奥深い経典  

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仏教の経典は、とても奥深いものだ。もし、経典の中に理解できない部分ふぁあったとしても、それはあなたの智慧や知識が浅いだけなのだから、仏の教えを疑ってはいけない。(『秘密三味耶仏戒義』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2019年9月22日 一条真也

故人は家族だけのものではない

一条真也です。
日本初の終活情報誌「ソナエ」の2019年秋号が刊行されました。わたしは以前、同誌に「一条真也の老福論」というコラムを連載していました。現在は、WEB「ソナエ」で「一条真也の供養論」というコラムを連載しています。

f:id:shins2m:20190921094636j:plainソナエ」2019年秋号の表紙

 

今号では「墓じまい」がメインの特集でしたが、「著名人に学ぶ 葬儀と供養」として、亡くなったジャニー喜多川さんの家族葬、お別れ会の特集も組まれました。そこでは、「SOGI」の元編集長である碑文谷創氏とともに、わたしがコメントを寄せました。わたしは、「故人は家族だけのものではない」と題して、持論を展開しました。

f:id:shins2m:20190921094758j:plainソナエ」2019年秋号 

 

9月4日、ジャニー喜多川氏の「お別れ会」が東京ドームで行われました。同所でお別れ会が開催されるのは初めてで、祭壇や遺影のサイズも巨大でした。二部制で合計約9万人が参列したといいますが、まさに空前のスケールといえるでしょう。

 

芸能人では、これまでhide(X JAPAN)5万人、忌野清志郎4万2000人、政治家では吉田茂4万人でした。世界を見ると、チトー(ユーゴスラビア大統領)が最大とされたそうですが、昭和天皇の御大葬がそれを上回ったという記事があります(葬列の見送り57万人、最終記帳者数900万人)。

 

しかしながら、今回のジャニー氏のお別れ会は、少なくとも芸能界史上最大であり、おそらくは私人としても最大ではないでしょうか。ジャニー氏はショービジネスを知り尽くした男ですが、お別れ会こそは人生最後にして最大のショーであることを、わたしたちに教えてくれたように思います。

 

7月12日には、渋谷区内にあるジャニーズ事務所所有のビルで「家族葬」が行われ、ジャニー氏は、自らがプロデュースした約150人のタレントたちに見送られました。会場は、ジャニーズJr.の稽古場で、祭壇や照明、音響などはタレントたちやスタッフが出来る限り自らの手で準備しました。温かみのある儀式でした。

 

そもそも「家族葬」などという言葉が誤解を招くもとになっていますが、故人は家族だけの所有物ではありません。友人や知人や周囲の人々との縁や絆があって、はじめて故人は自らの「人生」を送ることを忘れてはなりません。ジャニー氏の「家族葬」は従来の「家族葬」の定義を一変する画期的なセレモニーであったと思います。

 

常に時代を創ってきた男が、最後に新しい「葬」のカタチを示してくれました。アメリカ文化の影響が強かった同氏にとっては、「家族」よりも「ファミリー」の方が大切だったのかもしれません。わたしには、そう思えました。

 

終活読本 ソナエ vol.26 2019年秋号 (NIKKO MOOK)
 

 

2019年9月22日 一条真也

『松下幸之助一日一話』

[愛蔵版]松下幸之助一日一話

 

一条真也です。
『【愛蔵版】松下幸之助一日一話』PHP総合研究所編(PHP研究所)を再読しました。「経営の神様」が仕事や人生の原理原則について語った言葉を集めていますが、1つの言葉が半ページにまとめられています。

 

わたしは、これまでも松下幸之助の名言を本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」の「心に残る名言」で紹介してきました。
雨が降れば傘をさす」、「礼は人の道である」、「嫉妬は狐色に焼く」、「素直な心になりましょう」、「サービスとは、人に喜びを与えること」などです。
それでは、本書に集められてる366の名言のうち、特にわたしの心に響いた30の言葉を以下に紹介したいと思います。

 

◇心あらたまる正月
竹にフシがなければ、ズンベラボウで、とりとめがなくて、風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシがいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。ともすれば、とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回はフシをつくって、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたくて、心もあらたまる。常日ごろ考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして、新たな勇気と希望も生み出したい。すがすがしくて、さわやかで、お正月はいいものである。

 

◇不景気またよし
好景気は結構だが、不景気は感心しないという。
たしかに、その時点時点で見るとそうであろう。
けれども、そういう一コマ一コマであっても全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。
不景気のときには苦しく困難ではあるが、不景気であるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った、ある悟りを開いたということがある。それによって次の手が打てる。だから不景気のときには、伸びているところも少なくない。そういう見方をするならば、不景気もまた結構ということになると思うのである。

 

◇決意を持ち続ける
指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれでいいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。
一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか貫き通せない弱さをあわせ持つのも、これまた人間である。

 

◇千の悩みも
経営者には、一度にいくつもの問題に直面して、あれこれ思い悩むという場合が少なくありません。しかし私はいままでの経験で、人間というものはそういくつもの悩みを同時に悩めるものではないということに気づきました。結局、一番大きな悩みに取り組むことによって、他の悩みは第二、第三のものになってしまうのです。
だから、百の悩み、千の悩みがあっても、結局は一つだけ悩めばよい。一つだけはどうしても払うことができないが、それと取り組んでいくところに、人生の生きがいがあるのではないか。そう考えて勇気を持って取り組めば、そこに生きる道が洋々と開けてくると思うのです。

 

◇死も生成発展
私は、人生とは“生成発展”、つまり“日々新た”の姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくという一つの事象は、人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。人間は、今まで、ただ本能的に死をおそれ、忌みきらい、これに耐えがたい恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もないことだと思います。
しかし、われわれは生成発展の原理にめざめ、死はおそれるべきことでも、悲しむべきことでも、つらいことでもなく、むしろ生成発展の一過程にすぎないこと、万事が生長する一つの姿であることを知って、死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

 

◇感謝の心は幸福の安全弁
感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す根源と言えるのが、感謝の心だと言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になると思います。
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、感謝の心は幸福の安全弁とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

