「新世紀エヴァンゲリオン」

新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD-BOX (全26話+ディレクターズカット版4話, 660分) [DVD] [Import]


一条真也です。
今日で8月も終わり。小倉では秋の風が吹いています。
ついに、「新世紀エヴァンゲリオン」のTV版アニメ全26話を観ました。
ブログ『ゴジラとエヴァンゲリオン』で紹介したように、アマゾンで「新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD−BOX」(2300円!)を購入し、数日間かけて毎日数話づつ観ました。放送から20年目にして、遅まきながらの全話鑑賞です。わたしは基本的にアニメを観ない人間です。子どもの頃のリアルタイム視聴は別にして、大人になってからの全話鑑賞は梶原一騎原作の「タイガーマスク」と「空手バカ一代」以来です。(笑)


DVD−BOXのパッケージ



新世紀エヴァンゲリオン」には熱狂的なファンが存在することはよく知っていました。また、カラオケで「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生が同アニメのオープニングソングである「残酷な天使のテーゼ」を、「カラオケ・キング」こと日本経済新聞社の鈴木慎一さんがエンディングソングの「Fly me to the moon」を歌うことから、気にはなっていました。「エヴァ」を知っていることは一種の「教養」のようにも感じられ、まるでゲーテの『ファウスト』とかドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいない文学青年のような居心地の悪さを感じたものです。


碇シンジ(DVD−BOXより)

綾波レイ(DVD−BOXより)



そんなわたしが、遅まきながら、ついに「エヴァ」全26話を観たのです。よく言われていますが、たしかに「わかりにくい」アニメでした。予算の関係からか静止画面も多く、クオリティが高い作品とはけっして言えません。しかし、それでもこの作品は奇妙な魅力に溢れています。全部で18体にわたる使徒にはユダヤ・キリスト・イスラムの三大「一神教」に関連する名前が冠され、作品世界そのものには「カバラ」や「グノーシス」といった神秘主義思想の香りが強く漂います。さすがに、上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長(東京大学名誉教授)、鎌田東二特任教授(京都大学名誉教授)という日本宗教学界のツー・トップが魅了されている作品だけのことはあります。


惣流アスカ・ラングレー(DVD−BOXより)

葛城ミサト(DVD−BOXより)



たしかに斬新な作品で、20年前に作られたといっても、古さを感じさせません。もっとも、時代設定は2015年〜16年なのに、ケータイはすべてガラケーウォークマンにカセット・テープ、フィルムカメラが大活躍しているのは御愛嬌ですね。改めて、この20年でさまざまな生活関連のテクノロジーが進化したことを痛感します。あと、葛城ミサト赤木リツコが参列する友人の結婚披露宴がけっこう古いスタイルでした。どでかいウエディングケーキや「寿」の席札やカラオケも登場しますし・・・・・・20年前には、現在のような結婚披露宴のスタイルを想像できなかったのでしょうね。


この壮大な作品世界を簡単に説明することは困難です。Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」の「概要」には、以下のように書かれています。
庵野秀明監督、GAINAXの原作によるSFアニメ作品。大災害『セカンドインパクト』後の世界(2015年)を舞台に、巨大な人型兵器『エヴァンゲリオン』のパイロットとなった14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵『使徒』との戦いを描く。1995年10月4日から1996年3月27日にかけて全26話がテレビ東京系列(TXN)で放送された。放送時の視聴率は低かったが、放送終了後に斬新なストーリーが物議を醸し賛否両論の議論を引き起こした。1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』、1980年代の『機動戦士ガンダム』と並び、後のアニメへ影響を与えた第三世代のアニメ作品でもあり、爆発的なアニメブームのきっかけとなった。1997年には、TVアニメ版の結末(第弐拾伍話、最終話)とは別の結末を描いた劇場版『Air/まごころを、君に』(第25話、第26話)が公開された」


続けて、Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」の「概要」には、以下のように書かれています。
「漫画とアニメのメディアミックス作品であり、貞本義行による同名の漫画が、テレビ放送に先立つ1994年12月より角川書店漫画誌上で連載が開始され、18年後の2013年6月に連載が終了。連載開始から19年後の2014年11月20日に最後の単行本(第14巻)が発売され完結した」



さらに、「概要」には以下のように書かれています。
「2006年には、本作を新たな設定・ストーリーで『リビルド(再構築)』した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ全4作の制作が発表され、2007年に第1作『序』が、2009年に第2作『破』が、2012年に第3作『Q』がそれぞれ公開されている」


碇ゲンドウ(DVD−BOXより)



