『こころのこころみ』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『こころのこころみ』(2015年5月刊行)

 

今回ご紹介する『こころのこころみ』は、2015年5月1日に刊行したブックレットです。朝日新聞「タウンペーパーQ」2013年9月号から2014年11月まで掲載された連載エッセイ「一条的こころみ」をまとめたものです。目次は、以下のようになっています。

 

第1回
ハートフル・ソサエティ

第2回
月への送魂のこころみ

第3回
宇宙葬のこころみ

第4回
婚活のこころみ

第5回
慈礼のこころみ

第6回
終活のこころみ

第7回
『慈経 自由訳』のこころみ

第8回
冠婚葬祭入門のこころみ

第9回
海洋葬のこころみ

第10回
エンディング・ノートのこころみ
第11回
和婚のこころみ

第12回
孔子木のこころみ

第13回
隣人祭りのこころみ

第14回
道歌のこころみ


心を豊かにするさまざまな「こころみ」

 

もともと、連載タイトルは「一条的こころみ」でした。
「タウンペーパーQ」の編集部の方が考えてくれたのですが、「こころみ」は「試み」であり、「心見」「心実」「心味」という意味を含んでいるそうです。わたしは日々、「心」について考えている人間ですので、望むところでした。毎回、わたし個人およびサンレーグループが取り組んでいるさまざまな「こころみ」について語っていきました。


1つの「こころみ」を見開き2ページで紹介

 

2022年9月7日 一条真也

グリーフケア映画撮影

一条真也です。東京に来ています。
6日の12時から、グリーフケアについてのテレビおよび映画のインタビュー取材を受けました。場所は、新橋の互助会ビルです。前夜、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」(仮題)のプロデューサーである益田裕美子さんと打合せしましたが、今回の取材内容は「愛する人へ」とも連動しており、同映画の中でも使われるとのこと。これは頑張らねば!

さあ、これから撮影です!

 

インタビューは、ドキュメンタリー監督で映像ディレクターの中村裕さんの質問に答える形で行われました。中村監督は、TBS「情熱大陸」、フジテレビ金曜プレステージ「最強ドクターシリーズ」、テレビ東京「土曜スペシャル」、NHK総合「NHKスペシャル」、NHKーEテレ「ETV特集」、NHK BS「新日本風土記」「旅のチカラ」などで知られます。受賞経験も豊富で、わが国におけるドキュメンタリー業界の第一人者です。

撮影準備のようす

 

まずは、「最初に『グリーフケア』に関心を持ったきっかけを教えてください」という質問で、わたしは「30年ほど前に、アメリカの葬儀社を視察したとき、セレモニーホールのロビーにたくさんの小冊子が置かれていました。それは、『夫を亡くした人へ』とか『お子さんを亡くした人へ』といった亡くなった人別に作られた遺族へのメッセージが書かれたブックレットでした。その内容を知って、さらに質疑応答をするうちに『グリーフケア』という考え方を知りました」と答えました。


インタビューのようす

 

次に、「アメリカで『グリーフケア』の実像に触れたときに感じた率直な思いをお聞かせください」という質問でした。わたしは、「『愛する人を亡くした人へ』にも書いたのですが、日本だと、誰が亡くなっても、遺族の方に対して『ご愁傷様です』とか『お悔み申し上げます』のように同じ言葉しか使いませんが、よく考えてみると、亡くした対象はさまざまです。わたしは、親御さんを亡くした人、御主人や奥さん、つまり配偶者を亡くした人、お子さんを亡くした人、そして恋人や友人や知人を亡くした人が、それぞれ違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づきました。それらの人々は、いったい何を失ったのでしょうか。それは、『親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う』ということだと思います。さまざまな愛する対象を失った方々とお話するうちに、現実に悲しみの極限で苦しんでおられる方々の心が少しでも軽くなるお手伝いをしたいと思いました」と答えました。


インタビューのようす

 

