『脳を創る読書』

脳を創る読書 (じっぴコンパクト文庫)

 

一条真也です。
『脳を創る読書』酒井邦嘉著(じっぴコンパクト文庫)を読みました。紙の本が脳に与える「いい影響」を言語脳科学の第一人者である著者がわかりやすく解説した本です。著者は1964年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)後、同大医学部第一生理学教室助手、ハーバード大学医学部リサーチフェロー、マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て、1997年より東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授。2012年より同教授。同大大学院理学系研究科物理学専攻教授兼任。2014年より日本学術会議連携会員。2002年第56回毎日出版文化賞、2005年第19回塚原仲晃記念賞受賞。専門は、言語脳科学および脳機能イメージング。趣味は、ヴァイオリンとフルートなど。 

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本書の帯

 

カバー表紙には洋書が並んだ書棚の写真が使われ、帯には「できる人はなぜ『紙の本』を読むのか――?」「言語脳科学の第一人者が説く『考える』ために必要なツールとは!?」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「脳の不思議と『読書』の関係をひもとく」として、以下の言葉が並んでいます。
●文の構造を見抜く脳のすごい能力
●脳はなぜ行間を読むことができるのか
●読書量が多ければ多いほど、言語能力は鍛えられる
●なぜ画面上で見落とした誤字が紙の上では見つかるのか
●2つの読み方を使い分ければ、「読む力」は鍛えられる

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに・・・・・・それでも「紙の本」は必要である
第1章 読書は脳の想像力を高める
第2章 脳の特性と不思議を知る
第3章 書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか
第4章 紙の本と電子書籍は何がどう違うか
第5章 紙の本と電子書籍の使い分けが大切

 

第1章「読書は脳の想像力を高める」では、「伝える『出力』の情報量が多いほど、脳はさらに想像力を高める」として、著者は「脳の想像力を十分に生かすためには、できるだけ少ない入力と豊富な出力を心がけるとよい。もっとわかりやすく言えば、読書と会話を楽しむことが一番だ。これこそがもっとも人間的な言語の使い方であり、創造的な能力を活用する最善の方法だと言えよう」と述べています。

 

第3章「書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか」では、「読書量が多ければ多いほど、言語能力は鍛えられる」として、著者は以下のように述べています。
「小さいときに想像力を十分身につけずに大人になってしまったら、末恐ろしい。文字通りの意味がとれるならまだしも、思い込みだけで読むようになったら、その間違いは自分では修正できないだろう。自分勝手に書いた文章を、他人がどこまで時間をかけて読んでくれるだろうか。相手は自分の文章をどう受け取るだろうか、という想像力こそが必要なのだ。自分の真意を相手に伝え、相手の心を動かすような文章を書くのは本当に難しい」
また、著者は「読書を通して想像力を培うことができれば、言語能力も同時に鍛えられる。すると、言語能力に裏打ちされた思考力が確かなものになる。これが本書の『脳を創る』という意味である」とも述べています。

 

第4章「紙の本と電子書籍は何がどう違うか」では、「紙の本には独自の楽しみがある」として、著者は以下のように述べています。
「紙の本の魅力は、1冊1冊が持つ個性にある。大きさが不揃いで、厚さも違えばカバー(ジャケット)の質感も異なる。表紙のデザインや装丁にも個性があって、上製本では本の背の上下についている『花ぎれ』(ヘッドバンド)や『しおり』(スピン)の配色にまで細かく気が配られている。中を開けば、活字の大きさや種類、そして行間の幅も違う。だから新しい本を手にしたときの喜びや、読む前の気持ちの入り方も違うわけである」

 

また、「手書きの手紙と共通する紙の本の真のよさとは」として、著者は以下のように述べています。
「21世紀になって、電子書籍で手軽に本が買えて読める文化ができた一方で、初版本が復刻されたり自筆原稿本が出版されて人気を呼んでいるのはなぜだろうか。その背景には、急速に進んだ電子化の方向とは逆に、よりオリジナルに近い素のままの情報への渇望が根強く存在するためではないか。初版本や自筆原稿ファクシミリの価値は、電子書籍との対比によって、これまで以上にはっきりしてくることだろう。紙の本の価値と任務は、このようなきわめて情報量の多い文化遺産を、流されずに継承することにあるのだ。このまま紙の本と電子書籍が共存し続けることが、未来の出版文化の最も理想的な姿だと私は考える」

 

第5章「紙の本と電子書籍の使い分けが大切」では、「『電子化』で脳が進化することなど、ありえない」として、著者は以下のように述べます。
「人間の脳がデザインされたのは現世人類が誕生した何万年も昔のことだ。それ以来、脳の基本的な設計は何も変わっていない。数十年の時間スケールでは、脳が『進化』することなどあり得ないのである。『電子化で脳が進化する』などといった非科学的な誤解はなくしておきたい。人間の脳は、それ自体変化しなくとも、『考える』という行為をやめない限り、その能力を最大限に生かして文明の変化に対処できることだろう。そして各個人の脳は、一生の中で読書などを通してさらに磨かれ、創られていく」

 

また、「二つの読み方を使い分ければ、『読む力』が鍛えられる」として、著者は以下のように述べています。
「文章を読む力は読書を通して鍛えられる。ならば、どんな読み方をしたら効果的だろうか。それには、『多読』と『精読』の両方が有効だろう。前者は、あらゆるジャンルの本をとにかくたくさん読むという方法であり、後者は、1つの作品を徹底的に読み込むという方法だ。つまり、広さと深さの両方が、読む力を鍛えるということである。読書についても、その人に合った本を選んで指導するようなインストラクターが貴重である。ワインを勧めるソムリエのように、読書の達人が古今東西の名作を勧めるのだ」

 

