冠婚葬祭からK2S2へ 

一条真也です。
18日の早朝、松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。わが社は「礼の社」を目指していますので、何よりも儀式を重んじます。「こころ」も「かたち」も大切!

月次祭のようす

厳粛な気持ちで神事に臨む

玉串奉奠をしました

柏手を打ちました

 

皇産霊神社の瀬津禰宜によって神事が執り行われました。サンレーグループを代表して、わたしが玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに能登半島地震の被災者の方々の日常が早く戻ることを祈念しました。

東専務に合わせて柏手を打つ

東専務に合わせて拝礼

 

この日は、わたしに続いて東専務が玉串奉奠をしました。東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。その拝礼は素晴らしく美しいものでした。わが社が「礼の社」であることを実感しました。儀式での拝礼のように「かたち」を合わせると「こころ」が1つになります!

「天道塾」の開催前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社長訓話で登壇しました

最初に「オッペンハイマー」の感想を述べました

 

神事後は恒例の「天道塾」です。この日も松柏園のメインバンケットグランフローラ」で行われました。最初にわたしが登壇し、開塾の挨拶をしました。わたしは「おはようございます!」と言ってから、」まずは、前回の天道塾で取り上げたブログ「オッペンハイマー」で紹介した原爆開発者の伝記映画について話しました。クリストファー・ノーラン監督の作品ですが、第96回アカデミー賞では作品賞を含む7冠に輝きました。アカデミー賞の授賞式は、日本時間の3月11日でした。「3・11」という日本人にとってのグリーフ・デーの当日に、日本人にとって最大のグリーフといってもよい原爆の開発者についての映画がアカデミー賞で旋風を起こしたのは複雑な気分でした。


日本人はセカンド・グリーフを負った

 

原爆は核兵器です。核兵器というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思いました。本当は、「オッペンハイマー」は昨年8月6日の「広島原爆の日」までには公開されているべきだったと思います。日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー賞作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負いました。


オッペンハイマー」には礼の精神がなかった!

 

オッペンハイマー」の製作陣は、日本の観客に「礼」を欠いたのです。本当は、映画の冒頭に「広島および長崎に投下された原爆の犠牲者の方々に心より哀悼の意を表します」といったクレジットを入れるべきでした。タイタニック(1997年)がアカデミー賞で作品賞や監督賞など11部門に輝いたとき、ジェームズ・キャメロン監督は「この映画は多くの人が亡くなった悲劇を描いている。何よりも犠牲者に哀悼の意を表したい」とアカデミー授賞式でスピーチしましたが、死者に対する「礼」の精神がクリストファー・ノーラン監督にはありませんでした。


「三体」について語る

 

続いて、Netflixドラマ「三体」を紹介しました。ヒューゴー賞を受賞した中国のSF作家、劉慈欣(リー・ツーシン)の世界的ベストセラー小説『三体』三部作を原作にした超大作SFドラマです。物理学者の父を文化大革命紅衛兵によって殺害され、自身も反体制派のレッテルを貼られ過酷な労役に従事させられていた元エリート宇宙物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、絶望の日々を送っていました。ところが、ある日突然、彼女は巨大パラボラアンテナを備えた謎めいた軍事基地に連れて行かれ、そこで働くよう命じられます。そこでは地球外生命体との交信という驚くべきプロジェクトが秘密裏で進行していました。そして、物語の舞台は現代のイギリスに飛びます。


文化大革命について語る


熱心に聴く人びと


etflix版ドラマ「三体」の冒頭は、中国の文化大革命のシーンでした。ジーン・ツェンが演じる葉文潔(イェ・ウェンジェ)という若い女性が、中国の文化大革命の最中に大学教授の父親が紅衛兵から殴り殺されるのを目撃します。中国では、孔子以前から祖先崇拝の精神が強く伝えられ、その家族愛や信義などを孔子の言行録である『論語』にまとめられました。この精神は脈々と受け継がれ、中国大陸の十数回に及ぶ「易姓革命」や、封建的な伝統文化のすべてを悪と決め付けて破壊しようとした中国共産党の「文化大革命」という逆風のなかでも生き残ったのです。 その一方で、「仁・義・礼・智・信」といった道徳心や倫理観は、文化大革命の影響で、最終的には完全に失われてしまいました。


「三体」と「三礼」について


熱心に聴く人びと

 

中国で毛沢東が「文化大革命」を起こした1966年に、日本でわが社(サンレー)が誕生しました。「批林批孔」運動が盛んになって、孔子の思想は徹底的に弾圧されました。世界から「礼」の思想が消えようとしていたのです。まさにそのとき、日本の北九州の地において「創業守礼」と「天下布礼」の旗を掲げるサンレーが誕生したわけです。この意味は大きいと思っています。「礼」とはもともと「葬礼」から生まれ、発展したとされています。「三体」の中で異星人のアバターであるソフォンが「人間は簡単に死ぬ」と言い放つシーンがありますが、わたしは「人間が死ぬのは当たり前だ」と思いました。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということ。そう、問われるべきは「死」ではなく、「葬」なのです。さらに、わたしは「葬」とは人類を存続させる究極のSDGsだと考えています。


R&R本の見本を掲げる

 

続いて、次回作ロマンティック・デスリメンバー・フェス(ともに、オリーブの木)のR&R本の見本が届いたので、それを見せました。発売日は4月23日ですが、作家・福聚寺住職の玄侑宗久先生と東京大学名誉教授の矢作直樹先生からの過分な推薦の言葉も寄せられ、アマゾンで予約注文を受け付けています。両書ともZ世代を中心とした若い読書に向けて書いた本ですが、4月1日に入社した新入社員もZ世代です。志を同じくする彼らがいれば、「天下布礼」の火は消えないと信じています。

R&Rで死生観のRevolutionを!