次に、「貴社で取り組んだ『グリーフケア』の内容をお聞かせください」という質問に対しては、「ご葬儀の中でできることは先程のご質問の中でお応えさせていただきましたが、葬儀という儀式の外の取組みとして、2010年(平成22年)にムーンギャラリーという施設を作り、同時に『月あかりの会』という弊社でご葬儀を行ったご遺族様を中心とした遺族の会を立ち上げました。会では愛する方を亡くされたという同じ体験をした遺族同士の交流の中で少しでも自分の『想い』や『感じていること』を話すことが出来る場を提供することが出来ました。ひとりひとり喪失の悲嘆に対しての感じ方は異なりますが、同じ体験をしたという共通点を持ち、お互いに尊重しあい、気づかう関係性となっています。また交流を行う場の提供により『愛する人を喪失した対処から、愛する人のいない生活への適応』のサポートにもなっていると感じています。施設の中ではそれぞれが交流しやすいようにフラワーアレンジメントや囲碁や将棋など趣味や興味のあることが行えるようにしており、それぞれが交流しやすい場となっています。気をつけていることは活動についてスタッフもお手伝いはしていきますが、こちら側からの押し付けにならないように、あくまでもそれぞれの自主性を大切にするようにしています。すでに10年以上活動を続けていますが最初のころに参加された方は新しく参加された方へのケアのお手伝いをしたいなど新しい目標を見つけ、生きがいとなっている方も増えてきています。また、この他には亡くなった方を偲び供養のお手伝いとして毎年地域ごとに分かれセレモニーホールを利用し慰霊祭を行い、1周忌・3回忌を迎える方に参加していただいています」と答えました。


インタビューのようす

 

次に、「亡くした対象によって、なぜ異なるケアをしなくてはいけないのでしょうか?」という質問に対しては、「愛する人を亡くすという『喪失』に対して、『どのように感じるか』は個人ごとにすべて異なります。グリーフケアを行う際に気をつけなければいけないのは喪失の悲嘆に対しての感じ方の違いがあることであり、全ての方に有効な○○方式というものはないということです。ですから全て異なるケアとなります。またこの理由によりケアの対象となるのは集団ではなくひとりへの対応となり、ひとりの方に対して安心で安全な場を提供し傾聴をしていくことが大切なことになります」と答えました。

愛する人を亡くした人へ』を接写!

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

次に、「今、『グリーフケア』の必要性を強く感じるのはどんなときでしょうか?」という質問に対しては、「これまでの社会の中では様々な縁がありました。血縁や地縁ということがよく言われますが社会の中で生活する上ではそれ以外にもたくさんの繋がりがありました。また、地域社会には人が集まる場所として寺院などがありました。人と人との繋がりや交流の中でグリーフケアが行われ、死別という事象については葬儀という儀式を行うことによって行われるケアもあったと考えています。しかしながら、現代は『無縁社会』という言葉が生まれてしまうような時代となってきています。そして葬儀を行わないという選択肢を選ぶ方も増えてきているように感じています。そのためこれまであったケアの仕組みが効果を発揮することが出来にくいような現状となっています。悲嘆は「なくなる」ものではありません。悲嘆と一緒にこれから歩んでいくための手助けがグリーフケアです。心の状態は身体にも大きな影響を与えます。身体的な問題には鬱や睡眠障害を引き起こすということもあり、自死に至る可能性もあります。また人間関係のトラブルや社会に適応できないことも起こり得ます。グリーフケアを行うことはこのような問題を起こしにくくするお手伝いでもあり、現代社会においても社会そのものを健全に保つために不可欠なものだと考えています」と答えました。

死を乗り越える映画ガイド』を紹介

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

最後に、「これから、どんな『グリーフケア』を実践していきたいとお考えですか?」という質問に対しては、「現代社会では今まであったグリーフケアの仕組みが消失しつつあります。そのため今までの仕組みに変わるグリーフケアを実践する仕組みが必要であることを痛感しています。冠婚葬祭互助会業界ではグリーフケア士という資格認定制度を創設し、グリーフケアの実践のための人員の育成を行っています。これは2021年にグリーフケア資格認定制度として創設、上智大学グリーフケア研究所の全面監修をもとに一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団が制度運営を行うものです。この制度によりグリーフケアを担う人員の育成を図り、グリーフを抱える方へのサポート、ケアするスキルを持った専門家となることで冠婚葬祭に関わるスタッフのグリーフケアに対する意識の向上とともに社会を健全に保つお手伝いを行っていけるような仕組みを実践していければと考えています。そして業界の利点として日本全国にセレモニーホールをはじめとして多くの施設があり、そこでグリーフケアを行うことが出来ることが考えられます。地域社会においてグリーフケアの拠点となることが出来るということです。今よりグリーフケアがより認知され、住んでいる近くにグリーフを抱える方へのサポート、ケアができる場所があり、実際にグリーフケアが行えるようなスタッフと仕組みがあるというようにしていきたいと考えています。またそこで集うことによって縁の再生のお手伝いが出来るようになればと考えています。これらにより社会全体を健全に保つことの一助となるような実践を行っていきたいと考えています。最後に、グリーフケアが目指すところには各自が死の不安を乗り越える『死生観』の確立があると思いますので、そのための読書や映画鑑賞などのアドバイスも行っていけたらと考えています。詳しくは、拙著『死を乗り越える読書ガイド』『死を乗り越える映画ガイド』(ともに現代書林)をお読み下さい」と述べて、インタビューは終了しました。


