「マーウェン」

一条真也です。
東京に来ています。24日は全冠協の講演で、26日は互助会保証の監査役会と取締役会です。間の25日はいろいろと打ち合わせを行い、夜は日比谷のTOHOシネマズシャンテで映画「マーウェン」を観ました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「心身に傷を負いながらもカメラマンとして認められた男性の実話を、ロバート・ゼメキス監督が映画化したヒューマンドラマ。リンチを受けて後遺症に苦しむ主人公が、フィギュアの撮影を通して再生していく姿を描き出す。主演を『フォックスキャッチャー』などのスティーヴ・カレルが務め、レスリー・マンダイアン・クルーガー、メリット・ウェヴァーらが共演を果たした」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「マーク・ホーガンキャンプ(スティーヴ・カレル)は、5人の男に暴行され、9日間の昏睡状態から目覚めたときには自分の名前がわからず、満足に歩くこともできなくなっていた。脳の障害とPTSDを負ってセラピーを受けられないマークは、リハビリのためにフィギュアの撮影を始める。自宅の庭に第2次世界大戦時の村という設定のミニチュアを作って撮ったフィギュアの写真が評価されるようになり、やがてマークは暴行事件の裁判で証言することを決める」

 

この映画は、ヘイトクライム被害者の実話に基づいています。ブログ「ある少年の告白」で紹介した映画と同じく、観客にLGBTQについての理解を求める内容だと思いました。もっとも、「ある少年の告白」の場合は性同一性障害がテーマでしたが、「マーウェン」の場合は男性がハイヒールを履くという女装趣味が重要な主題になっています。ハイヒールといえば、ブログ「Lemon」で紹介した名曲のMVを思い出します。このMVには、無表情で踊る謎めいた女性ダンサーが登場します。彼女の存在に周囲の人々が気づいていない様子であることから、彼女はすでにこの世の者ではない存在、すなわち霊であることがわかります。教会の椅子に腰かけ歌を捧げる米津玄師も、目の前まで女性ダンサーが近づいているのに無反応です。そして、彼はなんとハイヒールを履いているのです。

 

男性がハイヒールを履くというのは異様な光景のように思えますが、音楽ライターの蜂須賀ちなみ氏は、以下のように述べています。
「切り分けた果実を分け合うように、米津は、その女性と同じハイヒールを履いていた。諸説あるが、ハイヒールは中世のヨーロッパで汚物を踏まずに歩くために生み出された靴であり、そうではなくとも、現代では、毅然とした姿勢で歩いていく女性を表すモチーフとして様々な作品内で用いられている。ゆえに米津の履くあのハイヒールは、『あなた』のことを忘れられない気持ちと悲しみに塗れた道の上でも『歩いていかなければ』というまっすぐな意思、両者の間における葛藤の象徴なのではないだろうか」

f:id:shins2m:20190323212649j:plainハイヒールを履く理由は?(「Lemon」MVより)

 

「マーウェン」に話を戻しますが、イラストレーターのマーク・ホーガンキャンプは、地元のバーで女装趣味があることを5人の若者に明かします。そのため、店の外で彼らから襲撃され、瀕死の重傷を負ってしまいます。そのダメージは大きく、脳の障害により成人後の記憶をほぼ失うのでした。また、手の震えとPTSDで仕事ができず、公的補助も打ち切られます。生きるために、マークは自己流のセラピーを編み出すのですが、それは自分や友人たちに似たアクションフィギュアとバービー人形を買い集め、第二次大戦下のベルギーの架空の村「マーウェン」を舞台に、マーク自身を投映したホーギー大尉と女性闘士たちがナチス親衛隊と戦う姿をカメラで撮影するというものでした。

 

このマークの自己流セラピーについて、映画評論家の高森郁哉氏は「映画.com」で、「本作の白眉はやはり、俳優たちをモーキャプしてからフィギュアのルックにCG描画されたキャラクターたちが、戦闘やロマンスを繰り広げるマーウェンでのシークエンスだろう。マークによるマーウェンの創造は、箱庭療法にも似てミニチュアの空間に自らの心象を投映した物語を構築する行為であり、再び大人になり自己を回復するための通過儀礼でもある。それが実写で映像化された世界は、観る者を童心に返らせ、ノスタルジーを喚起する」と述べています。
たしかに、わたしも幼少の頃は人形遊びに興じたものですが、今から思えば濃密で魅力的な時間でした。ウルトラマン仮面ライダータイガーマスクのソフビ人形、マジンガーZの超合金フィギュア、さらには変幻自在のサイボーグ1号やキングワルダー1世の半透明で体内が透けた人形を使って、自分なりの物語を紡いでいったものです。

 

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

 

 

フィギュアや人形を使って傷ついた心を慰めるマークの姿を見て、わたしはブログ『対象喪失』で紹介した本の内容を思い出しました。1979年に刊行された本ですが、今でも増刷され続け、多くの人々に読み継がれている名著です。故人である著者は日本のフロイト研究の第一人者であり、精神医学の臨床医でもありました。同書の「付記」の最後には、「移行対象」について以下のように書かれています。
「移行対象――対象喪失の際に、人間の心が頼りにする重要な対象は、移行対象である。たとえばそれは人形であり、ぬいぐるみであり、ペットであり、ひいては芸術作品である。これらは本来は物体であり、その意味では失う恐れのない不死の存在である。この物的な対象について、人間的な対象に対するのと同様の愛着や欲望を向け、それを頼りにする心理は、一種の錯覚現象である。しかし人間は、この錯覚によってつくりだした移行対象とのかかわりによって、人間的対象によってはえられない全能感をみたし、永遠の占有感を味わう。しばしばそれは遊びの世界を形成する手段となる。この移行対象の世界をもつことによって、人びとは対象喪失の悲哀を、和らげ推敲し、コントロール可能なものに仕上げていく」

 

この「ぬいぐるみ」や「ペット」や「芸術作品」でいったん満たされぬ愛着や欲望を緊急避難させておいて、ゆっくりと「喪の仕事」を行うという方法は、きわめて実践的です。著者は「この点について本書は、部分的に取りあげる機会はあったが、もっと組織的な考察を行なうことによって、対象喪失に関する新たな世界が提示されるであろう」と書いていますが、40年近くが経過した今では、何らかの新しい学問的成果も得られているはずです。上智大学グリーフケア研究所の特任教授で宗教哲学者の鎌田東二先生にそのことをお尋ねしたら、心理学者のウィニコットなどがまさに研究した問題だそうです。

 

「マーウェン」という架空の村で繰り広げられる日々を撮影したマークの写真は不思議な魅力を放ちます。彼の写真はニューヨークで個展が開かれるほど評判を呼ぶのですが、そうした経緯を収めたドキュメンタリー「Marwencol」がテレビ放映されます。それを偶然目にしたのが、ロバート・ゼメキス監督でした。

 

ゼメキス監督の代表作といえば「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1994年)です。人より知能指数は劣るけれど、純真な心と周囲の人々の協力を受けて数々の成功を収めていく「うすのろフォレスト」の半生を、アメリカの1950~80年代の歴史を交えながら描いたヒューマンドラマで、トム・ハンクスが主演し、第67回アカデミー賞「作品賞」ならびに第52回ゴールデングローブ賞「ドラマ部門作品賞」を受賞しました。「フォレスト・ガンプ 一期一会」も、「マーウェン」も、知的障害のあるイノセントな主人公と周囲の人々との交流が描かれており、そこには人間への限りない愛情が溢れています。なんとも独特の味わいを持つ映画で、好き嫌いは分かれるでしょうが、切実な悩みを抱えている人にぜひ観てほしいですね。

 

2019年7月26日 一条真也

全冠協講演

一条真也です。
東京に来ています。
24日の東京は気温が30度以上あって暑かったです。湿度も高く、外に出ると汗が出ました。この日、冠婚葬祭互助会の業界団体である全日本冠婚葬祭互助支援協会(全冠協)主催の講演会が大塚の「ホテル・ベルクラシック東京」で開かれました。

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ホテル・ベルクラシック東京の前で
f:id:shins2m:20190724125225j:plainホテルの入口で

 