著者は、「明らかな退行現象をこのまま進めてよいか」として、こうも述べます。
「携帯メールでおなじみの『入力予測変換』では、最初の数文字を入力しただけで言葉の候補がどんどん出てくる。履歴や確率的な判断で出てくる言葉の候補から文脈や全体の意味を考えずに受動的に選んでいけば、一応文章らしきものは打てるだろう。しかし、それはもはや人間の言語とは言えないものなのである。日本語入力には必須の『かな漢字変換』もまた、思考とは直接関係ないプロセスだから、思考の中断を生み、集中力を減退させるという負の効果もある。文字を書くほうがはるかに自然な表現方法なのだ」

 

そして、著者は「電子化された『人工物』を活かすも殺すも、使う側の問題」として、カバー裏表紙にも紹介されている以下の言葉を述べるのでした。
「何でも機械化し電子化できるという表面的な見方に対して、人間が大切で譲れないものは何かと考え、未来にどのように向かうべきか決断することが、あらゆる方面で問われている。そういう過渡期を我々が賢く乗り切るためには、人間とはどういう生き物であって、どこが愚かでどこがすばらしいのかということに我々自身が気づかなくてはならない。そうすれば、人間は人工物に振り回されることなく、古きよきものを大切にしながら新しいものを創り続けることができるに違いない」

 

本書では、言語脳科学の第一人者が、脳の特性と不思議を説き、読書が脳に与える影響に言及しつつ、実際に「紙の本」と「電子書籍」を使って読書した場合の脳の反応について解説しています。紙の本も電子書籍も、結局は「使う側」の意識がカギを握っているとしながらも、著者が人にとっての「紙の本」の重要性を強調し、加えて、学校教育の1つの提案である「電子教科書」について、その安易な移行に警鐘を鳴らしています。わたしのような「紙の本」の風合い・質感・活字の存在感をこよなく愛する者も、脳と読書の意外な関係はとても興味深かったです。

 

脳を創る読書 (じっぴコンパクト文庫)

脳を創る読書 (じっぴコンパクト文庫)

 

 

 2019年9月27日 一条真也

姫路散歩

一条真也です。
姫路に来ています。25日は全互連の中部ブロック研修会に参加しましたが、26日は朝から姫路城が最も美しく見える場所として知られる「城見台公園」を訪れました。久々に見た姫路城ですが、本当に美しい城です。さすがは世界遺産

f:id:shins2m:20190926105456j:plain城見台公園

f:id:shins2m:20190926105519j:plain城見台公園にて

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世界遺産の姫路城

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公園で素敵な彫刻を発見!

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絶対に見逃しません!

 

それから、わたしは一度訪れてみたかった場所に行きました。姫路文学館です。同館では、ちょうど「生誕120年 文豪川端康成と美のコレクション展」が開催されていましたが、わたしの目当ては「和辻哲郎コーナー」です。

f:id:shins2m:20190926110257j:plain姫路文学館にやって来ました!

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ずっと来たかった場所です

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安藤忠雄氏の設計です

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素晴らしい建築です!

 

和辻哲郎は、ブログ「『孔子』(和辻哲郎)」で紹介した本をはじめ、『古寺巡礼』『風土』『倫理学』などの名著の著者として知られる日本を代表する哲学者、倫理学者です。その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれます。わたしは和辻倫理学に多大な影響を受けており、多くの著書を読んでいます。『孔子』は、ブログ「孔子文化賞授賞式」で紹介したセレモニーに出席する前夜に再読した思い出があります。

孔子 (岩波文庫)

孔子 (岩波文庫)

 

 

1889年(明治22年)、和辻哲郎は現在の姫路市仁豊野に生まれました。姫路中学を経て東京帝国大学哲学科に進学。大学では文芸雑誌の第二次「新思潮」に参加、谷崎潤一郎らと交際し文学活動を続けますが、やがて『ニイチェ研究』を著すなど西欧の実存哲学の研究者として出発。東洋思想に関心を深め、日本人としての立場から人間と文化への考察を進めて独創的な倫理学を完成。『古寺巡礼』は大和古寺ブームの先鞭をつけたベストセラーですし、『風土』『倫理学』など、日本思想界に与えた影響は計り知れません。

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和辻哲郎コーナーの入口で 

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文化の探求者

 

Wikipedia「和辻哲郎」の「人物」には、「日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。 主著の『倫理学』は、近代日本における独創性を備えたもっとも体系的な哲学書のひとつであると言われている。 姫路市の主催で、和辻哲郎文化賞が、(生誕百年記念し1988年度より)毎年優れた著作に与えられている。 和辻の全蔵書は、1961年に和辻の親友で法政大学教授であった谷川徹三の仲介で法政大学に寄贈された。長らく整理されないでいたが、1985年に法政大学図書館長となった浜田義文が中心となって整理が開始され、1994年に『法政大学和辻哲郎文庫目録』がまとめられた。浜田は『和辻文庫の生命は、和辻の読んだ書物への書き込みにあるといって過言でない』と述べている」とあります。この和辻文庫も、いつか拝見したいものです。

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昔懐かしいナポリタン・スパゲティ

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いただきます!


この美術館は安藤忠雄氏の設計で、美しい建築でした。
レストランが併設されており、「昔懐かしいナポリタン・スパゲティ」が名物だそうです。わたしはナポリタン・スパゲティが大好物なので、早速注文しました。美味しかったですが、じつは明日が会社の健康診断です。ここ数日、旨いものばかり食べてきたので、明日の健康診断がちょっと怖いですね。(苦笑)
昼食後は、新幹線の岡山乗り換えで、小倉に戻ります。

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これから小倉へ帰ります!

 

2019年9月26日 一条真也

全互連中部ブロック研修会

一条真也です。
25日の朝、福山駅前のホテルの客室で目覚めました。
福山駅から「さくら544号」に乗り、一路、姫路へ。

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福山は晴天でした

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JR福山駅前で

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さくら544号で姫路へ!

