『絶体絶命』

 

一条真也です。
『絶体絶命』鎌田東二著(土曜美術社出版販売)を読みました。著者から献本された本ですが、ブログ『常世の時軸』で紹介した著者の第一詩集、ブログ『夢通分娩』で紹介した第二詩集、 ブログ『狂天慟地』で紹介した第三詩集から成る「神話詩三部作」に続く第四詩集となります。「神話三部作」の完結後、著者は「詩人」としてはしばらく「休火山」とし、溜まっている論文や本の執筆に注力されると宣言しました。しかし、あくまでも「休火山」であり、「死火山」ではありません。 本書『絶体絶命』をもって鎌田休火山は再び噴火したのでした。本書を読んだ率直な感想は、「前の3冊に比べて、読みやすい!」です。


本書の帯

 

本書の帯には、「父さん あなたが教えた所得倍増はこれほど手ひどい貧困をもたらしました いのちのこえがとどかぬほどの貧困を」「非常事態である」「異常事態である」「緊急事態である」「エリ エリ レマ サバクタニ 襟 恵理 霊真 砂漠谷」と書かれています。祝詞のような呪文のような不思議な言葉ですね。


本書の帯の裏

 

帯の裏には、「世界はにぎみたま(和魂)に包まれているとは言えぬ 世界はあらみたま(荒魂)を発動する そのあたみたまの発動が理不尽に見えるが しかしそれは真に理不尽なものではない あるべくしてある なるべくしてなる おこるべくしておこる だから とどめることはできない 止めることはできない 発動するほかない 現象するほかない 大国主『なぜこれほどの重荷を背負わなければならないのか?』より」と書かれています。


わたしとのWEB往復書簡である「ムーンサルトレター第205信」において、著者は本書の再校ゲラを抱えて出雲大社を訪れたとして、「2018年から2019年にかけてつづけさまに3冊の詩集を出したので、もう詩集は出さないつもりでしたが、2月24日にロシアによるウクライナ侵攻があって緊急出版することにしました。侵攻1ヶ月後の3月24日から4月4日までの間の10日間で全詩篇を書き上げ、5月中旬に出来上がります。これを書いたからと言って何かが大きく変わるわけでもないのですが、しかし、平和を作り上げるとはどんなことなのか、神話や歴史から深く考えていくきっかけを持つことができるとおもっています」と述べています。



本書の「目次」は、以下の通りです。

序詩 常若の教え
第一楽章 破産申告
伝言
消滅
阿鼻叫喚
破産
始発
星くずスクウェア
まつ

第二楽章 痛恨
ヒロシマナガサキ
(HIROSHIMA・NAGASAKI,広島・長崎)
ミナマタ(MINAMATA,水俣
フクシマ(FUKUSHIMA,福島)
トクシマ(TOKUSHIMA,徳島)

第三楽章 終結 
     あるいは とどかぬおもい
大国主 なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?
たすけ
国譲り
終詩 聴耳頭巾

 

 

序詩「常若の教え」には「もはや通り抜けすることが出来ぬほど 顕幽の境を往き来する銀河鉄道も 赤字累積で廃線を決意した」というフレーズがあります。銀河鉄道が顕幽の境を往き来する臨死体験列車であることは著者はすでに著書『宮沢賢治銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)で詳しく述べていますが、「銀河鉄道」と「赤字累積」という2つの言葉の組み合わせには意表を衝かれました。わが社も顕幽の境を往き来する冠婚葬祭の仕事に携わっていますので、赤字累積しないように、いや赤字にしないように気をつけたいと思います。


加賀大観音像の偉容

 

それから、「赤字累積で廃線を決意した」という言葉から、わたしは最近訪れた加賀大観音像のことを思い浮かべました。じつは、ブログ「加賀大観音像の中へ!」を読まれた著者からメールが届きました。そこには、「凄い観音像ですね。中の展示もよく出来ているように思います。しかしながら、経営は難しいのではないでしょうか? というのも、物は必ず崩壊する時が来るからです。特に、巨大建造物の崩壊は、後始末が大変です。賞味期限というか、利活用期限も限られていると思います。それは、法隆寺の様なお寺とも違うし、奈良の大仏や鎌倉の大仏のような世界遺産とも異なります。近代の大観音像などの仏像は、いずれすべて取り壊しになると思っています」と書かれていたのですが、そのとき、「常若の教え」の「赤字累積」「廃線」という言葉が頭に浮かびました。


加賀大観音像の内部で

 

