『自由の限界』

自由の限界 世界の知性21人が問う国家と民主主義 (中公新書ラクレ)

 

 一条真也です。
『自由の限界』エマニュエル・トッドジャック・アタリマルクス・ガブリエル、ユヴァル・ハラリほか著、聞き手・編 鶴原徹也(中公新書ラクレ)を読みました。「世界の知性21人が問う国家と民主主義」というサブタイトルがついています。聞き手および編者である鶴原氏は、1957年東京生まれ。東京大学文学部卒業。82年に読売新聞社に入社。ジャカルタ、パリ、ブリュッセルバンコク、ロンドンにそれぞれ赴任し、国際報道を担当。2011年より読売新聞東京本社編集委員

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本書の帯

 

本書の帯には、トッド、ハラリ、アタリ、ガブリエルの顔写真が使われ、「世界はディストピアへと向かうのか 人類は信頼できる存在か」とかかれています。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「自由を守るために私たちに何ができるのか」として、「エマニュエル・トッドジャック・アタリマルクス・ガブリエル、マハティール・モハマド、ユヴァル・ハラリ・・・・・・。世界の知性21人は混迷を深める世界と人類の明日をどう見るのか。民主主義のあり方も、米中の覇権競争の行方も、グローバリズムの帰趨も、いずれも答えは1つではない。そして、1つではないからこそ、耳を傾ける価値があるのだ」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
第Ⅰ部 「予言者」であることは難しい
                    エマニュエル・トッド
第Ⅱ部  それでも欧州に期待する
                    ジャック・アタリ
                    ブレンダン・シムズ
                    リチャード・バーク
                    スラヴォイ・ジジェク
                    マルクス・ガブリエル
第Ⅲ部 「アラブの冬」と「帝国」の再興
                    ジャンピエール・フィリユ
                    タハール・ベンジェル―ン
                    アミン・マアルーフ
第Ⅳ部  世界の軸はアジアに
                    マハティール・モハマド
                    ブラーブダー・ユン
                    トンチャイ・ウィニッチャクン
                    張倫
                    パラグ・カンナ
第Ⅴ部  コロナ以後
                   ジャレド・ダイアモンド
                   ニーアル・ファーガソン
                   ジョセフ・スティグリッツ
                   ティモシー・スナイダー
                   パオロ・ジョルダーノ
                   ユヴァル・ノア・ハラリ
「あとがきのようなもの」



「はじめに」の冒頭は、編者の鶴原氏が「21世紀は米国の3つの塔の倒壊で幕を開けたといえます。2つは2001年9月11日、イスラム過激派の乗っ取った旅客機2機の激突で炎上崩壊したニューヨークの世界貿易センターのツインタワー。3つ目は隠喩ですが、01年12月2日に巨額粉飾事件で倒産したヒューストンのエネルギー大手エンロン社の超高層ビルです。20世紀の対ソ冷戦に勝利し、『唯一の超大国』になった米国がその頂でつまずき、転落してゆく分水嶺でした」と書きだしています。

21人にインタビューを行った鶴原氏は、聞き手として、「フランス革命の自由・平等・博愛という理念のうち、米英流のグローバル化と共に自由が過剰に肥大化した。これが現代の深刻な問題をもたらしている。禅の公案のようですが、自由を守るために自由を抑える必要がある。そうした思いから本書の題名を『自由の限界』としました」と述べています。


部「『予言者』であることは難しい」では、フランスの歴史学者エマニュエル・トッドに対して2017年1月12日に行われた「明治150年、江戸に学べ」というインタビューで、トッドが「日本の課題はモノの生産ではない。日本は経済的豊かさを既に手にしている。真の課題は人口の再生産にある。国が繁栄し、居心地も良く、創造的であるためには、十分に若い人口を持つ必要がある。高齢者は既知の技術・知識を使う仕事はできるが、創造し、刷新する仕事は難しい。ロボットは人口を再生産できない。高齢者とロボットの働く社会はうまく機能した場合でも、停滞は免れまい。知的な刷新を可能にするには、人口構造が十分に若くなくてはならない」と述べます。



その解決策は2つで、「1つは子供を作ること。もう1つは移民を受け入れること。前者の方がより大事だが、2つを組み合わせて実施することが効果的だ。だが、日本に出生率回復の決め手はなく、移民受け入れは文化的に容易でない。人口問題は人々がその深刻さを理解する頃には、危機の度合いは加速度的に進んでいるものだ。私の見るところ、日本は決定的に重大な瞬間に近づいている」と述べられています。



また、日本が今なすべきことは人口問題の大議論だとして、トッドは「私見では、日本が人口減少に至ったのは、この150年の近代化のあり方に原因がある。日本は申し分のない社会を築いたと大抵の日本人は感じているため、新たに子供を加えること、移民を受け入れることは申し分のない社会に余分な混乱を与える、と案じているのではなかろうか。『日本人は同質・均質で、調和を重んじる』という日本の自己イメージは、近代化を通じて作られた。『家督を相続するのは長男ひとり』という『直系家族』は明治時代に天皇家を対象に法制化され、その後に制定された民法によって社会全体の規範になる」と述べます。



今日の日本で直系家族は消滅し、女性の半数近くは大学に進んでいます。にもかかわらず、上下関係重視や女性差別は解消されていないことについて、トッドは「価値観が硬直しているように見える。江戸時代は、秩序は行き渡らず、雑然としていて、柔軟で奔放な側面もあった。庶民の過酷な貧困について承知しているが、女性は今日よりも社会的に自由だったのではなかろうか。こうしたことを速水融先生とその門下の研究から読み取った」と述べます。



日本の歴史を大局的に見れば、日本は拡張主義に走る懸念が少ない、平和国家であるとして、トッドは「江戸時代は鎖国しながらも、知的・科学技術的情報は国外から採り入れ、国内商業を発達させて、長期の安定を築いた。ほとんど独りでも発展が可能なことを日本は世界に示した。日本に今、必要なことは江戸時代の精神を見いだし、江戸時代の柔軟さや奔放さを少しは取り戻すことではなかろうか」と述べています。


2018年5月31日に行われた「1968年、フランスは壊れ始めた」というインタビューでは、「倒錯の世界」として、トッドは「米国は建国以来、基本的に右肩上がりの歴史だった。それが近年、教育程度や世帯収入などを分析すると、停滞、あるいは後退している。この現実を受け入れることができずに混乱しているのではないか。英米は近現代を通じ世界を主導してきた。英米の危機は世界の危機だ。私たちは不確かな時代に入った」と述べています。



また、トッドは「中国が米国に取って代わるとの声もあるが、新生児の男女比の歪みなど人口統計学的に未来は不安定だ。日本は安定して見えるが、深刻な少子高齢化という大問題を抱えたままだ。私の見る限り、世界戦略を持ち、戦争に勝つ意思があり、一貫した行動が可能な国は1つ。ソ連時代に死亡宣告を受けた、ロシアだ。「専制的民主制」のロシアを頼みとする、あり得ない世界、倒錯した世界に私たちは行き着くのだろうか。人類史に興味を持つ人々は今、世界の新たな秩序について、開かれた精神でじっくり考えるべきだ」と述べます。



2019年2月28日に行われた「『日本人同士』抜け出せ」というインタビューでは、日本を愛する歴史人口学者として、トッドは日本人にいくつか提言をしています。第1は、「外国人労働者はいずれ国に帰る」と妄信してはいけないこと。第2は、外国人労働者の出身国を多元化すること。第3に、多文化主義は採用しない方がいいこと。それから、もう1つの提言として、日本の魅力に自信を持つこと。トッドは、「日本文化は人類史の素晴らしい達成の1つ。日本に働きに来る人々が日本文化に魅了され、日本人になることを誇りに思う可能性は大きいと私は考えます。付言すれば、移民受け入れには、外国で教育費をかけて育てられた人材を手に入れるという、実利的な側面もあります。カナダとオーストラリアの選別的な移民政策はその傾向が強い。どちらも機能しています」と述べます。



さらに、日本は今、黒船来航と同じくらいの国家的危機を前にしているとして、トッドは「日本はわずか半世紀で、西洋の文明・科学技術に適応し、近代化を実現しました。考えてみれば、日本は古代から外部に自らを開き、世界の変化に不断に適応してきたのです。適応こそが日本の本質ではないでしょうか。明治維新にカジを切った英断が改めて求められています」と述べるのでした。



2020年5月31日というコロナ禍の最中に行われた「権威・規律が生んだ違い」というインタビューでは、トッドは「コロナ禍の特徴は高齢者の犠牲者の多さです。フランスの場合、死者の8割は75歳以上。エイズの犠牲者の多くが20歳前後だったのと対照的です。冷酷のそしりを恐れずに歴史人口学者として指摘します。概してコロナ禍は高齢者の死期を早めたと言えます。ところで、重度の英米仏は適度な出生率を維持しています。一方で、軽度の日独韓中の出生率の低さは深刻です。長期的視野に立てば、コロナ禍ではなく、少子高齢化・人口減少こそが真に重大な国家的問題です」と述べます。わたしも、まったく同じ意見です。


中国は最先端の情報技術を国民の監視に最大限活用する新たな全体主義国家です。14億という人口規模はあまりに過大で、トッドは「米国が世界一の座を守りたいのなら、中国を打ち負かすしかありません。武力ではなく、外交力と経済力による圧倒です。戦争は誰も望みません。グローバル化時代のコロナ禍は私にはこう映る。先進諸国は工場を中国に移し、中国はウイルスを先進諸国にうつす。中国はマスクや防護具を存分に生産でき、先進諸国はそれができない――。米国は西欧諸国や日本など他の先進諸国と協調して、中国経済への度を越した依存から脱すべきです。生産の自国化を図り、中国が『世界の工場』である現状を打破すべきです。保健・衛生分野から着手すべきです。国の安全保障に関わるのですから」と述べるのでした。


第Ⅱ部「それでも欧州に期待する」では、フランスの評論家で経済学者のジャック・アタリに対して2012年2月2日に行った「30年先を見据える力」というインタビューで、アタリは「今、将来を見据えることは日本にとって極めて重要だ。近年、日本の何人もの首相に会う度に、『あなたの最大の任務は2030年の日本を考えることだ』と助言してきた。少子高齢化、エネルギー、国防などの問題で長期戦略を持つことは最優先課題のはずだ。だが、返答は判で押したように、『明日、まだ首相でいるのか分からない』。日本の首相には時間がない。指導力は発揮されず、日本は未来を台無しにしている」と述べます。


