インドで知った最大の平等

一条真也です。
6月になりました。東京五輪まで2カ月を切っていますが、1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第35回目がアップされます。今回のタイトルは、「インドで知った最大の平等」です。

f:id:shins2m:20210529083700j:plain「インドで知った最大の平等」

 

わたしが58回目の誕生日を迎えた5月10日、インドビハール州のガンジス川河畔に71体の遺体が漂着しているのが見つかりました。同国ウッタルプラデシュ州のガンジス河畔でも25体の遺体が発見されたといいます。インドでは、新型コロナウイルスの変異株が猛威をふるっており、当然ながら遺体はコロナ感染による死者の可能性があります。報道によると、火葬用の木材が不足していたり、葬儀の費用が高騰していたりして、遺体を直接川に流すしかない家族がいるといいます。

 

ネットでこの記事を読んだわたしは、非常に心を痛めました。超格差社会であるインドには、現在もカースト制度の影響が強く残っています。カースト制度バラモン教によってつくられ、ヒンズー教に受け継がれた身分制度です。そのカースト制度を廃止しようとした人こそ、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダでした。残念ながら、ブッダの志は今も果たされず、カースト制度は残っているわけです。

 

わたしは、2016年2月に生まれて初めてインドに行きましたが、そのとき、聖なるガンジス川をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回りました。インドに到着して3日目の早朝、わたしは「ベナレス」とも呼ばれるバラナシを視察しました。ヒンドゥー教の一大聖地です。まず、ガンジス川で小舟に乗りました。しばらくすると、舟から火葬場の火が見えたので、わたしは思わず合掌しました。

 

バラナシの別名は「大いなる火葬場」ですが、国際的に有名なマニカルニカー・ガートという大規模な火葬場があります。そこは、24時間火葬の煙が途絶えることがありません。そこに運ばれてきた死者は、まずはガンジス川の水に浸されます。それから、火葬の薪の上に乗せられて、喪主が火をつけます。インドでは、最下層のアウトカーストが火葬に携わるとされています。

 

火葬場からガンジス川に昇った朝日がよく見えました。その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ太陽の光は平等だ!」と思いました。太陽の光はすべての者を等しく照らします。そして、わたしは「死は最大の平等である」という言葉を口にしました。これはわが持論であり、わが社のスローガンでもあります。

 

生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・・・・「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。遠藤周作の名作『深い河』の舞台にもなったマニカルニカー・ガートで働く人々もアウトカーストだそうですが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えました。太陽と死だけは、万人に対して平等なのです。

f:id:shins2m:20160215104002j:plain火葬場から見たガンジスのSUNRAY

 

2021年6月1日 一条真也