わたしが一番気になる芸人

一条真也です。
13日はずっと鬼滅本の原稿を書き、疲れました。気分転換に、このブログ記事を書いています。ブログ「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」を読んだ読者の方から、「一条さんがお笑いに関心があるとは意外です」とか「お気に入りの芸人さんもいるのですね」などと書かれたメールが届きました。

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コウメ太夫Wikipediaより) 

 

そりゃあ、わたしにだって、お気に入りの芸人ぐらいいますよ。『論語』ばかり読んでいる聖人君子じゃありません、チクショー! ということで、お気に入りというより、一番気になる芸人は、コウメ太夫! 
昔は、野生爆弾くっきーでしたが、今はコウメ太夫です。1972年、東京都杉並区出身。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。旭川大学経済学部中退。本名は赤井貴(あかい たかし)。父は芸能プロデューサー、母は元女優という芸能サラブレッドです。



1995年、梅沢富美男劇団に所属し、明治座などの舞台に立ちました。女形をしていた時期もあるとか。1997年、お笑いに転身。2000年から「赤井貴」名義で外山某とJUMP-2000というコンビを組み、ボケを担当。コンビを解消後は、単独でアマゾネースを名乗りました。2005年、「エンタの神様」(日本テレビ系)に初出演、小梅太夫としてブレイク。同番組には、2008年まで計25回出演。この頃が芸人としてのピークだったとされています。



2006年5月10日(わたしの43歳の誕生日!)にCD「小梅日記」を日本クラウンから発売。発売した週のオリコンチャートでは初登場36位を記録。ちなみに売り上げ枚数は20000枚(推定)。CDの内容は曲ではなく「エンタの神様」で行っている「小梅日記」のネタを3トラック分、カラオケバージョンを3トラック、計6トラック収録したものでした。自身の「着うた」が最終的に80万件ダウンロードとなり、ゴールド配信大賞、プラチナ配信大賞を受賞。



2007年2月に元OL(作家・泉美木蘭)と婚姻。7月には第一子となる男児が生まれています。2009年、占い師に「小梅をコウメに変えないとトラックにひかれるわよ!」と言われ、芸名をコウメ太夫に改名。泉美木蘭の手記で、同年離婚したことが公表されました。なお、長男の親権はコウメが持っているそうです。2013年8月3日に神奈川県相模原市で行われた「第1回ムーンウォーク世界大会」のお笑い部門で準優勝。このダンスは本当に素晴らしい。日産のCMでムーンウォ-クを披露している木村拓哉なんかの比ではありません。コウメ太夫ムーンウォークを超えるのは、もはや田原俊彦ぐらいではないでしょうか?



Wikipediaコウメ太夫」の「人物像」には、「少年時代は、マイケル・ジャクソンの『スリラー』の映像に感動し、マイケルに憧れる、歌って踊ることが好きな少年だった。この当時は、専ら邦楽よりも洋楽を好んでいた。14歳で『歌って踊る人生を送るのにはピッタリだ』と思ったことから、ジャニーズ事務所のオーディションに応募。しかしいくら待てども返事が無かったことから、直接事務所へ出向き、そこで落選したことを知った。この時『まさか・・・と思ったとのこと』」と書かれています。



2019年12月31日に日本テレビ系列で放送された、「ダウンタウンガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない青春ハイスクール24時!」の劇中、マイケルの楽曲「ビリー・ジーン」に合わせ、コウメ太夫はキレキレのダンスを披露しました。これには、ダウンタウンをはじめとしたお笑い芸人たちもビックリ! 松本人志は「コウメって、あんなにダンスうまかったんや」と驚きを隠せない様子でした。



コウメ太夫は、福岡県田川郡川崎町のプロモーションビデオに起用されています。2015年9月25日正午にPVが公開されましたが、冒頭で「チクショー!」ではなく「チックホー!」と叫んでいます。同町出身で同じ「小梅」の名を持つ民謡歌手・赤坂小梅と芸名や容姿が酷似していたことから起用されたのですが、コウメ自身はこれを「不思議な偶然」と語っています。赤坂小梅は、小倉とも縁があり、じつは サンレー本社のすぐ近くに住んでいました。



彼女は、1920年16歳のときに自分の意思で芸者になりました。小倉の旭検番より芸妓名「梅若」で初座敷、美声と気風の良さで知られました。1929年に福岡を訪れた中山晋平、野口雨情ら音楽関係者らが料亭で彼女の歌を聞き、その美声に驚嘆したそうです。梅若の才能を認めた作曲家藤井清水の紹介でビクターに「小倉節」など新民謡を、小倉旭券梅若の名義で数曲吹き込みました。1931年、上京。後援者清水行之助の紹介で赤坂若林から赤坂小梅と改名、お披露目をして鶯芸者としてならしました。第1回NHk紅白歌合戦にも出場。出身地の田川を代表する歌である「炭鉱節」を歌っています。



コウメ太夫の持ちネタは、「コウメ日記」です。着物、白塗り、ゴム製かつらという姿で、女声を模した奇矯な裏声で「チクショー!!」や「ウレチー」などと喚き散らすというキャラクタースタイルを基本としています。「わたくし、狂い咲き小梅太夫と申します。徒然なるままに書き散らした『コウメ日記』、お聴き下され~」の口上で始まります。ネタ冒頭では中村美律子の「島田のブンブン」のイントロが使われています。「小梅日記」以後は、「ロック・コウメ太夫」やマイケル・ジャクソンを模した「ジャクソン太夫」、連獅子、お坊さん、「どっきり八兵衛」(「どっきり、どっきり、どっきり八兵衛」「ドッキーン!」などの台詞が特徴)など様々なキャラクターに扮してネタを披露しましたが、「一発屋」「スベリ芸人」として認知され、「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退」なる企画まで実現する始末。ちなみに、わたしがコウメ太夫を知ったのは、まさにその番組でした。最初は「ひどい扱いだな」と同情したものの、その直後、あまりの面白さに衝撃を受けました。



コウメ太夫で笑ったら即芸人引退」では、「チクショー1週間」というスケッチブックを用いたネタが披露され、有吉弘之、おぎやはぎ、ロンドンブーツ1号・2号らが爆笑していました。たしかに、これは殺人的に面白かったです。内容は「コウメ日記」のスタイルを踏襲したものでした。藤本敏史はこのネタを含めコウメが出演した「テベ・コンヒーロ」2012年5月29日放送分を録画したものを自宅で30回見たと「テレビブロス」2012年15号(東京ニュース通信社)で語っています。

 

その「チクショー1週間」ですが、2014年と2017年に発表したバージョンがYouTubeにアップされていますが、正直、これはまったく面白くないし、痛々しいです。というか、「彼は病んでいるのではないか?」と本気で心配してしまうレベルです。「ガチでやばい人」といった印象で、「心の闇」といったダークな世界さえ感じてしまいます。しかし、よく考えてみれば、お笑い芸人とはもともと狂気を秘めている存在ではないでしょうか。



志村けんの「バカ殿」もそうですが、「コウメ太夫」の白塗りも可笑しいというより怖いです。芸人には、この狂気が必要ではないかとも思えるのです。かつて好きだった野生爆弾くっきーも以前はクレイジーそのものでしたが、最近は愛されキャラに変わってしまって魅力がなくなりました。いまだに狂気を感じさせるコウメ太夫ですが、近年はTwitterで「まいにちチクショー」と題し、毎日ネタを投稿しています。そのネタはきわめてシュールなものになっており、「もはや哲学的」「お笑いを超えた何か」との声もあるとか。今後も、コウメ太夫から目が離せませんね!

 

2020年12月13日 一条真也