 

◇60パーセントの可能性があれば
ある仕事をある人にしてもらう場合、その人が適任かどうかということがきわめて重要ですが、実際には、それはなかなかわかりません。
それではどうするかということですが、この人だったらまあ60パーセントぐらいはいけそうだなと思ったら、もう適任者として決めてしまうのです。80点までの人を求めるということも不可能ではないでしょうが、しかしそれには非常に時間と手数がかかります。だから、これならまあ60点ぐらいはあるなと思ったら、もう「君、大いにそれをやってくれ」というようにするわけです。するとたいていうまくいくのです。全部が全部ではありませんが、中には100点満点ということもあります。

 

年功序列と抜擢
それぞれ長短のある年功序列、抜擢をどのように行なっていくかということは、それぞれの企業の実態、情況により一概には言えないが、私自身について言えば、だいたい年功序列70パーセント、抜擢30パーセントという感じでやってきた。これが反対に年功序列30パーセント、抜擢70パーセントになると非常に面白いのだが、それはやはりまだ先のことで、今日の日本においては、年功序列を主体としつつ、そこに適度に抜擢を加味していくのが無理のない姿だと思う。
しかし考えてみれば、抜擢の何十パーセントかは賭けである。だが、ときにはあえてその冒険をおかす勇気を持つことが、企業発展の上で求められている時代であると思う。

 

◇給料は社会奉仕の報酬
給料というものは、自分の生活を営む上で当然必要であるから、働くことの一つの目的ではあろうが、もっと大事な目的を忘れてはならないと思う。それは自分の仕事を通じて、あるいはそのつとめた会社、商店を通じて、社会に尽していくということである。いわば職業人として、産業人としての使命をよりよく遂行していくことである。大きな意味で言えば、人間としての使命を果たしていくことにも通じると思う。だから見方を変えれば、給料というものは、そのように仕事を通じて社会に奉仕貢献していくことの報酬として与えられるものとも考えられよう。

 

◇縁あって
袖振り合うも多生の縁――という古いことわざがあるが、人と人とのつながりほど不思議なものはない。その人が、その会社に入らなかったならば、その人とはこの世で永遠に知り合うこともなかっただろう。
考えてみれば人びとは大きな運命の中で、縁の糸であやつられているとも思える。こうしたことを思うと、人と人とのつながりというものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなく、もっともっと次元の高いものに左右されているようである。であるとすれば、お互いにこの世の中における人間関係をもう少し大事にしたいし、もう少しありがたいものと考えたい。

 

◇会社のよさを話す
外に出て自分の会社のことを悪く言う社員がいる。それはやはり社員の教育が十分にできていないからであろう。つまり、中には個人的不満があって会社の欠点を言う人もあろうが、より多くは、会社のよさというものが社員によく理解されていないからそういうことになるのだと思う。この会社はこういう創業の理念を持ち、こういった歴史、伝統があるのだ、こういうことを使命としているのだ、そしてこのように世間に貢献し、これだけの成果を上げているのだ、ということを常日ごろから社員に教えるというか訴える。そういうことがきわめて大事だと思うのである。

 

◇使命感を持つ
人間は、ときに迷ったり、おそれたり、心配したりという弱い心を一面に持っている。だから、事をなすに当たって、ただ何となくやるというのでは、そういう弱い心が働いて、力強い行動が生まれてきにくい。けれども、そこに一つの使命を見出し、使命感を持って事に当たっていけば、そうした弱い心の持ち主といえども、非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は、つねに事に当たって、何のためにこれをするのかという使命感を持たねばならない。そしてそれをみずから持つとともに、人びとに訴えていくことが大事である。そこに“千万人といえども吾往かん”の力強い姿が生まれるのである。

 

◇信頼すれば・・・・・・
人を使うコツはいろいろあるだろうが、まず大事なことは、人を信頼し、思い切って仕事をまかせることである。信頼され、まかされれば、人間は嬉しいし、それだけ責任も感じる。だから自分なりにいろいろ工夫もし、努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば、信頼されることによって、その人の力がフルに発揮されてくるわけである。実際には100パーセント人を信頼することはむずかしいもので、そこに、まかせて果たして大丈夫かという不安も起こってこよう。しかし、たとえその信頼を裏切られても本望だというぐらいの気持ちがあれば、案外、人は信頼にそむかないものである。

 

◇目標を与える
指導者にとって必要なことは、目標を与えることである。指導者自身は特別な知識とか、技能は持っていなくてもよい。それは専門家を使えばいいのである。しかし目標を与えるのは指導者の仕事である。それは他の誰がやってくれるものでもない。もちろん、その目標自体が適切なものでなければならないのは当然である。だからそのためには、指導者はそういう目標を生むような哲学、見識というものを日ごろから養わなくてはならない。自分の哲学なり、体験に基づいて、その時どきに応じた適切な目標を次つぎに与える。指導者はそのことさえ的確にやれば、あとは寝ていてもいいほどである。

 

◇困難から力が生まれる
人間というものは恵まれた順境が続けば、どうしても知らず識らずのうちにそれに馴れて、安易になりやすい。昔から“治にいて乱を忘れず”ということが言われ、それはきわめて大切な心構えであるけれども、そういうことがほんとうに100パーセントできる人はおそらくいない。やはりどんな立派な人でも無事泰平な状態が続けば、つい安易になる。安心感が生じ、進歩がとまってしまう。それが、困難に出会い、逆境に陥ると、そこで目覚める。気持ちを引き締めて事に当たる。そこから、順調なときに出なかったような知恵が湧き、考えつかなかったことを考えつく。画期的な進歩、革新もはじめて生まれてくる。

 

◇気分の波をつかまえる
人間というものは、気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。また別に悲観するようなことでなくても悲観し、ますます気が縮んでいきます。しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだんと活動力が増してきます。
私は人間の心ほど妙なものはないと思います。非常に変化性があるのです。これがつけ目というか、考えなければならない点だと思います。そういう変化性があるから、努力すれば努力するだけの甲斐があるわけです。そういう人間の心の動きの意外性というものを、お互いにつかむことが大事だと思うのです。

