遺族や高齢者に交流の場

一条真也です。
3日、新入社員研修で「社長訓話」を行います。
日本経済新聞」朝刊にわたしの記事が掲載されました。

f:id:shins2m:20200403172041j:plain日本経済新聞」2020年4月3日朝刊

 

記事は「悲嘆ケア 葬祭業が一肌」の大見出し、「遺族や高齢者に交流の場」「北九州のサンレー 佐久間社長に聞く」として、以下のように書かれています。
「高齢化が進み、老齢や病気、災害、事故、犯罪など様々な死別がもたらす遺族の悲しみを和らげ、立ち直りを支える『グリーフ(悲嘆)ケア』が注目されている。九州で冠婚葬祭施設を展開する サンレー北九州市)の 佐久間庸和社長は事業家の枠を超え、高齢者や遺族が集う場を提供。地域のつながりを取り戻す『有縁』社会づくりに動いている。
『葬式は、要らない』『葬式は必要!』。2010年、真逆のタイトルを付けた2冊の書籍が書店に並んだ。前者の宗教学者が高額な葬儀に疑問を投げかけた内容などに対し、後者は佐久間社長が『一条真也』のペンネームで人生儀礼としての葬儀の必要性を説いた。
佐久間氏は作家活動や大学の講義を通じ、宗教や芸術、哲学、心理学などの面から現代の死生観を見つめてきた。フランスで起きた孤独死を悼む小さな集まりが欧州全域に広がった『隣人祭り』という運動に共感し、08年から地域の高齢者を集めた食事会などを開催。『似た境遇にある知り合いを増やす地縁づくりは喜ばれる』と話す。その経験が悲嘆に暮れる遺族を社会生活に戻していく『グリーフケア』につながる。通常の葬儀会社は法事を終えると疎遠になるが、佐久間氏が10年に始めた『月あかりの会』は仏壇に供える花のアレンジメント教室や写経や合唱、散歩やバス旅行、相続やお墓の相談会などを催し、遺族が参加する。
『少しずつ会話や笑顔を取り戻した方が次の遺族をケアする存在になっていく』。会員は1万5000人近くになり、北九州市に専用施設も2カ所設けた。
18年から 上智大学グリーフケア研究所(東京・千代田区)で客員教授を勤め、ケアの機能を検証。『故人の供養に加え、遺族自身が死の不安を乗り越えるきっかけになる』とみる。全国200社が加盟する一般社団法人の全日本冠婚葬祭互助協会(東京・港)の副会長として、グリーフケアの資格制度設立も検討中だ。『血縁や寺院との関係が薄れがちな現代に、葬祭業が地域に役立てる場面は増えるはず』と、ケア技術を備えた人材の育成をみすえている。(山根清志)」

 

2020年4月3日 一条真也拝 

犬鳴峠

一条真也です。
1日、新入社員の辞令交付式を終えた後、サンレーの石田執行役員の運転する車で福岡県宮若市に向かいました。紫雲閣の建設用地を視察するためですが、その途中で「最凶の心霊スポット」と呼ばれる場所に寄りました。犬鳴峠です。

f:id:shins2m:20200401142742j:plain犬鳴峠

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新犬鳴トンネル

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新犬鳴トンネルをバックに



訪れたのは、犬鳴峠の「新犬鳴トンネル」です。
このトンネルは新しいのですが、古い「犬鳴トンネル」もあります。現在は封鎖されていますが、ブログ「犬鳴村」で紹介したジャパニーズ・ホラー映画に登場します。この「犬鳴村」という映画、当初はあまり観たいとは思いませんでした。というのも、実在の場所を舞台とした物語は良くないと思っているからです。なぜなら、その場所に住む人々への偏見を生み、差別を助長する危険性があるからです。横溝正史の探偵小説を映画化した作品にもそのような側面がありますが、金田一耕助が訪れるのはいずれも山奥とか離れ島のような辺境でした。しかし、映画「犬鳴村」の舞台は、福岡市や北九州市の両政令指定都市から近い福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町との境を跨ぐ「犬鳴峠」です。

f:id:shins2m:20200401142810j:plain 旧「犬鳴トンネル」への道は閉鎖されています

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この奥に入ってみたかった!

