『幻島はるかなり』

幻島はるかなり

 

一条真也です。
2ヵ月ぶりに感染者数が300人以下となった東京に来ました。まさか、このまま東京五輪に向かって突き進むのでしょうか? それが一番怖いことですね。
わたしは、「東京五輪はるかなり」と思っています。
『幻島はるかなり』紀田順一郎著(松籟社)を紹介します。「推理・幻想文学の七十年」というサブタイトルがついています。著者は評論家、作家。1935年、横浜市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。専攻の書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がける。詳しい略歴はブログ『幻想と怪奇の時代』で紹介していますが、その『幻想と怪奇の時代』(松籟社)により、2008年度日本推理作家協会賞および神奈川文化賞(文学)を受賞。  

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本書の帯

 

本書の帯には「めずらかなる書物とともに」と大書され、「戦中戦後の欠乏の時代、必死に本の形をしたものを求め続けた少年の前に、稀(まれ)ものたちの棲まうもう一つの世界が、その姿を現す――」「戦後日本ミステリの隆盛に併走し、幻想怪奇文学の発掘と紹介に心血を注いだ著者による、七十余年のクロニクル」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
なお、章題は日夏耿之介の詩句に因んでいます。

Ⅰ  奥深い闇を手探る

Ⅱ  日の光、雲間を遁れ出て

Ⅲ  げに春の最中であった

Ⅳ  山麓に人あり

Ⅴ  忘れ川の流れを見出す

Ⅵ  われらいま種蒔く人

Ⅶ  夢より夢を往来して

推理小説幻想文学の世界 思い出の人々」
「あとがき」

 

魔術 (1年生からよめる日本の名作絵どうわ)

魔術 (1年生からよめる日本の名作絵どうわ)

 

 

Ⅰ 「奥深い闇を手探る」では、著者の少年時代の読書が以下のように回想されています。
「何遍も繰り返し読んだのは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』『杜子春』『魔術』の幻想3作品であった。とくに『魔術』である。語り手はインド人の魔術師から「欲心を出さないこと」という条件付きで秘法を伝授してもらおうとするが、禁を破って一攫千金をもくろんだため、あっさり拒絶されてしまう。芥川の他の童話と同じ教訓臭がつきまとうが、魔術がどうのこうのというよりも、この話全体が一瞬の夢であったという個所がひどく気にいった。私が怪奇幻想的な物語に惹かれたのはこれが最初である。余談だが、唐の李公佐の『南柯太守伝』にしても、日本の浦島太郎伝説にしても、さらには江戸時代の黄表紙『金々先生栄華夢』や『見徳一炊夢』にしても、私にはすべての営為が、結局は儚く空しい一場の夢にすぎないという思想に共鳴してしまう傾向がある」

 

 

少年時代の著者は「少年倶楽部」を愛読し、特に江戸川乱歩の『怪人二十面相』をはじめとする「少年探偵団シリーズ」に夢中になったそうです。著者は、「元来子ども相手の創作には全く関心がなかった乱歩が、戦時中の不本意な環境にあることを知った同誌編集部の要請により、しぶしぶ腰をあげたものだが、いざ蓋を開けてみると読者からの『毎号むさぼるようにして読みます。これを読んでいると自然に力こぶが入って手に汗がにじみます』『特別に面白い小説です。小林少年はどうなるのでしょう。僕のおばあさんも『怪人二十面相』が一番面白いといっています』といった反響がひきもきらないので、一気に乱歩カラーを強めたことが想像される」と述べています。

 

海野十三 作品全集

海野十三 作品全集

 

 

また、Ⅱ 「日の光、雲間を遁れ出て」では、江戸川乱歩と並んで、戦後復活作家の中でひときわ強烈な印象を残した海野十三について、著者は「その代表作の1つ『謎の透明世界』(1947)は、敗戦直後『四次元漂流』の題名で「子供の科学」に連載された作品だが、海野の再起を賭けた力作である。人間が四次元空間に入りこんだらどうなるかということは、大いに作家の想像力を刺激すると見え、たとえば怪奇小説ではブラックウッドの『とびら』(原題“Entrance and Exit“)という短編は四次元世界をたくみに描いたことで知られている。しかし、海野のこの長編も、対象は少年読者だが、その怪奇ミステリ的な構想力において、ひけを取らないと思われる。私は小学校6年生のときに読んで異常な感銘を受けたが、これは私だけでなかったようで、日本の初期SF界を牽引した小松左京をはじめとする作家たちの多くは、本作品を読んでSF界を志したという」と述べています。

 

 

高校時代の後半、著者は、文学全集ブームに乗せられ、『赤と黒』、『戦争と平和』、『カラマーゾフの兄弟』、『魔の山』などを1日150ページ以上読み、3、4日から1週間で読破するという無茶なことをやったそうですが、「つくづく集中力の未だ衰えていなかった年代であったと思う。あとから考えれば、『緑のハインリヒ』や『ジャン・クリストフ』や『美しき惑いの年』などは、典型的な教養主義の雰囲気と進歩幻想の中にまどろんでいなければ読めないようなものだが、このような読書が可能な物理的条件というものがあって、それは雑念に妨げられない年齢ということに尽きるだろう。したがって終わるのも早く、大学3年のころには著しくペースダウンした記憶があるが、教養主義の時代が大衆社会の前にあえなく崩壊していく土壇場にあって、旧文化の粋を堪能し得たことは幸運だったし、ページ数が多くて固い内容の書目を、ためらわずに選ぶ習慣がついたことだけでも収穫だったといってよい」と回想しています。

 

 

高校3年生のとき、著者は北海道に修学旅行に出掛けます。旅行が終わると、その帰りがけに書店に駆け込みましたが、好みの翻訳文学の平台に近づいた瞬間、目が釘付けとなりました。著者は、「それまでの垢抜けしない探偵小説本とは似ても似つかない、瀟洒な装丁の新書版、というよりもアメリカのポケット・ブックの日本版ともいうべきものが、一挙に6点も並べられていたではないか」と述べています。スピレイン『大いなる殺人』、同『裁くのは俺だ』、ハメット『赤い収穫』、ウールリッチ『黒衣の花嫁』、ウォーリス『飾窓の女』、メースン『矢の家』・・・・・・そう、日本に海外ミステリーのブームを起こした「ハヤカワ・ポケット・ミステリー」が創刊されたのです。もちろん、夢中になりました。

 

【「新青年」版】黒死館殺人事件

【「新青年」版】黒死館殺人事件

 

 

大学時代の著者は「ミステリー研究会」に所属し、ミステリーを読み漁りましたが、「大学時代に読んだミステリの中で、印象が強かった、あるいは何らかの影響を受けたものを何点か挙げると、小栗虫太郎黒死館殺人事件』、夢野久作ドグラ・マグラ』、蒼井雄『船富家の惨劇』、山本禾太郎『小笛事件』、松本清張『点と線』、カー『火刑法廷』、クリスティーそして誰もいなくなった』、デ・ラ・トア『消えたエリザベス』、短編ではチェスタートン、ビアス、ルヴェル、ダールらの名が思い浮かぶ。何らかの意味で、推理小説の究極を目ざすか、その枠を超えようとしている作品に惹かれたといってよいだろう」と述べます。



会社員時代もミステリーを読んだそうですが、社会派推理作家としての松本清張の登場には大きなインパクトを受けました。著者は、「私が推理小説に求めてきたものは、本質的には逃避文学で、それには多少なりとも現実の埒外に連れ出してくれるロマンチシズムの作品を好んだといえようが、社会派松本清張の登場はその意識を徐々に変える契機となった。その作品は自分の属している社会的現実(企業社会)へと連れ戻すリアリズムを備えていた。内容がつまらなければ別だが、私はそこに全く新しい緊張感に満ちた読書の素材を見出した。相変わらず日本的な暗さ――覆い被さるような因習や自立できない無抵抗の個人――を描きながら、その原理を告発するだけの用意や創作上の技巧が存在し、そこに息をのむような緊迫感が生じていた。私がサラリーマン1年生として、そうした社会的矛盾を感じ始めていた時期と、タイミングが合っていたせいもある。残念ながらこの緊張感は作品の量産化によって薄められ、勢いは減衰したが、いまでも『清張以前』、『清張以後』という概念は、日本の推理小説史の展開の上で、決定的な分水嶺であることを強く意識せずにはいられない」と述べています。

f:id:shins2m:20200813200214j:plainルイ・ヴァックスの『幻想の美学』
 

Ⅴ 「忘れ川の流れを見出す」では、著者が大伴昌司らと恐怖文学セミナーを立ち上げ、同人誌「THE HORROR」を創刊した1963年(昭和38)の頃が語られます。この年は、わたしが生まれた年でもあるのですが、著者は「エンターテインメントの種類は増えつつあったが、1つだけ抜けていたものがあった。のちに幻想怪奇小説という名で一括される分野である。本邦ではじめてボルヘスを紹介したルイ・ヴァックスの論考『幻想の美学』(白水社文庫クセジュ」1961)は別として、読書界にはまだそのような分野の到来を予感させるものはほとんどなかった」と述べています。

f:id:shins2m:20200813195301j:plain『現代人の読書――本のある生活』 

 

著書の多い著者ですが、最初の本は三一書房三一新書から出ました。三一新書は当時五味川純平のベストセラー『人間の條件』で大当たりをとっていました。版元の三一書房終戦直後京都で創立されましたが、1957年東京に進出、神田駿河台池坊学園付近に自社ビルを構えていました。編集者に会ったとき、著者は「だれでも本は3冊書けます。1冊は自伝、2冊は仕事の話、3冊目は趣味の話です。次は何にしますか」と言われたそうです。最初の著書は『現代人の読書――本のある生活』と名づけられました。著者は、「類書に乏しかったためか、何度か版を重ね、初期文筆生活の基礎となったものだが、反面会う人ごとに『読書論なんか書く人だから、もっと年寄りかと思った』といわれるのには参った。無理もないが、新時代には新時代なりの読書論、書物論があって然るべきだと考えたのである。当時感銘をうけていたヘンリー・ミラーの読書論から多くを引用したのも、そのためだった」と述べています。

f:id:shins2m:20200813195429j:plain中島河太郎の「探偵小説名作五十選」を引用
 

この『現代人の読書――本のある生活』は、ブログ『知的生活の方法』で紹介した渡部昇一先生のロングセラーと並んで、わたしの中学時代の愛読書でした。「理想の蔵書」という章では、多様なジャンルの「必読書リスト」のようなものが紹介されていて重宝しましたが、著者は「必読書の選び方の1つにも、新世代のニーズが反映されるべきだと考え、内外の古典・純文学リストと並んで『エンターテインメント』という項目を立て、まず推理小説については『幻影城』所収の江戸川乱歩選『ポーより現代までの路標的名作90冊』と、『国民百科事典』掲載の中島河太郎選『探偵小説名作50選』を引用し、不足する現代のタイトルについては厚木淳(東京創元社編集部)に依頼し、新たに『現代ミステリ』30冊として選び出した」と述べています。

f:id:shins2m:20200813195500j:plain福島正実の「世界SF傑作選」も引用

 

同様に、SFに対しては福島正実早川書房編集部)に『世界SF傑作選』として40冊を選んでもらったそうです。著者は、「福島正実選のSFにはヴェルヌ『月世界旅行』からはじまり、チャペック『R・U・R』、オーウェル『1984年』を経て、アシモフ『我はロボット』、ブラッドベリ火星年代記』、ハインライン夏への扉』、安部公房『第四間氷期』、小松左京『地には平和を』にいたる40冊がリストアップされている。このような必読書リストはあまり例がなかったので、『重宝しますよ』といってくれる人もあった」と述べていますが、わたしは本当に重宝して、高校時代にほぼこのリストに沿ってSFの名作を読んだ思い出があります。

 

また、「荒俣宏との出会い」として、著者は「たしか1969年の初夏であった。未知の若者から1通の手紙をもらった。内容は怪奇幻想文学を愛する慶應義塾大学の学生であること、一度是非会って欲しいということなどであった。正直いって大伴との別れ以後、私のホラー熱も冷めかけていたのだが、この手紙に記されたホラーへの情熱には、大いに惹かれるものがあった。次の週に、神田神保町の老舗喫茶『ラドリオ』で会うことにした。三省堂の近くの裏通りに位置するラドリオは、そのころ直木賞候補者の待機場所として知られていたが、私などは静かな、控えめな証明のもと、赤いレザーの座席に落ち着いて、買ったばかりの本の包装を開くのを無上の楽しみとしていたものだ」と述べています。

