夢から志へ

 

一条真也です。
"If you can dream it,you can do it."
この言葉は、かのウォルト・ディズニーによるものです。
夢見ることができるなら、それは実現できる」という意味で、わたしの座右の銘の1つです。そう、人間が夢見ることで、不可能なことなど、この世に1つもないのです。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。

 

わたしにとっての「夢」とは「志」に通じています。結局、リーダーにとって最も大切なものは「志」であると思います。志とは心がめざす方向、つまり心のベクトルです。行き先のわからない船や飛行機には誰も乗らないように、心の行き先が定まっていないような者には、誰も共感しませんし、ましてや絶対について行こうとはしません。



志に生きる者を「志士」と呼びます。
幕末の志士たちはみな、青雲の志を抱いていました。吉田松陰は、人生で」最も基本となる大切なものは、志を立てることだと日頃から門下生たちに説いてました。そして、志の何たるかについて、「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」と説きました。


「リビング北九州」2015年4月25日号

 

わたしは、志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値するのであると強調したいです。松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがありますが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。平たく言えば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。


日経電子版「すべては世のため人のため 夢から志へ

 

夢は私、志は公に通じているのです。
自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。真の志は、あくまでも世のため人のために立てるものなのであり、「志」に通じている「夢」ほど多くの人々が応援してくれるために叶いやすいのでしょう。ちなみに、わたしは「礼」という人間尊重思想で無縁社会を克服し、有縁社会を再生するという「天下布礼」の大志を立てています。

 

 

2024年4月12日  一条真也

死を乗り越える やなせたかしの言葉

 

一日一日は楽しい方がいい。
たとえ十種の病気持ちでも
運は天に任せて、
できる限りお洒落もして、
この人生を楽しみたい
やなせたかし

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、やなせたかし(1919年~2013年)の言葉です。彼は、日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人・作詞家。日本漫画家協会理事長、日本漫画家協会会長などを歴任。出身は高知県。漫画の代表作にアンパンマンがあります。作詞家としては、名曲として名高い「手のひらを太陽に」を作詞しました。



「手のひらを太陽に」は、1961年にNET(現在のテレビ朝日)の朝のニュースショー内の今月の歌として発表したもので、作曲は、いずみたく。歌は宮城まり子が歌いました。当時のやなせは仕事は順調だったものの、劇画の時代について行けず、先行きに不安を感じていました。夜中、眠くならないように暖房を消して1人で仕事をしていて、筆がとまったときに電気スタンドで手を温めていると指の間がきれいに赤く見え、子供のころに懐中電灯で手を照らして真っ赤に見えて面白かったことを思い出しました。こんなにも落ち込んでいるのに血は元気に流れていると励まされたような気がして、歌詞の一節が思い浮かんだと述懐しています。



「手のひらを太陽に」は、もともと童謡ではなくホームソングを作るつもりで書かれたとか。歌詞の中でアメンボが出てきますが、これは当初はナメクジでした。1962年、NHK「みんなのうたで、宮城まり子ビクター少年合唱隊の歌唱、映像はやなせ自身制作のアニメーションで放送。当時、歌は反響もなくヒットしませんでしたが、1965年にボニージャックスが歌ってキングレコードから発売され、その年の紅白歌合戦で歌唱すると、広く知られるようになりました。1969年からは、小学校6年生の音楽の教科書に掲載されました。2006年に文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定した「日本の歌百選」にも入っています。

 

 

日本人で『アンパンマン』を知らない人はまずいないでしょうが、PHP研究所が発行する青年向け雑誌「PHP」の通巻第257号に当たる、「こどものえほん」の1969年10月剛に掲載された青年向け読み物「アンパンマン」(絵と文:やなせたかし)が初出です。この時期、やなせたかしが「こどものえほん」のために執筆した読み物は連載12本の短編で、「アンパンマン」はその6本目の作品でした。これら12篇は、株式会社山梨シルクセンター(3年後、株式会社サンリオに社名変更)より単行本『十二の真珠』として1970年に刊行されています。

 

 

初期の「アンパンマン」では、空腹に喘ぐ人の所へ駆け付けて、自らの大事な持ち物であるパンを差し出して食べるよう勧めるという、のちのアンパンマンに通じる物語の骨組みが、すでに整えられています。絵本・漫画・アニメなど、のちに描かれるアンパンマンとの大きな違いと言えば、第一に主人公のアンパンマンが普通の人間のおじさんであり、パンは所有物に過ぎなかったことです。