 

犬鳴峠とはいかなる場所か?Wikipedia「犬鳴峠」の「概要」には、「犬鳴峠という名前は側に位置する犬鳴山から来ている。由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には『この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔 狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた』と記されている。他にもこの犬鳴山はとても深いため、犬でも越えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説がある。他にも、律令時代に稲置(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に『いんなき』と変化していった説がある。筑前方言で犬は『イン』と呼ぶため、『インナキとうげ』とも呼ばれる」と書かれます。



Wikipedia「犬鳴峠」の「犬鳴村伝説」には、「旧犬鳴トンネル近くに、法治が及ばない恐ろしい集落『犬鳴村』があり、そこに立ち入ったものは生きては戻れない」という都市伝説であるとして、「この都市伝説に関しては諸説あるが、概ね以下の内容である。トンネルの前に『白のセダンは迂回してください』という看板が立てられている。日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。村の入り口に『この先、日本国憲法は適用しません』という看板がある。江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある」と書かれています。

 

さらに続けて、以下のように書かれています。
「入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。『村人は異常に足が速い』と続く場合もある。全てのメーカーの携帯電話が『圏外』となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された」
もちろん、以上の伝説はすべて事実ではありません。

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犬鳴ダムは桜が満開でした

 

いずれにせよ、このような馬鹿げた都市伝説に基づいた「犬鳴村」というホラー映画を犬鳴峠の周辺に住む方々が観たらどんな気分になるでしょうか。映画化によって差別・いじめなどの問題は起こらないのでしょうか。本気で心配になります。この映画、やたらと「実在の最凶心霊スポット、映画化」などと煽っていますが、映画の中で「この映画に登場する場所は実在の場所とは一切関係ありません」というテロップぐらい流すべきではないでしょうか。それが映画の舞台にされた場所への「礼」であると思います。

f:id:shins2m:20200401143644j:plain犬鳴ダムにて

 

実際に訪れた「新犬鳴トンネル」は少しも怖くありませんでした。これなら、「新型コロナウイルス」のほうがずっと怖いです。それよりも、近くの「犬鳴ダム」の周辺の桜が咲き誇っていて、じつに見事でした。わたしは傘を差して桜を見上げながら、「ああ、もう4月だなあ」とつぶやきました。

 

2020年4月2日 一条真也

新入社員辞令交付式

一条真也です。
4月になりました。小倉でも桜が咲きましたが、あいにくの雨です。1日、サンレー本社での4月度総合朝礼は中止されましたが、10時から 松柏園ホテルで株式会社サンレーの辞令交付式が行われました。

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辞令交付式のようす

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最初は、もちろん一同礼!
 

ブログ「サンレーグループ入社式」でも紹介したように、例年は各地のグループ企業すべての新入社員を一同に集めて合同入社式を行うのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、今年は大幅に規模を縮小して本社新入社員のみを対象とした「辞令交付式」としたのです。

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心を込めて辞令を読み上げました

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心を込めて辞令を交付しました

 

司会は、サンレー人事課の佐野さんが務めました。
「開式の辞」で辞令交付式がスタートし、社長であるわたしは新入社員に辞令を交付しました。わたしはマスク姿で1人ずつ名前を読み上げ、心を込めて交付しました。

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マスクを外して・・・・・・

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社長訓示を行いました

f:id:shins2m:20200401100851j:plain入社、おめでとうございます!

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新入社員のようす

 

その後、わたしはマスクを外して社長訓示を述べました。
わたしは、以下のようなメッセージを伝えました。
入社、おめでとうございます。みなさんを心より歓迎いたします。いつもこの時期になると、社長として、新入社員のみなさんの人生に関わることに対して大きな責任を感じてしまいます。そして、世の中の数多くある会社の中から、わがサンレーを選んで下さって感謝の気持ちでいっぱいです。みなさんと縁をいただき、お会いできて嬉しいです。

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新型コロナウイルスの感染拡大について

 

いま、世界では新型コロナウイルスが猛威をふるい、人類社会が大混乱しています。日本でも各種イベントの自粛、東京オリンピックパラリンピックの延期決定、不要不急の外出自粛、さらには緊急事態宣言が発令される可能性さえあります。みなさんは、大変な時期に社会へ出ていくことになります。きっと、言葉にできないような大きな不安を抱えていることでしょう。わたしは、みなさんの父親のような気持ちでいます。その不安をなんとか解消してあげたいと思います。しかし、安心して下さい。みなさんの人生の選択は大正解です。世間では感染拡大の影響を受け、企業の業績悪化による就職の内定取り消しの動きが広がっているようですが、みなさんは心配する必要はありません。

f:id:shins2m:20200401101040j:plainサンレー は礼業である!