図書室に移動して撮影

グリーフケアの時代』を手に取る


資料を探すシーン


資料に読み耽るシーン


自著の前で記念撮影


自著の前でニッコリ!

 

その後、冠婚葬祭総合研究所の図書室に移動して、わたしがグリーフケアの資料を調べている場面が撮影されました。この図書室には一条本もたくさん置かれていますので、拙著を背景の撮影もしました。最後は、映画「愛する人へ」のゼネラルプロデューサーの志賀司さん、プロデューサーの益田裕美子さんと3人で記念撮影をしました。この日のインタビュー取材の内容は、来年の春頃、60分番組として全国のケーブルテレビで放映され、その後は80分の映画として再編集される可能性もあるそうです。グリーフケアへの業界の取り組みが少しでも世の中に広まっていくことを願ってやみません。


志賀さん(右)、益田さん(左)と3人で


最後は笑顔で😊 

 

2022年8月6日 一条真也

究極の日本料理を食す

一条真也です。
東京に来ています。9月5日、TOHOシネマズシャンテでブログ「デリシュ!」で紹介したグルメ映画を観ましたが、その夜はTOHOシネマズ日比谷の上にある日本料理店「龍吟」を訪れました。

龍吟」の前で


最初に好きな箸をチョイスします


わたしは紫の箸をチョイスしました


最初は立派なウニが登場


ウニの上にコーンスープをかける!


蛤料理に舌鼓


座布団に乗ったフカヒレ


鱧の汁は秋の香り


お造りも上品でした


蟹の甲羅の下には・・・


美味しい蟹料理が隠されていました


見事なマカが登場!


鰻の蒲焼にマカをのせて


箸休めの林檎のガリ


京都のお豆腐


カキフライも一味違う!


この山海の珍味を見よ!


山海の珍味がすべて入った究極のスープ


〆はスッポンの親子丼!


食事としてもボリューム満点!


デザートその1は、フルーツポンチ


デザートその2は、醤油の和菓子


最後は、お抹茶が出てきました

 

龍吟」を訪れたのは、グリーフケア映画製作の打ち合わせの後でした。セレモニー社長の志賀司さんに連れて行っていただいたのですが、これまで食べたことのない最高のフルコースを体験しました。蛤や牡蠣の揚げ物、鱧の味噌汁、マカを載せた鰻の蒲焼、松茸から鮑、さらには鯨の舌まで、ありとあらゆる山海の珍味を入れた究極のスープ、そして最後の〆は、なんとスッポンの親子丼。もう、すごすぎる!

龍吟」の山本征治オーナーシェフ

ここまで贅を尽くした料理を食べたのは、わたしも初めてです。ものすごく勉強になりましたし、「デリシュ!」というグルメ映画を観た夜に、究極の料理を味わうという得難い経験をすることができました。日本料理でありながら、すべてのコース料理が提供された時間は約3時間半で、フランス料理にも負けない極上の時間でした。「龍吟」さんはミシュランの3つ星で、世界に誇る美食の街・東京でも最高の人気店だそうです。帰り際、オーナーシェフの山本征治さんを志賀社長から紹介していただきました。わたしは、「人類の美食は山本征治に極まれり!」と思ったのであります。

 

