「スパイラル:ソウ オールリセット」 

一条真也です。
東京に来ています。14日の夕方、赤坂見附で出版関係、銀座で映画関係の打ち合わせをした後、TOHOシネマズ日比谷で映画「スパイラル:ソウ オールリセット」を観ました。人気シチュエーションスリラー映画シリーズの最新作ですが、北九州では上映されていません。あの「ソウ」の新章だけあって、この上なくブキミで、グロかった!

 

ヤフー映画の「解説」は、「猟奇殺人鬼ジグソウが仕掛ける残虐な殺人ゲームを描くシチュエーションスリラー『ソウ』シリーズの世界を一新した新章。ジグソウを連想させる新たな猟奇犯が登場し、捜査に当たる刑事たちを追い詰めていく。監督は同シリーズ3作を手掛けたダーレン・リン・バウズマン、製作陣にはシリーズを生み出したジェームズ・ワンリー・ワネルらが名を連ねる。製作総指揮も兼任する『トップ・ファイブ』などのクリス・ロックが主人公を演じ、マックス・ミンゲラ、マリソル・ニコルズ、サミュエル・L・ジャクソンらが共演」です。

f:id:shins2m:20210829222358j:plain

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「地下鉄の線路上に宙吊りにされ、舌を固定された男に向かって猛スピードの電車が迫り、男は無残な死を遂げる。それは猟奇犯が警察官をターゲットに仕掛けた、むごたらしいゲームの始まりだった。捜査を担当するジーク・バンクス刑事(クリス・ロック)と相棒のウィリアムは、過激さを増していくゲームに翻弄(ほんろう)されていく。やがて、ジークの父で伝説的刑事のマーカスの行方がわからなくなる」です。

 

猟奇殺人鬼ジグソウを取り巻く「ソウシリーズ」の第1作「ソウ」(SAW)は、2004年に公開されたアメリカ合衆国のサイコスリラー映画です。リー・ワネルが脚本と主演を務め、ジェームズ・ワンが監督しましたが、比較的低予算で制作されたにも関わらず興行的な成功を収めました。猟奇殺人鬼ジグソウによって密室に閉じ込められ、ゲームを強要させられた2人の男性を主軸に話が展開。残酷なシーンが多いため、日本ではR15+指定でした。


原題の“SAW”は、「のこぎり」と「見る(see)の過去形」、そして劇中謎を投げかける犯人の名前、ジグソウ(Jigsaw)の3つの掛詞になっています。さらに、主人公の職業である外科医を意味する語(sawbones)や立場逆転(seesaw)も示しているとか。


第1作「ソウ」の興行的成功以降、ジグソウを取り巻く「ソウシリーズ」が長年に渡って制作されました。2005年より「ソウ2」「ソウ3」「ソウ4」「ソウ5」「ソウ6」「ソウ ザ・ファイナル 3D」の作品が年ごとにリリースされています。ファイナルをもってシリーズは一度完結したのですが、2017年には新たに「ジグソウ:ソウ・レガシー」が制作されました。そして、2021年に最新作「スパイラル」が公開されたわけです。



「ソウ」シリーズの新たな一作である本作では、過去のシリーズと関係する登場人物が一新され、ジグソウの後継者をめぐる物語がリセットされています。今回、ジグソウを凌駕する新たな猟奇犯が警察官をターゲットにゲームを仕掛けていきますが、犠牲となった警察官の家族や同僚は当然ながら悲しみます。彼らが深い悲しみに暮れるシーンを見ながら、殺人には恐怖や嫌悪だけでなく悲嘆も付きものだという、いわば当たり前のことを改めて確認しました。



その意味で、ホラーやスリラーやミステリーといった人が殺されるジャンルの映画にはすべてグリーフ映画の要素があります。そして、この映画における猟奇犯自身が深い悲嘆を抱えている人間であり、その悲嘆を癒すために、警察官を相手に残虐な復讐劇を展開しているという構図が明らかとなります。彼にとっての連続殺人は、復讐という負のグリーフケアだったのです!

 

それにしても、冒頭で1人の男性が地下鉄の線路上で舌を固定され、宙吊りになるシーンはインパクトがありました。猛スピードに迫った電車により彼の体は四散しますが、目を覆いたくなる凄惨な場面でした。この他にも、両手の10本の指を引き抜いて水槽で感電死させるとか、脊髄に刃物を突き立てたまま顔に熱い蝋をかけて窒息死させるとか、この映画には「これでもか」というほど残虐なシーンが登場します。よくぞ、ここまで恐ろしい殺し方を思いついたものだと感心さえしたくなります 

 

