対談には続きがある

一条真也です。
東京に来ています。感染者が過去最高となる534人となった日の翌日、20日の午前中、わたしは「勇気の人」ことベストセラー作家の矢作直樹氏と久々にお会いし、対談いたしました。

f:id:shins2m:20201120114356j:plain矢作直樹氏と

 

矢作氏はお変わりなく、元気そのものでした。2013年に刊行された矢作氏との対談本『命には続きがある』(PHP研究所)がこのたびPHP文庫化されることになり、「コロナ」をめぐって再対談することになったのです。対談の内容は、文庫に追加掲載されます。同書のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」です。当時の矢作氏は、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長でした。

 

この日は、「附章 新型コロナウイルス禍の中の生と死」として、特別章の対談が行われました。コーディネーターは前回同様に「出版寅さん」こと内海準二さんでしたが、以下のテーマに沿って対話が展開されました。
●コロナ禍で苦悩する社会
   ひっ迫する医療現場(矢作)
   儀式ができない現状(一条)
●変わる看取りと葬儀
   死に向かい合う医師たち(矢作)
   葬儀の意味が問われる儀式の現場(一条)
●変わる死生観
   死を見つめる時代(矢作)
   グリーフケアの重要性(一条)
●コロナ後の世界をどう生きる
   医療はいかに闘うのか(矢作)
   歴史に学ぶ知恵(一条)

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対談のようす

        

コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。拙著『儀式論』(弘文堂)でも訴えましたが、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか?
それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があるのです。

 

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

 

それから、「葬儀」の意味が見失われてきていることを力説しました。厚労省の「人口動態調査」によれば、自宅死と院内死がほぼ拮抗するのは1975(昭和50)年のことです。そのあたりを境に自宅死と院内死は逆転していきます。じつは、現在の直葬家族葬に代表される「薄葬」化はここから始まったと見られています。この当時、子どもだった人々は現在50代ですが、自宅で祖父母が亡くなった経験を持たないために、「死」や「葬」の意味を知らない世代だと言えるのです。いずれにせよ、1975(昭和50)年からは院内死は増え続け、自宅死は減り続けて、現在では院内死が75パーセント、自宅死が10パーセント強となっています。

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対談のようす

 

また、医療人である矢作氏の姿を久々に拝見して「人の道」ということを思い起こしました。ブログ『コロナの時代の僕ら』で紹介した本で、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノは、最後に「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書いています。これを読んで、わたしはアンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想しました。この短い物語には2つのメッセージが込められています。

 

1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第一のメッセージでしょう。では、第二のメッセージは何か。それは、少女の亡骸を弔ってあげなければならなかったということです。行き倒れの遺体を見て、そのまま通りすぎることは、人として許されません。死者を弔わなければなりません。そう、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。今回のコロナ禍は、改めてそれを示したのです。

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対談を終えて

 

コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。以上のようなことを、わたしは語りました。久々に、矢作直樹氏と存分に語り合えて至福のひとときでした。この最新対談が追加されたPHP文庫版『命には続きがある』は、来年2月4日に発売予定です。どうぞ、お楽しみに!

 

 

2020年11月20日 一条真也