全冠協さんといえば、わたしが会長を務めた全互連のライバル団体とされていますが、中心的存在の(株)ベルコさんや渡邊会長が経営される(株)メモワールさんをはじめ、拙著を御購入いただいている互助会さんが多く、大変お世話になっています。今回の講演は、全冠協の研修委員長である(株)メモリードの吉田社長から依頼を受けました。全互協の斎藤前会長の御指名であると伺い、迷わず講演させていただくことにしました。正直、もっとアウェー感があるかと思っていたのですが(笑)、そんなことはまったくありませんでした。みなさん、とてもフレンドリーに接して下さいました。

f:id:shins2m:20190724140833j:plain全冠協・渡邊会長の挨拶でスタート

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モリード・吉田社長の挨拶

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第一部は島薗進先生の講演でした

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非常にわかりやすい内容でした

 

講演会は14時からでしたが、まずは全冠協の渡邊会長の挨拶があり、東海互助会の大林社長、メモリードの吉田社長の挨拶の後、講演会が開始されました。講演会の第一部は、上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長が「葬祭の縮小とグリーフケアの興隆~死生の文化の変容のなかで」をテーマに講演をされました。冒頭、「一条さんのお友達の島薗です」と言われたので、驚きました。恐縮です!
島薗先生のお話はもう何度も拝聴していますが、今回は互助会の葬祭スタッフ向けということもあり、わたしも互助会の経営者として非常に勉強になりました。日本における宗教学の第一人者だけあって、島薗先生の講演は広範囲にわたるものでした。葬儀も、グリーフケアも、宗教と無縁で語ることはできません。

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全冠協のみなさん、こんにちは!

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講演会のようす

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わが葬儀四部作について

f:id:shins2m:20190724155349j:plainすべては1991年に始まった①

 

次に第二部として、わたしが「なぜ葬儀は必要か」をテーマに講演しました。わたしは、まず、「すべては1991年から始まった」という話をしました。現代日本の葬儀に関係する諸問題や日本人の死生観の源流をたどると、1991年という年が大きな節目であったと思います。宗教学者島田裕巳氏も1991年が日本人の葬儀を考える上でのエポックメーキングな年であると述べていましたが、わたしもまったく同意見です。まさにその年に島田氏の『戒名』(法蔵館)と拙著『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)が刊行されました。ともに既存の葬式仏教に対して大きな問題を提起したことで話題となりました。その他にも「死」と「葬」と「宗教」をめぐって、さまざまな問題が起こりました。

f:id:shins2m:20190724155457j:plainすべては1991年に始まった②


「死」においては、脳死問題をはじめ、安楽死尊厳死臨死体験と、人の死をめぐる議論がヒートアップしました。91年3月には作家立花隆氏のレポートによってNHKテレビで「臨死体験――人死ぬとき何をみるか」が連続放映され、すさまじい臨死体験ブームが巻き起こりました。また92年1月には、脳死臨調が「脳死は人の死」として臓器移植を認める最終答申を当時の宮沢首相に提出し、さまざまな論議を呼びました。「葬」においては、海や山などへの散灰を社会的に認知させる「自然葬」運動によって、法務省が条件つきで「散灰」を認めました。91年2月に「葬送の自由をすすめる会」が発足しています。また、レーザー光線にスモークマシン、シンセサイザーなどを駆使した「ハイテク葬儀」も登場しました。散灰というローテク葬儀とショーアップされたハイテク葬儀は、まったく正反対のべクトル上にあり、この二つが同時期に話題となったことは非常に興味深いと思いました。

f:id:shins2m:20190724155042j:plain宗教界の動きについても説明しました

 

「宗教」においては、91年1月にはオウム真理教が「救済元年」を宣言して、暴走し始めました。2月には創価学会が「学会葬」を開始し、11月には日蓮正宗創価学会およびSGIを波紋しています。そして、12月には幸福の科学が東京ドームにおいて第1回「エル・カンターレ祭」を開催しました。その他、宜保愛子というスーパースターの出現による霊能ブーム、チャネリングやヒーリングなどの精神世界ブームも忘れることはできません。これらの「死」と「葬」と「宗教」にまつわる話題は連日マスコミでも取り上げられ、いずれも社会的に大きな関心を集めました。それにしても、これだけの現象がわずか1年の間に集中したのです。改めて、人々の死生観を中心とした価値観が大きな地殻変動を起こし始めたということがわかります。

f:id:shins2m:20190724155642j:plain葬式は、要らない?

f:id:shins2m:20190724160136j:plain「永遠の0」対決

 

それから、わたしは「0葬」について話しました。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。わたしは宗教学者島田裕巳氏が書いた『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)に対して、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)を書きました。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。かつて、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。今回は、戦いの第2ラウンドということになります。そして、島田氏とは『葬式に迷う日本人』(三五館)という共著も出しました。

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最初で最後の直接対決!

f:id:shins2m:20190724155855j:plain「薄葬」の流行

 

ナチスやオウムは、かつて葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。今年になって、「イスラム国」と日本で呼ばれる過激派集団が人質にしていたヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼き殺しました。わたしは、葬儀を抜きにして遺体を焼く行為を絶対に認めません。しかし、イスラム国はなんと生きた人間をそのまま焼き殺したのです。現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。 しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。

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冠婚葬祭は文化の核

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葬儀の5つの役割

 

葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。

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悲しみへの対応(グリーフケア

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唯葬論について

 

さらに、わたしは『唯葬論』(三五館)を上梓しました。同書のサブタイトルは「なぜ人間は死者を想うのか」です。わたしのこれまでの思索や活動の集大成となる本です。わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。

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葬儀は「物語」の癒し

 

 葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなるように思えてなりません。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20190724161911j:plain水を器に入れて安定させる

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「かたち」の別名は「儀式」である

 

水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器という「かたち」です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」はどこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。

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グリーフケアの核心

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「また会えるから」のPVを流しました

   
わたしは『儀式論』(弘文堂)を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人だけでなく、わたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。

f:id:shins2m:20190724164610j:plain最古にして現在進行形の営為

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「礼欲」の発見

じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。

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ここで、質問です!

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結論を述べると、大きな拍手が起こりました

 

最後に「葬祭業ほど価値のある仕事はありません。みなさんは最高の仕事をされているのです。これからも、この仕事に誇りを持たれて、多くの方の人生の卒業式のお手伝いをされて下さい」と述べて講演を終えると、盛大な拍手を頂戴して感激しました。

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講演後、質問をお受けしました

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2人目の質問をお受けました

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最後に「禮鐘の儀」のPVを流しました

 

講演後は、質疑応答です。葬儀とグリーフケアに関する鋭い質問を2つお受けしました。わたしは真摯にお答えさせていただきました。少し時間が余ったので、葬儀のアップデートの実例として、わが社の紫雲閣で行っている「禮鐘の儀」のPVを流して紹介しました。そして、わたしは「葬祭業は不滅の産業ですが、このままで良いわけではありません。儀式というものは初期設定とともにアップデートが必要です。これからも、みんなで知恵を合わせて、新しい令和の時代の葬儀を創造していきましょう!」「本日は、みなさんにお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました!」と述べましたが、再び盛大な拍手を受けて感激しました。

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懇親会の冒頭で挨拶する博善社の松丸社長

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懇親会で乾杯の音頭を取るレクストの金森社長

 

その後、懇親会にも参加させていただいて、全冠協のみなさんと親睦を図らせていただきました。懇親会の終了後も、レクストの金森社長(全互協副会長)のご厚意で、深夜まで美味しいお酒を飲ませていただきました。金森社長はいつも大人のジョークを言われていて、とにかく楽しくて面白いイメージの方だったのですが、じつは孔子の思想にも造詣が深いことを知り、感銘を受けました。レクストさんの社内報でも「仁」や「礼」について書かれており、わたしも拝読いたしました。また、「EARTH」や「ART」の真の意味、さらには葬儀が究極の直接芸術であるというわたしの考えに共鳴して下さり、嬉しかったです。金森社長、今夜は大変御馳走になりました。おかげさまで有意義かつ楽しい夜を過ごすことができました。ありがとうございました!