それでも、それぞれの殺し方にはメッセージが込められており、被害者たちが犯した罪に対する罰となっています。このメッセージ性の強い殺し方は、デヴィッド・フィンチャーが監督し、ブラッド・ピットが主演した「セブン」(1995年)を連想しました。キリスト教の“七つの大罪”になぞらえた奇怪な連続殺人事件を追う2人の刑事を描いたサイコ・サスペンスで、アメリカ・日本ともに大ヒットを記録。「スパイラル ソウ:オールリセット」はおそらく「セブン」の影響を受けていると思います。

 

 

じつは、いま、『ビハインド・ザ・ホラー』リー・メラー著、五十嵐加奈子訳(青土社)という本を読んでいます。「ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー」というサブタイトルがついており、古典的名作スリラー「M」、ヒッチコックの「サイコ」「フレンジー」、さらには「悪魔のいけにえ」や「羊たちの沈黙」など、猟奇的な殺人鬼を描いた映画の実在のモデルについて書かれた本です。



すなわち、ペーター・キュルテン、エド・ゲイン、ジャック・ザ・ストリッパー、テッド・バンディ、ヘンリー・リー・ルーカスといった超弩級の殺人鬼たちですが、彼らのような歴史に残る超弩級の殺人鬼でも、「スパイラル ソウ:オールリセット」の猟奇犯には敵わないでしょう。この映画の脚本は、ジョシュ・ストールバーグとピーター・ゴールドフィンガーが担当していますが、いくら仕事とはいえ、ここまでクリエイティブ(?)な殺人方法を考えつくとは感服する他はありません。まあ日本人なら、江戸川乱歩横溝正史が考えそうな殺し方かもしれませんね。

 

2021年9月15日 一条真也

4回目宣言延長の東京へ! 

一条真也です。
新型コロナウイルス感染症対策として首相が発出する「緊急事態宣言」ですが、昨年4月、そして今年1月、4月に続き、7月12日からは4回目が発出されています。このたび、東京都や福岡県など19都道府県に対しては9月30日までの延長が決まりました。

f:id:shins2m:20210914104621j:plain
北九州空港の前で

f:id:shins2m:20210914105950j:plain
閑散とした北九州空港

昨日の東京の新規感染者数は611人でした。季節要因のせいか、新規感染者数は減少傾向にありますが、自宅療養中の患者の症状が急変して死亡するケースが相次いでいます。すれ違っただけで感染するというデルタ株に加えて、ペルーから入国した東京五輪関係者からラムダ株、さらには最新のミュー株も見つかっています。わたしはファイザーのワクチンを2回接種済みですが、油断はできません。東京でコロナで感染したり、何か他の急病になっても、なかなか病院には入れません。感染大爆発の最中だった前回(8月22日)よりは少しはマシですが・・・・・・。

f:id:shins2m:20210914110008j:plainメーテルが待っていてくれる

f:id:shins2m:20210914110055j:plainいつも見送りありがとう💛

 

「では、おまえは何をしに東京へ行くのか?」と言われそうですが、もちろん不要不急の出張ではありません。今回は、全互協の正副会長会議・正副会長&委員長会議、冠婚葬祭文化振興財団の委員会などに出席するための出張です。自民党総裁選や衆議院選挙に向けての冠婚葬祭互助会政治連盟の打ち合わせなどもあります。本当はリモート参加したいのですが、全互協と政治連盟は副会長の職にあるので、どうしてもリアル参加しなければならないのです。

f:id:shins2m:20210914113755j:plain機内のようす

f:id:shins2m:20210914115101j:plain機内では読書をしました  

 

そのまま、スターフライヤー80便に乗り込みました。思ったより、機内は乗客が少なかったです。機内では、いつものように読書をしました。今日は、『ビハインド・ザ・ホラー』リー・メラー著、五十嵐加奈子訳(青土社)を読みました。「ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー」というサブタイトルがついています。『エクソシスト』『ジョーズ』から『ゾンビ伝説』『羊たちの沈黙』まで、大ヒットしたホラー映画の数々は実際にあった戦慄の犯罪、心霊現象にインスパイアされて製作されていました。エド・ゲインからセイラム魔女裁判まで、映画の背後に潜む戦慄のストーリーを、気鋭の犯罪学者が鮮やかに描き出しています。「M」といった古典的作品から、ブログ「ライトハウス」で紹介した最新のホラー映画までが取り上げられていて、非常に興味深く読みました。

f:id:shins2m:20210914125953j:plain羽田空港に到着しました

f:id:shins2m:20210914130955j:plainいつものラーメン店に入りました

f:id:shins2m:20210914131850j:plain今日は塩ラーメンをいただきます!

f:id:shins2m:20210914131929j:plain
エプロンをつけて、いただきます!

