パンデミックとオリンピック

一条真也です。
新型コロナウイルスの猛威に、人類が翻弄されています。
感染者の数が世界で12万人に迫るのを目前にして、WHO(世界保健機関)が「パンデミック」を宣言しました。ついに、感染症の世界的大流行を認めたのです。

 

3月11日、WHOのテドロス事務局長は、新型コロナウイルスの感染の拡大と深刻さ、それに対策のなさに強い懸念を示し、「パンデミックに相当する」と表明しました。また、感染者や死者の数が今後も増えて、感染がさらに拡大するとの見通しを示しました。一方で、テドロス事務局長は、感染者の90%は中国と韓国、イラン、イタリアに集中しており、それ以外の国では感染拡大を防ぐことができるとして、各国に対策強化を呼びかけました。その中に「日本」という国名は入っていませんでした。では、今年7月に開催が予定されている東京オリンピックはどうなるのでしょうか? 



IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長は、日本時間5日未明に行った会見で、東京オリンピックの予定通りの開催を強調しています。バッハ会長は、IOC理事会の終了後、「組織委は、新型コロナウイルスにどのように対処しているかを含め、非常に印象的な報告をした」と述べ、東京大会の組織委員会が示した新型コロナウイルス対策を高く評価し、東京オリンピックを予定通り開催すると改めて強調したのです。一方で、今後、WHOが新型コロナウイルスについて、パンデミックを宣言した場合、延期や中止を検討するのかという質問に対し、バッハ会長は「憶測には答えない」と回答を控えました。



このたびは実際にWHOがパンデミックを宣言したわけですから、東京五輪の開催についてIOCがどのような見解を示すかが注目されます。わたしは日本国内での感染拡大が収束しない場合は、日本国政府および東京都が東京五輪の「開催不可能宣言」を行って、五輪開催権の自主返上をすべきだと考えています。その場合は五輪の開催可能を表明しているロンドンで開催すればよいと思っています。しかし、パンデミックとなれば、ロンドン開催も難しくなり、オリンピック自体が中止あるいは延期の可能性も出てきました。

儀式論』(弘文堂)

 

このところ、わたしはブログで東京五輪の強行開催について疑問を唱えてきました。しかし、別にオリンピックそのものを目の敵にしているわけではありません。現在の商業主義にまみれたオリンピックに強い違和感をおぼえているのは事実ですが、クーベルタンが唱えたオリンピックの精神そのものは高く評価しています。拙著『儀式論』(弘文堂)の第11章「世界と儀式」では、「儀式としてのオリンピック」として、「オリンピックは平和の祭典であり、全世界の饗宴である。数々のスポーツ競技はもちろんのこと、華々しい開会式は言語や宗教の違いを超えて、人類すべてにとってのお祭りであることを実感させるイベントである」と書きました。



また、わたしはオリンピックの起源について書いています。
古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説あるが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説がある。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになろう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されたが、このことは人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じる。アテネオリンピックは、20世紀末に起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできるからである」



 続いて、わたしは以下のように書きました。
「オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活した。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げる。『アマチュアリズム』の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできない。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにする。2020年の東京オリンピックをめぐる問題でも明らかなように、大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、今や、巨額のマーケットとなっている」



そして、わたしは以下のように書いたのでした。
「しかし、いくら商業化しようとも、オリンピックの火はけっして絶やしてはならない。言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典である。悲しいことだが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続だった。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年という説もある。戦争の根本原因は人間の『憎悪』であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他国に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いてきたのである。だが、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実である。国際連盟国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した平和のための最大の文化装置こそがオリンピックであることには違いないのである」

 

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考
 

 