また、Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」の「ストーリー」には以下のように書かれています。
「物語の舞台は西暦2000年9月13日に起きた大災害セカンドインパクトによって世界人口の半数が失われた世界。
その15年後の西暦2015年、主人公である14歳の少年碇シンジは、別居していた父、国連直属の非公開組織・特務機関NERV(ネルフ)の総司令である碇ゲンドウから突然第3新東京市に呼び出され、巨大な人型兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットとなって第3新東京市に襲来する謎の敵『使徒』と戦うことを命じられる。
当初はゲンドウの命令で、そしてEVA零号機のパイロットである少女綾波レイの負傷を目の当たりにしたため仕方なくEVAに乗っていたシンジだが、使徒との戦い、そして戦闘指揮官であり保護者役となった葛城ミサト、同級生鈴原トウジ相田ケンスケらとの交流によって次第に自らの意思でEVAで戦うようになる。第3、第4の使徒を倒し、戦線復帰したレイとともに第5の使徒を倒したシンジに、新たにドイツから来日したEVA弐号機のパイロットの少女惣流・アスカ・ラングレーが仲間に加わり、彼らは次々と襲来する使徒を迎撃し、たびたび窮地に追い込まれるも辛うじて勝利を重ねていく」


続いて、Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」の「「ストーリー」には以下のように書かれています。
「しかし、米国からNERV本部へと移管された新型機・EVA3号機の起動実験の際、3号機に寄生していた第13使徒が3号機を操り暴走をはじめたため、ゲンドウは3号機を使徒(敵)として処理することを決定。レイの零号機とアスカの弐号機が倒されるが、それでもシンジが人間の乗っているEVAを相手に戦うことを躊躇したため、ゲンドウはEVAの自律型操縦システム『ダミーシステム』を起動させる。シンジの意思とは無関係に初号機は3号機を破壊し、コックピット(エントリープラグ)を握り潰す。そしてシンジは、そこに自分の友人、鈴原トウジが乗っていたことを知る」


渚カヲル(DVD−BOXより)



さらに、Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」の「ストーリー」には以下のように書かれています。
自らが乗ったEVAの手で友人が足を切断する大怪我を負ったことで、シンジはEVAのパイロットを辞めるが、そこに強大な力をもつ第14使徒が現れる。迎撃したアスカの弐号機とレイの零号機も敵わず倒される。その窮地を目にしたシンジは再び自分の意思でEVAに乗ることを決め、使徒と戦い、そして最後はEVA初号機の暴走によって使徒を倒すことに成功する。しかし第15使徒との戦いにおいてアスカが精神攻撃を受け廃人となり、レイも第16使徒との戦いでEVA零号機とともに自爆し命を落とす。相次いで仲間を失ったシンジの前に新たなパイロット渚カヲルが現れる。シンジはカヲルに対して心を開いていくが、彼こそが最後の(第17の)使徒であった。しかし、アダムと出会うという目的を果たせなかったことでカヲルは自分か人類のいずれか片方しか生き残れないとシンジに説き、シンジの乗るEVA初号機の手で殺されることを願う。シンジは困惑し逡巡するが、カヲルを初号機の手で握殺する」



ここから先の物語の描写はTV版と劇場版で異なりますが、Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオン」ではTV版の最後を以下のように紹介しています。
人類補完計画が発動したことが文字情報のみで示され、その中で絶望し苦悩するシンジの精神世界が描写される。これまでの主要登場人物(カヲルを除く)が次々と現れてシンジに語りかけ、その問答の果てに、シンジは今までとは全く違う世界を見ることになる。何の変哲もない学生生活を送るシンジと登場人物たち。母親(ユイ)も亡くなってはおらず、使徒もEVAも存在しない世界。その世界を見たシンジは『世界は自分次第であらゆる可能性がある』こと、そして『僕はここに居ても良いんだ』と気付く。そして登場人物たちから一同に『おめでとう』と祝福され、シンジは『ありがとう』と言って微笑んだ」



このラストシーンに、わたしは仰天しました。
「なんじゃ、こりゃ?」「これがSFアニメか!」とも思いました。自分の居場所が見つからずに悩み続けたシンジは、最後に自分の殻に閉じこもることをやめ、「僕は僕だ!」「僕は僕でいたい!」「僕は、ここにいてもいいんだ!」と自己肯定します。すると、彼の周囲の人々は「おめでとう」と拍手で彼を祝福します。それに対して、シンジは「ありがとう」と素直に答えるのでした。
続けて、画面には「父に、ありがとう」「母に、さようなら」「そして全ての子供達(チルドレン)へ おめでとう」のテロップが登場し、前代未聞のアニメとしての「新世紀エヴァンゲリオン」は終了するのでした。


