恐竜たちはクローン技術で太古から蘇った存在ですし、映画にはクローン技術で誕生した人間も出てきます。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」にも書きましたが、「クローン人間はできるか」という問題はすでに答えが出ています。文部科学省がインターネット上に設けたホームページは「可能」であることを前提にメリット、デメリットをあげています。もともと体外受精なども一種のクローン技術なのですが、羊やブタで成功したクローン技術を人間に応用するメリットは、人の発生や寿命、形態などの研究に役立ちます。子どもができない夫婦がどちらかの遺伝子を持つ子を持つことができるなどですね。



しかし、同時にクローン技術は私たちに倫理的な問題を鋭く突きつけます。男女が関わって、「天のはからい」というか、偶然性の中で子どもをつくるという倫理観の崩壊が予想されるほか、生まれてくる人の遺伝情報があらかじめわかることで、優れた資質を選ぶ優生思想を助長する可能性があるからです。また、特定の目的で人をつくり出すことで、人を道具とみなす危険も生じます。安全面でも、クローン動物の寿命は短いとも言われており、成長や老化に異常はないかなど、まだまだ不明の点が多いです。いずれにしろ今後は、クローン技術をはじめとした遺伝子テクノロジーが情報技術を含む他のテクノロジーすべてを圧倒して発展するでしょう。「ジュラシック」シリーズで描かれた世界が現実になる日も近いかもしれません。

 

2022年7月30日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「書」です。

サンデー新聞」2022年7月2日号

 

わたしは、とにかく毎日、書いています。
何を書くか。まず、原稿を書きます。一時期はコラムなどの連載が新聞・雑誌・ネットを合わせて月に12本ありました。毎月の社内報にも、社員へのメッセージを書きます。そのうえ、新聞社や出版社から単発の原稿依頼も来ます。はした金の原稿料などよりも、当社のミッションやわが志を世の人々に伝えたいので、よほどの理由がない限りは執筆の依頼を断らないようにしています。

書斎に並んだ一条本

 

単行本を執筆する場合は、それこそ寝る間も惜しんで書きまくります。別に早く書く技術を学んだわけでもありませんが、本を書くのは早い方です。およそ30年前に上梓した『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』はハードカバーで440ページもあり、かなり濃度の濃い内容だが、1か月かからないで書き上げましたた。2003年末には『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』と『老福論〜人は老いるほど豊かになる』を2冊同時に上梓しました。わたしとしては実に10年ぶりの単行本の執筆でしたが、それぞれ約2週間ずつで書き、2冊あわせて1か月かかりませんでした。さらに、島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書『葬式は必要!』は14日間、『「鬼滅の刃」に学ぶ』は20日間で書きました。


ハートフルに遊ぶ』(1988年5月20日刊行)

 

それもパソコンではなく、手書きで書くのです。何を隠そう、築90年におよぶ骨董住宅に住むわたしは、自身も超アナログ人間であり、2006年4月刊の『孔子とドラッカー』が生まれて初めてパソコンを使って書く本でした。その前の『ハートフル・ソサエティ』も、すべて手書きで書きました。わたしは万年筆が好きで、少々集めてもいます。社長に就任したときは、父、友人一同、先輩経営者などから記念にそれぞれ万年筆を贈られました。わたしの宝物です。でも原稿は万年筆では書きませんでした。200字詰めのぺラの原稿用紙にユニボールの黒のサインペンで書くのです。処女作『ハートフルに遊ぶ』からずっと一貫して愛用しており、今でも手帳にメモなどを書き込むときは、このペンです。わたしは筆圧が強くて無理な力が入るため、1冊分の原稿を書いた後は、いつも右手の中指が変形するほど腫れあがっていたものです。そういう意味では、目は疲れるけれども指は痛くないので、パソコンはありがたいですね。


サンレー のオリジナル・ポストカード

 