 

◇業界の信用を高める
どんな商売もそうでしょうが、自分の店が発展、繁栄していくには、そのお店の属している業界全体が常に健全で、世間の人びとから信用されていることが非常に大事だと思います。もしそうではなく、業界の中に不健全な店が多ければ、「あの業界はだめだ、信用できない」ということになって、その業界に属する個々の店も同じような評価を世間から受け、商売は成り立っていきにくくなるでしょう。ですから、お互い商売を進めていく上で、自分の店の繁栄をはかることはもとより大事ですが、それと同時に、他の店ともうまく協調して、業界全体の共通の信用を高めることに配慮することが、きわめて大事だと思うのです。

 

◇社長は心配役
社長というものは、従業員が1万人いれば1万人の心配を背負っていくものです。ですから、心配で夜も眠れないというときもあります。眠れないからつらい、苦しい。しかし、そのように心配するのが社長の仕事なのです。そのために死んでも、それは早く言えば名誉の戦死ではないか、そう考えるところに社長としての生きがいも生まれてきます。社長が心配しないでのんびりやれる会社などあり得ない。眠れなかったり、煩悶したりしている姿こそ社長の姿で、そこに社長としての生きがいがある。そういう考え方に立つことが、激動の時代である今日の経営者には求められているのではないでしょうか。

 

◇批判はあとでよい
賢い人は、ともすれば批判が先に立って、目前の仕事に没入しきれないことが多い。そのためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。
ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも、「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。仕事に成功するかしないかは第二のこと、要は仕事に没入することである。批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。こうした努力は必ず実を結ぶと思う。そこからものが生まれずして、いったいどこから生まれよう。

 

◇事業は人なり
「事業は人なり」と言われるが、これは全くその通りである。どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。いかに立派な歴史、伝統を持つ企業でも、その伝統を正しく受けついでいく人を得なければ、だんだんに衰微していってしまう。経営の組織とか手法とかももちろん大切であるが、それを生かすのはやはり人である。どんなに完備した組織をつくり、新しい手法を導入してみても、それを生かす人を得なければ、成果も上がらず、したがって企業の使命を果たしていくこともできない。企業が社会に貢献しつつ、みずからも隆々と発展していけるかどうかは、一にかかって人にあるとも言える。

 

◇礼儀作法は潤滑油
礼儀作法というものは、決して堅苦しいものでも、単なる形式でもないと思います。それはいわば、社会生活における“潤滑油”のようなものと言えるのではないでしょうか。
職場では、性格や年齢、ものの考え方など、いろいろな面で異なる人びとが相寄って仕事をしています。そのお互いの間をなめらかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから、礼儀作法というものは、当然、心のこもったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなり得ません。やはり形に表わし、相手に伝わりやすくし、心と形の両面があいまった適切な礼儀作法であってこそ、はじめて生きてくると思うのです。

 

◇末座の人の声を聞く
みなさんが長という立場に立って会議をする場合、一番若輩と言われるような人からも意見が出るということが非常に大切だと思います。そしてそのためには、意見が出るような空気というか雰囲気をつくっているかどうかがまず問題になります。だから末座に座っている人でも、遠慮なく発言できるような空気をつくることが、長たるものの心得だと思うのです。そして、末座に座っている人から意見が出たなら、葬ってしまうようなことをせず、喜んでそれを聞く素直さ、雅量というものを持つことが非常に大事だと思います。それを持っていないと、そのグループなり会社はうまくいかなくなってしまうでしょう。

 

◇道徳は実利に結びつく
社会全体の道徳意識が高まれば、まずお互いの精神生活が豊かになり、少なくとも人に迷惑をかけないようになります。それがさらに進んで互いの立場を尊重し合うようになれば、人間関係もよくなり、日常活動が非常にスムーズにいくようになるでしょう。また自分の仕事に対しても誠心誠意これに当たるという態度が養われれば、仕事も能率的になり、自然により多くのものが生み出されるようになる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると言えるのではないでしょうか。そう考えるならば、私たちが道徳に従ってすべての活動を行なうということは、社会人としての大切な義務だということにもなると思います。

 

◇辛抱が感謝になる
われわれが一生懸命に仕事をしても、世間がそれを認めてくれなかったら、非常に悲しい。そんなとき、その悲しさが不平となり出てくるのも、一面ムリのないことだと思う。しかし“認めてくれないのは世間の人が悪い”という解釈もできるが、“まあちょっと辛抱しよう。今は認めてくれなくても、いつかは認めてくれるだろう”と、じっと堪え忍び、いい仕事を続けていくというのも一つの方法である。そして認めてもらったら、これは非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。“より多くわれわれを認めてくれた社会に対して働かなくてはいけない”という感謝の心になってくる。
そういう心がなければいけないと思う。

 

◇一人の責任
会社が発展するのも失敗するのも、結局はすべて社長一人の責任ではなかろうか。というのは、もし社長が「東へ行け」と言えば、「いや私は西へ行きます」と言って反対の方向に行く社員はまずいないからである。ほとんどの社員は、社長が「東へ行こう」と言えば、みな東へ行く。だから、「東へ行け」と言って、もし間違ったとしたら、それは社長一人の責任に他ならないわけである。同じように、一つの部、一つの課が発展するかしないかは、すべて部長一人、課長一人の責任である。私は、いままでいかなる場合でも、そう考えて、自問自答しながら事をすすめるよう努めてきた。

 

◇経営は総合芸術
経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それに基づいて資金を求め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人びとの用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だと言えよう。
なるほど、形だけ見れば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、その過程にはいたるところに経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味において、経営はきわめて価値の高い、いわば総合芸術ともいうべきものだと思う。

 

