『さよならムーンサルトプレス』 

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第137回が掲載されています。今回は、『さよならムーンサルトプレス』福留祟広著(イースト・プレス)を取り上げました。

f:id:shins2m:20190903142850j:plainサンデー新聞」2019年9月7日号 

 

わたしは大のプロレス・ファンなのですが、特に「プロレスリング・マスター」の異名を持つ武藤敬司は同年代ということもあり、好きなレスラーの1人です。本書には「武藤敬司35年の全記録」というサブタイトルがついています。著者は1968年、愛知県生まれ。國學院大学文学部哲学科卒。92年、報知新聞社入社。現在、メディア局コンテンツ編集部所属。プロレス、格闘技、大相撲、ボクシング、サッカーなどの取材を担当。

 

アントニオ猪木が率いる新日本プロレスは80年代に一大ブームを巻き起こしましたが、その後、引退したタイガーマスクにはじまって、長州力維新軍団前田日明らUWF勢の離脱といった「大量選手離脱」の荒波に襲われました。しかし、それによって新時代のスター「闘魂三銃士」が誕生。本書の主役である武藤敬司もその1人です。

 

武藤は、平成のプロレス界を牽引し、つねにファンを熱狂させてきましたが、必殺技は「ムーンサルト・プレス」でした。リング四方のコーナーポストによじ登り、背中を向けた状態からジャンプし、バック転をしながらリング上に横たわっている対戦相手めがけてボディ・プレスを仕掛ける大技です。この技はとても華麗ですが、ヒザを痛めることで知られています。

 

長年のヒザの酷使から、武藤はムーンサルト・プレスの封印を余儀なくされます。そんな武藤の35年の軌跡を追ったのが本書です。「スポーツ報知」のWEB版で話題を呼んだ同名連載を大幅加筆して書籍化。武藤本人をはじめ、坂口征二前田日明佐山サトル蝶野正洋獣神サンダーライガー船木誠勝など、約30名を総力取材しました。

 

序章「最後のムーンサルトプレス」で、著者は述べています。
「1954年2月19日に、蔵前国技館力道山木村政彦と組んでシャープ兄弟と対戦し、日本初の本格的なプロレスがスタート、ジャイアント馬場アントニオ猪木が昭和のプロレスを発展させた。(中略)平成のプロレスは、武藤敬司の時代だったと表現しても過言ではないだろう。そこには常に『ムーンサルトプレス』があった」

 

昨年3月14日、後楽園ホールでの8人タッグマッチで武藤は、プロレス人生最後のムーンサルト・プレスを放ち、満員の会場は大歓声に包まれました。手術後の武藤の復帰戦は、今年6月26日の後楽園ホール長州力引退試合で1年3カ月ぶりにリングに帰ってきましたが、ムーンサルト・プレスなしでも見事なパフォーマンスを見せてくれました。本書はさまざまな病気や怪我に悩む方に、勇気と希望を与えてくれる一冊です。

 

さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録

さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録

 

 

 

2019年9月7日 一条真也

飛騨高山古い町並み  

一条真也です。
昨日からサンレー北陸の社員旅行に参加しています。6日、美味しい朝食をいただいてから、わたしたちは9時に下呂温泉水明館臨川閣をチェックアウトし、バスに乗り込みました。まずは、高倉健の遺作「あなたへ」ゆかりの地を訪れ、それから隣接するラーメン工場を見学しました。

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高倉健の遺作「あなたへ」ゆかりの地

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「あなたへ」の看板の前で

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ラーメン見学工場で試食しました

 

それから約1時間半かけて、目的地である「飛騨高山古い町並み」に到着しました。ここは、岐阜県飛騨地方に位置する高山市中心市街地です。江戸時代以来の建築物が残っており、「飛騨の小京都」とも呼ばれる人気の観光地です。