何を書くか。手紙を書きます。わたしは、毎日のように誰かに手紙を書いています。初めて面会した政治家や経済人や文化人、研修旅行などで同行した人、パーティーで知り合って名詞交換をした人、読んで感動した本の著者、とにかくありとあらゆる人に手紙を書きます。社員や友人に誕生日のカードも書きます。それも結構長文で、ノッてくると便箋で10枚ぐらいは平気で書きます。それによって、ずいぶん多くの方々との縁を深められたのではないでしょうか。現在は、サンレー のオリジナル・ポストカードが何十種類もありますので、それを使って多くの方々にメッセージを書きて送らせていただいています。


きみに読む物語」という映画で、恋人に365通のラブレターを出した男というのが出てきて話題を呼んだことがありますが、はっきり言って、わたしがその気になればキミヨムを軽く超える自信はあります。以前は、絵ハガキもよく書きました。出張が多いので、出張先から家族や友人にさまざまな写真のポストカードを出したものです。わたしの止まり木のような小さなスナックが小倉にあって、そこのマスターに絵ハガキを出すと、とても喜んでくれました。それが嬉しくて、ついつい調子に乗って全国各地から、また海外からも出していたら、気づくと500枚ぐらいになっていました。わたしが出した絵ハガキはすべて店内に飾られていましたが、その店も今はもうありません。マスターも亡くなりました。あの大量の絵ハガキはどうなったのでしょうか?

皇産霊神社に奉納された庸軒道歌

 

何を書くか。筆で自作の短歌を短冊に書きます。わたしは「庸軒」の雅号で、当社の使命やわが志を歌に込めて、社員に披露しています。そんな達筆ではないので本当は恥ずかしいのですが、社長が自らの直筆で書くことが大事と思い、書いた短冊は社員にプレゼントしたり、会社のエレベーター内に展示したりしています。また、皇産霊神社の境内にも奉納されています。

わが筆写ノートの一部

 

何を書くか。大切な本を書き写します。
論語』や吉田松陰の『留魂録』などは筆で書き写しましたが、10年ぐらい前はよくサインペンで司馬遼太郎の主要作品の重要部分を書き写しました。伊東屋で求めた皮製のちょっと贅沢な手帳を使ったものです。ただ読むだけでなく、自分の手で愛読書を書き写すと、内容が強く心のなかに入ってきます。戦国時代や幕末明治を描いた司馬作品はすべて筆写しましたが、人間探求の絶好の勉強となり、『孔子とドラッカー』や『龍馬とカエサル』などの執筆に大いに役立ちました。

ShinとTonyのムーンサルトレター200信!

 

何を書くか。満月の夜にWEBレターを書きます。
毎月、満月の夜ごとに、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生と交わしているWEB文通の「ShinとTonyのムーンサルトレター」を交わしています。2005年10月18日の満月の夜、わたしが第1信を書きはじめました。鎌田先生が20日に返信を書かれて、ついに「ShinとTonyのムーンサルトレター」がスタート。17年後の今では、なんと第208信に達しました。その間、いろいろな話を鎌田先生としました。お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。話題も政治や経済から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには「世直し」まで。

日本経済新聞」2013年10月18日朝刊

 

わたしが商売人の身であるにもかかわらず、さまざまな文化人や学者の方々とお話しても何とかついて行けるのは、鎌田先生との文通で展開している議論のおかげかもしれません。わたしには、「自分は日本を代表する宗教哲学者と文通を続けているのだ」という自負と、「だから誰と対話することになっても怖くない」という自信があるのです。わたしたちの満月の文通は、「日本経済新聞」2013年10月18日朝刊の「交遊抄」によって広く知られるところとなりました。


ムーンサルトレターは5冊の本に!

