ハロウィーンからリメンバー・フェスへ

一条真也です。10月31日になりました。
今日は、ハロウィーンです。ヤフーニュースに、「〈2023ハロウィーン〉渋谷の街から仮装・バカ騒ぎする若者が消えた!?『(コスプレ)ダメだよダメ、ダメ~』警察官に注意された黒ひげ危機一髪男は段ボールを自ら破壊。ハチ公出口も喫煙所も閉鎖・・・渋谷区が本気だしてきた!」という集英社オンラインの記事が出ていました。


ヤフーニュースより

 

記事は、「仮装を警官に注意される男性」として、「毎年ハロウィーンになるとコスプレ姿で路上飲酒や強引なナンパを繰り返し、ときには暴動まで起こしてきた渋谷に集まる“バカ者”たち・・・今年は長谷部健渋谷区長が『ハロウィーン目的で渋谷に来ないでほしい』と海外メディアに訴えたことが話題にもなり、厳戒態勢で挑んでいる。区長の声は若者や外国人に届いたのか? ハロウィーン直前の週末の渋谷をレポートする」と書かれています。


毎年、渋谷駅周辺に国内外から大勢の人が集まり、路上飲酒をしながら集団で“バカ騒ぎ”をする渋谷のハロウィーン。今年5月から新型コロナウイルスが5類感染症に移行されたこともあり、近年以上に多くの若者が集まることが懸念されていましたが、9月に「ハロウィン目的で渋谷に来ないでほしい」と区長が直訴、今まで以上に警戒を強めていました。ハロウィーン本番とされる10月31日に先立つ週末の28日の夕方、スクランブル交差点付近には大勢の警察官が集結し、いつになく殺気だっていたとか。



ふだんであれば、観光客に囲まれて撮影列ができたり、待ち合わせ場所に使われる、渋谷駅のシンボルである忠犬ハチ公像ですが、今年は10月28日早朝から11月1日早朝まで、ハチ公像の周りを混雑緩和のために仮の囲いを設置し、見学できないようにすると発表されていましたが、さらに人が滞留しないよう警察やセキュリティによる交通整備も実施され、17時にはハチ公口そのものが閉鎖。

サンデー毎日」2015年11月8日号

 

コロナ前のハロウィーンといえば、一部が暴徒化した東京の渋谷をはじめ、全国で多くの若者たちが仮装して大いに盛り上がりました。ハロウィーンはもともとキリスト教における「万聖節」の前夜祭で、日本では「お盆」に近い年中行事です。仮装した子どもたちが「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」と言いながら、近所の家を訪問する。かぼちゃをくりぬき、中にろうそくを灯した「ジャック・オウ・ランタン」が有名です。

供養には意味がある』(産経新聞出版

 

拙著供養には意味がある産経新聞出版)にも書きましたが、クリスマスは、日本のお盆と同じく、死者をもてなす祭りであす。クリスマス・イヴの晩餐とは、もともと死者に捧げられた食事であり、この食卓では招待客が死者で、子どもたちは天使の役目を果たしているのです。天使たち自身も、じつは死者なのである。昔のヨーロッパのクリスマスでは、子どもたちが死者の代理人として大人の家庭を訪ね歩く習慣がありました。この習慣が、アメリカのハロウィンに受け継がれたのです。

 サンレーシネコン用パンフレット

 

そう、ハロウィーンは単なるドンチャン騒ぎするイベントではありません。もちろん、お盆にも盆踊りのような楽しいイベントが付随していますが、そのコンセプトは「供養」です。たとえキリスト教徒でなくても、ハロウィーンの夜には、今は亡きなつかしい人を思い出したいものです。そして、わたしは「リメンバー・フェス」という言葉を提唱しています。ブログ「互助会シネマパンフレット大好評!」で紹介したように、わが社は冠婚葬祭互助会のパンフレットをシネコンに設置していますが、大変好評です。表紙である外側右ページには、ディズニー=ピクサー風のイラストが描かれ、「喜びにも哀しみにも寄り添う、人生の伴走者でありたい。Sun  Ray  Aid  Society サンレー互助会」のタイトルが書かれています。

シネコンに並んだ2種類のペーパー

 

また、ブログ「ディズニー&サンレー」で紹介したように、ある日のシネコンには、わが社の互助会パンフレットの隣に似たようなデザインのチラシが置かれていました。見ると、なんとディズニーのチラシではないですか! 「ディズニー100 フィルム・フェスティバル」のタイトルで8本の名作アニメの名シーンが描かれ、「100年分の夢と魔法を――映画館の大スクリーンで。」と書かれています。子どもの頃から愛してやまなかったディズニーのチラシとサンレーのパンフレットが並んでいるなんて夢のようでした。あるいは、魔法をかけられたようでした。そのとき、わたしの頭の中で「そうだ、お盆を『リメンバー・フェス』と呼ぼう!」という考えがひらめきました。