また、著者は、ハートピア計画時代からのわたしの「宗遊」計画は、まさにこのような施設を含むものだったと指摘しています。なので、わたしの志や理念やヴィジョンやプランと、今回の加賀大観音像は親和性があると述べた上で、メールには「それゆえ、思いは、よく理解できます。問題は、現実的な経営だと思います。それが軌道に乗せられるかどうか、わたしは経営者ではないので、何とも言えませんが、残念ながら、うまく維持されていくようには思えません」とも書かれていました。著者がここまで言って下さることは「ありがたい」と思いました。著者とは「魂の義兄弟」と思っていますが、わたしにとっては「人生の師」でもあり、いつも感謝しています。


「若常の教え」には、「星影のワルツも遠遠しく 生きとし生けるものの極大ピアニッシモのうた だれも聞こえないよ 誰も聴いていないよ そんな どこにとどかの 声ごえを 息詰めて 拾い集めに 急ぐ」というフレーズも出てきます。この「星影のワルツ」とは、言わずと知れた千昌夫の大ヒット曲です。1966年3月発売で、オリコン最高位1位 (1968年) となりました。「星影のワルツ」といえば、わたしのカラオケ愛唱歌でもありますが、ブログ「『満月交遊』出版記念会」で紹介した井上喜行さんの「なむあみだぶつ」の歌を思い出しました。


「なむあみだぶつ」の歌を合唱&合掌

 

これは「星影のワルツ」のメロディーに乗せて、ひたすら「なむあみだ〜ぶ〜つ〜、なむあみだぶつ♪」と唱えるシュールな歌です。東京自由大学の第二校歌だそうですが、最初に聴いたときのインパクトは絶大でした。宗教学者山折哲雄先生も大いに感銘を受けられたとか。著者とわたしの共著である『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)の出版記念会の最後に、この歌を参加者全員で合唱しました。ちなみに、井上さんは鎌倉の禅寺で、臨済宗円覚寺派名刹である「東慶寺」のご次男だそうです。


Ⅰ「大国主」の「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」の冒頭は、以下のようになっています。

 

おほくにぬし

おほなむぢ

あしはらしこを

やちほこ

うつしくにたま

 

いくつもの名前をもつ

あなたは

名前が多ければ多いほど

重荷も多い

重荷が重い

 

なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?

つねにあなたはその問いを発したはずだ

(「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」)

 

わたしにも多くの名前があります。「一条真也」をはじめ、本名の「佐久間庸和」、歌詠みの雅号である「庸軒」、著者との文通名である「Shin」などです。「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」には「名前が多ければ多いほど 重荷も多い 重荷が重い」と書かれていますが、わたしの場合は多くの名前を持つことによって重荷が軽くなるというか、重荷が分散されるというか、動きやすくなるというか、生きやすくなるというか・・・・・・そんな感じです。


あなたは先祖の神、いや真の父神スサノヲの直系である

そして父神スサノヲのあらみたまをすべて受け継ぎながら

一度もそのあらみたまを発動することなく

その反対に あらみたま(荒魂)をすべてほどきとかして

にぎみたま(和魂)に

さちみたま(幸魂)に

くしみたま(奇魂)に

変容させた

 

そんなあなたのメタモルフォーゼ力を人びとは

「縁結びの神」として崇拝する

(「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」)

 

結魂論』(成甲書房)

 

「縁結びの神」とは「結婚の神」ということです。そもそもそもそも縁があって結婚するわけですが、「浜の真砂」という言葉があるように、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性のなかからたった一人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか!拙著『結魂論』(成甲書房)で、わたしは結婚とは男女の魂が結びつく「結魂」であると訴えました。かつて古代ギリシャの哲学者プラトンは、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を著書『饗宴』の中で唱えました。元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情です。プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。

 

 

プラトンは、結婚のことを人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。そういう相手が探せないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは、わたしたちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。そして、精力的に自分の片割れを探し、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり逢えたならば、言うに言われぬ喜びが得られるということをプラトンは教えてくれたのです。わたしは、彼のいう球体とは「魂」のメタファーであったと思います。

 

 

また、17世紀のスウェーデンに生まれた神秘思想家スウェデンボルグは、「真の結婚は神的なものであり、聖なるものであり、純潔なものである」と述べました。天国においては、夫は心の「知性」と呼ばれる部分を代表し、妻は「意思」と呼ばれる部分を代表している。この和合はもともと人の内心に起こるもので、それが身体の低い部分に下ってくるときに知覚され、愛として感じられるのです。そして、この愛は「婚姻の愛」と呼ばれます。両性は身体的にも結ばれて1つになり、そこに1人の天使が誕生する。つまり、天国にあっては、夫婦は2人ではなくて1人の天使となるのです。プラトンとスウェデンボルグをこよなく敬愛するわたしは、結婚とは男女の魂の結びつき、つまり「結魂」であると信じています。


