「ファーストラヴ」 

一条真也です。
10日、東京から帰ってきました。緊急事態宣言下の出張は支障が多くて大変なので、なるべく会議はリモート参加とし、しばらく東京へ行かないことにしました。「建国記念の日」である11日、シネプレックス小倉で日本映画「ファーストラヴ」を観ました。父親と娘の関係について考えさせられる内容でした。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
島本理生直木賞受賞小説を、『スマホを落としただけなのに』などの北川景子主演で映画化したサスペンス。北川演じる公認心理師が、父親を殺した女子大生の事件に迫る中で、犯人の心の闇とともに自身の過去とも向き合っていく。監督を『明日の記憶』などの堤幸彦、脚本を『彼女がその名を知らない鳥たち』などの浅野妙子が担当する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「アナウンサー志望の女子大生、聖山環菜が父親を刺殺する事件が発生。環菜のドキュメンタリー本の執筆を依頼された公認心理師の真壁由紀(北川景子)は、面会や手紙のやり取りを重ね、環菜の周囲の人々を取材する。環菜に自身の過去を重ね合わせた由紀はやがて、心の奥底にしまっていた記憶と向き合うことになる」です。

 

まず、この映画はなんといっても主演の北川景子が美しかったです。女子大生を演じたシーンは、さすがに辛いものがありましたが。この日に訪れたシネコンでは、本作以外にもブログ「約束のネバーランド」ブログ「さんかく窓の外側は夜」で紹介した上映作にも出演していました。同時に3つの出演作が公開されているというのはかなり凄いことで、今や押しも押されぬ日本映画界を代表する女優であると言えるでしょう。また、彼女はことごとく後輩の共演女優の憧れの対象になるようで、浜辺美波も、平手友梨奈も、芳根京子も、一様に好意を寄せていました。女優が憧れる女優ということで、まさに北川景子は「女優の中の女優」と言えますね。主産後もその美しさは変わらず、大女優の道を突き進んでいます。KK無双!



父親を殺害した容疑をかけられた聖山環菜を演じた芳根京子は、難しい役でしたが、非常に良い演技だったと思います。じつは、わたしは彼女の演技を見るのは初めてです。2018年の公開映画で、土屋太鳳とダブル主演を務めた『累 ーかさねー』を観ようかと思ったのですが、結局は観ませんでした。彼女は、中学2年生でギラン・バレー症候群を発症し、1年ほど学校に通うことにも難儀しましたが、その後克服したそうです。都立高校1年生のとき、ライブ会場でスカウトされ芸能界入り。NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」のヒロインをはじめ、ドラマや映画で多くの役を演じています。



北川景子演じる公認心理師の真壁由紀には、窪塚洋介演じる夫がいます。この夫は、プロの写真家になる夢を諦めて家業の写真館を継いでいます。仕事で外を駆け回る由紀にとって非常に理解を示してくれるし(彼女の過去にも理解あり)、いつも美味しい料理も作ってくれるし、とても「都合の良い」夫です。まあ若い女性から見たら「こんなダンナさんがいたら、いいよね~」を絵に描いたような人物です。窪塚洋介というと非常にエキセントリックなイメージがあったので、こんな理想の夫を演じたのがちょっと意外でした。この物語には、原作者である島本理生の男性観が反映されているように感じました。



原作者の男性観は良いイメージだけでなく、逆に悪いイメージも反映されています。由紀の父親も、環菜の父親も、もう絵に描いたような「最低の父親」なのですが、「ここまでの”クズ”として描かなくても・・・」というくらい、キャラクター設定に極端なものを感じてしまいました。わたしは、この映画の予告編を最初に見たとき、「父が娘を犯す近親相姦の物語かな?」と思ったのですが、「まさか、いまどき、そんな安直なストーリーはないだろう」とも思いました。実際に鑑賞してみて、やはりそんな安直なストーリーではありませんでしたが、少女を苦しめる大人の男というステロタイプの印象は持ちました。


由紀も、環菜も、父親にネガティブな感情を抱いています。それがトラウマとなって、後にとんでもない事件に繋がっていくわけですが、2人の父親に非はあったにせよ、それ以上に2人の母親がダメだと思いました。だいたい父親に悪感情を抱いている娘というのは、母親が父親の悪口を娘に吹き込んでいることが多いようですが、由紀の母はその典型でした。なにしろ、由紀の成人式の日に父親の悪行を告白するのです。そのおぞましさに、由紀は晴れ着姿にも関わらず嘔吐するのですが、娘の晴れの日にそんなことを言う母親がどこにいるでしょうか? 環菜の母親も、夫(環菜の父親)に大きな引け目があることもあって、娘の心が悲鳴を上げているのに、まったく救おうとしませんでした。



この映画を観て、2人の父親のわかりやすい欠点よりも、2人の母親の陰湿な悪意のほうが怖いと思いました。もともと、娘というものはある年齢になると父親に不潔感を抱くものなのです。それは生物としての本能であり、男性である父親と女性である娘が恋愛関係になったり、ひいては近親相姦しないように働く自然のメカニズムなのです。「パパが好き」とか「パパと結婚したい」などと無邪気に言うのは幼い頃の話であり、思春期を過ぎてまで娘がそんなことを言っていては危険ですし、それを聞いて喜んでいる親父ははっきり言って馬鹿です。女子大生のインスタなどには、父親と一緒の写真にハートマークをつけて「大好きなパパと」とか書き込んでいる子もいます。しかし、それは危険&馬鹿丸出しであり、父娘ともに評価を下げるので止めたほうがいいですね。わたしも2人の娘たちが幼い頃には「パパ大好き!」とかよく言われましたが、今では絶対に言ってくれません。