◇使命感半分、給料半分
人間には、“欲と二人連れ”という言葉もあるように、自分の利によって動くという面と、使命に殉ずるというか、世のため人のために尽すところに喜びを感じるといった面がある。だから人を使うにしても、給料だけを高くすればいいというのでなく、やはり使命感というものも持たせるようにしなくては、ほんとうには人は動かない。もちろん使命感だけで、給料は低いというのでも、これはよほど立派な人でない限り不満を持つだろう。普通の人間であれば、使命感半分、給料半分というところだと思う。そのようなあるがままの人間性に即した処遇をしていくところに、適切な人の使い方があると言えよう。

 

◇部下のために死ぬ
経営者に求められるものはいろいろありましょうが、自分は部下のために死ぬ覚悟があるかどうかが一番の問題だと思います。そういう覚悟ができていない大将であれば、部下も心から敬服して、ほんとうにその人のために働こうということにはならないでしょう。経営者の方も、そういうものを持たないと、妙に遠慮したり、恐れたりして、社員を叱ることもできなくなります。それでは社内に混乱が起こることにもなってしまいます。ですから、やはり経営者たるものは、いざというときには部下のために死ぬというほどの思いで日々の経営に当たるのでなければ、力強い発展は期し得ないと思うのです。

 

◇企業は儲けるべし
企業というものは、終始一貫、どうすれば合理化できるか、どうすればムダな経費が省けるかと、一生懸命汗を流し、工夫し、そして苦心惨憺してやっと一定の利益を上げているのです。そして利益の大半を税金として納めています。企業も国民も、みんなが働いてプラスを生んで、税金を納めているから国の財源ができるわけです。どこも儲けなければ、税金も納められない。とすれば国の財源はどこから集め得るのでしょうか。
企業は儲けてはいけないということであるなら、経営は簡単です。努力もいらなければ創意工夫もしなくていいのですから。それで国が成り立っていくのであれば何も苦労はいりません。

 

◇適正な給与
だれしも給与は多い方がよいと考えます。その考え方自体は決して悪いとは思いません。しかし、会社がかりに多くの給与を出したいと念願しても、会社の一存によって実現できるかというと必ずしもそうはいかないと思います。やはり、それだけの社会の公平な承認が得られて、はじめてそれが許され、恒久性を持つわけです。給与が適切であるか否かは、会社にも従業員にも、その安定と繁栄にかかわる重大な問題であり、同時に社会の繁栄の基礎ともなるものです。お互いに十分な配慮のもとに、絶えざる創意と工夫を加えて、その適正化をはかっていかなければならないと考えます。

 

[愛蔵版]松下幸之助一日一話

[愛蔵版]松下幸之助一日一話

 

 

 2019年9月21日 一条真也

「また会えるから」を再び歌う

一条真也です。
20日、わたしは松柏園ホテルのニューバンケットザ・テラス」で、わたしが作詞した「また会えるから」というグリーフケアソングを自ら歌唱しました。

f:id:shins2m:20190920160306j:plain「また会えるから」歌唱のようす

 

 

ブログ「グリーフケアソングMV」で紹介したように、今月11日に動画を撮影しましたが、じつは撮影場所や機材の問題などに不備がありました。カラオケではない単なるMVを使っての収録でしたので、なかなか難しかったのです。音程のコントロールが効かない上に、この歌はもともとが男女のデュエット曲であり、それを1人で歌うわけですから、困難の極みでした。でも、ある人から「もう一度歌い直したほうがいいのでは?」と言われたこともあり、さらに完成度の高い動画を撮影する決意をした次第です。

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

島薗進氏、鎌田東二氏との共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)の第3章「グリーフケア・サポートの実践」で、わたしは葬儀とともに、グリーフケアの方法として読書や映画鑑賞に言及しました。読書、映画に続く「第3のメソッド」として注目しているのがカラオケです。カラオケには悲嘆を軽くする力が確実にあります。

 

また会えるから

また会えるから

 

 

じつは、わたし自身が作詞した「また会えるから」という歌があります。拙著『また会えるから』(現代書林)で発表した詩に曲を付けたものです。わたしは、この「また会えるから」を自分で歌うことにしたのです。この「また会えるから」という歌、自分で言うのも何ですが、なかなかの名曲です。

 

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「また会えるから」歌唱のようす


ブログ「全冠協講演」で紹介した7月24日にホテル・ベルクラシック東京で開催された全日本冠婚葬祭互助支援協会(全冠協)さん主催の講演会でも紹介したところ、大きな反響がありました。互助会の名門である京阪互助センターさんから「素晴らしい名曲なので、ぜひ使わせて下さい!」との依頼を受け、わたしは快諾しました。現在では、同社の施設で流れています。また、講演に参加して下さった全互協事務局の樋口さんという方は、この歌に涙を流すほど感動して下さいました。

f:id:shins2m:20190920163243j:plain「また会えるから」歌唱のようす

f:id:shins2m:20190920163309j:plain「また会えるから」歌唱のようす

 

2019年9月21日 一条真也

『丸山敏雄一日一話』

丸山敏雄一日一話―幸せになるための366話

 

一条真也です。
19日の午後、東京からJALで北九州に戻りました。搭乗する予定だったスターフライヤーが機材繰りのため欠航になり、JALに乗り換えたのです。昨夜お会いしたデヴィ夫人エミレーツ航空でドバイに旅立たれたことでしょう。
さて、本日20日は「彼岸入り」ですね。
『丸山敏雄一日一話』社団法人倫理研究所監修(PHP研究所)を再読しました。サブタイトルは「幸せになるための366話」です。カバー表紙には、「ひとはみな成功し、幸福になるようにできている」という言葉があります。ブログ『一粒の麦 丸山敏雄の世界』でも紹介した1892年生まれの丸山敏雄は、宗教家から社会教育者になった人です。

 

カバー前そでには、「純粋倫理とは」として、以下のように書かれています。
「純粋倫理は日本の精神文化や歴史、宗教などの研究を土台にして発見された《人間生活の法則=すじみち》です。実生活とひと時も離れることのない生活のルールといえます。人間を幸福に導き、平和で豊かな社会を築く《くらしみち》であり、旧道徳を超える生きた生活法則です。それは日常生活のあらゆる場面において、誰でもが実験実証できます。《明朗》=ほがらか、《愛和》=なかよく、《喜働》=よろこんではたらく、これが実践の指標であり、《純情》=すなおな心になることが純粋倫理の核心です」