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JR姫路駅に到着しました

 

今日はこの地で全互連の中部ブロック研修会が開催されるのです。姫路駅では、サンレー北陸の山下部長が待っており、わたしたちは(株)117さんの結婚式場「ラヴィーナ姫路」に向かいました。

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ラヴィーナ姫路のロビーで

 

117さんといえば、冠婚葬祭互助会業界でもナンバーワンの業績の超優良企業です。山下宗吉会長はわたしの最も尊敬する業界の大先輩ですし、山下裕史社長は全互協の会長を務められています。ラヴィーナ姫路に12時過ぎに到着し、サンレー北陸の東常務、岸部長、佐久間室長と合流しました。わたしたちは、まずは昼食のお弁当を頂きました。

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お昼のお弁当は握り寿司!

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大変美味しかったです!

 

全互連は、冠婚葬祭互助会の保守本流です。冠婚葬祭互助会とは、その名の通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われてきた互助会集団が全互連なのです。そして、中部ブロックこそは全互連の心臓部分といえるでしょう。

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研修会のようす

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素晴らしい会場でした

 

13時20分から始まった中部ブロックの理事会に続いて、14時からブロック研修会が開かれました。それから3時間半にわたって、濃密な研修会が行われました。全互連の中部ブロック研修会に参加すると、本当に勉強になります。17時半からは、会場を変えて懇親会が開催されました。冒頭、今回のホスト役でもある117の山下宗吉会長が「ようこそ、姫路へ!」と挨拶をされました。それから、わたしが全互連の前会長として乾杯の音頭を取らせていただきました。

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乾杯の挨拶をしました 

 

わたしは、以下のように述べました。
本日は、117のみなさまに大変お世話になり、ありがとうございます。久々に山下会長の元気なお姿を見て、またお言葉を拝聴し、感激しております。昨日、福山へ行ってきました。西日本ブロック会議に参加してきたのですが、やはり中部ブロックの研修会は中味が濃いと改めて思いました。久々に中部の研修会に出席しましたが、会場は立派だし、人数は多いし、なんだか国連の会議みたいでした。西日本ブロックには悪いですが、「やっぱり中部ブロックは違うなあ!」と思った次第です。

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カンパ~イ!

 

また、「互助会業界を取り巻く環境は非常に不透明です。これからどうなるのかと不安を抱いている方もおられるかもしれませんが、今日の会議で各社の取り組みをお聴きし、『なんとかなる』という思いがしました。亡くなった人を弔うことは人間の本能だというのはわたしの持論ですが、相互扶助というのも本能だと思います。2つの本能に根差した冠婚葬祭互助会事業は不滅であり、未来は明るいです。ぜひ、みんなで力を合わせて令和の日本を明るくしようではありませんか!」と述べてから、乾杯の発声をしました。

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懇親会にて

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こんな旨いものがこの世にあったとは!

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ステーキも絶品でした!

 

懇親会ではホスト役である117の山下社長をはじめ、業界の仲間とも大いに意見交換しました。料理も大変美味しく、特にオードブルの「徳島県産アワビとフォワグラのテリーヌのロワイアル松茸を添えて、トリュフの香り」という一品には感動しました。アワビ、フォワグラ、松茸、トリュフ・・・・・・東西の最高の珍味がミックスされた奇跡の料理に舌鼓を打ち、「こんな旨いものがこの世にあったとは!」と思いました。その後に出されたメインのステーキも絶品でした。

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スイーツが運ばれてきました

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これが117スイーツだ!!

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2個もいただいてしまいました!

 

途中で、117さんの誇るパティシエのみなさんが入場され、さまざまなデザート用のスイーツを披露して下さいました。どれも大変美味しそうでしたので、わたしは普段は甘いものを食べないのですが、マロンとイチジクのケーキを2個も頂戴してしまいました。正直申し上げて、チョー美味しかったです!

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「すみれSeptember Love」を歌いました♪



懇親会の最後は、次期当番互助の今治冠婚葬祭互助会の青野社長による中締めの挨拶があり、全員で一本締めをしました。その後、会場を変えて二次会が開催されましたが、ここでも有意義かつ楽しい時間を過ごすことができました。さらに三次会では、わたしはカラオケで「すみれSeptember Love」(一風堂)、「ウィスキーがお好きでしょ」(SAYURI)を歌いました♪ 
わたしの隣に座っていた三重平安閣の松嶌社長(全互連専務理事)が続けて何曲も歌うので、驚いたわたしが「いったい何曲歌うつもりなんだ?」と問うと、「南極でも北極でも、いくらでも歌いますよ」と答えていました。(笑)
やっぱり、全互連の仲間と飲む酒は最高!

 

2019年9月26日 一条真也

全互連西日本ブロック会議

一条真也です。
24日、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の西日本ブロック会議が福山市で開催されるので、サンレー北九州の小谷部長代理とともに小倉駅から「さくら550号」に乗って福山に向かいました。ちょうどお昼時だったので、小倉駅で肉ごぼ天うどんを食べてから乗車しました。

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昼食は、小倉駅で肉ごぼ天うどんを食す

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JR福山駅のホームで

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ホームから福山城が見えました

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福山城を背景に

 

福山駅に到着すると、ホームから福山城が見えました。その福山城の真向かいにあるホテルに荷物を預けてから、わたしはブロック会議の会場である、大手冠婚葬祭互助会ユウベルさんの結婚式場「グランラセーレの森」にタクシーで向かいました。現地では、サンレーの佐久間室長が待っていました。

f:id:shins2m:20190924134452j:plainグランラセーレの森」にて

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おやつは、バラのお菓子でした

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夕暮れの教会前で

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美味しい料理を楽しみました

 

西日本ブロック会議は14時から開始され、「互助会募集」などをテーマに17時まで活発な情報交換および議論が交わされました。わが社の事例は、小谷部長代理が立派に発表してくれました。福山は「バラの街」と呼ばれているそうで、休憩時間のおやつにはバラのお菓子が出されました。その後、「グランラセーレの森」をはじめ、周辺のユウベルさんの諸施設を見学させていただいてから、18時からは懇親会が開かれました。業界の仲間たちと美味しい料理に舌鼓を打ちながらスパーリングワインや冷酒で快く酔いました。

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バーべキューをいただきました

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美味しい牛肉でした

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アプローチ大会に参加させられました

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超レアなわたしのゴルフ写真(笑)

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チャーシューメーン!(笑)

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弟が入賞しました!