 

搭乗した飛行機は順調に飛び、無事に羽田空港に到着しました。東京は曇りで、気温は24度です。ちょうど昼時だったので、空港出口近くのいつものラーメン店に入りました。昨年の第1回目の緊急事態宣言のときはこの店も閉まっていましたが、その後の緊急事態宣言下では営業しているので助かります。今日は塩ラーメンを食べました。黒いエプロンをつけて、いただきました。さっぱりして、美味しかったです。

f:id:shins2m:20210914131420j:plain腹ごしたえをしたら、行動開始です!

 

食後は、赤坂見附の定宿に向かいました。最近の東京出張では、「東京オリパラ2020」の開催による交通規制の影響を避けて、日比谷のホテルに泊まっていましたが、やはり慣れている定宿の方が落ち着きます。チェックイン後は、映画関係の打ち合わせです。

 

2021年9月14日 一条真也

営業責任者会議 

一条真也です。
13日の11時から、サンレー本社の会議室で営業責任者会議を行いました。いつもは同じ会議室に全国の責任者たちが所狭しと一同に会するのですが、新型コロナウイルスのデルタ株の感染拡大に伴い、福岡県以外の営業責任者たちはオンラインで参加しました。

f:id:shins2m:20210913110449j:plain
最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210913125203j:plain
今日のマスクはパープルの不織布!

 

冒頭の社長訓示で、わたしはパソコン画面の向こうにいる営業責任者たちに向かって、まずは、「コロナ禍で、じゅうぶんな営業活動もできないことと思います。みなさんのストレスや焦りもよく理解できますが、どうか感染防止を第一に考えて行動していただきたい。ワクチンを2回接種しても油断せず、みなさんも感染対策には最大の注意を払って下さい」と述べました。また、「このような時期のリーダーシップは、高い目標に向けて部下を鼓舞するポジティブ・コミュニケーションとともに、部下の苦悩や悲しみに寄り添うネガティブ・コミュニケーションというか、グリーフケア的対応が求められます」と述べました。

f:id:shins2m:20210913110558j:plainエッセンシャルワークについて

 

さらに、わたしは「このコロナ禍でわかったことは、葬儀が社会に必要な仕事であることです」と言いました。最近よく聞くようになった「エッセンシャルワーク」とは、医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。その意味では、葬儀もエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければなりません。

f:id:shins2m:20210913125438j:plain
マスクを取って、「SDGs」を語る

 

いま、「SDGs」が国際的なキーワードになっています。「持続可能な開発目標」という意味ですが、わたしは冠婚葬祭互助会は社会を持続させるシステムそのものであると考えています。結婚式は夫婦を生み、子どもを産むことによって人口を維持する結婚を根底から支える。葬儀は儀式とグリーフケアによって死別の悲嘆によるうつ、自死の負の連鎖を防ぐ。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる重要な文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません。

f:id:shins2m:20210913112934j:plain
営業責任者会議のようす

f:id:shins2m:20210913111147j:plain
福岡県以外はオンライン参加

グリーフケアが非常に注目されていますが、いま、「心のケアの時代」です。そこでは「サービス」から「ケア」への転換が行われ、縦の関係(上下関係)であるサービスと横の関係(対等な関係)であるケアの本質と違いが重要になります。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。特に、無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。

f:id:shins2m:20210913114053j:plain
サービスからケアへ!

 

さらには、「ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人を単に利用するのとは正反対のことであり、相手が成長し、自己実現することを助けること」などのケアについての自分の考えを明らかにしました。葬祭業は、サービス業というよりもケア業です。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」あるいは「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。これは葬祭業に限らず、ブライダル・ビジネスでも同様です。これからの冠婚業は新郎新婦をはじめ、祝われる方々のさまざまなケアを心掛けなければいけません。

f:id:shins2m:20210913115306j:plain
ケアとは「人間尊重」である!

 

何よりも重要なことは、「ケア」とは他人を尊重し、他人のために尽くす営みであり、「いじめ」や「差別」などの対極にあるということです。いくらカネを稼いでいるビジネスマンや膨大な再生回数を誇るYouTuberであっても歪んだ万能感を抱き、「いじめ」や「差別」を肯定する者など人間のクズです。彼らの仕事はブルシット・ジョブです。反対にハートフル・エッセンシャルワーカーとしてのケア業に従事する人々は「人間尊重」の精神に基づいています。心のケアが世界を救うのです!

f:id:shins2m:20210913111049j:plain日王の湯」の可能性について

 

サービス業からケア業へ。わが社の方向性の先に、「日王の湯」の運営もあります。このたび、わが社は福岡県田川郡福智町にある「ふるさと交流館 日王の湯」を管理・運営することになりました。リニューアル工事をした上で、9月8日にプレオープン特別内覧会を開催、10日には正式オープンしました。8000坪の敷地、310坪の温泉棟、154坪の宿泊棟、264坪の大宴会場というスケールです。もちろん、コロナ禍の中ではクラスター対策が最優先ですが、コロナ後には大いに賑わう場所となるでしょう。いずれは、温浴施設のスーパースターである純烈のコンサートも開催したいと考えています。

f:id:shins2m:20210913120335j:plain
「湯縁」で有縁社会の再生を!