ところで、由紀は公認心理師という設定です。映画で描かれる公認心理師の仕事は興味深かったです。わたしはグリーフケアの研究および実践を行っていますが、ケアにはグリーフケアだけでなく、スピリチュアルケアと称される一連の「こころのケア」があります。一般に、心理師は自分が話すよりも相手の話を聞けということで、とにかく「傾聴」が重視されていますが、じつはケアの現場では傾聴だけでは立ち行きません。まずはケアを行う者が心を開いて自分の心の闇をカミングアウトしないと、ケアを受ける者も心を開かないのです。その意味で、由紀が自分のトラウマを告白して、初めて環菜の心が動いた場面が印象的でした。ちなみに、グリーフケアにおいて、わたしは両親も健在ですし、祖父母以外で家族を亡くした経験もないので、カウンセラーとして弱いと自覚しています。



最後に、イケメン弁護士を演じた中村倫也が良かったです。彼は良い意味で「軽い」ところがあるので、存在が邪魔になりません。年齢は北川景子と同じ34歳ですが、女子大生を演じた北川景子の違和感と違い、中村倫也の大学生姿はすごく自然でした。高校1年生のときに所属事務所からスカウトを受けたそうです。所属事務所で演技を学び、2005年に映画「七人の弔」で俳優デビュー。芸能生活10周年の2014年に「ヒストリーボーイズ」にて舞台初主演。同作により第22回読売演劇大賞優秀男優賞受賞。



2018年、NHK連続テレビ小説半分、青い。」で朝井正人役で出演し、ブレーク。同年、Yahoo!検索大賞を俳優部門で受賞しました。2019年、オーディションによって実写版「アラジン」で主人公 アラジンの吹き替えを担当。起用の決め手となったのは中村の「ホール・ニュー・ワールド」の歌声だったといいますが、彼はとにかく声がいいですね。「ファーストラヴ」では弁護士役でしたが、あの声で弁護されたら、陪審員は「無罪!」と言いたくなるのではないでしょうか。ちなみに、もし「鬼滅の刃」が実写映画化されたら、彼には鬼殺隊当主・産屋敷耀哉を演じてほしいと思います。顔も雰囲気も似ていますし・・・・・・。

 

2021年2月12日 一条真也

汚された五輪

一条真也です。
建国記念の日」の今日、東京オリンピックパラリンピック大会組織委員会の森会長は、女性蔑視発言を受け、辞任する意向を固めて政府などに伝えたそうです。辞任を否定していた森会長が一転して辞任を決意した背景には、「謝罪したので解決済みの問題」などと言っていたIOCが手の平を返したように、森会長の退任を要求したからだと見られています。 

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ヤフー・ニュースより

 

スポーツ・マフィアとでも呼ぶべきIOCには絶対に逆らえない相手がいます。アメリカのTV局であるNBCです。中日スポーツが配信した「兆単位の五輪放映権料を支払うNBCも森会長の辞職迫っていた『去らねばならない。聖火を落とした』」には、「目もくらむ大金がかかるだけに、舌鋒も鋭い。五輪の放映権料を支払う米コムキャスト傘下の放送局NBCは10日、女性蔑視発言で炎上する東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長(83)を『去らねばならない。聖火を落とした』と批判。さらに、国際オリンピック委員会(IOC)にも森会長へ退陣を迫るよう要求した」と書かれています。



コムキャスト傘下のNBCユニバーサルは2011年、東京まで夏季・冬季五輪4大会の放映権料44億ドルでIOCと合意。14年は、22年からの6大会分を同77億ドルで合意した。計10大会で、日本円にして総額約1兆2700億円です。当時は「リスキーすぎる投資額」とも報じられましたが、夏季五輪に関しては、前回大会のリオで最高記録のテレビCM料12億ドル(約1260億円)を売り上げ、単一五輪の利益で2億5000万ドル(約262億5000万円)は新記録だったそうです。



東京五輪は20年3月時点でCM枠が10%しか残っておらず、CM料も記録更新の12億5000万ドル(約1313億円)を売り上げていたそうです。記事には「NBCは日本や東京都、IOCと一蓮托生。森会長とIOCの失態で五輪中止の機運がさらに高まり、爆発すれば、天文学的な損失を被ることになる」と書かれていますが、そもそも一民間企業に過ぎないNBCがそこまでのカネをIOCに支払うというのが常軌を逸しています。これでは完全にNBCによる五輪の私物化です。日本のプロ野球の「サンヨー・オールスターゲーム」のように「NBCオリンピック・ゲーム」に大会名を変更するべきだと思います。



そもそも、アマチュア・スポーツの祭典にこのような偏ったカネが流れていること自体、「もう、オリンピックは終わった」と思わずにいられません。五輪を興行ビジネスと見るのはまだしも、投資ビジネスにしてはなりません。わたしも経営者の端くれではありますが、「なんか資本主義って、本当に嫌らしいな」と思ってしまいます。今回の森会長の辞任については、「それでは東京五輪そのものが開催できなくなる可能性がある」などと危惧する意見もあるようです。自民党の最長老である森会長しか交渉できない案件だというわけですが、国民の80%が東京五輪の開催に反対している現状では、国民は喜ぶだけではないでしょうか。もともと、今回の騒動は「森会長やめろ!」ではなく、「東京五輪やめろ!」が本質だからです。