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

この驚愕のラストに「自己啓発セミナー」のイメージを感じた人は多かったようです。たしかに、ロボット・アニメがいつの間にか心理セラピー・アニメに変貌してしまったような強い違和感をおぼえました。そして、わたしは少し前に読んだ心理学のミリオンセラーを思い出しました。
ブログ『嫌われる勇気』ブログ『幸せになる勇気』で紹介したアドラー心理学の入門書です。わが国で心理学というとフロイトユングが有名ですが、世界的にはアドラーを加えて三大巨頭とされています。世界的ベストセラーとして知られるデール・カーネギーの『人を動かす』や『道は開ける』、あるいはブログ『7つの習慣』で紹介したスティーブン・コヴィーの名著にはアドラーの思想が色濃く反映されています。



フロイトはトラウマ(心に負った傷)を重要視しましたが、アドラーは、トラウマを明確に否定します。過去の出来事が現在の不幸を引き起こしていると考えるのではなく、人は経験の中から目的にかなうものを見つけ出すといいます。「原因」ではなく「目的」に注目するのがアドラー心理学です。
「すべての悩みは人間関係の悩みである」「人はいま、この瞬間から幸せになることができる」「愛される人生ではなく、愛する人生を選べ」「ほんとうに試されるのは、歩み続けることの勇気だ」といった数々のアドラーの言葉が読者に勇気を与えてくれます。



そして、「エヴァ」はアドラー心理学のアニメ化といってもいい内容だということに気づきます。アドラーがよく取り上げる「承認欲求を満たしたいがために自己中心的な人間」とは、エヴァンゲリオンの初号機パイロットである碇シンジその人にほかなりません。幼い頃に目の前で母親を失い、父親と確執し続けているシンジは、他人との親密な関係を怖れます。ゆえに誰とも距離を保ち、心を開こうとしません。その一方で、彼は父親から認められ、愛されることを望みます。つねに「逃げちゃだめだ」と自分に言い聞かせながら、自分の居場所を求めるシンジの苦悩の物語、それが「エヴァ」全体を通底しています。



エヴァ」のキーワードの1つに「A.T.フィールド(Absolute Terror FIELD)」があります。A.T.フィールドの正体は人間が持っている心の壁です。そして人類補完計画とは、全人類の持つA.T.フィールドを消失させて一体化させることだとされています。『嫌われる理由』の第四夜「世界の中心はどこにあるか」の「対人関係のゴールは『共同体感覚』」では、青年が哲人に対して「対人関係の「ゴール」はどこにあるのです?」と問い、哲人は「結論だけを答えよというのなら、『共同体感覚』です」と答えます。
共同体感覚とは何か。哲人は「他者を仲間だと見なし、そこに『自分の居場所がある』と感じられることを、共同体感覚といいます」と説明します。



これはまさに「エヴァ」のめざす世界ではないですか!
シンジが父ゲンドウやミサトからの承認を求めようとせず、自分を取り巻く環境を受け入れ、他人を信じ、自分自身が価値を見出すもののためにEVA初号機に乗ることができたら、そこは「世界の中心」となり、A.T.フィールドは消滅し、人類補完計画は実現するかもしれないのです。
ミサトの「傷つくことから逃げているね」とか、リツコの「人が怖いのね」とか、シンジの「「逃げちゃ駄目だ! 逃げちゃ駄目だ!」といったセリフは現代日本「うつ」や「ニート」や「引きこもり」や「対人恐怖症」の人々に対するメッセージであるという説があるようですが、たしかにそれは否定できないと思います。


法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

さらに、最終話のラストに登場した「父に、ありがとう」「母に、さようなら」「そして全ての子供達(チルドレン)へ おめでとう」のテロップから、わたしは拙著『法則の法則』(三五館)で紹介した「幸福になるための第一法則」を思い出しました。それは「親に感謝する」というものです。多くの人々が「感謝」の心こそ、「幸福」への道だといっています。そのとおりです。そして「大自然に感謝すべし」とか、「宇宙に感謝すべし」という宗教家のメッセージもよく目や耳にします。まったくそのとおりだと思います。でも、なかなか普通の人間がそこまで達観することも難しいでしょう。しかし、どこかで感謝のスイッチを入れて、心を「感謝モード」にすることが大切なのも事実。ならば、どうするか。



わたしは、こう考えます。わたしは、会社を経営しています。冠婚葬祭を業としていますので、「礼」というものを非常に重んじています。「礼」とは、つまるところ、「人間尊重」ということです。そんな当社では、全社員の誕生日を祝っています。老若男女を問わず、誰にでも平等に毎年訪れる誕生日。誕生日を祝うということは、その人の存在すべてを全面的に肯定することです。まさに「人間尊重」そのものです。社長であるわたしは、1600名もの社員全員にプレゼントをつけてバースデーカードを贈っています。毎日の各職場の朝礼において、誕生日を迎えた人にカードとプレゼントを渡し、職場の仲間全員で「おめでとうございます!」の声をかけて、拍手で祝っています。社員の皆さんも、とても喜んでくれているようです。そのかわりに、わたしは皆さんに対して、1つのお願いをしました。それは、「誕生日には、ぜひ自分の親に感謝していただきたい」というお願いです。