 

わたしたちのレターは書籍化もされました。
第1信~第30信が『満月交感 ムーンサルトレター(上)』(水曜社)、第31信~第60信が『満月交感 ムーンサルトレター(下)』(同)、第61信~第90信が『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』(同)、第91信~第120信が『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(同)、そして第121信~180信が『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)として単行本化されました。そして満月シリーズ5冊目となるのが『満月交心 ムーンサルトレター』ですが、今回は上下2巻に分けずに1巻にまとめましたので、すごく分厚いです!


一条真也の新ハートフル・ブログ」の第1回

 

何を書くか。毎日ブログを書きます。ブログ「ブログ始めました!」に書いたように、2010年のバレンタインデーに「一条真也のハートフル・ブログ」はスタートしました。それ以来、2000本の記事と番外編を数本書いて、同ブログは終了。2013年のバレンタインデーには「佐久間庸和の天下布礼日記」と「一条真也の新ハートフル・ブログ」の2つのブログを同時にスタート。本名ブログである「天下布礼日記」は2000本をもって終了しましたが、「一条真也の新ハートフル・ブログ」は現在も毎日、書いています。このブログもすでに5000本を超え、3つあわせて9000本以上を書いたことになります。

「財界九州」2021年4月号

 

しかも、わたしのブログは文章量が多いことで有名で、1万字以上はザラ(この記事も1万字以上です)。多いものでは4万字近くあります。完全に時代に逆行している気もしますが、書かなければならないことを書いているという自負があるので、そんなことは気になりません。ブログのテーマは多岐にわたりますが、特に読書感想と映画レビューが人気です。読書ブログや映画ブログは、アーカイブとして『一条真也の読書館』『一条真也の映画館』というサイトに転載しています。なお、「書」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月29日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「読」です。

f:id:shins2m:20210205103732j:plain一条真也の読書館

 

わたしは、とにかく毎日、読んでいます。
何を読むか。まず、本を読みます。会社にいるときは、読書は一切しません。もちろん自宅の書斎では読みますが、主に読むのは年間の約3分の1を占める出張の移動時間とホテルの部屋にいる時間です。とにかく読めるときは読みます。昔はテーマパークのアトラクションとかラーメン店などの行列に並んでいるときも本を読んでいるので、人からあきれられました。

 

 

別に速読法などを学んだわけではありませんが、読むのは早い方で、多い時で年間に700冊ぐらい読んでいました。それも定規と赤のボールペンで傍線を引きながら読むのです。最近は読んだ後に書評ブログを書くようになったため、読める冊数が減りました。年間300冊ぐらいしか読めていません。わたしが最も本を読んだ時期の読書法は、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)に詳しく紹介されています。また、書評は『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)、『心ゆたかな読書』(現代書林)の2冊に掲載されています。

 

 

わたしはとにかく読書によって、人生のさまざまな岐路をくぐり抜けて来たように思います。社長に就任してすぐ読んだのは、ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』でした。非常に感銘を受け、『ハートフル・ソサエティ』というアンサー・ブックまで書いたほどですが、その後、ドラッカーの著書はすべて読破しました。40歳になる直前、『論語』を読み、これまた感ずるところ大で、一気に40回も読み返しました。

 

 

あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の出版を機に、わたしの読書法に興味を持っていただく方も増え、2010年にはテレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」内の「スミスの本棚」で、松岡正剛氏、平野啓一郎氏と並んで「読書の達人」としてご紹介いただきました


スミスの本棚」で「読書の達人」として紹介されました

スミスの本棚」で大いに語りました

 

世界のクロサワの名画に「七人の侍」と「用心棒」という作品がありますが、かつてのわたしには「七人の用心棒」がいました。すなわち、ピーター・ドラッカー、フィリップ・コトラーマイケル・ポーター安岡正篤中村天風松下幸之助稲盛和夫氏の7人です。孔子孟子王陽明といった超大物は別格として、何か経営上で困った問題が発生したら、この7人の本を読めば、たいていの問題は解決するといった時期が長く続きました。