五輪が中止になれば、電通やJTBが倒産するなどという人もいますが、それも仕方ありません。コロナ禍で日本中の飲食店や観光地が危機的状況に陥っているのに、どうして最大手の企業だけを税金で助けなければいけないのでしょうか? 東京五輪が中止になれば、コロナ禍で苦しむJALやANAのように、電通やJTBも経営努力するしかありません。わが冠婚葬祭業界も新型コロナウイルスの感染拡大を受けて甚大な被害を受けていますが、わが社を含めて各社は必死に自助努力を重ねていますよ。それにしても、IOCなんてものはロクなものではありませんね。カネ・カネ・カネで、昭和の日本プロレス時代に力道山の周囲にいたプロモーターみたいなもんですな。



そもそも、現在の五輪ほど虚構性の高いイベントはありません。ひたすら「世界最大のスポーツの祭典」という虚構を膨らまし続けていますが、世界3大球技と呼ばれるバスケット、バレー、サッカーはそれぞれ独自の国際的な組織と世界選手権に至る競技日程を持っています。また、水泳、陸上、テニス、ラグビー、卓球、ゴルフなどの競技も五輪が頂点とはなりません。そこでIOCはそれらメジャーな競技の国際連盟補助金を注いで何とか繋ぎ止めて体裁を繕ってきたのです。さらには、他に何かテレビ映りのよさそうな新奇な競技はないかと探し回り、これが本当にスポーツと言えるのかと思うような曲芸まで参加させようとしました。結果、いたずらに大規模化が進み、33競技339種目にまで膨らみました。


どうしても五輪を続けたいのなら、前々から言われているように、開催地をギリシャに固定し、競技も1896年第1回アテネ大会と同等の10競技40種目程度に減らして続けるべきでしょう。さらに言えば、わたしはオリンピックを本来の儀式に戻すべきであると考えています。わたしが現在の商業主義にまみれたオリンピックに強い違和感をおぼえているのは事実ですが、クーベルタンが唱えたオリンピックの精神そのものは高く評価しています。


儀式論』(弘文堂)

 

拙著『儀式論』(弘文堂)の第11章「世界と儀式」では、「儀式としてのオリンピック」として、「オリンピックは平和の祭典であり、全世界の饗宴である。数々のスポーツ競技はもちろんのこと、華々しい開会式は言語や宗教の違いを超えて、人類すべてにとってのお祭りであることを実感させるイベントである」と書きました。その意味で、オリンピックが「国威発揚」の場となっているという高野氏の発言には違和感があります。基本的に儀式富国論者であるわたしは、参加各国がそれぞれオリンピックで国威発揚すればいいと思っています。その結果の「平和の祭典」というのは矛盾しません。


また、わたしは、「古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説あるが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説がある。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになろう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されたが、このことは人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じる。アテネオリンピックは、20世紀末に起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできるからである」と書いています。



さらには近代オリンピックについて、わたしは「オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活した。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げる。『アマチュアリズム』の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできない。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにする。2020年の東京オリンピックをめぐる問題でも明らかなように、大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、今や、巨額のマーケットとなっている」と書きました。そのオリンピックという巨大イベントを初期設定して「儀式」に戻す必要があると強く思います。

 

2021年2月11日 一条真也

日本人には和が似合う

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一条真也です。
2月11日は「建国記念の日」ですね。
日本は「和」の国として知られています。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「日本人には和が似合う」という言葉を取り上げることにします。2003年に刊行された『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)で初めて提唱した言葉です。

結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)

 

わたしは、この言葉を和装ルネッサンスのキーワードとして考えました。現在のブライダル・シーンはウエディングドレスが主流です。和装の人気はどんどん下がっており、ドレスしか着ない新婦さんが増えてきました。わたしは、とてももったいないことだと思います。なぜなら、日本人の女性は和装が一番似合って、一番美しく見えるからです。

 

肌の色や体型に合わせて、日本の女性を最も美しく見せるようにデザインされたものが和装なのです。それを、フランス人やイタリア人やアメリカ人のモデルを使った写真を見て自分が日本人であることを忘れ、一生に一度の結婚式にドレスしか着ないというのは、どう考えてももったいない話です。後から後悔しても遅いのです。これから結婚式をされる新婦さんは、ぜひ、「和装がいいか、悪いか」と悩むのは後回しにして、写真の前撮りのときだけでも和装を着られることをお薦めします。

 

グローバル化の時代は同時にまたローカル化の時代です。一方で世界共通のスタイルが生み出されるのと同時に、それぞれの地域や場所が、その独自の個性を育てます。世界の社会学者たちは、これを「グローカリズムの時代」と表現しています。まさにグローカリズムの時代では、和装を着ることがスタイリッシュになるのです。


和装は日本人の民族衣装です

 

言うまでもなく、和装は日本人の民族衣装です。それを忘れてはなりません。結婚式のとき、韓国の人たちはチョゴリを着ますし、インドの人たちはサリーを着ます。その他、タイ、ハンガリーウクライナチェコスロバキア、そしてイスラム教圏・・・・世界中の人々が自分たちの民族衣装を身にまとい、結婚式にのぞみます。日本の結婚式には、やはり和装がないと物足りません。和装が似合うのは、新婦だけではありません。新郎の和装姿はりりしい「侍」を連想させ、男ぶりを大いに上げます。


和を求めて』(三五館)

 

わたしは日本人の「こころ」は神道・仏教・儒教の三つの宗教によって支えられていると思っています。「礼」は儒教の、「慈」は仏教の、そして「和」は神道の核心をなすコンセプトです。「和」といえば、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立しました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞は「和国の教主」と呼んだことはよく知られます。 しかし、太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたのです。


「礼」「慈」「和」が揃いました!

