開会式前日の解任劇

一条真也です。
東京五輪の開幕まであと1日となった22日、東京の感染者数は1979人でした。開会式が行われる23日は確実に2000人を超えることが予想されています。

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ヤフーニュースより

 

そんな中、信じられないような超弩級のバッド・ニュースが飛び込んできました。翌日の開会式でショー・ディレクターを務める元お笑い芸人の小林賢太郎氏が解任されたのです。小林氏は、過去にユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をコントの題材にしていたとみられる動画が拡散し、SNSで批判されていました。動画は、小林氏のお笑いコンビ「ラーメンズ」時代のコントで、小林氏が「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな」と発言しています。「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」とは!

f:id:shins2m:20210722170750j:plainヤフーニュースより

 

わたしは、解任前にこのニュースを知りましたが、「これは完全にアウトだな!」と思いました。何と言っても、ホロコーストを揶揄するのは国際社会で最大のタブーであり、平和の祭典としての五輪にとって最も踏んではならない地雷だからです。これはもうメガトン級の地雷と言っても過言ではありません。五輪憲章はあらゆる差別を禁止しており、東京五輪も大会ビジョンの1つに「多様性と調和」を掲げています。この「多様性と調和」というビジョンに対して、森喜朗氏の女性蔑視発言、佐々木宏氏の容姿侮蔑演出企画、小山田圭吾氏の過去の「いじめ自慢」、そして今回の小林賢太郎氏のホロコースト揶揄・・・・・・すべて完全に違反しています。オールアウト!

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ヤフーニュースより 

 

東京都内で記者会見した組織委員会橋本聖子会長は「開会式が目前に迫る中、このような事態になり、多くの関係者、国民、都民の皆様にご心配をお掛けしたことを深くおわび申し上げる」と謝罪しました。組織委員会ももちろん悪いですが、小山田氏や小林氏を選出したであろう大手広告代理店の責任も大きいと言えます。オリンピックという最大級のイベントに限らず、こんなにもトラブル続きのイベントが過去に存在したでしょうか。いや、おそらくは前代未聞であり、史上初だと思います。まことにスリリングであり、変な意味でワクワクドキドキいたします。

f:id:shins2m:20210722170657j:plain東スポニュースより 

 

小山田氏の辞任や小林氏の解任には大きな衝撃が走りましたが、そこまでのインパクトはないにしろ、東京オリンピックパラリンピックに関連した文化プログラム「東京2020NIPPONフェスティバル」への出演が決定していた絵本作家・のぶみ氏が20日、出演を辞退しています。のぶみ氏の参加をめぐっては、ツイッター上で自伝の内容が大炎上。学生時代に黒板消しのクリーナーの後ろに3か月間隠して腐った牛乳を教師に飲ませたことなどが記されており、ツイッタートレンド入りしていました。

 

 

のぶみ氏は、ブログ『ママがおばけになっちゃった!』ブログ『さよなら、ママがおばけになっちゃった!』で紹介した絵本がシリーズ累計販売部数が50万部を突破して一躍有名となりました。一方で、母の死をテーマとした内容が「子供には過激すぎるのでは」という批判の声も噴出しています。わたしは、この絵本は「子どもに読ませる絵本としては」、失敗作だと思います。それは「おばけ」になる人がママだというのが最大の原因です。詳しいことは、両ブログ記事をお読み下さい。いずれにせよ、開会式前日の電撃解任劇で、東京五輪は史上例を見ないほどの最悪のスタートを切ることになりました。現場は大混乱で大変だと思いますが、悪いことは言いませんから、今からでも中止にしてはいかがでしょうか? 

 

2021年7月22日 一条真也

世界に勇気、日本に感謝?

一条真也です。
22日になりました。
ついに明日、東京五輪が開幕します。
21日に東京都内で行われたIOC(国際オリンピック委員会)の総会2日目に、WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長が登壇し、「日本が世界に勇気を与える」と日本語で述べて、大会の開催に感謝の意を表しました。

f:id:shins2m:20210721192537j:plainヤフーニュースより 

 

テドロス事務局長は、冒頭の挨拶で「(日本語で)東京オリンピックパラリンピックは世界に希望を与えるイベントで、世界をひとつにする力がある」として、日本への感謝の言葉を述べました。一方、大会期間中の新型コロナウイルスの感染対策については、「(日本語で)石橋をたたいて渡る」「(英語で)リスクは増やすか減らすかのどちらかで、完全に排除できない」と述べ、「感染リスクを完全に排除することはできない」とした上で、感染者の隔離や追跡など迅速な対応を正しく行うことが大会の成功につながると述べました。