 

何より、高齢者の会員様が多い互助会との相性が良い。この施設をベースに、共に入浴する「湯縁」によって有縁社会を再生したいと考えています。産湯に始まり、湯灌に終わる・・・・・・このように、人間の一生は「湯」とともにあります。また、究極の人間関係としての「一期一会」を実現するものとして「茶の湯」という文化がある。グリーフケアの活動は「悲縁」を育て、茶道の普及は「茶縁」を育て、温浴施設の運営は「湯縁」を育てることである。そして、それらはすべて「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生する道となります。

f:id:shins2m:20210913130504j:plain高い志を持とう!

 

いま、わたしは『儒教と日本人』という対談本の校正作業を行っています。対談相手は、現代日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生です。わたしが加地先生、そして孔子から学んだ最大の教えは「志」というものの大切さです。自分が幸せになったり、自分の会社が良くなるのは結構なことですが、それだけではいけません。やはり、他人の幸せを願い、社会が良くなることを目指さなければいけない。それが「志」です。

f:id:shins2m:20210913120438j:plain
最後は、もちろん一同礼!

 

今年の11月18日に創立55周年を迎えるわが社には「志」があります。わたしは、「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをし、無縁社会を乗り越えて有縁社会を再構築することを目標に進んでいけば、自ずからわが社も発展するでしょう」と述べ、「カンパニーズ・ビー・アンビシャス! わが社は、志のある会社としてのアンビショナリー・カンパニーであり続けましょう!」と言って、わたしは1時間の社長訓示を終えました。オンライン参加者も含め、多くの熱い視線を感じたことは言うまでもありません。社長訓話の終了後は、みんなで昼食の幕の内弁当をいただきました。感染対策に万全の配慮をし、アクリル板を立てまくったことは言うまでもありません。

f:id:shins2m:20210913121217j:plain
いただきます!

f:id:shins2m:20210913121255j:plain
みんなで弁当を食べました

2021年9月13日 一条真也

『命には続きがある』

一条真也です。
62冊目の「一条真也による一条本」は、『命には続きがある』(PHP研究所)です。サブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」です。東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長(当時)の矢作直樹氏とわたしの「命」と「死」と「葬」をめぐる対談本です。2013年6月に刊行されました。


命には続きがある』(PHP研究所)

f:id:shins2m:20210907091807j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「愛する人は死なない」と大書され、「臨死、霊聴、霊夢、交霊、対外離脱、憑依、お迎え現象・・・・・・見えない存在をめぐって、生と死の交差点に立つ者同士が語り合う。人を看取り、葬送する意義、悲嘆に暮れる人を癒すグリーフケアについての温かい思索」と書かれています。

f:id:shins2m:20210907091826j:plain
本書の帯の裏

 

帯の裏には「人生はこの世限りではない」と大書され、続けて以下の言葉が並んでいます。
◎霊との遭遇
◎医療現場にある「お迎え現象」
◎葬儀の場でも起こる「不思議」
◎死者は「声」を使って接してくる
◎死を思うことは、幸福を考えること
◎供養は生きている者のため
◎神話こそグリーフケアのルーツ
◎「おくりびと」の本当の意味


この2冊がクロスオーヴァーしています

 

本書は、矢作氏の大ベストセラー『人は死なない』(バジリコ)とわたしの『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の2冊の本がクロスオーヴァーした内容と言えます。


本書のカバー前そで

 

カバーの前そでには「死は終わりではない」、後そでには「死は不幸ではない」と大きく書かれています。この2つの言葉こそは、矢作氏とわたしに共通した死生観というべきものであり、1人でも多くの方に伝えたい想いです。


本書のカバー後そで

 

ブログ「勇気の人」に書いたように、わたしは2011年10月4日に東大病院を訪れ、矢作氏と初対面しました。そのときのことを矢作氏は本書の「はじめに――生と死の交差点に立つ者同士」の中に書かれています。わたしについての過分な評価も書かれており、大変お恥ずかしいのですが、わたしたちの対話の雰囲気がわかっていただけるのではないかと思います。矢作氏はこう書かれています。
「わざわざ病院のほうにお越しいただき、初対面させていただきました。その中で洗練された文章の裏には幼少時からご自宅の書庫に蓄えられた父上の膨大な蔵書を読破されてこられたことをお聞きして感心しました。それとともに、この文章のもとになる豊富な現場経験をお持ちでいらっしゃることを確認して納得がいきました。本書を手にされた方は、一条真也氏について私よりもよくご存じの方も多いとは存じますが、ご存じない方のためにすこしご紹介すると、50冊を超える著作を持つ作家として、つとに有名ですが、同時に冠婚葬祭業を営まれる企業の代表、経営者としての顔をお持ちです。社長室で執務をするだけではなく、時には葬儀や結婚式などの儀式の現場に立ち会われているとお聞きしています。つねに日本人の死生観と冠婚葬祭業界の使命を熱く語られる姿には、私のほうが年上ではありますが、心から尊敬に足る人物の一人であることを書き添えておきます」