 

太子は、宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・三つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していきました。

神仏儒ハンカチセット」とともに

 

「和」は大和の「和」であり、平和の「和」です。終戦70年を迎えた2015年に上梓した『和を求めて』(三五館)には「日本」と「平和」をテーマにした文章を集めてみました。さらには、コロナ禍の中の日本にあって社会現象まで起こした「鬼滅の刃」にも「和」の精神が溢れています。あの物語が大ヒットした理由は、日本人の心の奥底に触れて、老若男女の魂を震わせたからです。そして、その魂の別名を「和魂」というのです。そのあたりを『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)には詳しく書きました。

f:id:shins2m:20210124173411j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 

 

2021年2月11日 一条真也

死を乗り越えるニーチェの言葉

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人間だけがこの世で苦しむ。
そこで、笑いを発明せざるをえなかった。ニーチェ

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)の言葉です。ニーチェは、ドイツの哲学者、古典文献学者。実存主義の代表的な思想家の1人として知られます。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的な表現には文学の香りがします。

 

 

「神は死んだ」
この言葉はニーチェの思想を象徴している言葉です。それまで西洋に置いて、世界に意味を与えてきた神を否定する言葉でした。日本人にはなかなか理解できないかもしれませんが、その意味のもつ大きさは、それまでの規範を否定するほどのものだったわけです。

 

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)
 

 

積極的に生を肯定するニヒリズムの態度を「積極的ニヒリズム」といいますが、生を能動的に受け入れた言葉だと思います。ここに紹介した「人間だけがこの世で苦しむ。そこで、笑いを発明せざるをえなかった」という言葉の中には、笑いを発明して生きていこうという、人間の生への執着を感じてしまいます。ニーチェはこの積極的ニヒリズムのもと、自らを創造的に展開していく「超人」になることを主張しました。

 

善悪の彼岸 (岩波文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)

  • 作者:ニーチェ
  • 発売日: 1970/04/16
  • メディア: 文庫
 

 

「超人」という神を超える存在を予見しなら、自らは発狂してしまいます。ニーチェは肺炎を患って五五歳で没しました。発狂前に「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との遺言を残しましたが、妻はニーチェの友人に参列を許さなかったといいます。葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれました。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

2021年2月11日  一条真也

東京から北九州へ!

一条真也です。
10日の朝、東京のホテルの客室で目を覚ましました。とても爽やかな気分です。窓のカーテンを開けると、東京の景色がよく見えました。昨日同様に富士山もよく見えました。わたしは「富士山が見えると良いことがある」と信じているのですが、昨日は本当に良いことがありました。詳しくは、ブログ「富士山を見たら良いことがある!」をどうぞ! 

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今朝のホテルの客室からの眺め(左端に富士山!)

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今朝も富士山が拝めました

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新国立競技場

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迎賓館赤坂離宮と新宿副都心

 

富士山の右に視線を移すと、新国立競技場も見えました。言わずと知れた東京五輪の開会式・閉会式の会場です。いよいよ開催の雲行きが怪しくなってきた東京五輪ですが、わたしは「早く中止を発表しないと、アスリートたちが気の毒だ」と思いました。さらに視線を右に移すと、迎賓館赤坂離宮や新宿副都心が見えました。わたしが新宿を訪れたのは、ブログ「紀伊國屋書店新宿本店『命』フェアで拙著が選ばれました!」に書いた昨年11月26日以来です。現在、紀伊國屋書店新宿本店さんは拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)をたくさん売って下さっています。ぜひ、日本一の書店をまた訪問したいです!

 

f:id:shins2m:20210210184041j:plainアメリカン・ブレックファースト」を食べました
 

わたしは、フレッシュ・トマトジュースとコーヒーとクロワッサンとオムレツとカリカリ・ベーコンとヨーグルトの「アメリカン・ブレックファースト」を食べた後、9時から11時までホテルのラウンジで「出版寅さん」こと内海準二さんと打ち合わせをしました。主に『「鬼滅の刃」に学ぶ』のプロモーションと、今後の出版計画について意見交換しました。それからホテルを出て、羽田空港に向かいました。

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羽田空港の前で

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羽田空港のようす

 

羽田空港は思ったよりも人が少なかったです。まだ緊急事態宣言の最中なのだということを再認識しました。わたしはラウンジに入って、メールのチェックなどをした後、読書をしました。ジャック・アタリの『命の経済』(プレジデント社)という本です。同書には、「パンデミック後、新しい世界が始まる」というサブタイトルがついています。

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羽田空港のラウンジにて

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読書をしました 

 

ヨーロッパ随一の知性が同書で訴えるのは、事実から目を背けずに向き合い、真実を語ることの重要性です。博覧強記のアタリ氏が、2020年のロックダウン下のフランスで書き上げ、日本語版刊行を前に、最新のデータに基づく加筆を行った渾身の一冊です。米中という二つの大国のひずみが露呈したいま、今後の世界の覇権を握るのは誰なのか。ヒトとモノの移動が制限されるなか、未来の個人、企業、国家は何を指針としていくべきか。非常に興味深い内容です。

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機内のようす(不織布マスク!)