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ABEMAニュースより 

 

このテドロス事務局長の発言を知って、わたしは複雑な思いにとらわれました。わたしは、ずっと東京五輪の開催中止を訴えてきましたが、最後の最後でWHOが中止を勧告してくれるのではないかと淡い期待を抱いていたのです。というのも、開催まで残り1カ月となった今年6月27日の時点で、前東京都知事国際政治学者の舛添要一氏が「力関係から見てWHOがやめろと言ったら、いくらIOCでもやれない。その可能性はまだあると思っている」と開催中止の可能性について言及したからです。しかしながら、わたしの淡い期待は裏切られました。


思い返せば、ブログ「パンデミックとオリンピック」に書いたように、昨年3月11日、感染者の数が世界で12万人に迫るのを目前にして、WHOが「パンデミック」を宣言しました。ついに、感染症の世界的大流行を認めたのです。テドロス事務局長は、新型コロナウイルスの感染の拡大と深刻さ、それに対策のなさに強い懸念を示し、「パンデミックに相当する」と表明しました。また、感染者や死者の数が今後も増えて、感染がさらに拡大するとの見通しを示し、各国に対策強化を呼びかけました。


そのとき、IOCのバッハ会長は、会見で、東京オリンピックの予定通りの開催を強調しています。バッハ会長は、IOC理事会の終了後、「組織委は、新型コロナウイルスにどのように対処しているかを含め、非常に印象的な報告をした」と述べ、東京大会の組織委員会が示した新型コロナウイルス対策を高く評価し、東京オリンピックを予定通り開催すると改めて強調したのです。一方で、今後、WHOが新型コロナウイルスについて、パンデミックを宣言した場合、延期や中止を検討するのかという質問に対し、バッハ会長は「憶測には答えない」と回答を控えました。

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ヤフーニュースより

 

そして、現時点で、日本の感染状況はどうなっているか。東京都が21日に確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は、1832人でした。1800人を超えるのは1月16日以来およそ半年ぶりです。前の週の水曜日と比べると683人増え、直近7日間の1日あたりの平均1278人で、前の週と比べて155.2%となりました。年代別では20代が最も多く577人、次いで30代が410人、重症化リスクが高い65歳以上の高齢者は67人でした。重症の患者は前の日から4人増えて64人で、4人の死亡が確認。感染状況は急激に悪化しています。

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ヤフーニュースより

 

このままでは、東京の感染者2000人以上で五輪の開幕を迎える可能性も高くなってきました。政府の対策分科会の尾身茂会長は、8月1週目に3000人近くまで増加するとの見方を示しました。尾身会長は20日夜、日本テレビの番組で「残念ながらこのウイルスは6割くらいが(ワクチンを)受けても感染が下火になることはない、したたかなウイルス」と述べました。ワクチン接種率が上がっても集団免疫の獲得は困難とする見方で、暮らしや経済活動の制限緩和は慎重に進めるべきだとの考えも示しています。トンネルの出口など、どこにも見えていません!

f:id:shins2m:20210721192244j:plainヤフーニュースより 

 

同じ20日、菅義偉首相はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューに応じました。五輪の開催を巡っては、日本と世界の双方にとって危険だとの批判が上がっていますが、菅首相は、足元で1日当たり数万人の新規感染者が出ているにもかかわらず、マスクなしの観客が詰めかけた会場でテニスのウィンブルドン選手権サッカー欧州選手権を実行した英国の事例に言及。その上で「感染者数なども、海外と比べると、1桁以上といってもいいぐらい少ない」とし、「ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている、準備はできていると、そういう判断をした」と発言。


菅首相は、自身に近い関係者を含めた人々から五輪を中止することが最善の判断だと、これまで何度も助言されたと明かしました。そして、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ」とした上で、「挑戦するのが政府の役割だ」と語りました。「うーん、この人、本当に大丈夫か?」と思ったのは、わたしだけではありますまい。いくら「安心安全」の念仏を唱えても、感染爆発は避けられないように思えてなりません。政府の役割は挑戦することではなく、国民の生命や財産を守ることではないでしょうか? 先の戦争のときのように、国民の命を質に博打を打つことは許されないのです。いずれにせよ、東京五輪の開幕まで、あと1日。開幕したら、おそらく大混乱の連続で訳がわからなくなると思います。後出しジャンケンだけはしたくないので、あえてこの記事を書いた次第です。

 