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「飛騨高山古い町並み」にて

f:id:shins2m:20190906105941j:plain「飛騨高山古い町並み」の案内板

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高山町役場の前で

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橋の上で

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きれいな川でした

f:id:shins2m:20190906110311j:plain日枝神社御旅所

f:id:shins2m:20190906110341j:plain「飛騨高山古い町並み」にて


 飛騨地方に位置する高山市中心市街地は、江戸時代より城下町、商家町として発展を遂げました。江戸末期から明治中期に建てられた屋敷などが建ち並ぶこの「古い町並み」の景観は、国選定重要伝統的建造物群保存地区として保護されています。仏ミシュランの観光ガイドや実用旅行ガイドで、必見の観光地として三つ星を獲得しているほどの人気です。

f:id:shins2m:20190906110557j:plain高山陣屋の前で

f:id:shins2m:20190906112145j:plain高山陣屋

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高山陣屋の玄関で

f:id:shins2m:20190906111015j:plain高山陣屋の中で

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庭園にはカラフルな傘が・・・

f:id:shins2m:20190906111356j:plainKIMONOが飾られていました

f:id:shins2m:20190906111501j:plain飛騨提灯も飾られていました

f:id:shins2m:20190906110640j:plainこういうのは絶対に見逃しません!

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記念撮影しました

f:id:shins2m:20190906112300j:plain朝市をやっていました

f:id:shins2m:20190906112407j:plain銅像に学ぶ!

f:id:shins2m:20190906112621j:plain古い町並みを歩きました

f:id:shins2m:20190906112705j:plain汗をかいたので湯に入りたかった!

f:id:shins2m:20190906112849j:plainホース格納箱もレトロ調

f:id:shins2m:20190906112932j:plain「飛騨高山古い町並み」で

f:id:shins2m:20190906114613j:plain素晴らしい晴天でした!

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コーヒーの名店「Don」に入りました

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アイスコーヒーをいただきました

騨高山古い町並みを散策すると、非常に喉が渇きました。わたしたちは、観光案内所で教えてもらったコーヒーの名店「Don」に入り、濃くて美味しいアイスコーヒーを飲みました。その後は、お待ちかねの昼食です。御食事処「味の与平」で、飛騨牛鉄板焼きをいただきました。肉がものすごく柔らかくて、美味でございました。

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昼食会場の「与平」の前で

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飛騨牛鉄板焼きランチ

f:id:shins2m:20190906115908j:plain肉が柔らくて美味でした

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これは旨い!

f:id:shins2m:20190906122911j:plainみなさん、さようなら!

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ひだ12号に乗車しました


食後は、みなさんと別れて、高山駅から13時29分発の特急ワイドビューひだ12号に乗って、名古屋へ向かいました。名古屋駅には16時04分に到着し、そこから16時13分発の新幹線のぞみ41号に乗って小倉へ。小倉に到着したのは19時17分でした。楽しい社員旅行でしたが、12日からはサンレー北九州の社員旅行に参加、唐津や平戸を回ります。正直言って体はきついですが、社員旅行に参加して盛り上げるのは社長の務めです。社員旅行で無縁社会を乗り越えろ!

 

2019年9月6日 一条真也

下呂温泉の大宴会  

一条真也です。
5日、サンレー北陸の社員旅行に参加。
その日の午後、わたしたちはじっくりブログ「飛騨古川町」で紹介したスポットをじっくり散策した後、16時少し前に下呂温泉水明館臨川閣に投宿しました。ここは上皇ご夫妻もお泊りになられた名門旅館です。

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上皇ご夫妻のお宿」でした

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大宴会のようす

 

下呂温泉は、岐阜県下呂駅の東に広がる県随一の大温泉です。益田川畔に近代的な旅館が建ち並びます。温泉街も華やかで温泉情緒も豊かです。下呂のお湯は泉温、84度という高い温度で湧いている正真正銘の天然温泉です。泉質はアルカリ性単純泉、無色透明、ほのかな香りととてもまろやかなお湯。お肌に優しくからんで、絹のようにスベスベにしてくれるとか。その天然温泉に入った後、18時から宴会です。宴会の最初に、わたしが社長として挨拶しました。

f:id:shins2m:20190905175731j:plain宴会の冒頭で挨拶しました

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乾杯の挨拶をする山下部長

f:id:shins2m:20190905180010j:plainカンパ~イ!

