『教養としてのワイン』

世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン

 

一条真也です。
『世界のビジネスエリートが身につける教養としてのワイン』渡辺順子著(ダイヤモンド社)を読みました。著者は、プレミアムワイン代表取締役。1990年代に渡米。1本のプレミアムワインとの出会いをきっかけに、ワインの世界に足を踏み入れました。フランスへのワイン留学を経て、2001年から大手オークションハウス「クリスティーズ」のワイン部門に入社。NYクリスティーズで、アジア人初のワインスペシャリストとして活躍。オークションに参加する世界的な富豪や経営者へのワインの紹介・指南をはじめ、一流ビジネスパーソンへのワイン指導も行いました。2009年に同社を退社。現在は帰国し、プレミアムワイン株式会社の代表として、欧米のワインオークション文化を日本に広める傍ら、アジア地域における富裕層や弁護士向けのワインセミナーも開催しています。


本書の帯

 

本書のカバー前そでには、「ワインが好きになる。もっと知りたくなる。」とあります。帯には「NYクリスティーズでアジア人初のワインスペシャリストが教える、ビジネスパーソンが知っておきたいワインの歴史、豆知識、話題のトピック――」「『ワインはエリートにとっての最強のビジネスツールだ』佐藤優氏推薦」と書かれています。 


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「世界の銘醸地と一流ワインの知識がこれ一冊で身につく」と大書され、「ボルドーブルゴーニュシャンパーニュ/ローヌ/ロワール/プロヴァンス/ラングドックルヨン/アルザストスカーナピエモンテ/スペイン/ドイツ/ポルトガル/カリフォルニア/チリ/オーストラリア/ニュージーランド・・・・・・」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1部 
ワイン伝統国「フランス」を知る

世界を魅了する華麗なるボルドーワインの世界
【初心者のためのワイン講座①】
必ず押さえておきたい6つのぶどう品種
神に愛された土地ブルゴーニュの魅力
【初心者のためのワイン講座②】
正しいテイスティンぐの仕方
フランスワインの個性的な名脇役たち
【初心者のためのワイン講座③】
ワイングラスの形はなぜ違うのか?
第2部 

食とワインとイタリア
食が先か? ワインが先か?
【初心者のためのワイン講座④】
ワインボトルの形と大きさ
ヨーロッパが誇る古豪たちの実力
【初心者のためのワイン講座⑤】
基本的なラベルの読み方
第3部 

知られざる新興国ワインの世界
アメリカが生んだ「ビジネスワイン」の実力
【初心者のためのワイン講座⑥】
ワインの評価を決める「パーカーポイント」
進むワインのビジネス化
【初心者のためのワイン講座⑦】
知っておきたいワイン保存の7か条
未来を担う期待のワイン生産地
【初心者のためのワイン講座⑧】
ワインのビジネスマナー
「おわりに」

 

「はじめに」の「ゴールドマンサックスが『ワイン』を学ぶ理由」では、著者が10年以上にわたり、ニューヨークのオークション会社クリスティーズのワイン部門にて、ワインスペシャリストとして多くの経営者や富裕層たちと関わってきたことが紹介されます。そこで、欧米でワインが文化として根付いていることを痛感したそうで、著者は「美術や文学などと並び、重要な教養のひとつとして深く生活に浸透しているのです。学校からビジネスシーンまで、さまざまなところでワインの教育が重要視されています」と述べています。


アメリカでも、一流ビジネスパーソンたちがこぞってワインを学んでいるといいます。ワインは単なる「お酒」ではなく、グローバルに活躍するビジネスパーソンが身につけておくべき万国共通のソーシャルマナーのひとつとして捉えられていると指摘し、著者は「特に国際色豊かなニューヨークでは、クライアントの接待などの際、テーブルに会する人は、皆白人とは限りません。最近ではアジア系やインド系の方もビジネスシーンの中心にいます。接待するホスト役にとって、異なるバックグラウンドを持つ人たちに適切なワインを選ぶのは至難のわざです」と述べます。