 

ところで、みなさんは「サンレーは何の会社ですか」と聞かれたら、どのように答えますか。多くの人は「冠婚葬祭の会社です」と答えることでしょう。でも、サンレーは結婚式や葬儀のお手伝いだけでなく、婚活支援サービスやグリーフケア・サポートも行っています。ホテルや高齢者介護施設も経営していますし、隣人祭りも多数開催しています。それらの事業はすべて「人間尊重」をコンセプトとしています。そして「人間尊重」をひとことで言うと「礼」ということになるでしょう。そうです、サンレーとは「礼」の実践を生業(なりわい)とする「礼業」なのです。世の中には農業、林業、漁業、工業、商業といった産業がありますが、わが社の関わっている領域は「礼業」です。「礼業」とは「人間尊重業」であり、「ホスピタリティ・インダストリー」ということになります。

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儀式なくして人生なし!

 

このような会社に入った新入社員のみなさんに一番伝えたいことは、儀式の大切さです。平成が終わって令和の時代となりました。時代の変化の中で、さまざまな慣習や「しきたり」の中には消えるものもあるでしょう。しかし、世の中には変えてもいいものと変えてはならないものがあります。結婚式や葬儀、七五三や成人式などは変えてはならないもの。それらは不安定な「こころ」を安定させる「かたち」だからです。儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません!

f:id:shins2m:20200401101252j:plain「かたち」があるから「こころ」が収まる

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。 「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。

f:id:shins2m:20200401102004j:plain人類はなぜ滅亡しなかったか?

 

ですから、感染拡大の不安の中で、あえて今日の辞令交付式を行ったのです。儀式とは、人間を幸せにするためにあります。大古から、人類は葬儀と結婚式を世界各地で行ってきました。それによって、自死の連鎖を防ぎ、家族の形態を維持し、社会を発展させてきました。いわば、人類が冠婚葬祭を発明しなかったら、とうの昔に滅亡していたと言えるでしょう。また、お互いに助け合う「相互扶助」というものがなくても、人類は確実に滅亡していました。

f:id:shins2m:20200401102045j:plain冠婚葬祭互助会は不滅である!

 

すなわち、冠婚葬祭および相互扶助は人類の本能ともいえるものであり、その二大本能に基づく冠婚葬祭互助会は不滅の産業なのです。「何事も陽にとらえる」というのは佐久間会長が唱えたわが社の信条ですが、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックを陽にとらえれば、人類史上初めて「世界は1つ」という一体感を得たことでしょう。東京オリンピックも延期されましたが、五輪を「平和の祭典」と呼ぶならば、結婚式だって「平和の儀式」です。

f:id:shins2m:20200401102140j:plain冠婚葬祭は「世界平和」と「人類平等」に通ず! 

 

そう、「結婚は最高の平和」であり、「死は最大の平等」です。冠婚葬祭という営みは、「世界平和」と「人類平等」というこの上なく崇高な理念につながっているのです。冠婚葬祭ほど、みなさんが人生を賭けるに値する素晴らしい仕事はありません。本当は、サンレーグループの新入社員全員にこのことを伝えたかったのですが、現在の状況から仕方ありません。ぜひ、みなさんが生きる未来を、みなさん自身が創造して下さい。本日は、本当におめでとうございました!

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役員紹介のようす

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新入社員紹介のようす

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最後は、もちろん一同礼!