アタリによれば、政治を理解する上で2人の重要な理論家がいるといいます。マルクスシェークスピアです。あたりは、「前者は歴史の大局観を説き、後者は情念や暴力に操られる人間関係を洞察した。指導者は『歴史』と『人間』を知る必要がある。指導者に必要なのは歴史の大きな流れをつかみ、20年、30年先を見据える力だ。世論の猛反発に遭ったとしても、信念を持ち、説得にあたる覚悟が求められる。指導者にとって最悪の選択は大衆迎合だ」と述べます。


2016年6月21日に行われた「離脱なら容赦しない」というインタビューで、英国がEUを離脱する事態になれば、英国にとって悲劇であるというアタリは、日本について、「日本は大国だ。米欧の太平洋の同盟国だ。大国としてとどまるのが使命だ。日本の根本問題は2つ。人口問題と対中関係だ。日本が果たす役割の度合いは、人口問題を解決できる度合いに応じている。解決策は大胆な家族政策の実施、あるいは移民の受け入れだ。何もしなければ日本は破滅に向かう。対中関係では和解に向けて中国と均衡点を見いだすべきだろう。フランスはナチスが戦時中に我々に行った全てを非難しながらも、仏独和解は実現した。中国と日本の間で戦争が起きた時、米国は戦争に介入するだろうか。自明とは言えまい」と述べています。


次に、アイルランド人の欧州史研究者で、英国ケンブリッジ大学教授のブレンダン・シムズです。地政学に詳しいことで知られる彼は、2016年6月19日に行われた「緩慢な統合が欧州の過ち」というインタビューで、「英国の欧州観を理解するには、2つのことを知る必要がある。1つは、第二次世界大戦後に始まった欧州統合はそもそも仏独を中心とする大陸欧州の問題の解決策であること。大戦に至った過ちの反省からドイツを封じ込め、同時に東西冷戦に際しソ連に対抗するために西欧と中欧が結束する。これが統合の二重の目的だった。海峡を隔てた英国は単独でもドイツに対抗できた」と述べています。


もう1つは、英国にとり大陸欧州は歴史的に脅威であり、解決策は「連合王国」だったことで、シムズは「イングランドスコットランドの2王国は1707年、共通の敵であるルイ14世のフランスに対抗するために連合を組む。債務と議会を1つにまとめ、共通の通貨・外交政策・軍隊を持つ。イングランドは自らの制度にスコットランドを組み込みつつ、議会での発言権は保証した」と述べています。英国は1つの国家というよりも国家連合なのだとして、シムズは「アメリカで1780年代、対英独立戦争に際し盟約を結んで戦った13の主権国家に近い『州』は、英国モデルを採用して合衆国を造った」と述べます。


2019年11月10日に行われた「現代に潜むヒトラーの影」というインタビューでは、「米英の強さを妬み、憎み、祖国の弱さを悲嘆した」として、シムズは「20世紀の独裁者アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)は21世紀の今も人々の興味を引く存在です。偏執的な人権主義者で、ユダヤ人を憎み、大虐殺した悪人です。残念ですが、究極の悪には人々を魅惑する何かが潜むものです。物語性にも富んでいます。つつましい出自ながら、第一次大戦に敗北したドイツで政党指導者となり、洗練された文化を持つ国を全体主義国家に作り替え、欧州の広大な領域を一時的ではあるが支配した。ナポレオンを別にして、ヒトラーは近代以降、最も際立った為政者と言えます。加えて、ナチスは行進、音楽、映画などに意匠も凝らした。テレビ、映画向きの題材です」と述べています。


シムズがヒトラーに関心を持った理由は2つあるそうで、「1つは家族の関係。私はダブリン生まれですが、母はドイツ人です。母方の祖父は第二次大戦を独軍の一員として戦いました。私は祖父をよく知っています。1991年に亡くなりましたが、ナチスは家族の歴史の一部でもあります。もう1つは知的好奇心。ヒトラーの真実を知りたい、世界史にきちんと位置づけたい。私は青年期にそう思い、ヒトラーの書き物を可能な限り読みあさり、文献や資料を渉猟してきました」ということです。


シムズは、「ヒトラーが私の心に忍び込むことは拒み、私がヒトラーの心に入り込むように努めたものです。その結果、私に見えてきたヒトラーは定説とは違いました。ヒトラーが最大の脅威と受けとめたのは何か。定説によれば、第一次大戦末期に出現したソ連であり、共産主義です。私の考えでは、脅威は世界を動かしていた米英両国であり、米英のよって立つ国際金融資本です。ナチス全体主義はこの最大の脅威に対抗する、ヒトラー流の答えでした。ヒトラーは金融資本を握るユダヤ人を嫌悪し、反ユダヤ主義に染まります」と述べています。


「反グローバル、反ユダヤが再び台頭」として、シムズは「ヒトラーの原体験は、志願して出征した第一次大戦です。英軍と戦い、敗走します。大戦末期には米軍とも遭遇します。敗戦でヒトラーが心に刻んだのは、米英両軍の圧倒的な強さでした。ヒトラーは米英を妬み、憎みます。心の底にあったのは、対照的に、ドイツの弱さについての悲嘆です。そこから妄想混じりの信念が作られます」と述べています。


今日、「持つもの」と「持たないもの」を分断する、グローバル資本主義のあり方に批判が集まり、反ユダヤ主義が再び台頭しているとして、シムズは「移民問題も深刻です。ポピュリストらの主張に耳を貸すと、ヒトラー流の言説が響いてきます。ヒトラーの影が現代まで伸びてきているとの印象を受けます。私たちはこれからも不断にヒトラーを打ち負かす必要があるのです。45年以降、欧州の平和は3つの事業で保たれてきました。第1はナチスドイツの打倒です。これは米英とソ連が主体になりました。第2は東西冷戦下でのソ連の介入の阻止。これは米英、特に米国が北大西洋条約機構NATO)を組織して実現しました。第3は欧州諸国間の戦争の否定です。これは仏独を核とした欧州統合という枠組みで実現しました」と述べるのでした。


次は、1980年生まれで、ドイツのボン大学哲学科教授に史上最年少の29歳で就任したマルクス・ガブリエルです。2019年1月6日に行われた「普遍的価値共有、『西側』の希望」というインタビューで、ガブリエルは「世界が1つになって一方向に進むことなどないのです。「近代」と言っても、日本、中国、米国、ドイツで中身は別。日本でも東京と京都は違う。現実は多彩です。歴史の流れに定型はない。私たちは今、本来の歴史に立ち会っているのです」と述べています。


では何が起きているのか? ガブリエルは、「米国が『西側』を抜けてしまった。ここで言う『西側』は、性や人種や国などの違いを超えて、人は皆、同じ基本的人権を持つとする、普遍的価値体系を共有する空間です。日本やオーストラリアも一員です。普遍的価値体系を最初に国造りの基礎に掲げたのが18世紀後半のフランス革命です。哲学として完成させたのがカントからヘーゲルに至る、19世紀前半までのドイツ観念論でした。第二次大戦に敗れ、ナチスという『邪悪なドイツ』を葬った1949年制定の西独基本法(現ドイツ基本法憲法に相当)はドイツ観念論に照らして第1条を『人間の尊厳は侵すことができない』としました。また基本法は普遍的人間に向けた書き方をしています。だからメルケル首相は国内の演説で『ドイツ国民』と言わずに、『ドイツにいる人間』と表現するのです」と述べます。


また、もう1つ、人々が漠然と不安を抱いているのは、今世紀半ばに人工知能(AI)が人知に勝り、いずれ人間を支配するのではないかという危惧であるとして、ガブリエルは「米国の未来学者らが吹聴する説ですが、私の見るところ人類の過ちの歴史の中でも最悪の説です。SF小説の域を出ていません。知性とは、問題を見いだし、一定の時間内に解決する能力です。動物には知性があります。空腹になれば死を意識し、捕食します。コンピューターに知性はありません。意識がなく、自らの『命』を維持しようとしない。私はチェスコンピューターで遊びますが、コンピューターにはゲームを競う意識はない。トランジスターで電気の流れを制御しているだけです。ロボットも知性は持てない」と述べています。

 

日本について、ガブリエルは「人口減少はゆゆしい問題ですが、日本は移民受け入れに及び腰です。言葉や美意識、社会制度など、つまり文化が分厚い壁になっている。20年後を見据えて、日本語に習熟できるような若い外国人を100万人単位で受け入れて、訓練することを想像してみてはどうでしょうか。文化的DNAを継承するために、生物的DNAの継承にはこだわらないという発想です」と述べ、さらに「未来は人間の知性と倫理、科学技術の進歩にかかっています。そして、私たちは人類に共通する普遍的価値体系に照らして、善いことを行っているのか否か、自問すべきです。哲学はそのよすがになります古代ギリシャプラトンは『善』を最高の理念としました。『善』は人間と人間以外の全てに調和をもたらします。哲学のない自然科学は危うい。物理学は地球さえ破壊しかねない核兵器をうみだしました」と述べるのでした。


第Ⅲ部「『アラブの冬』と『帝国』の再興」では、マハティール・モハマドが登場します。1925年生まれで、81年にマレーシア首相に就き、日本の戦後復興に学ぶ「ルック・イースト政策」を主導し、在任22年間の「開発独裁」で経済成長を実現した人物です。2012年2月7日に行われた「為政者はまず自分が変わるべき」というインタビューで、マハティールは「私は歴史上の指導者に多くを学んだ。イスラム教の始祖、預言者ムハンマドは、アラブの民衆に善悪を諭し、人々のありようを変え、アラブ世界が力強い文明となる礎を築いた。ロシアのピョートル大帝は、後進性の強いロシアを西欧に見習って近代化し、強国に変えた。明治維新の指導者たちも西欧の最良のものを採用し、日本を強国にした」と述べています。

f:id:shins2m:20120216161502j:plainマハティール・ムハマド氏と 

 