 

わたしは、「北陸の旅行は各部署が集まって、いろんな顔ぶれが揃って素晴らしい。冠婚部門や葬祭部門へのヘルプ活動も盛んということで、チームワークの強さを感じます。今日はみなさんと大いに飲んで語り合いたいです!」と言いました。それから、山下部長の音頭で乾杯となりました。

f:id:shins2m:20190905180129j:plain大宴会のようす

f:id:shins2m:20190905181943j:plain大宴会のようす

 

しばらくは食事に歓談の時間が続きましたが、そのうち各部門のスタッフがわたしのもとに集まってきました。社長にとって、社員旅行の宴会はとても重要です。久々に話をする社員、初めて話もする社員も多く、非常に有意義な時間となりました。特に今回は新入社員のフレッシュマン&フレッシュウーマンが多かったです。

f:id:shins2m:20190905183857j:plain新入社員女子による「U.F.O.」

f:id:shins2m:20190905184440j:plain伊藤支配人は「足出まとい」を熱唱♪

 

それから、恒例のカラオケ大会が始まりました。
若い社員たちの歌は勢いがあって、どれもパワーに溢れていました。トップバッターは新入社員女子によるピンクレディーの「U.F.O.」でしたが、バッチリ決まっていました。続くマリエール小松の伊藤支配人は十八番の「足手まとい」(敏いとうとハッピー&ブルー)を歌いました。しかも、伊藤支配人はいつも「社長の足手まといだから〜♪」と替え歌で歌いながら、わたしをじっと見つめます。もう、こういったベタな振る舞いは勘弁してほしい!(苦笑)

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わたしのカラオケPVが流れました♪

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狐の面をつけて登場しました

 

そしていよいよ、わたしの番です。最初に、わたしのカラオケPVを流すと、会場に大きなどよめきが起こりました。その後、わたしは昼に「古川まつり会館」で求めた狐の面をかぶって舞台に上がりました。再び、会場にどよめきが起こりました。伊藤支配人が大きな声で「誰だ?!」と叫びました。わたしは、「わしは飛騨の狐じゃ。今宵はおまえたちに福を授けるぞよ」と言って、面を取りました。そして、わたしは北島三郎先生の国民的名曲「まつり」を歌わせていただくことにしました。

f:id:shins2m:20190905185943j:plain面を取って「まつり」を歌いました♪

 

「祭」の巨大団扇や「天下布礼」の幟が登場して、わたしは黄金の法被を着て、黄金のハチマキを頭に巻きました。イントロで、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日はサンレー北陸の社員旅行の大宴会とあっちゃ、こりゃめでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言ってから、歌い出しました。つかみはOK牧場!(笑)

f:id:shins2m:20190905190118j:plain男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

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いきなり、大盛り上がり!

 

わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、大いに盛り上がりました。ブログ「まつり」にも書きましたが、この歌は会場が一体となる、本当に日本人の心性に合った素晴らしい歌です。ある程度の年齢以上の日本人で、この歌を嫌いな人はあまりいないのではないでしょうか。まさに、「日本のうた」です!

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客席に下りて、握手をしました

f:id:shins2m:20190905190223j:plainこれがサンレー~祭り〜だ〜よ〜♪

 

わたしは歌いながら、いつものように、舞台を降りて、みなさんと握手して回りました。みなさんも最高の笑顔で迎えてくれました。最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これがサンレー~祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。あまりの熱気に、旅館の中居さんたちも仰天してしまい、口をアングリと開けていました。(笑)

f:id:shins2m:20190905190628j:plainアンコールでイエモンを歌いました♪

 

「まつり」を歌い終わると、アンコールが鳴り響きました。
わたしは無視しようとしましたが、いつまでも鳴りやまないので、仕方なくもう1曲歌うことにしました。よく考えた結果、今度は、THE YELLOW MONKYの「太陽が燃えている」を歌うことにしました。

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大のイエモン・ファンの中山所長とともに

f:id:shins2m:20190905190830j:plainまたまた大盛り上がり!