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新入社員退場のようす

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記念写真を撮影しました

 

そして、無言ながら役員紹介と新入社員紹介があり、「閉会の辞」で辞令交付式は終了しました。この日は、例年行われている社歌斉唱、新入社員自己紹介、決意表明・・・すべてありませんでしたが、新入社員が社会人としてのスタートを切るその日に、辞令だけは渡すことができて良かったです。また、社長としてのメッセージを伝えることもできて良かったです。秘書室の鳥丸課長は、「こういう儀式もシンプルで、新鮮な感じがしますね」と言っていました。辞令交付式終了後、新入社員のみなさんと記念撮影をしました。

f:id:shins2m:20190401114142j:plain昨年の新入社員歓迎昼食会のようす

f:id:shins2m:20200331114736j:plain昨年の新入社員歓迎昼食会のようす

 

例年なら、その後は新入社員歓迎昼食会が開かれるのですが、それは中止しました。昨年は、会場内にモニターを設置し、新元号発表のNHK中継を流しました。新元号の発表を一同息をひそめて待っていましたが、「令和」とわかった瞬間、各自が持っていたクラッカーが鳴らされ、大きな拍手が起こりました。わたしはマイクの前に立って、「ただ今、新元号が『令和』と決まりました。『万葉集』に由来する言葉のようですが、きっと美しい日本の文化を大切にしようというような意味だと推察します。美しい日本の文化とは冠婚葬祭のことです。この素晴らしい仕事を選ばれ、本日から社会人となられたみなさん、本当に、おめでとうございます!」と述べました。あれから1年、まさかこんな事態になるとは夢にも思いませんでしたが、愚痴を言っても仕方がない。
何事も陽にとらえて前を向いて進みましょう!

f:id:shins2m:20200401104018j:plain松柏園ホテルの桜の前で

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小倉紫雲閣の桜の前で

 

その後、わが社の冠婚部門の旗艦店である松柏園ホテル、および葬祭部門の旗艦店である小倉紫雲閣の桜の前で傘をさして写真を撮影しました。わたしはかつて、人の一生を桜に例えて、結婚式は満開の儀式、葬儀は散る儀式として、以下のような歌を詠みました。

 

花は咲きやがて散りぬる人もまた  
    婚と葬にて咲いて散りぬる


わたしは、冠婚葬祭業とは「魂のお世話業」だと思います。
これから冠婚葬祭という「結魂」と「送魂」のお世話をする新入社員たちの前で以下の歌を詠んだことがあります。この二首の歌を今年の新入社員のみなさんにも贈ります。

 

日の本の善き人々の魂を 
      結んで送れ若き桜よ

 

2020年4月1日 一条真也

VRで故人と再会する

一条真也です。
新型コロナウイルスの猛威は衰えを見せません。
4月1日、予定されていたわが社の入社式も中止し、規模を縮小して辞令交付式を行います。エイプリルフールですが、くれぐれも「感染しました」とか「陽性でした」などのウソをついたり、新型コロナに関するデマ情報を発信するのは絶対にやめましょう。人間としての品性が疑われます。
さて、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第21回目がアップされました。タイトルは、「VRで故人と再会する」です。

f:id:shins2m:20200330141043j:plain「VRで故人と再会する」 

 

東洋経済ONLINEで見つけた「ニューズウィーク日本版」ウエブ編集部の「死んだ娘とVRで再会した母親が賛否呼んだ理由」という記事には考えさせられました。VR(バーチャルリアリティー)では、ヘッドセットとゴーグルをつけ、誰でも簡単に仮想現実の世界へ入って行けます。いまやテクノロジーの驚異的な発達で、その技術はエンターテインメントにとどまらず、さまざまな場面で活かされています。

 

映画配給コーディネーターのウォリックあずみ氏が書いた同記事では、「VRで3年前に亡くなった娘と『再会』」として、2月6日に韓国で放送されました「MBCスペシャル特集―VRヒューマンドキュメンタリー"あなたに会えた"」という番組を紹介しています。番組の内容は、2016年に3年前に血球貪食性リンパ組織球症(HLH)を発症し、7歳で亡くなってしまったカン・ナヨンちゃんとその家族、主に母親との再会の話です。ナヨンちゃんは発症後、ただの風邪だと思い病院を受診したところ、難病が発覚して入院。その後たった1カ月で帰らぬ人となりました。

 

3年以上たった今でも、家族はナヨンちゃんの事を思い続け悲しみに暮れていました。そこで、MBC放送局はVR業界韓国内最大手である「VINEスタジオ」社と手を組み、ナヨンちゃんと母親を仮想現実の中で再会させてあげたわけです。その動画をわたしも観ましたが、もう泣けて仕方がありませんでした。亡くなったわが子に会いたいという想いが痛いほど伝わってきました。わたしの2人の娘はともに元気ですが、彼女たちがじつは幼い頃に死んでいて、VRで再会したシチュエーションを想像すると、もうボロボロと涙が出てきました。