しかし、「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」には、「あなたは先祖の神、いや真の父神スサノヲの直系である そして父神スサノヲのあらみたまをすべて受け継ぎながら 一度もそのあらみたまを発動することなく その反対に あらみたま(荒魂)をすべてほどきとかして にぎみたま(和魂)に さちみたま(幸魂)に くしみたま(奇魂)に変容させた」と書かれています。わたしは、「結魂」とは男女の魂の結合だけでなく、荒魂・和魂・幸魂・奇魂の結合であるとも考えています。『結魂論』では、神道による神前結婚式は離婚しにくいと述べました。なぜなら、神前式とは、荒魂・和魂・幸魂・奇魂が1つに結び合わされる結魂が成し遂げられる場であり、そこで新郎の魂と新婦の魂も結ばれ、大いなる「産霊」が実現すると書きました。


不可能だよ、そんなこと!

できるわけないよ!

もう、いやだよ!

 

碇シンジ君なら そう言うだろう

「怒り瞋持」クンだから

いかりと貪瞋痴の三毒に取り込まれた痛みと苦しみの君だから

 

その碇シンジ君の苦しみをあなたならよくわかることでしょう

母を亡くした悲しみと父に捨てられた悲しみ

父神スサノヲもまったく同じ道を辿った

 

でも あなたはちがった

あなたは母に救われた

あなたのいのちを救ったのは母だった

(「なぜこれほどの重荷を背負わねばならないのか?」)

 


ここに出てくる「碇シンジ君」とは、庵野秀明監督によるアニメ「エヴァンゲリオン」シリーズの主人公のことです。父は碇ゲンドウ、母は碇ユイ。同居人は家主であり上司兼保護者のNERV戦術作戦部作戦局第一課 課長の葛城ミサト、EVA弐号機パイロットの惣流・アスカ・ラングレー、ミサトのペットでペンギンのペンペン。エヴァンゲリオン(EVA)とのシンクロには天才的な才能を見せます。ブログ「新世紀エヴァンゲリオン」に書いたように、TVアニメ版の最後では、人類補完計画が発動したことが文字情報のみで示され、その中で絶望し苦悩するシンジの精神世界が描写されます。これまでの主要登場人物が次々と現れてシンジに語りかけ、その問答の果てに、シンジは今までとは全く違う世界を見ることになる。何の変哲もない学生生活を送るシンジと登場人物たち。母親(ユイ)も亡くなってはおらず、使徒もEVAも存在しない世界。


その世界を見たシンジは「世界は自分次第であらゆる可能性がある」こと、そして「僕はここに居ても良いんだ」と気付きます。そして登場人物たちから一同に「おめでとう」と祝福され、シンジは「ありがとう」と言って微笑むのでした。このラストシーンに、わたしは仰天しました。「なんじゃ、こりゃ?」「これがSFアニメか!」とも思いました。自分の居場所が見つからずに悩み続けたシンジは、最後に自分の殻に閉じこもることをやめ、「僕は僕だ!」「僕は僕でいたい!」「僕は、ここにいてもいいんだ!」と自己肯定します。すると、彼の周囲の人々は「おめでとう」と拍手で彼を祝福します。それに対して、シンジは「ありがとう」と素直に答えるのでした。続けて、画面には「父に、ありがとう」「母に、さようなら」「そして全ての子供達(チルドレン)へ おめでとう」のテロップが登場し、前代未聞のアニメとしての「新世紀エヴァンゲリオン」は終了するのでした。この碇シンジ大国主命を重ね合わせたところは、まさに日本神話とエヴァを愛してやまない著者の真骨頂という印象でした。

 

超訳 古事記

 

Ⅱ「痛恨」では、具体的な地名と句読点のないお筆先のような文章に、読者は鬼気迫る迫力を覚えることでしょう。全部で4つありますが、それぞれ短いので全文を紹介したいと思います。


HIROSHIMA/NAGASAKI
ヒロシマナガサキ(広島・長崎)

選択は苛烈だったが偶然も作用しただが爆撃は激烈だったあらゆるものがひしげてこけた壊れた潰れた燃えた逃げても逃げきれなかった今すぐ必要なものもなかったすべてがてにとどかずはかいされはかいされ破壊され尽くした全滅消滅破滅大音の中の無音激音の中の無音爆音の中の沈黙いのちがしずむしたたりはないめぐりもない風も吹かぬ爆裂の津波だけが押し寄せるいのちは絶たれた

 