 

サンレー北陸のMSセンターで頑張っている中山所長が大のイエモン・ファンで、以前この歌を教えてくれたのであります。ブログ「ハートフル・ソングスDVD3」で紹介したDVDを収録するときにカラオケ館小倉店で歌ってみたのですが、何人かに見せたところ非常に好評だったので、この日、歌ってみた次第です。

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エア・ギターも冴えわたる!

f:id:shins2m:20190905190757j:plainサンレーが燃えている!

 

ジャパニーズ・ロックの名曲ですが、黄金のコスチュームともバッチリ合って、大いに盛り上げりました。最後は「太陽が燃えている」の歌詞を「サンレーが燃えている」に替えて歌い上げると、またもや興奮が最高潮に達しました。あまりの熱気に、旅館の中居さんたちも再び口をアングリと開けていました。(笑)

f:id:shins2m:20190905193031j:plain青木部長による中締めの挨拶

f:id:shins2m:20190905193136j:plain最後は「末広がりの五本締め」で!

 

最後は、青木部長の音頭で「末広がりの五本締め」が行われました。カラオケで一体化したみんなの「こころ」がさらに強い絆で結ばれました。世間では「無縁社会」などと呼ばれ、企業における社員旅行も衰退する一方のようですが、わが社はいつまでも旅行を続けたいです。いや、続けなければなりません!

 

2019年9月5日 一条真也

飛騨古川町  

一条真也です。
サンレー北陸の社員旅行に参加しています。5日、ブログ「宇津江四十八滝」で紹介した県立自然公園を後にしたわたしたちは、「山腰楼」という老舗料亭で地元食材を使った和定食をいただきました。鮎の塩焼きと甘露煮が大変美味しく、ビールも旨かったです。昼間から堂々と酒が飲めるところが社員旅行の良いところですね。

f:id:shins2m:20190905122835j:plain昼食会場となった「山腰楼」の前で

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地元食材を使った和定食

f:id:shins2m:20190905115358j:plain昼間のビールが嬉しい!

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カンパ~イ!

 

昼食を終えたわたしたちは、飛騨市古川町を散策しました。古川町とは、かつて岐阜県吉城郡にあった町です。2004年(平成16年)2月1日に周辺町村と合併して飛騨市の一部となりました。旧町役場を飛騨市の市役所に使用しています。古川町といえば、ブログ「君の名は。」で紹介したアニメ映画の舞台として有名ですね。「君の名は。」は、1000年に1度のすい星の来訪が迫る日本で、山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉と東京在住の男子高校生・瀧がお互いに相手のことを夢に見て、やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくというファンタジーです。この大ヒットアニメ映画の多くのファンが、舞台となった現地を訪れ、古川町は「聖地」と呼ばれました。

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飛騨古川駅の前で

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飛騨古川駅で

 

東洋経済ONLINE」の記事「『君の名は。』の聖地が進める『君の名は。』離れ」では、「飛騨市古川町聖地巡礼ブームのその後」として、ジャーナリストの小倉正男氏が以下のように書いています。
岐阜県の北の端にある飛騨市古川町。白壁土蔵と鯉の泳ぐ瀬戸川の町として知られる。昔からの静かな町並みで、年配者たちが訪れて散策するといった、通好みの観光地だった。これが劇的に変わったのが、2016年8月に公開された長編アニメ映画『君の名は。』(新海誠監督)の爆発的なヒットからである」

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古川駅のようす

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古川駅にて

 

続けて、小倉氏は以下のように述べています。
「映画の主要な舞台は、糸守町。架空の土地だが、そのモデルとなったのが古川町にほかならない。高山本線・飛騨古川駅の線路、駅前のタクシー乗り場、図書館、大きな鳥居と参道・神社、神社から眺める平野と町並み、バス停。そのただずまいのすべてが、『君の名は。』で描かれている風景そのものである。古川町は突然、『君の名は。』の公開とともにその聖地となった」

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古川駅前にて

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古川町にて

f:id:shins2m:20190905124802j:plain古川町にて

f:id:shins2m:20190905124808j:plain古川町にて

 