ただし、そこでスマートに的確にワインをオーダーできたら、ビジネスを有利に進められることは間違いないとして、著者は「接待される側も選ばれたワインについて気の利いたコメントができれば距離が縮まり、仲間意識も深まることでしょう。ワインの知識は、ビジネスを円滑に進めるうえでの重要なツールであり、高い文化水準を兼ね備えるエリートであるかどうかの「踏み絵」としての役割も果たしているのです」と述べます。


「ワインは最強のビジネスツール」では、教養としてワインを身につけることは、幅広いジャンルを包括的に学ぶことにもなるとして、著者は「地理、歴史、言語、化学、文化、宗教、芸術、経済、投資など、ワインの知識は各分野に横断的に関わっているので、ワインを嗜むことで豊かな国際的知識も得られるのです。その多種多様な知識は、コミュニケーションツールとしての大きな武器ともなります」と述べるのでした。


第1部「ワイン伝統国『フランス』を知る」の「世界を魅了する華麗なるボルドーワインの世界」の「フランスがワイン大国になった理由」では、著者はこう述べています。
「ワインの歴史は非常に古く、6千年も7千年も前にはすでに存在していたようです。しかし、その発祥の地は定かではありません。メソポタミア文明の時代、現在のイラクあたりでシュメール人が初めてワインをつくったという説がある一方、現在のジョージア(旧グルジア)あたりでも最も古いとされるぶどう畑の痕跡が見つかっており、ワインの起源については、今もなおさまざまな憶測が飛び交っています。いずれにしても、紀元前5000年ごろの遺跡からは、ワイン醸造に使われていたと思われる石臼や貯蔵のための壺が発見されており、人が集まってワインを飲んでいた形跡も発見されています。人類の文明の発達に、ワインが少なからず貢献したのは確かでしょう」

 

ワイン伝統国フランスに初めてワインが伝わったのはローマ帝国時代のことでした。その普及に多大な貢献を果たしたのが、ローマの政治家であり軍人のジュリアス・シーザーです。著者は、「ローマ帝国の力が増し、その勢力をヨーロッパ各地に拡大していくなか、シーザーは痩せた土地でも栽培が容易なぶどうの特徴を生かし、遠征の先々でぶどうを植えさせ、地元の人々にワイン造りを伝えていきました。食べ物を十分に確保できない兵士たちのために、栄養補給として各遠征先でワインを与えたのです。ブルゴーニュシャンパーニュ、ローヌ、南仏など、ローマ軍の遠征先が有名なワイン産地となっているのはまったくの偶然ではないように思います」と述べます。

 

ワインの存在価値はイエス・キリストの登場により大きく変わります。イエスが「最後の晩餐」の中で、「ワインは私の血である」という有名な言葉を残した結果、ワインは単なるぶどうから作られたアルコール飲料ではなく、「聖なる飲み物」として、神聖で貴重なものとして扱われるようになります。著者は、「キリスト教の布教とともに、ワインは瞬く間にヨーロッパ全域へと広がりました。キリスト教の勢力増大に伴い、各地で教会が建てられ、ワインはキリストの分身として教会のミサでも使用されるようになり、教会や修道院でもワインが醸造されるようになっていきます。そのため、今でもカトリック教会の総本山であるバチカン市国は、一人当たりのワイン消費量が世界一となっています」と述べます。



ヨーロッパでルネサンス宗教改革が起こる時代に入っていくと、ワインはさらにその需要を増していきます。この頃、高級シャンパン「ドン・ペリニヨンドンペリ)」誕生の発端となった発泡性ワインが偶然出来上がり、人気を博します。著者は、「この発泡性ワインの収入が修道院や教会の運営を助け、多くの宗教芸術が生み出されました。その結果、ますますキリスト教信者は増え、ワインの需要も一段と伸びていったのです。そして18世紀に入ると、ワインはヨーロッパの王侯貴族に愛されたことで、大きな発展を遂げることになります。皇帝や貴族たちは、こぞって高級ワインを求め、華やかな宮廷文化をワインが彩りました」と述べるのでした。


ボルドーワインとネゴシアンの密な関係性」では、各国の王侯貴族たちは高級シャトーの名がつけられたワインを求めるようになり、シャトーも彼らにより高くワインが売れるように、セールスをアウトソーシングするようになったことが紹介されます。ワイン取引を専門に請け負う会社「ネゴシアン」の誕生です。シャトーは、契約したネゴシアンにエクスクルーシブ(独占販売権)を与え、シャトーのワインはすべてネゴシアンを通じて販売される仕組みをつくったのです。