矢作直樹氏との初対面

 

まことに恐縮の至りですが、わたしも「あとがき――グリーフケアの時代」で次のように書きました。
「不思議な運命の糸に手繰り寄せられてやっと会えたわたしたちは、長い間ずっと喋り通しでした。こういうことを言うと不遜かもしれませんが、これほど話題や考え方が自分と合う方には久々にお会いしました。京都大学こころの未来研究センター教授で宗教哲学者の鎌田東二先生以来の運命の出会いかもしれません。とにかく、二人でずっと『命』と『死』と『葬』について夢中になって語り合いました。矢作先生が担当されている患者さんの名前をお聞きして、わたしは驚きました。間違いなく我が国における超VIPの方々ばかりです。矢作先生ご自身が日本を代表する臨床医なわけですが、そんな凄い方が『魂』や『霊』の問題を正面から語り、『人は死なない』と堂々と喝破されました。これほど意義のあることはありませんし、ものすごい勇気が必要だったと思います。しかし、現役の東大医学部の教授にして臨床医が『死』の本質を説いたことは、末期の患者さん、その家族の方々にどれほど勇気を与えたことでしょうか! 多くの死に行く人々の姿を見ながら、多くの尊い命を救いながら、またあるときは看取りながら、矢作先生は真実を語らずにはいられなかったのです。まさに、矢作直樹先生こそは『義を見てせざるは勇なきなり』を実行された『勇気の人』であると思います」


矢作氏との対談のようす

 

本書の目次は、以下の構成になっています。
はじめに「生と死の交差点に立つ者同士」矢作直樹
第1部 死の不思議――スピリチュアル体験の真相
   第1章:死の壁を越えて
    ベストセラーの意外な反響
    霊との遭遇
    山で体験した臨死
    2度目の滑落と霊聴
    体外離脱の経験者
    憑依について
    医療現場にある「お迎え現象」
    葬儀の場でも起こる「不思議」
    カルマが天災を生んだのか
    ダライ・ラマとの対話
    童話が生まれた理由
    第2章:見える世界と見えない世界をめぐって
    見えるものだけを信じる
    死者は「声」を使って接してくる
    現代人の不幸とは何か
   第3章:死者=霊魂は存在するか
    死を思うことは、幸福を考えること
    人間は死者として生きている
    延命治療、だれが望んでいるのか
    迷惑が肥大化している
    先祖を思ってきた日本人
第2部 看取り――人は死とどう向き合ってきたか
   第4章:日本人の死生観を知る
    すべては生者と死者とのコミュニケーション
    供養は生きている者のため
    お盆は日本人が編み出した供養の形
    母との交霊体験
   第5章:死を受け入れるために
    死が生活の中から遠くなってしまった
    神話こそグリーフケアのルーツ
    グリーフケアとしての読書
    読書は交霊術である
   第6章:日本人の死に欠かせないもの
    宗教の役割――答えは自分の心の中にある
    天皇の偉大さを語る
    愛国心と日本人のこころ
    日本には「祈る人」がいる
第3部 葬送の意味――人はいかに送られるのか
   第7章:葬儀という儀式に込められたもの
    母の晩年とその死が教えてくれたもの
    自分の葬儀を想像する
    團十郎の葬儀に思う
    もう1つの「シキ」とは?
    辞世の歌や句を残す習慣
    「おくりびと」の本当の意味
    問題は人が死ぬことではなく、どう弔うかにある
   第8章:人は葬儀をするサルである
    人はなぜ葬儀をするのか
    葬儀は何のためにあるのか
    霊安室が持つ機能
    葬儀が自由でいい理由
    ブッダは葬儀を否定したのか
    フューネラル産業の未来
おわりに「グリーフケアの時代」一条真也


対談後に矢作氏と

 

この目次構成を見てもおわかりのように、矢作氏とわたしは霊や魂といった、いわゆるスピリチュアルな問題についても正面からガチンコで語り合っています。わたし自身、これほどスピリチュアルな話題を語ったのは、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)以来ではないでしょうか。そして何よりも、医療界のトップにある方とわたしのような冠婚葬祭業者が「死」について徹底的に語り合ったのは世界でも初めてだと思います。この対談の前から、わたしは、愛する人を亡くした人の悲しみを軽くするための「グリーフケア」の普及をめざしてきました。グリーフケアは医療・葬儀・そして宗教の3つのジャンルが協力しながら進めていくべき大いなる「こころ」の仕事です。この矢作氏との対談本が、日本人にとってのグリーフケア普及の一助となることを願いましたが、幸いにも本書は版を重ね、多くの読者を得ました。

f:id:shins2m:20210906194806j:plain命には続きがある』(PHP文庫)