また、マハティールは「同時代の指導者で言えば、南アフリカマンデラ元大統領だ。自らを長期間投獄した人々を恨まず、手を携えて国造りに取り組んだ。私はマンデラ氏に会って、深い感銘を受けた。良き指導者はまず自分が変わり、次に人々を変える力を持つ。その結果、国は豊かになり、強くなり得る」とも述べています。わたしは2012年2月16日にマレーシアを訪れた際に、マハティール・ムハマド氏とお会いしましたが、そのときも氏が影響を受けたリーダーについて話されていました。


2017年1月20日に行われた「日本はアジアの自覚を」というインタビューでは、「歴史は終わらない」として、マハティールは「米国が対ソ冷戦に勝利した後、フランシス・フクヤマ氏は『歴史の終わり』を宣言したが、妥当ではない。米国は1つの制度が自らに適合すれば、それは世界のどの国にも適合すると考えがちだ。だが民族によって気質、価値観、文化は異なる。米欧流の市場経済・民主体制が機能しているのは、北米・欧州以外では日本ぐらいだ。歴史は終わらない。万物は流転する。世界人口が70億人を超えただけでも、地球環境に限らず、様々な変化をもたらしている」と述べます。


次は、本書に登場する唯一の日本人である経済学者の岩井克人氏です。国際基督教大特別招聘教授・東京大学名誉教授である岩井氏は、2020年1月4日に行われた「米中対立は2つのディストピアの争い」というインタビューで、コロナ禍について、「興味深いのは、コロナ禍で古典的な社会契約論の世界が現れていることです。その基本は『人間は自由になると、互いが敵になり戦争状態になる』、だから『人間は政治体を作り、投票で主権者としての意思を反映させる一方で、政治体の定める法律に従う』という考えです。人間は政治体を媒介として自ら定めた法律に自ら従うことによって、他の人間と共存し得る本来の自由を得るのです」と述べています。

 

コロナ禍に際し、人間がマスクなしで自由に振る舞えば、感染を広げ、「戦争状態」になるとして、岩井氏は「国家を媒介としてマスク着用などを自らに課すことによって、各人は一定の自由を確保するわけです。社会契約論は、法を決める主権者とその法に拘束される国民という、2つの軸の均衡で成立する」と述べ、さらに「社会契約論の2つの軸の均衡が破れ、一方に偏っているのが米国、他方に偏っているのが中国です。世界の中で2つの軸の均衡を図ろうとしているのは欧州、それから台湾やオーストラリアなど。そして願望も込めて日本です」と述べるのでした。


第Ⅴ部「コロナ以後」では、米国の人類生態学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のジャレド・ダイアモンドが登場します。2020年4月10日に行われた「中国は野生動物取引を禁止すべき」というインタビューで、現在の新型コロナウイルスを、世界で推計2500万人の命を奪った、20世紀最悪の感染症スペイン風邪」と比較できるかという質問に対して、ダイアモンドは「スペイン風邪第一次大戦末の1918年から翌年に流行し、致死率は2%台でした。私は新型コロナの致死率も2%台と見なしていますが、感染規模は拡大するでしょう。グローバル化で現代人は国を越えて広く旅をしている。それに1世紀前に比べて世界の総人口は4倍です。死者はスペインより増える恐れがあります」と述べています。


ダイアモンドは最新刊の『危機と人類』で21世紀の4つの脅威を挙げています。第1は核の脅威。第2は気候変動。第3は資源の枯渇。第4は先進諸国とそれ以外の国々との経済格差。ダイアモンドは、「4つの脅威は喫緊の課題で、今世紀半ばまでに解決する必要があります」と述べます。「自身を慎重な楽観主義者と称していますが?」という質問には、彼は「人類の直面する脅威が地球に衝突する大惑星であるのであれば、人類は対処できない。私は悲観主義に陥ります。しかし、地球の最大の脅威は人間です。4つの脅威は全て人間の作為です。人類が本気になれば、解決できるはずです」と述べるのでした。


次は、英国人の歴史家で米スタンフォード大学フーバー研究所上級研究員のニーアル・ファーガソンです。2020年4月12日に行われた「IT全体主義時代の誘惑」で、ファーガソンは「現代世界は交通手段で物理的に、インターネットでデジタル的に密接につながる、ネットワーク化した世界です。「ネット世界」と私は呼びます。ネットワークはあらゆる類いの伝達を増幅します。デマも悪意も病理ウイルスもサイバーウイルスもネットに乗れば、感染を広げる。ネット世界は不安定と脆弱を内包している。コロナ禍はこの負の側面の表れです」と述べています。


ファーガソンによれば、こうした現代を理解するには500年前の欧州が手がかりになるといいます。ドイツの宗教改革者マルチン・ルターの時代です。ファーガソンは、「その前史として15世紀中葉、ドイツのグーテンベルク活版印刷術の発明があります。活版印刷は15世紀後半以降、欧州に普及し、高価だった印刷物は次第に安価になる。印刷所を結節点とするネットワークが広がったのです。ルターは1517年、聖なる権威だったローマ・カトリック教会の腐敗を批判し、改革を求めます。1世紀前なら異端として火刑に処せられていたはずです。それを免れたのはルターの主張が印刷ネットワークで速く広がり、改革運動を引き起こしたからです」と述べます。


ただ、教会改革の主張は筋が立ちますが、ルターは人々の間に魔女が潜むという、後世から見れば狂った糾弾もしました。それも欧州に広がり、大西洋を渡って北米の英国開拓地にも波及して、数千人が魔女狩りの犠牲者になったことを指摘し、ファーガソンは「ネットワークには同類を集め、異類を隔て、分裂を際立たせ、増幅させる働きがあります。ルターの主張に賛成する人々と反対する人々が敵対し、カトリック教会による反宗教改革の大波も起き、欧州で130年に及ぶ断続的な宗教戦争が起きました。教皇と国王を頂点とする階層的秩序が、宗教改革を軸に印刷ネットワークで生じた水平のうねりに揺れて、崩壊した時代でもありました。揺れは現代も起きています。米欧で階層的な既成秩序が否定され、フェイクニュースが飛び交い、党派分裂が悪化している。私は形容矛盾を恐れずに、『世俗的宗教改革の時代』と呼んでいます」と述べるのでした。


巨大IT企業の雄で、フェイスブック創始者マーク・ザッカーバーグの最も尊敬する歴史上の人物はローマ帝国の初代皇帝であることを指摘し、ファーガソンは「フェイスブックは世界中に25億人のユーザーを抱え、ザッカーバーグ氏は世界最大の発行者ともいえる。20世紀初頭の米国の新聞王ハーストより巨大な権力を手にし、膨大な富を得ています。2016年の大統領選でトランプ氏が勝った理由の1つはフェイスブックに巨費を投じ、政敵を狙い撃ちするデマ広告を垂れ流す戦術が当たったこと。フェイスブックは同類をつなぐSNSで、増幅するデマは真実として伝わる」と述べています。


コロナ禍に話を戻して、その地政学的影響をファーガソンは2つ指摘し、「まずEUの弱体化。今回、ドイツを含む加盟国はEUの理念である「自由な移動」に反して域内の国境を封鎖した。連合体ではなく国民国家こそが危機対応に有効だと認めたのです。次に米中冷戦の悪化。それに伴い、コロナ禍封じ込めで民主制とIT全体主義のどちらに軍配が上がるのかが重要です。米欧が都市封鎖など強硬策をためらい感染拡大を許したのに対し、中国は個人の権利を無視した強硬策で奏功しつつあるようです。それが最終結果であるのなら、IT全体主義が正当性を得てしまいます」と述べるのでした。


次は、ノーベル経済学賞受賞者で米コロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツです。2020年4月26日に行われた「『見えざる手』は存在しない」というインタビューで、スティグリッツは「米国が右往左往しているのは、政府を弱くし過ぎたからです。その起点は80年のレーガン大統領の登場。英国は前年にサッチャー首相が誕生していた。両者は「経済運営で問題は政府、解決は市場」と主張した。イデオロギーは市場原理偏重の新自由主義、政策は規制緩和・福祉削減・緊縮財政、つまり「小さな政府」。市場の規制を外し、大企業を優遇すれば、経済は活性化し、経済規模が拡大し、全体の暮らし向きが良くなるという理屈です。この路線は今日まで続き、トランプ大統領の出現に至るのです。全くの過ちです。新自由主義の名の下に富裕層が強欲な利己主義を発揮しただけです」と述べています。

 

また、疫病・災害・気候変動などの危機から国民を守り、社会全体に奉仕するのは本来、政府であると指摘し、スティグリッツは「無数の利己心を程よく調整し、社会を秩序立てる『見えざる手』は結局、市場には存在しない。政府を強くし、市場に適切な規制をかけ、政府・市場・市民社会が均衡関係を保つような資本主義が望ましいと私は考えます。『進歩資本主義』と名付け、新自由主義路線からの転換を提唱しています」と述べます。


次は、米国の歴史家でエール大学教授のティモシー・スナイダーです。2020年9月13日に行われた「『帝国以後』の米国の過ち」というインタビューで、スナイダーは「米国史は帝国史です。北米大陸東海岸、次に中西部、さらに西海岸へとフロンティアを征服して領土を広げる。帝国の拡張はアラスカとハワイを州として編入する20世紀半ばまで続きます。米国はその後、東西冷戦で西側・自由主義陣営の盟主として世界秩序を担う。世界の帝国です。ただトランプ氏が米国第一を唱えて国民国家への移行を試みたことには理由がある。米国は『帝国以後』の段階に入ったからです。フロンティアを失い、連戦連勝の戦史も今は昔。冷戦後、世界の力関係は変わり、米国は帝国としての使命を見失います。白人らは世界に対する優越感を失い、感情を乱し、戸惑っている。21世紀の米国の最大の課題は『帝国以後』の国造りなのです」と述べます。


欧州は20世紀半ばに「帝国以後」の選択をしました。欧州統合です。スナイダーは、「欧州の国民国家は第二次大戦を猛省し、民族主義を克服して、協力し合うことを決めた――。これは欧州の言い分です。真実は違う。大戦は帝国間の戦争でした。欧州帝国樹立をめざして東欧からソ連西部の侵略に動いたヒトラーのドイツ、アフリカ北東部などを侵略したムソリーニのイタリアは共に敗れ、帝国でなくなる。戦勝組の英国は世界各地に植民地を広げた帝国、フランス、オランダ、ベルギーなどもアジアやアフリカに植民地を持つ帝国でした。いずれも戦後、植民地の相次ぐ独立闘争を抑えきることができず、20世紀後半には帝国ではなくなる。失った植民地の代わりに欧州に共通市場を作った。帝国解体と欧州統合は同時進行したのです」と述べるのでした。