多くの子どもたちから愛された「アンパンマン」という作品を遺したやなせたかし。しかもこの物語を生み出したのは50歳を過ぎてからだといいます。90歳を超えても創作を続けた彼の作品は、今もなお世代を超えて読み継がれています。彼の人生を振り返ると、わたしには、彼が晩年になって神からのご褒美をもらったような気がしてなりません。「引き寄せの法則」というのがあります。前向きな思いが幸せを呼び、後ろ向きな考えが、マイナスに作用するというものですが、彼のこの言葉が、まさに幸せを引き寄せたのではないでしょうか。



これにあわせて、テレビアニメ版「アンパンマン」の主題歌である「アンパンマーチ」は「人は何のために生きる」という歌詞が出てきます。こんな哲学的な問いを子どもたちに投げかけるなんて、なんと素晴らしいことでしょうか! じつは、やませたかしの弟は神風特攻隊で若い命を散らしており、その自己犠牲の精神が反映されているとも言われています。いずれにしろ、この名曲には、やなせたかしの死生観が込められていると言えるでしょう。なお、今回の名言は死を乗り越える名言ガイド(現代書林)に掲載されています。

 

 

2024年4月12日  一条真也

さらば、曙太郎!

一条真也です。
大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全で亡くなられました。死去のニュース以上に、故人が54歳の若さだったということに驚きました。

ヤフーニュースより

 

同期入門だった若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。仇役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11回の幕内優勝を遂げました。全盛期は憎らしいほど強く、無敵の最強力士が主人公のマンガ「ああ播磨灘」の播磨灘のリアル版のようでした。


曙さんはハワイの大学を中退し88年春場所、18歳で初土俵を踏んだ。後に兄弟横綱となる3代目若乃花貴乃花若貴兄弟、大関魁皇ら「花の六三組」。2メートルを超す長身を生かした突き押し相撲で、特に貴乃花とは熾烈(しれつ)な出世争いを展開。新十両、新入幕と新三役こそ貴乃花に2場所遅れながら、序ノ口から歴代1位の18場所連続勝ち越しを達成しました。92年名古屋場所の新大関、そして93年春場所での横綱昇進は、いずれも貴乃花を4場所、11場所も先んじました。優勝決定戦も含めれば通算対戦成績も25勝25敗の好敵手でした。


92年夏場所で初優勝し場所後に大関昇進。93年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱の座に就きまし。北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋めるとともに、貴乃花の昇進まで一人横綱を11場所務め、横綱3場所目からは3連覇し年間最多勝も獲得。引退後は曙親方として東関部屋で後進の指導にあたっていましたが、2003年11月に日本相撲協会を退職。翌日には格闘技のK-1参戦を発表。大みそかボブ・サップ戦、チェ・ホンマンボビー・オロゴンとの対戦など話題を提供したが、総合格闘家としては芽が出ませんでした。その後、プロレスラーとしても活躍しました。近年は闘病生活を送っていましたが、今月に入り体調が急変していたそうです。最後に、曙太郎さんの魂が安からんことをお祈りいたします。


2024年4月11日  一条真也

バイデン大統領のファッション

一条真也です。
東京から小倉に戻ってきました。わたしも忙しいし、あまり政治の話には首を突っ込みたくないのですが、ブログ「ブルックリンでオペラを」で紹介した映画を観たとき以上の違和感をおぼえたので、この記事を書きました。


アメリカを訪問中の岸田総理大臣は、バイデン大統領と会談し、中国を念頭に緊密に連携していくことで一致しました。その後、両首脳は日本時間の11日午前、ホワイトハウスでの公式晩餐会に出席しました。晩餐会は非常に和やかな雰囲気で開かれ、岸田総理が挨拶でジョークを連発し、会場の笑いを誘う場面もあったとか。YOASOBIが招かれたのはよく意味がわかりませんが、まあ無事に晩餐会が終わって良かったですね。


晩餐会でジョークを連発した岸田総理

 

しかし気になったのは、両首脳のファッションです。岸田総理はタキシードに蝶ネクタイという装いでしたが、バイデン大統領の方はタキシードではなく、単なる黒いスーツに黒ネクタイでした。胸元のバッジがなければ、「お葬式?」と思ったのはわたしだけではありますまい。どうして、両首脳のファッションが不揃いになったのか。というか、日本側だけが正装なのは何故か? 公式晩餐会のドレスコードが「ブラックフォーマル」だったことは間違いないので、アメリカ側が日本を軽く見たように思えました。というか、外交の場面では完全に礼を失しています。終戦直後の昭和天皇マッカーサーのツーショット写真を思い出して、わたしは不愉快でしたね。


これはブラックフォーマルなのか?