 

 

約束の時間ピッタリに、ドアから入ってきたのは、びっくりするほど長身の、キチンと学生服を身につけた青年でした。「荒俣宏です」。初対面の挨拶もそこそこに、“師匠”の平井呈一から著者を紹介されたこと、中学3年生のときに風邪で寝込んださい、ふと「世界大ロマン全集」中の『怪奇小説傑作集』を手にしたのがきっかけで、ホラーに熱中していること、個人誌に翻訳を掲載していることなどを矢継ぎ早に語りながら、重そうな紙の手提袋から個人誌の実物を数冊取り出しました。著者は、「見ると『団精二』の筆名でダンセイニやラヴクラフトなどの翻訳も精力的に試みているらしい。話をしているうちに、私は大伴と立ち上げた雑誌『THE HORROR』の数少ない会員の中に、『荒俣』の名があったことをぼんやりと思い出した。してみると、あの頼りない同人誌も無駄ではなかったのだ」と回想しています。平井呈一紀田順一郎、大伴昌司、荒俣宏・・・・・・まことに縁は異なものですね。怪奇幻想文学ブームの種が今まさに蒔かれようとしていました。

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わが書斎の『怪奇幻想の文学』

 

Ⅵ 「われらいま種蒔く人」では、著者と荒俣宏が企画した『怪奇幻想の文学』が新人物往来社から刊行された経緯が紹介され、「『怪奇幻想の文学』刊行中には、他社から類似企画の打診が少なからずあったが、大手の学習雑誌の「児童向けの話を抄訳で連載したい」というようなものを別にすると、創土社の『ブックス・メタモルファス』シリーズや、月刊ペン社の『妖精文庫』などが、読者層の開拓につながった企画といえるだろう。詩人でテレビドラマ誌の編集者から独立して創土社を立ち上げた井田一衛は、怪奇幻想文学に理解のあった人で、ラブクラフト『暗黒の秘儀』(仁賀克雄訳)、『サキ選集』(中村能三訳)、『ホフマン全集』全10巻(深田甫訳、第10巻未刊)ほか多数の基本的な書目を刊行していた。荒俣宏もこの社からデビュー訳書として『ぺガーナの神々』、ついで『ダンセイニ幻想小説集』を刊行している。私は『ブラックウッド著作集』と『M・R・ジェイムズ全集』上下巻を出してもらった」と述べています。

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わが書斎の『妖精文庫』
 

月刊ペン社からは、『妖精文庫』が刊行されました。これは荒俣宏の編纂になるファンタジー文学の集成で、全34巻・別巻3という構成でしたが、版元の倒産により3冊が未刊となった。わたしは、刊行分の本はすべて持っています。マクドナルドやイエイツ、マクラウドほか幻想ジャンルのコアな作家を真正面から紹介した功績は大きいとされる『妖精文庫』ですが、別巻の『別世界通信』(1977)は、荒俣宏の記念すべき第一評論集です。その後、三崎書房の林宗宏社長から「幻想小説専門をやってみないか」という呼びかけがあり、著者と荒俣宏は専門誌の創刊に奔走することになります。著者は、「準備期間3ヶ月で、編集責任者は荒俣宏と私、それに初期は鏡明と瀬戸川猛の参加を得た。創刊号の執筆者には山下武安田均鏡明瀬戸川猛資、小宮卓、桂千穂種村季弘、権田萬治というメンバーのほか、『ファンタスティック・ギャラリー』という絵画セクションを設け、麻原雄に依頼した。資料的記事としての荒俣宏編『世界幻想文学作家名鑑』は、後に『世界幻想作家事典』(国書刊行会、1979)として1本にまとまった労作である」と述べています。

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わが書斎の「幻想と怪奇」全冊
 

新しい雑誌は「幻想と怪奇」と名づけられ、「魔女特集」と銘うった創刊号が出たのは、1973年4月(隔月刊)でした。「雑誌『幻想と怪奇』の思い出」として、著者は「初期の編集は毎号『ラヴクラフトクトゥルー神話特集』『メルヘン宇宙の幻想』など、意欲的なものを並べることができた。ほとんどは荒俣宏の企画になるものだった。当時はすでに大学を卒業、水産会社に就職していたが、出向した銀行のコンピュータ関連部門の要員として、夜討ち朝駆けの勤務の傍ら、翻訳や評論に精力的な活動を行っていた」と述べています。

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わが書斎の日本幻想文学コーナー 

 

また、日本作家の特集を実現できたことも収穫でした。現役作家の書下ろしは無理とわかっていたため、古典的作品の発掘に重点を置いたとして、「明治初期の怪談作家である石川鴻齋の『夜窻鬼談』の紹介をはじめ、村山槐多『悪魔の舌』、松永延造『哀れな者』、平山蘆江『悪行地獄』、藤沢衛彦『妖術者の群』、森銑三『仕舞扇』などを並べ、比較的新しい作品として三橋一夫『夢』、香山滋『妖蝶記』などを採り、現役作家は中井英夫『薔薇の獄』、半村良『簞笥』、平井呈一エイプリル・フール』、都筑道夫『壁の影』、立原えりか『かもめ』を配し、未発表の異色作品として桂千穂『鬼火の館』、山下武『幽霊たちは〈実在〉を夢見る』(抄)を掲載、評論は草森紳一久生十蘭論『虚在の城』、大内茂男『日本怪奇小説の系譜』、落合清彦の『日本怪奇劇の展開』の書き下ろし3本立てとした」と書かれています。

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わが書斎の『世界幻想文学大系』
 

そして、紀田&荒俣コンビは、幻想文学ブームを決定づけた『世界幻想文学大系』を国書刊行会から出すことになります。著者は、「版元からは、やはり一度に数十冊を予告するのは冒険だし、訳者対策もあるので、第1期15冊というあたりからスタートしたいという要望があった。時間的な問題で、既訳を含めることとし、最終的に次のラインナップをきめた」と述べ、以下に紹介しています。
(1)J・カゾット『悪魔の恋』(渡辺一夫・平岡昇)、(2)M・G・ルイス『マンク』(井上一夫)、(3)C・B・ブラウン『ウィーランド』(志村正雄)、(4)A・フォン・アルニム『エジプトのイザベラ』(深田甫)、(5)C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(富山太佳夫)、(6)H・ド・バルザックセラフィタ』(沢崎浩平)、(7)T・ゴーチエ『ミイラ物語』(田辺貞之助)、(8)J・バルベー・ドールヴィイ『魔性の女たち』(秋山和夫)、(9)W・S・モーム『魔術師』(田中西二郎)、(10)W・デ・ラ・メア『魔女の箒』(脇明子)、(11)G・ベルナノス『悪魔の陽の下に』(木村太郎)、(12)G・K・チェスタトン『詩人と狂人達』(福田恆存)、(13)G・マイリンク他『現代ドイツ幻想短篇集』(前川道介)、(14)C・ウィリアムズ『万霊節の夜』(蜂谷明雄)、(15)J・L・ボルヘス『創造者』(鼓直)。

 

 

『世界幻想文学大系』の完結は1986年7月、最終回配本は世紀末ウィーン作家レオ・ペルッツの『第三の魔弾』でした。著者は、「足かけ11年におよび、全45巻(55冊)という、この種のジャンルとしては異例の大叢書に育てることができた。版元も感慨ひとしおだったようで、『心労厭わず企画から翻訳・デザイン等に携わって下さった先生方、大変な努力をして販売に協力して下さった書店様、そして額に汗して造本に日夜奮闘して下さった印刷・製本所の方々』に『深謝』するという、異例の新聞広告を出している」と回想しています。

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わが書斎の『ドラキュラ叢書』
 

同時期の企画として、国書刊行会から『ドラキュラ叢書』第1期10冊(1976~77)が出ました。これは『世界幻想文学大系』の守備範囲から漏れたエンターテインメント系を集成しようと試みたもので、たとえばアーカム系を代表するホジスンの『幽霊狩人カーナッキ』やホワイトヘッドの『ジャンビー』などといった傑作は、異端文学を売りものとする出版社からもまだ出ていませんでした。著者は、「やはり私たちがやるほかあるまいと立案したのであるが、意外にも版元側からは挿絵入りの普及版とすることを提案された。私たちは廉価は賛成だが、装幀まで安っぽいのは困るとして、画家に手直しを求めた。結果はあまり改善されたようにも思えず、中途半端なものとなってしまった」と述べます。

f:id:shins2m:20200813190537j:plain読みたかった『続・黒魔団』は別の形で出版 

 

それでも桂千穂と著者の共訳による『妖怪博士ジョン・サイレンス』や荒俣宏編訳『ク・リトル・リトル神話集』、R・E・ハワードの『スカル・フェイス』(鏡明訳)などが実現し、内容的には新鮮味もありましたが、版元が期待したほどには売れず、第2期以降は実現しませんでした。著者は、「予定していた書目のうち、レ・ファニュ『ワイルダーの手』、ホイートリ『続黒魔団』、ジャン・レイ『幽霊の書』、ベンスン『怪奇小説集』などはその後別の形で刊行されたが、T・P・プレスト『吸血鬼ヴァーニイ』やフラメンベルク『妖術師(ネクロマンサー)』、C・ウィリアムズ『多次元』、ベン・ヘクト『悪魔の殿堂』など、いまだに陽の目を見ない重要作品があるのは残念でならない」と述べています。『ドラキュラ叢書』の第1期10冊を貪るように読んだわたしも、第2期が刊行されなかったことは、まことに残念でした」

 

日本幻想作家事典

日本幻想作家事典

  • 発売日: 2009/10/26
  • メディア: 単行本
 

 

Ⅶ 「夢より夢を往来して」では、「円環を閉じる」として、著者や荒俣宏の後継者として、東雅夫の名前が挙げられます。1958年生まれの東は、7歳のころ大伴昌司監修『世界怪物怪獣大全集』(1967)をボロボロになるまで愛読し、10歳のころ岩波文庫版のカフカ『変身』を購入し、店員から変な顔をされたそうです。22歳のときに幻想文学研究誌『金羊毛』を創刊、これを専門季刊誌『幻想文学』に発展させ、21年間の長きにわたって持続、その成果の一部を『幻想文学講義』および石堂藍との共編になる『日本幻想作家事典』という、それぞれ大著をまとめました。幻想文学体系化の努力としては、『日本怪奇小説傑作集』全3巻(東京創元社)をはじめ、近代作家の怪奇的作品を集成した『文豪怪談傑作選』(ちくま文庫)や泉鏡花柳田国男の交流関係に着目した『柳花叢書』(同)など、多くのアンソロジーがある他、時評などでも精力的に新作の紹介を行っています。現在は日本初の怪談専門誌「幽」の編集長でもありますが、早稲田大学幻想文学会でのわたしの先輩です。

 

怪奇文学大山脈 (1) (西洋近代名作選 19世紀再興篇)

怪奇文学大山脈 (1) (西洋近代名作選 19世紀再興篇)

  • 発売日: 2014/06/28
  • メディア: 単行本
 

 

著者には、幻想文学における海外古典の鉱脈がいまだ掘り尽くされていないという思いが長くあったようですが、このような渇を癒やす労作が、2014年になって出現しました。荒俣宏の編纂にかかる『怪奇文学大山脈 西洋近代名作選』全3巻(東京創元社)です。ドイツロマン派の影響下にあるビュルガー、ゲーテティークあたりから始まるヨーロッパ幻想怪奇文学の流れから、ヒチェンズ、マッケン、デ・ラ・メアら20世紀の作家を経て、ラヴクラフトほかパルプ作家の系列にいたる約50編の未訳作品をもって鳥瞰するという形式ですが、著者は「その序説(まえがき)では全作品のほとんどを初出誌に遡り、発表時点の作家の地位、読書界、出版界、文化界の情況を考察することで、幻想文学史に再照明をあてるという構想を示している。初出誌の発掘に想像を超える時間と手間を費やした上、半世紀以上にわたる研究を凝縮した点、余人の及ばない境地に達している」と絶賛します。

f:id:shins2m:20200812224917j:plain「めずらかなる書物」に囲まれて・・・
 

「あとがき」では、著者は「本書は私が物心ついたころより現在までの約70年間、ミステリや幻想怪奇文学に親しんだ回想録である。読者として親しみ、研究者や作家としての立場から関わった時間の総和が、数十年の長きに及んだということで、無論回り道も多かったが、たまたま戦中戦後というすこぶる起伏に富んだ時代を背景にしたために、客観的にも書きのこす意味があるように思えたことが、執筆の動機である」と述べています。中学時代に著者の処女作である『現代人の読書』を何度も読み、高校時代は『世界幻想文学大系』や『ドラキュラ叢書』を読み耽ったわたしは、おかげで読書の愉しみというものを骨の髄まで知りました。これも著者のおかげと思うと、感謝の念が湧いてきます。現在も、わたしの書斎は著者の影響で購入してきた「めずらかなる書物」に囲まれています。

 

幻島はるかなり

幻島はるかなり

 

 

2021年2月9日 一条真也

感染者減少の東京へ!