次は、イタリアの作家であるパオロ・ジョルダーノです。ブログ『コロナの時代の僕ら』で紹介した本の著者です。2020年11月1日に行われた「欧州に連帯感の復活」で、ジョルダーノは「ギリシャ神話の牧神パンは自身の叫び声に驚き、自らも恐慌をきたした。パニックの語源です。随筆を2月末に書き始めた時、イタリアはパニック状態でした。遠い中国で発生した感染症が飛び火して、身辺で広がり始めた頃です。人々は事態をのみ込めないまま、錯綜した情報を増幅し、不安を募らせていました。私は新型ウイルスのもたらす災厄を覚悟していました。パンデミックは史上、何度も起きている。グローバル化した現代世界は国境を越えて人々が複雑に関わり合っている。そして多くの科学者が10年来、パンデミックの発生を警告してきた。発生は『する・しない』ではなく、『いつ・どのように』が問題だったのです」と述べています。


また、コロナ禍について、ジョルダーノは「それにしてもコロナ禍は最悪と言える政治潮流の中で起きました。米国のトランプ大統領、英国のジョンソン首相、ブラジルのボルソナロ大統領らが体現する内向きな民族主義ポピュリズムの台頭です。世界的疫病には世界的対処が肝要ですが、特に『米国第一』という振る舞いによって妨げられている。ポピュリズムには科学軽視の傾向があります。喫緊の課題であるワクチン開発を巡り、トランプ大統領は科学の裏付けよりも「早期開発」という政治の効果を優先しているようです。ワクチン開発の可否は臨床試験を慎重に重ねなければ判断がつかない。しかも新型コロナウイルスの正体は解明しきれていない。心ある科学者らは政治の介入を憂慮し、適正な手続きに沿った開発を訴えています」と述べています。


ジョルダーノによれば、科学の基本は「知っていること」と「知らないこと」を厳しく区別することです。その上で「知らないこと」の究明に努めることです。ワクチンの早期開発を安請け合いする専門家は科学の基本をないがしろにしているとして、彼は「科学は人間には『知らないこと』が実に多いことを教えてくれる。例えば宇宙の物質の2割強、エネルギーの7割強は未知です。当然ですが人間は全知ではなく、全てを制御することはできない。未知には畏敬の念で接し、行動は慎重であるべきです。同時に人間は生態系の一部であることをはっきり意識すべきです。人間の強欲や無知で生態系の均衡を崩してはならない。コロナ禍を通じ、人々がこうした態度を身につけることを私は願っています」と述べるのでした。


最後に登場するのは、もはや世界の「知」のアイドルになった感のあるユヴァル・ノア・ハラリです。歴史家にして哲学者で、イスラエル国ヘブライ大学教授です。2020年11月22日に行われた「IT独裁、感染監視に潜む芽」というインタビューで、ハラリは「真の敵はウイルスではなく、人間の心に宿る悪、つまり憎しみ・無知・強欲だと私は考えます。『自国第一』を唱えるポピュリストの政治家らがコロナ危機は外国、あるいは国内に潜む敵の陰謀だと吹聴し、憎悪をあおっている。彼らは科学を疎んじ、科学者の忠告に従わない。コロナ対策は支障を来し、事態は悪化します。災厄こそ好機と捉え、我欲にふける商売人もいます。進行中のワクチン開発は冷戦期の米ソ軍拡競争を想起させます。国益第一で、ワクチンは外交上の優位を得る妙薬のようです。私たちは心に宿る善、つまり共感・英知・利他で対処すべきです。弱者をいたわり、科学を信じ、情報を共有し、世界で協力する――」と述べます。


人類が地球を支配したのは、唯一ヒトが多数でも協力できる動物だからであるとし、ハラリは「1対1ではチンパンジーにも負ける。1000対1000なら楽勝です。ピラミッド建造から月面着陸に至るまで人類の偉業は無数の人間の協力のたまものです。現代の人類は協力を忘れ、分裂と敵対を選んでいるようです。人間は物語の動物でもある。世界を大きな物語として捉えています。1つの物語を共有する人間どうしは協力が容易になります。古くは聖書やコーラン、仏典などが大きな物語でした」と述べます。


20世紀前半、自由民主主義・共産主義全体主義の3つの大きな物語がありました。ハラリは、「それぞれが独自の世界観を作っていた。第二次大戦で全体主義が廃れ、冷戦で共産主義が朽ちる。自由民主主義の独り勝ちです。民主政治と自由経済が支配的制度になり、グローバル化と併せて、人類は世界共同体に向かうはずでした。ところが2008年の米国発の世界的な金融危機以降、米欧を含めて人類は唯一残った大きな物語の正しさを疑い始めたのです。貧富の格差が拡大し、世界は捉え難くなり、未来は見通せない。不確かで危うい時代の到来です」と述べます。

 

ハラリによれば、人類の存続を脅かす3つの危機があります。核戦争・破壊的な技術革新・地球温暖化を含む環境破壊です。いずれも世界が協力して対処すべき喫緊の課題であるとして、ハラリは「破壊的技術革新ではコロナ禍を通じ、AIやIT技術を駆使した監視体制が正当化され、整備が加速しています」と述べ、さらに「自由民主主義という大きな物語の失墜は、破壊的技術革新とも関係しています。自由経済と民主政治は人間の自由意思を根幹としているのですから」「民主主義は繊細な花のように育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない。『コロナ後』の世界の潮流がIT独裁へ傾いてゆくのではないかと心配です。私の願いは自由民主主義の国々が3つの危機に正対し、結束することです。コロナ禍はその試金石といえます」と述べます。そして最後に、彼は「人類は物事を決定する力を手放してはならない。歴史の流れを定めるのは私たち人間です」と訴えるのでした。21人の賢者のメッセージを一気に読むと軽い疲労を覚えましたが、勉強になりました。1人でインタビューを行い、編集も担当された鶴原氏に敬意を表します。

 

 

2021年6月2日 一条真也

6月度総合朝礼

一条真也です。
ついに6月になりました。1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

f:id:shins2m:20210601084454j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210601084530j:plain社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20210601120821j:plain青白の小倉織マスク姿で登壇しました

f:id:shins2m:20210601084903j:plain青白の小倉織のマスクを取りました

 

全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしが梅雨をイメージした青と白の小倉織マスク姿で登壇。ちなみに今月からクールビズでノーネクタイとなります。わたしは、まず、「万人に祝福されない祭典であり、国難である東京五輪の強行開催まで、あと2カ月を切りました。世界中から東京に変異ウイルスが集結し、五輪がウイルス交配の場となって、最強・最悪の東京五輪株が誕生する可能性が高いです。わたしは別に東京五輪反対の活動家でも何でもありませんが、1日も早く東京五輪の中止発表があることを願っています。また、五輪などよりも冠婚葬祭の方がずっと重要であると思っています」と言いました。

f:id:shins2m:20210601084928j:plain社長訓示のようす

 

それから、わたしは以下のような内容の社長訓示を行いました。みなさんは、「ブルシット・ジョブ」という言葉を知っていますか。「クソどうでもいい仕事」という意味です。ブルシット・ジョブは、当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事です。しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件なのです。アメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーが、著書『ブルシット・ジョブ』で提唱しましたが、そのポイントを一言でいうと、「生産する経済からケアする経済へ」です。グレーバーは、「なぜ、やりがいを感じずに働くひとが多いのか。なぜ、ムダで無意味な仕事が増えているのか。なぜ、社会のためになる職業ほど給与が低いのか」と読者に問いかけ、「労働とは『生産』というより『ケア』だ」と訴えます。

f:id:shins2m:20210601084953j:plainブルシット・ジョブ とは何か

 

ブルシット・ジョブは、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態です。その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと気づいていることも多いです。グレーバーは、「わたしたちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が存在するようである」と述べます。さらには、読者に「ある職種の人間すべてがすっかり消えてしまったらいったいどうなるだろうか、と問うてみること」を薦めています。もし仮に看護師やゴミ収集人、あるいは整備工の方々が消えてしまったら社会は壊滅的になりますし、教師や港湾労働者の方々のいない世の中はただちにトラブルだらけになるでしょう。

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世の中で意味のある仕事とは?

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熱心に聴く人びと

 

企業の株の売り買いで収益を得るCEOやロビイスト、広報調査員、保険数理士、テレマーケター、裁判所の廷吏、リーガル・コンサルタントが消えた場合はどうなるか? グレーバーによれば、人々は何ら困らないといいます。看護師、バス運転手、歯科医、道路清掃員、農家、音楽教師、修理工、庭師、消防士、舞台美術、配管工、ジャーナリスト、保安検査員、ミュージシャン、仕立屋、子どもの登下校の交通指導員といった人々のうち、「あなたの仕事は世の中に意味のある影響を与えていますか」という質問に対し、「いいえ」にチェックする者は、およそゼロです。

f:id:shins2m:20210601085001j:plainケアリング労働の時代について
 

グレーバーは、「労働とは、槌で叩いたり、掘削したり、滑車を巻き上げたり、刈り取ったりする以上に、ひとの世話をする、ひとの欲求や必要に配慮する、上司の望むことや考えていることを説明する、確認する、予想することである」と述べます。これらの仕事を「ケアリング労働」といいます。ケアリング労働は、一般的に他者にむけられた労働とみなされており、そこにはつねにある種の解釈労働や共感、理解がふくまれています。それは仕事などではなく、たんなる生活、まっとうな生活にすぎないということも、ある程度は可能です。

f:id:shins2m:20210601085618j:plain心のエッセンシャルワークとは?