2021年7月22日 一条真也

五輪の呪い・天皇の祝い

一条真也です。
23日に開幕する東京五輪開会式の音楽制作担当のミュージシャン・小山田圭吾氏が辞任しましたが、海外メディアは「東京五輪パラリンピック組織委員会会長を女性蔑視発言で引責辞任した森喜朗元首相をはじめ、また主要な人間が辞めた」(AFP通信)などと報じています。

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ヤフーニュースより 

 

そんな中、「日刊ゲンダイDIGITAL」が配信した「“呪いのクビ”は小山田圭吾で7人目 五輪をめぐる『辞任の連鎖』は招致決定直後から始まっていた」という記事では、「『呪い』の連鎖は果たしてどこまで続くのか」として、「振り返れば、東京五輪をめぐり、辞任・辞職に追い込まれた人物は枚挙にいとまがない。まずは何と言っても、東京五輪招致に成功した際の猪瀬直樹都知事(74)だ。招致運動の際には『コンパクトな五輪を理解していただけた』などと胸を張っていたが、その後、医療法人徳洲会グループからの5000万円裏金疑惑が浮上。都議会では、自宅に現金を運ぶ際に使ったというかばんに、現金に見立てた白い箱を無理やりねじ込もうとする姿を披露。議員や傍聴者から失笑を買った揚げ句、“かばん芸人”と揶揄されて、東京五輪招致決定から3カ月後の2013年12月に辞職に追い込まれた」と書かれています。



また同記事には「次は東京五輪のエンブレムに選定されたデザイナーの佐野研二郎氏(48)だ。2015年7月、華々しく大会エンブレムが発表された時には両手を大きく掲げながら、笑顔でおどける様子が注目を集めたが、その後、デザインの盗用疑惑が浮上。さらに別の作品に対しても、ネット上で盗用しているのではないか、などと『祭り状態』になり、同9月にエンブレムを白紙撤回され、あえなく五輪の現場から姿を消した。さらに東京五輪招致委員会が計2億円超を支払ったシンガポールコンサルタント会社『ブラックタイディングス』(BT)」をめぐる裏金問題が報じられ、フランス当局の捜査対象となったJOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和前会長(73)が2019年3月、会長辞任に追い込まれた」とあります。



さらに同記事には、「今年2月に女性蔑視発言で組織委会長を辞任した森喜朗元首相(83)や猪瀬元知事らとともに五輪招致運動に関わり、2016年のリオデジャネイロ五輪閉会式に『スーパーマリオブラザーズ』のマリオに扮して登場した安倍晋三前首相(66)も2020年9月、コロナ禍の最中に体調不良を理由に総理大臣を2度目の辞任となったほか、演出の総合統括だったクリエーティブディレクターの佐々木宏氏(66)は今年3月、お笑いタレントの渡辺直美(33)の容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚し、辞任となった」とあります。ちなみに、小山田圭吾氏をオファーしたのは佐々木宏氏だそうです。「文春オンライン」で知りました。「類は友を呼ぶ」とは、まさにこのことですね!


同記事の最後は、「海外メディアの指摘ではないが、辞める人間は一体どこまで増えるのか。さながら大ヒットホラー映画『リング』(中田秀夫監督、東宝)のような展開だ。もしかして開閉会式の演出で「貞子」が出てきたりして・・・・・・?」と結ばれています。なるほど、「リング」ならハリウッドでリメイクもされていますし、貞子はJホラーを代表するアイコンですので面白いかもしれませんね。「呪い」といえば、わたしはブログ「呪われたオリンピック」で紹介したように、2020年3月18日に開かれた参院財政金融委員会で、麻生太郎副総理兼財務相が国民民主党古賀之士氏への答弁の中で、今年7月から開催が予定されている東京五輪を「呪われたオリンピック」と表現し、「40年ごとに問題が起きた」と自説を展開したことを思い出しました。

f:id:shins2m:20210721133423j:plainヤフーニュース(2020・3・18)より

 

麻生財務相はオリンピックについて、「40年ごとに問題が起きたんだ。事実でしょうが」と述べた。1940年の開催都市は、夏季大会が東京、冬季大会は札幌が予定されていたが、日中戦争の拡大で返上に追い込まれた。80年のモスクワ五輪ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議し米国や日本などの西側諸国がボイコットした」と、歴史的事実を紹介し、東京五輪を「呪われたオリンピック」だと表現しました。その上で、今年の五輪について「(感染拡大が)日本だけ良くなったからといって、他の国で参加する人がいなくなったらできない」とも語りました。これまで数々の失言で騒動を起こしてきた麻生財務相ですが、この「呪われたオリンピック」発言はナイスだと、わたしも膝を打ったものです。