一条真也です。
8日の夕方、わが社の常務を務められた方の奥様がお亡くなりになられ、小倉紫雲閣で行われた通夜式に参列しました。まだお若い方でしたのに、本当に残念でなりません。心より御冥福をお祈りいたします。

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夜の北九州空港の前で

 

通夜の後、北九州空港に向かい、19時40分発のスターフライヤー90便で東京に飛びました。夜の北九州空港は閑散としているかと思ったら、スターフライヤーが極端な減便をしている影響か、けっこう人が多くて驚きました。

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北九州空港のロビーで

f:id:shins2m:20210208191539j:plainけっこう人が多くて驚きました

 

東京に行くのは、翌9日の朝一番に西新橋で行われる「絵画コンクール審査会」に審査員として参加するためです。コンクールの主催は一般財団法人・冠婚葬祭文化振興財団なのですが、わたしは同財団の副理事長を務めています。今回は、小学生の「日本の儀式」「わたしがしたい結婚式」をテーマにした絵画が全国から600点近く集められているので、リモート参加というわけにはいきません。



東京に行くのは昨年12月の中旬以来なので2ヵ月近くぶりとなりますが、本日の東京都が確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は276人で、昨年12月7日の299人以来2ヵ月ぶりに300人を下回りました。重症者は前日から7人減って104人とでした。明らかに減少はしていますが、まだまだ油断はできません。ネットでは、情報操作説も出ていますね。

f:id:shins2m:20210208193628j:plain機内のようす(不織布マスク!)

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『弔辞』を読みました 

弔辞

弔辞

 

 

機内も乗客は少なかったです。寝ている人が多かったですが、わたしはコーヒーを飲みながら、読みかけだった本を読みました。『弔辞』ビートたけし著(講談社)という本です。74歳になった著者が、芸論から人生論・世界観まで、「この年になって、今、俺が考えていること」を語った本です。巻頭には「自分への生前弔辞」も掲載されており、著者の死生観がよくわかります。また、「はじめに」には、「いろんなものが消えていく。だけど、忘れちゃいけないものもある。面白かったテレビ。貧しかったけど希望のあった暮らし。大家族の絆。資本主義に蝕まれる前の、働くという喜び――だから、俺は、この時代に向けて、『弔辞』を読もうと思った。たとえ、消える運命にあるものでも、それについて、俺自身が生きているうちに別れのメッセージを伝えておこうと考えた」と書かれています。そう、本書は失われてしまったコロナ前の世界への「弔辞」でもあるのです。

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『コロナとバカ』も読みました

コロナとバカ(小学館新書)

コロナとバカ(小学館新書)

 

 

『弔辞』をあっという間に読み終えてしまったので、続いてベストセラーになっている『コロナとバカ』ビートたけし著(小学館新書)を読みました。先日、東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が女性蔑視ととれるような発言をしたことについて、「森さんも本当に頭が悪いよね」とばっさりと切り捨てた著者の最新作です。本書には、「国民に外出自粛をお願いしておいて、自分の妻には言えない前総理大臣」「スイーツやコミック好きをアピールして『かわいいオジサン』ぶる現総理大臣」「政権批判ブームが終わったとたん、すっかり黙りこんでしまった芸能人」「総理大臣が辞めるとなった途端、ご祝儀で支持率をアップさせる日本人」などの残念な人々が続々と登場し、著者が「バカ」と一喝します。180ページちょっとなので、これも着陸前には読了しました。

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羽田空港に到着しました

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羽田空港は人が少なかったです

羽田空港へは21時15分に到着しました。北九州空港と違って、こちらは人が少なかったです。東京の玄関口だというのに、寂しい限りです。遅い夕食を取ろうと思っても、飲食店はすべて閉まっています。仕方がないので、このままホテルに向かいました。途中でコンビニに寄り、ささやかな食事をホテルの客室で取りました。「まだ、東京は緊急事態宣言の最中にあるのだ」ということを再確認しました。

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今夜のディナー

 

2021年2月8日 一条真也

「花束みたいな恋をした」

一条真也です。
7日の日曜日、パンを買いに行った帰りに、ベーカリーと同じ商業施設の中にあるシネプレックス小倉で日本映画「花束みたいな恋をした」を観ました。ネットでの高評価は知っていたものの、あまり期待しないで観たのですが、恋愛の本質を見事に描いた名作でした。どこにでもいる現代の大学生の21歳から26歳までを描いていますが、わたし自身のいろんな思い出が蘇ってきて、センチメンタルな気分になりました。有村架純菅田将暉の主演2人の演技も最高でした。早くも、今年の「一条賞」候補作品に出合いました!



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『コーヒーが冷めないうちに』などの有村架純と『帝一の國』などの菅田将暉を主演に迎えた恋愛物語。東京・井の頭線明大前駅で終電を逃してたまたま出会った男女と、全ての事柄が絡み合いながらリンクしていく様子を描写する。有村が主演を務めた『映画 ビリギャル』などの土井裕泰が監督を務め、ドラマ『東京ラブストーリー』『カルテット』などの脚本家・坂元裕二が脚本を書き下ろした」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「ある晩、終電に乗り遅れた大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、東京・京王線明大前駅で偶然出会う。お互いに映画や音楽の趣味がよく似ていたこともあり、瞬く間に恋に落ちた二人は大学卒業後、フリーターとして働きながら同居を始める。ずっと一緒にいたいと願う麦と絹は、今の生活を維持することを目標に、就職活動を続ける」となっています。



誰にでも経験がある(だろう)学生時代の恋愛の記憶。何を話しても意見が合うし、趣味も合う。偶然とは思えないような不思議なシンクロニシティもバンバン起こる。そうして、人は「運命の相手に出会った」と思って、恋に落ちる。何をしていても、相手のことばかり考える。少しでも一緒の時間を過ごしたいと願い、同棲するカップルもいる・・・・・・そんな若い日の情熱的な恋愛をこの映画はよく描いています。とにかく坂元裕二氏の脚本が素晴らしいです。さすがは、「東京ラブストーリー」「カルテット」「Mother」最高の離婚」などで男女の心の機微を描き続けた人気脚本家だけのことはあります。別れた2人が数年後に再会するオープニング・シーンも秀逸で、一気に物語に引き込まれました。



若い2人は同棲を始めますが、当然ながら2人の親は不安です。特に、絹の両親は不安で、2人の住むマンションを訪れます。絹の母親がフリーターを続ける麦に言った「就職するというのは風呂に入るようなもの。入るまでは面倒臭いけど、入ったみたら良かったと思う」という言葉や、同じく絹の父親が麦に言った「人生は責任だよ」という言葉は、まことに的を得ていました。絹の両親に従ったわけではないでしょうが、麦が将来に不安に感じて就活を始めたときの「本を買うのだって、映画を観るのだって、お金がかかるよ」という一言も心に残りました。さらに、麦の先輩で自殺したカメラマンが「社会性とか協調性なんてものは、芸術の邪魔でしかない」と言い放つシーンも印象的でした。じつは、彼の葬儀に参列してから麦と絹の心は決定的に離れていき、共通の友人の結婚式で別れを決意します。葬儀と結婚式が物語の中で重要な役割を果たしたという意味で、この映画には冠婚葬祭映画の側面がありました。



この映画には、たくさんの固有名詞が登場します。かつての田中康夫氏の『なんとなく、クリスタル』みたいな良く言えばスタイリッシュ、悪く言えばスノッブな固有名詞ではなく、2人が好きな作家、コミック、ゲーム、イベントの名前など、オタク的な匂いのする固有名詞です。「映画.com」で、映画評論家の大塚史貴氏は「それにしても、今まで以上に固有名詞に溢れている。ふたりの距離を一気に縮める重要な役割を果たした押井守にいたっては本人役で出演しているし、その後も天竺鼠、ミイラ展、ジャックパーセル、今村夏子、ゴールデンカムイ宝石の国など、書き出したらきりがない。今作の脚本を読んでから本編を改めて鑑賞してみて感じるのは、坂元の脚本は役者が声に出してセリフとして発した瞬間、観る者に一番届くのだと実感させられる。固有名詞の波状攻撃を浴び、気持ち良くのみ込まれ身を任せていると、不意に忘却の彼方へ追いやっていた何十年も前の記憶がよみがえり、心が震えている・・・という体験をすることになる」と書いています。まったく同感ですね。



さて、映画館にはマスク姿の若いカップルも多かったですが、わたしは「彼らはどんな恋愛をしているんだろう?」と思いました。愛する2人が手をつなぐ、ハグする、キスをする、同じコーヒーを回し飲みする・・・・・・そんな恋人同士なら当たり前の光景が、現在は新型コロナウイルスの感染防止で「当たり前」ではありません。いま、初めてのデートをすること、初めてキスをすること、そして初めて男女の仲になることの難易度の高さを想うと、現代の大学生や若者たちが気の毒でなりません。このままでは婚姻率も出生率も低下する一方です。日本の将来が心配になるのは、わたしだけではありますまい。恋愛事情も結婚事情もコロナ禍では暗いわけですが、なんでも不倫だけは逆に盛んになっているとの説もあるそうです。

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週刊文春」2021年2月11日号

 

不倫といえば、一昨日、金沢のコンビニで「週刊文春」の最新号を買ったら、「小川彩佳アナ180億円夫の『産後不倫』写真」という特集記事が掲載されていました。小川アナの夫は大変なエリートで、かつ資産家です。菅首相にも信頼されているとか。しかし、この記事が事実なら、わたしが小川アナの父親だったら許せませんね。しかも、不倫相手の女性は「おなにーしちゃった」というLINEを送ってきたり、文春の記者に対して「彼と“ヤる”のは好きだけど」と発言したり、いたずらに小川アナを挑発しているようにしか見えません。そういえば、坂元裕二氏には『往復書簡 初恋と不倫』という著書があります。初恋と不倫は正反対の行為なのか、それともピュアであるという点において同質の行為なのか・・・・・・わたしは同書を読んでいないので、真意はわかりませんが。



また、この映画では麦も絹も、ともに就活に励む様子が描かれます。いつまでも自由を謳歌したい二人にとって就活はけっして楽しいことではありません。特に、女子大生である絹は連日、圧迫面接を受けて心が折れそうになります。でも、まだ彼女の場合は良かったと思います。じつは、わたしの次女が大学3年生で、就活の真っ最中ですが、コロナ禍で苦労しています。慣れないリモートで面接を受けたり、試験を受けたり、インターンシップに戸惑いながら参加しているようですが、「コロナさえなければ、普通に就活ができたのに・・・」と、ついつい不憫に思ってしまいます。東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長による女性蔑視発言ではありませんが、まだまだ日本の社会は女子が不利な場面も多く、その中で藻掻いている次女をはじめとした女子大生たちの心中を想うと、映画を観ながら心が痛くなりました。

 

 

あれほど愛し合った麦と絹も4年後には分かれてしまいます。わたしは、アメリカの人類学者であるヘレン・E・フィッシャーが書いた『愛はなぜ終わるのか』という本の内容を思い出しました。拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)でも紹介した本ですが、愛は4年で終わるのが自然であり、不倫も、離婚・再婚をくりかえすことも、生物学的には自然だと説く衝撃の書です。フィッシャーによれば、不倫は一夫一妻制につきものであり、男も女も性的に多様な相手を求め、結婚を繰り返すことは生物学的な人間性に合致しているといいます。事実、世界の多くの国々で、離婚のピークは結婚4年目にあるそうですが、この4年という数字の秘密を狩猟採集時代にまで遡って解明します。このような現状は、人類の進化の過程に合致するものだとか。もっとも、社会的・文化的な変容はあり、狩猟社会から鋤で耕す農耕社会になってからは女性が男性に従属するなど、イレギュラーなことはありましたが、工業社会になってから女性が働くようになったので、以前のような状況になっているというのです。