ヒトの赤ちゃんというのは自然界でもっとも弱い存在です。
馬の子は馬の子として、犬の子は犬の子として生まれてきますが、人間の子どもは人間として生まれてきません。自分では何もできない、きわめて無力な弱々しい生きものです。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。じつに2年間もの長期にわたって、常に細心の注意で世話をしてやらなければ、放置しておくと死んでしまうのがヒトの赤ちゃんです。こんなに生命力の弱い生き物は他に見当たりません。



わたしはずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、現在まで残ってきたのだろうか?」と。そして、あるとき突如として、その謎が解明しました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。そもそも、出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うものです。実際、母親の命と引きかえに生まれた新しい命も珍しくありません。また、無事に出産したとしても、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命をかけて自分を産んでくれて、育ててくれた存在なのです。



ある意味で、自然界においてヒトの子が最弱なら、ヒトの母は最強といえるかもしれません。そして、その母子を大きく包んで、しっかりと守ってやるのが父親の役割です。誕生日とは、何よりも、命がけで自分を産んでくれたお母さん、そして自分を守ってくれたお父さんに対して感謝する日だと思います。わたしは、自分の誕生日に両親に対して心からの感謝をすることこそ、感謝のサイクルに突入して、心を感謝モードにする第一スイッチであるような気がしてなりません。そして、両親への感謝から宇宙や自然や神仏への感謝につながってゆくのではないでしょうか。このように、わたしは「感謝」こそが「幸福」にいたる道であり、そのための最初のスイッチとして、自分の親に感謝するということが有効であると信じています。


一神教 VS 多神教 (朝日文庫)

一神教 VS 多神教 (朝日文庫)

  • 作者:岸田秀
  • 発売日: 2013/06/07
  • メディア: 文庫

このことは単なる道徳的教訓などではありません。心理学的にも大きな意味があるのです。人間には「自我」があります。その「自我」が、死の恐怖を生み、さまざまな欲望を生み、ある意味で人間にとっての「不幸」の原因をいろいろと生んできたわけです。心理学者の岸田秀氏は、「自我」について、『一神教vs多神教』で以下のように語っています。
「人間は本能が壊れて自我をつくらざるを得ない。自我には支えがあって初めて成り立つんで、支えが必要です。何がその支えになるかということなんだけど、本能が壊れていてメチャクチャなんですから。人間は人間であるかどうかというのさえ決まっていないのです。だから、人間の自我はまず自分を人間だと思うところから始めなければならないんです。自分を人間だと思うためには、自分を人間だと規定してくれる何かが要るんだということです」



そして、その自分を人間であると規定してくれる存在とは、必ずしも神である必要はなく、普通は自分を産んだ親に求めるというのです。なぜなら、親とは自分をこの世に出現させた根本原因としての創造主だからです。つまり、親に感謝することは、自分を人間であると確信することであり、自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになるのです。これが、「幸福になる法則」でなくして、何が「幸福になる法則」でしょうか。親に感謝すれば幸福になるという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。



ある意味で人間関係をよくする「法則」の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということでしょう。そして、親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを孔子孟子は知っていたように、わたしは思います。「新世紀エヴァンゲリオン」という壮大なアニメの最後の最後で、居場所のない不幸な少年シンジは親に感謝することで、幸福のサイクルを作動させる初動動作に成功したのではないでしょうか。「エヴァ」の最終話を観て、わたしはそんなことを感じました。


死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

最後に、もうすぐ「一条本」の最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)が刊行されますが、その続編として『死を乗り越えるマンガ』という本を書きたいと思っています。そこでは、手塚治虫火の鳥』、楳図かずお『イアラ』、永井豪デビルマン』、つのだじろう『うしろの百太郎』、諸星大二郎孔子暗黒伝』、萩尾望都ポーの一族』、吉田秋生『BANANA FISH』、近藤ようこ死者の書』などの名作を紹介しながら、マンガのもつ豊かな可能性を探ってみたいと思っていますが、マンガ版『新世紀エヴァンゲリオン』(貞本義行)もラインナップに加えたいです。
この夏はぎっくり腰に苦しみ、バカンスもありませんでしたが、映画「シン・ゴジラ」とアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を体験できてラッキーでした。
猛暑の夏に極上の時間を与えてくれた庵野秀明さんに感謝します。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年8月31日 一条真也