 

「ブルシット・ジョブ」の反対に「エッセンシャルワーク」という言葉があります。医療・介護などをはじめ、社会に必要な仕事のことですが、トイレの清掃も含まれます。わたしは冠婚葬祭業も含まれると考えています。しかも、冠婚葬祭業は他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」、「ハートフル・エッセンシャルワーク」とでも呼ぶべきでしょう。それは、この世で最も必要とされる仕事であると言っても過言ではありません。

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「心のサポーター」と「グリーフケア士」について

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熱心に聴く人びと

 

厚生労働省が、今年度から「心のサポーター(ここサポ)」の養成を開始します。これは、うつ病などの精神疾患や心の不調に悩む人を支える存在で、精神疾患への偏見や差別を解消し、地域で安心して暮らせる社会の実現につなげる狙いです。全国で百万人の養成を目指しているそうです。わが社では、この「心のサポーター」も積極的に取得していきたいと思います。地域社会における心のケアを目指すのなら、人と人とをつなぐ互助会との相性も良いはず。わたしが座長を務める全互協のグリーフケア・プロジェクトチームでは、いよいよ六月から「グリーフケア資格認定制度」を開始しますが、全国の冠婚葬祭互助会の社員を中心に「グリーフケア士」の養成を目指します。 

f:id:shins2m:20210601120750j:plain最後に道歌を披露しました

 

わたしは、「グリーフケア士」が、プロの「ここサポ」と位置付けられることを願っています。グリーフケア士を含む冠婚葬祭業こそは心のエッセンシャルワーク、そう、「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。そして、それは「ケアワーク」そのものでもあるのです」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

世の中に意味なき仕事はびこれど

   求めらるるは心の仕事  庸軒

 

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挨拶する新入社員たち

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盛大な拍手が送られました

 

社長訓示が終わると、今日から営業研修に入る新入社員たちが前に出て、挨拶をしました。1人1人自己紹介をして、「頑張ります! よろしくお願いします!」と礼をすると、会場からは盛大な拍手が送られました。若い彼らに大いに期待しています!

f:id:shins2m:20210601090602j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20210601090624j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーの本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤー1年目を黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。梅雨の最中ではありますが、体調に気を配り、熱中症やコロナ変異種の感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年6月1日 一条真也

インドで知った最大の平等

一条真也です。
6月になりました。東京五輪まで2カ月を切っていますが、1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第35回目がアップされます。今回のタイトルは、「インドで知った最大の平等」です。

f:id:shins2m:20210529083700j:plain「インドで知った最大の平等」

 

わたしが58回目の誕生日を迎えた5月10日、インドビハール州のガンジス川河畔に71体の遺体が漂着しているのが見つかりました。同国ウッタルプラデシュ州のガンジス河畔でも25体の遺体が発見されたといいます。インドでは、新型コロナウイルスの変異株が猛威をふるっており、当然ながら遺体はコロナ感染による死者の可能性があります。報道によると、火葬用の木材が不足していたり、葬儀の費用が高騰していたりして、遺体を直接川に流すしかない家族がいるといいます。

 

ネットでこの記事を読んだわたしは、非常に心を痛めました。超格差社会であるインドには、現在もカースト制度の影響が強く残っています。カースト制度バラモン教によってつくられ、ヒンズー教に受け継がれた身分制度です。そのカースト制度を廃止しようとした人こそ、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダでした。残念ながら、ブッダの志は今も果たされず、カースト制度は残っているわけです。

 

わたしは、2016年2月に生まれて初めてインドに行きましたが、そのとき、聖なるガンジス川をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回りました。インドに到着して3日目の早朝、わたしは「ベナレス」とも呼ばれるバラナシを視察しました。ヒンドゥー教の一大聖地です。まず、ガンジス川で小舟に乗りました。しばらくすると、舟から火葬場の火が見えたので、わたしは思わず合掌しました。

 

バラナシの別名は「大いなる火葬場」ですが、国際的に有名なマニカルニカー・ガートという大規模な火葬場があります。そこは、24時間火葬の煙が途絶えることがありません。そこに運ばれてきた死者は、まずはガンジス川の水に浸されます。それから、火葬の薪の上に乗せられて、喪主が火をつけます。インドでは、最下層のアウトカーストが火葬に携わるとされています。

 

火葬場からガンジス川に昇った朝日がよく見えました。その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ太陽の光は平等だ!」と思いました。太陽の光はすべての者を等しく照らします。そして、わたしは「死は最大の平等である」という言葉を口にしました。これはわが持論であり、わが社のスローガンでもあります。

 

生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・・・・「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。遠藤周作の名作『深い河』の舞台にもなったマニカルニカー・ガートで働く人々もアウトカーストだそうですが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えました。太陽と死だけは、万人に対して平等なのです。

f:id:shins2m:20160215104002j:plain火葬場から見たガンジスのSUNRAY

 

2021年6月1日 一条真也

「アキのロケ地ツアーin NY」

一条真也です。
5月も今日で終わり。東京都も福岡県も緊急事態宣言は延長されるし、国難でしかない東京五輪の強行開催まで残り2カ月を切ったし、何も良いことがありませんね。でも、5月の最後の最後に素敵な出来事がありました。


映画を愛する美女」こと映画ブロガーのアキさんが「アキのロケ地ツアーin NY」というYouTube動画を立ち上げられたのです。その名の通り、ニューヨークで撮影された映画のロケ地紹介なのですが、初回は自己紹介の動画です。アキさんのミポリン似の美貌と映画への溢れる愛情が感じられる動画となっています。耳に心地よい声だし、語り口も穏やかで上品。動画に引き込まれます!

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自己紹介するアキさん

 

もともとアキさんは、ニューヨークの映画ロケ地を紹介する「moment NY」という素晴らしいサイトを運営されていました。同サイトには、「ティファニーで朝食を」「プラダを着た悪魔」「セックス・アンド・ザ・シティ」などの映画、「ゴシップガール」「フレンズ」などのTVドラマの舞台が美しい写真と素敵な文章で紹介されています。アキさんとわたしは、映画の情報や感想などを交換する映画好きの同志的存在ですが、彼女のYouTuberデビューをずっと心待ちにしていたので、すごく嬉しいです!


わたしは、ブログ「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」で、アキさんのことを以下のように書きました。
「この映画で知った名言が2つあります。処刑される直前にメアリー(・スチュアート)が言ったという『我が終わりは、我が始まりなり』という言葉。これは17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた『我思う、ゆえに我あり』に並ぶ名言であると思います。そして、もう1つはエリザベスの『美はいずれ朽ちるが、知は永遠に輝き続ける』という言葉です。2人の女王による2つの名言には唸りましたが、わたしは最近、銀座の某所でお会いした1人の女性のことを思い浮かべました。正直言って、ものすごい美女です。中山美穂伊藤美咲に似ていますが、その2人よりも綺麗です」

f:id:shins2m:20210531215652j:plain「美」と「知」を合わせ持つアキさん

 

また、わたしは「しかしながら、それほどの輝く美貌の持ち主でありながら、その彼女はデカルトの哲学に興味を持ち、東京の赤坂にある女子大を卒業した後、わざわざ慶應義塾大学に再入学して哲学を学んだ経歴の持ち主でもあるのです。わたしは、彼女と『我思う、ゆえに我あり』について意見交換させていただきました。その考え方がまた非常に深くて感服しました。いやはや、『天は二物を与えず』とは言いますが、日本にも凄い方がいるものだと感心した次第です。『美』と『知』が合体したとき、“鬼に金棒”的な真の輝きを発するようで、わたしはあまりの眩しさにクラクラしてしまいました」とも書いています。

 

 

そんなアキさんは、これから週1回のペースで動画配信されるそうです。どうか、みなさんチャンネル登録をよろしくお願いします。わたしも、とても楽しみにしています。アキさん、YouTuberデビュー、おめでとうございます。デカルトは、哲学の歴史を変えた名著『方法序説』を書きましたが、アキさんはぜひ映画ロケ地紹介動画の画期的な方法を開発されて下さい。コロナが早く収まって、またニューヨークに行けるといいですね!

 

2021年5月31日 一条真也拝 

グリーフケアの本

一条真也です。今日で、5月も終わりですね。
時の流れは速いものです。そんな皐月晦日の昼休み、クロワッサンとコーヒーの昼食を取りながらヤフーニュースを見ていたら、TOPニュースに「池田小事件 娘失った母支えた本」という記事タイトルを見つけました。

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ヤフーニュースより

 

クリックすると、「娘を失った母『悲しみに寄り添う場所を』ライブラリー開設・・・池田小殺傷20年」という読売新聞オンラインの記事が出てきました。記事のリード文には、「児童8人の命が奪われた大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から、6月8日で20年となる。事件で娘を失った母親の一人は昨年、グリーフケア(悲しみのケア)のためのライブラリーを東京都内に開いた。「大切な人を亡くすなどした喪失感や悲しみを抱える人たちに寄り添う場所を作りたい」。そんな願いが形になった」という渡辺彩香記者の言葉が書かれていました。

f:id:shins2m:20210531141446j:plain本郷由美子さん(撮影:岩佐譲=読売新聞)

 

2年生だった長女の優希(ゆき)さん(当時7歳)を失った本郷由美子さん(55)。事件当時は大阪府池田市に住み、7年前に東京に転居した。昨年11月、自宅近くの光照院(東京都台東区)の敷地内にライブラリー『ひこばえ』をオープンした。『ひこばえ』は、切り株から出る若い芽を表す。『幹を切られてもやがて新しい芽が出るように、再生への一歩を踏み出してほしい』との願いを込めた。8畳ほどの部屋に約760冊の絵本や児童書、紙芝居などが並ぶ。失意の底にいたとき、前を向くきっかけをくれたのが絵本だった。

 

 

蔵書の『いつでも会える』(菊田まりこ著)もその1つでした。事件直後、本郷さんを気遣う複数の友人らから贈られたそうです。大好きな飼い主のみきちゃんを突然亡くした犬のシロの心の移ろいが淡々と描かれた絵本です。小さく無邪気なシロが大きな悲しみを懸命に乗り越えようとする姿が胸を打つ感動のミリオンセラーです。記事には、「最初は読む気になれなかったが、少しずつページをめくり、自分たちの姿を重ねるうちに、『優希はいつもそばにいてくれる』と感じられるようになったという」と書かれています。本郷さんは、2011年から上智大学グリーフケア研究所が関西で開く養成講座に通われたそうです。そこでグリーフケアについて専門的に学ぶうちに、支える側になりたいという気持ちが強くなったといいます。

 

 

