一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「夢」です。

 

誰でも、少年や少女の頃には夢を持っていました。
ナポレオンは雨上がりの虹を見て、「あの虹をつかまえてやる」と叫んで、駆け出したといいます。シュリーマンは、よく知られているように、子どもの頃に本で読んだトロイの遺跡が実在すると信じ、大人になったら自分がそれを発掘するという夢を持っていました。長嶋茂雄イチロー大谷翔平は、野球少年時代から「一流のプロ野球選手になる」という夢を抱き、それを果たしました。



夢を追った経済人といえば、本田宗一郎の名が思い浮かびます。彼は「人に信じられないぐらいの夢が、本当の夢だ」と常々語り、クルマ作りに限りない夢とロマンを抱いていました。そして彼は、企業とは多種多様な社員の夢やロマンを実現する場に過ぎないと考えていました。社長から一社員にいたるまで、1人ひとりがクルマ作りという場を借りて自己実現できれば、企業の目的は達せられる。それが本田宗一郎の企業観であり、経営哲学でした。企業という組織は多くの乗組員の夢とロマンを乗せた船にほかなりません。みんなの夢やロマンが実現する目的地まで航行させるのが船長ならぬ社長の仕事なのです。


「長い間、夢を見てきましたね」という経済記者のインタビューに対して、本田宗一郎は「夢を食って生きてきたみたいだね。ただし俺が見たのは必ず実現する夢ばかりだな。俺はやっぱり技術屋だから、具体的なやつじゃないと嫌なんだ」と答えています。しかし、夢というのは必ず実現できるものであると思います。偉大な夢の前に、これまで数多くの「不可能」が姿を消してきました。最初の飛行機が飛ぶ以前に生まれた人で、現在でも生きている人がいます。彼らの何人かは空気より重い物体の飛行は科学的に不可能であると聞かされ、この不可能を証明する多くの技術的説明書が書かれたものを読んだことでしょう。これらの説明を行った科学者の名前はすっかり忘れてしまったけれども、あの勇気あるライト兄弟の名はみな覚えているのです。ライト兄弟の夢が人類に空を飛ばせたのです。



宇宙旅行もこれと同じです。地球の重力圏から脱出することなど絶対に不可能だとされていました。すなわち、学識のある教授たちが、1957年にスプートニク1号が軌道に乗る1年ほど前までは、こんなことは問題外だと断言し続けてきました。その4年後の61年には、ガガーリンの乗った人間衛星船ヴォストーク1号を打ち上げ、人類最初の宇宙旅行に成功しました。さらに69年にはアポロ11号のアームストロングとオルドリンが初めて月面に着陸しました。ここに古来あらゆる民族が夢に見続け、シラノ・ド・ヴェルジュラック、ヴェルヌ、ウェルズといったSF作家たちがその実現方法を提案してきた月世界旅行は、ドラマティックに実現したのです。気の遠くなるほど長いあいだ夢に見た結果、人類はついに月に立ったのです!

 

 

飛行機や宇宙船に限らず、もっと身近なわたしたちの身のまわりにある道具の多くも、「不可能」から「可能」へと住所変更をしてきました。たとえば、わたしがこの原稿を書いているパソコンには、当然ながら日本語ワープロ機能があります。しかし、1976年の3月まで、漢字かな混じり文を打つ日本語ワープロの実現は不可能とされていたのです。欧米でのタイプライターの普及に伴い、日本語を打つタイプライターを作ることは明治時代から試みられていた。大正四年(1915年)に和文タイプが発明されましたが、これは訓練を受けたタイピストが使う、いわば清書機であり、一般人が使える英文のタイプライターとはコンセプトが異なる製品でした。



明治時代には、「日本語から漢字をなくしてしまえば、英文のタイプライターと同様のものが使える」と主張するカナモジ論、ローマ字論も生まれました。和文タイプの限界ゆえに、カナモジ論、ローマ字論は脈々と続きました。しかし、このような流れの中で、「漢字かな混じり文を打つ英文タイプと同様の製品」を夢見て、開発をめざす一人の日本人がいました。東大工学部を卒業して東芝に入社した、森健一氏がその人です。森氏が開発の意志を固めたのは71年ですが、その5年後の76年に出版された情報工学の権威者の著書には、「漢字の打てる和文タイプなど、できる道理がない」と明記されていました。それは、当時の研究者の常識でもあったのです。



その「できる道理がない」ものに挑戦する森氏は、数々の改良を重ね、76年3月、東芝総合研究所で大型コンピューターを使ったシミュレーションを実行。そしてついに、かな漢字変換システムの成功を確認したのです。森氏らが開発した奇跡のワープロは商品化され、79年の2月に「JW―10」として出荷されました。これはコンピューターと事務機の両業界に大きな波紋を投げかける大事件となり、ここに明治以来の日本人の夢は実現したのです。



“If  you   can  dream  it,you  can  do  it.”

この言葉は、かのウォルト・ディズニーによるもので、わたしの座右の銘の1つです。人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもないのです。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。最後に、「必ず実現する夢」しか見ないと広言していた本田宗一郎は、「世界に人類が40億いるなら、その全部に好かれたい」という途方もない夢を抱いていたといいます。なお、「夢」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


 

2021年9月3日 一条真也