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ヤフーニュースより

 

さて、話題は変わりますが、 東京五輪開会式で、天皇陛下が読み上げられる「開会宣言」に「祝い」の文言が今回は入らないことが「週刊文春」の取材で分かりました。「文春オンライン」が配信した「原案判明 天皇陛下、五輪開会宣言で『祝い』と表現せず」という記事によれば、五輪について定めた「五輪憲章」第5章の55には開会式と閉会式について記されており、開催地の国の国家元首が行う「開会宣言」については一言一句、細かな規定があるそうです。原文は英語ですが、JOCが公表している邦訳は、〈オリンピアード競技大会の開幕においては 「わたしは、第 ...... (オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、......(開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します。」〉となっています。



実際、1964年の東京五輪では昭和天皇が「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」と憲章通りの文言を述べられました。しかし、あるスタッフが、今回の開会宣言には重大な変更が施されたと証言し、「五輪憲章では開催国の元首が読み上げる宣言は細かく定められており、英語の原文にはcelebratingとあります。JOCによる訳は『祝い』ですが、今回の原案はそこが『記念する』となりました。celebratingの翻訳の範囲内ギリギリの変更です。現状の原案では『ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します』となっています」と述べているとか。この変更の理由について、宮内庁関係者は「新型コロナの感染状況が悪化して緊急事態宣言が出され、多くの世論調査で国民の半数以上が反対している五輪について、祝意を明言することは回避したいという天皇陛下のお気持ちを“拝察”した宮内庁と組織委などで事前調整がなされたのでしょう」と語っています。



わたしは、ワクチンを1回しか打たれていない天皇陛下が開会式に出席すべきではないし、IOCが定めた開会宣言など無視されてもいいと考えています。せっかく宮内庁長官が“拝察”という形で陛下の心中をお伝えになられたのに、それをスルーして嫌がる陛下を強制的に開会式に出そうとする連中は、はっきり言って逆賊であります。わたしは、今回の“拝察”事件で騒がなかった右翼の連中には失望しています。昭和の右翼はとにかく天皇を崇拝し、天皇の御心に背く政治家などに対しては街宣車で徹底的に口撃しました。ネトウヨも含めて、現代日本の右翼とは自民党と大手広告代理店が創り出したバーチャル右翼なのかもしれませんね。わたしには、そんな気がしてなりません。


天皇陛下は、ご自身が東京五輪の名誉総裁ということもあり、開会宣言はされるけれども、速攻でお帰りになられ、観戦は一切されないそうです。これは上皇陛下、秋篠宮殿下をはじめ、皇族方は一切観戦されないとか。国民の大半が反対している東京五輪で、しかも無観客が決定しているのに天皇陛下や皇族方が観戦している姿がテレビに映ったら国民はどう思うかを考慮されたのでしょうが、素晴らしい見識であると思います。なにしろ、トヨタパナソニックなど東京五輪スポンサー企業の社長をはじめ、経団連経済同友会の会長、日本商工会議所の会頭なども、みな開会式への不参加を表明しているのです。こんな危険で破廉恥な場所に、陛下は長居すべきではありません。

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また、陛下が「祝い」という言葉を使われないことにも安心いたしました。やはり、新型コロナウイルスの感染によって亡くなられた多くの方々、今も闘病しておられる方々、そして医療の現場で必死に闘っている医療従事者の方々、さらには東京五輪ありきの緊急事態宣言で苦境にある飲食店関係者などの心中を思えば、「祝い」という言葉はふさわしくないからです。「祝い」という行為には、ものすごい力があります。「祝」に似た字に「呪」がありますが、どちらも「兄」とつきます。漢字学の第一人者だった白川静によれば、「呪」も「祝」も神職者に関わる字であり、「まじない」の意味を持ちます。「呪い」も「祝い」ももともと言葉が「告(の)る」つまり「言葉を使う」という意味であり、心の負のエネルギーが「呪い」であり、相手を全否定し、闇をもたらします。一方、心の正のエネルギーが「祝い」であり、相手を全肯定し、光をもたらします。ネガティブな「呪い」を解く最高の方法とは、冠婚葬祭に代表される「祝い」を行うことなのです。

f:id:shins2m:20210721133723j:plainサンデー毎日」2017年10月29日号 

 