 

アマゾンには、以下の内容紹介があります。
「世の中が豊かになってきたにもかかわらず、悲惨な事件が絶えない。こうした世相の背景には、いまの日本人が道徳や倫理といった心の規範を失ったことがあるのではないか。およそ半世紀前、この国の行く末を案じ、日本人の心の拠り所を取り戻そうと立ち上がった男がいた。
丸山敏雄氏その人である。
氏は日本の伝統文化を注意深く研究する中で、ひとつの生活倫理(人間生活の法則=すじみち)を確立した。それは人間を幸福に導き、平和で真に豊かな社会を築くための基本として、純粋倫理と名づけられた。純粋倫理は、旧い道徳を超える生きた生活法則であり、丸山敏雄が実生活で実験、検証した事実に基づいている。『朝早く起きる』『挨拶をする』『ハイと返事をする』といったシンプルな習慣の中にこそ、実は幸せになる秘訣があると氏は言う。本書はこうした氏の実践哲学を一日一話形式でまとめたもの。ぜひ毎日の実生活の中で生かしたい一書である」

 

本書の「まえがき」では、一般社団法人 倫理研究所の理事長である丸山敏秋氏が、倫理観なき現代社会を憂いつつ、以下のように述べています。
モラル・ハザード(道徳の荒廃)の原因を一つの要素に帰することはできないだろう。そこには、昭和の時代にまで遡る多くの遠因があったと思うのである。昭和の大戦に敗れ、日本がそれまでの伝統文化から切り離されてしまった現実を看過することはできない。誤解を恐れずに言えば、このことが戦後日本人の心を弱く貧しくしてしまった」
この丸山敏秋氏こそは、丸山敏雄翁のお孫さんです。それでは、わたしの心に残った本書の名言を以下にご紹介します。

 

◇今日は最良の一日
今日はまたとめぐって来ない。
昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。
今日の外に人生はない。人の一生は、今日の連続である。
昨日を悔い、明日を憂える人がある。
これは、今日の影法師にびくついている人。
今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき良き日である。
今日しなければ、何時その日が廻って来よう。
今日をとりにがす人は、一生をとりにがす人である。

 

◇ただ一度の人生
人生はただ一度である、やり直しがきかない。
その一度を、いかに小さくこじんまりと破綻なく送ろうとするか、いかに大きく万世に響く偉大なる生き方をしようとするか、まことに自由である。いかほど大きい望みを抱いていても、だれ一人遠慮することはない。

 

◇あいさつは誠の先手
「あいさつは誠の先手」と申します。
すべて「後手はまけ」、と相場が定まっております。

 

◇人はわが鏡
今日までは、相手の人を直そうとした。鏡に向って、顔の墨をけすに、ガラスをふこうとしていたので、一こうにおちぬ。自分の顔をぬぐえばよい。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変ればよい。

 

◇人生の主役
人生は演劇である。劇作家、監督、演出、それは、ただ一人でかねていて、到らぬくまもなく、及ばぬ時処もない。この演劇は、悠久の古から永遠の未来にまで踊りつづけている、大規模の幕切なしの劇である。全地上が舞台であり、濃籃の海と、緑の岡と、コバルトの空と、背景の美しさ。花あり、紅葉あり、鳥鳴き、魚躍る。その大演劇の主役は、己自身である。

 

◇和は万物存在の原理
和は、芸術倫理の根底であり、万物存在の原理である。
和とは、一切物がその姿にあること、その位置にあること。そして、それぞれの場を得てその全にある時、多ければいよいよ多くて美しく、少なければ少なくてますます美しい。部分は部分で美しく、全体は全体でいよいよ美しい。それは、常にそのバックと和し、境と合してすきが無い。乱れがないからである。和して初めて自由であり、和したときが真実である。

 

◇芸術の意義
山の中に入り込むと、山は見えません。泳いでいては、海の偉大さはわかりません。ほんとうに生活そのものの意義――実は自分そのもの――を見きわめるためには、自分の生活・仕事から全く離れて、見る――客観する――ことが必要になってまいります。すなわち、全く何も無い所、空なる所――空所――が必要になってまいります。その空所が、芸術境であります。生花、茶の湯謡曲、芸道、または花造り、山登り、釣り、散歩などといったものが、すべてこうした意味をもつものだと思います。

 

◇窮すれば通ず
事業の上でも経済の上でも、その他奇禍にあった場合でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達な心境に達した時、必ず危難をのがれることが出来る。見事に窮地を脱することは、古人の体験であり、「窮すれば通ず」とは、このことをいうのである。

 

◇商売繁盛の8ヵ条
(1)気がついたら、すぐすること。
(2)人を好ききらいせず、物をすききらいせぬ
(3)金払いをよくすること。
(4)天候気候について不平不満をもたぬこと。
(5)時勢の変動に、すばしこく対処せねばならぬが、ビクビクせぬこと。
(6)人を信じ、己を信じること。
(7)早くはじめて、早く終わること。
(8)思いきって断行する。

 

◇わが命の根元
わが命の根元は、両親である。
親を尊敬し、大切にし、日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ一人の私の親であるからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何一つ満足にはできない。

 

◇生きているとは
命は、目に見えぬ世界で、宇宙の本体と通じている。早い話が、人間一人ひとりは、電灯のようなものと思えないだろうか。ポツリと一つ光っているように見えるが、その実、電線で発電所と連絡されている。というより、ラジオと放送局のように、宇宙の本体と目に見えぬ世界で通じているのではないか。通じているということは、生きていること、「いき」(往)「き」(来)していること。親の体を通して生まれて来た我らの体は、その根元の大生命(宇宙の本元)と、一刻の休みもなく交通している。これが生きている姿である。

 