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再び『命の経済』を読み耽る!

スターフライヤー81便に登場すると、いつものように黒のウレタンマスクを白の不織布マスクに替えました。最近は「不織布警察」という自警団もあるそうで、物騒な限りですね。機内では、再び『命の経済』を読みました。本書でアタリは、世界にまたがる自身の情報ネットワークを駆使して今回の危機の真相を明らかにし、パンデミック後の世界を克明に描きます。なんと、「死」や「葬儀」についての言及も多く、わたしは夢中になって読み耽りました。

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北九州空港に到着しました

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北九州空港の小倉祇園祭の山車の前で

 

北九州空港には15時40分に到着しました。出口のところに小倉祇園祭の山車が展示されていました。昨年の夏は、新型コロナウイルスの感染拡大防止を受けて小倉名物の太鼓の祭も行われませんでした。博多の山笠も、京都の祇園祭も行われませんでした。日本の夏祭りには「疫病封じ」と「先祖供養」という2つの大きな目的があり、これが封じ込められたこと、また各地の盆踊りが中止されたことがトリガーになって「鬼滅の刃」が社会現象になるほどのブームになったというのが、わたしの推論です。詳しくは、ブログ「『鬼滅の刃』は夏祭りと盆踊りの代わりだった?」をお読み下さい。

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北九州空港の前で 

 

次回は今月16日の全互協の儀式継創委員会の会議、17日の正副委員長会議にリアル出席するために東京に行く予定でしたが、リモート会議でも参加可能になったので、次回の東京出張はパスしたいと思います。とにかく東京に行っても、食事をする場所にも困ります。ホテルをはじめ、各種のサービス業が機能不全になっており、不便この上ありません。東京都も、福岡県も、早く緊急事態宣言が解除されますように!

 

2021年2月10日 一条真也拝 

「パリの調香師 しあわせの香りを探して」 

一条真也です。
東京に来ています。9日、冠婚葬祭文化振興財団が主催する絵画コンクールの審査会に参加した後、日比谷で出版の打ち合わせをしました。その後、夕方の打ち合わせまで時間があったので、ヒューマントラストシネマ有楽町でフランス映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」を鑑賞。東京で映画を観るときは、東京でしか上映されていない作品、それも仕事の参考になるような作品を観るようにしています。この映画は、いろいろと考えさせられる内容でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「パリを舞台に、返り咲きを狙う調香師と人生がけっぷちの運転手の奮闘を描くバディムービー。調香師と運転手が、お互い自分にない部分を補いながら共に仕事をこなしていく。グレゴリー・マーニュが監督と脚本を手掛け、『ヴィオレット ある作家の肖像』などのエマニュエル・ドゥヴォスが調香師、ドラマシリーズ『エージェント物語」』などのグレゴリ・モンテルが彼女の運転手を演じ、『ハリー、見知らぬ友人』などのセルジ・ロペスらが共演している」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「調香師のアンヌ(エマニュエル・ドゥヴォス)は世界中のブランドと仕事をし、クリスチャン・ディオールの香水『ジャドール』などをヒットさせてきた。だが、4年前に多忙と仕事のプレッシャーから突然嗅覚障害を発症し、それまでの地位を失ってしまう。今は嗅覚も戻り、地味な仕事だけをこなしながら静かに暮らす彼女は、元妻と娘の親権でもめているギヨーム(グレゴリ・モンテル)を運転手として雇う」

 

パリの香水業界が舞台で、エルメスディオールが協力しているということで、エレガントな美女が主役の洗練されたオシャレな映画を持っていたのですが、その予想は裏切られました。正直言って、主役の調香師アンヌを演じたエマニュエル・ドゥヴォスはあまり魅力的な女性とは言えず、とにかく人生に疲れた感がハンパないです。そんな彼女に運転手として雇われたギョームを演じたグレゴリ・モンテルはなかなか良い味を出していました。「映画.com」で、映画評論家の佐藤久理子氏は「本作がユニークなのは、男女の話の場合、かなりの割合で誘惑と欲望に結びつくフランス映画において、そんな紋切り型を粋なやり方でかわしていること」と書かれていますが、「それは単に女性に魅力がなかっただけでは?」と思ってしまいます。フランス映画なら、相手がソフィー・マルソーとかだったら、男性も黙ってはいないでしょう。はい。

 

ただ、アンヌとギョームの間には恋愛感情を超えた「人生の同志」的な絆を感じます。まったく異なる世界で生きてきた2人が、それぞれに困難を抱えながらもた支え合い、助け合うことで障害を乗り終えていく姿を描いています。まるで、菅首相が就任時に決意表明で述べた「自助、共助、公助、そして『絆』」みたいな関係ですが、現在のコロナ禍で世界中が困難な状況に直面している今、この2人の姿は観客の胸を打つものがあります。本来、夫婦がそのような関係にあるべきなのでしょうが、アンヌは独身で、ギョームも離婚しています。 