「神の愛された土地ブルゴーニュの魅力」の「ブレンドOKのボルドー、NGなブルゴーニュ」では、テロワール(ぶどうが育つ自然環境)が最も優れているのはロマネ・コンティの畑だと言われ、ここではピノノワールが育つための最高の条件が整い、土壌の質、畑の向き、方位、標高など、どれを取ってもパーフェクトとされていることが紹介されます。しかし、ロマネ・コンティとわずかに道を挟んだだけの別の畑でつくられるワインは、品質も価格もまったく異なります。目と鼻の先ですら、その違いは歴然だといいます。


ロマネ・コンティを生み出す神に愛された村」では、ブルゴーニュ地方には、最高級のワインを生み出す「コート・ドール」という地域があることが紹介されます。フランス語で「黄金の丘」という意味を持つコート・ドールは、まさに丘一面に広がるぶどう畑によって黄金色に埋め尽くされていることから命名された地名です。かのロマネ・コンティもまた、コート・ド・ニュイ地区のヴォーヌ・ロマネ村でつくられています。

わたしが飲んだロマネ・コンティ

 

ヴォーヌ・ロマネ村は「神に愛された村」という異名を持つほど、ワインの生産に恵まれた土地です。ここにも、ロマネ・コンティをはじめ、ラ・ターシュ、リシュブールなどの特級畑がいくつも存在し、多数の高級ワインがこの小さな村から生まれています。著者は、「ヴォーヌ・ロマネ村は、今も変わらずぶどう畑と醸造所、そして教会しか存在せず、道路がかろうじてアスファルトに整備された程度で、ほとんど何百年も手が加えられていない状態です」と述べます。ブログ「祇園でワインを飲む」で紹介したように、わたしは2022年8月19日、京都は宮川町にあるお茶屋さんで初めてロマネ・コンティを飲みました。

ロマネ・コンティを味わいました

 

ロマネ・コンティは、多くの歴史上の人物たちも魅了しました。病弱だったルイ14世が、薬の変わりにスプーン1杯のロマネ・コンティを毎日飲んでいたのは有名な話です。また、ルイ15世の愛妾だったポンパドゥール夫人もロマネ・コンティに翻弄された1人でした。著者は、「ロマネ・コンティの所有者の座を巡りコンティ公と戦った夫人でしたが、コンティ公が破格の金額を提示したため、その願いは叶いませんでした。くしくも敗れた夫人は、その腹いせに宮廷からブルゴーニュのワインを一掃してしまったと言います」と書いています。


「『ボジョレー解禁』で盛り上がるのは日本だけ!?」では、ボジョレー・ヌーボーが取り上げられます。ボジョレー・ヌーボーとは、ボジョレーでつくられる「ヌーボー(新酒)」という意味です著者は、「通常、ワインは9月から10月にかけて収穫をおこない、ぶどうを潰して発酵させ、しばらく寝かしてから出荷されます。この熟成期間は、品質や産地を守るために、国が地区ごとに法律で定めています。たとえば、ボルドーでは赤ワインで12~20ヶ月、白ワインでは10~12ヶ月の樽熟成が定められています。一方でボジョレー・ヌーボーは、わずか数週間の熟成期間で出荷していいと決められており、その最初の出荷日が『解禁日』と呼ばれる11月の第3木曜日なのです。日本では、時差の関係で本国フランスを差し置き、世界でいち早くボジョレーが飲めるということで、バブル時代は日本中がボジョレーに熱狂し、大きな話題を集めました」と説明しています。


「フランスワインの個性的な名脇役たち」の「うっかりミスから生まれたシャンパンという奇跡」では、大のワイン好きであり、遠征先にもワインを持ち込むほどだったナポレオンが「シャンパンは戦いに勝ったときは飲む価値があり、負けたときには飲む必要がある」と言ったエピソードが紹介されます。シャンパンには長い熟成期間が定められていますが、この熟成に地下貯蔵庫を利用しているのもシャンパーニュの特徴です。著者は、「シャンパーニュは、古代ローマ時代に大量の石が採掘された場所でもあり、地下に巨大な洞窟が存在します。中には全長30km近くにも及ぶ地下貯蔵庫を確保しているメゾンも存在するほどです。地下空間は、年間を通じて常に12℃前後に保たれ、シャンパンの熟成にちょうど適した温度と湿度を備えているのです」と説明します。