いま、世界では「呪い」の応酬がすさまじいと言えます。アメリカと中国、自民党と野党・・・・・・それぞれが相手を完全破壊すべく、「呪い」を仕掛け合っています。ネット社会での個人の誹謗中傷、学校でのいじめ、会社でのハラスメントも立派な「呪い」です。このような「呪い」を「祝い」によって解くことは、暗闇を太陽の光が照らすようなものではないでしょうか。その意味では、「呪い」にまみれて暗黒そのものである東京五輪の開会式で、天皇陛下の「祝い」によって光をもたらす「予祝」という考えもあるかもしれませんね。言霊の幸ふ国たる我が国で、この呪われた五輪をせめて最低限の犠牲で終わらせるには、やはり天津日嗣たる今上陛下のお言葉による予祝は不可欠かと思います。これによって、上層部はともかく、この猛暑の中、世界各国のアスリートのみなさんを含め、ボランティアをはじめとして現場で尽力しておられる関係者の方々が無事に期間中を乗り越えられればいいですね。

 

2021年7月21日 一条真也

夢と希望、感動と勇気?

一条真也です。
東京の感染者が1387人だった20日、都内で国際オリンピック委員会(IOC)の総会が開かれました。最初に菅義偉首相が開会宣言を行いました。

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ヤフーニュースより

 

いよいよ3日後の7月23日に開幕する東京五輪に向けて、菅首相は「(コロナ禍は)ようやく長いトンネルを抜け、出口が見え始めている。そうした中で東京大会は開催されます。多くの会場では無観客での開催となりますが、東京大会の意義は決して損なわれるものではありません。今大会は世界で40億人もの人々がテレビなどを通じて観戦するといわれています。世界が大きな困難に直面する今こそ団結し、人類の努力と叡智によって大会を開催することができる、そして成功される、このことを日本から世界に発信したい」と高らかに宣言しました。


また、菅首相は「アスリートの活躍は、若者や子供たちに夢と希望、感動と勇気を与えてくれると確信している。未来を切り開く原動力となる」と力を込めました。さらにパラリンピックについても、「心のバリアフリーの精神を世界に発信したい」と述べました。菅首相の言語能力の低さはさんざん指摘されていますが、このスピーチはさすがに「大丈夫か?」と思ってしまいます。丸川五輪担当大臣が使った「絆」という言葉も大きな批判を受けましたが、「夢」「希望」「感動」「勇気」という抽象的な言葉の羅列には空虚さしか感じません。もともと、それらの言葉はポジティブで素晴らしいのですが、国民の大半が開催を反対している東京五輪について使われると白けるだけです。


菅首相が念仏のように唱えている「安心安全」も、すっかり手垢がついてしまいました。損保業界などはほとんどの会社が「安心安全」を経営理念やスローガンに使っているので困っているのではないでしょうか。パラリンピックについて菅首相が「心のバリアフリー」と表現したことも悪くはないのですが、一連のスピーチの流れの中で使われると空虚さしか感じません。わたしも「ハートフル」をはじめ、「ハート」や「心」を基軸とした多くのキーワードを世に送り出してきました。精神的な世界に関わる言葉はどうしても抽象的になりがちです。ですから、わたしは当ブログの「KEYWORD」において、わたしが生んだ言葉の定義を行っているのです。

 

もちろんスピーチの原稿は菅首相本人ではなく、スピーチライターが書いたはずですが、慣例からいっておそらくは官僚が書いたのでしょう。その官僚の語彙力も大したことないですね。きっと東京大学あたりを卒業しているエリートなのだと推察しますが、読書の経験が乏しいように思えます。読書といえば、昭和の首相はみんな読書家でした。福田赳夫大平正芳中曽根康弘といった東大出身の人々は古今東西の古典に通じていました。ですから、彼らのスピーチには深い教養が感じられました。田中角栄は中学校しか卒業しませんでしたが、陽明学者の安岡正篤の指導を受けて中国古典などを読み込んだといいます。彼のスピーチには味があり、大衆の心をとらえました。


アメリカ大統領には多数のスピーチ・ライターがついており、演説のための原稿を練り上げ、繰り返し大統領にスピーチの練習をさせるといいます。彼らは、たった5分間のスピーチが世界中の人々に、あるいは全社員にどれだけの影響を与えるかということを知っているのです。そもそも、政治や経営の世界において大切なことは「何を語るか」ではなく、「誰が語るか」でしょう。リーダーの究極の役割とは、力に満ちた言葉、すなわち「言霊」を語ることなのです。「言霊」のある言葉だけが人々の心の奥まで届き、実際の行動に導くことができると思います。

 