いま、ブログ『サピエンス全史』ブログ『ホモ・デウス』で紹介した世界的ベストセラーの著者であるイスラエル歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの最新刊『21 Lessons』(河出書房新社)を読んでいるのですが、第6章「文明」の中で著者ハラリはこう書いています。
「2020年に東京オリンピックを観るときには、これは一見すると国々が競っているように見えるとはいえ、じつは驚くほどグローバルな合意の表れであることを思い出してほしい。人々は自国の選手が金メダルを獲得して国旗が掲揚されるときに、国民としておおいに誇りを感じるものの、人類がこのような催しを計画できることにこそ、はるかに大きな誇りを感じるべきなのだ」(柴田裕之訳)



現在のわたしたちは、深く考えることなく「WHO」や「IOC」などの国際機関の名前を口にしますが、これらはものすごい苦労の末に生まれたグローバルな合意の表れなのです。そして、第一次世界大戦が起こったから国際連盟が生まれ、第二次世界大戦が起こったから国際連合が生まれた歴史的事実を忘れてはなりません。国連もWHOもIOCも、すべて人類の叡智の果実です。さらには、グローバリズムの「負のシンボル」がパンデミックであり、「正のシンボル」がオリンピックであることを知る必要があります。

 

 

何事も陽にとらえる。
これは父から受け継いだわたしの信条ですが、今回のWHOによるパンデミック宣言を陽にとらえると、どうなるか。それはもう、世界中のすべての人々が国家や民族や宗教を超えて、「自分たちは地球に棲む人類の一員なのだ」と自覚することに尽きるでしょう。「宇宙船地球号」とは、アメリカの思想家・デザイナーであるバックミンスター・フラーが提唱した概念・世界観です。地球上の資源の有限性や、資源の適切な使用について語るため、地球を閉じた宇宙船にたとえて使われています。安全保障についても使われることがあり、「各国の民は国という束縛があってもみんな同じ宇宙船地球号の乗組員だから、乗組員(国家間)の争いは望まれない」というように使われます。わたしたちが「宇宙船地球号」の乗組員であることを自覚する、その最大の契機を今回のパンデミック宣言は与えてくれるのではないでしょうか。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

いま、わたしは、100冊目の「一条本」となる『心ゆたかな社会』(現代書林)という本の校正作業に入っています。2005年に上梓した『ハートフル・ソサエティ』(三五館)のアップデート版で、当初は『ハートフル・ソサエティ2020』という題名を考えていました。そこでも「グローバル」という言葉について深く考察しました。今回のパンデミックですが、わたしは新しい世界が生まれる陣痛のような気がします。なぜなら、この問題は国際的協力なくしては対処できないからです。アメリカと中国とか、日本人と韓国人とか、キリスト教イスラム教とか、そんなことを言っている余裕はありません。人類が存続するためには、全地球レベルでの協力が必要とされます。もはや、人類は国家や民族や宗教の違いなどで対立している場合ではないのです。



その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じようなものです。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にしてくれる外敵なのですから。よく考えてみると、こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国がある。自然災害なら被災国と支援国がある。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」ではありませんか。「人類はみな兄弟」という倫理スローガンが史上初めて具現化したという見方もできないでしょうか。今回のパンデミックを大きな学びとして、人類が地球温暖化をはじめとした地球環境問題、そして長年の悲願である戦争根絶と真剣に向き合うことができることを望むばかりです。

f:id:shins2m:20200312220411j:plainワンチームで行こう!

 

人類はこれまでペストや天然痘コレラなどの疫病を克服してきましたが、それは、その時々の共同体内で人々が互いに助け合い、力を合わせてきたからです。韓国と北朝鮮も新型コロナ対策について電話会議を行いましたが、この動きをぜひ世界的に広めなければなりません。あわせて、新型コロナはITの普及によって全世界にもたらされている悪い意味での「万能感」を挫き、人類が自然に対しての畏れや謙虚さを取り戻すことが求められます。パンデミック収束後に開催されるオリンピックこそは真の人類の祭典であり、わたしも開催を心の底から願っています。その場所が東京であれ、ロンドンであれ、他の都市であれ・・・。

 

2020年3月12日 一条真也