「不適切にもほどがある!」

一条真也です。
話題沸騰の「不適切にもほどがある!」を観ました。3月29日に最終回を迎えたTBS金曜ドラマです。全10話ですが、8話が終わったあたりで存在を知り、それまでの全エピソードをU-NEXTで一気に鑑賞。周囲の多くの人が「面白い!」と絶賛していたのですが、本当に面白かったです。脚本を書いたクドカンの才能は素晴らしい!


TBS公式サイトより

 

「不適切にもほどがある!」は、俳優の阿部サダヲが主演を務め、1月クール最大の話題作となりました。毎週金曜の22時から放映されていましたが、29日、15分拡大で最終回(第10話)を迎え、完結しました。オンエア終了とともに、SNS上にはドラマ終了を惜しむ声や感謝の声、続編やスピンオフ熱望の声などが相次ぎ、「ふてほどロス」一色になったそうです。オンエア終了後には「#不適切にもほどがある」が「X(旧ツイッター)」の世界トレンド1位に輝くなど、大反響を呼びました。世界トレンド1位とは凄いですが、まさに有終の美を飾りました。

 

「不適切にもほどがある!」は、宮藤官九郎氏がオリジナル脚本を手掛けたヒューマンコメディーです。主人公は、1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にタイムスリップしてしまった体育教師の小川市郎(阿部サダヲ)。典型的な“昭和のダメおやじ”です。彼の“不適切”な言動がコンプライアンスで縛られた令和の人々に衝撃を与えるとともに、「何が正しいのか」について考えるヒントを与えました。阿部サダヲ以外の俳優陣も、吉田羊、仲里依紗磯村勇斗河合優実、坂元愛登、袴田吉彦山本耕史錦戸亮古田新太・・・みんな良かった!


コンプライスを意識しすぎてテレビが面白くなくなった」と言われて久しいですが、そんな風潮に一石を投じるクドカンの感性が冴えわたって、インターネット上でも大反響を巻き起こしました。毎回、昭和と令和のギャップなどを小ネタにして爆笑を誘いながら、「多様性」「働き方改革」「セクハラ」「既読スルー」「ルッキズム」「不倫」「分類」、そして最終回は「寛容」と社会的なテーマをミュージカルシーンに昇華するのが最高でした!

 

そもそも、コンプライスの問題なんて真面目に議論してもギスギスするばかりですが、ドラマの最中で唐突に始まるミュージカル(ふてほどミュージカル)が、とても大事な問題をPOPに、楽しく、明るく歌い上げます。舞台や映画ならまだしも、テレビドラマでのミュージカルなどキッチュでしかないはずですが、それを逆手にとった演出はさすがです。このセンスは日本人離れしているというか、“クドカン無双”を痛感しました。そういえば、クドカンが脚本を手掛けたNHK連続テレビ小説あまちゃん(2013年)もミュージカル仕立てでしたね。


ふてほどミュージカルは全10回のシリーズで毎回披露されました。現在、「♪話し合いまSHOW」「♪おれの働き方」「♪よっつのお願い」「♪同調圧力」「♪セクシャル・ハラスメントNo.1」「♪Everybody Somebodey’s Daughter」「♪Daddy’s Suit」「♪17歳」「♪あなたは板東英二」「♪三年目の四月バカ」「♪寛容になりましょう」などがTBSの公式チャンネルでYouTubeにUPされています。それぞれ再生回数も凄いです!


ふてほどミュージカルは、いずれも名曲揃いです。わたしのような昭和生まれのオッサンにはたまらない爆笑ソングばかりですが、わたしが一番気に入っているのは第4話に登場した「♪落ち着いて小川さん」です。既読スルーを許せない小川市郎を諭す内容の歌詞となっているのですが、SUGARの「ウェディング・ベル」を連想して、もう腹を抱えて笑いました。それにしても、仲里依紗がこんなに歌が上手かったとは知りませんでした。この「♪落ち着いて小川さん」の歌い方は、「ウェディング・ベル」を歌ったSUGARのボーカルのミキにそっくりでした。わたしは「ウェディング・ベル」が大好きでEPレコードも購入しましたが、きっとクドカンも好きだったのでしょうね。

