礼の社

 

一条真也です。メリー・クリスマス!
そう、12月25日はクリスマスですね。
この日は、わが社サンレーにとって大きな出来事があります。そこで、わが社の本質について書きたいと思います。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「礼の社」を取り上げます。

礼を求めて(三五館)

 

毎年4月1日、わが社は多くの新入社員を迎えます。入社式で、わたしはいつも新入社員に対して「みなさんは、『サンレーは、どういう会社ですか?』と聞かれたら、どのように答えますか」と質問します。多くの人は「冠婚葬祭の会社です」と答えることでしょう。でも、サンレーは結婚式や葬儀のお手伝いだけでなく、婚活支援サービスやグリーフケア・サポートも行っています。ホテルも経営していますし、隣人祭りも多数開催しています。高齢者介護事業や温浴事業にも進出しました。 それらの事業はすべて「人間尊重」をコンセプトとしています。そして「人間尊重」をひとことで言うと「礼」ということになるでしょう。そうです、サンレーとは「礼」の実践を業とする「礼の社」なのです。

 

「礼(禮)」という字は、「示」と「豊」とから成っています。「示」は「神」という意味で、「豊」は「酒を入れた器」という意味があるそうです。つまり、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。これが、「礼」の起源であると言われています。ところが、もう1つ、「礼」には意味があります。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」だというのです。ということは、「礼」とは「心ゆたか」であり、「ハートフル」ということになります。わたしの造語「ハートフル」は流行しましたが、なんと「礼」という意味だったのです!

 

 

もともとの「礼」の観念が変質し、拡大していくのは、春秋・戦国時代からです。「礼」の宗教性は希薄となり、もっぱら人間が社会で生きていく上で守るべき規範として、「礼」は重んじられるようになりました。『論語』にも「礼」への言及は多く、このことからも孔子の時代には、「礼」は儒家を中心によく学ばれていたことがわかります。そして、もともとの「礼」である「集団の礼」や「社会的な礼」とともに、徳の1つとして「個人的な礼」も実践されるようになりました。

論語と冠婚葬祭(現代書林)

 

孔子の門人たちにとって、「礼」を修得しなければ教養人として自立したことにはならないとされ、冠婚葬祭などのそれぞれの状況における立ち居ふるまいも重要視されるようになったのです。いずれにしろ、孔子にはじまる儒家は「礼」の思想にもとづく秩序ある社会の実現をめざしていました。「礼」の重要性を説いた日本人に陽明学者の安岡正篤がいます。彼は、「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と言いました。

 

 

「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より「礼」を重んじました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち「礼」とは「人の道」であるとしたのです。無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の身持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下幸之助は考えました。

 

 

わが社においても「礼」をすべての基本とし、大ミッションには「人間尊重」を掲げています。もともと冠婚葬祭を業とする会社ですから当然といえば当然ですが、さらに創業者である佐久間会長が小笠原流礼法の伝統を受け継ぐ「実践礼道・小笠原流」の宗家であり、挨拶・お辞儀・電話の応対・お茶出し・お見送りにいたるまで、社員へのマナー教育は徹底に徹底を重ねています。「礼」の考え方を世に広めることを天下布礼といいます。わが社は1966年の創業時から、「天下布礼」の旗を掲げてきました。本業の冠婚葬祭以外にもさまざまな活動に取り組んでいますが、それらはすべて人間関係を良くする、あるいは「有縁社会」を再生する試みなのです。

カンパニー(会社)からソサエティ(社会)へ!

 

安岡正篤は、人が集まると、その中心に社(やしろ)ができると述べています。つまり、人の集まりの中心には神社がつくられる。そこから会社という社、さらには社会という大きな社が生まれると非常に興味深いことを言っております。皇産霊神社に守護されて、ハートフル・カンパニーからハートフル・ソサエティの実現をめざすわが社の思想と合致します。「会社は社会のもの」と喝破したのは、昨年末に逝去した世界最高の経営学ピーター・ドラッカーです。わが社は、「選択と集中」「知識化」「イノベーション」など、数々のドラッカー理論に基づいて経営されてきました。会社は社会のものであるということは、会社は社会を構成する大きな要素だということです。多くの会社が心ある存在になれば、心ある社会が生まれるのです。

 

わが社をば何の会社と人問はば
   礼の社と胸を張るべし(庸軒)

 


「礼の社」の一同礼

 

2023年12月25日  一条真也