菅首相が退陣へ

一条真也です。
3日、朝から北九州は大雨でした。
12時半から小倉ロータリークラブのZOOM例会に参加しましたが、その直前、菅義偉首相(自民党総裁)が今月に予定されていた党総裁選に立候補しないことを表明したというニュースが飛び込んできました。

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ヤフーニュースより

 

じつは、わたしは「今日あたり菅首相が電撃辞任を発表するのでは?」と思っていました。ここ数日の政局の流れを見て、そんな気がしてならなかったからです。首相周辺によると、9月末の総裁任期いっぱいで首相を退任する意向だといいます。「朝日新聞DIGITAL」には、「菅氏の立候補見送り表明を受け、総裁選の構図は大きく変わる。すでに手を挙げている岸田、高市両氏のほか、石破茂元幹事長も立候補する可能性がある。菅政権は昨年9月の発足以降、大型選挙で「敗北」が続き、8月には首相のおひざ元である横浜市長選で、自らが支援した候補が野党系候補に大差で敗れた。8月の朝日新聞世論調査では、内閣支持率が28%と昨年9月の発足以降、初めて3割を切った。衆院選を前に、『首相では戦えない』との不満も与党内で渦巻いていた」

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ヤフーニュースより

 

ブログ「菅新総裁へのお願い」にも書いたように、昨年9月14日に菅氏は自民党の総裁に就任されました。それから、ちょうど1年後に辞任ということですが、わたしも最初は菅首相に大きな期待を抱いていました。わたしが副会長を務める冠婚葬祭互助会政治連盟の最高顧問でもあり、「日本の救世主」となられることを願っていました。その後、東京五輪の強行開催やコロナ対策には強い疑問を持ちましたが、菅首相は、ほとんど休まれず、ご本人なりにベストは尽くされたのだと思います。首相を辞められた後は、お好きなパンケーキでも召し上がりながら、どうかゆっくり休んでいただきたいと思います。それにしても、最近の菅バッシングはすごかったですが、本来は前任者である安倍前首相が負うべき責を肩代わりしたわけであり、その点は同情を禁じ得ません。

f:id:shins2m:20210903143453j:plainヤフーニュースより

 

菅首相は、東京五輪で人気回復と政権浮揚を狙ったようですが、その思惑は外れました。それどころか、東京五輪の閉幕直後にコロナ感染の第5波が到来し、大きな非難を浴びました。過去の例を見れば、五輪が日本で開催された年は首相が辞任するというジンクスがあります。五輪の国内開催は今回以外に1964年東京五輪(10月10日~24日)、72年札幌冬季五輪(2月3日~13日)、98年長野冬季五輪(2月7日~22日)の3大会ですが、64年は池田隼人首相、72年は佐藤栄作首相、98年は橋本龍太郎首相がそれぞれ五輪終了後、年内に退陣しました。菅首相は。このハードルをクリアできませんでしたね。新しい自民党総裁、そして新しい首相には何よりも万全のコロナ対策を期待いたします。

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ヤフーニュースより

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ヤフーニュースより

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ヤフーニュースより

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9月4日の各紙朝刊一面

 

2021年9月3日 一条真也

『小泉今日子書評集』 

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第160回分が掲載されています。今回取り上げる本は、『小泉今日子書評集』小泉今日子著(中央公論新社)。

f:id:shins2m:20210831104403j:plainハートフル・ブックス」の第160回 

 

わたしの最新刊『心ゆたかな読書』(現代書林)を刊行するにあたり、ブックガイドや書評集の類を可能な限り読んだのですが、80年代の女性アイドルを代表するキョンキョンのこの一冊が特に心に残りました。本書には、2005年から2014年にかけて「読売新聞」に掲載された97冊分の書評が集められています。著者は「その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている」と、「はじめに」に綴っています。

 