 

同棲時代 (1)

同棲時代 (1)

 

 

「花束みたいな恋をした」の麦は売れないイラストレーターとしての生活に限界を感じ、就職して営業マンになります。そんな彼がイベント会社勤務の絹と4年間の同棲生活を続けるわけですが、かつて、フリーのイラストレーターの男性と広告会社勤務の女性が一間のアパートで同棲する漫画が大ヒットしました。上村一夫の『同棲時代』です。『同棲時代』の主人公は、今日子と次郎の2人です。自由であり、不安定でもある2人の暮らしは愛と性の間で揺れ続け、今日子の精神状態は次第に崩れていきます。そして、妊娠に気がついた今日子は、ある決断を下すのでした。



1973年に誕生した、この作品のきっかけは、上村によれば、映画「愛の狩人」の中の同棲シーンだったそうです。また、漫画家の安部慎一が同棲していることを知ったことも理由の1つでした。同棲経験のない上村は、林静一の『赤色エレジー』のパロディとして始めたといい、当初は10回程度の連載を終了する予定でした。しかし、人気が出て80回の長期連載となり、「同棲」は流行語にもなり社会現象ともなりました。73年2月18日には、早くも梶芽衣子沢田研二の主演でTBSで90分の単発ドラマ化され、脚本を山田太一が担当しました。同年4月14日には松竹制作による映画「同棲時代 今日子と次郎」が公開されました。由美かおる仲雅美が主演し、監督は山根成之、脚本は石森史郎でした。



映画「同棲時代 今日子と次郎」の主題歌は、大信田礼子が歌いました。じつは、大信田礼子が歌った「同棲時代」、わたしの大好きな歌です。高校生の時に、麻田ルミ(なつかしい!)主演の「おさな妻」というドラマの再放送にハマったのですが、「おさな妻」について調べているうちに「同棲時代」の存在を知りました。その後、「恋すれど廃盤シリーズ」というレトロ歌謡曲のCDセットを購入したのですが、その中に大信田礼子の「同棲時代」が入っていたのです。「ふたりは~いつも~傷つけ合って暮らした♪」という歌いだしから、「愛の暮らし~同棲時代♪」という終わりまで痺れました。カラオケでもよく歌いましたね。



「花束みたいな恋をした」のエンディングは、別れた2人が数年後にカフェで再会するオープニング・シーンの続きです。今はもう別々の恋人がいる2人は、お互いの存在に気づき、一瞬だけ目を合わせますが、互いの恋人に気づかれないように言葉も交わさず、そのまま離れます。そして、カフェを出た後にエレベーターを降りて、2組のカップルは別々の方向に歩き出しますが、麦と絹はそれぞれ後ろ向きに手を振るのでした。このシーンは筋金入りのロマンティストであるわたしのハートを直撃しましたが、大好きなユーミンの「グッドラック・アンド・グッドバイ」を思い出しました。「グッドラック・アンド・グッドバイ」には、別れた元恋人たちが偶然再会するというシチュエーションが歌われています。別れるときは負の感情があっても、再会時には相手にエールを送る心境になっているというハートフルなナンバーです。



一般に元カレや元カノに再会し、相手に新しいパートナーがいる姿を見たときは心中穏やかではないでしょうが、そこをスマートに対処するのが大人のたしなみというもの。わたせせいぞうさんの『ハートカクテル』にも、そんなエピソードがあります。カフェで再会した元カレにコンパクトでメッセージを送るというオシャレなショート・ストーリーの「思い出ワンクッション」です。そういえば、まだ学生時代の恋愛の記憶も新しいときに書かれたわたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)では、「グッドラック・アンド・グッドバイ」を「女のセンチメンタリズム」、「思い出ワンクッション」を「男のセンチメンタリズム」の代表例として挙げたのでした。どんなに別れが辛くても、恋愛の経験はきっとその人の心を強くし、人生を豊かにしてくれるでしょう。願わくば、わたしの2人の娘たちが「花束みたいな恋」をして、最後はその相手と結ばれますように・・・。


最後に、「花束みたいな恋をした」の上映前に「キネマの神様」の予告編が流れました。松竹映画100周年記念作品である「キネマの神様」です。映画界を代表する豪華キャストで贈る山田洋次監督の最新作で、“映画の神様”を信じ続けた男とその家族に起きる奇跡の物語を描きます。ブログ『キネマの神様』で紹介した原田マハさんの小説が原作ですが、わたしの大好きな作品です。48年前にドラマ「同棲時代」で主演した沢田研二と「花束みたいな恋をした」で主演した菅田将暉のW主演で、4月16日に公開されます。これは楽しみ! 春よ来い! 早く来い!

 

2021年2月8日 一条真也

『幻想怪奇譚の世界』

幻想怪奇譚の世界

 

一条真也です。
『幻想怪奇譚の世界』紀田順一郎著(松籟社)を紹介します。著者は評論家、作家。1935年、横浜市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。専攻の書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がける。詳しい略歴はブログ『幻想と怪奇の時代』で紹介していますが、その『幻想と怪奇の時代』(松籟社)により、2008年度日本推理作家協会賞および神奈川文化賞(文学)を受賞。 

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本書の帯

 

本書の帯には『不思議の国のアリス』のアリスの首が伸びたジョン・テニエルのイラストが使われ、帯には「異世界への誘い」と大書され、「小泉八雲泉鏡花夢野久作ラヴクラフト、マッケン、ブラックウッド・・・・・・妖しき魅力に満ちた『もうひとつの世界』の扉が開く――」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
第Ⅰ部  幻想小説の境界
小泉八雲ーー怪談の背景
泉鏡花ーー魔界かな、いや現実だ
“異端の作家”の復権─『夢野久作全集』全七巻の刊行に寄せて
江戸川乱歩--知的多面体としてのエッセイスト
海野十三の怪奇長編
小栗虫太郎の世界
平井呈一『真夜中の檻』解説
中井英夫--三次元の迷宮
百物語の盛衰
第Ⅱ部  虚実の皮膜
覗き小屋の二つの窓
ゴシックの文学空間と環境
反世界とその圏域ーーキャロルとチェスタトン
H・G・ウェルズの『宇宙戦争
 ーーホラー的趣向にひそむ怨念
ガストン・ルルーオペラ座の怪人』解説
 ーー怪奇ロマンスの実在性
ブラックウッド『妖怪博士ジョン・サイレンス』解説
アーサー・マッケン『夢の丘』解説
サマセット・モーム『魔術師』解説
 ーーアレイスター・クロウリーの影響力
プロビデンス薄暮ラヴクラフト受容小史
ルーファス・キング『青髯の妻』と
 フリッツ・ラング『扉の影の秘密
  --心理ミステリとニューロティック映画
第Ⅲ部  飛花落葉(翻訳)
フリードリヒ・フーケ「ウンディーネ
アルジャノン・ブラックウッド「とびら」
ウォルター・デ・ラ・メア「なぞ」

 

『小泉八雲作品集・54作品⇒1冊』

『小泉八雲作品集・54作品⇒1冊』

 

 

第Ⅰ部「幻想小説の境界」の「小泉八雲――怪談の背景」の「1、八雲が描いた、もう1つの日本像」で、著者は「小泉八雲(1850~1904)から、私たちは古き日本のよき伝統というものを教えられる。『日本瞥見記』(1894)、『東の国より』(1895)、『心』(1896)ほかの研究的随筆が、今日の民俗学的な知見からは物足りない要素があるとしても、明治期に来日した他の外国人たちとは明らかに異質の視点を評価すべきであろう」と述べます。

 

 

また、八雲について、著者は「豊かな洞察力をもって明治日本の内面を探求し続けた八雲は、来日6年目に日本に帰化し、帝国大学総長外山正一の憩請により英文学史を講じるようになるが、外山の没後にその地位を追われ、1904年(明治37)に世を去った。生前から日本を美化しすぎているという批判はあったが、本質は詩的感受性をもってとらえた《もう1つの日本像》というべく、現代の私たちにも独自の感銘を与えずにはおかないものがある」とも述べます。

  

怪談・奇談 (講談社学術文庫)

怪談・奇談 (講談社学術文庫)

  • 作者:小泉 八雲
  • 発売日: 1990/06/05
  • メディア: 文庫
 

 

さて、ここまでは誰でも知っていることですが、ここからが重要で、「2、永遠の薄明のなかに」では、八雲の青春期は幻想怪奇小説の開花期で、前時代のゴシック文学を受け、リットン、レ・ファニュ、ディケンズ、コリンズほかの大型作家が輩出したことが紹介されます。社会人として新聞記者、寄稿家としての生活を送る頃には、ワイルド、マッケン、ストーカー、ヘンリー・ジェイムズ、スティーブンスンらが同時代作家として活躍していました。著者は、「生来神秘主義的なもの、霊的な感性に鋭敏であった八雲がこのような風潮に影響を受け、やがては自ら同傾向の作家群に伍して、独自の世界を開拓するようになったのは、ごく自然な流れといえる」と述べています。

 

 

しかし、八雲の霊的感性を刺激し、創作に結びつけたものは、あくまでも日本の伝統ないしは前近代性を背景とした怪異談でした。来日という機会がなければ、八雲は独自性を備えた怪談作家として知られる機会はなかったであろうとして、著者は「いったい、八雲が日本に憧れたのは、両親の離婚による苛酷な生い立ちや、慣習の壁や性格の不一致に破れた結婚生活という体験から、ピエール・ロティの『お菊さん』(1887)が描く、西欧文化に汚染される前の文化環境に、増幅された期待感を抱いたということのようである」と述べます。

 

日本の心 (講談社学術文庫)

日本の心 (講談社学術文庫)

  • 作者:小泉 八雲
  • 発売日: 1990/08/06
  • メディア: 文庫
 

 

八雲は、西洋人でありながら、日本人の「こころ」を理解した人でした。彼は直感的な怪異感覚というフィルターを通して、神道を理解しようとしました。著者は、「これは19世紀の西洋人の目から見た宗教観であるが、このフィルターそのものに道徳的な価値観が含まれているところに大きな特徴がある。つまり、八雲は日本の神の異質性を説くにあたって、非命に斃れた人物、尊崇に価する人物までも神として祀る風習のあることを例にかかげている(とりわけ後者の例として1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際し、身を挺して村人を救った浜口五兵衛(正しくは濱口儀兵衛)の感動的な事績を紹介する。戦前国定教科書に掲載された『稲むらの火』の原話である)」と述べています。

 

 

「3、夢と現実のあわいから」では、八雲の怪談は、江戸時代の草双紙、あるいは口碑伝説などに材をとっているがゆえに「再話小説」と呼ばれることがあることを紹介しつつも、じつは独自の文学観、理論に基づいて、その特異な感受性を動員したという意味で純然たる芸術的創作と見るべきであるとして、著者は「恐怖への想像力を重視した八雲は、威圧的な武人の前におびえる盲目の法師になりきって、入魂の描写を引き出している」と述べます。タグもの娘である小泉節子の『思い出の記』によれば、ランプもともさず執筆中の夫に対し、セツ夫人が襖の外から「芳一、芳一」と呼んでみると、八雲は「はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか」といったきり、黙り込んでいたそうです。

 

歌行燈 (岩波文庫)

歌行燈 (岩波文庫)

  • 作者:泉 鏡花
  • 発売日: 2017/06/17
  • メディア: 文庫
 

 

泉鏡花ーー魔界かな、いや現実だ」では、著者は「じつは、わたしは若いころ、鏡花の魅力に不感症であった」と告白し、「理由を話せば長くなるが、たとえば幻想といい恐怖といい、それが作者の内部で客体化されていず、自分勝手に魔界と交渉を遂げてしまっているので、読む側としては体質的に合致しなければ作品宇宙への参入が非常に困難であるように思われる。要するに小説作法が知的でないということで、この疑問はいまでも『草迷宮』のような作品に対しては多少残っているような気もするが、だいぶ面白味が理解できるようになってきた。そのきっかけをつくってくれたのが、『歌行燈』で発見した“知的構成”なのである」と述べています。