シャンパンの中でも、世界的に最も有名なのは「ドン・ペリニヨン」でしょう。通称ドンペリの生みの親と言われるのはピエール・ペリニヨン修道士です。1638年にフランス北東部のシャンパーニュ地方で生まれた彼は、その一生をシャンパンに捧げました。実はシャンパンは、このペリニヨン修道士の“うっかりミス”によって偶然生まれたといいます。著者は、「修道院でワイン係を命じられたペリニヨン修道士は、うっかりワインを貯蔵庫に入れ忘れ、外に放置してしまいます。そして数ヶ月後、そのワインの瓶から泡が立ち上がっているのを見つけたのです。寒い冬の間、外に置き去りにされ微生物の活動(発酵)が止まっていたワインが、春の訪れとともに気温が上がり、再び微生物が動き出したことで瓶内二次発酵が起こり発泡したのでした」と説明します。


続けて、著者は「ペリニヨン修道士は、恐る恐る泡の立ち上がるワインを飲んでみることに。すると、実に爽やかでとても飲みやすい味わいでした。これが、後のシャンパン造りのヒントになったわけです。その後、ペリニヨン修道士は発泡性ワインの品質改良を重ね、シャンパン用のコルクを発明するなど、その偉業は今もなお引き継がれています。そして1794年、ペリニヨン修道士が一生を捧げたオーヴィレール修道院とぶどう畑をモエ・エ・シャンドン社が買収します。そして1930年、同社は『ドン・ペリニヨン』の商標権を獲得。晴れてドン・ペリニヨンというブランドが誕生したのです」と説明するのでした。


ゲーテも愛したアルザスワイン」では、フランスのワイン生産地であるアルザスが取り上げられます。ワイン交易が盛んになったアルザスでは、ワインの取引や品質管理とワインの鑑定を請け負うグールメという業者が誕生します。後に「グルメ」の語源になった人々です。著者は、「グールメが人気商売となり、アルザスはワインだけでなくグルメの町としても発展を遂げていきました。ところが、フランス革命勃発によりライン川の経路が閉ざされ、アルザスのワイン輸出量は急減してしまいます。さらにアルザスは、後の戦争におけるドイツとフランスの激しい所有権争いにも巻き込まれ、ぶどう畑も細分化されてしまいました。その結果、今でも1つの畑にたくさんの生産者がいるのです」と説明しています。


ドイツの詩人であり小説家でもあるゲーテも、アルザスワインに魅了された1人でした。著者は、「アルザス地方に下宿していたことがあり、アルザスゆかりの文化人でもあるゲーテは、『ワインのない食事は太陽の出ない一日』『つまらないワインを飲むには人生はあまりにも短すぎる』という名言を残し、自分のオリジナルワインをつくるほどのワイン好きでした。おそらく彼が自分のオリジナルワインをつくった最初の有名人でしょう」と述べています。


第2部「食とワインとイタリア」の「食が先か? ワインが先か?」の「イタリアワインのゆるい格付け」では、著者は「フランスとワインで肩を並べる国といえばイタリアです。フランスがそうだったように、ワインが古代ローマ人によって各国にもたらされ、世界共通の飲み物となったという事実は、イタリア人の誇りとなっています。イタリアのワイン生産量は、大国フランスを抜いて世界一です」と述べています。


イタリアではすべての州でワインが醸造されており、それぞれの土地の土壌や天候の特徴を生かしたワインがつくられています。著者は、「長い歴史の中で常に小国が分立・対立を繰り返していたイタリアは、それぞれの地方や地域、都市によって文化や歴史的背景が大きく異なります。そのため、地元意識が強く、それぞれの土地に独自の風土や食文化があるように、ワインにもさまざまな種類が存在するのです」と述べます。

 