飛騨市商工観光部の北村和弘観光課長は、「観光客がガーンと増えた。観光客数のデータが上昇した。特に若い女性が動いた。古川町は何も変わっていない。土産物屋も増えていない。しかし、聖地巡礼ブームの経済効果は大きかった」と語っています。飛騨市は2004年、古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併して誕生しました。2016年、市全体の観光客数は100万5881人(前年比3.6%増)でした。古川町だけでみると58万4730人(同11.4%増)に跳ね上がったそうです。「君の名は。」の封切りは8月末でしたが、その年の冬にはすでに聖地巡礼がスタートしていたのです。

f:id:shins2m:20190905124147j:plain「飛騨の匠文化館」の前で

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「飛騨古川まつり会館」にて

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「まつり」と聞くと、血が騒ぐ!

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太鼓を叩きました♪

 

2017年には飛騨市全体で113万852人(同12.4%増)となり、古川町だけで70万588人(同19.8%増)となりました。とりわけ、古川町の白壁土蔵の古い町並みと鯉が泳ぐ瀬戸川には約38万6000人(同42.4%増)が押しかけたそうです。しかし、ブームは突然に来て、突然に去っていくもの。2018年になると聖地巡礼ブームは徐々に一巡状態になっていきました。

f:id:shins2m:20190905130154j:plain古川町にて

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古川町にて

 

ブーム一巡には、豪雨の直撃も関係していました。2018年6月末に西日本豪雨災害が起こり、土砂崩れで高山本線の飛騨古川―富山間が長期の運休を余儀なくされたのです。インバウンドの外国人旅行客の多くが利用していた「特急ワイドビューひだ」も同区間が運休となりました。北陸新幹線で富山から入ってくる旅行客が途絶したわけで、古川町には大きな痛手になりました。

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人通りは少なかったです

f:id:shins2m:20190905125733j:plain宿の名は。

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エプロン屋さんがありました

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昭和の香りのするビューティサロン

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スナック「みちくさ」

f:id:shins2m:20190905134426j:plain喫茶「あかね」に入りました

f:id:shins2m:20190905131518j:plainアイスコーヒーを飲みました


小倉氏は、「ブームは必ず去る。『君の名は。』という巨大なブームにすら依存することはできない。そうした最も厳しい想定に立って考える。飛騨市古川町聖地巡礼ブームに沸いたが、今やっているのは『君の名は。』離れということになる」と述べています。古川町を後にしたわたしたちは、下呂温泉に向かい、水明館臨川閣に投宿しました。この後は、お待ちかねの宴会です!

 

2019年9月5日 一条真也

宇津江四十八滝  

一条真也です。
昨日から金沢に来ています。
5日の早朝、サンレー北陸の社員旅行に参加しました。

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今朝の金沢

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バスの中で挨拶しました

マリエールオークパイン金沢の駐車場に停められたバスから出発して金沢東ICから高速道路に入り、小矢部砺波JCTを経て、城端SAで休憩、さらに飛騨河合PAで休憩した後、飛騨清見ICで高速を降りました。

f:id:shins2m:20190905105442j:plain宇津江四十八滝に到着

f:id:shins2m:20190905105510j:plainようこそ宇津江四十八滝へ

 

まず向かったのは、県立公園の「宇津江四十八滝」。
岐阜県高山市国府町宇津江にある渓谷、滝。宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、その上流の渓谷にある一連の滝の総称です。標高1200mの滝上川を源として流れ出す四十八滝川は、急峻な谷あいに数々の伝説を秘めた大小無数の滝を造り出しました。それぞれの滝には平滝、魚返滝などの名前がつけられています。苔むす大樹や岩をぬい、水煙を上げて落下する滝群は、四季折々に装いを変え、まさに秘境そのものです。

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山道を歩きました

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県立自然公園です

 