◇幸福の原動力
働くには、こつがある。それは、喜んで働くこと。進んで、尻がるに、腰がるに、かるがると働くこと。こうした働きが、真の働きである。
この働き、この喜び、これが人生幸福の原動力であって、こうした人は必ず恵まれる、健康に、経済に、一家の愛和に。
働きは、人の幸福の一切を産み出す動力であり、限りない喜びを生み出す源である。この働きは、出せば出すほど、いよいよ量を増し、質を高め、能率をあげてくる。

 

◇希望に満ちた人生
耳あるものは聞け、目ある者は見よ。偉大なる舞台を、天然のバックを、日月星の照明を、花鳥の彩色を、風浪の奏楽を、その主役の妙技を、助演者の活芸を・・・・・・。何という神の演劇、いったいだれが希望がないというか。人生ことごとく輝く希望でみちあふれている。

 

◇月を見る心
十六夜、立待ち、居待ちと、半月もよく、弦月のよい。糸のような月が高杉の秀にかかった風情は、言葉にあらわされない。
しかし、月はその一面を常に地球に向け、太陽光線を受けて常にその反面が光って明るいので、地球上から見たところが、欠けたり満ちたりするだけで、本物の月には何の変化もない。欠けも、満ちも、まして憂いも、悲しみも、よろこびも。ただ月見る人の心が、千々に波うち、異なるだけである。

 

◇金銭を得る人
ほんとうに身につく金銭を得る人は、無欲の人である。大事業家は、無欲の人である。事業は欲心で左右されるようなものではない。ただせずにおられず、仕事そのものがすでに無上の喜び、無限の恵みであって、歓喜にみちて働く、そこに事業はおのずから成功し、金銭は自然に集まるのである。二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話のように、欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も亦同じことである。

 

◇奇跡とは
人が真心をうちこめて進んで喜んで全力を傾けた時、ことに純情の人が高い目的のために心を一つにして命がけの働きを集めた時、思いもよらぬケタはずれの見事な結果が現われる。これを、人間は「奇跡」という。

 

◇幸福の正道
人間、幸福のただ一つの正道は、家庭の人々を喜ばせ、職場の人々を喜ばせ、社会を喜ばせ、すべての物を喜ばせる生活である。そしてこれが、最も楽しい、また行きづまりのない無限の幸福な生活である。

 

◇人のねうち
真に貴きは肉体ではない。
肉体をしてかくあらしめる心である、生命である。
哲人ソクラテスは弊衣跣足、ちまたに彷徨して道を説くこと20年。山上に河岸に、風のごとくさまよい、福音を罪人に伝えたキリスト。雪山にまた菩提樹下に、端坐禅定のシャカ。いずれも暖衣飽食、金殿に住み、綾羅をまとったとも思われぬ。人のすべては、かかってその生命にある。


◇青年諸君
志のあるところに、道が開ける。希望のあるところに、光がさす。
心に太陽をかかげよ。希望は心の太陽である。

 

丸山敏雄一日一話―幸せになるための366話

丸山敏雄一日一話―幸せになるための366話

 

 

2019年9月20日 一条真也

デヴィ夫人にお会いしました

一条真也です。東京に来ています。
18日、朝から西新橋の全互協で正副会長会議と正副会長委員長会議に出席しました。夜は、(株)セレモニーの志賀社長のお誘いでデヴィ夫人と会食しました。言わずと知れた、インドネシアスカルノ元大統領の夫人で、NPO法人アースエイドソサエティ総裁です。会食場所は、六本木ヒルズの「kappou ukai」でした。

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タクシーで六本木ヒルズへ!

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わたしは、赤坂見附の定宿からタクシーで六本木へ向かい、けやき坂のルイ・ヴィトンの前で車を降りました。ヴィトンの入っているビルの2階が会食場所の「kappou ukai」です。わたしが到着して、少し遅れてセレモニーの志賀会長、志賀社長の母子が到着され、さらに少し遅れてデヴィ夫人が到着されました。この日にバングラディッシュから帰国されたばかりで、翌日からはドバイに行かれるという夫人は、わたしが今までに経験したことのないような強烈なオーラに包まれた方でした。「美」と「知」が融合されたようなオーラです。初対面なので名刺交換をさせていただきましたが、夫人は「佐藤栄作さんの若い頃に似ておられて、ハンサムですね」と言って下さいました。いやあ、いきなり恐縮しました。もう恥ずかしくて、穴があったら入りたかった!

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素晴らしい食材でした

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デヴィ夫人

 

「Kappou ukai」では、アワビ、ウニ、キンメ、ブリ、松茸などの最高の食材を使った素晴らしい料理が出されました。美味しいシャンパンや冷酒とともに、それらの御馳走を味わいました。わたしは夫人のお隣の席に座らせていただき、さまざまな話題で会話をさせていただきました。日本という国の未来を心から憂う夫人のお考えに深い感銘を受けました。ミャンマーの難民ロヒンギャから、千葉の停電の被害者、さらには豚コレラで殺処分される埼玉の豚まで、この世のありとあらゆる「悲しみ」に心を配り、その悲嘆に寄り添われる姿勢に心を打たれました。わたしも、日本人の儀式軽視の風潮に触れ、「葬儀をしなければ、その人は最初からこの世にいなかったことになってしまう」などの持論を申し上げたところ、夫人は賛意を示して下さいました。


人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

夫人から「今日は、同じ志を持つ若い方とお会いできて嬉しいです」とのお言葉をいただき、感激しました。夫人はまた、わたしに対して「歌舞伎役者のようなお顔をされていますね」などの過分なお言葉もかけていただきました。お会いする前は、その毅然過ぎるほどの生き方から少し怖いイメージも抱いていたのですが、実際はとてもフレンドリーで、人たらしなお方でした。わたしは夫人に拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)とブックレット『一条本』をお渡ししたのですが、夫人はそれらのページを繰りながら興味深く眺めて下さいました。

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心に残る食事会でした

 

夫人が熱く語られるアメリカの未来、中国の未来、韓国の未来、ミャンマーの未来、そして日本の未来・・・・・・すべてが強い説得力のあるヴィジョンでした。わたしは、聡明で情熱的なデヴィ夫人のような方こそ、真の国際人であり、代表的日本人ではないかと思いました。わたしの媒酌人である前野徹先生、私淑した渡部昇一先生亡きあと、久々に心から尊敬できる憂国の師にお会いした気分です。男女を問わず、こんな気概を持った日本人がいたことに、わたしは感動しました。夫人は10月5日に目黒雅叙園でパーティーを主催されるそうで、わたしもご招待の栄誉を受けたのですが、あいにくその日は全互連の研修視察でマレーシアに行っており、参加は叶いません。まことに残念です。

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素晴らしい出会いに感謝! 