一方、読書を始めたきっかけについて、著者は「本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった10代の頃、人と話をするのも億劫だった。だからと言って不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないで下さい。そんな貼り紙代わりの本だった。それでも本を一冊読み終えると心の中の森がむくむくと豊かになるような感覚があった。その森をもっと豊かにしたくなって、知らない言葉や漢字を辞書で調べてノートに書き写すようにした。学校に通っている頃は勉強が大嫌いだったのに退屈な時間はそんなことをして楽しむようになった」と回想しています。

 

本書を通読して感じたのは、「死」についての著者の感性の豊かさです。自身の死生観をしっかりと持っており、『心ゆたかな読書』でわたしが取り上げた本も本書に登場します。たとえば、天童荒太の小説『悼む人』です。その書評では、「生と死、そして愛という言葉。簡単なようで言葉にするのは難しいテーマだと思う。大袈裟に捉えすぎても、軽んじてもいけない言葉なのだと思うが、著者は丁寧に慎重に言葉を積み重ね、静かにゆっくりと私達を導いてくれる」と記しています。

 

また、辻村深月の小説『ツナグ』の書評では、「誰に会いたいか? 本を閉じてから考えた。父親、恩師、10代で逝った幼なじみ。いろんな人の顔が浮かんだけれど、会いたいとは思わなかった。あの世とこの世に別れてからの方が、ずっと近くに感じているからだ」と告白しています。わたしの考えにも似ていて、なんだか嬉しくなってきました。じつは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作が決定しています。可能ならば、いまや日本映画界を代表する名女優でもある著者に出演していただきたいです!

 

 

2021年9月3日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「夢」です。

 

誰でも、少年や少女の頃には夢を持っていました。
ナポレオンは雨上がりの虹を見て、「あの虹をつかまえてやる」と叫んで、駆け出したといいます。シュリーマンは、よく知られているように、子どもの頃に本で読んだトロイの遺跡が実在すると信じ、大人になったら自分がそれを発掘するという夢を持っていました。長嶋茂雄イチロー大谷翔平は、野球少年時代から「一流のプロ野球選手になる」という夢を抱き、それを果たしました。



夢を追った経済人といえば、本田宗一郎の名が思い浮かびます。彼は「人に信じられないぐらいの夢が、本当の夢だ」と常々語り、クルマ作りに限りない夢とロマンを抱いていました。そして彼は、企業とは多種多様な社員の夢やロマンを実現する場に過ぎないと考えていました。社長から一社員にいたるまで、1人ひとりがクルマ作りという場を借りて自己実現できれば、企業の目的は達せられる。それが本田宗一郎の企業観であり、経営哲学でした。企業という組織は多くの乗組員の夢とロマンを乗せた船にほかなりません。みんなの夢やロマンが実現する目的地まで航行させるのが船長ならぬ社長の仕事なのです。


「長い間、夢を見てきましたね」という経済記者のインタビューに対して、本田宗一郎は「夢を食って生きてきたみたいだね。ただし俺が見たのは必ず実現する夢ばかりだな。俺はやっぱり技術屋だから、具体的なやつじゃないと嫌なんだ」と答えています。しかし、夢というのは必ず実現できるものであると思います。偉大な夢の前に、これまで数多くの「不可能」が姿を消してきました。最初の飛行機が飛ぶ以前に生まれた人で、現在でも生きている人がいます。彼らの何人かは空気より重い物体の飛行は科学的に不可能であると聞かされ、この不可能を証明する多くの技術的説明書が書かれたものを読んだことでしょう。これらの説明を行った科学者の名前はすっかり忘れてしまったけれども、あの勇気あるライト兄弟の名はみな覚えているのです。ライト兄弟の夢が人類に空を飛ばせたのです。



宇宙旅行もこれと同じです。地球の重力圏から脱出することなど絶対に不可能だとされていました。すなわち、学識のある教授たちが、1957年にスプートニク1号が軌道に乗る1年ほど前までは、こんなことは問題外だと断言し続けてきました。その4年後の61年には、ガガーリンの乗った人間衛星船ヴォストーク1号を打ち上げ、人類最初の宇宙旅行に成功しました。さらに69年にはアポロ11号のアームストロングとオルドリンが初めて月面に着陸しました。ここに古来あらゆる民族が夢に見続け、シラノ・ド・ヴェルジュラック、ヴェルヌ、ウェルズといったSF作家たちがその実現方法を提案してきた月世界旅行は、ドラマティックに実現したのです。気の遠くなるほど長いあいだ夢に見た結果、人類はついに月に立ったのです!