本郷さんが優希を失った「附属池田小事件」は2001年6月8日に起こっていますが、その前年の2000年12月30日には同じく理不尽な殺人事件である「世田谷一家殺害事件」が起こっています。一家4人が殺害されるという悲しい出来事でした。そして、その事件はいまだ解決されていません。「命の尊さを伝えたいという思いとともに、不条理な別れに遭遇した方々の悲しみを、この絵本が少しでもいやすことができるなら」と、被害者である奥さまのお姉さんにあたる作者の入江杏さんは絵本『ずっと つながっているよ――こぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)を書かれました。悲しみからの再生の書である同書は、「目にはもう見えないけれど、でも思いはずっとずっとつながっているよと呼びかける」やさしく、美しい鎮魂歌です。入江さんは上智大学グリーフケア研究所非常勤講師でもあります。

 

 

『いつでも会える』『ずっと つながっているよ――こぐまのミシュカのおはなし』をはじめ、グリーフケアの力となる絵本は多いです。ブログ『人生の一冊の絵本』で紹介したノンフィクション作家の柳田邦男氏の著書には約150冊の絵本が紹介されています。帯の裏には、「絵本は文章の理解力がまだ発達していない幼い子どものために絵でコトバを補っている本だと思いこんでいる人が多い。だが、違う。絵本は、子どもが読んで理解できるだけでなく、大人が自らの人生経験やこころにかかえている問題を重ねてじっくりと読むと、小説などとは違う独特の深い味わいがあることがわかってくる」という著者の言葉が掲載されています。

 

 

同書で、柳田氏は『おじいちゃんの ゆめの しま』ベンジー・デイヴィス作(評論社)を紹介し、「子どもが旅立ったおじいちゃんの“向こうの世界”にまで行って、どのような日常なのかを見届け、励ましの言葉をもらって帰ることで、大好きな人はこころのなかでいつも一緒なのだという安心感を得ている。子どもならではの想像力の豊かさを、グリーフワークに生かしていると言えるだろう」と述べています。続けて、「しかし、よく考えてみれば、大人でもそうした想像力を活性化することで、魂レベルでの《あの人は今も私のこころのなかで生きている》という思いを強く抱けるようになるのではなかろうか。そうした想像力を持つことは、精神的いのちの永遠性への気づきをもたらすものであって、グリーフワークの神髄と言えよう」とも述べます。

f:id:shins2m:20210531143356j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

柳田氏は、「グリーフケアあるいはグリーフワークという用語が、この国においてもかなり一般的に使われるようになってきた。大切な人、愛する人を喪った悲しみを癒し、生きる力を取り戻すのを支えるのがグリーフケアであり、自分自身で再生への道を歩むのがグリーフワークだ。ここで言うグリーフ(grief)とは、生きているのがつらいと思うほどの喪失や挫折によってもたらされる深い悲嘆のことだ」として、「最近は、ファンタジーの物語によって、そうした課題に応える絵本が創作される時代になっているのだ」とも述べていますが、まったく同感です。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)でも、ファンタジーの本をたくさん紹介しましたし、上智大学グリーフケア研究所客員教授としての講義では「グリーフケアと読書」として、それらの本について語りました。

f:id:shins2m:20181127092534j:plain朝日新聞」2018年11月27日朝刊

 

朝日新聞」2018年11月27日朝刊の記事にも書かれていますが、わたしは、幼い頃から死について強い関心を抱いていました。グリーフケアについては、「死別の悲嘆を癒やす」ことに加え、「自らの死の不安を軽減する」ことも大きなテーマになると考えています。その上で、同様の悲嘆や不安を自分以外の多くの人が抱えていることを知り、それを乗り越えて生きる力を得るために「『物語』が最も効果があるのではないか」と述べ、生と死を題材にした本などを紹介しました。なお、わが社のグリーフケア・サロンである「ムーンギャラリー」では、絵本や童話をはじめ、『死を乗り越える読書ガイド』で紹介した本を中心としたグリーフケアの本のライブラリーを常設しています。ここでは、いろんな本が閲覧できますし、購入もできます。さらには、無料のブックレットもたくさん用意しています。どなたでも、お気軽にお立ち寄り下さい。

f:id:shins2m:20210531143939j:plainムーンギャラリー の外観

f:id:shins2m:20210531143959j:plain
グリーフケア関連書コーナー

f:id:shins2m:20210531144014j:plainグリーフケア絵本コーナー

f:id:shins2m:20210531144030j:plain一条本グリーフケア)コーナー

f:id:shins2m:20210531144043j:plain一条本(社会と儀式)コーナー

f:id:shins2m:20210531144054j:plain無料ブックレット・コーナー

 

2021年5月31日 一条真也

「アオラレ」  

一条真也です。
30日の日曜日、映画「アオラレ」をシネプレックス小倉で観ました。ロックダウン後、世界中でまさかのNO.1ヒットとなった作品です。あおり運転の恐怖を描いたスリラー映画ですが、登場人物が常軌を逸して人間離れしたモンスター化しているので、もはやホラー映画と呼んでもいいでしょう。吸血鬼よりもゾンビよりも怖いのは、いかれた人間です。この映画、単なる「あおり運転」を描いた作品かと思いきや、意外にも「礼儀」がメインテーマでした。


ヤフー映画の「解説」には、「運転中のささいなトラブルが思いも寄らぬ事態へと発展するサスペンススリラー。信号で言い合いになった見知らぬ男から、執拗に追跡されるシングルマザーの恐怖を描く。あおり運転をエスカレートさせる謎の男をオスカー俳優ラッセル・クロウが演じ、『スロウ・ウェスト』などのカレン・ピストリアス、『チャイルド・プレイ』などのガブリエル・ベイトマンのほか、ジミ・シンプソン、オースティン・マッケンジーらが出演。『幸せがおカネで買えるワケ』などのデリック・ボルテがメガホンを取った」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「寝坊した美容師のレイチェル(カレン・ピストリアス)は、息子のカイル(ガブリエル・ベイトマン)を学校へ送りながら職場に向かう途中、大渋滞に巻き込まれてしまう。いら立つ彼女は、信号が青になっても発進しない前の車にクラクションを鳴らして追い越すと、ドライバーの男(ラッセル・クロウ)は後をつけてきて謝罪を要求する。彼女がそれを拒否し、息子を学校に送り届けガソリンスタンドに寄ると、先ほどの男に尾行されていることに気付く。やがて、レイチェルは男の狂信的な行動に追い詰められていく」となっています。


「アオラレ」はラッセル・クロウ演じるスーパークレイジー野郎(注:スーパークレイジー君とは関係ありません)によるあおり運転から始まって、次第にかれの狂気の行動がエスカレートしていく恐怖が描かれていますが、スティーヴン・スピルバーグ監督のデビュー作である「激突!」(1971年)のアップデート版という印象でした。「激突!」は、知人のもとへと向かうべくハイウェイを急ぐ平凡なセールスマンが追い越した1台のタンクローリーが怪物と化す物語です。タンクローリーによるセールスマンの追跡劇は、じつに90分におよびます。冒頭、タンクローリー排気ガスを不快に感じた主人公がタンクローリーを追い抜き、そして追い抜き返す小競り合いをきっかけに追走劇が始まることになります。


「激突!」では、徹底して意思疎通が不可能な存在とのバトルに焦点が絞られますが、「アオラレ」では追う側と追われる側との間に意思疎通があります。というのも、スーパークレイジー野郎が主人公レイチェルのスマホを奪い、代わりにガラケーをレイチェルの車に置いていったからです。スマホを奪ったスーパークレイジー野郎は、奪ったスマホを使って、レイチェルの自宅を知り、家族関係を知り、徹底的に追い詰めていきます。さらに、彼女の銀行口座から預金を他の口座に振り込むことさえできるとうのは恐怖です。あおり運転も怖いですが、スマホを奪われて相手に個人情報が筒抜けになることの恐怖もよく描かれていました。その意味では、ブログ「スマホを落としただけなのに」「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」で紹介した日本映画にも通じる作品でした。


あおり運転とは、後方から車間距離を詰めて威嚇したり、前に割り込んで急ブレーキを踏んだりするなどの悪質かつ危険な行為です。日本では法律による明確な規定はありませんでしたが、2020年6月30日施行の改正道路交通法及び施行令により、あおり運転の対象となる違反行為が明確化され、それに対する罰則が創設されました。ネットには「あおられた時はどうすべきか?」を示す記事などがたくさんありますが、YouTubeの「煽られた時の正しい対処法」というのが最高です。概要欄には「この対処法は万国共通であり、様々なシーンで活用可能な非常に汎用性の高いお手本動画となっております」などと書かれていますが、デヴィッド・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」(1997年)』の名シーン(?)が引用されています。映画の中盤、マフィアのボスがあおり運転に加えて薬指を立てられたことにブチ切れて、車から引きずりおろした運転手を「交通ルールの本を買え!」と脅す、なんともシュールな展開が繰り広げられるのです。


それにしても、「アオラレ」でのラッセル・クロウの怪演には度肝を抜かれます。彼は1964年、ニュージーランド出身。映画撮影の仕出し屋だった両親に付いて、幼い頃より映画撮影現場に出入りしました。やがて家族でオーストラリアに移住し、子役としてキャリアを開始。その後、「クイック&デッド」(95)でハリウッドに進出。「L.A.コンフィデンシャル」(97)で注目を浴び、「インサイダー」(99)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、翌年「グラディエーター」で同賞を受賞。続く「ビューティフル・マインド」(01)でも同賞にノミネートされた他、ゴールデングローブ賞の最優秀主演男優賞を受賞しています。以降は「シンデレラマン」(05)、「アメリカン・ギャングスター」(07)、「ロビン・フッド」(10)などに主演し、「レ・ミゼラブル」(12)などの大作にも出演しています。

 

ラッセル・クロウの数多くの出演作の中でも、わたしが特に好きなのは、彼がオスカーに輝いた「グラディエーター」です。「ブレードランナー」の巨匠リドリー・スコットが、古代ローマを舞台に復讐に燃える剣闘士の壮絶な闘いを描き、第73回アカデミー賞で作品賞・主演男優賞など5部門に輝いた歴史スペクタクルです。古代ローマの皇帝アウレリウスは、信頼を寄せる将軍マキシマスに次期皇帝の座を譲ろうと考えていた。それを知った野心家の王子コモドゥスは父を殺して玉座を奪い、マキシマスに死刑を宣告。マキシマスは故郷へ逃れるが、コモドゥスの手下に妻子を殺されてしまいます。絶望の中、奴隷に身を落としたマキシマスはやがて剣闘士として名を上げ、闘技場で死闘を繰り返しながらコモドゥスへの復讐の機会を狙うのでした。主人公マキシマスをクロウ、宿敵コモドゥスホアキン・フェニックスがそれぞれ演じました。


グラディエーター」におけるクロウは惚れ惚れするような引き締まった筋肉美だったのですが、「アオラレ」ではアンコ型の力士のような姿に変貌しています。「ワールド・オブ・ライズ」(08)のときのようなスーパー増量を行ったのかと思いましたが、じつは肉体スーツを着込んで役作りをしたそうです。その巨漢が演じるスーパークレイジー野郎はど迫力で、映画評論家の尾崎一男氏は「映画。com」で、「本作の恐怖を倍化させるのは、キャリアのプラスになるとも思えぬ、ラッセル・クロウのやりたい放題な怪演だ。2000年製作の『グラディエーター』で悲劇の剣闘士を体現し、栄えあるオスカーを受賞。後年『レ・ミゼラブル』(12)では主演のヒュー・ジャックマンを差し置き、じつにいい湯加減で熱唱。以前とは何だか性質の異なる役者になってしまった」と書いています。わたしも、尾崎氏の意見にまったく同感です!