「リメンバー・フェス」は、ブログ「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画からインスパイアされたネーミングです。リメンバー・ミーは第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝きました。過去の出来事が原因で、家族ともども音楽を禁止されている少年ミゲル。ある日、先祖が家族に会いにくるという「死者の日」に開催される音楽コンテストに出ることを決めます。伝説的ミュージシャンの霊廟に飾られたギターを手にして出場しますが、それを弾いた瞬間にミゲルは死者の国に迷い込んでしまいます。カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。

ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書

 

リメンバー・ミー」を観れば、死者を忘れないということが大切であると痛感します。わたしたちは死者とともに生きているのであり、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとっては先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。拙著ご先祖さまとのつきあい方双葉新書)にも書きましたが、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

板東龍汰、西野七瀬主演のグリーフケア映画君の忘れ方の原案である拙著愛する人を亡くした人へ(現代書林)で紹介しましたが、アフリカのある部族では、死者を二通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうというのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。映画「リメンバー・ミー」の中でも、同じメッセージが訴えらえました。死者の国では死んでもその人のことを忘れない限り、その人は死者の国で生き続けられますが、誰からも忘れられてしまって繋がりを失うと、その人は本当の意味で存在することができなくなってしまうのです。


リメンバー・ミー」のポスター

 

わたしたちは、死者を忘れてはなりません。それは死者へのコンパッションのためだけではなく、わたしたち生者のウェルビーイングのためでもあります。映画「リメンバー・ミー」から発想され「リメンバー・フェス」は、なつかしい亡き家族と再会できる祝祭ですが、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合う祝祭でもあります。そう、それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。日本には「お盆」、海外には「死者の日」など先祖や亡き人を想い、供養する習慣がありますが、国や人種や宗教や老若男女といった何にもとらわれない共通の言葉として、わたしは「リメンバー・フェス」という言葉を提案します。それは、日本の「お盆」、メキシコの「死者の日」、そして欧米の「ハロウィーン」などをすべて統合するコンセプトです。将来、ニュースなどで「今日は世界共通のリメンバー・フェスの日です」と言われる日を夢見ています。



日曜日の渋谷に話を戻します。コスプレをせずに渋谷に来ていた若者のうち、20歳の男子大学生は「土曜日なんで普通に渋谷に買い物にきただけです。だからもう夕方には帰ろうって話で駅に来てみたんですけど、ハチ公口閉鎖されてるなんて知らなかった。あれだけ渋谷に来るなって報道されてますから、それで仮装してきて万が一ネットにでも流れたら世間の笑われ者だし叩かれるかもしれないじゃないですか。それでも仮装してくるのはよっぽどのバカじゃないですかね。今のところ全然仮装してる人見ないですけど、夜遅くなったら現れるかもしれないんで、もう今日は予定通り帰ります」と語っています。これでこそ健全ですよね。



渋谷のハロウィーンが正常化したことはまことに喜ばしいことですが、わたしはもう1つ、正常化してほしいイベントがあります。地元である北九州の成人式です。北九州の成人式は「派手すぎる」と注目を浴びてきました。派手なカラーのはかまで拡声器をもって練り歩く男性たち。花魁のように肩を出した女性たち・・・。その異様な姿が多くのメディアで取り上げられ、あろうことかインターネット上では「安定のヤンキー文化」「修羅の国」などと正月の風物詩(?)として拡散しているとか。情けないかぎりです。はっきりと言わせてもらいます。わたしたちがお手伝いをさせていただいているお客様に「修羅の国」のようなスタイルをした方は1人もいません。早朝、眠い目をこすりながら家族とともに来館され、着付け後は晴れやかな笑顔で家族や友人たちと語らい、記念撮影をする姿はとてもすがすがしく、ほほ笑ましいです。


西日本新聞」2020年1月21日朝刊

 

修羅の国」化は新成人たちだけのせいではありません。ずばり言いますが、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」という成人式の趣旨を無視し、「稼ぐこと」にだけ特化した一部の貸衣装業者による「間違えた差別化」がこのような現象を起こしています。また一部の事象のみを面白おかしく報道するマスメディアの姿勢にも問題があります。いずれにせよ、大人たちの商売の都合で、一生に一度の晴れの日を「修羅の日」にしてはなりません。ブログ「振り袖を断念しないで!」ブログ「二十歳に振り袖を」でも紹介したように、わが社は児童養護施設出身の新成人に晴れ着を無償で提供していますが、「成人になれること」への周囲への感謝を忘れず、「成人になること」の重みと責任を感じている新成人のみなさんの応援をさせていただいています。

 

渋谷の大学生が「万が一ネットにでも流れたら世間の笑われ者だし叩かれるかもしれないじゃないですか」と語ったように、お馬鹿さんたちには修羅スタイルでネットに登場するのは恥だと目覚めていただきたい。そして、ハロウィーン参加者の暴徒化を食い止めた渋谷区のように、北九州市も行政として「STOP!修羅の国」に真剣に取り組んでいただきたいです。今年は渋谷区長が「ハロウィーン目的で渋谷に来ないでほしい」と海外メディアに訴えましたが、北九州市長も「ド派手成人式を取材しないでほしい」と国内メディアに訴えていただきたい。渋谷区のように、北九州市も本気を見せていただきたい。ド派手衣装を着て、浮かれている場合ではありません!



2023年10月31日 一条真也