 

デヴィ夫人、このたびはお会いできて光栄でした。翌日から日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」の収録でドバイへ行かれるそうですが、どうぞ、お気をつけて。これを御縁に、今後とも御指導よろしくお願いいたします。また、夫人を紹介いただいた志賀社長には心より感謝申し上げます。明日、スターフライヤーに乗って北九州に戻ります。そういえば、デヴィ夫人が「北九州って、もっと田舎かと思っていましたが、空港が素敵でした。北九州空港はオーシャンビューなんですね。日本では珍しいですね」と言われていました。がんばれ、北九州!

 

2019年9月19日 一条真也

「トールキン 旅のはじまり」

一条真也です。
17日の朝、松柏園ホテルの神殿で行われた月次祭および同ホテルのメインバンケットである「グランフローラ」での天道塾に参加。終了後、北九州空港に向かい、スターフライヤーで東京に飛びました。東京に到着後、いくつかの打ち合わせをしてから、夜はTOHOシネマズ日比谷で映画「トールキン 旅のはじまり」をレイトショーで観ました。

 

ヤフー映画 の「解説」には、こう書かれています。
「『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの原作『指輪物語』や『ホビットの冒険』などの著者J・R・R・トールキンの半生に迫る人間ドラマ。母親や学生時代の仲間とのエピソード、運命の女性との恋模様などを映し出す。『X-MEN』シリーズなどのニコラス・ホルトが主人公、『あと1センチの恋』などのリリー・コリンズが彼の最愛の女性を演じる」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
トールキンニコラス・ホルト)は3歳のときに父が他界し、イギリスの田舎で母と弟と生活していた。だが母親も12歳のときに突然亡くなり、母の友人のモーガン神父が後見人としてトールキンを救ってくれた。やがてトールキンは名門キング・エドワード校に入学して3人の友人と出会い、芸術で世界を変えることを約束する」



この映画の主人公であるジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(1892年1月3日-1973年9月2日)は、言うまでもなく高名なファンタジー作家で、『ホビットの冒険』や『指輪物語』の著者です。また、英国の文献学者であり、作家、詩人、イギリス陸軍軍人でもあります。オックスフォード大学で学び、同大学ローリンソン・ボズワース記念アングロ・サクソン語教授(1925年―1945年)、同大学マートン学寮英語英文学教授(1945年 ―1959年)を歴任しました。ちょうど数日前に、次女が留学先のオックスフォードから帰国してきたのですが、映画に登場するオックスフォード大学を見ながら、次女の留学の様子を想像しました。

 

トールキンは、文学討論グループ「インクリングズ」のメンバーで、同会所属の英文学者C・S・ルイスとも親交が深かったことで知られています。ルイスは『指輪物語』と並ぶファンタジー大作『ナルニア国物語』の著者です。トールキンはまた、カトリックの敬虔な信者でもありました。1972年、エリザベス2世からCBE(大英帝国勲章コマンダー勲爵士)を受勲しています。



トールキンは「中つ国」という、まったく架空の世界を想像しました。彼の 没後、息子のクリストファは彼の残した膨大な覚え書きや未発表の草稿をまとめ、『シルマリルの物語』、『終わらざりし物語』、『中つ国の歴史(英語版)』などを出版しました。これらは、生前に出版された作品とあわせ、「中つ国」と呼ばれる架空の世界に関する物語、詩、歴史、言語、文学論の体系を形作っています。1951年から1955年にかけ、トールキンはこのような書き物の総体をlegendarium (伝説空間、伝説体系)と呼んでいました。「中つ国」について、わたしは監修書の『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)で詳しく紹介しました。

伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)

 

完全に架空の世界を想像し、その歴史を構築し、さらには架空の言語を考案するなど、人間の想像力のレベルを超えているというか、ただごとではありません。そのように図抜けた想像力の持ち主であったトールキンは、オレンジ自由国(現在は南アフリカ共和国の一部)のブルームフォンテーンで、イギリスの銀行支店長アーサー・ロウエル・トールキンと妻メイベル・トールキン(旧姓サフィールド)の間に生まれました。ヒラリー・アーサー・ロウエルという弟が1人います。



3歳のときに父を脳溢血で亡くした後、 母はバプテストであった親戚の猛烈な反対を押し切ってローマ・カトリックに改宗しました。そのため、全ての財政援助は中断された。その母も、トールキンが12歳のときに糖尿病で亡くなり、トールキンは母が信仰の殉教者であったと思うようになりました。この出来事はカトリックへの信仰に深い影響をもたらしました。トールキンは敬虔なクリスチャンとして生き、友人のC・S・ルイスをキリスト教に改宗させました。しかし、その後、ルイスがカトリックから英国国教会に改宗して、大いに失望しています。

 

孤児となったトールキンを育てたのは、バーミンガムのエッジバーストン地区にある、バーミンガムオラトリオ会のフランシス・シャヴィエル・モーガン司祭でした。16歳のときに3歳年上のエディス・メアリ・ブラットと出会い、恋に落ちますが、フランシス神父は、会うことも話すことも文通することも21歳になるまで禁じます。トールキンは、胸を焦がしながらも、この禁止に忠実に従いました。



911年、トールキンが通うキング・エドワード校に在学中の3人の友人のロブ・キルター・ギルソン、ジェフリー・バッチ・スミス、クリストファ・ワイズマンと共に、半ば公然の「秘密結社」である「T.C.B.S」を結成します。これは、学校の近くのバロウズの店や学校図書館で不法にお茶を飲むことを好むことを示す「ティー・クラブとバロヴィアン・ソサエティ」の頭文字を取った名でした。学校を去った後もメンバーは連絡を保ち続けました。わたしはアフタヌーンティーが大好きですので、このバロウズという店、一度行ってみたい!