 

すると、窓のブラインドが開いて、広大なガーデンが姿を現し、そこで牛肉を焼いてのバーベキュー・パーティーが開催されました。しかも、アトラクションとしてゴルフのアプローチ大会が開かれ、なんとゴルフ嫌いで有名なわたしも指名を受けてピッチングを2回振りました。写真を公開しますが、わたしのゴルフ写真は非常に珍しいと思います。大会は結局、日本セレモニーの神田社長が優勝しましたが、わたしの弟である佐久間室長も5位に入賞しました。弟は東大のゴルフ・サークルに所属していましたが、ゴルフは25年ぶりだそうです。

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懇親会で締めの挨拶をしました

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最後は「末広がりの五本締め」で!

 

懇親会の締めの挨拶ではわたしが前会長として指名され、登壇しました。登壇したわたしは、以下のような話をしました。明日は姫路で開催される全互連の中部ブロック研修会に参加します。きっと有意義な研修会になることと思いますが、わたしのホーム・グラウンドはなんといってもこの西日本ブロックです。今夜は、想定外のゴルフのアプローチ大会に参加させられて動揺しました(笑)。本当はカラオケ大会に参加したかったです。(爆笑)冗談はさておき、風は常に西から吹きます。この西日本ブロックから日本中に大きな風を吹かせてやろうではありませんか!」と言うと、笑いとともに大きな拍手を浴びました。やっぱり全互連の西日本ブロックに来ると、心が安らぎます。最後は、サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。

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二次会で「バラが咲いた」を歌いました♪

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福山ラーメンの名店へ!

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福山ラーメン、旨かったです!

 

その後、いったんホテルにチェックインしてから、みんなで二次会に行きました。そこでカラオケ大会が本当に開かれ、わたしがトップバッターで歌うことになりました。わたしは、福山が「バラの街」であることにちなんで、マイク真木の「バラが咲いた」を歌いました♪ しばらくすると小腹が空いたので、有志とともに夜の街に繰り出し、最後は福山ラーメンの名店に行きました。今日は気の合う仲間たちと大いに語り合い、美味しいものも腹いっぱい食べて、大満足です。翌25日は姫路に向かいます。

 

2019年9月25日 一条真也

「アド・アストラ」

一条真也です。
荒れ狂う台風17号が一過した23日の夜、映画「アド・アストラ」を観ました。ネットでの評価が非常に低くて気になりましたが、実際に観てみると、なかなか興味深い内容でした。こういう大人向けのハードSF映画を「駄作」と決めつける人は、「スターウォーズ」とか「スタートレック」といった子ども向けのソフトSF映画の見過ぎでは?



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
ブラッド・ピットトミー・リー・ジョーンズが共演したスペースアドベンチャー。地球外知的生命体を探求する父親に憧れて宇宙飛行士になった息子が、父の謎を探る。『エヴァの告白』などのジェームズ・グレイが監督を務め、『ラビング 愛という名前のふたり』などのルース・ネッガをはじめ、リヴ・タイラードナルド・サザーランドらが出演」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「地球外知的生命体探求に尽力した父(トミー・リー・ジョーンズ)の背中を見て育ったロイ・マクブライド(ブラッド・ピット)は、父と同じ宇宙飛行士の道に進むが、尊敬する父は地球外生命体の探索船に乗り込んだ16年後に消息を絶つ。あるとき、父は生きていると告げられ、父が太陽系を滅亡させる力がある実験“リマ計画”に関係していたことも知る」

 

この映画の主演はブラッド・ピットですが、彼はブログ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で紹介した現在日本で公開中の映画にもレオナルド・ディカプリオとW主演を務めています。もう何度も書いていますが、 ブログ「誕生日には同級生のことを考える」でも紹介したように、ブラッド・ピットとわたしは同い年です。ちなみにジョニー・デップも同い年で、トム・クルーズが1歳上、キアヌ・リーヴスが1歳下です。「だから、どうした?」と言われても困るのですが、なんとなく同年代の彼らには親近感をおぼえ、彼らが出演する映画はなるべく観るようにしています。「アド・アストラ」での彼は常に冷静沈着で、華はないものの、大人の男性の魅力が溢れていました。彼が演じるロイは孤独な男ですが、宇宙空間ほど孤独が似合う場所はありません。彼はたった1人で海王星を目指すことになりますが、1人で宇宙を旅する映画というのはこれまで観たことがありません。「太平洋ひとりぼっち」どころではない「宇宙ひとりぼっち」です。究極の孤独ですね。

 

ネットでの低評価にもかかわらず、わたしが敢えて「アド・アストラ」を観た理由には、同級生のピット君の応援という目的もありましたが、これまで宇宙をテーマをしたSF映画は(「スターウォーズ」とか「スタートレック」といった子ども向け映画は別にして)必ず観てきたということもありました。「アド・アストラ」を観ていると、これまでにスクリーンを彩った多くの宇宙を舞台にしたSF映画の名作を連想します。そのあたりを、映画評論家の高森郁哉氏は「映画.com」で、「監督らが発言しているように、本作の筋は、父を探索する旅の展開を含む古代ギリシア叙事詩オデュッセイア』と、その影響を受けた『2001年宇宙の旅』や『地獄の黙示録』の流れをくむ」と述べています。

 

さらに高森氏は、「衛星軌道上での重大事故で幕を開ける『ゼロ・グラビティ』、地球を救うミッションに旅立つ『サンシャイン 2057』、引退した高齢宇宙飛行士が駆り出される『スペース・カウボーイ』(ジョーンズとドナルド・サザーランドが今作で再共演)、海王星で消息を絶った宇宙船の救助に向かう『イベント・ホライゾン』、宇宙空間に隔てられた親子がメッセージを伝えようとする『インターステラー』等々、宇宙を舞台にしたハードSF映画を想起させる要素が満載」とも述べています。わたしは、ここに挙げられた映画をすべて観ていますが、特にブログ「ゼロ・グラビティ」で紹介した映画の影響を強く感じました。ともに、宇宙空間での絶体絶命の状況の中からいかにして地球に生還するかをドラマティックに描いています。