また、著者は鏡花の映画好きに言及し、「鏡花が非常な映画好きで、そこから多くの影響を受けていたという事実は、比較的最近になって注目されはじめたように思える。このように大切なことが死後半世紀近くにもなってようやく明らかにされるというのは、それだけ鏡花の小説が一面的にしかとらえられていないことの証左であろうが、わたしは映画の影響そのものを問題にしているのではない。サイレント時代の映画は技法的に幼稚で、すばやい場面転換を示すカットバックがようやく出現したのも、1924年のグリフィス作品『国民の創生』からであって、これは『眉かくしの霊』発表の年にあたる。『歌行燈』はその14年もまえの作品であるから、むしろ鏡花が時代にさきがけているということがいえよう。今日でいうところの映像的技法を編みだした、鏡花という天才の鮮鋭な“時代感覚”に注目したいのである」と述べます。「鏡花と映画」というのは非常に興味深いテーマですので、誰かがもっと深く研究してほしいものです。

 

高野聖 (角川文庫)

高野聖 (角川文庫)

 

 

そして著者は、以下のように非常に興味深い鏡花の「謎」を指摘するのでした。
「ありふれた日常から物語の筆を起こしつつ、彼は自分で自分を徐々に魔界へ拉致していく。徐々に濃密な没入感を醸し出していく。『高野聖』の書き出しになぜ参謀本部の地図などが出てくるのだろうか。現在国土地理院に継承されている5万分の1の地図は、当時の修行僧にとって歩き慣れない山野を跋渉するための日常的なツールにほかならなかった。折本に仕立ててあるところが憎いではないか。それはこの異様な物語において、唯一の現実性を帯びた小道具であると同時に、魔界との境界を示す記号でもあった。「山吹」における鯉の死骸にしてもまったく同様なことがいえるのであって、ここに鏡花理解の鍵があるように思う」

 

夢野久作 ドグラ・マグラ 上下巻セット (角川文庫)
 

 

「“異端の作家”の復権─『夢野久作全集』全七巻の刊行に寄せて」では、江戸川乱歩が、久作の処女作「あやかしの鼓」を評して「少しも準備のない出たとこ勝負」で、「ちょっとばかり達者な鍛帳芝居」と評したことを紹介し、著者は「『ドグラ・マグラ』などはこうした見方からすれば『出たとこ勝負』も極まれりの感があろう。しかし、今回の全集(月報)で明らかにされた日記の一部によっても、この1千枚をこえる大作は執筆開始の昭和初年から完成まで5年を費し、さらに刊行までの5年間にも推敲が行なわれていたと見られる。文字通りのライフワークで、『出たとこ勝負』でも狂人狂語でもありえない。久作の全資性と文学観を賭けた作品であり、他の数十編と代置しうる存在というべきであろう」と述べています。

 

 

江戸川乱歩――知的多面体としてのエッセイスト」では、著者は「江戸川乱歩はエッセイストである」と言います。といっても、「心理試験」や「陰獣」「屋根裏の散歩者」などの創作を軽視するのではなく、「人形」や「群衆の中のロビンソン」をはじめとする随筆、あるいは正続『幻影城』や『探偵小説四十年』に代表される評論が、創作と同等かそれ以上に、強い印象を残すという意味だとか。このことは、フィクション偏重の読書界からは、つい忘れられがちであるとも指摘します。また、著者は「乱歩随筆の多面的な面白さは、ほとんど百科全書派的な豊かさに通じる。厳密にいえば乱歩の好む主題はエキセントリックで限られたものだが、その懐が深く、探求の方法そのものに合理性と普遍性が感じられるために、興味の異なる読者をも惹きつけることができるのである。このような風格を有する随筆評論は、今日ほとんど跡を絶ってしまったのではないだろうか」と述べるのでした。

 

空襲葬送曲

空襲葬送曲

 

 

海野十三の怪奇長編」では、海野十三は昭和初期から戦後にかけて活躍した作家であり、日本SFの父ともいうべき存在であるとして、海野の代表作の1つである『深夜の市長』を取り上げ、著者は「地下書斎をもつ主人公が登場するが、彼には地下室趣味とでもいうべきものがあって、防空壕もその延長にあるとも考えられるが、人一倍空襲に対する恐怖感が存在したことも否定できない。すでに昭和7年の『空襲葬送曲』には、パニックを起こした避難民が我先に逃げまどい、あとには肋骨が折れたり眼の飛びでた死骸がゴロゴロ転がっていたという凄惨な描写がふくまれている。米英など仮想敵国への畏怖というよりも、もっと別の原因があるような気がする。彼には不思議な固定観念があった。それは未来のある時期に地球が宇宙人に襲われる可能性があるということで、それに対処するため全地球防衛網を設置しなければならないという、SF少年的な考えである」と述べています。

 

海野十三 作品全集

海野十三 作品全集

 

 

海野十三はあるとき「麻雀は運と腕と、どんな比率になるか」ときかれ、「運の十さ」と答えたのが、ペンネームの由来だといいます。米軍機による一夜で10万人の死者を出した東京猛爆と、ぎりぎりに思いつめた一家心中との再度にわたって、死中に活を求めることを得た強運の彼にとって、最後にして最大の悲運は結核でした。昭和24年(1949)5月17日、彼は世田谷の家で没します。享年52歳でした。著者は、「1950年代の半ばには本格的なSFブームが興っているが、この時期に輩出した小松左京筒井康隆眉村卓ほかの作家たちが、一様に少年時代における海野の影響を告白していたのも記憶に新しい」と述べています。

 

【「新青年」版】黒死館殺人事件

【「新青年」版】黒死館殺人事件

 

 

小栗虫太郎の世界」では、その冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
小栗虫太郎は、生涯みずからの豊穣な反世界を夢み、それをおのれの流儀で視覚化することに熱中した。反世界は彼の住処であり、常住の臥床であった。おのれの体液によって糸を紡ぎだす蜘蛛のように、彼はみずからのすでに構築されている世界を具象化するだけで事足りた。この場合、スタイルや構成への配慮さえもが、不要であるばかりか桎梏であった。絵が幻想になるのでなく、幻想が絵になったのである。モチーフも文体も、彼独自の文法があった。およそ文学的経験の埒外で、奔放な夢に自足し、異端の真理とリアリティをそなえた王城を建造することが、彼の任務であり宿命なのであった。その意味では、彼は自分ののぞんだことを十分に実現しえないで死んだというべきだろう。江戸川乱歩は『黒死館殺人事件』を評して『猟奇耽異博物館』と言った」

 

人外魔境 全13編 完全版 (インクナブラPD)
 

 

小栗虫太郎は『人外魔境』などの魔境小説で人気を集めましたが、著者は「昭和14年から16年にいたる魔境小説ののち、時局の圧迫もあって作風に停滞が現われる。16年11月、陸軍報道部員としてクアラルンプールへ派遣された彼は、病弱の身体を危ぶまれたが、占領後の現地で破格の待遇をうけ、仕事もせずにフリーメーソンの事績などを探索していたおかげで、丸々と肥って17年12月帰還した。いかにも虫太郎らしい挿話で、この超絶の魔神に対しては死神も三舎を避けたかに見える」と述べています。興味深いエピソードですね。

 

真夜中の檻 (創元推理文庫)

真夜中の檻 (創元推理文庫)

  • 作者:平井 呈一
  • 発売日: 2000/09/12
  • メディア: 文庫
 

 

平井呈一『真夜中の檻』解説」は、小泉八雲の全作品や『吸血鬼ドラキュラ』などを翻訳し、海外怪奇小説紹介の先駆者として知られる平井呈一の創作全二篇に、英米の怪奇作家とその作品、さらには幽霊実話を造詣深く語るエッセイを併録した本の解説ですが、著者は「平井呈一怪奇小説への志向が、いつごろから生じたのかは不明である。最も親しんだアーサー・マッケンについては「『イエロー・ブック』のどの巻かで、はじめてマッケンの『パンの大神』を読んだ時の感激を、今でも忘れることができない。まだ20代のことで、あの短篇を2日か3日かかって読み終った夜の12時過ぎ、巻を閉じても読後の興奮でそのまま床へはいる気になれず、毎度の癖だが、夜なか日本橋浜町の家をそっと抜けだして、大川端を歩いてみたがまだ興奮がおさまらず、足の向くまま新大橋を渡って真夜の深川・本所をむちゃくちゃに歩き、なんどか交番で咎められながら、どこをどう歩いたか上野の森を抜けて、たしか不忍池で夜が明けたと憶えている」などと縷々記しています。

 

宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)

宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

「H・G・ウェルズの『宇宙戦争』―─ホラー的趣向にひそむ怨念」の「1、侵略テーマの元祖」では、著者は「H・G・ウェルズはSFの元祖であるが、幻想怪奇小説やミステリ系統の作品として『蛾』『ブリシャー氏の宝』『ポロ族の呪術師』『不案内な幽霊』『水晶の卵』などが思い浮かぶほか、そもそも19世紀作家の例にもれず、空想科学畑の作品にも『タイムマシン』や『透明人間』『モロー博士の島』などに例を見るように、何らかの程度において怪奇幻想色の濃い作品が多い。そのような系列のなかに『宇宙戦争』(1898)を含めることには異論があるかもしれない。しかし、中心となる地球外生物(火星人)の侵略と、当時の科学を総動員しての地球軍の防衛戦というアイディアこそ科学小説の枠内にあるものの、読者を引っぱる技巧、醜悪な火星人の際限なき破壊行為から生じる恐怖感は、現代ではホラーやサスペンスに属するものといえよう」と述べています」と述べています。

 

また、「2、冷戦時代の映画化」では、『宇宙戦争』が1953年(ジョージ・パル製作、バイロン・ハスキン監督)と2005年(スピルバーグ)の再度にわたって映画化されたことが紹介されます。しかし、それよりも有名なのはオーソン・ウェルズ翻案のラジオ・ドラマ『火星人襲来』です。1938年10月30日にアメリカCBSから放送されたこのドラマは、舞台を現代のアメリカに変え、臨時ニュースや住民の目撃談を軸とした巧妙な作劇術によって、本物のニュースと誤解され、少なくとも600万の視聴者をパニックに陥れました。社会心理学者ハードレイ・キャントリルによる詳細な分析レポート『火星からの侵入』(1940)には、この放送を聴いてパニックに陥ったのは、教育程度や資産の額、あるいは社会経験や職業による相違がなく、要するにラジオを聴いたすべての人びとであったという、驚くべき事実が明らかにされました。

 

同書には、「この放送が終了するずっと以前から、合衆国中の人びとは、狂ったように祈ったり、泣きさけんだり、火星人から逃れようと逃げまどったりしていた。ある者は愛するものを救おうと駆けだし、ある人びとは電話で別れを告げたり、危険を知らせたりしていた。近所の人びとに知らせたり、新聞社や放送局から情報を得ようとしたり、救急車や警察のクルマを呼んだりしていた人びともあった」(斎藤耕二・菊池章夫訳)と書かれています。

 

海野十三敗戦日記 (中公文庫BIBLIO)

海野十三敗戦日記 (中公文庫BIBLIO)

 

 

「3、≪SFの父≫海野十三の半面」では、SF作家の海野十三が日米開戦の11ヶ月も前の1941年1月、世田谷区の自宅庭に、陸軍関係者の縁故によって入手した、深さ3メートルのヒノキ材とアスファルト製のシェルター(防空壕)を設置していることが明かされます。著者は、「一般の人々が防空壕設置に狂奔するようになるのは、現実に空襲の発生した1944年ごろであるから、海野がいかに空襲に敏感だったかがわかる」と述べています。

 

幻想と怪奇の時代

幻想と怪奇の時代

 

 

「あとがき」では、著者は「本書『幻想怪奇譚の世界』は、幻想怪奇小説推理小説、さらにはSFとの境界に位置する作家と作品についての論考を多く収録した。幻想怪奇小説推理小説の深い関連性については、いまさら述べるまでもないだろう。文学史的に見れば、ほんらいゴシック文学と同根のもので、近代的な小説形式の創造者ポーによって2つのジャンルの確立と分岐が同時に行われたということができる。つまり、ポーは1人で幻想怪奇作家と推理作家を兼ねており、その著作の題名に含まれている『ミステリー』ということばは、2つの分野に共通するものとして選ばれ、けっして区分するためのものではなかった」と述べています。前作『幻想と怪奇の時代』と併せて読めば、さらにこの妖しくも魅惑的な世界が輝きを増すように思います。

 

幻想怪奇譚の世界

幻想怪奇譚の世界

 