 

2019年7月25日 一条真也

『安岡正篤活学一日一言』

安岡正篤 活学一日一言 (致知一日一言シリーズ)

 

一条真也です。
東京に来ています。吉本興業の問題などでパワハラについて考えていたら、「人の道」について学び直したくなりました。そこで、『安岡正篤活学一日一言』安岡正泰監修(致知出版社)を再読しました。ブログ『安岡正篤一日一言』で紹介した本の続編です。数多い著書から実子によって選び抜かれた言葉が集められています。「己を修め、人を治める」というサブタイトルがついています。


本書の帯

 

帯には「没後30年 なおその教えは輝きを放つ」と書かれています。
「まえがき」には、安岡正篤の子息である監修者の正泰氏が、「本を読むことについて、馬上・枕上・厠上という至言があります。私達はまことに多忙な毎日を送っておりますが、どんなに忙しい人でも寸陰はあるものです。通勤途上、寝る前、トイレの中で善い書物を読む。これが読書三上の意味ですが、たしかにこの短い時間の積み重ねが人生を豊かにするものではないかと思います」と述べています。
さらに、安岡正泰氏は「東洋哲学、思想に裏打ちされた父が説く不変なる人間学、人物学の原点は帰するところ我づくりであり、人づくりであると思います」と述べます。それでは、わたしの心に強い印象を残した「東洋哲学の巨人」の言葉を以下に紹介したいと思います。

 
◇自分の力
人と生まれた以上、本当に自分を究尽し、修練すれば、何十億も人間がおろうが、人相はみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。これを「運命学」「立命の学」という。これが東洋哲学の一番の生粋である。

 
◇教育の力
明治維新の志士達が10代・20代ですでに立派な心がけや思想と風格を持ち、堂々と活躍をしたが、それも実はあえて異とする事ではないのである。それは彼等の幼少時代からの教育がそうあったので、学問修行が相待てば普通人に出来ることなのだ。

 

◇立志とは求道心
志がありさえすれば、貧乏も、多忙も、病弱も、鈍才も、決して問題ではないのであります。立志は、言い換えればわれわれの旺盛なる理想追求の求道心であります。この道心・道念を失うと、物質的な力、或は単なる生物的な力に支配される様になる。

 

◇歴史を学ぶ
「歴史は過去の例証からなる哲学である」という西洋の学者の名言がございますが、確かにその通りでありまして、現代のいろいろの出来事も、歴史を見ればちゃんと類型のことが書いてある。だから現代を知ろうと思えば、どうしても歴史を学ばなければならない。丁度裁判において過去の判例を参考にしなければならぬのと同じでありまして、人間界の出来事は先ず以て歴史の実例を参考にすることが一番大事なことであります。

 

◇人間の尊さ
人間の尊さは安らかな環境に安逸を貪ぼることではなくて(そんなことをすれば直ぐに堕落します)、各人の内に与えられておる無限の知性や徳性・神性を徹見し、開拓して、人格を崇高にし、人類文明を救済し発達させる努力にあるのであります。

 

◇事上錬磨
身心の学を修める上で忘れてならないことは、事上錬磨ということであります。それはわれわれが絶えず日常生活の中でいろいろな問題について自分の経験と知恵をみがいてゆかねばならぬことです。己を修めないで人を支配しよう、人を指導しようと思っても、それは無理というものです。

 

◇真の社会
真の社会はあくまでも人間生活の天地でなければならぬ。人々各々人となり、人を知り、人を愛し、人を楽しむ社会でなければならぬ。

 

◇なくてはならぬ人
賢は賢なりに、愚は愚なりに1つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて、世のため、人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。

 

◇文明発達の原理
儒教は、最も現実に即した倫理及び政治に関する教であり、人間の倫理を、根本的に君と臣・親と子・夫と婦・長と幼・朋友相互の五種の関係に分類し、この倫理を通じて道徳が実践せられる処に文明が発達する。

 

儒教と仏教
儒教の言葉は冷厳だが、仏教の言葉は情味がある。
前者は仁義の学問。後者は慈悲の学問。

 

◇道を学ぶ
やはり人間に大事なことは、真人間になるということです。真人間になるためには学ばなければいけない。人間の人間たる値打は、古今の歴史を通じて、幾多の聖賢が伝えてくれておる道を学ぶところにある、教を聞くところにある。これを措いて頼り得るものはない。イデオロギーも法律も、科学も技術も、長い目で見ると、何が何だかわかるものではない。

 

◇時順
時順という言葉があるが、順は阿ることではなく導くの意がある。改革も時に順ずれば維新となり、時に順じなければ破壊となる。

 

◇人間観察の意義
人間は造化が何千万年何億年かかって、勤労の結果、かくの如く真善美を解し、これを希う者として地上に生まれ出でたのである。これを思えば、我々は人間に対しておのずから敬虔に、かつ温裕なるべきが道である。我々は人間のあらゆる心境をこまやかに観察することによって、着実慎密に、しかしできるだけ雄大荘厳な理想を抱かねばならない。

 

◇教養
人間、学ばぬと真実がわかりません。そういう人生の生きた問題を解決することのできる正しい学問を身につける、というのが教養というものであります。そしてそこからさらに進んで、人間というものの本質、それから生ずる根本義について、明確な概念あるいは信念を持つことが大事であります。

 
◇相棒
物事を研究する秘訣は、相棒を見つけることだ。相棒は人間でも書物でもよい。自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる。

 
◇愛読書
本も愛読書は慣れてみると血が通うというか、心が通う。書物が本当に生き物のようになる。長く親しんだ愛読書というものは、これは実に楽しいもので、まさに親友と同じものになる。おもしろいもので、心から読む、心読すると書物が生きてくる。

 

◇人間の三原則
われわれ人間には3つの原則があります。
第一は自己保存ということ。
身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。
第二は種族の維持・発展ということ。
腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。
第三には無限の精神的・心理的向上。
人間は他の動物と違って、精神的に心霊的に無限に向上する。
所謂上達するように出来ている。

 

◇学問の本質
人間生活があらゆる面で便利になるにつれて、思想だの学問だのというものも普及すればするほど通俗になります。しかし本当の学問は、自分の身体で厳しく体験し実践するものであります。この意味が本当に理解されて初めて活学になります。

 

◇義と礼
義に走って礼を忘れると偏屈になる。義を忘れて礼に拘わると卑屈になる。

 

◇徳を好む
食を欲し、色を好む様なことは、未だ人間の一般的な低い性能に過ぎない。徳を好むに至って始めて人に高き尊き大いなる生があるのである。我等世紀末の人間は性能の低きに走って、この徳を好むことが出来ない。才を愛し得ても徳を解しない。

 
◇人間の矛盾
老いねば本物にならぬが、本物になる頃は最早人生の終点だ。この矛盾が人間の悲劇である。

 

◇すべては心に帰す
政治的な問題も、社会的な問題も、つきつめれば心の問題に帰する。ということは識見や信念の問題になるということで、従って世の中が難しくなればなるほど、われわれは平生に於て心を練っておくことが大事であります。

 

◇人間の条件
これがなければ人間は人間でない、というものが本質であって、結局それは徳性というものである。人が人を愛するとか、報いるとか、助けるとか、廉潔であるとか、勤勉であるとか、いうような徳があって初めて人間である。又その徳性というものがあって、初めて知能も技能も生きるのであります。

 

◇人類の義務
常に、いつまでも自から維新してゆくことが、冥々の間に定められた法であり、真理であります。われわれは単に古い物を読むというのではなく、古人の教にかんがみて日々過を改めてゆかなければならない。そうして新しい自分、新しい国家・民族、新しい世界を開いてゆく。これが今日のわれわれ人類に課せられた義務であります。

 

安岡正篤 活学一日一言 (致知一日一言シリーズ)

安岡正篤 活学一日一言 (致知一日一言シリーズ)

 

 

 2019年7月24日 一条真也

吉本興業社長の会見に思う

一条真也です。
23日、東京に来ました。諸々の打ち合わせがあるのと、翌24日は全冠協主催の講演会が「ホテル・ベルクラシック東京」で開かれ、そこで講演します。26日、互助会保証の監査役会と取締役会に参加してから、北九州に戻ります。
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「日刊スポーツ」2019年7月23日号