「宇津江四十八滝」は、岐阜県の名勝、県立自然公園に指定されています。また82年には「21世紀に残したい日本の自然100選」、1986年に「岐阜県の名水50選」、2004年に「飛騨・美濃紅葉三十三選」にそれぞれ選定されています。「宇津江四十八滝」という名称から、四十八筋の滝があると思われがちですが、実際には主に十三筋の滝からなっています。「四十八滝」と呼ばれる由縁は、「よそ八伝説」の影響があるとか。

f:id:shins2m:20190905110029j:plain素晴らしい景観です

f:id:shins2m:20190905110344j:plainマイナスイオンに満ちています

f:id:shins2m:20190905105804j:plain宇津江四十八滝にて

f:id:shins2m:20190905105926j:plain宇津江四十八滝にて

 

「よそ八伝説」とは何でしょうか。Wikipedia「よそ八伝説」には、「昔、この地に『よそ八』という若者と母親が暮らしていた。病気の母親のためによそ八はイワナを釣りに出かけた。なかなか釣れないため、宇津江の山奥の大蛇の住む大沼に来てしまった。ここで釣りをしていると、木の上から大蛇ににらみつけられてしまい、大蛇の妖気でよそ八は寝込んでしまった」と書かれています。

f:id:shins2m:20190905110013j:plain宇津江四十八滝にて

f:id:shins2m:20190905110229j:plain宇津江四十八滝にて

f:id:shins2m:20190905110407j:plain宇津江四十八滝にて

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集合写真を撮影しました

 

続けて、以下のように書かれています。
「 その夜、一人の旅の娘がよそ八の元に訪れ、数十日看病をする。看病によりよそ八は元気になるが、娘は『私は大沼の大蛇です。陸で千年、海で千年修業をし、空に昇る時がきましたが、あなたの親孝行を見て私の血で看病することを決心しました。しかし、そのために私の力は無くなってしまいました。もう空へは昇れません』と、姿を消してしまった」

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怪獣のような木を発見

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怪獣のような木と

 

続けて、以下のように書かれています。
「よそ八はなんとか大蛇を空へ昇らせようと思い、旅の行者に相談する。行者は不動明王に断食願掛けを行った。21日間の祈祷の末、突然雷雨となり、大蛇は龍になり天に昇った。大沼の水はすっかりなくなり谷間の木々もなぎ倒され、そこには大小沢山の滝ができていたという。後に諸国修行の途上にこの地に立ち寄った弘法大師はこの話を聞き、『その行者は不動明王の化身。よそ八は四十八、つまり仏法四十八願の意味であろう』と言い、このことから宇津江四十八滝と呼ばれるようになったという」

 

2019年9月5日 一条真也

史上最大の「お別れ会」

一条真也です。
金沢に来ています。
これから、社員旅行で飛騨高山に行きます。
昨日、7月9日に亡くなられたジャニーズ事務所ジャニー喜多川社長(享年87)のお別れ会が東京ドームで執り行われました。同所でお別れ会が開催されるのは初めてです。

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フジテレビ「とくダネ!」より

 

午前11時からの「関係者の部」には多数の芸能関係者や大物タレントが参列し、祭壇に献花しました。ジャニーズ事務所所属タレントたちも登場しました。本当はわたしも参列したかったです。

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フジテレビ「とくダネ!」より

 

昨日配信の「日刊スポーツ」のWEB記事には「祭壇上にSMAP、嵐らジャニー氏育てたタレント名」として、以下のように書かれています。
「祭壇は横35メートル、高さ3.5メートル、奥行き9メートル。周りには白いコチョウランの鉢が100個並べられ、タレントがジャニー氏の誕生日にプレゼントしたというイラストが飾られた。上段には、縦179センチ横137センチの遺影が置かれ、横にはギネスの認定証や、愛用のジャンパーなどがあった。 祭壇の上には、SMAPや嵐ら、これまでジャニー氏が手がけてきたタレントたちの名前が記されており、天井近くには「Thank You&Forever Johnny」と書かれたパネルも飾られていた。セレモニー開始前から、ジャニーズタレントたちの音楽が流れていた」

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フジテレビ「とくダネ!」より

f:id:shins2m:20190905070250j:plainフジテレビ「とくダネ!」より

 

