松本人志には「礼」がない

一条真也です。
昨年の12月29日にブログ「松本人志はクズなのか?」という記事を投稿したのですが、現在もアクセスが集中しています。原因を調べたら、どうやら「松本人志 クズ」という検索キーワードで上位にあることが判明。この記事の他にも、ブログ「松本人志の活動休止に思う」ブログ「太田光のコンパッション」ブログ「年長者の遊びの作法」などでも松本人志氏の性加害疑惑に言及、さまざまな映画レビューでもこの問題を取り上げてきました。


2月8日発売の「週刊文春」では、松本氏が性的行為などを強要した疑惑について「第6弾」を報道。同誌では、これまで告発した11人の女性の話に共通していることとして「直前まで飲み会の場所がホテルの部屋と告げない」「飲み会の際はスマホ没収 又は禁止」「松本が参加すると知らせない」「“ゲーム”を行い女性を松本の元に残し退散」などを指摘しています。文春砲も第6弾まで来て、いよいよ松本氏は追い込まれた感があります。「休業ではなく完全引退」という声も大きくなってきました。それにしても、松本氏の性加害報道に接するたびに、娘を持つ親として怒りを感じるとともに、「俺と同い年なのに、ここまで性欲が強いとは!」と驚愕することもしばしばです。

 

一見、これ以上ないぐらい下世話なスキャンダルとも思える松本問題に、なぜ、わたしはこだわるのか? それは、松本氏がわたしと同い年の還暦者ということもありますが、何よりもこの問題が、わたしの最大のテーマである「礼」と深く関わっているからです。現在、松本氏は女性へのセクシャルハラスメントとともに、後輩芸人へのパワーハラスメントの疑惑を持たれています。セクシャルハラスメントパワーハラスメントの両方を合わせて「セ・パ両リーグ」などと呼ぶようですが、わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。

礼を求めて』(三五館)

 

「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。今から約2500年前、中国に「礼」を説く人類史上最大の人間通が生まれました。言わずと知れた孔子です。彼の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に、西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのです。


ヤフーニュースより

 

人間尊重の「礼」の精神は、挨拶やお辞儀で表現されます。芸能界というところは基本的に礼儀に厳しく、それは吉本興業であっても同じです。しかし、まだ無名だった頃の松本氏が、あるときオール巨人の楽屋前の廊下を素通りしたといいます。それを目にした巨人氏が教育の意味も込めて松本を呼び止め、「おい君。挨拶は? やり直せ」と諭しました。すると松本氏は「あ、すいません」と謝りながら来た道を引き返し、もう一度楽屋の前を素通りしたというのです。この逸話が披露された昨年1月放送の「人志松本の酒のツマミになる話」(フジテレビ系)では、松本氏の後輩芸人たちが「しびれるわあ」などと感動した様子が映りましたが、何がしびれるのか? 何がカッコ良くて感動するのか? わたしは、まったく理解できません。

「デイリー新潮」より

 

もともと、松本氏は若手時代からきちんとした挨拶というものが苦手だったらしく、先輩芸人の前でも「ちーす!」とかしか言わないため、明石家さんまタモリといった大御所からも怒りを買っていたといいます。吉本興業の大先輩だった故・横山やすしは傍若無人ダウンタウンの2人の芸風や態度をずっと認めませんでした。1995年12月には、横山はダウンタウンに対して「芸人には礼儀が必要や。挨拶ぐらいせい!」と怒ったこともあります。放送コラムニストの高堀冬彦氏は、デイリー新潮のコラムで「やすしさんも決して礼儀正しい人とは言えなかったが、ダウンタウンには手厳しかった。漫才も酷評し続けた」と述べています。やすしは、ダウンタウンの行き過ぎた毒を危険視していたのでしょう。


横山やすし明石家さんまタモリはみなお笑いの天才ですが、もう1人、ビートたけしの名前を挙げなければいけないでしょう。ブログ「被災地での犯罪に厳罰を!」でも紹介したように、かつて、熊本地震の被災地で発生している空き巣について、ビートたけしは「あいつら射殺しろよ」と怒りをあらわにしました。彼は、自身のTV番組で「こういうときにそういう犯罪すんのは特別に罰しなきゃおかしいだろ」と自身の考えを示しましたが、わたしは深く共感しました。彼には、ブログ『全思考』ブログ『超思考』で紹介した本名の北野武としての著書がありますが、いずれも高い倫理性に貫かれており、感服しました。

 

 

『超思考』では、さまざまな世の中の出来事をぶった斬っていきますが、わたしは特に第十五考「師弟関係」に大いに共感しました。北野氏の若い頃、師匠と弟子という人間関係はすでに形骸化していました。北野氏が松鶴家一門に入ったのも、誰かの弟子にならないと漫才の舞台に立てないので、単に漫才をするためだったとか。では、北野氏は師弟関係を軽んじているのかというと、そうではありません。北野氏には御存知「たけし軍団」という多くの弟子たちがいますが、「師匠として何かを教えたとすれば、礼儀くらいのものだ。礼儀だけは厳しく躾けた。たとえば俺が誰かと話していたら、その話している人は全部お前らの師匠だと思ってやってくれ。俺よりも年上の人だったら、俺よりも偉い人だと思って接してくれなきゃ困るということだけは言った」と述べています。