 

それとも、バイデン大統領の喪服のようなファッションもブラックフォーマルとして通用するのでしょうか。わたしも冠婚葬祭業やホテル業を生業としており、またマナーの本なども書いているので、礼装や正装については専門分野なのであります。しかしながら、わたしが知らないうちに「ブラックフォーマル」の定義がアップデートしたのでしょうか? わたしの考えが古くなったのでしょうか? テレビのニュース番組のコメンテーターなども、この問題をスルーしていましたが、強い違和感をおぼえました。


レイバンが世界一似合う最強ボス!

 

可能性として考えられるのは、大統領の側近が晩餐会用のタキシードを用意していたにもかかわらず、バイデン大統領が着替えるのを忘れたことです。でも、それだと黒ネクタイを用意していたことが不自然ですね。もしかすると、バイデン大統領には独自のファッション哲学があるのかもしれません。というか、バイデン大統領はすごくオシャレです。だって、レイバンのサングラス姿がムチャクチャ似合うではありませんか。レイバンが似合う男性スターといえば、ハリウッドではブラッド・ピットロバート・パティンソンが有名です。日本では、木村拓哉中田英寿朝倉未来などが愛用していますが、何といっても2020年に亡くなられた故・渡哲也さんが似合いましたね。ドラマ「西部警察」での大門軍団がなつかしいです。


なんというド迫力! シビれるぜ!

 

しかし、バイデン大統領のレイバン姿は誰よりも似合います。そして、ものすごく迫力がありますね。クリント・イーストウッドジェームス・コバーントミー・リー・ジョーンズの迫力にも負けません。世界広しといえど、こんなにサングラスが似合う人は存在しないでしょう。まさに「世界最強のボス」といった印象で、最高にカッコいいです! そんな最強ボスと並ぶと、日本の総理大臣も借りてきた猫みたいですね。その岸田総理、晩餐会でジョークを連発するのはいいですが、肝心の公式会見で「同盟国たる中国」と発言しました。「米国」と言うべきところを「中国」と言い間違えた失言ですが、ヒヤッとしましたね。「言い間違えは、無意識の本音である」と主張したのはかのフロイトですが、日本国民としては単なるミスと思いたいところです。覇権主義的な動きを強める中国に対して、ぜひ日米が緊密に連携してほしいですね!


 

2024年4月11日  一条真也

「ブルックリンでオペラを」

一条真也です。東京に来ています。
10日、冠婚葬祭文化振興財団の経営会議に出た後、有楽町で出版関係の打ち合わせ。夜は、ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「ブルックリンでオペラを」を観ました。まさに" ザ・多様性ムービー"みたいな映画でしたが、正直言って強い違和感をおぼえました。その違和感について詳しく書けないところに、とても不自由さを感じます。


ヤフーの「解説」には、「ニューヨークを舞台に、幸せそうに見える夫婦に訪れた驚きの出来事を描くヒューマンドラマ。スランプに陥った現代オペラ作曲家の人生が、ある女性との出会いをきっかけに大きく変化する。監督などを手掛けるのは『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』などのレベッカ・ミラー。『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』などのアン・ハサウェイ、『シラノ』などのピーター・ディンクレイジ、『太陽に抱かれて』などのマリサ・トメイらがキャストに名を連ねる」とあります。

 

ヤフーの「あらすじ」は、「潔癖症精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)と、現代オペラ作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は、ニューヨーク・ブルックリンで暮らしている。ある日、人生最大のスランプに陥ったスティーブンは、愛犬と行くあてのない散歩に送り出され、立ち寄ったバーで船長のカトリーナマリサ・トメイ)と出会う。彼女の誘いで船に乗り込んだスティーブンを、思わぬ出来事が待ち受けていた」となっています。