 

「吾れ言を知る」と言った孟子は、その「言」を4つ挙げています。1つは、詖辞(ひじ)。偏った言葉。概念的・論理的に自分の都合のいいようにつける理屈。2つ目は、淫辞。淫は物事に執念深く耽溺することで、何でもかんでも理屈をつけて押し通そうとすることです。3つ目は、邪辞。よこしまな言葉、よこしまな心からつける理屈。4つ目は、遁辞。逃げ口上。つまり、これら4つの言葉は、リーダーとして決して言ってはならない言葉なのです。

 

 

では、リーダーは何を言うべきか。それは、真実です。拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)にも書きましたが、リーダーは第一線に出て、部下たちが間違った情報に引きずられないように、真実を語らなければなりません。部下たちに適切な情報を与えないでおくと、リーダーが望むのとは正反対の方向へ彼らを導くことにもなります。そして説得力のあるメッセージは、リーダーへの信頼の上に築かれます。信頼はリーダーに無条件に与えられるわけではありません。それはリーダーが自ら勝ち取るものであり、頭を使い、心を込めて、語りかけ、実行してみせることによって手に入れるものなのです。

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ヤフーニュースより

 

20日に開かれたIOC総会の冒頭あいさつで、菅義偉首相は「新型コロナ感染拡大は世界中で一進一退を繰り返しているが、ワクチン接種も始まり、長いトンネルにようやく出口が見え始めている」とも述べました。これには批判が殺到しています。そもそも東京には4回目の緊急事態宣言が発令されていますし、この日の東京の感染者は1387人で、6日連続の1000人超えでした。専門家が変異株を主とした第5波突入に備えてと提言しているのに、リーダーが違う景色を見ていては勝負には必ず負けます。もしかして、このスピーチライターは菅首相に恥をかかせたり、炎上させることが目的で原稿を書いているのではないでしょうか。そんな悪意さえ感じてしまいます。

 

 

「長いトンネル」という単語から、川端康成の名作『雪国』の冒頭に書かれた「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の影響があるのは明らかですね。わたしも『雪国』は大好きな小説で、わが心の二大女優である岸惠子岩下志麻が主人公の駒子を演じた映画版のDVDも持っています。このスピーチを書いた人物は『雪国』は読んでいるかもしれませんが、読書の習慣はないと断言できます。そんな読書力のないスピーチライターには、8月3日に発売される拙著『心ゆたかな読書』(現代書林)をぜひお読みいただきたいと思います。

 

 

2021年7月21日 一条真也

 

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「孝」です。

 

 

わたしは、孔子ドラッカーの2人をこよなくリスペクトしています。不惑の年である40歳の誕生日を迎えるに当たり、「不惑」という語が由来する『論語』を40回読み直し、以後も誕生日を迎えるたびに読んでいます。ドラッカーの多くの著書には社長になってから触れたのですが、そのすべてを精読し、ドラッカーの遺作である『ネクスト・ソサエテイ』に至ってはアンサーブックまで上梓しました。『ハートフル・ソサエティ』(三五館)です。

 

 

仁義礼智忠信孝悌をはじめとする徳目を発見した孔子という人間通、「目標管理」「選択と集中」「コア・コンピタンス」などマネジメントにおける多くの概念を発明したドラッカーという経営通、ともに人類史に残るスーパー・コンセプターであり、わたしは自分なりの解釈で彼らの残してくれたコンセプトを会社経営に活かしているつもりです。孔子ドラッカーには「知」の重視、「人間尊重」の精神など、共通点がいくつもありますが、わたしが最も注目しているのは両者の「死」のとらえ方です。正確には「不死」のとらえ方と言った方がいいかもしれません。

 

 

孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行氏の名著『儒教とは何か』(中公新書)、『沈黙の宗教 儒教』(ちくまライブラリー)などによれば、祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、人は死ななくなるわけです!