また、以下のようにも書かれています。
「セレモニー冒頭、滝沢秀明氏がプロデュースしたという約10分間の映像が流された。過去のライブや舞台の映像や、多数のタレントが出席したジャニー氏の誕生日会の様子が映し出された。ナレーションは東山紀之が担当。所属タレントたちが『ジャニーさん、ありがとう』と次々と感謝を伝える映像も流された。映像が終わると、ジャニーズ事務所所属タレントたちが登場。代表して、近藤真彦(55)がお別れのあいさつをし、『ジャニーさんの大好きな野球、球場です。東京ドームです。まさか自分のお別れ会をやるとは思ってなかったでしょうね。今日はたくさんの方々にお見送りしていただいてください』などと呼びかけた」

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フジテレビ「とくダネ!」より

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フジテレビ「とくダネ!」より

 

さらには、以下のように書かれています。
「近藤は、『日本中にたくさんの勇気と感動を与えてくださり、本当にありがとうございました』などと書かれた安倍晋三首相からの弔電も読み上げた。献花の1人目は、黒柳徹子(86)。近藤に付き添われながら、ゆっくりと献花をして、ジャニー氏にあいさつをした。その後、参列者たちが次々と献花をしていった。退場する参列者たちを、ジャニー氏のめいにあたる藤島ジュリー副社長や、TOKIO、V6、嵐のメンバーらが『ありがとうございました』と頭を下げながら見送った」

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f:id:shins2m:20190905070358j:plainフジテレビ「とくダネ!」より

 

ジャニー喜多川氏の「お別れ会」は、間違いなく史上最大のスケールだったと思います。これまで芸能人ではhide(X JAPAN)5万人、忌野清志郎4万2000人、政治家では吉田茂4万人でした。世界を見ると、チトー(ユーゴスラビア大統領)が最大とされていたそうですが、昭和天皇の御大葬がそれを上回ったという記事があります(葬列の見送り57万人、最終記帳者数900万人)。しかしながら、今回のジャニー喜多川氏のお別れ会は、少なくとも芸能史上最大であり、おそらくは私人としても最大ではないかと思います。

f:id:shins2m:20190905094905j:plain「日刊スポーツ」2019年9月5日朝刊

 

多くのファンは、ジャニー氏に「ありがとう」と感謝を意を示す機会を与えられました。また、ジャニー氏の「家族葬」は従来の「家族葬」の呪いを解く画期的なセレモニーであったと思います。わたしは、ジャニー喜多川氏の一連の葬送儀礼についてまとまった原稿を書き、近く雑誌に発表する予定です。最後に、ジャニー喜多川氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

2019年9月5日 一条真也

 

手取紫雲閣起工式  

一条真也です。
4日の朝、福岡空港から小松空港に飛びました。
15時からは、手取紫雲閣の新築工事起工式が行われ、わたしは施主として参加しました。場所は、石川県白山市湊町巳30番1であります。一等地です。設計管理は翠建築設計室さん、施工はトーケンさんです。

f:id:shins2m:20190904145852j:plain身を清めて、儀式の場へ!

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起工式のようす

f:id:shins2m:20190904151224j:plain式次第

f:id:shins2m:20190904151216j:plain起工神事の神饌

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暑かったです!

 

神事は、氏神様をおまつりする藤塚神社の藤基辰正宮司にお願いしました。まずは地鎮祭を行いましたが、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場とします。祭場の中には木の台(八脚台という)を並べ、その中央に神籬(ひもろぎ)を立てて祭壇とします。神籬とは、大榊に御幣・木綿を付けた物です。これに神を呼ぶのです。

f:id:shins2m:20190904151404j:plain祭主より鎌を受け取る

f:id:shins2m:20190904154938j:plain「斎鎌之儀」を行いました

 

さらに祭壇には、酒・水・米・塩・野菜・魚といった「供え物」を供えます。祭主が祝詞を奏上し、「清祓之儀」を行います。若い野尻宮司祝詞は元気良く、警蹕の「オーッ」という声も大きかったです。きっと産土の神様にしっかりと届いたことでしょう。そして、「鍬入之儀」が行われます。今日はわたしが「斎鎌之儀」を、翠建築設計室の岡本代表が「斎鍬之儀」を、トーケンの小清水副社長が「斎鋤之儀」を行いました。「斎鋤之儀」が終わった後、崩れた土の上に「鎮物」と書かれた紙が置かれました。わたしも、これまで数多くの起工式を経験していますが、これは初めて見ました。

f:id:shins2m:20190904151647j:plain玉串奉奠で柏手を打ちました

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拝礼しました

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玉串奉奠のようす

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やはり暑かったです!