 

 

飛行機や宇宙船に限らず、もっと身近なわたしたちの身のまわりにある道具の多くも、「不可能」から「可能」へと住所変更をしてきました。たとえば、わたしがこの原稿を書いているパソコンには、当然ながら日本語ワープロ機能があります。しかし、1976年の3月まで、漢字かな混じり文を打つ日本語ワープロの実現は不可能とされていたのです。欧米でのタイプライターの普及に伴い、日本語を打つタイプライターを作ることは明治時代から試みられていた。大正四年(1915年)に和文タイプが発明されましたが、これは訓練を受けたタイピストが使う、いわば清書機であり、一般人が使える英文のタイプライターとはコンセプトが異なる製品でした。



明治時代には、「日本語から漢字をなくしてしまえば、英文のタイプライターと同様のものが使える」と主張するカナモジ論、ローマ字論も生まれました。和文タイプの限界ゆえに、カナモジ論、ローマ字論は脈々と続きました。しかし、このような流れの中で、「漢字かな混じり文を打つ英文タイプと同様の製品」を夢見て、開発をめざす一人の日本人がいました。東大工学部を卒業して東芝に入社した、森健一氏がその人です。森氏が開発の意志を固めたのは71年ですが、その5年後の76年に出版された情報工学の権威者の著書には、「漢字の打てる和文タイプなど、できる道理がない」と明記されていました。それは、当時の研究者の常識でもあったのです。



その「できる道理がない」ものに挑戦する森氏は、数々の改良を重ね、76年3月、東芝総合研究所で大型コンピューターを使ったシミュレーションを実行。そしてついに、かな漢字変換システムの成功を確認したのです。森氏らが開発した奇跡のワープロは商品化され、79年の2月に「JW―10」として出荷されました。これはコンピューターと事務機の両業界に大きな波紋を投げかける大事件となり、ここに明治以来の日本人の夢は実現したのです。



“If  you   can  dream  it,you  can  do  it.”

この言葉は、かのウォルト・ディズニーによるもので、わたしの座右の銘の1つです。人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもないのです。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。最後に、「必ず実現する夢」しか見ないと広言していた本田宗一郎は、「世界に人類が40億いるなら、その全部に好かれたい」という途方もない夢を抱いていたといいます。なお、「夢」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


 

2021年9月3日 一条真也

『病いと養生』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきました。わたしのブックレットは一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『病いと養生』(2007年10月刊行)

 

今回は、『病いと養生』をご紹介します。
2007年10月に刊行したブックレットですが、目次は以下の通りです。

●高まる健康への関心
●西洋医学の2つの流れ
●痛みの意味とは?
●病いに光を当てる考え方
●病気が与えてくれる恵み
●病気とは気の問題
●養生というコンセプト


「養生」について考えつくす

 

「健康」は現代人の抱くもっとも大きな願望のひとつですが、実は現代人だけではありません。古代から人々は健康と長命を切に願いつづけてきました。日本では、好老社会を築いた江戸時代が大いなる健康指向の時代でした。もともと江戸に幕府を開いた徳川家康その人が健康や長命に異常な関心を示しました。織田信長亡き後、天下人となった豊臣秀吉と信長の同盟者であった家康とのあいだには奇妙なパワー・バランスがありました。互いに恐れ、機嫌をとりあい、「いつ、あの男が死ぬか」とひそかに思ってきたに違いありません。もし家康が先に死んだとすれば秀吉はえたりかしこしと理由を設け、その諸侯としては過大すぎるほどの関東二百五十余万石の大領土を削るか、分割し去ってしまったでしょう。しかし、実際は秀吉のほうが先に死んでしまいました。家康は内心、「勝負はついには寿命じゃ」と思ったのではないでしょうか。