 
しかし、離婚した元妻が育てている10歳の娘とは心を通わせていて、観ていて暖かな気分になりました。わたしも含めて、日本には、娘とのコミュニケーションがうまく図れなくて悶々としている父親が多いように思いますが、その意味でフランス人は感情表現がストレートゆえに親子の心の交流も順調なようで、羨ましく感じました。特に、娘との面会日にギョームが海に連れて行き、父娘で浜辺で戯れるシーンが幸福感に溢れていて、良かったですね。フランス映画の名作「男と女」には恋する2人が浜辺で抱き合う名シーンがありますが、フランス人にとって海辺の砂浜というのは幸福を連想させる場所なのでしょうか。

 
主人公のアンヌは、仕事のプレッシャーと忙しさで、突如、嗅覚障害になり地位も名声も失ってしまいました。嗅覚が戻った現在はエージェントから紹介される企業や役所の地味な仕事だけを受けています。他人と関りを持たず、パリの高級アパルトマンでひっそりと暮らしているわけですが、そんなアンヌに対してギョームは、「人間は香りだけじゃないよ」と言います。たしかに、人間は香りだけではありません。顔もあれば、髪もあれば、身体もある。そして、何よりも心があります。そういった全体性を見ないで、香りだけを追求しても始まりません。それにしても、新型コロナウイルスの感染拡大で、世界から香りが消えました。みんながマスクをしている現在、良い香りを嗅げないのとととも、悪臭に我慢しなくてもよくなりました。コロナ時代は「香りのない時代」と言えるでしょう。

 
アンヌは、いつも不機嫌でイライラしています。運転手であるギョームが引ったくりを撃退してくれても感謝の言葉すら口にしません。「お願い」も「ありがとう」も言わず、ひたすらギョームをこき使うアンヌですが、次第に彼の真心に感化されて、「お願い」や「ありがとう」という言葉を使うようになります。じつは、今日、絵画の審査会をしたときに冠婚葬祭互助会の某大手の社長さんが「今日は、久々に会話ができて楽しかった」とわたしに言うので、「会社では会話をしないのですか?」と質問したところ、「会社では何を言っても、社員にとっては指示でしかないから」と言われました。部下に何か言って、それを単なる指示ではなくて会話に変える魔法の言葉が「お願い」と「ありがとう」ではないかと思いました。

  
ところで、パリを舞台にした香水がテーマの映画といえば、2006年のドイツ映画「パフューム ある人殺しの物語」が思い出されます。「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクバが監督を務めました。パトリック・ジュースキントによるベストセラー小説を映画化したサスペンスドラマで、18世紀のパリの魚市場で生み捨てられたジャン=バティスト・グルヌイユの数奇な人生を描いています。超人的な嗅覚を持っていた彼は、ある日、街で出会った女性の香りに取り憑かれます。その香りを再現するために、彼は香水調合師に弟子入りする。やがて、パリでは若く美しい女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生するのでした。非常に妖しくエロティックな物語で、「香り」の持つ魔力を見事に描いた名作でした。

  
また、香水といえば、昨年大ヒットした日本の男性ミュージシャン・瑛人の楽曲「香水」が連想されますね。瑛人が恋人と別れて3か月くらい経ったときに作られた曲だそうです。彼が働いていたハンバーガー屋のオーナーがドルチェ&ガッバーナの香水をつけており、一緒に朝まで遊んだ際にオーナーに「香水持ってて」と言われて、預かったまま帰宅。その後、渋谷で友達とセッションしたときになんとなくその香水をつけ、落ち込んでいる気持ちなどを全部吐きだし歌い、匂いについて歌う部分で歌詞が自然に出てきたとか。曲の大ヒットを受け、ドルチェ&ガッバーナの香水の売上が増加し、デザイナーであるドメニコ・ドルチェステファノ・ガッバーナも本作について「知っていますよ! とてもうれしく思っています。ありがとう!」とコメントしています。

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香をたのしむ』(現代書林)

 

そもそも、香水とは何のためにあるのか。そして、「香り」とは何なのでしょうか。かつて、わたしは『香をたのしむ』(現代書林)という本を書きました。同書の帯には「そう、香りが、人生を、そして世界を豊かにする!」と大書され、「もし香りというものがなかったら、わたしたちの人生は何と味気ないものになっていることでしょう」と書かれています。また、同書の中で、わたしは「香り」の文学の金字塔といえるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を取り上げました。この作品は「20世紀最高の小説」などの非常に高い評価を受けていますが、その長さでもよく知られています。なにしろ、わたしの手元にある井上究一郎訳の「ちくま文庫」版でも全部で10巻あり、しかもそれぞれ500ページから800ページ近いボリュームなのです。この長大な小説は、1913年から1927年にかけて書かれました。

 

 

内容は、第一次世界大戦前後のヨーロッパのベル・エポックの世相風俗を描くと同時に、社交界に生きる人々の俗物性を徹底的に暴いています。では、なぜ、この長大な作品が西洋を代表する香文学なのか。それは、第一篇「スワン家のほうへ」の冒頭場面に次のような重要なシーンが登場するからです。物語の語り手であるマルセルはマドレーヌ菓子を紅茶に浸して食べますが、その香りから幼少時代の記憶が一気に思い出されるのです。そこから壮大な物語ははじまります。とにかく、この出来事をめぐってフランス語の原書で3000ページもの小説を書き上げたということ自体が驚嘆に値しますし、プルーストの文学的才能を物語っていると言えるでしょう。