なぜ、弟子たちに礼儀を教え、厳しく躾けたのか。北野氏は、「礼儀を躾けるのは、それがこの社会で生きていく必要最小限の道具だからだ。社会を構成しているのは人間で、どんな仕事であろうとその人間関係の中でするしかない。何をするにしても、結局は、石垣のようにがっしり組み上がった社会の石の隙間に指先をねじ込み、一歩一歩登っていかなければ上には行けない。その石垣をどういうルートで登るかを教えてやることなんてできはしないのだから、せめて指のかけ方は叩き込んでやろうと思っている」と述べています。わたしは、この文章を読んで、まるで孟子の言葉ではないかと思いました。まさに儒教の徒といってもおかしくないほど、北野氏は「礼」というものを重んじています。だからこそ、生き馬の目を抜くような芸能界でトップの座にあり続けているのでしょう。

若き日のビートたけし氏と佐久間名誉会長(中央)

 

そういえば、昔、わが社がお笑いイベントを開催して北九州に「ツービート」や「ゆーとぴあ」などの若手芸人をたくさん呼んだことがあります。イベント終了後、当時の佐久間進社長(現、名誉会長)は彼らを小倉の夜の街に連れ出し、伝説的おかまバー「ストーク」などで飲んだそうです。自身が実践礼道・新小笠原流を立ち上げ、礼儀については人一倍厳しい佐久間会長ですが、そのときの「ビートたけし」こと著者の礼儀正しさには感嘆したそうです。「あんなに礼儀正しいタレントさんは初めて見た」と言っていました。わたしは父から「礼」について徹底的に叩き込まれた人間ですが、その父の言葉を聴いて、それまでは単なる毒舌芸人としか思っていなかったビートたけしへの見方を根本から改めた記憶があります。

 

ビートたけしも松本氏は記者会見を開くべきであると言っています。そもそも最初に松本氏が主張したように「事実無根」が真実ならば、文春を告訴する前に記者会見を開くべきでした。吉本の先輩芸人である西川のりおの「僕ら芸人はマスコミで生きてます。一種の公人ですから、公の場で答える義務があるんちゃうか、というのが正直な気持ち。都合のいい時だけのマスコミじゃない。不都合になったらダンマリはダメ。大阪・関西万博のアンバサダーにもなり、あれだけの公の仕事を引き受けて。急に裁判しようって、モノの順番が違います」という発言はまったくの正論です。松本氏はマスコミに対する「礼」も欠いたわけですが、最もお世話になっている自分のテレビ番組のスタッフたちへの「礼」も欠いています。テレビ番組スタッフの間から、「仕事を放棄した無責任」を問う厳しい声も聞かれているそうです。あまりにも当然の話だと思います。



フリージャーナリストの片岡亮氏によれば、松本がレギュラー出演していた番組のディレクターの1人は「大物の松本さんだから、みんな黙っていますけど、番組側から見たら違約金を払ってほしいぐらいの仕事放棄だと思うんですよ」と語ったそうです。急な松本不在で番組構成の予定が大きく変わり、その対応に追われて「休止発表の後、家に帰れたのは6日後だった」といいますが、くだんのディレクターは「これが病気や事故が理由なら、支えようとモチベーションも上がるんですよ。番組内でも松本さんを応援する話とかできますし。でも、私生活の女性スキャンダルで、自分から裁判をするって辞めている。それなら正直、もっと出てきて言うことあるんじゃないかと思います。視聴者に向けられなくても、仕事現場の人に一言あるべきでしょう」と語ったといいます。


さらに、松本氏は彼に女性を紹介した後輩芸人たちも見殺しにしました。タレントの梅沢富美男は、TV番組内で松本氏に記者会見を開いてもらいたいと要望。松本氏が表舞台に出てこない限り、取り沙汰される後輩芸人たちが先んじて釈明や説明をする機会は与えられにくく、どんな役割を担ったのか真相はわかりません。ただ現実的に裁判を起こしてしまった以上は、記者会見が開かれる可能性はほとんどないわけです。裁判の決着には、最高裁まで進めば10年かかるとも言われています。後輩芸人たちは、弁明の機会も与えられずに仕事を失っていくのです。松本氏が記者会見を開いて、「非はすべて自分にある。後輩たちは悪くない。どうか、あいつらを責めんでやって下さい」と一言いえば、どれだけ後輩芸人たちは救われることか。松本氏は彼らへの「礼」も欠きました。



そして、何よりも松本氏が性加害をしたとされる被害女性たちへ「礼」を欠き続けた結果が現在の悲惨な状況でしょう。ビートたけしが「せこいな!」と言い放ったように彼女たちへ渡したタクシー代の少なさにも驚きますが、何よりも辛い思いをさせた彼女たちへの思いやりがない。僧侶・作家の家田荘子氏は、松本氏との飲み会に行った被害女性たちに対して「行かなきゃ良かったのに」と直言しつつも、「もし行っちゃった場合の立場で考えた時に、ちょっと、(女性を)呼んだ男性側も配慮が足りなかったんじゃないかなと思うんですね。楽しい時間を過ごしたならば、使い捨てみたいな感じに女性をとらえるんじゃなくて、翌日とか翌々日とかに”楽しかったよ”とか、何か思いやるメールとか電話とかを1つやってくださっていれば、その女性たちも心残りをずっと引きずることはなかったんじゃないかなと思うんですね」との見方を自身のYouTube番組で示しました。ここで家田氏が語っていることがまさに「礼」です。松本人志氏はまったく「礼」のない裸の王様でした。ここまで松本氏に対していろいろ言ってきまましたが、もしご本人が気分を害されたのなら、わたしは「失礼しました!」と言いたいです。(笑)


2024年2月12日  一条真也