 

「アド・アストラ」では、宇宙旅行のシーンがリアルでした。地球から月へ行くロケットの内装などは旅客機のファーストクラスみたいで、興味深かったです。また、月のステーションの描写なども、「将来、月旅行が実現したら、本当にこんな感じになるんだろうな」と思いましたね。国境のない月面で、資源を目当てにした国際紛争が起きているというのも現実感がありました。ちょうど1年前の2018年9月、米国企業が民間人を乗せて月を周回する計画を発表しました。最初の搭乗者は日本人実業家で、最近、ZOZOの社長を退任した前澤友作さんになることが分かりました。アメリカの宇宙ベンチャー企業が計画した人類初の月旅行は2023年に出発する予定だそうですが、現在、アメリカ、ロシア、中国そして日本の会社が次々と宇宙旅行ビジネスに参入しています。

 

くだんの月旅行ですが、1人数千万円の費用にもかかわらず、応募者は後を絶たないようです。宇宙ビジネスの市場は10年で倍増し、今や35兆円に達しています。わたしも、「狂」がつくほどの月好きですので、なんとか生きているうちに月に行きたい、できれば月で死にたいと思っているのですが、なにぶん前澤さんのようにお金がないのがつらいところであります。ところで、「アド・アストラ」でのロイは、月から火星まで19日間、火星から海王星まで79日間をかけて目的地に辿り着きます。この日数というのは、昔の船旅みたいなイメージでしょうか。船では死者が出ると、遺体を海に流しますが、この映画でも宇宙船で亡くなった船長の遺体を宇宙空間へ放出するシーンがありました。これぞ、本物の「宇宙葬」ですね。



ロイは、宇宙で失踪した父を探すために海王星に向かうのですが、その父を演じたのがトミー・リー・ジョーンズなのは、ちょっと違和感がありました。失踪した父は地球外生命体の探索中に失踪したということですが、ジョーンズの正体が宇宙人であることは、缶コーヒーのBOSSのCMによって日本人なら誰でも知っています。(笑)
冗談はさておき、くだんのCMでコミカルな印象の強いジョーンズがスクリーンに登場すると、どうしても日本の観客がストーリーを追う邪魔になる気がしました。また、ネタバレに注意しながら書きますと、ロイが苦労して父と対面するシーンがショボかったですね。あれだけ引っ張って期待を高めておいて、最後はガクッといった感じです。

 

キネマの神様 (文春文庫)

キネマの神様 (文春文庫)

 

 

「アド・アストラ」のテーマとして「父性」を挙げることができますが、もともと、アメリカ映画の本質とは父親を描くことにあります。ブログ『キネマの神様』で紹介した原田マハ氏の小説に登場する日米の映画ブロガーのやりとりでも、この点が最大の焦点となります。「フィールド・オブ・ドリームス」をはじめとしたアメリカ映画から「父親」というメインテーマを論じる日本人のゴウに対して、恐ろしいくらいに映画を知り尽くしているアメリカ人ローズ・バッドは、「どうやら君たち日本人は、我々アメリカ人の心の奥に柔らかく生えているもっとも敏感で繊細な『父性への憧れ』という綿毛を逆撫でするのが趣味らしい」と書き込みます。



そして、その正体を知れば映画関係者なら誰でも驚くというローズ・バッドは、アメリカ映画の本質について、以下のように述べるのでした。
アメリカにおける父性の問題は、しばしば製作者の大いなるコンプレックスとしてスクリーンに現れることがある。スティーブン・スピルバーグにとっても、長いあいだ関心を寄せるテーマのひとつだった。彼は、『フィールド・オブ・ドリームス』と同年に公開された『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』においてすら、このやっかいなお題目を取り上げようとした。後年になってからも、『ターミナル』でその片鱗が垣間見られる。トム・ハンクス演じる主人公がなんとしてもアメリカにやってこなければならなかったのは、父親が固執するジャズメンのサインを手にするためという、なんとも荒唐無稽で馬鹿げた理由だった。アメリカ人でもない男が、父親のためにすべてを賭けてアメリカに入国するという理由を捻出したあたり、スピルバーグの父性への執着が垣間見られて滑稽ですらある。ちなみにティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』の製作にも『父と息子の和解』を求めてスピルバーグは触手を伸ばしたともいう。『父性』のテーマには大監督すらおろおろと落ち着かなくなってしまうものなのだ」
(文春文庫『キネマの神様』p.198~199)

 

エイリアン──科学者たちが語る地球外生命

エイリアン──科学者たちが語る地球外生命

 

 

さて、トミー・リー・ジョーンズ演じるロイの父親は、地球外知的生命体を探求し続けてきましたが、海王星まで来ても、その証拠を見つけることができませんでした。それでも、彼は「必ず、この宇宙に知的生命体は存在する」と確信しており、ロイに向かって「2人で探そう」と呼びかけるのでした。ちょうど今、わたしは『エイリアン 科学者たちが語る知的生命体』ジム・アル=カリーリ著、斉藤隆央訳(紀伊国屋書店)という本を読んでいるので、とても興味深く感じました。同書では、「『エイリアン』は、もはやSFではない!」ということで、天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学などの各分野を代表する20人の科学者や著作家が、地球外生命の定義、存在するための条件と可能性、その姿などを具体的、現実的に検討しています。地球上の生命の起源や、太陽系内外の星々の生命居住可能性(ハビタビリティ)を探り、最先端の探査方法を紹介する内容です。極限環境に棲む微生物から、人類を超越する無機質な知性体にまで考えをめぐらせ、SF小説や映画も切り口として多角的な視点で地球外生命をとらえています。