 

ドラマのコンセプトは、「昭和のダメ親父vs令和のコンプライアンス社会」ですが、第1回目から爆笑の展開が続きます。バスを使ったタイムマシン(SF好きから見ると、ツッコミ所は満載!)で、1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にやってきた小川市郎は、信じられないようなコンプライアンス社会の姿を目にします。令和の時代について「多様性の時代です」と説明する者に対して、小川は「頑張れって言われて、会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が責められるって、なんか間違ってないかい?」と問いかけます。また、「『結婚だけが幸せじゃない』って言うけど、じゃあ『結婚しました。幸せです!』って言っちゃいけないってこと?」という小川の言葉は胸に突き刺さりました。


このドラマは、いつも絶妙なタイミングで「この作品は、不適切な台詞が多く含まれますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」というテロップが流れて、これが最高に笑えるのですが、最終回では「2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」というテロップが流れます。じつは、2054年から喫茶店「すきゃんだる」のトイレの壁穴を使って、市郎の教え子にして、タイムマシンを開発した老人がタイムトラベルしてきたのです。SNS上には「まさかの最後の最後で、このテロップとは・・・数年後、2024年が不適切かもしれないものね」「最後のテロップ、凄い!令和の価値観すら過去になる、今私たちが生きている価値観すら不適切になるんだぞという。時代と共に生きる私たちへのメッセージ」などと絶賛の声が続出しました。


そう、「不適切」の定義など、簡単に変わるのです。しかし、人間が社会を築いて以来、ずっと変わらないものもあります。わたしは、その1つが「礼」だと思います。コンプライアンス社会の最大のタブーは、ハラスメントです。セクシャルハラスメントパワーハラスメントの両方を合わせて「セ・パ両リーグ」などと呼ぶようですが、わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。心の底から、そう思います。

礼を求めて』(三五館)

 

今から約2500年前、中国に「礼」を説く人類史上最大の人間通が生まれました。孔子です。彼の言行録である論語は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に、西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのです。詳しくは、拙著礼を求めて(三五館)に詳しく書きました。時代によって、いくら「不適切」や「ハラスメント」の定義がアップデートしようとも、「礼」の精神は不変であると考えます。

礼道の「かたち」』(PHP研究所)

 

「礼」を重んじるわたしの考え方は、父である 佐久間進サンレーグループ名誉会長)ゆずりです。父は、一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会の初代会長を務めましたが、著書礼道の「かたち」(PHP研究所)において、「日本は和の国として、世界的に見ても稀有な、きわめて多様性に富んだ文化を持っています。日本人が持つこうした多様性や柔軟性の根底には、日本独自の和の精神や和の文化があります。この和が、さまざまな思想や文化を平和裏に共存共栄させる素地になっているのです」と述べています。令和の時代になって「多様性」を声高に叫ばなくても、日本はもともと多様性に富んだ社会であり、それは「和」の一語に象徴されているというのです。そういえば、昭和にも令和にも「和」が入っていますね。ちなみに父は昭和10年生まれですが、「不適切にもほどがある!」の小川市郎と同い年であることに気づきました。


それにしても、「不適切にもほどがある!」は本当に面白いドラマでした。令和へタイムスリップしてきた市郎が居酒屋に入ったものの、タブレットでの注文の仕方がわからず、「炙りシメサバ」を200個注文してしまい、それをロボットが律儀に運んでくるシーンは腹を抱えて爆笑しました。また、1986年の時代風俗はひたすら懐かしかったです。当時わたしは23歳で大学生でしたが、ちょうどバブルの真っ盛りであり、六本木で青春を謳歌したもんです。(笑)“マッチ”こと近藤真彦に憧れる“ムッチ”という男子高校生を磯村勇斗が演じていますが、彼のセリフや行動にもいちいち笑えました。ドラマでは、“キョンキョン”こと小泉今日子が本人出演していましたが、やっぱり、近藤真彦本人にも出演してほしかったですね!



2024年3月31日  一条真也