 

しかしながら、恐山のイタコを通した死者との対話である「口寄せ」を連想したのも事実です。イタコの姿や声そのものが変化しないことで、あくまで「死者そのものは生前と同じ状態でその場にいない」ことが理解できるように、死者と生者という、分かちがたい境界を意識させるものが、遺族のためにも存在しなければなりません。

 

そうした倫理的な区分さえしっかりとさせておき、適切な利用に導きさえすれば、VR技術はその進歩と連動して、有力なグリーフケアの担い手となることでしょう。仮想現実の中で今は亡き愛する人に会う。それはもちろん現実ではありませんが、悲しみの淵にある心を慰めることはできるはずです。何よりも、自死の危険を回避するだけでもグリーフケアにおけるVRの活用は検討すべきではないかと思います。



2020年4月1日 一条真也

五輪を儀式に戻そう!

一条真也です。
弥生晦日になりました。3月も今日で最後です。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、明日4月1日に予定していたサンレーグループ合同入社式は規模を大幅に縮小して、本社新入社員のみの辞令交付式を行います。

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ヤフー・ニュースより 

 

さて、東京五輪は2021年7月23日~8月8日に延期するとの発表がありましたが、「『無神経の極み』と批判 五輪日程発表で米紙」というネット記事を読みました。それによれば、30日の米紙「USA TODAY」(電子版)は、東京五輪の新たな大会日程が発表されたことについて「無神経の極みだ」と国際オリンピック委員会(IOC)を批判したそうです。同紙の運動担当コラムニストは「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜ日程を発表する必要があるのか」と指摘しました。また、「せめて暗いトンネルを抜けて光が見える時まで待てなかったのか」「新型コロナウイルス感染の状況改善を待つべきだった」、さらには「来年7月に感染が終息している保証はない」などと述べて、発表が拙速だったと主張しました。わたしも同感です。

f:id:shins2m:20200331150155j:plain高野孟のTHE JOURNAL」より 

 

なぜ延期期間は1年になったのか。その理由を調べていたら、ジャーナリストの高野孟氏が自身のメルマガ「高野孟のTHE JOURNAL」に書いた「すべて自己都合。安倍首相が東京五輪を2年でなく1年延期にした訳」という記事を見つけました。高野氏によれば、「安倍首相は、バッハと森に任せておけば優柔不断の二乗となって決断が遅れ、延期もままならず中止に追い込まれることを恐れたのだろう。これを中止ではなく延期、しかも2年ではなく自分の自民党総裁任期内の1年延期に止めるべく、権限外の場違いであることを厭わず介入した」そうです。「中止となれば、後手後手への非難を含めて責任論が噴き出して、安倍首相は早期辞任となりかねない。それを避けるには延期だが、それも2年先では自分がどうなっているか分からないから1年先なのである。しかし、それってすべて自分の都合ですよね。本当は、指導者というものは、自分のことはさておいて、中止と延期でどちらが時間とエネルギーと費用が少ないか、延期の場合に1年先と2年先ではどちらが日程を組み替えやすくて費用も最小で済むかなど、まずは国民と世界のアスリートにとってのメリット・デメリットを試算して提示し、判断を仰ぐのが普通でしょうに」とも書いています。



高野孟氏といえば、1995年、新党さきがけ政調会長菅直人、前日本社会党委員長山花貞夫日本新党を離党した海江田万里といった人々と「リベラル東京会議」を旗揚げされた方です。この「リベラル東京会議」の設立が翌年の旧「民主党」結党のきっかけになったわけですから、高野氏は自民党および安倍首相とは政治的立場を異にすることは明白です。わたしはこれでも自民党の党員ですので、正直言って安倍首相への批判の色合いが強い論調には距離を置きたいのですが、そこで語られている高野氏の五輪についての考え方には「目から鱗」の思いがしました。

 