ところで、「アオラレ」のオープニングクレジットでは、多くの人々が過大なストレスに晒されている「ストレスフル社会」が描かれます。離婚、失業、渋滞・・・・・・人生にはさまざまなストレスが付き物ですが、主人公のレイチェル(カレン・ピストリアス)はすべてを一度に経験することになります。前の車が青信号なのに発信せず、イライラが極限に達したレイチェルは乱暴にクラクションを鳴らし、前の車を追い越します。そこから悲劇が始まるわけですが、すべてはレイチェルが前夜に目覚ましをかけるのを忘れて朝寝坊したことに起因しています。そして乱暴にクラクションを鳴らし、そのことに対して相手から謝罪を求められても従わなかった・・・・・・確かに相手もスーパークレイジーですが、彼女にも問題はあったと言えるでしょう。ある程度は「自業自得」なのです。

図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)

 

「アオラレ」では、レイチェルのイライラに端を発し、それがスーパークレイジー野郎の怒りに火をつけて大惨事になったわけです。わたしも気が短くて怒りっぽい人間なので、「怒り」の対処法についてはいつも考えています。仏教では、怒りを完全に否定しています。ブッダは、「たとえば、恐ろしい泥棒たちが来て、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、面白がってノコギリで切ろうとするとしよう。そのときでさえ、わずかでも怒ってはいけない。わずかでも怒ったら、あなた方はわが教えを実践する人間ではない。だから、仏弟子になりたければ、絶対に怒らないという覚悟を持って生きてほしい」と言ったそうです。なぜなら、怒りは人間にとって猛毒だからです。その猛毒をコントロールすることが心の平安の道であることをブッダは告げたかったのでしょう。ブッダは、「怒るのはいけない。怒りは毒である。殺される瞬間でさえ、もし怒ったら、心は穢れ、今まで得た徳はぜんぶ無効になってしまって、地獄に行くことになる」とさえ言っています。つまり、怒ったら、自分が損をするのです。

人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社

 

レイチェルにも問題があると言いましたが、彼女が夫と離婚し、経営していた美容院を失い、渋滞の中でスーパークレイジー野郎の怒りに火をつけたことはすべて繋がっています。つまり、彼女はセルフィッシュな側面が強く、他人と良い関係を築くことが苦手なのです。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。このような行為が礼儀作法の起源でした。身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法やマナーとして確立されてきたのです。

 

 

ストレスフル社会を描いた「アオラレ」のオープニングクレジットでは、他人に対して暴言を吐いたり、中指を突き立てるなどの人々の「無作法」が多くのトラブルを引き起こしている場面が流れました。ブログ『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』で紹介した本によれば、礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。著者のP・M・フォルニは、「礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます」と述べます。そして、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているといいます。礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです。

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「ヤフーニュース」より 

 

それにしても、「アオラレ」に出てくるスーパークレイジー野郎のような人物はアメリカだけではなく、日本にもたくさんいます。ただでさえネット社会はストレスフルなのに、加えてコロナ禍です。コロナによる人との交流の制限、失業などでさらに心を病む人は増え続けるでしょう。スーパークレイジー野郎のように他人に危害を加えるだけでなく、自らの命を絶つ人も増えるはずです。そんな中、厚生労働省は、今年度から「心のサポーター(ここサポ)」の養成を開始します。これは、うつ病などの精神疾患や心の不調に悩む人を支える存在で、精神疾患への偏見や差別を解消し、地域で安心して暮らせる社会の実現につなげる狙いです。わが社では、死別の悲嘆に寄り添う「グリーフケア士」とともに「ここサポ」の養成に力を入れる予定です。いよいよ、心のケアの時代が来ました!

 

2021年5月31日 一条真也

「ハチとパルマの物語」 

一条真也です。
28日から公開の日露共同制作映画「ハチとパルマの物語」を観ました。ずっと観たかった作品ですが、コロナ禍による公開延期を乗り越えて、ようやく「コロナシネマワールド小倉」(!)で鑑賞することができました。わたしは、「これは、グリーフケアの映画だ!」と思いました。わが思い出の愛犬たちが脳裏に浮かび、泣きました。

 

ヤフー映画の「解説」には、「旧ソ連時代、空港に実在した犬の実話を基に、モスクワと秋田を背景に描くヒューマンドラマ。空港に取り残された犬と母親を亡くした少年が出会い、友情を育んでいく。オーディションで選ばれたレオニド・バーソフが主人公を演じ、アレクサンドル・ドモガロフ・Jrが監督と脚本を手掛け、『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』などのアレクサンドル・ドモガロフと親子で共に本作に参加。日本からは渡辺裕之藤田朋子壇蜜や高松潤らが出演している」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「1970年代のモスクワの国際空港。飼い主と一緒にプラハに行くはずだった犬のパルマは、書類不備のため飛行機に乗れなかった。飼い主によってやむを得ず滑走路に放たれ、やがて空港に住み着くようになったパルマは、以来2年間ずっと飼い主の帰りを待ち続ける。ある日、母親を亡くしてパイロットの父親に預けられた9歳の少年コーリャ(レオニド・バーソフ)が、パルマのいる空港にやって来る」となっています。

 

この映画、なんと言っても、パルマの動きが躍動感を生み出しています。飛行機の乗客から置き去りにされた犬が空港の滑走路を走り回るなど、まことに荒唐無稽な話のように思えます。しかし、これが実話というのだから驚きます。映画の前半で、飼い主を乗せた飛行機とパルマが滑走路の上で向かい合ったり、助走する飛行機を全速力で追いかけたり、飛び立った飛行機を寂しそうに見送るシーンなど、「一体どうやって撮影したの?」と思ってしまいました。ラストシーンでは飼い主と再会して「めでたし、めでたし」とはならず、観客は大きなストレスを抱えますが、最後にはストレスが一気に発散される展開となっています。まるで、フジテレビ系列のドラマ型バラエティ番組「痛快TVスカッとジャパン」を観ているようでした。


「ハチとパルマの物語」の「ハチ」とは、日本の忠犬ハチ公のことです。今も渋谷に銅像がある忠犬ハチ公の感動実話は、1987年の日本映画「ハチ公物語」となりました。昭和初期、雪深い農家で生まれた秋田犬の子犬が、東京・渋谷の大学教授・上野(仲代達矢)にもらわれ、ハチと名づけられました。ハチは上野によくなつき、朝晩渋谷駅で送迎するのが日課となっていきます。しかし、ある日突然上野は死んでしまうのでした。映画監督でもある新藤兼人の原作を本人自ら脚本化した感動物語です。渋谷の街を開発した東急グループが製作し、同グループの広告代理店である東急エージェンシーが企画から広告まで広く関わりました。わたしは、学生時代の就職活動の時期にこの映画を観て非常に感動し、1988年に東急エージェンシーに入社した思い出があります。 


2009年には、忠犬ハチ公の物語の舞台を日本からアメリカに移した「HACHI 約束の犬」が公開されました。製作は、「ハチ公物語」と同じ松竹です。監督は、「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」のラッセ・ハルストレム。舞台は、アメリカの郊外にあるベッドリッジ駅。寒い冬の夜に、迷い犬になった秋田犬の子犬を保護したパーカー・ウィルソン教授(リチャード・ギア)は、妻ケイト(ジョーン・アレン)の反対を押し切って子犬を飼うことになりました。首輪のタグに刻まれていた漢字から、ハチと名づけられた子犬は、パーカーの愛情を受けてすくすくと成長していきます。ハチは毎日夕方5時に駅前でパーカーの帰りを待ちますが、ある日、パーカーは大学の講義中に倒れ、帰らぬ人になるのでした。

 

「ハチとパルマの物語」の舞台は、ほとんどが旧ソ連モスクワ空港です。パルマは空港の滑走路を走り回り、荷物の受けとり場やレストランなどの空港内の施設に迷い込んで、空港利用者は大混乱します。その意味で、この映画は空港映画だと言えます。空港を舞台にした映画といえば、「ターミナル」(2004年)を思い出します。クーデターによって祖国が消滅してしまったヨーロッパのクラコウジア人、ビクター・ナボルスキーは、アメリカの空港にて足止めを余儀なくされます。その足止めの期間は数か月にも及ぶのでした。スティーヴン・スピルバーグ監督が「空港から出られなくなった男」にスポットをあてて描いた感動のヒューマン・ドラマですが、主演のトム・ハンクスキャサリン・ゼタ=ジョーンズという大スターの演技が、空港という限られた空間での人間関係に深みを加えました。実際に建設された空港内のセットには実際にテナントも入り、本物そっくりの精巧な出来でした。