 

さて、ブログ「宮迫&亮の会見に思う」で紹介した「雨上がり決死隊」の宮迫博之と「ロンドンブーツ1号2号田村亮が都内で開いた謝罪会見を受けて、22日に吉本興業の岡本昭彦社長が5時間30分を超える会見を行いました。それまでの闇営業問題から「吉本興業の内部事情」に世間の関心がすり替わった感があります。もちろん、わたしは長い会見を全部は見ていませんが、その主要部分を見て、いろいろと思ったことがあります。
まず、話題的に参議院選挙を殺してしまったこと。選挙の前日に宮迫&亮会見、翌日に吉本興業社長会見と、「わざとかいな!」と言いたくなるほどの見事なサンドイッチ殺法でした。国政選挙よりもお笑い界のスキャンダルを優先して取り上げるテレビ局も情けないですが、それを夢中で観る日本人に対しても「大丈夫か?」「もっと大事なことあるよ!」と言いたくなりますね。まあ、わたしもその1人ですが・・・。

 

政治とお笑いといえば、最近の吉本興業は官邸とベッタリです。ブログ「『桜を見る会』に参加しました」で紹介したように、今年4月13日、わたしは新宿御苑を訪れ、安倍総理主催の「桜を見る会」に参加しました。春の風物詩と言える行事ですが、参加している吉本芸人のあまりの多さに驚きました。同月、安倍首相は大阪市中央区にある吉本のお笑い劇場「なんばグランド花月」の舞台に現役首相として初登壇。6月6日には吉本芸人と官邸で面会するなど、「蜜月ぶり」をアピールしています。

 

第2次安倍政権発足後の13年に設立された官民ファンド「クールジャパン機構」(東京)も吉本と深い関係にあります。政府が約586億円出資する機構は14年と18年の2回、計22億円を吉本が関わる事業へ出資。さらには吉本などが参画した新会社が手掛ける「教育コンテンツ等を国内外に発信する国産プラットフォーム事業」へ最大100億円も出資するといいます。こういったこともあって、岡本社長も「俺は特別な人間や」という特権意識のようなものを持っているのでしょうか? 

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「スポーツ報知」2019年7月23日号

 

それにしても、岡本社長の会見は「?」でした。
「涙には涙を」とでも思ったのか、会見中に声を詰まらせたり、ハンカチで目を拭いたりといった行為は御愛嬌としても、5時間30分とは長すぎますよ。危機管理広報コンサルティング会社「エイレックス」の江良俊郎社長は、「長時間の会見だったが、かえって企業イメージを損ない、傷口を広げてしまった印象だ」と感想を述べています。宮迫&亮の会見は、闇営業からブラック企業問題に論点をすり替えることに成功したので作戦勝ちだと言えますが、一方の岡本社長の会見は「策士、策に溺れる」というか、作戦が完全に裏目に出たようですね。だいたい、「時間無制限」って、バーリ・トゥードの試合に挑むグレイシー一族じゃあるまいし!(苦笑)

 

その長い長い会見で、岡本社長の誠意が示せたかというと、まったく逆でした。「テープ回してないだろうな」という発言は冗談のつもり、「連帯責任で全員クビ」は身内感覚で発言、などと釈明しましたが、こんなこと誰が納得するでしょうか。自らのいじめを苦にして相手が自殺したら、「冗談だったのに」と言い訳するいじめっ子と同じではないですか。また、「笑い」を言い訳に使うところもダメですね。お笑い会社の社長でありながら、お笑いを冒涜しています。わたしが、嫌がらせで誰かの葬式ごっこをするのと同じことですよ。もちろん、わたしはそんな馬鹿なことはしませんし、葬儀という営みを何よりも大切に思っています。明日の全冠協での公演では、「葬祭業ほど素晴らしい仕事はない」ことを訴えるつもりです。

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「スポーツ報知」2019年7月23日号 

 

岡本社長の会見での発言内容に対して、吉本の芸人たちは猛反発しました。「極楽とんぼ」の加藤浩次などは、「会長も社長も辞めないなら、自分が辞める」とまで言っています。「ハリセンボン」の近藤春菜も会見を振り返り、「世間にこういう社長なんだと。芸人がなぜ声をあげていたかっていうことが、この会見を見て頂ければ分かったと思うんです。一般の方、見ている方に託す部分もありますけれど。それが伝わったっていうのは、この会見をやって良かったことだと思います」と述べていますし、岡本社長と大崎洋会長が減俸50パーセントを1年続ける処分には「正直、痛くもかゆくもないと思うんです」と言いました。

 

加藤浩次近藤春菜だけでなく、友近千原せいじ・・・さらには他にも吉本興行の現体制を批判する吉本芸人は多いです。それにしても、これだけ、所属タレントが会社の悪口を言う芸能事務所というのも前代未聞でしょう。元SMAPの「新しい風」の3人も、ジャニーズ事務所の批判など一切口にしないで退所していきました。
もはや吉本興業は、選手が脱退し続けた昭和の新日本プロレス大山倍達総裁の死後に分裂を繰り返した極真会館でも見られなかったほどの前代未聞の内部崩壊組織ではないでしょうか。ちなみに、大崎会長も岡本社長もダウンタウンのマネージャー出身だそうですが、岡本社長は会見で松本人志のことを「松本さん」と呼んでいました。社長と所属芸人の立場が逆ですが、新生UWFでいえば、松本人志前田日明、岡本社長が神社長みたいな存在なのかもしれませんね。

 

 

岡本社長の会見は、一部では、日大アメフト部の危険タックル会見以来の「失敗会見」と言われているそうです。たしかに、5時間30分に及ぶ長い長い会見で、岡本社長は語るべきことを語らなかったように思います。日常的にも、部下を恫喝したり、くだらない冗談を言うばかりで、大したことは語ってこなかったのでしょう。ソフィアバンク代表の田坂広志氏によれば、経営者の究極の役割とは、力に満ちた言葉、すなわち「言霊」を語ることであるといいます。社員の心を励ます言葉。マネジャーの胸を打つ言葉。経営幹部の腹に響く言葉。顧客の気持ちを惹きつける言葉。そうした言霊の数々を語ることこそ、経営者の役割なのです。

 

孟子 全訳注 (講談社学術文庫)

孟子 全訳注 (講談社学術文庫)

 

 

孟子は、「吾れ言を知る」と言いました。
そして、その「言」を4つ挙げています。
1つは、ひ辞。偏った言葉。概念的・論理的に自分の都合のいいようにつける理屈。2つ目は、淫辞。淫は物事に執念深く耽溺することで、何でもかんでも理屈をつけて押し通そうとすることである。3つ目は、邪辞。よこしまな言葉、よこしまな心からつける理屈。4つ目は、遁辞。逃げ口上である。つまり、これら4つの言葉は、リーダーとして決して言ってはならない言葉なのです。

 

 

では、リーダーは何を言うべきか。それは、真実です。拙著『孔子とドラッカー新装版』(三五館)でも述べましたが、リーダーは第一線に出て、部下たちが間違った情報に引きずられないように、真実を語らなければなりません。部下たちに適切な情報を与えないでおくと、リーダーが望むのとは正反対の方向へ彼らを導くことにもなります。そして説得力のあるメッセージは、リーダーへの信頼の上に築かれます。信頼はリーダーに無条件に与えられるわけではありません。それはリーダーが自ら勝ち取るものであり、頭を使い、心を込めて、語りかけ、実行してみせることによって手に入れるものなのです。

 

ハートフル・カンパニー―サンレーグループの志と挑戦

ハートフル・カンパニー―サンレーグループの志と挑戦

 

 

信頼できるリーダーとは、組織の利害の最も良き体現者であることを身をもって示し、自分は部下たちへの奉仕者だと考えます。そして、部下たちの成功を願って、彼らが必要とするものを与えます。こうした上司は、自らの評価は部下の1人ひとり、あるいは部門全体が成し遂げた成果によって決まると知っています。だから、部下の1人ひとりや部門に対する厚い支援を惜しまないのです。信頼できるリーダーのメッセージには説得力があると言われます。この説得力のレベルは、リーダー個人の資質にもよりますが、そのリーダーが組織でどれほどの地位を占めているかにもよります。またそれは、組織の健康状態の指標でもあります。組織の健康はリーダーの大切な資質の1つである「コミュニケーション力」から作られるからです。リーダーが人々を引っ張っていく根本は、コミュニケーション力にあるのです。