 

また70歳を越えてからも、「命を延ばさねばならない」ということは、天下の大政略になりました。家康は天下の行方が自分の寿命ひとつにかかっているということを知りぬいていました。「自分が死ねば、どうなるか」ということです。「大乱が起こるだろう。秀忠ではとうてい天下は保てない」と思っていました。伊達氏、毛利氏、福島氏、蜂須賀氏、加藤氏、それに島津氏といった武断的勢力群が、おとなしく徳川家に服従していないであろう。必ず江戸に対して旗をあげるに相違なく、彼らはそのとき挙兵の名目として秀吉の子である秀頼をかつぎ、大阪城に入り、天下の野心的な諸侯を糾合して江戸征伐を起こすに違いない。「それをふせぐ唯一の道は、わしが長寿を保つことだ」と、家康は考えたはずです。



家康は小牧長手戦のさなか、背中にカルブンケルができて重篤になり窮地に陥りましたが、その他は生命にかかわるほど重大な病気を患ったことはありません。肉体・精神ともにきわめて強い武将でした。天下人を目指した信玄、謙信、信長、そして秀吉がいずれも天寿を全うすることなく世を去ったのを見てきましたから、「勝利をつかむには、何としても長生きしなければ」と、家康は必死で養生に励んだのでしょう。関ヶ原の頃は体重がどんどん増えて、ついに自分でも褌も締められず、毎朝、待女が前後から彼の褌を締めるという滑稽な状態にまでなりました。しかし、その後の家康は懸命に痩せようとしました。作家の司馬遼太郎は、「痩せることが長命のためにいいということを家康が知っていたということは、保健思想史からみて、家康は世界史的な存在かもしれない」と述べています。


家康は若い頃から医学に対して異常なほどの関心を持ち、老いてのちは独特の医学観を持ち、むしろ自分の侍医たちの考えの浅さを笑うほどにまでなっていました。また、17世紀初頭の人間でありながら、運動が保健のもとであるということを体験的に知っており、しかもそれが彼の日々の生活規律にまでなっていました。鷹狩りが大好きで、晩年はもっぱらこれに興じています。鷹狩りは野山を疾走して筋骨を動かし、手足を敏捷にさせ、帰れば夜ぐっすり眠れて閨房からもおのずと遠ざかります。なまはんかの薬を用いるよりは、はるかに勝る養生の要諦であると家康は言っています。鷹狩りは家康にとって体力を維持しストレスを晴らす最高のレジャーでした。おそらくは、現代のゴルフに相当する楽しみだったのではないでしょうか。


 

そんな家康が切り開いた江戸時代には、1人の保健思想の巨人が誕生しました。貝原益軒です。彼ほど「養生」について考え抜き、具体的な技術を示した人はいません。
「養生」は、益軒や杉田玄白をはじめ、西鶴、蕪村、一茶、上田秋成滝沢馬琴たち、そして他の多くの江戸の人々が日頃から口癖のように使っていた言葉でした。江戸という好老社会を理解する重要なキーワードであり、コンセプトだったのです。この「養生」というコンセプトに江戸の健康観は集約されますが、その基本思想を最もトータルに述べたのが『養生訓』には、いたるところに「常に畏れ、慎みあれば、自然に病なし」「つつしみおそれて保養すれば、かへつて長生きする」といった言葉が出てきます。自然に対する畏れと慎み、この孔子の説く「礼」にも通じる精神が「養生」の出発点でした。 そして、『養生訓』には「楽しむ」という言葉もたくさん出てきます。楽しむことが「養生の本」であるというのです。楽しむとは、ただ欲望を満足させることではありません。むしろ欲望を制して、真の人生の楽しみを楽しむことです。それには長命でなければなりません。



