一条真也です。
東京に来ています。
24日の東京は気温が30度以上あって暑かったです。湿度も高く、外に出ると汗が出ました。この日、冠婚葬祭互助会の業界団体である全日本冠婚葬祭互助支援協会(全冠協)主催の講演会が大塚の「ホテル・ベルクラシック東京」で開かれました。
ホテル・ベルクラシック東京の前で
ホテルの入口で
全冠協さんといえば、わたしが会長を務めた全互連のライバル団体とされていますが、中心的存在の(株)ベルコさんや渡邊会長が経営される(株)メモワールさんをはじめ、拙著を御購入いただいている互助会さんが多く、大変お世話になっています。今回の講演は、全冠協の研修委員長である(株)メモリードの吉田社長から依頼を受けました。全互協の斎藤前会長の御指名であると伺い、迷わず講演させていただくことにしました。正直、もっとアウェー感があるかと思っていたのですが(笑)、そんなことはまったくありませんでした。みなさん、とてもフレンドリーに接して下さいました。
全冠協・渡邊会長の挨拶でスタート
メモリード・吉田社長の挨拶
第一部は島薗進先生の講演でした
非常にわかりやすい内容でした
講演会は14時からでしたが、まずは全冠協の渡邊会長の挨拶があり、東海互助会の大林社長、メモリードの吉田社長の挨拶の後、講演会が開始されました。講演会の第一部は、上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長が「葬祭の縮小とグリーフケアの興隆~死生の文化の変容のなかで」をテーマに講演をされました。冒頭、「一条さんのお友達の島薗です」と言われたので、驚きました。恐縮です!
島薗先生のお話はもう何度も拝聴していますが、今回は互助会の葬祭スタッフ向けということもあり、わたしも互助会の経営者として非常に勉強になりました。日本における宗教学の第一人者だけあって、島薗先生の講演は広範囲にわたるものでした。葬儀も、グリーフケアも、宗教と無縁で語ることはできません。
全冠協のみなさん、こんにちは!
講演会のようす
わが葬儀四部作について
すべては1991年に始まった①
次に第二部として、わたしが「なぜ葬儀は必要か」をテーマに講演しました。わたしは、まず、「すべては1991年から始まった」という話をしました。現代日本の葬儀に関係する諸問題や日本人の死生観の源流をたどると、1991年という年が大きな節目であったと思います。宗教学者の島田裕巳氏も1991年が日本人の葬儀を考える上でのエポックメーキングな年であると述べていましたが、わたしもまったく同意見です。まさにその年に島田氏の『戒名』(法蔵館)と拙著『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)が刊行されました。ともに既存の葬式仏教に対して大きな問題を提起したことで話題となりました。その他にも「死」と「葬」と「宗教」をめぐって、さまざまな問題が起こりました。
すべては1991年に始まった②
「死」においては、脳死問題をはじめ、安楽死、尊厳死、臨死体験と、人の死をめぐる議論がヒートアップしました。91年3月には作家立花隆氏のレポートによってNHKテレビで「臨死体験――人死ぬとき何をみるか」が連続放映され、すさまじい臨死体験ブームが巻き起こりました。また92年1月には、脳死臨調が「脳死は人の死」として臓器移植を認める最終答申を当時の宮沢首相に提出し、さまざまな論議を呼びました。「葬」においては、海や山などへの散灰を社会的に認知させる「自然葬」運動によって、法務省が条件つきで「散灰」を認めました。91年2月に「葬送の自由をすすめる会」が発足しています。また、レーザー光線にスモークマシン、シンセサイザーなどを駆使した「ハイテク葬儀」も登場しました。散灰というローテク葬儀とショーアップされたハイテク葬儀は、まったく正反対のべクトル上にあり、この二つが同時期に話題となったことは非常に興味深いと思いました。
宗教界の動きについても説明しました
「宗教」においては、91年1月にはオウム真理教が「救済元年」を宣言して、暴走し始めました。2月には創価学会が「学会葬」を開始し、11月には日蓮正宗が創価学会およびSGIを波紋しています。そして、12月には幸福の科学が東京ドームにおいて第1回「エル・カンターレ祭」を開催しました。その他、宜保愛子というスーパースターの出現による霊能ブーム、チャネリングやヒーリングなどの精神世界ブームも忘れることはできません。これらの「死」と「葬」と「宗教」にまつわる話題は連日マスコミでも取り上げられ、いずれも社会的に大きな関心を集めました。それにしても、これだけの現象がわずか1年の間に集中したのです。改めて、人々の死生観を中心とした価値観が大きな地殻変動を起こし始めたということがわかります。
葬式は、要らない?