2022年9月6日 一条真也

「デリシュ!」

一条真也です。
東京に来ています。5日、打合せの合間を縫って、TOHOシネマズシャンテでフランス映画「デリシュ!」を観ました。ブログ「ボイリング・ポイント/沸騰」で紹介したロンドンのレストランを舞台にした映画が非常に面白かったので、「デリシュ!」がフランスで生まれた世界初のレストランの映画と知って、ぜひ観たいと思った次第であります。ミステリーの要素もあって面白かった!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「18世紀のフランスを舞台に、世界に先駆けてレストランを開いた男性の奮闘を描く人間ドラマ。元宮廷料理人が、息子とある女性の力を借りて誰もが楽しめるレストランをオープンする。監督などを手掛けるのは『ゴールド・ハンター 600キロの金塊を追え!』などのエリック・ベナール。『オフィサー・アンド・スパイ』などのグレゴリー・ガドゥボワ、『KOKORO』などのイザベル・カレらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
フランス革命前夜の1798年。宮廷料理人のマンスロン(グレゴリー・ガドゥボワ)は、公爵(バンジャマン・ラヴェルネ)主催の食事会で創作料理『デリシュ』を提供するが、料理にジャガイモを使用して貴族たちの不興を買う。公爵に解雇され、息子(ロレンツォ・ルフェーブル)を連れて実家へ戻ったマンスロンのもとに、ルイーズ(イザベル・カレ)が料理を学びたいとやってくる」


わたしはホテルや結婚式場を経営しているので、いわゆるグルメ映画の類は勉強をかねて努めて観るようにしていますが、この「デリシュ!」は美食の国・フランスで初めてレストランを作った男の人間ドラマとあって、非常に興味深かったです。冒頭から食欲がそそられる美しい映像は必見です。昔、プロの料理人というのは宮廷料理人ぐらいしかいませんでしたが、世界中にあった旅籠では旅人や兵士に食事を提供していました。長旅で疲れ果て、空腹を抱えた人々に食事を提供することは「ケア」そのものでした。料理というのはまずは「ケア」であって、その後、「サービス」としての飲食店が生まれたのです。この映画では、怪我をして動けない主人公マンスロンにルイーズが看護師のように食事を与えるシーンもあり、まさに「ケア」としての食事が見事に描かれていました。


時は、フランス革命前夜。宮廷料理人であるマンスロンは、公爵主催の食事会で渾身の料理を振る舞いますが、自慢の創作料理「デリシュ」が貴族たちの反感を買い、公爵から解雇されてしまいます。マンスロンがジャガイモやトリュフを貴族たちに食べさせたところ、彼らは「わたしたちは豚じゃないぞ!」と激怒したのです。しかし、その頃、革命の火の手は上がり、庶民たちは貴族たちを追求し始めるのです。以前は貴族と庶民が同じ場所で食を共にすることが考えられませんでしたが、マンスロンによって「レストラン」が誕生してからは貴族も庶民も共に食事を楽しむ「食の革命」が生まれたわけです。「自由・平等・博愛」というフランス人の理想は、まさにレストランという場所に具現化していることを改めて痛感しました。


グルメ映画といえば、1987年のデンマーク映画バベットの晩餐会」を思い出します。19世紀後半、デンマークにある海辺の小さな村に、牧師と彼の美しい姉妹マーチーネとフィリパが暮していました。姉妹の美しさは有名で、あらゆる若者が求婚にきますが、父は娘二人に仕事を手伝ってもらいたいと願い、申し出をすべて断っていました。そんなある日のこと、たまたま村に滞在することになったスウェーデン軍人のローレンスが、姉のマーチーネを見初めます。しかし現在の恋よりも自らの将来を選んだ彼は、身を引いてしまうのでした。次いでフランスの有名な歌手パパンが休養の為にこの村を訪れ、フィリパに恋をします。パパンはフィリパに接近しますが、彼女は戸惑い、パパンと会うのを止めてしまいます。


バベットの晩餐会」の体験記を書いた『遊びの神話

 

そして月日が流れ、父親が亡き今も二人は夫を持たず、村人の世話をしたり信者たちの集いを催したりしながら慎ましく生活を送ってきました。そこにかつてフィリパに恋したパパンの書いた手紙を携え、フランス人女性バベットが現れる。 やがてこのバベットが姉妹を、そして村の人々の心と体を温かく包み込むことになるのですが、素晴らしい究極のグルメ映画でした。公開当時、今はもうないホテル西洋銀座のレストランで「バベットの晩餐会」のメニューが提供され、東急エージェンシーの新入社員だったわたしは会社の命で食べに行きました。そして、そのときの体験記は拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)に詳しく書きました。そこで、お腹も心も満たす食事というのは最高にハートフルであると述べています。

龍吟」の前で


最初に好きな箸をチョイスします


わたしは紫の箸をチョイスしました


最初は立派なウニが登場


ウニの上にコーンスープをかける!