 

ホスピタリティ・カンパニー

ホスピタリティ・カンパニー

 

 

リーダーにふさわしいコミュニケーション力は、組織の価値観や文化に根ざしています。そして、社員、顧客、株主にメディアに至るまで組織に関わる人々にとって意義のあるメッセージから生み出されます。それには、組織の理念と使命と変革への意志が込められていなければなりません。リーダーのメッセージは、部下とのあいだに信頼関係を打ち立てるために発揮されます。その内容には次の4つの要素が備わっている必要があります。まず、意義です。人材、生産性、商品など、組織の現在と未来に関わる大きな課題について言及されていること。次に、価値観。組織の理念としてのビジョン、なすべき使命としてのミッション、それに文化が盛り込まれていること。3つ目は、首尾一貫性。言行が一致していること。そして4つ目は、メリハリ。一定の規則をもって語られることです。

 

ミッショナリー・カンパニー

ミッショナリー・カンパニー

 

 

説得力のあるメッセージは、リーダーシップを発揮することで生み出されます。それは、リーダー個人の資質だけでなく、組織の価値観を体現しています。その組織がどれだけ開かれているか、まとまりがあるか、透明度が高いかなど、すなわち、組織文化・組織風土の表れでもあるのです。ドラッカーも言うように、リーダーのコミュニケーション力は、情報を伝えることよりも、ある組織文化のなかでの一体感、親近感を生み出すために役立ちます。最後に、リーダーは部下に向けて、さまざまな場で繰り返しメッセージを語り、リーダーが何を期待し、組織が何を望み、それに対して部下は何をすべきかの理解を求めるべきです。そうすれば、リーダーと部下たちは相互理解に基づいた連帯感をつくり上げ、相互信頼によって一丸となり、組織のゴールをめざすことができるでしょう。今回の岡本社長の会見から、わたしはリーダーの使命というものを再確認することができました。その意味では、岡本社長に感謝したいと思います。

 

2019年7月23日 一条真也

『「易経」一日一言』

「易経」一日一言 (致知一日一言シリーズ)


一条真也です。
『「易経」一日一言』竹村亜希子編(致知出版社)を読みました。「人生の大則を知る」というサブタイトルがつけられています。帯には「変化を読みとり 活路を開く知恵ここにあり」「5000年読み継がれてきた人生のバイブル」と書かれています。


本書の帯

 

易経』は、儒教の重要書物としての「四書五経」の1つ。
四書は『大学』『中庸』『論語』『孟子』、五経は『詩経』『書経』『礼記』『春秋』、そして『易経』です。
易経』は、前700年頃に書かれた古代の占術理論書です。もともとは『周易』と呼ばれており、『易経』と呼ばれるようになったのは宋代以降のことです。64卦を説明する『経』とその解説の『十翼』で構成されており、 十翼は、卦に関する『彖伝』上下、爻に関する『象伝』上下、用語を説明する『繋辞伝』上下、乾坤二卦に関する『文言伝』、配列を説明する『序卦伝』、八卦 を説明する『説卦伝』、対比を説明する『雑卦伝』から構成されています。

 

本書の「まえがき」で、編者の竹村亜希子氏が述べます。
「『易経』は、占筮の書として発展した書物ですが、古代中国の君主がこぞって学んだ帝王学の書でもあります。その理由は、『君子占わず』。この書物をよく学んだならば、占わずして時の変化の兆しを察する洞察力、直観力を身につけることができるからです。占筮の書であるだけに、時の変化を見抜くことに特化して、『時と兆しの専門書』ともいうべき書物なのです。昨今の世界経済の動向をみても、これからの時代は、より一層、変化を読み取り、対応する術を見出すための学問が必須と思います」
特に、わたしの心に印象深かった言葉を以下に紹介したいと思います。なお、説明文はすべて竹村亜希子氏によるものです。

 

◇元は善の長なり。君子は仁を体すればもって人に長たるに足り。
(文言伝)
「元」は万物の始まり。善の最たるものである。
春夏秋冬にあてはめると「春」。すべてが始まり、芽吹いていく時期である。人間の道徳にあてはめると「仁」。慈しむ心こそが善の長たるものである。思いやり、慈しみをもって育てる。そこには私心がなく、何も見返りを求めようとしない。これを仁愛の精神という。仁を体得してはじめて人々を導く者、「人に長たる者」となれる。

 

◇亨は嘉の会なり。
会を嘉すればもって礼に合うに足り。
(文言伝)
「亨」は大いに伸びること。季節でいえば百花草木が勢いよく生長する「夏」。また、「嘉」は悦び、「会」は集まる。人や物事が集まり、豊かに伸び栄えていく。皆が悦ぶように物事を進めれば、個と全体がうまく調和し、社会が治まっていく。「礼」というと礼儀作法が頭に浮ぶが、それは小さな解釈。大きくは社会をまとめる情理・筋道、具体的には法律・秩序・制度などを表す言葉である。

 

◇利は義の和なり。物を利すればもって義を和するに足り。
(文言伝)
「利」は実りの時。春夏秋冬では「秋」。「利」には刀で刈る、利益などの意味もあるように、秋の刈り入れは実だけを収穫し、あとのものは切り捨ててしまう。これは私情・私欲を厳しく断ち切って宜しき実りを得ることを指す。人間の道徳にあてはめれば「義」である。易経の教える「利」とは、「義」が人間社会の和を保って行われることをいっている。

 

◇君子は徳に進み業を修む。
(文言伝)
「徳」とは、善き人格や善き行いのための要件となるもの。自分がどうあるべきなのか、どういう振る舞いをしなければならないのかを指し示し、自分の質を向上させるものである。また、この質にも、人間的な質、技術的な質、企業としての質などいろいろあるが、日々、志した「質」の向上を目指して自分の日々の仕事を修めることが大切である。それを「修業」という。

 

◇拠るべきところにあらずして拠るときは、身必ず危うし。
(繋辞下伝)
「拠るべきところ」とは、自分の分限にあった地位・立場・行動などをいう。そういう分限を守らず、分不相応な地位や名誉を手にしたとしても、重責に耐えられず、恥辱を受けて苦しむことになる。自分の分限を大きく外せば、必ず身が危うくなる。地位や名誉を失うだけでなく、時に生命にも関わると強く戒めている言葉である。

 

◇日往けばすなわち月来たり、
月往けば、即ち日来たり、
日月相推して明生ず。
(繋辞下伝)
太陽が没すれば月が昇り、月が往けば日が昇るように、日月は入れ替わり立ち替わりして推移する。日月は共に感応し、共に推進して地上に明をもたらす。
ともすれば人間は思慮を巡らせて物事を進めようとするが、頭で考えることよりも、自然の時に任せて推進するほうが大きく運行していくものである。

 

◇天地は節ありて四時成る。
(水沢節)
「節」は竹の節である。固い節目で一区切りつけて止まり、次の節目に至るまでは伸びる。竹は節があるから真っ直ぐに伸び、強い風にも耐えられるのである。四季の巡りにも、程良い節がある。節分といえば春であるが、立夏立秋立冬も季節の変わり目、節目にあたる。四季は節を設けて巡り、万物は成長する。人間も物事も節を設けることで成長する。適度な節を設けなければ、人も物事も途中で折れてしまう。

 

◇動静常ありて、剛柔断まる。
(繋辞上伝)
天では日月星辰が動き、地は静止して動かない。天は陽差しを注ぎ、雨を降らせ、地はそれを受けて万物を育成する。「剛」は陽、「柔」は陰に配当される。このように易経は、天と地の性質をもとにして、万象を陰陽に判別するものである。

 

◇易は窮まれば変ず。
変ずれば通ず。通ずれば久し。
(繋辞下伝)
陰が極まれば陽になり、陽が極まれば陰に変化する。
冬が極まれば夏へ、夏が極まれば冬へ向かう。同様に、物事は行き詰まることがない。窮まれば必ず変じて化する。変化したら必ず新しい発展がある。それが幾久しく通じて行って、それがまた生々流転する。「通ず」とは成長を意味する。新たな変化なくして成長発展はない。易が最も尊ぶのは新たな変化である。