ここには、「先憂後楽」という、人生の目標を若いときに置かないで、人生の後半に置いていた江戸の人々の人生観が読み取れます。健康で長命でありたいのは、ただ長生きするだけでなく、老年において真に人生を楽しむためなのです。江戸時代には、隠居してから大きな仕事を成し遂げた人物がたくさんいましたが、益軒もその1人でした。現代のように「若さ」に価値があるのではなく、むしろ「老い」に価値があったのです。益軒をはじめ、多くの江戸の人々は幸福で毅然とした老年を送りました。彼らの実人生から、「養生」という健康観が生まれたのです。


『養生訓』とは、ただ病気をせずに長生きするという健康願望に応えるだけのものではありませんでした。「老い」に価値を置く江戸時代の社会や文化に根ざした死生観に立脚した人間の生き方を説いたものでした。生き方の哲学に裏打ちされた健康の思想と実践、これが「養生」ということだったのです。そして、「養生」の基本とは、「身をうごかし、気をめぐらす」ということでした。貝原益軒自身、老いても各地を訪ね歩き、知友と交わり、弟子たちを教え、多くの本を書いて、八十五歳の生涯を悠然と生ききったのです。なお、このブックレットは拙著『老福論』(成甲書房)をもとに作成されました。

 

 

2021年9月2日 一条真也

9月度総合朝礼

一条真也です。
ついに9月になりました。1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、空調やソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

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最初は、もちろん一同礼!

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社歌斉唱のようす

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マスク姿で登壇しました

f:id:shins2m:20210901084942j:plain日王の湯」について話しました

全員マスク姿で、社歌の斉唱および経営理念の唱和を小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしがパープルカラーのグラデーション不織布マスク姿で登壇。わたしは、まず、「9月10日、わが社が運営する福智町の『日王の湯』がオープンします。これを単なる温浴施設ではなく、『養生』をコンセプトとした総合的健康施設として位置づけ、ぜひ成功させたいと願っています。協力お願いいたします!」と述べました。

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パラリンピックグリーフケアの祭典!

 

それから、わたしは次のように述べました。現在、東京パラリンピックが開催されています。緊急事態宣言下で行うことがふさわしかったかどうかは別として、パラリンピックの重要性を痛感しています。わたしは、パラリンピックを大いなるグリーフケアの祭典であると思いました。というのも、選手たちのインタビューなどを聴くと、身体の一部を失ったり、障害を持ったりした当初は絶望し、自死までも考えたけれども、パラリンピック出場を目標に生きてきたという人が多かったからです。グリーフとは死別だけとは限りません。身体の一部や健康そのものを損なうことも「深い悲嘆」としてのグリーフです。改めて、現在がグリーフケアの時代であることを実感します。

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リベラルアーツについて

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熱心に聴く人びと

 

わたしは、そのグリーフケアに別名があることに最近気づきました。すなわち、「リベラルアーツ」です。日本語では「教養」と訳されることが多いのですが、わたしが北陸大学で担当し、現在は九州国際大学で担当している「孔子研究」や「ドラッカー研究」の講義はリベラルアーツに位置づけられています。 リベラルアーツを直訳すると「自由の技術」です。つまり、本来意味するところは「自由になるための手段」ということになります。人間が己を縛り付ける固定観念や常識から解き放たれ、「自らに由って」考えながら、自分自身の価値基準を持って生きていくために、リベラルアーツは存在するのです。

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自由になるための技術とは?

 

組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのシニア・クライアント・パートナーで、ビジネス書の分野で多くのベストセラーを書いている山口周氏は、ベストセラーの著書『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)で、「現代をしたたかに生きていこうとするのであれば、リベラルアーツほど強力な武器はない」と述べています。山口氏は、「リベラルアーツを、社会人として身につけるべき教養、といった薄っぺらいニュアンスで捉えている人がいますが、これはとてももったいないこと」とも述べ、リベラルアーツが「自由になるための技術」であることを強く訴えます。

f:id:shins2m:20210901120707j:plain真理はあなたたちを自由にする!