蛤料理に舌鼓


座布団に乗ったフカヒレ


鱧の汁は秋の香り


お造りも上品でした


蟹の甲羅の下には・・・


美味しい蟹料理が隠されていました


見事なマカが登場!


鰻の蒲焼にマカをのせて


箸休めの林檎のガリ


京都のお豆腐


カキフライも一味違う!


この山海の珍味を見よ!


山海の珍味がすべて入った究極のスープ


〆はスッポンの親子丼!


食事としてもボリューム満点!


デザートその1は、フルーツポンチ


デザートその2は、醤油の和菓子


最後は、お抹茶が出てきました

 

さて、「バベットの晩餐会」とは違って、「デリシュ!」のメニューは食べることはありませんでしたが、この映画を鑑賞した夜、ある意味で世界一の料理を味わいました。場所は、東京ミッドタウン日比谷の7階にある「龍吟」という日本料理店です。グリーフケア映画の打ち合わせの後で、セレモニー社長の志賀司さんに連れて行っていただいたのですが、これまで食べたことのない最高のフルコースを体験しました。蛤や牡蠣の揚げ物、鱧の味噌汁、マカを載せた鰻の蒲焼、松茸から鮑、さらには鯨の舌まで、ありとあらゆる山海の珍味を入れた究極のスープ、そして最後の〆は、なんとスッポンの親子丼。もう、すごすぎる!

龍吟」の山本征治オーナーシェフ

ここまで贅を尽くした料理を食べたのは、わたしも初めてです。ものすごく勉強になりましたし、「デリシュ!」というグルメ映画を観た夜に、究極の料理を味わうという得難い経験をすることができました。日本料理でありながら、すべてのコース料理が提供された時間は約3時間半で、フランス料理にも負けない極上の時間でした。「龍吟」さんはミシュランの3つ星で、世界に誇る美食の街・東京でも最高の人気店だそうです。帰り際、オーナーシェフの山本征治さんを志賀社長から紹介していただきました。わたしは、「人類の美食は、マンスロンに始まって山本征治に極まれり!」と思ったのであります。

 

2022年9月6日 一条真也

1ヵ月ぶりに東京へ!

一条真也です。
5日の朝、わたしは北九州空港に向かいました。そこから、スターフライヤー80便に乗って東京に出張です。東京に行くのは、じつに1カ月ぶりです。いつの間にか9月になってしまいました。

北九州空港の前で

北九州空港のようす

いつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京出張は、グリーフケア映画「愛する人へ」(仮題)の打ち合わせ、グリーフケアをテーマにしたTV番組のインタビュー取材、副理事長を務める一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の打ち合わせ、次回作となる『心ゆたかな映画』『葬式復活』の打ち合わせなど、多くの予定が入っています。しばらく体調を崩して出張できなかったので、いろいろと用事が溜まってしまいました。

空港内ラウンジで読書しました


スターフライヤーの機内で

 

この日は11時30分発のスターフライヤー80便に搭乗。乗客率は5割から6割ぐらいといった感じでしょうか。この日のわたしは、スーツ&ポケットチーフ&不織布マスクをロイヤルブルーでコーディネート。その上、 銀座トラヤ帽子店で求めたブルーのボルサリーノを被りました。クールビズなのでネクタイはしていません。ブログ「マスクを楽しむ!」のように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。


機内でも、読書しました

 

機内では、いつものようにコーヒーを飲みながら読書をしました。この日は、『和の文明の源郷 縄文』木原秀成著(ビジネス社)を読みました。まさに今朝、父であるサンレーグループ佐久間進会長から渡された本です。アマゾンには、「和の文明が新しい世界秩序をつくる」として、「1万年以上も持続可能な社会を作った縄文コスモロジー・・・。これこそが和の文明だ!  今こそ縄文の精神観を甦らせる時だ! 日本の文明の基底にある縄文文明は世界的に見ても長く発達した文明であった。本書は、現代と縄文文明を照らし合わせて、縄文文明がいかに優れていたか、また、なぜ長く繁栄できたのかを著者独自の研究をもとにまとめ上げ、和の国として日本が栄えるきっかけを裏付ける1冊である」と書かれています。佐久間会長は、門司の皇産霊神社に縄文パークを併設するというプランを温めており、その参考書の1つのようです。


東京は晴天で、気温は30度。


今日は「銀座ライオン」に入店!