 

◇おのおの性命を正しくし、
大和を保合するは、
すなわち利貞なり。
(乾為天)
天道の働きに養われ、生きとし生けるものはそれぞれ、生まれながら持っているもの(性)と、天から授けられた天の働きと同じ力(命)を活かして、物事を成就する。「大和を保合する」とは、大きな調和を失わないこと。個々がそれぞれに、男子たらんと、母たらんと、教師たらんと自分に与えられた天賦・職分を果たす。これこそ正しく宜しい道であり、それが世の調和を保つのである。

 

◇庸言これ信にし、庸行これ謹み
(文言伝)
「庸」は中庸の庸であり、「常」の意味。日常の言葉に嘘や飾りがなく誠実であり、日常の行いは時に適ったものであるかどうかと見極める。「謹み」とは「畏まり、縮こまる」ことではなく、「すべき時にすべき事をする」こと。その見極めに緊張感を持ってあたる、という意味である。シンプルなようで、なかなかできることではないが、このような態度で日常を送ることが大切である。

 

◇君子もって経綸す。
水雷屯)
「経綸」は、国家の秩序をととのえ、治めること。「経」は織物の機を織る縦糸で、横糸は緯。「綸」は、機を織っていく最初に糸をピンと張って整えること。国づくりだけでなく、起業にしても、新生の時は混乱する。治め整えるためには、まずは縦糸となる大綱、大よその枠組みを決めなくてはいけない。それから、横糸を細目にわたって織って整えていく。これこそシステムづくりの原点である。

 

◇言には物あり、行いには恒あり。
(風火家人)
家庭において、事実にもとづく言葉を使い、行いには一貫性がなければならない。
家族は情に溺れやすい。家庭は気を許せる場所だが、それだけに他人にはいわない暴言を吐くこともある。しかし、家庭は社会生活の根本であると自省し、言葉と行いを慎むことだ。自分で自分を欺くような真似はしてはならない。この風火家人の卦は、家庭・家族・家道のあり方を説いている。

 

◇神を極め化を知るは徳の盛なり。
(繋辞下伝)
真理を究め、変化の理を知ることは、人が到達できる徳の極みである。しかし現実は、いくら極めても、人が知りうることには限界がある。そこで、真理の近くまで達しよう、その働きに似ようとすることが大事なのである。人を成長させるのは、人間の考えの及ばない実在である。

 

◇天に応じて時に行う。
ここをもって元いに亨るなり。
(火天大有)
「天に応じて時に行う」とは、その時々にピッタリの、時の的を射る行いをすること。農作業でいえば、春に種を蒔き、夏に草刈りをし、秋に収穫して、冬に土壌を養うのが時の的を射るということ。天の運行に応じて、その時々にしかるべきことを行っていれば、物事は多いに通じていくということである。

 

◇積善の家には必ず余慶あり。
積不善の家には必ず余殃あり。
(文言伝)
この言葉は「善を積む家には子々孫々の後まで喜びがあり、不善を積む家には後世まで災禍がある」という因果応報の意味で使われるが、本来は、日々小さな善を積んでいけば必ず慶びに行き着き、日々不善を積んでいれば必ず禍に行き着くという意味。何事も積み重ねていくと層が厚くなる。だからこそ、何を積んでいくのか、層の薄いうちに細心の注意を払わなくてはならないという教えである。

 

◇善も積まざればもって名を成すに足らず。悪も積まざればもって身を滅ぼすに足らず。
(繋辞下伝)
善行を少し積んだだけでは名誉は得られない。小さな善を日々継続して積み重ねた結果が大きな善行となり、名誉を得ることができる。悪行が身を滅ぼすに至るのも同様で、小さな悪が積もり積もって、挙げ句の果てに、大悪となるのである。

 

◇小人は不仁を恥じず、不義を畏れず、利を見ざれば勧まず、威さざれば懲りず。
(繋辞下伝)
小人は思いやりや慈愛を持たなくとも、それを恥じず、悪逆を恐れずに行う。自分に利益がなければ進んで行動せず、刑罰を与えられなければ懲りない。小人は自分に利益があれば諂い、仮の思いやりも見せる。悪事を働いても、恐るべき結果になることを思いもしない。時の状況によって、誰しも小人になる可能性がある。肝に銘じたい一文である。

 

◇自ら明徳を昭らかにす。
(火地晋)
太陽が自ら地の上に昇っていくように、自ら、明徳を明らかにする。「自ら」とあるのは、自分の心を明るく保つのは自分自身であって、人に頼ることではないという意味。明徳は私欲に囚われていると曇ってしまう。だから、自分の心の鏡が曇らないように、日々、自分で意識して磨かなければならないのである。火地晋の卦は、太陽が昇るように前進して、明徳が明らかになっていく時を説く。

 

◇咸じて臨む。貞にして吉なりとは、志正を行うなり。
(地沢臨)
「咸臨」は上に立つ者、下にいる者、君臣が心で感じ合い、一致協力して事に臨んでいくこと。それぞれが悦んで応じ合い、正しい道を行き、志を行う。そのゆえに吉なりとある。万延元年(1860年)、日本人初の太平洋横断を成し遂げた咸臨丸(艦長・勝海舟)の船名はここからとった。太平洋横断という大事業を成し遂げるには、全員の協力が欠かせないことからの命名であろう。

 

◇節してもって度を制すれば、
財を傷らず民を害せず。
(水沢節)
節するに度を弁えたならば、過不及なく財を守り、人に迷惑をかけることもない、といっている。竹は節目で一度塞がり、また通る。程よい節を設けることで、真っ直ぐに生長していく。そこから「節」には、程良く節する、また物事の通塞を知り出処進退を弁えるという意味がある。会社組織も家庭も、「節」によって経済は守られるのである。

 

◇学もってこれを聚め、問もってこれを辯ち、寛もってこれに居り、仁もってこれを行う。
(文言伝)
「学問」という言葉の出典。「これ」とは徳のこと。「学問」とは、学び、そして書物や師に問い、自問し、為すべきことを弁別すること。そして、学んだことを会得したら、「こうでなくてはいけない」と狭量にならず、人にも自分にも物事にも、寛容な心で思いやりをもって実行することが肝要である。

 

◇天行は健なり。
君子もって自彊して息まず。
(乾為天)
天の働きは健やかで1日も止まない。
それに倣って「自彊して息まず」、自ら強く励み、努めて止まないことが大切である。自分を活かすのは何といっても自分自身であり、他の誰かが助けてくれたとしても、それはきっかけにしかならない。ゆえに、まずは自分で自分を立てることから始めなくてはならない。継続して癖付けをしていくことによって、物事は成り立っていくのである。

 

◇立ちて方を易えず。
(雷風恒)
「方」は理・道をいう。雷風恒の卦は一定の理を貫き、極まりなく変化成長していくことを説いている。「立ちて方を易えず」とは、一旦志を立てたならば、しっかりと自分を確立して、グラついたりしない。何があっても自分の道を守りぬくこと。人は飽きると変化を求めるが、本来は毎日同じことの繰り返しの中で変化し、成長を遂げるものである。

 

◇謙は亨る。
(地山謙)
君子の徳の中で最も高い徳とされているのが「謙」、謙虚、謙譲、謙遜の徳である。古来、謙虚さは美徳とされ、社会的マナーや礼儀のようになっているが、うわべだけ謙った態度を装うこととは違う。抱いている志が偉大であればあるほど、人は謙虚になる。慢心せず、自然に身を低く小さくする。自分の綻びが見えて、補おうとする心が「謙」である。謙虚さを持続したならば、志は通る。

 

◇君子は終わりあり。
(地山謙)
「終りあり(有終)」とは初志を変えず、一貫して物事を成し遂げ、終わりを全うすること。名声などない時は心から謙虚になれるが、成功して高位に上りつめると、知らぬうちに慢心が現れる。しかし、まだまだ自分は事足りていないと分かっていれば、最後まで謙虚さを保ち続けることができるはずである。そのような姿勢を貫くならば、有終を迎えることができる。