シャンパン以上の実力!? 業界が期待するフランチャコルタ」では、イタリアの発泡性ワイン「フランチャコルタ」が取り上げられます。世界的に有名な発泡性ワインといえば、フランスのシャンパンが代表的です。著者は、「シャンパンは、フランスのシャンパーニュ地方の厳しい規定を満たした発泡性ワインの名称であり、最高峰のシャンパンであるドンペリは、古いヴィンテージであれば1本100万円を下りません。オークションでもコレクターたちが血眼になってドンペリを競り落としています。シャンパンというブランドは時に人々の金銭感覚を狂わせてしまう魅力を持っているのです。そんなシャンパン熱を少々鎮めてしまうかもしれないのが、イタリアの発泡性ワイン『フランチャコルタ』です。フランチャコルタは、北イタリア・ロンバルディア州のフランチャコルタ地域で生産され、イタリアで初めてDOCGの認証を受けた発泡性ワインでもあります」と説明します。


フランチャコルタの生産者も100社ほどで、その数はシャンパンのわずか5%ほどです。そのため流通量が少なく、各国への輸出が行き届いていないといいます。著者は、「『フランチャコルタ』というブランドを世界に轟かすには、シャンパンのように大量の本数が必要になりますが、現状はそのほとんどがイタリア国内の消費で終わってしまっているのです。さらに、シャンパンをはるかに超える厳しい規定が義務付けられているため、新しい生産者が増えにくいという現実もあります」と述べています。


「ヨーロッパが誇る古豪たちの実力」の「イギリスに愛されたポートワインとマディラ」では、イギリスは、隣国にボルドーワインやシャンパンなどの最高のワインがあり、イギリス王侯貴族たちも、それら世界の一流品を口にして大満足していたことが紹介されます。わざわざ痩せた土地で十分に育たないぶどうを育て、ワインをつくる必要などなかったのです。著者は、「そのためイギリスは、ワイン生産国としてではなく、ヨーロッパの一大ワイン消費国として、歴史の中でワインの発展に寄与してきました。ヨーロッパ各地のワイン産地にとって、『イギリス国民に見初められる=成功』だったのです。ボルドーをはじめ、現在の世界に名だたるワイン産地の多くは、イギリスに認められることによって銘醸地として名を馳せていったのでした」と述べています。


イギリス人に愛されたポートワインもそのひとつです。ポルトガルの「ポルト(ポート=港)」から名付けられたと言われ、3大酒精強化ワインのひとつでもあるポートワインは、イギリス商人のアイデアにより、海上輸送中のワインの劣化を防ぐためにブランデーを入れたのがその始まりだと言われています。著者は、「イギリスがポルトガルにワインを求めたのは、歴史上に起こった数々の対立が原因でした。フランスとたびたび対立していたイギリスは、そのたびにフランスワインの調達が難しくなっていましたが、スペインとも危うい関係だったため、確実な配給の妥協案として選ばれたのがポルトガルだったのです」と説明しています。


第3部「知られざる新興国ワインの世界」の「アメリカが生んだ『ビジネスワイン』の実力」の「規制だらけのオールドワールド、自由奔放なニューワールド」では、ワインには「オールドワールド(旧世界)」と「ニューワールド(新世界)」という生産地の区分けがあることが紹介されます。フランス、イタリアなどの伝統的なワイン生産国がオールドワールド、一方でアメリカ、チリ、オーストラリアなどの新興生産国はニューワールドに分類されます。


オールドワールドについて、著者は「ぶどうの栽培についても多くの規制があり、人工的に手を加えることはワインの個性を失うと考えられています。テロワールを守り、自然に従ったワイン造りのスタイルを維持することが、オールドワールドの美学と捉えられているのです。また、ラベル記載に関しても厳しい義務付けがあります」と説明。一方のニューワールドについては、「オールドワールドのような土地やぶどうの個性を重視する厳しい法律はありません。ワインの歴史や伝統がないため、自由な発想でワイン造りがおこなわれ、時代にあった味やスタイルを追求しているのです」と説明します。