朝日新聞」3月26日朝刊で、一橋大学教授の坂上康博氏(スポーツ社会学)は、IOCのバッハ会長が「自分からそれを言い出すのをできるだけ避けているように見えた」理由について、テレビ局やスポンサーに大きな損害を与えてしまうこと、IOCが開催地に負担を強いているという印象を強めることを恐れていたからだと指摘しています。IOCの2013~16年の収入は約57億ドル(約6300億円)で、その7割強がテレビの放映権料だといいます。かつては、そのまた7割以上を米国のテレビ局が占めていました。それゆえ、彼らの意向で開催時期は米国内のスポーツ競技の閑散期に当たる夏で、さらに人気のある競技は米国のゴールデンタイムに生中継できるようゲーム開始時間が組まれるということが罷り通っていたのです。



しかし、現在では米テレビ局のシェアはそれほどでもなく、放映権料全体の中で5割程度と見られているそうです。それでもIOCとしては放映権料を少しでも高く売るのに必死ですので、できれば自分から延期や中止を口にしてテレビ局やスポンサー企業の機嫌を損ねることはしたくありません。
また、開催地の経済負担の大きさという問題は、すでに五輪そのものの存続に関わるほどに深刻さを増しているとか。
無理を重ねて誘致して施設の整備や大会の準備に莫大な費用を注ぎ込んでも、大会後にはその国の経済全体が落ち込み、せっかくの施設も市民スポーツの増進には役立たずに廃墟化してしまう。そんなマイナス面ばかりが目立つようになったというのです。そのため、五輪招致の手を挙げるのはロンドン、東京、パリなど先進国の巨大都市ばかりになったのでした。それ以外都市で市長が動こうとすると、市民から反対運動が起きるような始末。これが五輪招致の現実なのです。



以上の坂上氏の見解を受けて、高野氏はこう述べます。
「つまり五輪そのものがもはや黄昏のビジネスとなりつつあって、そこで今回『中止』となれば破局は間違いなし。『延期』であっても恐らく何千億円もの追加費用を投じて無理に無理を重ねて強行しなければならないはずで、それを見ればますます誘致希望者はいなくなっていく。それを思うと、バッハはたぶん、自分の方からは『さらに何千億円かけてでも延期せよ』とは言い出せなかったのだろう」
同じ3月26日付「朝日」の記事では、ライターの武田砂鉄氏が「なぜ中止ではなく、延期なのか。『1年』の根拠は何なのか。こうした疑問に明確な説明があったわけでもない・・・・・・。延期より『中止』が経済的な損失が少ないのではないか。『復興五輪』ならこのタイミングで中止してその分のお金を復興に回す。そう考えてもいいはずなのに」と指摘しています。これも、わたしは同感です。



また、高野氏は「もう止めたほうがいい五輪」として、「このドタバタ劇から透けて見えるのは、五輪そのものの馬鹿馬鹿しさ──と言ってしまうと身も蓋もないが、時代との関わりですでに歴史的使命が終っているという事実である」と述べます。オリンピック憲章が「オリンピック競技会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(1章6項1)「国ごとの世界ランキングを作成してはならない」(5章57項)と定めていますが、高野氏は「これはほとんど空文である。早くも1908年の第4回ロンドン五輪から、開会式の入場行進が国ごとに国旗を掲げて行われるようになり、それ以来五輪はもっぱら『国威発揚』の道具として弄ばれてきた。それは、20世紀という国家エゴイズムの剥き出しのぶつかり合いの時代にふさわしい道具立ての1つだったと言えるのだろう」



さらに、高野氏は以下のように述べています。
「冷戦の終わりと共に、そのような国家エゴの時代は本質的には終わったはずなのだが、米国を筆頭に多くの国々はまだ20世紀へのノスタルジアから自由になれずに相変わらず軍拡を続けていて、そうであるからこそ五輪もまた惰性で続けているのである。そのためには『世界最大のスポーツの祭典』という虚構を膨らまし続けなければならない。しかしそうは言っても世界3大球技と呼ばれるバスケット、バレー、サッカーはそれぞれ独自の国際的な組織と世界選手権に至る競技日程を持っているし、水泳、陸上、テニス、ラグビー、卓球、ゴルフなどの競技もみな同じで、五輪が頂点とはならない。そこでIOCはそれらメジャーな競技の国際連盟補助金を注いで何とか繋ぎ止めて体裁を繕う一方、他に何かテレビ映りのよさそうな新奇な競技はないかと探し回り、これが本当にスポーツと言えるのかと思うような曲芸まがいのものまで参加させようとする。結果、無闇な大規模化が進み、今回で言えば33競技339種目にまで膨らんだ」