 

では、「自由になるための技術」の「自由」とは何でしょうか。もともとの語源は『新約聖書』の「ヨハネ福音書」にあるイエスの言葉、「真理はあなたたちを自由にする」から来ています。「真理」とは読んで字のごとく、「真の理(=ことわり)」です。時間を経ても、場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理(=ことわり)が「真理」であり、それを知ることによって人々は、その時、その場所だけで支配的な物事を見る枠組みから、自由になれるのです。山口氏は、「目の前の世界において常識として通用して誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり『問う』ための技術がリベラルアーツの真髄ということになります」と述べています。まったく同感です。

f:id:shins2m:20210901085338j:plain人間にとって最大の不自由とは?
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熱心に聴く人びと

 

リベラルアーツが「自由になるための技術」であるということはわたしも著者と同意見ですが、「自由」について深く考えた場合、反対の「不自由」とは何かを考えざるをえません。そして、人間にとって最大の不自由とは「死」であることに気づきます。ならば、究極のリベラルアーツとは「死から自由になるための技術」、さらに言うならば、「死の不安から自由になるための技術」だと言えないでしょうか。もともと、哲学・芸術・宗教といったリベラルアーツにおける主要ジャンルのメーンテーマとは、「死の不安からの自由」であると思います。

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グリーフケア」は「リベラルアーツ」なり!

 

拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)は、〈宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論〉全18章という構成になっています。文庫版解説を書いて下さった宗教哲学者の鎌田東二先生は、同書について「この体系性と全体性と各論との緊密な連系は目を見張ります。この全18章の前半部は、宇宙論から哲学・宗教・芸術論で、まさに全リベラルアーツ大特集です」と述べておられます。さらに、わたしは、『死を乗り越える読書ガイド』、『死を乗り越える映画ガイド』、『死を乗り越える名言ガイド』の三部作を上梓しました。これらは、いずれもグリーフケアの書として書きましたが、リベラルアーツの書でもあります。

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道歌を披露しました

 

わたしは現在、グリーフケアの研究と実践に取り組んでいますが、グリーフケアという営みの目的には「死別の悲嘆の軽減」と「死の不安の克服」の両方があります。後者である「死の不安の克服」とは「死の不安からの自由」というリベラルアーツの本質と同じです。もともと、グリーフケアの中には哲学も芸術も宗教も含まれており、ほとんどリベラルアーツと同義語と言ってもよいでしょう。リベラルアーツグリーフケアこそは、現在の超高齢社会および多死社会における最重要の「知」ではないでしょうか。多くのグリーフケア士が誕生したわが社ですが、「時代の最先端にいることを自覚して、コロナ時代を生き抜きましょう!」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

やみくもに心に重し乗せぬよう

  自らに由り死を乗り越えん 庸軒

 

f:id:shins2m:20210901120900j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20210901120918j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーの本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤー1年目を黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。梅雨の最中ではありますが、体調に気を配り、熱中症やコロナ変異種の感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年9月1日 一条真也

黙祷するということ

一条真也です。
ついに9月になりました。1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第38回目がアップされます。今回のタイトルは、「黙祷するということ」です。 

f:id:shins2m:20210830110127j:plain「黙祷するということ」

 

わたしは、よく黙祷をします。特に、8月は6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の「日航機墜落事故の日」、そして15日の「終戦の日」と、3日おきに日本人にとって大切な「死者を想う日」が訪れ、そのたびに黙祷しました。

 

黙祷とは何か。まず、それは死者に対する礼です。生者は、黙祷によって死者を尊重していることを表現します。宗教儀式のようでもありますが、特定の宗教には限定されません。このため、特定の宗教や宗派に依存しない儀式の際には、参加者それぞれの信仰に関係なく祈るという様式において用いられることが多いです。

 