 

◇群龍首なきを見る。吉なり。
(乾為天)
群がる龍の頭は雲に隠れている。つまり、優れたリーダーは自己主張がなく、圧力をかけず、トップ争いをしないという意味である。リーダーがリーダーたりえるのは、力や威厳があり、人々の頂点にいるからではない。その働きが大義に従うものだからである。それを勘違いして権力を争うようでは、やがて失墜する。働く人々が圧力を感じず、治められているという意識さえ持たずに、各々の力を発揮して繁栄するよう導くことが大切である。

 

◇国の光を観る。
(風地観)
観光旅行の「観光」の語源になった言葉である。「国の光を観る」とは、一国の風俗や習慣、また民の働く姿を観て、国勢や将来を知ることである。会社組織でいえば、社員の机の状況を観ただけで、その会社のリーダーのありさまや経営方針を察知するようなものである。これには深い洞察力が要求される。そのように兆しを察する能力を「観光」という。

 

◇先王もって万国を建て諸侯を親しむ。
(水地比)
古代の王は諸侯と親密な関係を築き、国を治めた。
「親」の字は、辛(鋭い刃物)で木を切るのを近くで見て、自分も痛く感じること。そこから、親子のように互いに大切に思い、相手の痛みを自らのものとして感じ、助け合う関係を「親しむ」という。自分の都合のいい相手、ただ楽しいだけの関係は、本来の「親しむ」ではない。水地比は、交際の根本的なルールを説いている卦。

 

◇化してこれを裁する、これを変と謂い、推してこれを行う、これを通と謂い、挙げてこれを天下の民に錯く、これを事業と謂う。
(繋辞上伝)
時に応じて物事を切り盛りし、適宜に処置して変化させ、さらに推進して物事を通じさせる。この変通の道理によって社会の道を整え、民を導くことを事業という。これは「事業」の語源となった言葉である。本来、事業とは社会貢献を指すものであった。

 

◇君子豹変す。小人は面を革む。
(沢火革)
君子は改革・変革の時に応じて過ちを改め、豹のように毛色を美しく変える。沢火革の卦には「大人虎変す」という辞もある。もっとも見事な変革の完成を表すが、それに感化されて周りの人々が次々に「豹変」するのである。「君子豹変」は現在では悪く変わる意味で使われるが、本来は良い方向へ改める意味がある。一方、小人は心にもないのに顔つきだけを改めるといっている。

 

◇美その中にあって、四支に暢び、事業に発す。美の至りなり。
(文言伝)
謙虚、柔和、柔順、受容の精神が体の内の隅々にまで行き渡るようであれば、徳はその人の行いに表れるのではなく、行う事業に表れる。それは美(徳)の至りであるという。美徳とは、陰の徳をいう。隠したもの、秘めたものが、光が漏れ出すように外に表れてくる――それが美徳である。

 

「易経」一日一言 (致知一日一言シリーズ)

「易経」一日一言 (致知一日一言シリーズ)

 

 

2019年7月23日 一条真也

『渋沢栄一100の言葉』

渋沢栄一 100の言葉

 

一条真也です。
参議院選挙が行われた日、『渋沢栄一 100の言葉』津本陽監修(宝島社)を再読しました。ブログ『渋沢栄一 巨人の名語録』ブログ『渋沢栄一 100の訓言』で紹介した本と同じく、1万円札の新しい顔になることが決まった渋沢栄一の名言集です。「日本資本主義の父」と呼ばれた彼は、『論語』の言葉を日常生活の基準とし、実業経営上の金科玉条としました。先日、儒教研究の第一人者である中国哲学者の加地伸行先生と電話でお話したのですが、「渋沢栄一論語の理解は本物です」と高く評価されていました。 

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本書の帯

 

カバー表紙には渋沢栄一の顔写真が使われ、帯には「個人が富もうとしないで、どうして国家が富むことができるのか」「日本資本主義の父のお金・仕事・人生哲学」「1万円札の新しい顔!」と書かれ、新1万円札も登場しています。

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本書の帯の裏

 

カバー前そでには、「経済に国境なし。いずれの方面においても、わが知恵と勉強とをもって進むことを主義としなければならない。」と書かれています。
また、カバー後そでには以下のように書かれています。
「日本資本主義の父と呼ばれ、経済界の発展に尽力した渋沢栄一。現代経営学の祖ドラッカーもまた魅了された人間のひとりだ。『すべて世の中の事は、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である』明治・大正・昭和と激動の近代日本を駆け抜けた稀代の実業家の箴言集」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

渋沢栄一の生涯」津本陽

第1章 経営と実業
第2章 国家と社会
第3章 教育と人生
第4章 成功と失敗

「年譜」

 

ブログ「論語と算盤」で紹介した言葉を信条として、渋沢栄一は、多くの企業を創りました。現在も存続している企業も多いです。例えば、王子製紙東京海上保険(現東京海上日動火災保険)、日本郵船清水建設東京電力東京瓦斯(現東京ガス)、東京石川島造船所(現IHI)、帝国ホテル、東京製鐵、札幌麦酒会社(現サッポロビール)、帝国劇場(現東宝)、日本興業銀行(現みずほ銀行)、東京貯蓄銀行(現りそな銀行)、横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)、浅野セメント(現太平洋セメント)、川崎重工、日本鉄道会社・北越鉄道(現東日本旅客鉄道)、大阪紡績(現東洋紡)・・・など。

 

まさに渋沢栄一こそは「日本資本主義の父」であると呼ぶにふさわしい巨人ですが、いわゆる財界活動についても、渋沢栄一は先覚者でした。東京商法会議所(現東京商工会議所)の創立に関わっていますし、東京株式取引所の創立委員でもありました。ちなみに、現在の取引所は兜町の旧渋沢邸の敷地内に隣接しています。
さらに、渋沢栄一は教育・慈善活動も熱心に行いました。
1874年(明治7年)に東京養育院を創立し、そのトップとして実に56年、年数では第一国立銀行頭取よりも長く務めています。その他にも、一橋大学東京女学館日本女子大学早稲田大学二松学舎大学聖路加国際病院東京慈恵会医科大学付属病院、日本赤十字社、国際平和議会などの設立に尽力しました。

 

本書には100の渋沢栄一の言葉が収められています。
中でも、わたしに強い影響を与えたものを紹介したいと思います。全体の1割にあたる10の訓言を紹介しますが、本書には訓言のみならず、その現代語訳、さらには著者による的確な解説も掲載されています。ぜひ、実物をお読み下さい。

 

 

公益となるべきほどの私利でなければ真の私利と言われない。(『渋沢栄一訓言集』より)

 

 

汽船を動かすのは、石炭、石油等の燃料がなくてはならない。商業もしくは事業の経営には、智者および道徳がなくてはならない。(『渋沢栄一訓言集』より)

 

 

本当の商業を営むには私利私欲ではなく、公利公益であると思う。(『青淵百話』より)

 

 

どのような時代にも仁と義と利とは並行するものであり、決して相反するものではないと私は信じている。
(『青淵百話』より)

 

 

新しき時代には
新しき人物を要請して
新しき事物を処理せねばならない。
(『青淵百話』より)

 

 

論語の教義を守ってきたために、こんな不都合がある、あんな不条理に出会ったというように感じたことは、いまだに一回もなかった。(『青淵百話』より)

 

 

未来を考えるには、過ぎ去った過去を見るのがよい。(『青淵百話』より)

 

 

人と接するには必ず敬意を表し、宴会で楽しんだり遊んだりするときでも礼儀を欠くことがあってはならない。
(『青淵百話』より)

 

 

人格がどうであるかは人間にとって最も大切なことである。(『青淵百話』より)

 

 

正義の人道を踏んで失敗したならば、私はむしろ失敗により安心を得るつもりである。(『青淵百話』より)

 

渋沢栄一 100の言葉

渋沢栄一 100の言葉

 

 