 

ロマンティック・デス』は、月を死後の世界に見立て新時代の「葬」の書です。古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。また、『リメンバー・フェス』は、お盆をはじめとした先祖供養をアップデートする考え方を示した本です。ブログ「リメンバー・ミー」で紹介した名作アニメ映画からインスパイアされて生まれた本です。2冊合わせて、死生観のアップデートを目指したいです。死生観をめぐっては、東京大学名誉教授で宗教学者島薗進先生との対談本ももうすぐ出版されます。


「不適切にもほどがある!」について

 

それから、「オッペンハイマー」の日本公開日である3月29日に最終回が放送されたブログ「不適切にもほどがある!」で紹介したドラマに話題を変えました。1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にタイムスリップしてしまった体育教師の小川市郎(阿部サダヲ)。典型的な“昭和のダメおやじ”です。彼の“不適切”な言動がコンプライアンスで縛られた令和の人々に衝撃を与えるとともに、「何が正しいのか」について考えるヒントを与えました。毎回、昭和と令和のギャップなどを小ネタにして爆笑を誘いながら、「多様性」「働き方改革」「セクハラ」「既読スルー」「ルッキズム」「不倫」「分類」、そして最終回は「寛容」と社会的なテーマをミュージカルシーンに昇華するのが最高でした。

「結婚して幸せ」って言っちゃいけないの?

 

令和の時代について「多様性の時代です」と説明する女性に対して、小川は「『がんばれ!』って言われたら、1ヵ月でも会社を休んでいい時代?」と問いかけます。また、「『結婚だけが幸せじゃない』って言うけど、じゃあ『結婚して幸せ!』って言っちゃいけないってこと?」という小川の言葉は胸に突き刺さりました。不適切の概念など、時代によっていくらでも変わります。しかし、人間が社会を築いて以来、ずっと変わらないものもあります。わたしは、その1つが「礼」だと思います。コンプライアンス社会の最大のタブーは、ハラスメントです。わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。心の底から、そう思います。


「礼」から「和」へ


食い入るように見る人びと

 

「礼」を重んじるわたしの考え方は、佐久間進名誉会長ゆずりです。ちなみに名誉会長は昭和10年生まれですが、偶然にも「不適切にもほどがある!」の小川市郎と同い年です。佐久間名誉会長は、著書『礼道の「かたち」』(PHP研究所)において、「日本は和の国として、世界的に見ても稀有な、きわめて多様性に富んだ文化を持っています。日本人が持つこうした多様性や柔軟性の根底には、日本独自の和の精神や和の文化があります。この和が、さまざまな思想や文化を平和裏に共存共栄させる素地になっているのです」と述べます。令和の時代になって「多様性」を声高に叫ばなくても、日本はもともと多様性に富んだ社会であり、それは「和」の一語に象徴されています。


「わっしょい」とは「和を背負う」こと


「笑い」とは「和来」である!

 

そういえば、昭和にも令和にも「和」が入っていますね。聖徳太子の「和をもって貴しとなす」のルーツは『論語』で、「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す」という言葉です。「和」を実現するには「礼」の存在が不可欠なのです。このように、「オッペンハイマー」も、「不適切にもほどがある!」も、礼という視点から語れます。人間がいる限り、礼は普遍のテーマ。そして、「礼」こそが「和」を実現する。祭りのときの掛け声である「わっしょい」というのは「和を背負う」が語源だそうです。また、「笑い」とは周囲を和ませ平和を呼び込む「和来」という意味があると思います。さらには、大本教の出口王人三郎も言うように、神事の柏手は「火水(かみ)」を呼び込む「産霊」の秘宝だということを紹介しました。


「産霊」こそ究極の秘宝である!

 

わたしは、5月13日に、本屋大賞作家である町田そのこ氏と「葬儀」や「グリーフケア」をテーマに対談します。29日には、芥川賞作家で福聚寺住職の玄侑宗久先生と「仏教と日本人」をテーマに対談します。そんなわたしが常に考えているのは「冠婚葬祭のアップデート」です。冠婚葬祭は究極のSDGsです。Z世代も、子どもたちも、ずっと冠婚葬祭という文化を受け継いでいってほしいと願いますが、もちろん時代に合わせたアップデートが求められます。冠婚葬祭文化振興財団主催の小学生の絵画コンクールで「私のした結婚式」というテーマの応募作品が劇減しています。それは、小学生たちが結婚式に参列した経験がなく、存在そのものを知らないからです。


「K2S2」を初めて提唱しました


冠婚葬祭をPOPに表現しよう!

 

そこで、わたしは『こども冠婚葬祭』という本を企画し、さらには冠婚葬祭を「K2S2」と言い換えてプロモーションすることも視野に入れています。というわけで、「天下布礼」に休みはありません。冠婚葬祭に代表される儀式とは人類の行為の中で最古のものであり、哲学者ウィトゲンシュタインは「人間は儀式的動物である」との言葉を残しています。「人間が人間であるために儀式はある」とはわたしの言葉ですが、儀式こそは人間にとって最重要の精神文化であると言えるでしょう。


文化としての冠婚葬祭に光を当てよう!


最後は、もちろん一同礼!

 

わたしは、儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。本能であるならば、人類は未来永劫にわたって結婚式や葬儀を行うことでしょう。冠婚葬祭互助会業界の人々も、前受金ばかりに縛られて未来に対する悲観的な見方を持つのではなく、もっと文化としての冠婚葬祭に光を当てなければなりません。そこに道は開けます。わたしたちの仕事には普遍性があり、どの世界であっても、いつの時代であっても、世の人々を幸せにできるのです。さらに励みましょう!」と言って、降壇しました。

 

2024年4月18日 一条真也