わたしは本を読むときに、その著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているように感じながら読むことにしています。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強をし、ようやく到達した認識を、2人きりで自分に丁寧に話してくれるのです。何という贅沢でしょうか! ですから、わたしは、昔の日本の師弟関係のように、先生の話を正座して1人で聞かせていただくのです。「七人の用心棒」は、「七人の心の師」なのです。


わが書斎の書棚

 

もちろん、「七人の用心棒」以外の本も読みました。もともと哲学や文学には目がありませんし、歴史書や伝記なども努めて読むようにしています。『論語』に心酔してからは、中国の書物を漢文で読むことが多くなりました。幕末維新までのわが国の教育に大きな力となったものは、漢籍素読儒学の教養でした。なかんずく中国の歴史とそれに登場する人物とが、日本人の人間研究に大きく役立ったのです。『史記』『十八史略』『三国志』『資治通鑑』『戦国策』などは当然読むべき教養書でした。



あの福沢諭吉ですら『左伝』15巻を11回も読み通して、その内容はすべて暗誦していたといいます。これが福沢の人間を見る目をつくったのでした。漢籍でまず鍛えられた頭脳で、蘭学や英語をやったから眼光紙背に徹する勢いで、たちまち西洋事情を見抜いてしまったのです。中国は広大な大陸に広がる天下国家で、異民族による抗争の舞台であり、その興亡盛衰における権力闘争は、それ自体が政治のテキストであり、これに登場する人物は、大型、中型、小型、聖人もあれば悪党もあり、そのヴァラエティさは万華鏡の如くです。まさに人間探求、人物研究の好材料を提供してくれるわけで、日本人は中国というお手本によって人間理解の幅を大きく広げ、深めてきたと言えます。


プロイセンの鉄血宰相ビスマルクに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉がありますが、西欧の人々は主にローマ帝国の衰亡史などを参考に人間理解をしてきました。生物のなかで人間のみが、読書によって時間を超越して情報を伝達できるのです。人間は経験のみでは、1つの方法論を体得するのにも数十年かかりますが、読書なら他人の経験を借りて、1日でできます。つまり、読書はタイム・ワープの方法なのです。


社内報の「社長のおススメ本」

 

人生を商売にたとえてみると、すべて仕入れと出荷から成り立っています。そこで問題となるのは仕入れであり、その有力な仕入先が読書です。わたしは、「良い本だな」と思えば、社員にもどんどんその本を紹介します。毎月の社内報でも「仕事に役立つ、社長のおススメ本」というコーナーがありますし、冠婚葬祭互助会の会員情報誌「ハートライフ」でも本の紹介をしています。

 

何を読むか。社内メールをはじめ、各種メールを読みます。日々の実績速報、金融機関の預金状況、社内通達の内容、毎朝届けられる膨大な情報を一気に読みます。そして、会議では業績報告書や財務諸表を読みます。真剣に読めば、会社の未来が読めてきます。友人や知人からの私的なメールは心のオアシスとなります。最近はLINEも読みます。わが社の社員の中には、信じられないほど長文のLINEを送ってくれる人もいます。わたしが発信した情報やメッセージに対する反応が主ですが、その内容は驚くほど濃いです。

 

何を読むか。「お客様アンケート」を読みます。冠婚部門、葬祭部門に分かれて全国から数え切れないほど多くのアンケート・ハガキが社長であるわたしのもとに届きます。すべてのハガキはお客様からわが社へのラブレターととらえ、一枚ずつ一字一句をじっくり読ませていただきます。内容がクレームの場合、お客様に不愉快な思いをさせた申し訳なさと、大事なことを教えていただいた有難さで、ハガキに向かって手を合わせます。逆にお褒めの言葉をいただくこともあります。「サンレーさんにお願いして、本当に良かった」というような言葉に触れると、嬉しくて涙が出ます。

 