タイトルには「ハチとパルマ」と入っていますが、映画「ハチとパルマの物語」はシェパード犬・パルマの物語です。パルマは「ロシアの忠犬」と呼ばれた有名な犬です。飼い主に置き去りにされたパルマの哀しそうな目、コーリャ少年を愛おしそうに見つめるパルマの優しい目がスクリーンに映ると、わたしは過去に飼っていた3匹の愛犬を思い出しました。1匹目は、小学校低学年のときに自宅に迷い込んできた雑種犬でした。犬がずっと飼いたかったわたしは嬉しくてたまりませんでしたが、1週間ぐらい経ってから本物の飼い主が引き取りにきて、涙の別れをしました。映画でもパルマとコーリャは引き離されそうになりますが、わたしは少年時代の悲しみを思い出して涙しました。2匹目は小学校高学年から高校生まで買っていたコリー犬で「ハッピー」という名でした。3匹目は2人の娘たちのために飼ったイングリッシュ・コッカースパニエル犬で「ハリー」という名でした。ハッピーとハリーとは死別しましたが、わたしは彼らのことを思い出すと今でも涙が出てきます。本当に、とても大切な家族でした。

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今はなき愛犬ハリーと

 

特に、2010年に死別したハリーは、まだ小屋を残していることもあり、忘れられません。娘たちは、ハリーとともに成長し、たくさんの思い出を作りました。わたしたち家族は、ハリーを心から惜しみ、感謝の念とともに送り出してあげました。ハリーを失ってからの喪失感は、思った以上にこたえました。わたしにとって、どれだけ大切な存在であったかを思い知らされました。人類にとって最初の友は犬だったそうです。「GOD」を逆にすると「DOG」になりますが、犬とは神から遣わされた人間の友なのかもしれません。特に縄文時代などの狩猟社会において犬は人間にとって最高のパートナーで、人間と犬が一緒に埋葬された例もあるようです。わたしは、庭にハリーのお墓を作ってあげました。ハリーが大好きだった庭の大好きな場所に穴を掘って、骨を埋めてあげました。


わたしには『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)というグリーフケアに関する著書がありますが、わたし自身はあまり愛する人を亡くした経験がありません。父方、母方の両祖父母ぐらいでしょうか。幸い、わたしの両親はまだ健在ですし、恋人を亡くしたとか、親友を亡くしたなどの経験もありません。わたしにとって、これまでの人生で最も悲しかった別れはハリーとの別れかもしれません。ハリーは、経営者としても作家としてのわたしの一番しんどかった時期を支えてくれました。どんなに辛いことや嫌なことがあっても、ハリーとフリスビーをすると全部忘れることができました。映画の中で、フィギュアスケートザギトワ選手が愛犬マサルのことを「試合の後、マサルはいつもわたしを癒してくれます」というセリフがありますが、本当にザギトワ選手にとってマサルはかけがえのない存在であると思います。


この映画を観て、「これは、グリーフケアの映画だ!」と思ったと書きました。この映画には、さまざまな悲しみが溢れています。飼い主に置き去りにされたパルマの悲しみ。かつて父親に捨てられ、最愛の母親を亡くしたコーリャの悲しみ。妻を亡くし、引き取った息子コーリャが心を開いてくれないラザレフの悲しみ。いろんな悲しみが交錯して、観客の心を癒してくれます。最近、どんな映画を観てもグリーフケアの映画でることに気づきます。恋愛映画、SF、ホラー、ミステリー、アニメに至るまで、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この現象は映画だけでなく、小説やマンガを読んだときにも起こります。すべてはグリーフケアの物語なのです。この不思議な現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生は、「何を見ても『グリーフケア』に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも『グリーフケア』の『要素』があるのだとおもいます。そのようなスペクトラムが。アリストテレスは『詩学』第6章で『悲劇』を『悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある』と規定していますが、この『カタルシス』機能は『グリーフケア』の機能でもあるとおもいます。しかし、アリストテレスが言う『悲劇』だけでなく、『喜劇』も『音楽』もみな、『カタルシス』効果を持っていますので、すべてが『グリーフケア』となり得るということだと考えます」というメールを送って下さいました。グリーフケアといえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作が決定したのですが、そのエグゼクティブプロデューサーおよびプロデューサーの2人は本作と同じ方々です。

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左から益田氏、ザギトワ選手、志賀氏

「ハチとパルマの物語」のエグゼクティブプロデューサーは志賀司氏、プロデューサーは益田祐美子氏です。志賀氏は冠婚葬祭互助会の仲間である(株)セレモニーの社長さんで、益田氏とは一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の社会貢献基金の委員を一緒に努めており、お二人とも親しくさせていただいています。その御縁もあって、わが社サンレーでは、ささやかながら「ハチとパルマの物語」の協賛をさせていただきました。さらに日本初のグリーフケアをメインテーマにした映画といっても過言ではない「愛する人へ」の製作にあたって、志賀エグゼクティブプロデューサー、益田プロデューサー、そして小生が原案者ということで、3人で(ロシアにちなんで)トロイカ方式で力を合わせることになりました。

f:id:shins2m:20200122175412j:plainセレモニーの志賀社長と

 

じつは一昨日、東京で志賀氏と会食しました。緊急事態宣言下の禁酒令でアルコールが飲めないので、わたしはノンアルコールビール、志賀氏はウーロン茶で中華料理を食べたのですが、「ハチとパルマの物語」の公開を祝いました。この映画は日露合同製作ですが、これほど日本とロシアの心の架け橋になる映画もないと思います。志賀氏は本業の冠婚葬祭業だけでなく、映画を中心としたエンターテインメント・ビジネスやサッカーを中心としたスポーツ・ビジネスも幅広く手掛けられる快男児です。その彼の奥様がロシア人女性なのです。思えば、かつて日本とロシアは戦争をしました。そう、日露戦争です。それから100年以上が経過して、志賀夫妻は国際結婚をされました。

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仲睦まじい志賀夫妻(うらやましい!)

 

結婚は最高の平和である」とは、わたしの口癖であり、わが社の信条でもあります。ロシアの文豪トルストイの名作『戦争と平和』の影響で、「戦争」と「平和」がそれぞれ反対語であると思っている人がほとんどでしょう。でも、「平和」という語を『広辞苑』などの辞書で引くと、意味は「戦争がなくて世が安穏であること」となっています。平和とは、戦争がない状態、つまり非戦状態のことなのです。しかし、戦争というのは状態である前に、何よりもインパクトのある出来事です。単なる非戦状態である「平和」を「戦争」ほど強烈な出来事の反対概念に持ってくるのは、どうも弱い感じがします。また、「結婚」の反対は「離婚」と思われていますが、これも離婚というのは単に法的な夫婦関係が解消されただけのことです。「結婚」は戦争同様、非常にインパクトのある出来事です。戦争も結婚も共通しているのは、別にしなければしなくてもよいのに、好き好んでわざわざ行なう点です。だから、戦争も結婚も「出来事」であり、「事件」なわけです。

結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)

 

拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)にも書きましたが、結婚には、異なるものと結びつく途方もなく巨大な力が働いているのです。それは、陰と陽を司る「宇宙の力」と呼ぶべきものです。同様に、戦争が起こるときにも、異なるものを破壊しようとする宇宙の力が働いています。つまり、「結婚」とは友好の王であり、「戦争」とは敵対の王なのです。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、それぞれ仲間を集めて抗争となり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。会食時に、わたしが「志賀夫妻は日露平和のシンボルですよ」と言うと、志賀氏は「ありがとうございます」と言って、嬉しそうに笑いました。


さて、そのようにわたしがエグゼクティブプロデューサーの志賀氏と親しく、わが社が協賛もしているのだから「ハチとパルマの物語」をベタ褒めするかというと、そうはいきません。わたしにも映画レビュアーとしての矜持があり、「ダメなものはダメ」とはっきり言います。この映画、全篇のほとんどを占めるロシアのパートは良かったのですが、日本のパートに少し難がありました。正直に書くと、映画の冒頭の秋田県大館市の「秋田犬の里」オープニングセレモニーの場面に問題がありました。俳優でもない素人(政治家)が出てきてスピーチをするのですが、この演技が大仰で幻滅しました。せっかくの素晴らしい映画のオープニングを素人の臭い演技で始まったことが残念です。彼のスピーチの後には、清楚な壇蜜(わたしは彼女のファンです!)、可愛いアナスタシアちゃん(本当に天使のようでした)が登場して救われた思いになりましたが、やはり商業映画に素人を出演させてはなりませんね。


じつは、わたしは映画に出演したことがあります。北九州市出身の三村順一監督の「君は一人ぼっちじゃない」という映画です。撮影はわが社の「松柏園」の大広間で撮影が行われ、わたしは、「ハチとパルマの物語」にも出演されている渡辺裕之さん演じる地元財界の大物経営者である佐久間社長(!)が開いた宴席の主賓の役でした。鶴田真由さん演じる芸者の駒子が佐久間社長の昔の女でした。駒子の舞いを楽しんだ後、拍手をして終わりのはずでしたが、なんと急遽、わたしにセリフが入りました。昔の女の思い出に浸っている佐久間社長に気をきかせて、「佐久間さん、今日はどうもありがとう。先にカラオケに行ってるよ!」と言って退席するというものです。しかしながら、単なるエキストラ出演だと思っていたわたしは、急にセリフを与えられて、ちょっと慌てました。それでも、1度だけ撮り直しをしましたが、ぶっつけ本番で何とか演じ切りました。その後、「君は一人ぼっちじゃない」の完成披露試写会がわが社の小倉紫雲閣で行われましたが、舞台挨拶では、わたしは鶴田真由さんに花束をお渡ししました。

f:id:shins2m:20210529174707j:plainわが初出演作の完成披露試写会の舞台挨拶で 

 

それから3年の月日が経ち、わたしはまた映画に出演することになりました。これまた北九州市出身の雑賀俊朗監督の映画にけっこう重要な役で出るのですが、もちろんセリフもあります。主演は誰でも知っている有名女優さんですし、わたしのような58歳のオッサンが一緒だと「美女と野獣」みたいになるのではないかと思って憂鬱です。6月18日にわたしの出番の撮影があるのですが、「ハチとパルマの物語」の冒頭でド素人の演技を見て、「商業映画に素人を出演させてはいけない」ということを改めて痛感しました。それで、監督にお願いして、わたしはチョイ役でセリフも一言ぐらいにしていただきたいと考えています。それはともかく、「愛する人へ」の完成が今から楽しみでなりません。できれば、壇蜜サンにも出演していただきたい!

 

2021年5月30日 一条真也