 

2021年2月7日 一条真也

『論語と算盤』

一条真也です。
6日、北陸から九州へ帰ります。
この日、今年2冊目の一条本となる『命には続きがある』(PHP文庫)が発売されました。また、125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第153回分が掲載されています。取り上げた本は、『論語と算盤』渋沢栄一著(角川ソフィア文庫)。

f:id:shins2m:20210203213302j:plainサンデー新聞」2021年2月6日号

 

NHK大河ドラマ次回作は「青天を衝け」(2021年2月14日開始)ですが、主人公は本書の著者である渋沢栄一です。新1万円札の顔としても注目される人物で、約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」として知られています。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に二度も選ばれています。その彼が生涯、座右の書として愛読したのが『論語』でした。

 

渋沢栄一の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。本書で、渋沢栄一は全10章にわたって孔子の精神を説きますが、最後は「成敗は身に残る糟粕」として、以下のように述べています。本書を初めて読んで以来、この言葉はわが人生の指針となっています。

 

「とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬ為と諦め、また成功したら智慧が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に託するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路はさまざまで、時に善人が悪人に敗けた如く見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。故に成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、先ず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福いし運命を開拓するようにしむけてくれるのである」

 

論語』はわたしの座右の書でもありますが、その真価を最も理解した日本人が3人いると思っています。聖徳太子徳川家康渋沢栄一です。聖徳太子は「十七条憲法」や「冠位十二階」に儒教の価値観を入れることによって、日本国の「かたち」を作りました。徳川家康儒教の「敬老」思想を取り入れることによって、徳川幕府に強固な持続性を与えました。そして、渋沢栄一は日本主義の精神として『論語』を基本としたのです。

 

聖徳太子といえば日本を作った人、徳川家康といえば日本史上における政治の最大の成功者、そして渋沢栄一は日本史上における経済の最高の成功者です。
この偉大な3人がいずれも『論語』を重要視していたということは、『論語』こそは最高最大の成功への指南書であることがわかります。『論語』の言葉を題材に、自身の経験や思想を縦横無尽に語る渋沢栄一の『論語と算盤』は、日本人が書いた最高の『論語』入門書であると同時に、『渋沢論語』でもあるのです。

 

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:渋沢 栄一
  • 発売日: 2008/10/24
  • メディア: 文庫
 

 

2021年2月6日 一条真也

「一条真也の読書館」2000回!

一条真也です。
わたしは本が大好きです。
日々、多くの本を読みます。
当ブログでは読書レビューの記事をUPしていますが、そのままオフィシャル・ブックレビューサイト「一条真也の読書館」に転載しています。

f:id:shins2m:20210205103732j:plain一条真也の読書館」が2000回に!

 

同サイトには「一条真也のハートフル・ブログ」および「一条真也の新ハートフル・ブログ」にUPしてきた書籍が紹介されていますが、2月5日にUPしたブログ『幻想と怪奇の時代』の転載をもって、おかげさまで2000回を迎えました。

f:id:shins2m:20210204114236j:plain1冊目は『驚異の百科事典男』でした

 

わたしが最初に書いた書評ブログは、2010年2月15日にアップしたブログ『驚異の百科事典男』でした。 書評ブログを書くことを思い立ったとき、目標は「松岡正剛の千夜千冊」(現在、1763タイトル)でした。「松岡さんのように、いつか1000タイトルにまで行ければいいな」と思っていましたが、まさか2000タイトルを達成するなどとは夢にも思いませんでした。

f:id:shins2m:20210205163110j:plain1000冊目は『知的生活の方法』でした

 

せっかくの記念回なので、何か自分の人生に影響を与えたような本を選びたいと思いました。ちなみに、1000回目はブログ『知的生活の方法』で紹介した渡部昇一先生の名著でした。そして、2000回目には紀田順一郎氏の『幻想と怪奇の時代』を選びました。わたしを筋金入りの本好きにしてくれたのは、中高時代に読んだ紀田氏の一連の読書論・読書術の本であり、氏がプロデュースされた幻想文学怪奇小説の全集・叢書だったからです。わが青春時代において、渡部先生と紀田氏は読書界の両横綱であり、最高の知的ヒーローでした。その次のヒーローが紀田氏のお弟子さんである荒俣宏氏でしたね。

f:id:shins2m:20210205112720j:plain 『幻想と怪奇の時代』で2000冊目に!

 

これまで「ハートフル・ブログ」、「新ハートフル・ブログ」を通じて、さまざまなテーマで記事を書いていましたが、特に「BOOK」というカテゴリーで書き綴った書評ブログは、アップするたびに多くのアクセスをいただき、その反響の凄さには書いた本人が驚くほどでした。わたしは三度の飯より本を読むことが好きなのですが、本を読めば読むほどを自分でも「やむにやまれぬ思い」を書かずにはおれないのです。ふと気がつけば、著書もかなりの冊数になりました。


あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)

f:id:shins2m:20200715153103j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

100冊を越える一条本の中には、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)、『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)などの読書に関する本もあります。そこでは、読書とは読む者の精神を豊かにする「こころの王国」への入口であることを多くの方々に知っていただくための具体的な提案もしました。


スミスの本棚」で「読書の達人」として紹介

スミスの本棚」で大いに語りました

 

あらゆる本が面白く読める方法』の出版を機に、わたしの読書法に興味を持つ方も増え、2010年にはテレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」内の「スミスの本棚」で、松岡正剛氏、平野啓一郎氏と並んで「読書の達人」としてご紹介いただきました


BOOKSCAN」で取り上げられました

BOOKSCAN」で大いに語りました

 

2012年10月には、話題の電子書籍サイト「BOOKSCAN」に、田原総一朗氏、内田樹氏、中谷彰宏氏、神田昌典氏らに続いてご紹介いただき、「読書」と「電子書籍」について大いに語らせていただきました。この取材を受けた時点では、旧ブログを休止していたのですが、このインタビュー記事をご覧になった多くの方から、わたしがブログで書いた書評をカテゴリー毎に再読したいという嬉しい要望が多く寄せられました。

f:id:shins2m:20210204114722j:plain一条真也の読書館」のカテゴリ一覧

 

そこで2012年12月25日に、オフィシャル・ブックレビュー・サイト「一条真也の読書館」を開設しました。これまでブログで紹介してきた大量の本を36のジャンルに分けて整理した書評アーカイブで、予想以上の反響に驚きました。そして、昨年2月に再開したブログにも、多くの書評を書いています。そこで、「読書館」もぜひ拡大掲載して欲しいという声が多数寄せられました。励ましの声に応えるべく、「読書館」をリニューアルすることにしました。

f:id:shins2m:20210204114324j:plain一条真也の読書館」の メッセージ

 

わたしは本ほど、すごいものはないと考えています。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響です。わたしは、本を読むという行為そのものが豊かな知識にのみならず、思慮深さ、常識、人間関係を良くする知恵、ひいてはそれらの総体としての教養を身につけて「上品」な人間をつくるためのものだと確信しています。読書とは、何よりも読む者の精神を豊かにする「こころの王国」への入り口です。わたしが経営者や大学の客員教授として、なんとかやっていけるのも、すべて本のおかげです。これからもブログで紹介した本は「一条真也の読書館」でも公開していきます。ぜひ、1人でも多くの方々に訪れていただき、みなさんが「心ゆたかになる良書」との縁を得られることを願ってやみません。

f:id:shins2m:20210205181827j:plain2000回記念・読者プレゼント!

 

一条真也の読書館」2000回達成記念!

『あらゆる本が面白く読める方法』&
『死を乗り越える読書ガイド』プレゼント!

【お申込み】
書籍名・郵便番号・住所・氏名・年齢をご記入の上、メールでご応募ください。

【Email】 info@ichijyo-shinya.com

【お申込み締切】 2021年3月末日 

 

2021年2月5日 一条真也

『幻想と怪奇の時代』

幻想と怪奇の時代

 

一条真也です。金沢に来ています。
金沢の街は、泉鏡花の文学に代表されるように幻想的なムードに満ちています。
『幻想と怪奇の時代』紀田順一郎著(松籟社)を紹介します。ブログ『蔵書一代』で紹介した著者の本です。平井呈一、大伴昌司、荒俣宏らと共に歩んだ著者の、熱き時代の回想録+評論集です。著者は評論家、作家。1935年、横浜市生まれ。慶應義塾大学入学後、ミステリ研究会に所属。そこで大伴昌司、桂千穂らと出会い、内外のミステリを次から次へと読破する一方、日本ではほとんど知られていなかった、いわゆる怪奇幻想小説にも関心を寄せました。やがて大伴らと、日本初の怪奇小説専門誌である「The Horror」を創刊。顧問に平井呈一を迎えたこの雑誌は2年で休刊するも、その後も引き続き、怪奇幻想の世界を紹介し続けました。そんな中、荒俣宏と出会い、彼と作り上げたアンソロジー『怪奇幻想の文学』がヒット。さらには雑誌『幻想と怪奇』を出し、国書刊行会からは、『世界幻想文学大系』を刊行。このシリーズは全45巻、日本の出版界にこの種の小説を網羅的に紹介したものとして、高い評価を得ました。その後は活動の場を広げ、現在は書物論、情報論、近代史などを専門として評論活動を行う他、小説など創作も手掛けました。著書多数。

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本書の帯

 

本書のカバーデザインは地道徹氏が手掛け、帯には「いま鮮やかに甦る、怪奇幻想文学草創期の夢と熱情」「東 雅夫(「幽」編集長、アンソロジスト)」「怪奇幻想の文学、幻想と怪奇、世界幻想文学大系、現代怪奇小説集――少年時代、青年時代の私を育み、鼓舞し、素晴らしき文藝の魔界へと導いてくれた叢書や雑誌には、いつも其の人の名前があった。底知れぬ博識と、猟奇叛骨の気風と、巧まざるユーモアをもって、戦後日本の幻想文学シーンを先導してきた、大いなるオルガナイザー紀田順一郎。その足跡をみずから振りかえる本書は、伝説の時代を生きた人々の夢と情熱を丸ごと封じ込めたタイムカプセルのごとき書物である」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「1960~70年代、日本においてほとんど認知されていなかった怪奇幻想小説(ホラー、ファンタジーetc)を我が国に根付かせるべく奮闘した、パイオニアたちの記録。自ら幻想書林に分け入り、師匠・平井呈一に叱咤され、盟友・大伴昌司+桂千穂と励まし合い、後継者・荒俣宏の情熱にうたれた著者の、熱き時代の回想録+評論集。第一部の回想録では、日本初の怪奇幻想ジャンル誌『The Horror』創刊、『幻想と怪奇』の挫折、『世界幻想文学大系』の大成功などなど、日本における怪奇幻想文学ジャンルの草創期の熱気を余すところなく伝える。第二部の評論篇では、ウォルポール論、シェリー論、ポオ論、M・R・ジェイムズ論などを収録」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
第Ⅰ部  幻想書林に分け入って
わが最初の境界
限られたマイナーな領域
『黒魔団』を読む女性
大伴昌司とホラー・セミナー
いまだに忘れない収集の苦心
天のときに恵まれた企画
失敗に終わった雑誌
輝ける邪悪の天球儀
円環を閉じるにあたって
第Ⅱ部  幻想と怪奇の時代
恐怖小説講義
ゴシックの炎
ゴシック・ロマンスとは何か
ホーレス・ウォルポール――オトラントまたは夢の城
メアリー・シェリー――造物主または闇の力
エドガー・アラン・ポオ――神話の創造と崩壊
“もう一つの夜”を求めて
『M・R・ジェイムズ怪談全集』解説
日本怪奇小説の流れ
(付録)密室論
「あとがき」
「書名索引/人名索引」

 

 

第Ⅰ部「幻想書林に分け入って」の「『黒魔団』を読む女性」では、著者は以下のように述べています。
「幻想怪奇文学への関心が、具体的な出版という形で芽生えたのは、何といっても1956年に英米怪談の集成『幻想と怪奇』(全2冊)が、『ハヤカワ・ミステリ』に編入されたことからである。いまなお版を重ねているこのアンソロジーを、私は一夏伊豆の貸別荘に持ち込み、毎日2、3篇ずつ一週間かけて読了し、レ・ファニュの「緑茶」、ブラックウッドの『柳』、M・R・ジェイムズの『人形の家』などに新鮮な感銘を受けた」

 

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

 

 