MINAMATA ミナマタ(水俣

救いは水だったのに差し出されたのは毒だった闇だった病だった風立ちぬと言った人がいたが波も立たないのに腹が立った憤怒が立った激昂が立ち上がった死民の狼煙籏が翻った死人の呪旗が棚引いた猫も杓子も跳ね飛びながら呪詛を跨いだ飛び越えて行けおれらは踏み台だ踏み拉かれて挫かれて取り除かれて虐げられて打ちひしがれて聴こえてきたものがある本願の声救いはないと思っていたがそうだはなかった自分の中に闇も光もあった自力と自声が消えるところに生類あはれのいのちの讃歌が無駄にするな無駄死ににするな無駄声にするな聴け聴け聴けえ~と叫んで自死していった者の声もみなまたのうみはきいているぞ

 



FUKUSHIMA フクシマ(福島)

垂れ流される毒薬留まることを知らぬ制御不能恐れを知らぬ所業もはや取り返しのつかぬ愚行言うべき言葉もなく取るべき施策もなく打ち出す政策は尽く不渡り更に溝を深くするのみ宣戦布告の高波を見くびったバベルの塔は一網打尽に自壊した自滅すべき運命を辿るちからいっぱい自分の首を絞めている誰もが愚行と思わずに実行している闇夜世界は黄昏れたが夜明けまでには程遠い尻取り遊びは終った

 



TOKUSHIMA トクシマ(徳島)

徳がない人が言う徳島に行きたいと徳島で生きたいと徳島で逝きたいとそうであろうそうであろうともおれも徳がないよ徳島生まれなのにでもねそんな俺でも徳島は希望だ徳島は光だ徳島は道だお遍路さんがあるから永遠の同行二人が敷かれているから不渡り手形が回収される終着の始発の場所だから発心修行菩提涅槃お遍路の旅は続くゴールに着くことが目的ではない歩み続けることがすべてだ四国は死国だから詩の国だから漆黒だからあらゆる手立てが途絶えた後も歩みだけは消えることはない旅は続く遍路が往くところに道ができる

 



Ⅲ「破産」の「始発」は、このように始まります。

 

始発までの時間があるというので天外を眺めていた

流星の瞬きの中で創世記が幾度も繰り返された

懐かしい未来記憶を読み解きながらときじくのかくの木の実を齧る

輪転機の孤独な誤植を指摘しつつ

もうメスは入れないで

 

ぼくは死んでよみがえる時を待った

だが 後発の遺伝子に組み紐は通用しない

パスワードはHLID

身口意の三密とのことだった

 



わたしが、この詩を読んだ直前に、ブログ「きさらぎ駅」で紹介したJホラー映画を観ました。そして、「始発」の冒頭のイメージが「きさらぎ駅」に重なりました。この映画は、2004年に「はすみ」と名乗る人物がインターネット掲示板2ちゃんねる」に書き込んで以来、いまだ話題となる都市伝説をモチーフにしています。民俗学を専攻する女子大生が、異世界の駅の謎に迫ります。「きさらぎ駅」という都市伝説は、日本人には馴染みの深い異郷訪問譚の一種です。現世の地上世界、『古事記』などの神話であれば葦原中国から、それ以外の異郷を訪れる話ですね。よく知られている例としては、わが監修書『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)にも登場する伊邪那岐命の黄泉国訪問、浦島子の竜宮訪問、大穴牟遅神の根国訪問譚、火遠理命の綿津見宮訪問譚、神功征韓譚、「舌切り雀」の雀のお宿などがあります。


これら日本人によく知られた異郷訪問譚の現代版として、「きさらぎ駅」をとらえることができるでしょう。ちなみに「きさらぎ駅」には、「伊佐貫(いさぬき)」と言う名称のトンネルが登場しますが、これは「伊邪那岐(いざなぎ)」と関連していると思われます。「鬼」という漢字を「きさらぎ」と読むこともできることから、きさらぎ駅には黄泉の国のイメージが強く漂っています。「始発」の最後には「はじまりのはじまり おわりのおわり おわりのはじまり はじまりのおわり はじまりのはじまり 始発で発車されないまま永遠に行き違った」とありますが、まさに黄泉国を強くイメージさせると思いました。


天河大弁財天社にて

 

この詩集『絶体絶命』を読んで、わたしが感じたのは、「黄泉国をはじめ、さまざまな異世界へとトリップできるトラベルガイド・ブックのようだ」ということでした。「始発」の前に置かれた「破産」という詩には「世界は多孔体だから」というフレーズがあります。著者によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。そして、「精神世界の六本木」と呼ばれた天河大弁財天社にしろ、伊勢神宮出雲大社にしろ、神社とは穴の開いたパワースポットなのでしょう。『絶体絶命』を読みながら、それらのパワースポットを訪れた記憶が蘇ってきました。この詩集は異世界に通じている・・・わたしには、そんな気がしてなりません。

 

 

2022年7月10日 一条真也