「永遠の0」対決
それから、わたしは「0葬」について話しました。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。わたしは宗教学者の島田裕巳氏が書いた『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)に対して、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)を書きました。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。かつて、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。今回は、戦いの第2ラウンドということになります。そして、島田氏とは『葬式に迷う日本人』(三五館)という共著も出しました。
最初で最後の直接対決!
「薄葬」の流行
ナチスやオウムは、かつて葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスはガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。今年になって、「イスラム国」と日本で呼ばれる過激派集団が人質にしていたヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼き殺しました。わたしは、葬儀を抜きにして遺体を焼く行為を絶対に認めません。しかし、イスラム国はなんと生きた人間をそのまま焼き殺したのです。現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。 しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。
冠婚葬祭は文化の核
葬儀の5つの役割
葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。
悲しみへの対応(グリーフケア)
唯葬論について
さらに、わたしは『唯葬論』(三五館)を上梓しました。同書のサブタイトルは「なぜ人間は死者を想うのか」です。わたしのこれまでの思索や活動の集大成となる本です。わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。
葬儀は「物語」の癒し
葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなるように思えてなりません。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。
水を器に入れて安定させる
「かたち」の別名は「儀式」である
水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器という「かたち」です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」はどこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。
グリーフケアの核心
「また会えるから」のPVを流しました
わたしは『儀式論』(弘文堂)を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人だけでなく、わたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。
最古にして現在進行形の営為
「礼欲」の発見
じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。
ここで、質問です!
結論を述べると、大きな拍手が起こりました
最後に「葬祭業ほど価値のある仕事はありません。みなさんは最高の仕事をされているのです。これからも、この仕事に誇りを持たれて、多くの方の人生の卒業式のお手伝いをされて下さい」と述べて講演を終えると、盛大な拍手を頂戴して感激しました。
講演後、質問をお受けしました
2人目の質問をお受けました
最後に「禮鐘の儀」のPVを流しました
講演後は、質疑応答です。葬儀とグリーフケアに関する鋭い質問を2つお受けしました。わたしは真摯にお答えさせていただきました。少し時間が余ったので、葬儀のアップデートの実例として、わが社の紫雲閣で行っている「禮鐘の儀」のPVを流して紹介しました。そして、わたしは「葬祭業は不滅の産業ですが、このままで良いわけではありません。儀式というものは初期設定とともにアップデートが必要です。これからも、みんなで知恵を合わせて、新しい令和の時代の葬儀を創造していきましょう!」「本日は、みなさんにお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました!」と述べましたが、再び盛大な拍手を受けて感激しました。
懇親会の冒頭で挨拶する博善社の松丸社長
懇親会で乾杯の音頭を取るレクストの金森社長
その後、懇親会にも参加させていただいて、全冠協のみなさんと親睦を図らせていただきました。懇親会の終了後も、レクストの金森社長(全互協副会長)のご厚意で、深夜まで美味しいお酒を飲ませていただきました。金森社長はいつも大人のジョークを言われていて、とにかく楽しくて面白いイメージの方だったのですが、じつは孔子の思想にも造詣が深いことを知り、感銘を受けました。レクストさんの社内報でも「仁」や「礼」について書かれており、わたしも拝読いたしました。また、「EARTH」や「ART」の真の意味、さらには葬儀が究極の直接芸術であるというわたしの考えに共鳴して下さり、嬉しかったです。金森社長、今夜は大変御馳走になりました。おかげさまで有意義かつ楽しい夜を過ごすことができました。ありがとうございました!
2019年7月25日 一条真也拝