「世界有数の銘醸地カリフォルニア誕生の裏側」では、アメリカでのワイン造りの始まりは、アメリカ大陸発見後に、ヨーロッパから東海岸に移住した人々によるとされていることが紹介されます。イギリスの植民地となったボストンやワシントンDC、ニューヨークなど、東海岸の主要都市を中心にワイン造りが広まっていったのです。アメリカのワインといえば、カリフォルニアワインが有名ですが、カリフォルニア州がワインの一大産地となった背景には、当時アメリカで沸き起こったゴールドラッシュがありました。19世紀半ば、ゴールドラッシュで沸くカリフォルニアに、金を求めて世界中の採掘者が集まったことがきっかけでした。


ゴールドラッシュ以降、アメリカでのワイン需要も大きく伸びていきました。著者は、「カリフォルニア州のサンフランシスコでは、1848年時点で1千人に満たなかった人口が、なんと1年で2万5千人へと膨れ上がり、さらにはヨーロッパを中心とする他の大陸から4万人近くの移民が訪れたことで、爆発的にワインの需要が増えたのです。カリフォルニアに新たに根付き始めたワインという産業は、順風満帆のスタートを切りました。しかし1920年、なんとも不条理な法律『禁酒法』がアメリカで施行されます。世間の道徳や秩序を守るという名目で始まった国民の飲酒を禁止する法律です」と説明しています。


「『フランスvs.カリフォルニア』のブラインドティスティング、その驚きの結果とは?」では、フランスのワイン関係者がナパから持ち帰った1本のワインが、その後のカリフォルニアワインの評価を一変させることになったエピソードが紹介されます。著者は、「パリでワインショップを営むスティーブン・スパリュア氏(アカデミー・デュ・ヴァン創立者)は、この持ち帰られたナパのワインを飲み、カリフォルニアワインが想像以上にめざましい進歩を遂げていることに驚きを隠せませんでした」と述べます。


そして、カリフォルニア産ワインの宣伝を兼ね、フランスワインとカリフォルニアワインのブラインドテイスティングの開催を思いついたのです。これが現在でも語り継がれる「パリの審判」と呼ばれるテイスティング大会で、1976年にアメリカ独立200周年を記念してセッティングされたものでした。この世紀のテイスティング大会の結果は、予想を大きく裏切るものになりました。なんと、カリフォルニアワインの圧勝となったのです。


この結果をとうてい受け止められなかったフランスは、「フランス産ワインは、アメリカ産と違って熟成を要する。30年後にようやく美味しいワインが出来上がるのだ」と言い放ちました。しかし、1976年の「パリの審判」から30年後、2006年におこなわれた。リターンマッチでも、結局カリフォルニアワインが勝ちました。パリの審判で圧勝したカリフォルニア・ナパは、フランスを負かした将来有望な産地としてますます注目を集めました。


「パリの審判」でフランスワインに勝利したカリフォルニアワインは世界のワイン市場で熱い注目を浴びました。1979年には、ボルドーの5大シャトーのひとつであるムートン・ロスチャイルドが、カリフォルニアのロバート・モンタヴィ社とジョイントベンチャーオーパス・ワン」を立ち上げます。スタイリッシュなワイナリーや、オーナー二人の顔をデザインしたラベルなど、伝統と革新の融合を感じさせる斬新的なスタイルは大きな話題を呼びました。「オーパス・ワン」は、わたしの大好きなワインです。



「進むワインのビジネス化」の「リーマンショックと香港・中国市場の台頭」では、リーマンショックで低迷したワイン業界の危機を救ったのは、巨大な市場を用意して現れた中国であったことが指摘されます。著者は、「リーマンショックと時を同じくして、2008年には香港がワインにかかる関税を40%からゼロに引き下げました。その結果、大手オークションハウスがこぞってワインオークションの拠点を香港へ広げ、景気が上がっている中国へ大々的にプロモーションをおこなったのです。香港がアジアにおけるワイン流通のハブになり、中国はもちろん、これまでワインの不毛国だった台湾、シンガポール、マレーシアへもワインが広がっていきました」と説明します。


「『投資』としてのワインの現状とは?」では、ワインは付加価値と希少価値により価格が変動する唯一の商品であることが指摘されます。たとえば、ヴィンテージによっても付加価値が変わります。著者は、「同じ名の商品でも、生産年によって価値がまったく変わるものはほかにはなかなか見受けられません。また、毎年その本数も減っていきますので、希少性も年々高まります。それによっても価格が高騰するのです」と述べています。