グッドコメントにせよバッドコメントにせよ、お客様からのメッセージを読むたびにわが社の使命が思い起こされ、心の底から「もっとお客様のお役に立ちたい」という強い想いが生まれてきます。わたしは、ハガキを通して、お客様の心を読ませていただいていると思っています。なお、「読」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月29日 一条真也

『読書塾 第二講』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『読書塾 第二講』(2012年12月刊行)

 

今回は、『読書塾 第二講』をご紹介します。2012年12月に刊行したブックレットです。内容は「アヴァンティ」2011年9月号から2012年12月号の連載書評エッセイ「一条真也の読書塾」をまとめました。このブックレットには、以下の16冊が取り上げられています。

』 白石一文著(光文社)
日本一心を揺るがす新聞の社説』 
 水谷もりひと著(ごま書房新社)
いまだから読みたい本−3・11後の日本』 
 坂本龍一+編纂チーム選(小学館
ジェノサイド』 高野和明著(角川書店
マスカレード・ホテル』 東野圭吾著(集英社
スティーブ・ジョブズ』1・2 
 ウォルターアイザックソン著、井口耕二訳(講談社
本へのとびら』 宮崎駿著(岩波新書
何のために論語を読むのか』 孔健著(致知出版社
降霊会の夜』 浅田次郎著(朝日新聞出版社)
傍聞き』 長岡弘樹著(双葉文庫
なんだかなァ人生』 柳沢きみお著(新潮社)
舟を編む』 三浦しをん著(光文社)
トーチソング・エコロジー』第1巻 
 いくえみ綾著(幻冬舎コミックス
未来国家ブータン』 高野秀行著(集英社
柔らかな犀の角』 山崎努著(文藝春秋
ビブリア古書堂の事件手帖』 
 三上延著(メディアワークス文庫

 

2022年7月29日 一条真也

『読書塾 第一講』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『読書塾 第一講』(2012年11月刊行)

 

今回は、『読書塾 第一講』をご紹介します。2012年11月に刊行したブックレットです。内容は「アヴァンティ」2010年4月号から2011年8月号の連載書評エッセイ「一条真也の読書塾」をまとめたものです。このブックレットには、以下の17冊が取り上げられています。

サヨナライツカ』 辻仁成著(幻冬舎文庫
きみの友だち』 重松清著(新潮文庫
さとしわかるか』 福島令子著(朝日新聞出版)
おひとりさまの老後』 上野千鶴子法研
不機嫌な女子社員とのつき合い方』 
 北山節子著(ポプラ社
アホの壁』 筒井康隆著(新潮文庫
告白』 湊かなえ著(双葉文庫
百年読書会』 重松清編著(朝日新書
悪人』上下巻 吉田修一著(朝日文庫
かたみ歌』 朱川湊人著(新潮文庫
僕を支えた母の言葉』 野口嘉則著(サンマーク出版
情熱思考』 是久昌信著(中経出版
株式会社家族』 
 山田かおり著、山田まき・絵(リトルモア
身につけよう!江戸しぐさ』 
 越川禮子著(KKロングセラーズ
SF魂』 小松左京著(新潮新書
PRAY FOR JAPAN』 
Prayforjapan.jp編(講談社
バタフライ・エファクト 世界を変える力
 アンディ・アンドルーズ著、弓場隆訳
 (ディスカバー・トウェンティワン)


『読書塾 第一講』の目次

 

2022年7月29日 一条真也

「ガイア理論」のジェームズ・ラブロック死去

一条真也です。
ヤフーニュースで「『ガイア理論』の英科学者ラブロック氏死去 103歳」という記事を見つけました。世界的に有名なイギリスの科学者ジェームズ・ラブロック(James Lovelock)は、地球をひとつの生命体と考える「ガイア理論」や、気候変動に関する先駆的な研究で知られましたが、転倒による合併症のため、103歳の誕生日である26日に死去したそうです。


ヤフーニュースより

 