また、ブラム・ストーカーの『魔人ドラキュラ』(平井呈一訳)が東京創元社版『世界大ロマン全集』の1冊として刊行されるにおよんで、この分野への指向性を決定づけられたという著者は、「原著の3分の2ぐらいの抄訳であったが、推理小説同好会の会員の多くが『あれは面白い』と絶賛、とくにハードボイルド好きをもって任じているメンバー(卒業後新聞記者となる)までが口をきわめて賞賛したのが印象的だった。『魔人ドラキュラ』の評判は一般の間でも画期的なものがあったようで、訳者平井呈一(1902~76)の名を一躍高からしめることとなった」と述べます。

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わが書斎の「創元推理文庫」の怪奇小説 

 

『魔人ドラキュラ』の成功を受け、『世界大ロマン全集』には江戸川乱歩編『怪奇小説傑作集』2冊(1957~58)が追加されました。その第Ⅰ巻にはW・W・ジェイコブズ「猿の手」、アーサー・マッケン「パンの大神」、ハーヴィー「炎天」、ラブクラフトアウトサイダー」など、これまで一般向きでないため見送られてきた名作が紹介されていました。実質的な編集と翻訳は平井呈一でした。続く第Ⅱ巻にはL・P・ハートリイ「ポドロ島」、ジョン・コリア「みどりの想い」、ベン・ヘクト「恋がたき」ほかモダン・ホラーの傑作が集められ、2冊を合わせれば20篇の海外名作が一望のもとに見渡せる内容でした。

 

 

この『怪奇小説傑作集』について、著者は「このアンソロジーが主として戦後生まれの読書人に与えたインパクトは、想像以上に大きい。たとえば70年前後から幻想怪奇文学の紹介と創作を中心に前人未踏の活躍をした荒俣宏にしても、その原点は中学生3年生のとき、風邪で寝込んだ際に本書をとりあげたことにあるという」と述べています。その後、東京創元社が『世界恐怖小説全集』全13巻を企画、ブラックウッドの代表作7篇を収める『幽霊島』をもってスタートしたのは1958年8月でした。

 

真夜中の檻 (創元推理文庫)

真夜中の檻 (創元推理文庫)

  • 作者:平井 呈一
  • 発売日: 2000/09/12
  • メディア: 文庫
 

 

平井呈一については、「私は、ちょうどそのころ刊行された岩波版『荷風全集』に収録の『断腸亭日乗』や『来訪者』を読み、1935年ごろから数年間にわたる平井呈一との贋作事件および師弟関係の解消の経緯を知ってショックを覚えていたところだった。荷風に不義理をして、『情婦』と逃亡し、文壇から干されたという話など、到底信じることができなかったのである」と述べています。著者が平井の家を訪問したのは、1963年の秋でした。著者は大伴昌司と2人で出かけたそうです。平井宅は千葉県君津郡大佐和町小久保(現在の君津市富津町)にあり、当時は東京湾をフェリーで横断、富津港で降りてから内陸部へ数キロ入る、かなり不便なところにありました。ちなみに、このあたりは、わたしの父の生家があった場所です。初めて会った平井は当時61歳でしたが、すでに総白髪で、細かなしわを蓄えた風貌は、どう見ても70の坂を越しているようにしか見えなかったそうです。著者は、「日当たりのよい8畳間に案内されると、吉田ふみさん(俳人で後半生の平井呈一を支えた)が挨拶に現れた。この人も私の目には予期以上の年輩者に見え、穏和な村婦といった雰囲気からは、到底荷風のいうような『妖婦』(『来訪者』)の俤を想像することはできなかった」と述べています。

 

 

慶應義塾大学を卒業後、著者は石油精製会社の子会社に勤め、貿易実務を担当していました。ガソリンのノッキングを防止するための薬剤(四エチル鉛といい、人体に悪影響があるため現在は使用禁止)を輸入するのが仕事でしたが、相当な激務で、読書時間を維持するのさえ容易ではなかったそうです。「いまだに忘れぬ収集の苦心」として、著者は「半ドンの土曜日の午後にはできるだけ神保町の古書店まわりをして、最低限の資料収集を怠らないよう努めるのがやっとであった。その甲斐あって、当時はゾッキ本扱いだった幻想怪奇もの、たとえばアンリ・トロワイヤ澁澤龍彦訳の『共同墓地』や山田風太郎の『怪談部屋』などが入手できた。英米の叢書やポケット本などは外回りの仕事のさい、都心の外国人相手のドラッグ・ストアやホテルの売店などを覗いては丹念に集めたものである」と述べています。

 

 

著者の幻想文学への情熱は一時、停滞しました。それを救ってくれたのが、10歳以上若い世代の荒俣宏でした。現在翻訳家、評論家、小説家、博物学者、ブックコレクターそのほか、正確なジャンル規定が不可能な異才です。中学生3年生のとき、風邪で寝込んだ際に手にとった平井呈一訳『怪奇小説傑作集』に感動、平井に手紙を送ったことで知遇を得ました。平井からは欧米の幻想文学や、日本の神秘文学について懇切丁寧な手ほどきを受け、ついに大学に入学の年に渋谷の喫茶店において対面を果たしました。大学在学中に友人と同人誌「リトル・ウィアード」を発行しましたが、平井から著者の名を告げられたことから、今度は神保町の喫茶店において2人の対面が実現することになったのでした。

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わが書斎の『怪奇幻想の文学』 

 

著者と荒俣宏の出会いは、幻想文学の数々の名著を世に送り出しますが、新人物往来社で『怪奇幻想の文学』を刊行する企画が通ったときは非常に嬉しかったそうで、「夢のようだった。企画書が知恵をしぼったものだけに、なおさら嬉しかった」と書いていますが、さらに「そのキモは実に『オトラント城奇譚』の本邦初訳実現にあった。といっても、単独ではおぼつかないので、全3冊のアンソロジーとすることを思いついたのである。第1巻は吸血鬼ものの『真紅の法悦』、第2巻は黒魔術ものの『暗黒の祭祀』とし、第3巻は『戦慄の創造』と名付けて問題の『オトラント城』を収録、枚数が不足のようなので、そのころまでに長編の訳がなかったラブクラフト(「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」)を併収することとし、企画書に盛り込んでいたのである」と述べています。この企画が正式に編集会議を通った直後、著者は荒俣宏に連絡をとり、1巻と2巻の作品選定を依頼しました。彼は2つ返事で、翌々日にはもう20篇ぐらいの候補作を、しかも「月のさやけく夜」とか「血はわが命なりせば」といった、すこぶる気の利いた邦題まで付して送ってきたのには驚いたとか。著者は、「まだ学生だから、といった危惧の念は完全に吹き飛び、翻訳の一部と吸血鬼篇の解説をも依頼することとした」と述べています。さすがは荒俣宏ですね!

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わが書斎の『妖精文庫』 

 

その頃、書店でも月刊ペン社の『妖精文庫』、桃源社の『世界異端の文学』、創土社の『ブックス・メタモルファス』など、多くのシリーズが目につくようになりました。このうち『妖精文庫』は荒俣宏編、ダンセイニ、マクドナルド、ビーグル、ブラックウッドほか、英米系ファンタジー初の本格的集成で、1983年までに29冊を刊行しました。版元は総合誌「月刊ペン」を主力に、早くから『アンソロジー・恐怖と幻想』全3冊を実現していました。

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わが書斎の『ブックス・メタモルファス』

 

また、創土社から出ていた『ブックス・メタモルファス』は独仏系まで範囲を広げ、定評ある幻想怪奇小説のほか、深田甫全訳『ホフマン全集』(井田一衛編集)などを企画しました。荒俣宏訳『ダンセイニ幻想小説集』、中村能三訳『サキ選集』などの他、著者も『ブラックウッド傑作集』『M・R・ジェイムズ全集』(いずれも後に再編の上、『創元推理文庫』として刊行)などで参加しましたが、「諸般の事情から永続しなかったのは惜しまれる」と書かれています。

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わが書斎の『ホフマン全集』

 

幻想怪奇文学について、著者はこう述べています。
「幻想怪奇文学は、ポーのいう単一の効果を発揮させるため、間延びしない短編こそふさわしいという考えがあるが、これは俗説にすぎない。現実にはゴシック文学、19世紀の英文学など数百枚の長編が多く、アダルト・ファンタジーなどは天国のように長いのが普通である。これを訳出紹介するには、大きな容れものとしての叢書が必要であるが、訳し下ろしでは長丁場となって、その間の時間的、経済的な管理が大変となる。まず、雑誌連載からスタートするというのが常識であろう」

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わが書斎の「幻想と怪奇」の全バックナンバー 

 

そして、著者と荒俣宏コンビは、伝説の雑誌「幻想と怪奇」を発刊します。幻想怪奇小説の専門誌を出したいという考えは、早くから著者の頭に浮かんでいたそうですが、具体化に向かって動き出したのは、1972年の初秋でした。神田神保町にある三崎書房から、雑誌刊行の申し出があったのです。誌名は「幻想と怪奇」としました。著者は、「雑誌を維持し得る部数1万以上を見こまなければならない。当初は季刊とし、よい編集者(早川佳克)をつけてもらうことにした。早速荒俣宏に相談し、創刊号は黒魔術特集ということにし、かなりの部分は私が複数のペンネームを用いて埋めた。美術、映画などの話題も含む情報誌の性格も兼ねるようにした。幻想絵画に関する連載(ファンタジック・ギャラリー)の著者麻原雄(故人、東横学園女子短期大学図書館長)とは、このときはじめて会った。当時はまだ慶應大学文学部の助手だったはずだが、いかにも美学者らしい雰囲気のあった人で、強く印象にのこっている」と回想しています。

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わが書斎の『世界幻想文学大系』
 

さらに、著者と荒俣宏コンビは、は国書刊行会から『世界幻想文学大系』を刊行します。『世界幻想文学大系』の第1回配本、ボルヘス『創造者』(鼓直訳)は、1975年5月に刊行されました。四六判252ページ、マーブル模様を基調とした装幀は杉浦康平鈴木一誌。著者は、「この装幀者は私の希望が実現したもので、これ以上のものは考えられないほど素晴らしい出来だったが、4色を重ねる際に細い明朝体の横線を白く抜くことは非常にむずかしく、編集者はデザイナーの承認を得るために印刷所と杉浦康平事務所との間を往復しなければならなかった。カンシャクを起こした国書刊行会の社長が『そんな面倒なものはやめてしまえ』といったとか、いわなかったとか。『天皇と法王の両方に仕えているようなもんですよ』という編集者のぼやきを忘れることはできない」と述べていますが、この国書刊行会の社長とは佐藤今朝夫氏のことです。わたしは1991年に同社から『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』を上梓したとき、佐藤社長には大変お世話になりました。日本酒が好きで、豪快な方でした。

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個性的な書目が並ぶ『世界幻想文学大系』 

 

著者は、「その後幻想怪奇というジャンルは、80年代半ばころから世紀末にかけての文化変容を経験し、読者層が大きく変わってしまったため、現在このような書目が集成されることは考えられなくなった。とくにその感が深いのはブロックデン・ブラウン『ウィーランド』、マチューリン『放浪者メルモス』、デ・ラ・メア『魔女の箒』、ウィリアムズ『万霊節の夜』、シュピース『侏儒ペーター』、ポトツキ『サラゴサ手稿』、キャベル『夢想の秘密』、イェイツ『神秘の薔薇』、マイリンク『西の窓の天使』、フォーチュン『神秘のカバラー』、ユンガー『ヘイオーポリス』、ニコルソン『月世界への旅』などの作品である」と述べています。わたしは、それらの書を最初に読んだときの興奮を今でも思い出すことができます。それらの奇書たちが収められた『世界幻想文学大系』は小倉にあった玉屋というデパートの新春大古書市で全巻揃えましたが、カラフルな叢書を自分の勉強部屋の本棚に飾ると、そこはまるで魔法の部屋になったような気がしたものです。