さらに、ワインは長く保管すればするほど基本的には価格が上がっていく(ワインのタイプや保存の仕方にもよりますが)と指摘し、著者は「不動産物件などは日に日に価値が下がっていくものですが、ワインは食品でありながら賞味期限もなく腐るわけでもなく、逆に古ければ古いほど価値が上がるのです。もちろん、ワインにも飲みごろのピークがあるので、ピークを過ぎたワインは徐々に人気が下がります。しかし、そうしたワインを『アンティーク』という感覚で集めるコレクターも多く、そこにもまた付加価値が生まれるのです」と説明しています」と述べます。


「未来を担う期待のワイン生産地」の「なぜ、フランスの一流シャトーは『チリ』でワインをつくるのか?」では、チリでワイン造りが発展した背景には、19世紀後半にヨーロッパの産地を襲ったぶどう害虫(フィロキセラ)の発生があったことが紹介されます。著者は、「害虫の発生によってワインの生産が不可能になったヨーロッパ各国の醸造家たちは、フィロキセラの被害に見舞われていない土地を求め、新大陸チリへと渡っていきました。南北に伸びるアンデス山脈の傾斜や谷間に広がるぶどう畑は地形的に害虫が侵入しにくく、チリは唯一フィロキセラの被害を受けていない産地だったのです。害虫の被害で国外から渡ってきた多くの醸造家、そして地元の人々によって数々のワイナリーが設立されていきました」と説明しています。


ブルゴーニュをしのぐ高いポテンシャル!? ニュージーランドワインの驚きの実力」では、ニュージーランドも、歴史が浅いワイン産地のひとつとして紹介されます。著者は、「ニュージーランドでワイン産業が発展したきっかけは、1840年代にイギリスの植民地となり、ぶどう畑が開墾されたことにありました。気候にも土壌にも恵まれたニュージーランドは、良質なワインの生産を期待され、その歴史をスタートさせたのです。しかし、第2次世界大戦後のニュージーランドで水や砂糖を加えた粗悪ワインが出回ったことで、ニュージーランドワインには悪いイメージが定着してしまいました。


これにより長らく低迷したニュージーランドのワイン造りでしたが、1980年代には国内大手ワイナリーがつくる白ワイン(ソーヴィニヨンブラン種主体)が世界のワインコンクールで優勝し、改めてニュージーランドワインの可能性が見直されることになります。また、ピノノワールは栽培が難しいことで有名で、その他のワインの新興国ではうまく栽培できていない現状がありましたが、ニュージーランドはその栽培を成功させられる環境と期待されました。著者は、「ピノノワールを使った超高級ワインといえばロマネ・コンティですが、近い将来、ロマネ・コンティのような高級ワインがニュージーランドから生まれてくるかもしれません」と述べます。


「日本のワインは世界に通用するのか?」では、これまでは輸入したぶどうを使用しても「国産ワイン」と表示できましたが、今後は、「日本ワイン」と表記するために100%日本国内のぶどうを使用しなければならなくなったことが紹介されます。また、産地をラベルに記載する場合も、その地域で育てたぶどうを85%以上使用した場合に限られます。ワイン伝統国の歩んできた道を、ようやく日本も歩み始めたとして、著者は「そんな未来が明るい日本における最大のワイン生産地が山梨県です。大小のワイナリーが80ほどあり、国内の約3割のワインがここで生産されています。山梨県の中でも特に有名な産地は「甲州」で、明治時代からワイン造りが続いている地域です」と述べるのでした。わたしも甲州ワイン、好きです。もちろん、ロマネ・コンティオーパス・ワンも素晴らしいですが、和食には日本のワインが合うはずです。本書を参考に、これからも色々なワインを楽しみたいですね。最後に、もうすぐ、わが松柏園ホテルがついにオリジナルワインを発売する予定です。数十年間、わたしが世界中のワインを飲みに飲んだ結晶です。どうぞ、お楽しみに!


発売予定の松柏園ワイン赤白のサンプル

 

2023年8月7日  一条真也