次に、黙祷とは死者の存在を再確認することです。生者と死者の関係を考えた人物に、神秘哲学者のルドルフ・シュタイナーがいます。彼は人智学という学問の創始者として知られていますが、よく「人智学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持つためだ」と語ったそうです。死者と生者との関係は密接であり、それをいいかげんにするということは、わたしたちがこの世に生きることの意味をも否定することになりかねないというのです。

 

さらに、黙祷とは目を閉じる行為です。わたしは、このことからサン=テグジュぺリの『星の王子さま』に出てくる「本当に大切なことは目には見えない」という言葉を連想します。この言葉には、愛、思いやり、まごころ、信頼・・・この世には、目に見えなくても存在する大切なものがたくさんあり、逆に本当に大切なものは目に見えないのだという解釈があります。

 

また、このフレーズは哲学者プラトンのいう「イデア」のことではないかという意見もあります。イデアとは、わたしたちが目で見ている現実の世界の向こう側にある理想の世界のことです。プラトンは、イデアの世界こそ真実の世界であり、わたしたちが見ている現実の世界はイデアの影にすぎないと考えました。

 

「本当に大切なこと」という言葉はフランス語では「エッサンシエル」、英語だと「エッセンシャル」で、つまり、「本質的なもの」という意味になります。それを踏まえると、目には見えない大切なものとは、すなわちイデアのことかもしれません。さらに言えば、目では見えないけれども、魂でなら見ることができます。黙祷とは、魂でイデアを見るための技法という可能性もあるでしょう。

 

8月7日、東京五輪が閉幕しました。その前日の6日が「広島原爆の日」でした。IOCは開会式以外での黙祷などのセレモニーをしないと決定しましたが、閉会式のラストに出演した女優の大竹しのぶさんは、自身のインスタグラムに「世界中の人が来ている今だから、一緒に黙祷出来たら良かったのになあ。世界中の人が被爆国である日本にいるのだから」と記しました。人類が犯した最大の罪のひとつのために、テレビを通じて世界中の人々が同時に黙祷するチャンスが失われたことは残念です。

 

2021年9月1日 一条真也

グリーフケアに関する講演会を実施

一条真也です。
葉月晦日一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会が発行する「互助会通信」の最新号(458号)が届きました。そこには、ブログ「グリーフケア講演in横浜」で紹介したイベントの記事が掲載されていました。

f:id:shins2m:20210831151141j:plain「互助会通信」458号 

 