記事には、以下のように書かれています。
「ラブロック氏は1970年代、地球はすべての生物で構成された自己調整機能を持つひとつの生命体だとする『ガイア理論』を考案。この理論は、地球とそこに住む生命の関係に対する科学的視点の見直しに貢献した。温暖化による地球破滅の恐れを訴えたことでも知られ、2006年に出版した『ガイアの復讐(The Revenge of Gaia)』では、人類が温室効果ガスの排出を大幅に削減しなければ深刻な結果になると警鐘を鳴らした。20年のAFP通信のインタビューでは、新型コロナウイルスの大流行への対応を迫られる中で世界は広い視野を失ったと警告。より大きな問題である地球温暖化への対策に注力するべきと述べていた。【翻訳編集】 AFPBB News

 

わたしは、最初にラブロックの『地球生命圏――ガイアの科学』星川淳訳(工作舎)を読んで以来、ガイア仮説に魅了されました。科学的かどうかは別にして、そのロマンティックな考え方に夢中になったのです。ブログ『リゾートの思想』で紹介した1991年2月に上梓した一条本は、人間にとっての理想の土地、すなわち「理想土」について考察した本ですが、その第2章「リゾートのキーワード=20」の14「ネイチャー」でガイア仮説を紹介しました。当時のわたしは1989年10月に設立した(株)ハートピア計画(東京都港区西麻布)の代表取締役として、リゾート開発のコンセプト・プランニングなどの業務を行っていました。

リゾートの思想』(河出書房新社

 

リゾートの思想』の中で、わたしはこう書いています。
「現在、自然環境の問題はリゾートに限らず、また日本に限らず、全地球的なレベルでの最大の問題となっている。酸性雨、砂漠化、フロンガスによるオゾン層の破壊、二酸化炭素による温暖化、森林伐採による熱帯林の減少など、ほころびの目立つ地球環境をめぐって、大きな国際会議がいくつも世界各地で開かれている。1992年には環境開発国連会議も開催される。21世紀のグランド・キーワードは間違いなく『地球』と『神』だろう。ここで、われわれがどうしても知っておかねばならない理論がある。地球全体を一個の生命体ととらえた『ガイア仮説』である。イギリスのフリーの科学者J・E・ラブロックによって唱えられているものだ。新世代(ニュー・エイジ)の地球像は、『宇宙空間から眺めた地球は、文字通り一つの生命体だった』という宇宙飛行士たちの証言に代表される。NASAの字宙計画の共同研究者として火星の生命探査計画に参画したラブロックは、この宇宙飛行士たちの啓示を、大気分析、海洋分析、システム工学などを駆使して実証科学に置き換えた。出発点となった『一つの生命体としての地球』の名前は『ガイア』。ギリシア神話の大地の女神で、天文神ウラノスの母でもあり妻でもあったという初源の神の名である。地理学(ジオグラフィー)や地質学(ジオロジー)の語源ともなっている」

リゾートの思想』より

 

また、わたしは以下のようにも書いています。
「ラブロックは大気分析を通して火星には生命が認められないことを実証した後、改めて地球の大気の特異性に着目した。そして、バクテリアから人間まで、地上の生きとし生けるものはもとより、大気や海などの環境も含めて1つの生命体と見なす『ガイア仮説』を打ち出したのである」
ラブロックは、『地球生命圏』で以下のように述べます。
「母なる大地」という概念や、ギリシア人たちが速い昔<彼女>をガイア(Gaia)と呼んだような考え方は歴史上ひろくみられるものであり、いまなおもろもろの大宗教に説かれるひとつの信条の基盤ともなってきた。自然環境に関する事実の集積と、生態学の進展にともなって、最近、生命圏(バイオスフィア)は土壌や海洋や空中を自然生息地とするありとあらゆる生き物たちの単なる寄せ集め以上のものではないかという推測がなされるようになっている。古来の信条と現代の知識は、宇宙飛行士たちがわが目で、われわれがメディアを介して、宇宙の深い聞に浮かぶまばゆいばかりの美しさに包まれた地球を見たときの驚異の中に融合したといえよう。けれども、この感覚がいかに強いものであれ、それだけで母なる地球が生きているという証拠にはならない。宗教的信条と同様、それは科学的に検証不可能であって、さらなる理論的考察に耐えることができないのである。