 

 

加地氏によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」であるといいます。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。親から子へ、先祖から子孫へ・・・・・・孝というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということなのです。孔子はこのことに気づいていたのですが、2500年後の日本人である加地伸行氏が「孝」の神髄を再発見したわけです。

 

 

一方、ドラッカーには『会社という概念』(『企業とは何か』の題名で新訳が出ました)という初期の名著がありますが、まさにこの「会社」という概念も「生命の連続」に通じます。世界中のエクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニー、そしてミッショナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。エディソンや豊田佐吉やマリオットやデイズニーやウォルマートの身体はこの世から消滅しても、志や経営理念という彼らの心は会社の中に綿々と生き続けているのです。

 

 

重要なことは、会社とは血液で継承するものではないということです。思想で継承すべきものです。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりうる。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのでしょう。逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。

 

 

孝も会社も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったかと、わたしは考えています。ここで孔子ドラッカーはくっきりと1本の糸でつながってきますが、陽明学者の安岡正篤もこれに気づいていました。安岡はドラッカーの“The age of discontinuity”という書物が『断絶の時代』のタイトルで翻訳出版されたとき、「断絶」という訳語はおかしい、本当は「疎隔」と訳すべきであるけれども、強調すれば「断絶」と言っても仕方ないような現代であると述べています。そして安岡は、その疎隔・断絶とは正反対の連続・統一を表わす文字こそ「孝」であると明言しているのです。老、すなわち先輩・長者と、子、すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して1つに結ぶのです。そこから孝という字ができ上がりました。そうして先輩・長者の一番代表的なものは親ですから、親子の連続・統一を表わすことに主として用いられるようになったのです。

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安岡正篤は言います。人間が親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を失って疎隔・断絶すると、どうなるか。個人の繁栄はもちろんのこと、国家や民族の進歩・発展もなくなってしまう。革命のようなものでも、その成功と失敗は一にここにかかっている。わが国の明治維新は人類の革命史における大成功例とされている。それはロシアや中国での革命と比較するとよくわかるが、その明治維新はなぜ成功したのだろうか。その理由の第1は、先輩・長者と青年・子弟とがあらゆる面で密接に結びついたということ。人間的にも、思想・学問・教養という点においても、堅く結ばれている。徳川三百年の間に、儒教・仏教・神道国学とさまざまな学問が盛んに行われ、またそれに伴う人物がそれぞれ鍛え合っていたところに、西洋の科学文明、学問、技術が入ってきたために、両者がうまく結びついて、あのような偉大な革命が成立した。そのように安岡正篤は述べています。

 

 

これこそ孝の真髄であり、すべてのマネジメントに通用するものです。疎隔・断絶ばかりで連続・統一のない会社や組織に、イノベーションの成功などありえません。なお、「孝」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

2021年7月21日 一条真也

『結魂の真実』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきました。わたしのブックレットは一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『結魂の真実』(2007年4月刊行)

 

今回は、『結魂の真実〜人間球体説からソウルメイトまで』をご紹介します。「なぜ人は結婚するのか」「結婚の本質とは何か」について述べています。2007年4月に刊行したブックレットですが、目次は以下の通りです。
●教会であげる結婚式
キリスト教式の流れ
●スピリチュアルの巨人 
    スウェデンボルグ

ギリシャの哲人のごとく
●スウェデンボルグの「結婚愛」
●真の夫婦愛から天使が生まれる
プラトニック・ラブとは何か
●人間球体説
アンドロギュヌスの神話
●天国における夫婦
●魂の伴侶(ソウルメイト)


「なぜ人は結婚するのか」を追求しました

 

内容は、拙著『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)で紹介したプラトンの「愛は完全になりたいという願いである」、スウェデンボルグの「夫婦は一人の天使である」などの考え方を中心に、「プラトニック・ラブ」、「アンドロギュヌス」などについて説明しています。

 

 

また、「ソウルメイト」という存在についても紹介しています。アメリカの精神科医であるブライアン・L・ワイスは、退行催眠によって心に傷を受けた前世の記憶を思い出すと、さまざまな病気が癒されるという「前世療法」を開発しました。ワイスは、前世の記憶をもつ患者と接するうちに、誰にでも生まれ変わるたびにめぐり会う「ソウルメイト」がいることを知ります。ソウルメイトとは、愛によって永遠に結ばれている人たち、つまり「魂の伴侶」のことです。彼らはいくつもの人生で何回もの得あいを繰り返しているとされています。

 

 

ワイスによれば、どのようにして自分のソウルメイトを見つけ、それを認識するのか、いつ、自分の人生を根本から変えてしまう決定をするのか、ということは、わたしたちの人生において最も感動的で、重要な瞬間です。ソウルメイトである2人が互いに気づいたとき、計り知れないほどのエネルギーによって、二人の情熱はどんな火山よりも激しく噴出します。あなたのソウルメイトが現れていることに、顔の表情や夢、記憶、感覚などで気づくこともあります。手が触れ合ったとき、くちびるにキスした瞬間に、あなたは目覚め、あなたの魂は』躍動しはじめるかもしれません。愛する人にキスした瞬間、それは何百年前の前世の恋人のキスであり、2人は時間を超越して、ずっと一緒だということを思い出すこともあるのです。

 

2021年7月20日 一条真也

もうバッハでいくしかない!