 

 

母親から出されたスプーン一杯の紅茶とマドレーヌを口元に運んだとき、マルセルは身震いし、「すべてを支配する喜び」に満たされます。漠然とした懐かしさに圧倒された彼は、この「いつか嗅いだことのある香り」の原因を必死で突き止めようとします。懸命な努力の結果、ついに記憶はよみがえります。それはマルセルが子どもの頃こと、日曜日の朝に、レオニ叔母さんが紅茶に浸したマドレーヌを彼に食べさせてくれたのでした。この描写は大変なインパクトを世界中の読者に与えました。そして、嗅覚によって過去の記憶が呼び覚まされる真理現象を「無意識的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ばれるまでに至ったのです。

 

匂いの人類学 鼻は知っている

匂いの人類学 鼻は知っている

 

 

でも、「プルースト現象」はプルーストのオリジナルではなかったようです。アメリカの心理学者にして嗅覚専門の認知科学者であるエイヴリー・ギルバートの刺激的な著書『匂いの人類学』(勅使河原まゆみ訳・ランダムハウス講談社)によれば、プルーストが「失われた時を求めて」の執筆に取り組んでいた当時にも、嗅覚と記憶との結びつきを探求していた人々がいたというのです。たとえば、1903年、アメリカの医師であるルイーズ・フィスク・ブライソンは女性向けファッション誌『ハーパース・バザー』で、「たぶん、香り、香水には、過去の輝かしい光景を奇跡かと見紛うほど鮮明によみがえらせる効果があるのでしょう」と述べています。

 
また、1908年にイギリスの雑誌『スペクテイター』に掲載された「匂いと記憶」というエッセイには、不意の匂いがいかにして「何キロメートルもの隔たり」と「何十年もの年月」を消し去るのかが述べられ、匂いを嗅ぐ行為を「魔法の絨毯」に乗っているイメージにたとえて説明しています。その五年後に、プルーストは嗅覚記憶を『アラビアン・ナイト』の魔神の魔術で運ばれる感覚にたとえているのです。もちろん、プルーストが「プルースト現象」の発見者でなかったにしろ、意識の流れに与える嗅覚の重要性を世界中にアピールした最初の人物がプルーストであった事実に変わりはありません。

  

時をかける少女 (角川文庫)

時をかける少女 (角川文庫)

 

 

このように『失われた時を求めて』は近代、そして西洋を代表する「香り」の文学でした。プルーストはフランス人ですが、「目に見えないもの」の価値を説いた『星の王子さま』のサン=テグジュペリもフランス人でした。いずれにせよ、「香りは文化のバロメーター」と言われますが、熟成した香りの文化は最高の香りの文学を誕生させたわけです。そして、わたしは「香り」が「魔法の絨毯」にたとえられたことを非常に面白く感じます。たしかに香りには、空間も時間を超越する不思議な力があります。中国茶の香りを嗅げば意識は中国に、インドの香を嗅げばインドに飛びます。また、日本にはラベンダーの香りを嗅ぐことによって時間を超えてしまう筒井康隆の『時をかける少女』というSFの名作があります。

 

嗅覚について、さらに考えてみましょう。あらゆる香りは、鼻から体の中に入ります。それが自律神経やホルモンの分泌を促す脳下垂体に伝わりますが、よい香りは人体によい影響を与えるようです。人間は五感というものを備えています。もともとは古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって記述されたそうですが、すなわち「視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚」の五つの感覚のことで、具体的には「見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わう」といった感覚をいいます。このうち視覚・聴覚・嗅覚の三つの感覚は、外部からの情報を目と耳と鼻がキャッチするものです。その中でも一番活躍するのが目です。人間は日常生活の中で、外界からの情報の多くを目から取り入れています。「人間は視覚動物」だと言われるゆえんです。

  

 

では、嗅覚は何のために必要なのでしょうか。花のよい香りを吸って心地よくなったり、肉の焼けるいい匂いを嗅いで、食欲が湧いてきたりするためでしょうか。理学博士の外崎肇一氏は、著書『「におい」と「香り」の正体』(青春出版社)に「嗅覚はもっとも自覚されない感覚であるが、例えば、腐ったものを食べようとした瞬間、ツーンというにおいを嗅げば、人はそれを口に入れずにすむ。鼻でしか感知できない大きな生命の危機に、ガス漏れもある。フェロモンなどといわれるように、女性のいい香りを嗅げば、男性はフラフラッと吸い寄せられる。これは子孫繁栄のために、なくてはならないにおいである。」と書いています。外崎氏によれば、五感はすべてが補完関係にあり、どれが欠けてもかなり不自由な生き方を余儀なくされるとのことです。その通りでしょう。

 

 

どうしても視覚に独占されそうな五感ですが、「目に見えないもの」の大切さを説く思想がこの世にはたくさんあります。仏教やキリスト教などの宗教の教えがまさにそうですし、哲学でも物の背後に潜む本質的実在を重んじるプラトンの「イデア説」なども、目には見えないものを大切にする考えです。わたしの愛読書であるサン=テグジュペリの『星の王子さま』の全体に流れるメインテーマも「大切なことは目に見えない」です。わたしは、いま、これをサービス業に携わる者の心得として、いつも社員に話しています。自分たちの仕事は、「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といった目に見えない大切なものを扱う素敵な仕事なのだと語りかけています。

