9月度総合朝礼

一条真也です。
ついに9月になりました。1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、空調やソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

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最初は、もちろん一同礼!

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社歌斉唱のようす

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マスク姿で登壇しました

f:id:shins2m:20210901084942j:plain日王の湯」について話しました

全員マスク姿で、社歌の斉唱および経営理念の唱和を小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしがパープルカラーのグラデーション不織布マスク姿で登壇。わたしは、まず、「9月10日、わが社が運営する福智町の『日王の湯』がオープンします。これを単なる温浴施設ではなく、『養生』をコンセプトとした総合的健康施設として位置づけ、ぜひ成功させたいと願っています。協力お願いいたします!」と述べました。

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パラリンピックグリーフケアの祭典!

 

それから、わたしは次のように述べました。現在、東京パラリンピックが開催されています。緊急事態宣言下で行うことがふさわしかったかどうかは別として、パラリンピックの重要性を痛感しています。わたしは、パラリンピックを大いなるグリーフケアの祭典であると思いました。というのも、選手たちのインタビューなどを聴くと、身体の一部を失ったり、障害を持ったりした当初は絶望し、自死までも考えたけれども、パラリンピック出場を目標に生きてきたという人が多かったからです。グリーフとは死別だけとは限りません。身体の一部や健康そのものを損なうことも「深い悲嘆」としてのグリーフです。改めて、現在がグリーフケアの時代であることを実感します。

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リベラルアーツについて

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熱心に聴く人びと

 

わたしは、そのグリーフケアに別名があることに最近気づきました。すなわち、「リベラルアーツ」です。日本語では「教養」と訳されることが多いのですが、わたしが北陸大学で担当し、現在は九州国際大学で担当している「孔子研究」や「ドラッカー研究」の講義はリベラルアーツに位置づけられています。 リベラルアーツを直訳すると「自由の技術」です。つまり、本来意味するところは「自由になるための手段」ということになります。人間が己を縛り付ける固定観念や常識から解き放たれ、「自らに由って」考えながら、自分自身の価値基準を持って生きていくために、リベラルアーツは存在するのです。

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自由になるための技術とは?

 

組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのシニア・クライアント・パートナーで、ビジネス書の分野で多くのベストセラーを書いている山口周氏は、ベストセラーの著書『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)で、「現代をしたたかに生きていこうとするのであれば、リベラルアーツほど強力な武器はない」と述べています。山口氏は、「リベラルアーツを、社会人として身につけるべき教養、といった薄っぺらいニュアンスで捉えている人がいますが、これはとてももったいないこと」とも述べ、リベラルアーツが「自由になるための技術」であることを強く訴えます。

f:id:shins2m:20210901120707j:plain真理はあなたたちを自由にする!

 

では、「自由になるための技術」の「自由」とは何でしょうか。もともとの語源は『新約聖書』の「ヨハネ福音書」にあるイエスの言葉、「真理はあなたたちを自由にする」から来ています。「真理」とは読んで字のごとく、「真の理(=ことわり)」です。時間を経ても、場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理(=ことわり)が「真理」であり、それを知ることによって人々は、その時、その場所だけで支配的な物事を見る枠組みから、自由になれるのです。山口氏は、「目の前の世界において常識として通用して誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり『問う』ための技術がリベラルアーツの真髄ということになります」と述べています。まったく同感です。

f:id:shins2m:20210901085338j:plain人間にとって最大の不自由とは?
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熱心に聴く人びと

 

リベラルアーツが「自由になるための技術」であるということはわたしも著者と同意見ですが、「自由」について深く考えた場合、反対の「不自由」とは何かを考えざるをえません。そして、人間にとって最大の不自由とは「死」であることに気づきます。ならば、究極のリベラルアーツとは「死から自由になるための技術」、さらに言うならば、「死の不安から自由になるための技術」だと言えないでしょうか。もともと、哲学・芸術・宗教といったリベラルアーツにおける主要ジャンルのメーンテーマとは、「死の不安からの自由」であると思います。

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グリーフケア」は「リベラルアーツ」なり!

 

拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)は、〈宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論〉全18章という構成になっています。文庫版解説を書いて下さった宗教哲学者の鎌田東二先生は、同書について「この体系性と全体性と各論との緊密な連系は目を見張ります。この全18章の前半部は、宇宙論から哲学・宗教・芸術論で、まさに全リベラルアーツ大特集です」と述べておられます。さらに、わたしは、『死を乗り越える読書ガイド』、『死を乗り越える映画ガイド』、『死を乗り越える名言ガイド』の三部作を上梓しました。これらは、いずれもグリーフケアの書として書きましたが、リベラルアーツの書でもあります。

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道歌を披露しました

 

わたしは現在、グリーフケアの研究と実践に取り組んでいますが、グリーフケアという営みの目的には「死別の悲嘆の軽減」と「死の不安の克服」の両方があります。後者である「死の不安の克服」とは「死の不安からの自由」というリベラルアーツの本質と同じです。もともと、グリーフケアの中には哲学も芸術も宗教も含まれており、ほとんどリベラルアーツと同義語と言ってもよいでしょう。リベラルアーツグリーフケアこそは、現在の超高齢社会および多死社会における最重要の「知」ではないでしょうか。多くのグリーフケア士が誕生したわが社ですが、「時代の最先端にいることを自覚して、コロナ時代を生き抜きましょう!」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

やみくもに心に重し乗せぬよう

  自らに由り死を乗り越えん 庸軒

 

f:id:shins2m:20210901120900j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20210901120918j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーの本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤー1年目を黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。梅雨の最中ではありますが、体調に気を配り、熱中症やコロナ変異種の感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年9月1日 一条真也