一条真也です。
五輪開会式作曲担当のミュージシャン小山田圭吾氏が辞任しましたが、開会式まで3日となった現場は大混乱しているようです。まあ、結婚式や葬儀などでは直前の演出変更など珍しくも何ともないのですが、五輪のような巨大イベントとなると大変でしょうね。

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ヤフーニュースより 

 

そんな中、興味深いニュースを目にしました。「AERAdot.」配信の「小山田氏辞任で開会式の楽曲は使用せず『もうバッハでいくしかない』と官邸筋〈dot.〉」という記事なのですが、「小山田氏の辞任で穴が空いた4分間の楽曲について、官邸の一部では『クラシック、もうバッハでいくしかないだろう』などとアホな会話が飛び交っています。バッハは敬意を込めてIOCのバッハ会長とかけたものです(笑)。五輪問題に限らずですが、官邸は世の中の意識とかなり乖離していますね」という政府関係者のコメントが紹介されています。


当初、結成された開会式の狂言師野村萬斎さん、椎名林檎さんら7人のクリエイティブチームは、開催延期もあってすでに解散しています。SNS上では松平健さんの「マツケンサンバ」、氷川きよしさんの「東京音頭」などの待望論が出ているとか。それも悪くはないですが、本当は北島三郎さんの「まつり」がベスト・チョイスだったと思います。残念ながら高齢でサブちゃんの声が出なくなっているようですが、ブログ「まつり」で紹介したように、あの歌ほど祝祭の開始にふさわしい歌はないだけに残念です。わたしのカラオケの十八番なので、オファーさえあれば、わたしが歌ってもいいですけど。(笑)


しかしながら、政府関係者が口にした「クラシック、もうバッハでいくしかないだろう」というのは意外とグッド・アイデアかもしれません。「大バッハ」と呼ばれたヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。バロック音楽の重要な作曲家の1人で、鍵盤楽器演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていました。彼の荘厳な曲が新国立競技場に鳴り響けば、IOCのバッハ会長も泣いて喜ぶのではないでしょうか。


バッハには数多くの名曲がありますが、わたしには東京五輪の開会式にぜひおススメしたい曲があります。彼は教会カンカータを多く作曲しましたが、その中には当然ながら葬儀で使われた曲もあります。その葬儀カンカータを開会式で流してはいかがでしょうか? わたしは、これをブラック・ジョークなどで書いているのではありません。当ブログをお読みの方なら、わたしがいかに葬儀というものに最大の価値を置いているかをよくおわかりと思います。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館・サンガ文庫)の「芸術論」にも詳しく書きましたが、もともとクラシック音楽そのものがヨーロッパの葬送音楽として発展してきたという歴史的事実があります。バッハには、最近音源が完全復活した「レーオポルト侯のための葬送音楽」もありますし、大バッハの親戚にあたるヨハン・ルートヴィヒ・バッハの「葬送のための音楽」なども名曲です。今回の東京五輪の強行開催では、いろんなものが死にました。某政党、某大手広告代理店、五輪のスポンサーに成り下がった大手新聞社への信頼が決定的に失われましたが、それは「死」にも等しいでしょう。また、IOCの権威、何よりもオリンピック神話というものが死にました。それらへの追悼の意味を込めて、東京五輪の開会式ではバッハの葬送音楽を流せばいいと思います。

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

また、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書きましたが、もともと、オリンピックそのものが古代ギリシャの葬送儀礼として生まれ、発展してきたと言えます。古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説があります。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになるでしょう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されましたが、このことに人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じました。アテネオリンピックは、21世紀の幕開けとともに起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできたからです。

f:id:shins2m:20200630095055j:plainWEB「ソナエ」産経新聞社)2020年7月号

 

オリンピックは、クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活しました。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げます。「アマチュアリズム」の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできません。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにします。大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、巨額のマーケットとなりました。そのオリンピックという巨大イベントを初期設定して「儀式」に戻す必要があると、わたしは考えます。2021年7月23日に開幕する東京五輪は、新型コロナウイルスで亡くなった世界中のすべての方々の葬送儀礼であり、追悼儀礼であるべきでしょう。よって、開会式ではバッハに限らず、モーツァルトでも、ベートーヴェンでも、ショパンでもいいので、ぜひ葬送音楽を流すべきであると、わたしは考えます。

 

 

2021年7月20日 一条真也