記事は、「フューネラルビジネスフェア2021 グリーフケアに関する講演会を実施」のタイトルで、「2021年6月24〜25日、全互協などが後援し、パシフィコ横浜で開催されたフューネラルビジネスフェア2021には、107社が出展し、8280名(前回比69.9%)が来場しました。その中で、佐久間庸和副会長・グリーフケアPT座長が講演会を実施。グリーフケア資格認定制度の概要や、グリーフケアの意義と役割について説明し、盛況のうちに閉会しました。」のリード文が書かれています。続いて、「■講演要旨『重要性高まるグリーフケアの意義と役割』 (株)サンレー代表取締役社長、全互協副会長/グリーフケアPT座長 佐久間庸和」として、以下のように書かれています。 
「今の世の中は、悲嘆に満ちた社会『グリーフフルソサエティ』と言えます。血縁関係が希薄になり、神社仏閣が減少し、コロナ禍によって、結婚式や披露宴を行わない、葬儀を縮小するといった状況が加速しています。このような中、葬儀施行や医療現場など、様々な現場でグリーフケアが求められるようになってきました。
グリーフケアとは、『ひと・もの・こと』の喪失によるグリーフ(悲嘆)にくれている人を、心を込めてお世話することです。対象者が事実を受け入れ、環境の変化に適応するプロセスを支援していきます。グリーフの原因は、死別による愛する人の喪失だけではなく、所有物や環境、役割、自尊心の喪失なども原因となり得ます。これらによる深い悲しみは、身体の健康にも大きな影響をもたらし、抑うつ、食欲不振、睡眠障害などを引き起こすこともあるほどです。特に死別による人生最大の喪失を抱えたご遺族にグリーフケアを行うことは、社会を健全に保つためにも欠かせません。日本の社会が抱える問題の一つに、自殺がありますが、自殺の要因で圧倒的に多いのはうつ病です。そして、うつ病になるきっかけとして、配偶者の死は見逃すことができません。ご遺族の近くにいる葬祭業の人々がグリーフケアを行うことが、自殺者数の減少にもつながる可能性を秘めているのです。
今年の6月、グリーフケア資格認定制度がいよいよスタートしました。この制度では、グリーフケアの基礎知識を持って、グリーフを抱える人と向き合い、必要に応じてケアができる専門職へ橋渡しする能力を備える者をグリーフケア士として認定します。さらに今後は上位資格として上級グリーフケア士も設置。実践力が身に付き、現場におけるグリーフケアのファシリテート(サポートや手助け)ができる能力を備える者を認定します。受験対象者は葬祭業界関係者だけに限らず、職務を通してグリーフケアの実践が必要な方(医師や看護師、介護士などのエッセンシャルワーカー)や、遺族会患者会などで寄り添ってケアをする方、グリーフケアに関心のある一般の方など、多くの方に受験していただけるようにしました。また、グリーフケアを学ぶすべての方に、正しいアプローチをしていただくため、制度設計からテキスト制作、試験問題に至るまで、 上智大学グリーフケア研究所の監修を受けています。
葬祭業に関わる方々がグリーフケアを実践することは、葬祭業・互助会の存続と復興にもつながると考えています。なぜなら、過去のパンデミックでは、十分に看取りや葬儀ができなかった人々の後悔や悲しみ、罪悪感の高まりによって、感染収束後には葬儀が重要視されてきた歴史があるからです。コロナ禍において多くの人が、新型コロナウイルス感染症による肺炎で看取りや葬儀ができないといった深い悲しみを経験しています。だからこそ、収束後には、心豊かに儀式を行う時代が訪れる可能性があるのです。儀式は、不安定なものに形を与えることで安定させること。人の死によって不安定になった心を安定させるために、葬儀があります。多くの方にグリーフケア士を取得していただき、業務などで役立てていただければと思います」

f:id:shins2m:20210831151237j:plain「互助会通信」458号  

 

「互助会通信」458号には、一条真也として連載しているコラム「独言」も掲載されており、今回は「サービスからケアへ」のタイトルで以下のように書きました。
「6月25日、パシフィコ横浜で講演を行った。『フューネラルビジネスフェア2021』シンポジウム内の講演で、『重要性高まるグリーフケアの意義と役割』の演題だった。冒頭、ついにスタートした『グリーフケア資格認定制度』の話から始めた。わたしは、全互協のグリーフケアPTの座長として、かねてから資格認定制度の発足に取り組んできた。まず、同資格者認定制度の背景にある、葬儀の施行に加え、サポートやケアなどのスキルを持った専門職(グリーフケア士)育成の重要性について解説した。
続いて、『心のケアの時代』をテーマに論じた。『サービス』から『ケア』に焦点を当て、縦の関係(上下関係)であるサービスと横の関係(対等な関係)であるケアの本質を求め、その違いを説明した。また、『さまざまなケア』として、ヘルスケア、メンタルヘルスケア、コミュニティーケア、インフォーマルケア、ターミナルケア、緩和ケア、スピリチュアルケア、そしてグリーフケアについて詳説した。無縁社会に加え、コロナ禍の中にある日本で、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題であると訴えた。
さらには、『ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人を単に利用するのとは正反対のことであり、相手が成長し、自己実現することを助けること』などのケアについての見解を示し、講演を結んだ。葬祭業は、サービス業というよりもケア業である。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きい。いわば『心のエッセンシャルワーク』とでも呼ぶべきだろう。グリーフケア士を含む冠婚葬祭業に携わる者が、人々の心を支えるケアワーカーとして、広く尊敬を集める時代は近いと信じる」

 

2021年8月31日 一条真也拝