2019年7月22日 一条真也

宮迫&亮の会見に思う

一条真也です。
21日(日)の北九州は早朝から大雨で、「避難準備・高齢者避難開始発令」まで出ましたが、11時くらいには雨も上がりました。わたしは自宅から近くの桜ヶ丘小学校(母校)まで歩いて行き、参議院選挙の投票を行いました。

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「スポーツ報知」2019年7月21日号

 

それにしても、昨日の会見には考えさせられました。特殊詐欺グループとの間に闇営業を行った問題で吉本興を契約解消処分となった「雨上がり決死隊」の宮迫博之と、謹慎中の「ロンドンブーツ1号2号田村亮が都内で開いた謝罪会見です。彼らは、涙ながらに「とんでもない不快な思いをさせて、申し訳ありません。取り返しのつかないことをしてしまった」などと謝罪し、さらには吉本興業隠蔽工作を糾弾しました。会見のインパクトは大で、マスコミの批判の矛先は宮迫から吉本興業へ。潮目が一気に変わりました。

 

約2時間半の謝罪会見でしたが、2人は闇営業問題の経緯や会社側とのやりとり、心あるアドバイスをくれた先輩芸人を裏切ったことの自責の念や、給料が少なく直接営業もせざるを得ない後輩芸人の現状など、さまざまな思いを語りました。何よりもショッキングだったのは、亮が「僕が辞めてもいいから会見させてほしい」と吉本興業に直訴したことで同社の岡本社長から恫喝されたと主張したことです。宮迫によると、岡本社長が、詐欺グループの会合に参加した宮迫や亮を含む5人以外を部屋から出した後で「おまえらテープを回してないやろな」と一喝。「亮ええよ。おまえが辞めて1人で会見してもいいわ。やってもいいけど、全員連帯責任でクビにするから。それでもいいならやれ。俺にはおまえら全員をクビにする力がある」と圧力をかけたというのです。わたしは、この会見を見ながら、「これは吉本にとって蟻の一穴になるかもしれない」と思いました。どんなに大きくて丈夫な建物でも蟻が掘って開けた小さな穴が原因となって崩落することがあります。

 

 

最近、『ハラスメントの境界線』白河桃子著(中公新書ラクレ)という本を読みました。セクハラやパワハラは今や「セ・リーグ」「パ・リーグ」などと呼ばれ、企業経営の重要な注意点になっています。外資系企業をはじめ、日本国内でも、ハラスメントに対する意識改善の波が押し寄せてきており、そんな世の中に企業側も対応せざるを得なくなっています。「ブラック企業か否か」と同じくらい、「ハラスメントへの意識が高いかどうか」は人材獲得のための重要なポイントでもあるわけです。

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「日刊スポーツ」2019年7月21日号

 

ダウンタウンのマネージャーだったという岡本社長は、体育会でかなりの敏腕らしいですが、宮迫の言葉が本当ならば、パワハラに対する意識はかなり低いようですね。吉本興業だけでなく、ジャニーズ事務所でも、パワハラやテレビ局への圧力などで、これから帝国が崩壊することは大いにありえます。なにしろ、あの電通でさえ、パワハラ事件で激震したのですから・・・・・・電通ジャニーズ事務所、そして吉本興業がなければ、現在の日本のテレビ業界は成り立たないと言われていますが、そもそも民放テレビ局というビジネス・モデル自体が時代遅れなのかもしれませんね。

 

それにしても、宮迫&亮の会見を見たお笑い界の大御所たちのレスポンスは見事でした。ビートたけしは、自身がキャスターを務めるTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」で、「あんまり言うと、放送禁止だらけになっちゃうんだけどね。猿回しと一緒で、俺ら芸人は猿なんだ。猿が人を噛んで、猿に謝れって言ったってダメ。飼っている人が謝るんだよ。芸人にこういう姿を見せるのはダメ。あの時の涙を流して記者会見をしたヤツの芸を誰が見て笑うんだってなるから、これはやらせたくないんだよ。これはやってくれるなと思う。芸事はそういうことを全部忘れて、明るくくだらないなと見てもらうのが芸なんだから」とコメントしました。たけしは、「あと、もっと考えないといけないのが、闇営業とかをやらないと食えないような状態の事務所の契約は何だということ。若手も出てきて、事務所がこういう仕事をして、いくらくれるとか言ったほうがいいんだって。家族がいて食えないようにしたのは誰なんだと。だったら雇うなよってこと。最低保証ぐらいしろよと」とも言及しました。わたしは「よくぞ言った!」と思いました。

 

明石家さんまも、パーソナリティーを務めるMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」に出演し、「(宮迫が)フリーになったので、うちの事務所にほしい」とさんまの個人事務所「オフィス事務所」で雇う仰天構想を明かしました。番組の収録は今回の会見より前に行われたのですが、「会社、芸人サイドそれぞれの立場はあるけど、なにがあってもわれわれは芸人サイドの味方」と話し、「どっかの事務所も狙っているかもしれないけど、うちも声かけてみようと思う。会社(吉本)も手放すか~宮迫を」と、芸人仲間として宮迫をフォローする意向を見せました。

 

そして、ダウンタウン松本人志。会見で宮迫は、自身にとって大きな恩義のある松本について聞かれると、「ウソをついてしまっていました。(電話で)すいませんと伝えました。そうしたら松本さんは、僕の出ている番組に『ノーギャラでも出たるから』と。最低なウソをついてしまったヤツのために『ノーギャラでも出たる』と。すいません」と嗚咽しながら打ち明けました。
会見後に松本はツイッターを更新し、後輩芸人達は不安よな。松本 動きます」と投稿。その後、吉本の本社を訪れ、会長・社長と面談しています。
翌日となる今日、レギュラーを務めるフジテレビ系「ワイドナショー」に同じくレギュラーの東野幸治とともに生出演し、「会見を大阪の仕事の合間に見まして。思っていたよりハードで、なかなか無視できない。収録していたワイドナショーの内容とあまりにも違う。記者会見を想定していなかった」と生放送決定の経緯を説明しました。

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 「日刊スポーツ」2019年7月21日号

 

時代は大きく変わったものです。
ビートたけしは、いくらお笑い界の大御所と言っても、吉本とは無関係の芸人です。部外者が天下の吉本の経営にダメ出しするなど、かつてなら有り得なかったでしょう。さんまは個人事務所を通じて吉本興業に所属していますし、松本は正真正銘の吉本の大黒柱。彼らが一様に吉本批判を展開した姿を見て、わたしは「ああ、大企業に忖度したり、会社に逆らってはいけない時代なんて終わったんだな」と悟りました。そして、あの会見からもわかるように、「社員が会社にリベンジする方法などいくらでもある」とも思いましたね。それにしても、「うちの浜田が本当に・・・。二度と帰ってこないでほしい」、「岡本には陣内が一番、嫌われてますけどね」、「近い将来、岡本社長と宮迫が乳首相撲をやることですべて解決する」などなど、あの悲惨な会見を笑いのネタに変えた松本人志はさすがです。彼とは同年齢ですが、本物の天才ですね!

 

一方で、笑えない人もいました。会見後、ネット生中継やニュースを見た芸能人や著名人がツイッターなどでさまざまに反応しましたが、ZOZOの前澤友作社長はツイッターで「宮迫さんの会見ちょっと見たけど、神妙な顔して謝罪してるのになぜかくすっと笑ってしまった」としつつ、「存在や佇まい自体が面白いキャラ確立してるって凄いことだよな。まだまだ活躍する人だなって思った」と宮迫についてコメント。また「会見場の雰囲気やライティング、お二人のメイク、事務所の暴露話、どれをとってもしっかり作り込まれているように感じた。とても反省はしているんだろうけど、このお二人、いろいろ諦めていないと思う」と分析したのです。これには「泣きながら謝罪している人に向かって、上から目線で何ということを言うのか」と批判のツイートが殺到し、大炎上したそうです。こんな人の心がわからない人が社長を務めていることが悲しいですね。彼は月に行くなどと言っているようですが、彼には月に行く資格はないと思います。たけし、さんま、松本、東野、陣内、フジモン・・・・・・今回の件で株を上げた人は多いですが、反対に株を一番下げたのは前澤サンかもしれませんね。
現在、21日のちょうど13時半です。
また、雨足が強くなってきました。

 

2019年7月21日 一条真也