 

その後、ブログ「対談には続きがある」で紹介した2020年11月20日のコロナ禍中での特別対談を経て、2021年2月にPHP文庫版『命には続きがある』が刊行されました。文庫化によって、同書は現在も多くの方々からよく読まれているようです。

 

 

2021年9月13日 一条真也

ロマンティック・デス

f:id:shins2m:20210902150354j:plain

 

一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「ロマンティック・デス」という言葉を取り上げることにします。

ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

この言葉は、もちろん、『ロマンティック・デス』(国書刊行会)で初めて提示した言葉です。「ロマンティック・デス」とは、「死」に意味を与える思想です。 近代工業社会はひたすら「若さ」を賛美し、「生」の繁栄を謳歌してきましたが、忍び寄る超高齢化社会の足音は、私たちに「老い」と「死」に正面から向き合わなければならない時代の訪れを告げています。そして、そこで何より求められているのは「生老病死」の幸福なデザインだと言えるでしょう。特に核心となるのは「死」のデザインです。

ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫

 

日本人は人が死ぬと「不幸があった」と言いますが、これは絶対におかしいと私は思います。私たちはみな「死」を未来として生きている存在です。もし、死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在である私たちの人生そのものも、不幸だということになります。最初から死という「不幸」な結末の見えている負け戦に参加し続けているうちは、日本人の幸福などありえません。


日本人が真に幸福になるためにはまず「死」を「詩」に変える必要があります。そのために、わたしは「月」という最高にロマンティックな舞台を用意したのです。かつての日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表れでした。



死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の言葉「世に生を得るは事をなすにあり」こそは、死と志の関係を解き明かしたものにほかなりません。『葉隠』に「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」とあるように、この国の武士たちは、その体内に死と志を矛盾なく共存させ、そこに美さえ見出したのです。もともと、日本に「ロマンティック・デス」は存在したのです。

 

2021年9月12日 一条真也

死を乗り越えるフローベールの言葉

f:id:shins2m:20210902150809j:plain

 

人の死んだ後にはかならず茫然自失ともいうべき状態が起こってくる。思いもかけぬ虚無の訪れを理解し観念することはそれほどむずかしい。
フローベール

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、フランスの小説家であるギュスターヴ・フローベール(1821年~1880年)の言葉です。フローベールの代表作は医師の若妻が、姦通の果てに現実に敗れて破滅に至る様を描いた『ボヴァリー夫人』。他には『感情教育』『サランボー』『三つの物語』『ブヴァールとペキュシェ』など。

 

 

フローベールのこの言葉は、「グリーフケア」(悲嘆からの回復)の難しさを表現しています。 上智大学グリーフケア研究所の前所長である髙木慶子先生による「悲嘆を引き起こす七つの原因」というものがあります。
1.愛する人の喪失――死、離別(失恋、裏切り、失踪)
2.所有物の喪失――財産、仕事、職場、ペットなど
3.環境の喪失――転居、転勤、転校、地域社会
4.役割の喪失――地位、役割
           (子どもの自立、夫の退職、家族のなかでの役割)

5.自尊心の喪失
        ――名誉、名声、プライバシーが傷つくこと

6.身体的喪失――病気による衰弱、老化現象、
                                 子宮・卵巣・乳房・頭髪などの喪失
7.社会生活における安全・安心の喪失
(『悲しんでいい 大災害とグリーフケア』より)

 

 

このように、わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれています。とくに東日本大震災の被災者の人々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。わたしたちの人生とは、ある意味で「出会い」と「別れ」の連続であり、別れに伴う「悲しみ」も影のように人生についてまわるのです。なお、このフローベールの言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

 

2021年9月12日 一条真也

20年目の「9・11」

一条真也です。
新型コロナウイルスに人類が翻弄されて2年目、今年も9月11日になりました。世界を揺るがせたテロ事件から、ちょうど20年が経過したことになります。世界中の人々が大いなる希望を抱いた21世紀は深い悲しみから始まりました。今世紀は、悲嘆に満ちた世紀としての「グリーフフル・センチュリー」となったのです。



アメリカはアフガニスタンから撤退することになり、20年におよぶ長い戦争が集結します。わたしは、2001年10月1日に株式会サンレーの社長に就任しました。その直前の9月11日に起こったのが、米国同時多発テロ事件でした。ニューヨークの世界貿易センタービルでは、じつに2753人が犠牲になりました。ブログ「グラウンド・ゼロ」に書いたように、2014年の9月、わたしはニューヨークを訪れました。マンハッタンの各所を回りましたが、「グラウンド・ゼロ」が最も強く印象に残りました。