わたし自身は、この広大な宇宙に意識を持った存在が地球にしか存在しないというのは、あまりにも奇跡的であり、おそらく宇宙には隣人がいるのではないかと思っています。そういえば、今月20日、米国海軍がUFOの存在を公式に認めたという驚くべきニュースが入ってきました。米海軍は、過去15年間に同軍の操縦士が撮影した飛行物体を「未確認航空現象(UAP)」と分類し、調査していることをようやく認めたというのです。折しも同じ20日には、ネバダ州の機密軍事施設「エリア51」にUFO愛好家が集結するイベントが計画されました。フェイスブックでの参加呼びかけに、約200万人が参加を表明したそうです。エリア51は空軍の実験場や訓練場として使われていますが、立ち入りが厳しく制限されているために「UFOや宇宙人の秘密が隠されている」という噂が絶えません。「アド・アストラ」の日本公開の日である9月20日にこんなニュースが流れたというのも面白いですね。

 

2019年9月24日 一条真也

『本をどう読むか』

(166)本をどう読むか: 幸せになる読書術 (ポプラ新書)

 

一条真也です。
『本をどう読むか』岸見一郎著(ポプラ新書)を読みました。「幸せになる読書術」というサブタイトルがついています。ブログ『嫌われる勇気』ブログ『幸せになる勇気』で紹介したベストセラーを書いた哲学者の最新刊です。著者は1956年京都府生まれ。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的に執筆・講演活動を行っている。

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本書のカバー表紙

本書のカバー表紙には著者の近影とともに、「読書には、人を救い幸福にする力がある」「大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が『読書』と『生きること』について考えた初の読書論!」「待望の書き下ろし!」「哲学書、小説、外国語の原書からアウトプット法、アドラー心理学まで」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙

 

また、カバー裏表紙には「現代の哲学者が明かす読書法のすべて! 人生を幸福にする、本の読み方、選び方。」として、「『本を読むことで間違いなく幸せな人生を送ってこられた』『読書は何にも代え難い人生の喜び、楽しみである』。学生時代からの濃密な読書体験をもとに、ベストセラー著者が初めて語った『本と人生』について。『本』との関わり方、『人生』との向き合い方が変わる、著者渾身の書き下ろし」という内容紹介があります。

 

さらにカバー裏表紙の下には、「本の読み方が変われば、生き方も変わる――」として、以下のように書かれています。
●本を読むために生きているのではない
●読書は著者との対話
●他者の人生を追体験する
●現実を超える
●人生を再体験する
●読書で起こる共鳴
●何度も繰り返し読む本
●本は仮面を外す
●作家を読み尽くす
●意味だけを理解しようとしない
●八年かける遅読
●翻訳をするように読む
●本は同時に何冊も読む
●どんな姿勢で読むか

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「まえがき」

第1章 なぜ本を読むのか

第2章 本との出会い

第3章 本はどう読めばいいのか

第4章 読書の悩み

第5章 本で外国語を学ぶ

第6章 インプットからアウトプットへ

「あとがき」

 

第1章「なぜ本を読むのか」では、著者は「本を読むために生きているのではない」として、「本を読むことの目的は、端的にいえば幸せです。本を読んでいる時に幸せを感じられなければ、読書の仕方を見直す必要があるでしょう」と述べます。また、「読書は著者との対話」として、以下のように述べています。
「思考が自己との対話であるように、読書は著者との対話です。人は1人で生きているわけではありません。外に出かけないで家にこもって仕事をしていると、一日中、誰とも一言も言葉を交わさないということはあります。たとえ誰とも話さなくても、本を読めば著者と話すことができます。読書を『対話』にするためには工夫がいります」

 

「著者に大いに反論する」として、こうも述べます。
「現実の生活で、相手がいっていることが間違いであることに気づいても、それを指摘すると相手が怒り出すとか、指摘したことで自分のことをよく思われないのではなかと恐れて何もいわなければ、相手のためにもなりません。
政治家が答弁の際に漢字を読み間違うのは、誰も教えないからです。おそらくは、何度も間違いを繰り返す政治家に対して、まわりにいる人は一度は間違いを指摘したことはあったのでしょう。その指摘を素直に受け止めれば、同じ間違いはしないでしょうし、今後、他の字を間違った時にも、間違うことが予想される時にもまわりの人は指摘するでしょう。
ところが、誤りを指摘したのにそれを素直に認めてくれなかったとか、それどころか、指摘されることを嫌い、指摘した人に当たり散らされたというような経験をすれば、まわりの人は二度と誤りを指摘しようとはしなくなるでしょう」

 

また、「これからどう生きるかを考える」として、著者は以下のように述べています。
「哲学の本は、直接的にどう生きるのかとか、幸せとは何かというような問いに答えようとするところが小説などとは違います。しかし、実際には、この問いに答えようとはしない、人生を真剣に生きようとする人には響かないものもありますが、本来は広い意味での哲学の本は、この問いに答えようとするものでなければならないと私は考えています」

 

さらには、「何が何でも本を読まないといけないというものではない」として、著者は以下のように述べます。
「本を読まなくても、どう生きるかという問題について自力で考えることはもちろんできます。しかし、何もないところで考えることは難しいというのも本当です。本を読むのは、ちょうどグライダーが他の飛行機や車に引っ張られ、飛び立った後にロープを切り離して滑空するように、考える最初のきっかけとして必要なことはあります。しかし、いつまでもロープを切り離さないようでは駄目なのです。その意味で、著者と対話をすることで、その著者から自分1人では思いもつかなかったかもしれないことを教えられるのは読書の醍醐味の1つです」

 

「他者の人生を追体験する」として、著者は述べます。
「人と比べて自分は幸福であることに気づくというのは優越感です。幸福というのは三木清(哲学者、1897~1945)の言葉を使うならば、『各人においてオリジナルなもの』なので、本来、人と比べようがありません(『人生論ノート』)。人と比べているのであれば、あるいは、人と比べられるのは、幸福ではなく成功なのです。成功は、これも三木がいっているのですが、量的なものなので比較することは容易です。成功は人から妬まれ、追随されます。幸福は一般的ではないので、他の人から見れば、どうしてあの人は幸せを感じているのかわからないことがあります。他の人の経験したことを読む時に、このように比較するために読むのではない時があります。辛い経験をした人は、こんなことは自分だけが経験したことだと思うことがありますが、本を読んで、同じことを他の人も経験していることを知れば、そのことが救いになるのです」