さらに、わたしは以下のように述べています。
「宇宙空間への旅は、地球を見る新たな視座を提供するという以上の意味をもっていた。外空間からはまた、地球の大気や表面についての情報が送り返されて、惑星の生物と無機物間のさまざまな相互作用に関する新しい洞察をもたらしてくれたのである。ここからひとつの仮説、モデルが現われた。つまり、地球の生物、大気、海洋、そして地表は単一の有機体とみなしていい複雑なシステムをなし、われわれの惑星を生命にふさわしい場所として保つ能力をそなえているのではないかという仮説である。ラブロックはガイアを、地球の生命圏(バイオスフィア)、大気圏、海洋、そして土壌を含んだ1つの複合体と定義している。つまり、この惑星上において生命に最適な物理化学環境を追求する1つのフィードバック・システム、あるいはサイパネティック・システムをなす総体である。積極的なコントロールによって様々な条件を比較的安定した状態に保つという現象は、<恒常性(ホメオスタシス)>という術語でうまく表現できる」

 

そして、わたしは「もしガイアが存在するとすれば、彼女とその複雑な生命システムの中で最も優勢な動物種である人間との関係、そしてその両者の間で逆転しつつあるとおぼしき「力のバランス」が重大問題となるのは明らかだ。ガイア仮説は自然を、鎮圧され征服されるべき未開の力と見なす悲劇的な見方に対する代案(オルタナティヴ)であり、われわれの惑星を、操縦士も目的もなく永遠に太陽の内軌道をめぐる狂った宇宙船と見る、気の滅入る地球像への代案でもある。われわれはガイアのパートナーとして、汚染によって病んでいる彼女を癒さなければならない。何よりもまず、彼女を愛さなければならない。地球は生きている。そして、われわれは生きた地球の一部としての生きたリゾートをつくるのである。生きたリゾートにおいて、われわれはガイアの息吹や心臓の鼓動を感じるに違いない」と述べるのでした。


いま、『リゾートの思想』を読み返すと、今から30年以上も前に現代社会のキーワードである「SDGs」も、「ウェルビーイング」も、「マインドフルネス」も、すべて視野に入れて、またそれらが新時代のキー・コンセプトであることを自覚して論じていることに、われながら驚きます。この本を書いたのは28歳でしたが、明らかに現在のわたしの考え方がよく示されていることに気づきます。

 

 

ラブロックの遺作は、『ノヴァセン:〈超知能〉が地球を更新する』(NHK出版)です。「ガイア理論」の提唱者として知られる彼が、21世紀に人間の知能をはるかに凌駕する〈超知能〉が出現すると予測した本です。地球は、人類を頂点とする時代(=「人新世」)から、〈超知能〉と人類が共存する時代(=「ノヴァセン」)へと移行すると主張します。〈超知能〉は人類より1万倍速く思考や計算ができ、人間とは異なるコミュニケーション手段を持つといいます。他方で〈超知能〉にとっても地球という環境が生存の条件になるため、人類と共に地球を保護する方向に向かうだろうと断言する。科学的なベースを踏まえながら、地球と生命の未来を大胆に構想した知的興奮の書です。人類史に残る大変な名著であるとの声が多く、情報学者の落合陽一氏なども推薦しています。最後に、偉大なるロマンティック・サイエンティストであったジェームズ・ラブロック氏が母なるガイアのもとに還られて安らかに休まれることを心よりお祈りいたします。

 

2022年7月28日 一条真也