 

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

  

さらに、サン=テグジュペリは「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」と、作中に登場するキツネに語らせています。心で見るとは、どういうことでしょうか。それは、「感じる」ということです。「心で見る」とは「感じる」と同じ意味なのです。そこで、「共感」というキーワードが出てきます。ホテル業や冠婚葬祭業に携わるサービスマンも「共感」する感性を研ぎすますことで、お客様が考えていること、求めていることを瞬時にキャッチできるようになります。大事なのは、「同感」ではなく「共感」なのです。サービスマンは、お客様とまったく同じ立場にはなれません。しかし、それぞれの立場を想像し、限りなくその心情に近づいてことはできます。そして、「共感」とともに「気づき」というものが大事です。「心で見る」というのは「気づく」ということでもあります。気づく人は、人が困っていたりするのが見えるわけですから、すぐにサポートしてあげることができます。また、気づく人は、人が喜んでいるときにもそれに気づくので、一緒に喜んであげることができます。気づかない人というのはサービス業では失格ですね。

 

 

わたしは、「目に見えないもの」とは「香り」に通じるのではないかと思います。もちろん「音」も「目に見えないもの」です。「香り」も「音」も、目に見えないものが存在することの証明となります。でも、聴覚は嗅覚に比べてもっとしっかりとした感覚です。目に見えなくとも耳で聞こえれば、そのものの存在は判別できます。でも、香りは違います。よほど強い香りでなければ、かすかに漂う香りを嗅ぐことは気配を感じることに限りなく近いと言えます。つまり、「共感」や「気づき」という心の働きと、香りを嗅ぐという嗅覚の働きは似ているのではないでしょうか。なお、『ジャングル・ブック』などの著書で知られるイギリスの作家キプリングは、「嗅覚は、視覚や聴覚より、人間の心の糸をかきたてる」と述べています。その意味で、映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」で、ギョームがアンヌに「お願い」や「ありがとう」という言葉を教えてあげたことは「共感」や「気づき」という心の働きの大切さを教えてあげたことにほかならず、アンヌが「香り」を生み出す上で最高のアドバイスだったのです。

  

2021年2月10日 一条真也

富士山を見たら良いことがある!

一条真也です。
東京に来ています。コロナ関係による諸般の事情で、久々に以前の定宿に泊まったのですが、朝起きたら、ホテルの客室から見事な富士山が見えました。

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ホテル客室からの眺め

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富士山が見えました!
 

ブログ「富士山さえあれば」にも書きましたが、わたしは富士山を見ると勇気が湧いてきて、「良いことあるぞ!」と思います。その後、冠婚葬祭文化振興財団が主催する絵画コンクールの審査会に参加しましたが、そこに映画プロデューサーの方が来ておられました。前にお会いしたときに、グリーフケアの映画を製作して来年公開するというお話を伺っていたので、グリーフケアの書である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)をプロデューサーと監督のお二人にお送りしたところ、非常に気に入って下さいました。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

そして、今日なんと同書が映画の原作になることに決まりました。大変名誉なことであると喜んでいます。映画の原作者になるのは初めてです。富士山を見たら、本当に良いことがありました! 『愛する人を亡くした人へ』の帯には「『さみしさ』という深い闇の中で月あかりに導かれているような温かさを感じました。――」「愛する人を亡くしたとき、人はその悲しみ、喪失感にどう立ち向かっていけばいいのか。――死に直面した人の心に、愛という水を注ぎ込む、現代人のための心の書」と書かれています。わたしは、さまざまな葬儀に毎日のように立ち会っていますが、残された遺族に何より必要なのが悲しみを癒すグリーフケアであり、「死は決して不幸な出来事ではない」という物語だと確信しています。そのことを満ち欠けする月に合わせた手紙に託して書いた本です。



来年公開のグリーフケア映画は、セレモニーの志賀社長(全互協広報・渉外委員長)の発案で動き出したものです。志賀社長は若い頃はハリウッドで映画の仕事をされていた方で、現在も芸能界に広い人脈をお持ちです。映画製作のキャリアも長く、最近も「ハチとパルマの物語」という素晴らしい映画を作られました。コロナ禍で公開が延びていますが、もうすぐ試写会が開催されるということで、わたしもぜひ鑑賞させていただきたいと思っています。



「ハチとパルマの物語」は、モスクワと秋田を結び、少年と犬の感動的な触れ合いを描いた映画です。日露共同製作作品で、今年の初夏公開が予定されています。物語の舞台は、旧ソ連時代の1970年代。検査の手違いから仕方なくモスクワの空港に置き去りにされた犬、パルマ。いつの日か飼い主が迎えに来ることを信じて、 今日もパルマは滑走路の傍らでじっと待ち続ける。そして1人の少年と出会うのでした。

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監督は、ロシアの巨匠アレクサンドル・ドモガロフJr.で、キャストは渡辺裕之藤田朋子、アナスタシア、壇蜜、高松潤山本修夢、早咲、阿部純子(友情出演)、堂珍嘉邦(友情出演)、アリーナ・ザギトワ(友情出演)、アレクサンドル・ドモガロフ、レオニド・バーソフ、ヴィクトル・ドブロヌラヴォフ。あのザギトワが出演するのも凄いですが、アナスタシアちゃんという美少女がとにかく可愛いです!

 

2021年2月9日 一条真也