 

著者は、「目的のない読書」として、こう述べます。
「本を読む目的を変えるように、人生についても途中でそれまでとは違ったことを目指して生きることはできます。人は誰かの期待を満たすために生きているわけではないので、新しく人生を生き直そうとすることをたとえ誰かが非難してもそのような非難には耳を傾けなくてもいいのです。自分でこれでいいという確信を持てない人は、人から反対されたことを自分の人生を生きないためのいい訳にすることはありますが、自分の人生を生きなければ一体誰の人生を生きようというのでしょう」

 

そして、「本を読めない苦痛」として、著者は以下のように述べるのでした。
「病気という非日常的体験の中だけではなく日常生活の中にあっても、本を読むことは幸せに生きるためになくてはならない営みだと考えています。幸せになるかどうかはともかく「退屈」とは無縁の人生を送ることができるでしょう。本さえあれば、病気をして外に出られなくなった時でも、電車が不意に動かなくなっても、焦ったり、イライラすることなく、本を読んで過ごすことができます」

 

第2章「本との出会い」では、「偶然手にする本1」として、著者は以下のように述べています。
「自分の興味、関心に合致する本だけでなく、時に自分では読まない本を読んだ時に、その本から学ぶことが多いということはあります。この著者の本ならこんなことが書いてあると予想できるような本ばかり読んでいると、新しく何かを学ぶことはできません。誰かと付き合うとか、結婚するという時に、同じようなタイプの人がいいと自分と性格も好みも似通った人をパートナーに選ぶ人がいます。たしかによく似たタイプの人であればぶつかることは少ないのですが、自分とはまったく違う人と付き合うと、人生が豊かになるともいえます。最初はこんな感じ方、考え方をするのかと思って驚くことになりますが、それが二人の関係を悪くすることはありません。むしろ、自分とは違う反応をする人を見て、自分の感じ方、見方が唯一絶対ではないことを知り、さらに相手の感じ方、見方をたとえ賛成できないとしても理解する、少なくとも理解しようとすれば、相手に寛大になることができます。読書でも同じことが起こります。自分が賛成し納得できることばかりが書いてある本を読んでいると、日常の生活においても異論に対して不寛容になります」

 

「本の中に永遠に生きる人」として、著者は述べます。
「本を読むと、その本の著者がすでに亡くなっていても、その人がそこにいるかのように感じることがあります。そのような時には、本を読んでいるというより、その人と話をしている気がします」
「もはや死んだ人を知覚的に知ることはできません。その姿を見ることも、手で触れることもできません。しかし、夢の中で死んだ人に会うことはあります。その時、その人は生きている時と何ら変わりなく、現存していると感じられます。本を読む時も、夢の中で死んだ人と再会するような気になります」

 

著者の言うように、本を書いた人と読者とは遠く離れている人のように結びついています。入院していた時、著者は「本は書きなさい。本は残るから」と主治医から言われたそうです。そして著者は以下のように述べるのでした。
「私がこれからどうなるかはわかりませんが、医師がいうように私の本が残れば、私はその本の中で生き続けることができます。そのような意味での不死を望むことについては考えなければならないことはありますが、すでに鬼籍に入った著者でも、本を読んでいる間は今も生き続けていると感じる時、私の死後に誰かが私の本を読んでいることを想像することがあります」

 

あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)

 

この読書には死者と生者との交流という側面があることは、わたしも以前から気づいていました。拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)でも述べましたが、わたしは読書は交霊術であると思っています。わたしは芥川龍之介谷崎潤一郎三島由紀夫などが好きなのですが、既に亡くなっている作家ばかりです。古典というのは、それを書いた人は総て亡くなっている人です。亡くなった人の言葉に触れるというのは、死者と交流しているわけです。読書は交霊術と言っても良いと思うのです。そして、読書でこの世にいない死者の言葉に触れる行為には、自分もいつかあちらの世界に行くのだということを、自然と受け入れていく力があると思います。

 

さて、『あらゆる本が面白く読める方法』という本のタイトルはいといろ誤解を招くところがあります。じつは、このタイトルは出版社の社長さんがつけたものなのですが、わたし自身は本の中には面白くないものは当然ありますし、あらゆる本を読み切る必要もないと考えています。本書の第3章「本はどう読めばいいのか」では、「どの本から読むのか、どこから読むのか」として、著者はこう述べています。
「本を読み始めたらその本を最後まで読まないといけないと考える人がいます。しかし、読み始めて面白くなければ本を閉じる勇気を持たなければならないと思います。面白くないというのはその本がよくない本だからというわけではなく、多くの場合、今の自分には必要でないからです。そうであれば、本を閉じる勇気がなければ、時間を無駄にすることになります」

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は主語のない不思議な詩ですが、著者は「翻訳するように読む」として、こう述べます。
「私は、『南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ』が印象的でしたが、なぜそうかとたずねられてもうまく答えることはできませんでした。私は小学校3年生の時に祖母と祖父と弟を立て続けに亡くしました。哲学を勉強しようとしたのは、この時、死がひどく怖かったので、死について知りたいと思ったのがきっかけでした。もちろん、この頃に哲学という学問があることを私は知らなかったのですが、賢治の詩のこの一節を読んだ時、私も死の真近にいる人のところに行って『怖がらなくてもいい』といえるような人になれたらと思いました」
わたしも著者とまったく同じ思いです。わたしはグリーフケアの研究と実践に努めていますが、「死別の悲嘆に寄り添うこと」と「死の不安を乗り越えること」の2つはグリーフケアの両輪であると考えています。死を怖がっている人がいれば、その人のところに行って、「死は怖くありませんよ」と言ってあげたいです。