 

玉串奉奠では、わたしが最初に二礼二拍手一礼しました。その後、翠建築設計室の岡本代表、トーケンの小清水副社長に続いて、サンレー北陸の東常務が玉串奉奠しました。それから、撤饌、昇神之儀が行われて閉式となり、藤塚神社の藤基宮司の発声で神酒を拝戴しました。

f:id:shins2m:20190904152304j:plain神酒拝戴のようす

f:id:shins2m:20190904152309j:plain神酒拝戴のようす

 

いつも思うのですが、紫雲閣で行われる葬儀は、いわゆる「仏式葬儀」と呼ばれるものがほとんどですが、これは純粋な仏教儀礼ではありません。日本の「仏式葬儀」には儒教の要素が大きく入り込んでおり、いわば「仏・儒合同儀礼」としてのハイブリッド・セレモニーなのです。しかし、その舞台であるセレモニーホールを建設する際には、神道による「地鎮祭」が執り行われるというのが面白いですね。やはり、仏教や儒教に関わる儀式の舞台を作る上でも、その土地の神様(氏神)に土地を使わせていただくことの許しを得なければならないのです。ここに、わたしは日本人の「こころ」が神道・仏教・儒教の三本柱によって支えられていることを痛感します。

f:id:shins2m:20190904152459j:plain施主挨拶をしました

 

みんなで御神酒を頂いてから、最後はわたしが施主挨拶をしました。わたしは、「現在わが社には、北陸で14、全国では79のセレモニーホールがございますが、新たに手取紫雲閣が加わります。この地区は環境の良い素晴らしい土地柄ですし、何よりも弊社の会員様が多くいらっしゃる地域です。このような素晴らしい場所に新しい施設を作れることを心より嬉しく思います」と述べました。

f:id:shins2m:20190904152418j:plain地名について語りました

それから、以下のように述べました。
「手取の名の元となった手取川ですが石川県の名称の由来とされています。手取川は石川県民から広く愛され、加賀百万石の礎となった米作農耕に大きな影響を与えております。手取川と言う名前の由来にはいくつかあり、源平のむかし倶利伽羅の合戦を終えた木曾義仲の軍が急流を渡るために手を取り合って渡ったからとか、氾濫のたびに渡るのに手間どったからだとか言われています」

f:id:shins2m:20190904152457j:plainセレモニーホールの意味を語りました

 

さらに、「わたしは、セレモニーホールというのは魂の港であると思っています。新しい魂の港から故人を素晴らしい世界へお送りさせていただきたいです。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」と述べました。

f:id:shins2m:20190904152531j:plain工事は安全第一でお願いします!

 

そして、わたしは「それではなく、わが社では、セレモニーホールの進化論というものを構想しています。すなわち、コミュニティセンターへの進化です。『葬儀をする施設』から『葬儀もする施設』へ。お元気な高齢者の方々が普段から集い、人生を豊かにするお手伝いをさせていただきたいと願っております。最後に、何は置いても、工事は安全第一でお願いします」と言いました。

f:id:shins2m:20190902182741j:plain手取紫雲閣イメージパース

 

今日の加賀は好天に恵まれており、ダークスーツにネクタイを締めると、かなり暑かったです。しかし、やはり儀式というのは良いものですね。人は、儀式によって魂を活性化させ、生きる活力を得るのでしょう。なお、手取紫雲閣の完成は令和2年3月25日を予定しています。明日、5日からはサンレー北陸の社員旅行に参加します。

 

2019年9月4日 一条真也