そして、高野氏は「いきなり廃止というのもどうかと言うなら、前々から言われているように、開催地をギリシャに固定し、競技も1896年第1回アテネ大会と同等の10競技40種目程度に減らして続ければいいのではないか。あるいは、思い切って発想を転換して、巨大スタジオ1つだけを会場にした『全世界こども運動会』にするのはどうか」と述べるのでした。最後の「全世界こども運動会」の提案には仰天し、次に爆笑しましたが、悪くないアイデアだと思います。
そして、「開催地をギリシャに固定し、競技も1896年第1回アテネ大会と同等の10競技40種目程度に減らして続ける」という考えには全面的に賛成します。というのも、わたしはオリンピックを本来の儀式に戻すべきであると考えているからです。


儀式論』(弘文堂)

 

わたしが現在の商業主義にまみれたオリンピックに強い違和感をおぼえているのは事実ですが、クーベルタンが唱えたオリンピックの精神そのものは高く評価しています。拙著『儀式論』(弘文堂)の第11章「世界と儀式」では、「儀式としてのオリンピック」として、「オリンピックは平和の祭典であり、全世界の饗宴である。数々のスポーツ競技はもちろんのこと、華々しい開会式は言語や宗教の違いを超えて、人類すべてにとってのお祭りであることを実感させるイベントである」と書きました。その意味で、オリンピックが「国威発揚」の場となっているという高野氏の発言には違和感があります。基本的に儀式富国論者であるわたしは、参加各国がそれぞれオリンピックで国威発揚すればいいと思っています。その結果の「平和の祭典」というのは矛盾しません。



また、わたしはオリンピックの起源について書いています。
古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説あるが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説がある。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになろう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されたが、このことは人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じる。アテネオリンピックは、20世紀末に起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできるからである」



さらには近代オリンピックについて、わたしは「オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活した。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げる。『アマチュアリズム』の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできない。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにする。2020年の東京オリンピックをめぐる問題でも明らかなように、大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、今や、巨額のマーケットとなっている」と書きました。そのオリンピックという巨大イベントを初期設定して「儀式」に戻す必要があると、わたしは考えています。

 

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考
 

 

ブログ『21 Lessons』で紹介したイスラエル歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの最新刊は叡智の書ですが、同書の第6章「文明」の中で著者ハラリは、「2020年に東京オリンピックを観るときには、これは一見すると国々が競っているように見えるとはいえ、じつは驚くほどグローバルな合意の表れであることを思い出してほしい。人々は自国の選手が金メダルを獲得して国旗が掲揚されるときに、国民としておおいに誇りを感じるものの、人類がこのような催しを計画できることにこそ、はるかに大きな誇りを感じるべきなのだ(柴田裕之訳)」と書いています。



現在のわたしたちは、深く考えることなく「WHO」や「IOC」などの国際機関の名前を口にしますが、これらは想像を絶する苦労の末に生まれたグローバルな合意の表れなのです。そして、第一次世界大戦が起こったから国際連盟が生まれ、第二次世界大戦が起こったから国際連合が生まれた歴史的事実を忘れてはなりません。国連もWHOもIOCも、すべて人類の叡智の果実です。さらには、グローバリズムの「負のシンボル」がパンデミックであり、「正のシンボル」がオリンピックであることを知る必要があります。

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五輪はグローバリズムの「正のシンボル」

 

ブログ「NO!3密、NO!3権」にも書いたように、人類の叡智の果実であるオリンピックが「利権」「金権」「政権」に絶対に利用されてはなりません。新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために密室・密閉・密接な環境を避ける「NO!3密」が必要ですが、それとともに、利権・金権・政権よりも国民ファーストということで、わたしは「NO!3権」を訴えています。
ぜひ、世界における新型コロナウイルスの感染拡大の収束後に開催されるオリンピックは「真の人類の祭典」であることはもちろん、加えて、犠牲者たちの葬送儀礼と位置づけるべきです。そうすれば、利権・金権・政権の「3権」に利用され、汚され続けたオリンピックも少しは浄化されるのではないでしょうか。そして、その開催時期は世界的な感染拡大の収束が確認された時点で決めるべきだとも考えます。そのときの日本の首相、東京都知事組織委員会の会長が誰であろうと別にいいではありませんか!
五輪は、あくまでも人類の祭典なのですから・・・。