 

13時10分に羽田空港に到着到着しました。気温は30度で、まだまだ暑いですわたしは、遅めの昼食を取るために、いつものラーメン店に入ろうとしましたが、満員で行列ができていました。仕方ないので、お隣の「銀座ライオン」に入り、「The銀座ハンバーグ」ランチを食べました。食後は、赤坂見附の定宿でチェックインして、グリーフケア映画の打ち合わせをします。


「The銀座ハンバーグ」ランチを食べました

さあ、行動開始です!

 

2022年9月5日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「聞」です。



松下幸之助は、「部下の話を聞くときに、心掛けないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする、提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気をほめんといかん」と語っています。



部下の意見を聞くことがリーダーにとって大事なことは言うまでもありませんが、中世・近世では「意見」を「異見」と書きました。そして、異見を聞き、率直に自己を反省することができる人物を「人望がある」と評したのです。戦国武将のなかでは、武田信玄徳川家康黒田長政の3人が意見を聞くことで知られました。 



さらに諫言というものがあります。耳に痛い直言です。歴史上の人物はみな、この諫言を聞くか聞かないかで、成功するかしないか、生き残るか滅びるかの岐路に立ちました。織田信長の育て役の平手政秀が、ヒッピーのような生活をしていた信長を諌め、それでも言うことを聞かないので切腹したのは有名な話です。



諫言の難しさを「人間関係」としてとらえたのは家康で、「諫言者は、戦場の一番槍よりもむずかしい。その後の人間関係がどうもギクシャクする。正しいことを言ったのだが、言った方が疑心暗鬼になり、主人からにらまれたのではないか、と思うようになる。だから、そういうことを承知のうえで直言する真の諫言者は、一番槍異常の功労者である」と言いました。リーダーとは、異見や諫言を聞かなければならないのです。



部下に限らず、人の話を聞くときの態度も重要で、絶対にしてはならないのが腕組みと足組みです。人と会話しているときは、その人とコミュニケーションをする姿勢をするのが礼儀です。腕組みは相手とのあいだに柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。満員電車の中で足を組む場合、自分の前に突起物を構築して、それ以上に人が近づいてこないようにするわけです。人が攻めてきても、すぐに蹴ることができる態勢をとっているわけであり、あまりにも自分勝手で利己的です。



恋人同士が向かい合っているときは、お互いのあいだに物理的にも心理的にも障害物がないように極力配慮した環境を整えます。もし一方が腕組みをしながら話を聞いていたとすれば、2人の関係を冷めた感情で見つめ直しているのかもしれません。足を組んで相対していたら、何か都合の悪いことが相手に見つかって、ふてくされているのかもしれません。また、自尊心を傷つけられるようなことがあって、開き直っているのかもしれませんね。いずれにしても、相手とのあいだに一定の距離を置くことによって、自分の気持ちを隠し、相手が心の中に入ってくることがないようにしているのです。人の話を聞く態度としては失礼千万。わたしは人と接するとき、腕組み、足組みは絶対にしないように心がけています。 



逆に、人の話を聞くときにするように心がけていることが3つあります。まず、必ず相手の目をやさしく見つめながら話を聞くこと。次に、相手の話には必ず、あいづちを打つこと。相手をほめる言葉を混ぜると、さらに相手は饒舌になる。そして3つ目は、自分が話すときには意見ではなく、質問のスタイルをとることです。特に、あいづちの力は大きいです。あいづちは、次のようにさまざまな力を持っています。話し手に聞いていることを知らせる。話し手が集中できる。話し手を乗せる。話がリズミカルになる。聞き手の関心や興味がどこにあるか、話し手が確認しながら話ができることなど、です。