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わが書斎の『ドラキュラ叢書』
 

同時期の企画として、やはり国書刊行会から出された『ドラキュラ叢書』第1期10冊があります。著者は、「これは『世界幻想文学大系』が純文学系中心となったので、エンターテインメント系を集成しようと試みたものである。この種のものは他社からも出るようになっていたが、たとえばアーカム系の代表作ホジスンの『幽霊狩人カーナッキ』やホワイトヘッドの『ジャンビー』といった本格的な怪奇ものは、異端文学を売りものとする出版社からもまだ出ていなかった。やはり私たちがやるほかあるまいと、企画を立てたのであるが、意外にも版元側からは廉価の軽装版として日本画家の挿絵などを入れ、普及を図ることを提案された。おそらく『世界幻想文学大系』よりも手間がかからない、売れ行きもよいものを期待したのだろう。私たちは廉価ということは歓迎だが、装幀まで安っぽいのは困るとして、画家に手直しを求めた。結果はあまり改善されたようにも見えず、かえって中途半端な印象を与えるものになってしまった。この叢書は、それでも私と桂千穂の共訳による『妖怪博士ジョン・サイレンス』や荒俣宏編『ク・リトル・リトル神話集』、R・E・ハワードの『スカル・フェイス』などが実現し、内容的には新鮮味があったと自負しているが、版元が期待したほどには売れず、第2期以降は実現しなかった」と述べています。

 

蟲類 (1) (世界大博物図鑑)

蟲類 (1) (世界大博物図鑑)

  • 作者:荒俣 宏
  • 発売日: 1991/08/01
  • メディア: 大型本
 

 

『世界幻想文学大系』の完結は、編者たちにとっても1つの区切りとなったようで、翌年荒俣宏は『世界大博物図鑑』全5巻・別巻2(1986~94)に取組み、著者もまたしばらくこのジャンルからは離れ、出版文化史の方面に軸足を移行していきました。たとえば、三一書房版の『少年小説大系』全28巻・別巻5・資料篇1(1985~97)とその派生企画『海野十三全集』全13巻・別巻2(1988~93)などを企画し、出版しています。著者は、「戦前戦後の大衆児童文学に焦点を合わせたという意味で、自分なりに総集成的な意味があったと思っている」と述べています。

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わが書斎の「幻想文学」のバックナンバー

 

「円環を閉じるにあたって」として、著者は「90年代以降の幻想怪奇小説の活性化に、大きな役割を果たしているのが東雅夫(1958~)である。7歳のころ大伴昌司監修『世界怪物怪獣大全集』をボロボロになるまで愛読し、10歳のころ一人で書店に行って岩波文庫版のカフカ『変身』を購入し、店員から変な顔をされたといったエピソードは、栴檀は双葉よりも芳しのたとえ通り、この分野の研究紹介者としての類縁性を感じさせる。22歳のときに幻想文学研究誌『金羊毛』を創刊、これを専門季刊誌『幻想文学』に発展させ、21年間の長きにわたって持続、現在は日本初の怪談専門誌『幽』の編集長でもある」と述べています。ちなみに、今や「怪談スペシャリスト」として知られる東雅夫氏は、わたしが所属していた早稲田大学幻想文学会の先輩です。

 

ポオ小説全集 1 (創元推理文庫 522-1)
 

 

第Ⅱ部「幻想と怪奇の時代」のⅢ「恐怖小説の開花」では、著者は「恐怖小説は本質的にはロマン主義の文学でありますが、感覚を重んじる点からみれば、自然主義的な合理性をもつともいえます。この文学上の合理性を獲て、はじめて近代の恐怖小説が発生いたします。時に1840年、エドガー・アラン・ポーの『グロテスクとアラベスクの物語』の出現であります。彼は怪奇な想像力を、正確な計算と慎重な設計の上に描きだした作家でありまして、その2つの属性が醸しだす異様な味わいは、ポール・ヴァレリーをして『数学的阿片』と嘆ぜしめたのであります。しかし、ポーの描かんとしたものは、煽情というよりも、その1つ上にある『美』でありました。幻想に客観的な厳密さを与えることに専念したのであります。もちろん、それは装われた厳密さです。ポーは精神の諸相の1つ、『恐怖』というものの捉えがたさを誰よりもよく知っていました。それだからこそこれに厳密性を与えてみようとしたのでしょう」と述べています。

 

死者の誘い (創元推理文庫)
 

 

また、Ⅳ「二人のアウトサイダー」として、恐怖小説の黄金時代が1880年から1910年までの30年間であるとして、著者は「マッケンも、ジェイムズもこの年代に出ておりますし、高度に心理小説風なデ・ラ・メアの代表作『死者の誘い』(1910)に至るまでの間に、ビアスの『いのちの半ばに』(1891)、ストーカーの『ドラキュラ』(1897)、ヘンリイ・ジェイムスの『ねじの回転』(1898)などが続々と出版され、そのあいまを縫って、イディス・ワートン、オリヴァー・オニオンズ、マリオン・クロフォード、ルドヤード・キプリング等の珠玉が発表されております。なぜ、この時にすぐれた怪談が出たかということはあまりよくわかっておりませんが、あるいは機械文明の到来をきらって、前時代の生活のムードをいとおしむ人々が、期せずして一種の白鳥の歌をうたったのであるとする、フィリップ・ヴァン・ドゥレン・スターンあたりの説が正しいのかもしれません。そうだとすれば、この時代の作家の中でもとりわけのアウトサイダーは、あのアルジャーノン・ブラックウッド(1869~1953?)ということになりましょう」と述べています。

 

 

「ゴシックの炎」では、ゴシックそのものについて、著者は「建築にせよ小説にせよ、彼らにとってゴシック的世界の創出は、おのれという異端の生の主張であり、存在証明であった。しかし、後継者たちは必ずしも同一の契機によってゴシック・ロマンを書いたのではない。すでにゴシック趣味は、時代の本能と結びついた暗い部分とかかわっていた。ごく些細な動機さえあれば、作家たちがこれら共通語を学びとり、表現に高めることができた。『ユドルフォの秘密』の作者アン・ラドクリフは、ジャーナリストである夫の帰宅までの時間をもてあまし、小説に筆を染めた。幽霊物語の執筆は、ほかならぬ彼女自身の恐怖を中和するものであった」と述べます。

 

オトラント城綺譚 (1975年)

オトラント城綺譚 (1975年)

 

 

続けて、著者は「『老男爵』のクララ・リーヴは、『オトラント城綺譚』に刺激され、よりリアリスティックな幽霊の創出をめざしたものであるし、M・G・ルイスは、ウォルポールラドクリフ、それにシラーの『群盗』に影響されて『マンク』を書いた。こえて19世紀にはいると、ジョン・ポリドリはジュネーヴバイロンの別荘において、バイロンの示唆によって『吸血鬼』を仕上げたし、彼らとともに幽霊物語の語らいに熱中していたメアリ・シェリーは、一夜の夢をヒントに『フランケンシュタイン』を創造した。これはやはり『オトラント城綺譚』が作者の夢をもとに作られた事情に照応する」と述べています。

 

 

さらにアメリカが生んだ怪奇小説の巨匠であるH・P・ラブクラフトの少年時代について、著者は以下のように述べています。
「少年ラブクラフトは、眠られぬ夜、天文学書を片手にロードアイランドの田舎家の窓から天空を眺める。何千という星が秩序づけられ、空間に凝集し、彼の孤独と一体をなしている。だが、しばしばあまりに輝きすぎる夜の暗黒以上に彼を楽しませるのは、〈もう1つの夜〉である。ギリシア、ローマの歴史、アラビアン・ナイト、18世紀のイギリス、――そして必然的にゴシック・ロマンスといった領域が、彼の内面の宇宙を形成する・・・・・・」「ウォルポールからマチューリンにいたる始祖たちの暗い情熱、ホフマンからエーベルス、マイリンクにいたるドイツ戦慄小説の旗手たちの悪魔的な幻想、レ・ファニュを経てマッケン、ブラックウッド、ジェイムズにいたるイギリス怪奇小説派の妖美の探求、そして彼の国にはポオをはじめ、早咲きの幻想小説をものしたブロックデン・ブラウン、それにビアースという大物が憑かれたように神秘への郷愁を吐露していた。早熟な少年がこれら魔法使いの弟子として大人の世界に復讐してやろうと考えたのは必然である。第1の習作「洞窟の怪獣」が書かれたのは、彼が15歳のときであった」

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わが書斎の『ゴシック叢書』
 

「ゴシック・ロマンスとは何か」では、「近代という十字架」として、著者はモンタギュー・R・サマーズの『ゴシック探求』に言及しながら、「日本の近代化は、異質の文化の、外からの衝撃という形で与えられ、その確立と同時に克服を目ざさねばならぬという宿命をつねに負わされてきた。これに反して、ゴシック精神はそれがいくら擬古趣味としての一面をもっているとしても、本質は文化的連続体――内なる宗教的伝統と生活様式の中から必然的に醸成されたものである。中世~近代という便宜的な時代区分を超えて、そこには1つの連続体としての文化に内在する矛盾と毒素を、自己の体質に根ざす創造力によって中和し、止揚していこうとする強靭な感覚がある。その意味で、ゴシックは『文化』なのだ」と述べています。

 

怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎 (角川ソフィア文庫)

怪談牡丹燈籠・怪談乳房榎 (角川ソフィア文庫)

 

 

「日本の怪奇小説の流れ」では、「日本の怪異小説を説話の域から離脱させたものは、天文年間に中国から渡来したという『剪燈新話』であり、とりわけその中の一篇『牡丹燈記』であった。これが浅井了意の『伽婢子』という近世最初の怪談集に翻案され、以後、秋成や京伝、南北、円朝らの作品にとり入れられていく過程を見ると、日本人の怪異感覚がよくわかる。たとえば、原典の中国版は道教の枠組において、幽玄かつ艶麗な幻想世界を形づくっているが、日本の場合はグロテスクと感覚的(形而下的)なリアリティーを表面に出す。その1つの極点を、私たちは円朝の速記本『牡丹燈籠』に見ることができる」と書かれます。

 

泉鏡花 作品全集

泉鏡花 作品全集

 

 

また、円朝は『真景累ケ淵』で混乱期のグロテスク嗜好に投じた作品を演じ、明治20年代には石井鴻齋の『夜窓鬼談』が非常に普及しました。翻訳では、ブルワー・リットンの『幽霊屋敷』をかなり忠実に紹介した『開巻驚奇/竜動鬼談』が明治13年(1880)に出ています。このような時代に人格形成期をおくった泉鏡花が、草双紙の教養と江戸趣味を武器に創作活動を開始したのは、明治28年(1895)でした。著者は、「まもなく復古調の時代に入り、その波に乗って自由に個性を発揚しえたのは、彼にとってまことに幸いだったといえよう。一種の怪奇スリラーともいうべき『活人形』をはじめ、『高野聖』『眉かくしの霊』『海異記』『天守物語』などの名作によって、わが国の怪奇小説中興の祖となったのである」と鏡花を高く評価しています。

 

江戸川乱歩 作品全集

江戸川乱歩 作品全集

 

 

さらに江戸川乱歩に言及して、著者は「少年時代に涙香の『幽霊塔』その他の翻案ものや、露伴・鏡花に感銘を受けた彼は、大正初年、谷崎潤一郎の初期作品およびポー、ドイル、チェスタトンに接して、推理小説への道を志す。『智的小説刊行会』という組織をつくったときの趣意書によれば、近代の文学が非現実のロマンチシズムを排する傾向にあきたらず、推理小説や科学小説の中に理性の美、判断力の美、知識の美を求めていきたい、としている。注意すべきは、“理性”や“判断力”がロマンチシズムの文脈においてとらえられていることで、ここに彼の推理小説の特色と限界があった。推理小説は現実逃避の一手段であって、結果的に必ずしも推理やパズルの要素に固執する必要はなかった。その意味で、彼が『人でなしの恋』や『押絵と旅する』『鏡地獄』『赤い部屋』その他の怪奇幻想小説を併行して書いたのも、なんら矛盾ではない」と述べるのでした。

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わが書斎の怪奇幻想文学コーナー

 

本書には、わが中学・高校時代の愛読書が次から次に登場して、まことに懐かしかったです。『怪奇幻想の文学』も、『世界幻想文学大系』も、『ドラキュラ叢書』も、『妖精文庫』も『ゴシック叢書』も、ホフマンも、ポーも、アーサー・マッケンも、ラブクラフトも、鏡花も、乱歩も、そして雑誌「幻想と怪奇」のすべての号も、わが精神の巣である書斎に並んでいます。それらの書物たちの背表紙を眺めながら、わたしは夜ごとに悦に入り、想像の翼を広げてきたのでした。

 

幻想と怪奇の時代

幻想と怪奇の時代

 

 

2021年2月5日 一条真也