その後、彼らは第一次世界大戦に出征し、ロブとジェフリーは戦死します。ロブはキング・エドワード校の校長の息子でした。ジェフリーは詩作の才能があり、トールキンは彼の詩集を出版したいと思います。そこで、思い出のバロウズの店にジェフリーの母親であるスミス夫人を呼び出し、詩集出版の許可を得るのでした。その序文はトールキン自身が書きました。スミス夫人は「姉は3人の息子を亡くしました。わたしは2人を亡くしました。すべて、同じ週にです」と語るのですが、改めて巨大なグリーフ発生装置としての戦争の怖ろしさを痛感する言葉です。バロウズの店で、亡き親友たちの思い出を語るトールキンの姿は、とにかく泣けます。「親友を亡くすことは、自分の一部を失うこと」と語ったグリーフ・カウンセラーがいましたが、本当にその通りだと思います。大作『指輪物語』の第1部は「旅の仲間」というタイトルがついていますが、トールキンにとっての旅の仲間とは、なつかしい「T.C.B.S」のメンバーだったのです。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

映画では、戦後に大量発生した遺族を前に、フランシス神父が「彼らに何と言えばいいのか。あなたの大切な人は、戦争を終わらせるための戦争で亡くなったのですよ、とでも言うか。いや、ミサの言葉くらいしか思い浮かばないな」というシーンが登場し、グリーフケアの難しさを再確認しました。愛する息子を亡くしたスミス夫人が「詩集など出して、何の役に立つのですか」と質問するのですが、トールキンは「詩人や作家や芸術家は、こんな時代こそ必要なんです」と言います。こんな時代とは、第一次世界大戦が終了して、多くの人命が奪われた時代です。そこには大量の「愛する人を亡くした人」たちが存在しました。わたしは、詩や小説などの文学、その他の芸術は、「愛する人を亡くした人」たちのためにある、つまりはグリーフケアのためにあることを再確認しました。わたしは現在、読書や映画鑑賞やカラオケによるグリーフケアを研究・実践していますので、トールキンの言葉に我が意を得た思いでした。



さて、トールキンとエディスですが、トールキンの21歳の誕生日の晩、エディスに愛を告白した手紙を書いて、自分と結婚してほしいとプロポーズしました。しかし、エディスからの返信には「自分を忘れてしまったと思ったので、婚約した」と書かれていました。2人は鉄道陸橋の下で出会い、愛を新たにします。エディスは指輪を返し、トールキンと結婚する道を選びました。1913年1月にバーミンガムで婚約後、エディスはトールキンの主張に従いカトリックに改宗しました。そして、1916年3月22日にイングランドのウォリックで結婚しました。エディスという女性は、作家トールキンに大きな影響を与えた人でした。彼女は大のワグネリアンワーグナーの崇拝者)で、特に「ニーベルンゲンの指輪」を好みましたが、これがトールキンの『指輪物語』を生むことになるのです。わたしもワーグナーが好きなのですが、この映画で、ワーグナーからトールキンへの「ロマン」のDNAを知って、胸が熱くなりました。

 

文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)

文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)

 

 

その『指輪物語』は、1960年代のアメリカの多くの学生たちの間で好評を博し、ちょっとした社会現象となりました。現在でもロングセラーである『指輪物語』は、販売部数も人気も評価も、20世紀における最も人気の高い小説の1つとなりました。英国のBBCとWaterstone's bookstore chainが行った読者の世論調査で『指輪物語』は20世紀の最も偉大な本と認められました。amazon.comの1999年の顧客の投票では、『指輪物語』は千年紀で最も偉大な本となりました。その人気は英語圏だけにとどまらず、2004年には100万人を超えるドイツの人々が、『指輪物語』が広範囲の文学のうち最も好きな作品として投票しました。

 

ホビットの冒険 オリジナル版

ホビットの冒険 オリジナル版

 

 

トールキンは当初、『指輪物語』を『ホビットの冒険』のような児童書にしようと考えていたそうです。しかし、書き進めるにつれ次第に難解で重々しい物語となっていきました。『ホビットの冒険』と直に繋がる物語であるにもかかわらず、より充分に成熟した読者を対象とするようになり、また後に『シルマリルの物語』やその他の死後出版された書籍に見られるような膨大な「中つ国」の歴史を構築し、それを背景にして書き上げたのです。この手法と出来上がった作品群の緻密で壮大な世界観は、『指輪物語』の成功とともに誕生した「ファンタジー文学」というジャンルに多大な影響を残しました。オックスフォードのWolvercote墓地にあるJ・R・R・トールキンとエディス・トールキン夫妻の墓があり、「中つ国」の最も有名な恋物語の1つから、「ベレン」そして「ルーシエン」という2人のエルフの名が刻まれています。



トールキンの『指輪物語』は、ハリウッドで「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化されました。わたしも夢中になってロードショーで観ましたし、2人の娘たちもDVDを何度も鑑賞したようです。ただ、映画「ロード・オブ・ザ・リング」では、合戦の場面がメインになるということに大きな違和感をおぼえました。これでは、「天と地と」や「乱」と変わりありません。夢を与えるはずのファンタジーが、リアルな戦争描写に終始しているのは違和感が残るとともに、残念です。そのことは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも書きました。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 

トールキンの作品は、ヨーロッパの神話伝承から多くの影響を受けているとされます。『ベーオウルフ』に代表されるアングロサクソンの古伝承、『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』をはじめとする北ゲルマン人の神話体系(北欧神話)、アイルランドウェールズなどのケルトの神話やフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』などですが、それらの影響で戦争の描写があるのはわかるとしても、 第一次世界大戦で死線を彷徨ったトールキンならば、戦争のない世界を描いてほしかったと思うのは、わたしだけでしょうか?

 

2019年9月18日 一条真也