「9/11 MEMORIAL」に向かう

犠牲になった消防士のモニュメント

 

Wikipedia「グランウンド・ゼロ」には、以下のように書かれています。
グラウンド・ゼロ(英: ground zero)とは、英語で『爆心地』を意味する語。強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾水素爆弾の爆心地を指す例が多い。従来は広島と長崎への原爆投下爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地、また核保有国で行われた地上核実験での爆心地を『グラウンド・ゼロ』と呼ぶのが一般的であった。しかし、アメリカ同時多発テロ事件の報道の過程で、テロの標的となったニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)が倒壊した跡地が、広島の原爆爆心地(原爆ドーム、正確には原爆ドーム近隣の島病院付近)を連想させるとして、WTCの跡地を『グラウンド・ゼロ』とアメリカのマスコミで呼ばれ、これが定着した」


「9/11 MEMORIAL」の入口

「9/11 MEMORIAL」モニュメントの前で

 

WTCは、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が管理していました。Wikipedia「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の「同時多発テロ事件とその後」には、「2001年9月11日の同時多発テロ事件での世界貿易センターの崩壊は、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社にも大きな打撃を与えた。港湾公社の本部もまた世界貿易センターにあり、職員にも多くの犠牲を出した。事件当時、約1400名の職員が世界貿易センターで勤務していたと推定されている。そのうち、ポートオーソリティ警察の警官37名を含む、84名の職員が事件で死亡した。事件で死亡した職員の中には、同年4月からエグゼクティブ・ディレクターを務めていたニール・d・レビンやポート・オーソリティ警察の警視フレッド・モローンもいた。崩壊後の救助作業により、ポート・オーソリティ警察の警官2名が、崩壊から24時間を経過した後で9mもの高さに積み上がった瓦礫の下から救助された。後に、この2名の警官の救出劇はオリバー・ストーン監督、ニコラス・ケイジ主演の映画『ワールド・トレード・センター』で描かれた」と書かれています。


新しい風景が生まれていました

 

現在、世界貿易センターの跡地には「9・11メモリアル」のモニュメント、そしてフリーダムタワー(Freedom Tower)が建っています。フリーダムタワーは2009年に「ワールド・トレード・センター・コンプレックス」と名称変更され、2014年末に完成。


新しい風景の中で

 

日本人にはあまり知られていませんが、9・11以降じつに半年にわたってニューヨークの人々は悪臭に苦しめられたそうです。雨が降ると、街中にプラスチックの焼ける臭いが立ち込めました。グラウンド・ゼロの地下では、ずっと火が消えておらず、くすぶり続ける大量の瓦礫が山のように積み重なっていました。雨が降ると、それらが自然鎮火されてプラスチックを焼いたような悪臭が漂ったのです。ダウンタウン一帯が悪臭に包まれ、30分もすると頭が痛くなってきたとか。そんな話、初めて知りました。


全犠牲者の名前がプレートに刻まれています

 

そんな歴史を持つ場所に新しい風景が生まれていました。わたしはグランウンド・ゼロで犠牲者の冥福を祈って合掌し、心からの祈りを捧げました。帰り道、犠牲者のための寄付を募っていました。わたしが貧者の一灯を募金箱に入れると、「9/11 MEMORIAL」と書かれた白いリストバンドを貰いました。今でも大切にしています。


白いリストバンドを貰いました

 

1999年7の月、ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」は降りませんでした。20世紀末の一時期、20世紀の憎悪は世紀末で断ち切ろうという楽観的な気運が世界中で高まり、人々は人類の未来に希望を抱いていました。 20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代でした。何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀と言えるでしょう。もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が1度ならず2度も起こったのです。その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上。そんな殺戮の世紀を乗り越え、人類の多くは新しく訪れる21世紀に限りない希望を託しました。



しかし、そこに起きたのが2001年9月11日の悲劇だったのです。テロリストによってハイジャックされた航空機がワールド・トレード・センターに突入する信じられない光景をCNNのニュースで見ながら、わたしは「恐怖の大王」が2年の誤差で降ってきたのかもしれないと思いました。いずれにせよ、新しい世紀においても、憎悪に基づいた計画的で大規模な残虐行為が常に起こりうるという現実を、人類は目の当たりにしたのです。あの同時多発テロで世界中の人びとが目撃したのは、憎悪に触発された無数の暴力のあらたな一例にすぎません。こうした行為すべてがそうであるように、憎悪に満ちたテロは、人間の脳に新しく進化した外層の奥深くにひそむ原始的な領域から生まれます。また、長い時間をかけて蓄積されてきた文化によっても仕向けられます。それによって人は、生き残りを賭けた「われら対、彼ら」の戦いに駆りたてられるのです。

