宗遊

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わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「宗遊」という言葉を取り上げることにします。『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)で提唱した言葉です。


「宗遊」を提唱した『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー

 

宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」なのです。音楽やダンスなどの「遊び」は最も原始的な「もとのもと」の表現であり、人間をハートフルにさせる大きな仕掛けとなります。


宇宙における情報システム

 

もはや何かを人間の心に訴えるとき、「教え」だけでプレゼンテーションを行う時代ではありません。幸福、愛、平和といった抽象的なメッセージを伝えようとしても、今までは「教え」だけだったので説教臭くなって人々に受け入れられないという面がありました。そういった抽象的な情報は、言語としての「教え」よりも、非言語としての「遊び」の方が五感を刺激して、効果的に心に届きやすいのです。


宗遊の背景(1990年頃)

 

人間が心の底からメッセージを受け取るのは、肉体というメディアを通過させた「体感」によってでしょう。情報と記号が氾濫する現代においては特にそのことが言えます。また、今後の社会を動かす原動力となる若者や子どもに対しては、直接に「教え」を授けるより、音楽、映画、ミュージカル、スポーツ、それにテレビゲームなどを通じてメッセージを送った方が素直に受け入れられることは確実です。


サンレーグランドホテル内に開設された「宗遊館

 

わたしは「遊び」を通してメッセージを送る、このプレゼンテーション・システムを宗教ならぬ「宗遊」と呼んでいます。もちろん「遊び」だけでは、宗教は単なるレジャー産業になってしまい、宗教ではなくなってしまいます。宗教にとっては決して「遊び」だけがすべてではありません。ハート化社会においては、「教え」と「遊び」のバランスを図って、幸福や愛をプレゼンテーションしていく「教遊一致」が必要とされるのです。この「宗遊」というコンセプトをわかりやすく展示するミュージアムが「宗遊館」です。2004年2月に北九州市にオープンしたサンレーグランドホテル内に開設され、大きな話題を呼びました。


ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

「宗遊」には、もう1つの意味もあります。ずばり、「葬儀」の別名です。わたしは『ロマンティック・デス』(国書刊行会幻冬舎文庫)、その流れを受けた『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)の中で「葬儀は遊びよりも古い」と記しました。実際、世界的に見ても相撲・競馬・オリンピックなどの来歴の古い「遊び」の起源はいずれも葬儀と深い関係があります。古代の日本では、天皇の葬儀にたずさわる人々を「遊部(あそびべ)」と呼んでいました。葬儀と「遊び」とのつながりをこれほど明らかにする言葉はありません。


唯葬論』(三五館)

 

そもそも、はるか7万年前、ネアンデルタール人が最初に死者に花をたむけた瞬間から、あらゆる精神的営為は始まりました。これからの多死時代において、葬儀のもとに、「死」を見つめ、魂を純化する営みである哲学・芸術・宗教は統合されるのかもしれません。そして、その大いなる精神の営みはもはや葬儀とは呼ばれず、「宗遊」という新しい名を得ると思います。そのことを『ハートフル・ソサエティ』(三五館)、そのアップデート版『心ゆたかな社会』(現代書林)に「哲学・芸術・宗教の時代」という一章を設けて、自説を展開したのであります。

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

2020年10月10日 一条真也