 

2020年3月31日 一条真也

真の勇気をもつ(稲盛和夫)

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、現代日本を代表する経営者である稲盛和夫氏の言葉です。稲盛氏は「経営の原点12ヶ条」を制定し、経営者に向けた心得をあらゆる機会に説いておられます。その条項のひとつに「真の勇気を持つ」という言葉があります。

 

松下幸之助と稲盛和夫―経営の神様の原点

松下幸之助と稲盛和夫―経営の神様の原点

 

「真の勇気を持つ」について、稲盛氏は次のように説明します。
「全従業員の物心両面の幸せを守らなければならないリーダーは真の勇気を持っていなければなりません。同時に卑怯な振る舞いがあってはなりません。経営者は決してぼやいてはいけないのです。逆境であればなおさらです。たとえ虚勢であってもいいですからそこで踏ん張るのです。苦しいときには、誰だって勇気があるわけではありません。縮み上がって逃げていきたいようなときに踏みとどまるのを、『真の勇気』というのです」

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

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  • 発売日: 1999/11/16
  • メディア: 文庫

 

孔子は『論語』の中で、彼がよく用いるスタイル、つまり否定によって命題を明らかにする方法で勇気を定義づけています。すなわち「義を見てせざるは勇なきなり」と。これは、「勇気とは正しいことをすることである」と肯定的に言い換えることができます。「正しいことをする」というのは、リーダーシップの基本でもあります。稲盛氏は、全従業員の物心両面の幸せを守らなければならないリーダーは真の勇気を持っていなければならないと述べておられます。同時に、卑怯な振る舞いがあってはならない。仕事を進めていく中で、トップや上司に卑怯な振る舞いをする人がいると、その集団自体が混乱してしまいます。

 

経営者の集まりなどで、よくぼやく人がいます。しかし、従業員が誰も聞いていないところであっても、経営者は決してぼやいてはいけないと稲盛氏は語られています。逆境の時であればなおさらで、たとえ虚勢であってもいいから、そこで踏ん張るのだと。苦しい時には、誰だって勇気があるわけがない。縮みあがって、逃げていきたいような時に踏みとどまるのを稲盛氏は「真の勇気」と呼んでいるのです。

 

会社の中にはいろいろの性格の従業員がいます。一見して豪傑肌の人、反対に怖がりで、弱々しい人。非常に繊細で、細やかな気配りのできる人、豪快だけれどもちょっと荒っぽい人と、実にさまざまです。そういう二通りの性格の人を見て、稲盛氏は若い頃にこう言ったといいます。「豪傑みたいな人は勇気があるように見えるけれど、あれは粗野なために勇気があるように見えるだけだ。本当の勇気を持っているわけではなく、蛮勇だ。うちの会社では、本当はびびり屋で気が小さくても、非常に繊細な人に仕事を通じて、場数を踏んで度胸をつけさせよう。そして、そんな人を登用していこう」

 

人間としての正しさ、良心に基づいた判断を実行するためには、勇気が必要となります。どんな誹謗中傷や妨害をも乗り越えて志を果たすためには、勇気が必要なのです。リーダーが正しい判断を貫く勇気を失い、迷っていると、すぐに見抜かれる。いささかでも逃げるような卑怯な行為があると、部下との信頼関係は損なわれ、統率がとれなくなり、組織は機能しなくなってしまいます。リーダーは勇将にならなければいけません。勇将の下に弱卒なしは、人類普遍の真理なのです。なお、今回の稲盛和夫氏の言葉は、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。

 

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

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  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2011/07/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

2020年3月31日 一条真也

 

箱の中の手紙  

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南の峰に独り立ち続け、幾千年経っているのだろうか。そんな古い松や柏の木がわたしの隣人であり、銀河が目の前に広がっている。太陽を頭上に頂き、ツタの衣を着て、長いあいだ、出家生活を送っている。ツタの皮で作った箱に、この手紙を収めて、いまあなたに送る
(『蘿皮函詩』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2020年3月31日 一条真也