 

第4章「読書の悩み」では、哲学者の梅原猛(1925~2019)が学生の頃はギリシア哲学を学んでおり、梅原が提出した卒業論文を読んだ田中美知太郎が、哲学者の名前を一切引かない梅原の論文を評して「心境小説」だと言ったことが紹介されています。著者は、「どうしても読まなければならない本」として、以下のように述べます。「研究論文に普通主語として『私』を使わないのですが、学生の頃、研究仲間の1人が『私』を主語にして論文を書いているのを見て驚き、感心したことがあります。『私たち』とか『われわれ』と書いてあれば、それはそれで違和感があります。
1つは、私を主語にしないということは、自分の主張に責任を持たないということだからです。他方、読者からすれば『私たち』と書いてあれば、勝手にあなたの考えに賛成していることにしないでほしいといいたくなるところが問題です。研究のまとめではなく、著者が何をいいたいかということを知りたいと思いますし、読者を勝手に自分の味方に引き込んではいけません」

 

最後に、「あとがき」で、著者はこう述べるのでした。
「ゆっくり本を読めば、慌ただしく駆け抜けるように本を読む時には見えなかったものが見えるようになります。生きる時も、急がず、後どれだけ生きられるかというようなことを考えなくなると人生が違ったふうに見えてくるでしょう。生き方を直ちに変えることは容易なことではありませんが、本の読み方を変えることならできます。本書で私は、たくさんの本を読もうとしないこと、また何かのために本を読むのではなく、本を読むこと自体を楽しむことなど、本をどう読むかについて、これまでの人生で読んだ本を引き合いにして考えてみました」
本書はもちろんアドラー心理学の本ではありませんが、著者の生き方そのものがアドラー心理学の影響を強く受けているので、読書を語っても自然とアドラー心理学を感じました。まさに、サブタイトルの通りに「幸せになる読書術」であると言えるでしょう。

 

(166)本をどう読むか: 幸せになる読書術 (ポプラ新書)

(166)本をどう読むか: 幸せになる読書術 (ポプラ新書)

 

 

2019年9月23日 一条真也

気高く、強く、一筋に(中村天風)

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、異色の哲学者・中村天風の言葉です。天風は、生涯数え切れないほどの多くの講演で「心」の持つ力の偉大さを説き続けましたが、「新しい計画の成就はただ不屈不撓(ふとう)の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」という言葉を残しています。

 

成功の実現

成功の実現

 

 

中村天風はヨガを基本とした独特の成功哲学を打ち立て、多くの経営者を指導した異色の哲人ですが、松下幸之助稲盛和夫といった戦後の日本を代表する経営者たちにも強い影響を与えています。京セラやKDDIを立ち上げ、さらには日本航空を再生させた稲盛和夫氏によれば、リーダーは次の4つのことを果たす人だそうです。



第1は組織の目指すべきビジョンを高く掲げる人。困難に直面しても目指すべきただ一点に向かって集団を率いるのがリーダーです。第2は組織のメンバーとビジョンを共有できる人。社員がビジョンに心から賛同しミッションに取り組まなければなりません。第3は人間性のある人。人間性を高めるだけでなく、いわゆるフィロソフィーを組織に広める。これが組織を1つにするのです。最後に業績が向上する仕組み作りの能力もリーダーに問われます。具体的には全社員が参加できる管理会計システムの構築が重要であると、稲盛氏は述べます。

 

心。

心。

 

 

以上4つのポイントを日本航空再建でいかに実践したか。2010年2月に稲盛氏が日航会長に就任した時、企業再生支援機構の手などによりビジョンに相当する事業再建計画ができていました。給与や人員削減、路線縮小など厳しい内容で報道でも実現性を疑う見方が多かったといいます。二次破綻も指摘される中、再建したいという強い思いから、稲盛氏は会長就任の挨拶で中村天風の『新しい計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に』を紹介しました。計画達成はくじけず強烈に思い続ける心にかかっています。稲盛氏は、決意と覚悟を社員に示したのです。このエピソードは、稲盛氏の著書『心。』(サンマーク出版)で詳しく紹介されています。

 

心を高める、経営を伸ばす―素晴らしい人生をおくるために(PHP文庫)

心を高める、経営を伸ばす―素晴らしい人生をおくるために(PHP文庫)

 

 

「新しい計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」という天風の言葉は、情熱の大切さを説いたものだと言えるでしょう。稲盛氏は著書『心を高める、経営を伸ばす』において、「情熱がものごとを成就させる」として、こう述べています。
「人を判断するに当たっては、才能、能力をよく見なければなりませんが、私は情熱も重視します。それは、情熱さえあれば、まずはものごとが成就するからです。情熱さえあれば、自分に能力がなくても、能力のある人を自分の周囲に配すればいいわけですし、資金や設備がなくても、自分の夢を一生懸命にれば、応えてくれる人はあるはずです。ものごとを成就させていく源は、その人が持つ情熱なのです。成功させようとする意志、熱意、情熱が強ければ強いほど成功の確率は高いのです」

 

続けて、稲盛氏は以下のように述べるのでした。
「強い情熱とは、寝ても覚めても、24時間そのことを考えている状態のことを言います。しかし、実際には、24時間も思い続けるということは不可能なのことです。常にそのように心がけることが大切なのです。そうすることにより、願望が潜在意識にまで浸透し、自分でも気づかないうちに、願望実現への行動をとり始め、今よりはるかに大きな仕事ができるようになるのです。ものごとの成功、不成功の鍵は、まずは情熱が握っていると私は思います」

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わたしは、ブログ「営業責任者会議」で紹介した会議をはじめ、機会あるごとに「新しい計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」という天風の言葉と、稲盛氏の考え方をわが社のみなさんに紹介しています。もちろん、わたし自身も経営者の端くれとして肝に銘じています。それにしても、「気高く、強く、一筋に」とは、なんと美しい言葉でしょうか!

 

2019年9月22日 一条真也