あいづち1つで生き抜いている職業もあるほどで、高級クラブのホステスなどがそれに当たります。指名客の多い人気ホステスになるには、若さ、美貌、スタイルなどよりも、愛想、愛嬌、話のうまさなどが求められますが、何よりも、お客の話をきちんと聞くのがうまい「話させ上手」の要素が必要とされます。その武器こそが、あいづちです。銀座の高級クラブの某ナンバーワンなど、お客が話しているとき、なんと1分間に20回のあいづちを打つといいます。実に3秒に1回です。しかも、「はい」や「ええ」だけではなく、「うん」「うん、うん」「そう」「そぉお」「そうなの」「へえ」「ほんと?」「ほんとう!」「それで」「ねえ、それで、それで」「すごいわねえ」などなど、30種類以上の「あいづちバージョン」を1回ごとに使い分けているというから、すさまじいですね!



「聞く」の究極とは何でしょうか。
それは、相手の本当の欲求や状態を知ることです。聞く技術を駆使して、相手に本当の状況や気持ちを自発的に語らせなければなりません。カウンセリングという行為もあるように、人間というものは、話を聞いてくれる人に対してだけ心を開くのです。そして、聞き上手になるための4つの基本とは、受容、傾聴、共感、感情の反射です。



最後に、カウンセラー業界では常識だそうですが、誰でも聞き上手になれる魔法のキーフレーズがあります。3つあるのですが、いかなる問題であろうと、この言葉のいずれかを会話に挟めば、相手は自分が理解されていると感じ、どんどん本心を語るというのです。その3つの魔法の言葉とは、「それは大変ですね」「それは複雑ですね」「そこの話をもう少し詳しく」・・・・・・嘘だと思われるなら、上司でも部下でも家族でも、ぜひ試して下さい。なお、「聞」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年9月5日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「問」です。



質問の持つ力は、想像以上に大きいです。
アレクサンダーの教師を務めたアリストテレスは、しばしば木陰に座り、生徒に鋭い質問を投げかけました。ときにはその声に嫌悪感や侮蔑の念がにじむこともあり、真っ向から厳しい質問を突きつけることもありました。しかし、たいていは思慮に富んで思いやりにあふれ、その声は優しく慈愛に満ちていたといいます。



口調の違いは、質問の仕方に関係していました。どの質問も、生徒から特定の反応を引き出すように意図されていたからです。アレクサンダーはアリストテレスの巧妙な話し方を研究しました。質問の仕方や、特定の言葉を伸ばして発音したり強調したりする方法、あるいは尋ねる途中のどこに間を置くかといったことです。



適切な質問を発する能力は、軍事行動におけるアレクサンダーの貴重な武器となりました。味方の軍勢はもちろん、征服地の人々から寄せられる情報や知識や意見に頼らなければならないからです。アレクサンダーは適切な質問をし、そこで得た答をもとにして、答えた人間を信じるべきか疑うべきかを判断しました。



アリストテレスは生物学の分類方法を転用して、人の質問を分類する方法を考案し、それぞれの生徒にうまい質問をする能力を身につけさせたのです。うまい質問をするのは、質問の内容もさることながら、質問するときの口調や聞き方、質問の順序、どこに間を置き、どの言葉を強く発して質問の効果をあげるかといった勘所も大切です。この方法ははるか後世になってハーヴァード・ビジネススクールに取り入れられました。



徳川幕府の政治は複数の老中が合議して政策を決め、将軍は判断をしないで判を押すのが通例でしたが、徳川吉宗はそうしませんでした。「私が直接執り行なう」と言って、主導権を握ったのです。吉宗は「私は幕府財政の再建に来たのだ」と宣言した通り、執務態度は厳しかったといいます。自身が粗衣粗食を実行する日常生活だけでなく、老中たちが脅威に感じたのは、毎日の会議で吉宗が質問を連発することでした。



「幕府の今年の収入高は?」「いま、江戸城内には櫓がいくつある? そして修理しなければならないのは?」「いま、幕府役人で病気欠勤者は何人いる? そのうち医師の証明のない者の数は?」などという質問がどんどん飛んできました。もちろん、無類の勉強家であった吉宗のほうはすべて知っていました。そのため、幕府の役人は勉強せざるをえず、あの享保の改革につながったのです。なお、「問」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年9月日 一条真也