 

 

グローバリズムという名のアメリカイズムを世界中で広めつつあった唯一の超大国は、史上初めて本国への攻撃、それも資本主義そのもののシンボルといえるワールド・トレード・センターを破壊されるという、きわめてインパクトの強い攻撃を受けました。その後のアメリカの対テロ戦争などの一連の流れを見ると、わたしたちは、前世紀に劣らない「憎悪の連鎖」が巨大なスケールで繰り広げられていることを思い知らされました。まさに憎悪によって、人間は残虐きわまりない行為をやってのけるのです。そんなことを考えて、わたしは『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を2005年9月に上梓しました。そして、それから14年後の2019年9月、『心ゆたかな社会』(現代書林)を脱稿。同書は今年の6月に刊行されました。

 

 

21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたと言ってよいでしょう。あの事件はイスラム教徒の自爆テロリズムによるものとされていますが、この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないということを誰もが思い知りました。世界における総信者数で1位、2位となっているキリスト教イスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教です。つまり、このユダヤ教キリスト教イスラム教の源は1つなのです。ヤーヴェとかアッラーとか呼び名は違っても、3つとも人格を持った唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典をいただく「啓典宗教」です。啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことです。おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とします。わたしは、21世紀を生きる上で、日本人はこの三大一神教についてより深く知ることが不可欠であると考え、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)を書き、3つの宗教ともに月信仰がベースにあることを突き止めました。

 

 

アポロの宇宙飛行士の中には、月面で神を感じた者もいたといいます。詳しくは、ブログ『月面上の思索』をお読み下さい。月から地球を見ると、かのエベレストでさえも地球の皺にしか見えないといいます。それと同じように、神という絶対的な存在にとってみればどんな権力者も貧乏人も民族も国籍も関係ありません。人間など、すべて似たようなものなのです。「アッラーの前には、すべての人間は平等である」と考え、イスラム教を月の宗教としたムハンマドは、このことにおそらく気づいていたのでしょう。月の視線は、神の視線なのです。アポロの宇宙飛行士たちは、まさに神の視線を獲得したのです。そして、すべての宗教がめざす方向とは、この地球に肉体を置きながらも、意識は軽やかに月へと飛ばして神の視線を得ることではないでしょうか。わたしには、そう思えてなりません。


考えてみれば、月はその満ち欠けによる潮の干満によって、人類を含めた生命の誕生と死を司っています。そして、月は世界中の民族の神話において「死後の世界」にたとえられました。世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。彼らは、月を死後の魂の赴くところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。

 

 

多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然でしょう。死なない人間はおらず、それゆえに死は最大の平等です。すべての人間が死後、月に行くのであれば、これほどロマンのある話はないし、そこから宗教を超えた人類の心の連帯が生まれるのではないでしょうか。そんなことを考え、わたしは『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)を書きました。すべての宗教を超え、地球上の人類は月を見上げるべきである。月を見よ、死を想え! 最古の月神シンの記憶を蘇らせよ!  それが「人類平等」「世界平和」への第一歩であると確信します。

 

 

月といえば、昨年、宗教哲学者の鎌田東二先生との共著『満月交心』(現代書林)を上梓しました。その「あとがき」で、鎌田先生は「コロナ騒ぎの渦中で『満月交心』と題するルナ問答を出す。その意味を考えざるをえない。コロナは太陽をかたどる高温ガス層である。もともとcoronaは『王冠』を意味したが、19世紀の初めに天文学者日蝕の際にも輝く太陽光のゆらめきをコロナと称した。コロナは太陽、ルナは月である。大きな違いは、コロナが昼の光となり、ルナが夜の光となること。そして、コロナがほぼ一定しているのに対して、ルナは満月から新月まで、有から無まで、見かけ上日々刻々とはっきりと変化している点である。それゆえ、太陽やコロナは普遍性や不動を象徴するが、ルナすなわち月は生成変化してやまない諸行無常の象徴となる。そんなルナ的諸行無常に見合う夜の時代の夜行行動様式の再編と再構築がもとめられているのかもしれない」と書かれています。

 

 

そう、「9・11」から19年が経過した今、わたしたち人類はコロナの只中にいます。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書いたように、新型コロナウイルスに人類が翻弄される現状が、わたしには新しい世界が生まれる陣痛のような気がしてなりません。こんなに人類が一体感を得たことが過去にあったでしょうか。戦争なら戦勝国と敗戦国があります。自然災害なら被災国と支援国があります。しかし、今回のパンデミックは「一蓮托生」です。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じかもしれません。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にする存在なのです。「9・11」で分断された世界がコロナによって連帯することを願ってやみません。

 

2021年9月11日 一条真也