わたしが、この映画を観ようと思ったのは、お気に入りの女優であるアン・ハサウェイが出演していたからです。プラダを着た悪魔(2003年)、レ・ミゼラブル(2012年)などの代表作が思い浮かぶ彼女ですが、主演と製作を務めたラブロマンスで「ブルックリンの恋人たち」という2014年公開の映画があります。事故で意識が失われた状態に陥った弟の日記を基に、彼の歩んだ道をたどっていた女性に待ち受ける恋を見つめる物語です。メガホンを取ったのは、「プラダを着た悪魔」で監督助手を務めていた新鋭ケイト・バーカー・フロイランド。甘く切ない物語に加え、舞台となるブルックリンの街並みも魅力的で、わたしはタイトルにブルックリンが入っていることから「ブルックリンの恋人たち」の続編のようなイメージで「ブルックリンでオペラを」を観たのです。


その「ブルックリンでオペラを」ですが、いわゆるルッキズムを否定している映画なのでしょうが、それならば何故、アン・ハサウェイのような美女を起用する必要があるのか。いや、逆に多様性映画には「白人」「美貌」「セレブ」という彼女のキャラクターが必要だったのかもしれませんね。この作品の彼女は非常に美しく、下着を取ってオールヌードになる場面(背後からのショットですが)ではドキッとしました。こんなふうに感じることも不適切になるのでしょうか。どうにもモヤモヤする作品でした。ハリウッドはポリコレや多様性に夢中のようですが、ブログ「オッペンハイマー」で紹介した原爆開発者の伝記映画がアカデミー賞7冠に輝いたとき、そんなものは上辺だけの嘘っぱちであり、「くだらない」と思いました。


オッペンハイマー」がアカデミー賞で脚光を浴びて以来、わたしはアメリカという国のいかがわしさを再認識しているのですが、大谷翔平の通訳の違法賭博問題でもその想いは強くなりました。アメリカは州によって同じ賭博が合法になったり違法になったりします。「アメリカは合衆国なのだから、州によって法律が違うのは当然だよ」と訳知り顔で言う人がいますが、よく考えたら同じ国で法律が違うのっておかしくないですか。映画「ブルックリンでオペラを」でも16歳の少女が結婚できる州とできない州があるとの説明がなされるシーンがあるのですが、わたしは「やっぱり、変な国だな!」と思いました。


ピーター・ディンクレイジが演じる主人公のスティーブンが現代オペラ作曲家であるという設定から、「ブルックリンでオペラを」にはオペラの場面がいくつか挿入されていましたが、これらはいずれも力強く魅力的でした。わたしがオペラの魅力を知ったのは、じつはアンドリュー・ロイド・ウェーバーによるミュージカルオペラ座の怪人(初演:1986年)を観たときからです。ミュージカルというのは、ヨーロッパ産の舞台芸術であるオペラの大衆版としてアメリカで誕生したという経緯があります。いわば" オペラの子"であるミュージカルが親の魅力を最大限に示したという意味で、「オペラ座の怪人」という作品はきわめてユニークであると言えるでしょう。


ミュージカルといえば、芝居の途中でいきなり歌い出すものですが、最近の日本ではそのミュージカルが思わぬ形で広く脚光を浴びました。ブログ「不適切にもほどがある!」で紹介したTBS金曜ドラマで、宮藤官九郎氏がオリジナル脚本を手掛けたヒューマンコメディーです。主人公は、1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にタイムスリップしてしまった体育教師の小川市郎(阿部サダヲ)。典型的な“昭和のダメおやじ”である彼の“不適切”な言動がコンプライアンスで縛られた令和の人々に衝撃を与えるとともに、「何が正しいのか」について考えるヒントを与えました。このドラマで毎回、コンプライアンスにおけるさまざまな問題を歌い上げる「ふてほどミュージカル」が人気を集めたのです。


ドラマ「不適切にもほどがある!」のコンセプトは、「昭和のダメ親父vs令和のコンプライアンス社会」ですが、第1回目から爆笑の展開が続きます。バスを使ったタイムマシン(SF好きから見ると、ツッコミ所は満載!)で、1986年(昭和61年)から2024年(令和6年)にやってきた小川市郎は、信じられないようなコンプライアンス社会の姿を目にします。「コンプライスを意識しすぎてテレビが面白くなくなった」と言われて久しいですが、そんな風潮に一石を投じる宮藤官九郎の感性が冴えわたって、インターネット上でも大反響を巻き起こしました。毎回、昭和と令和のギャップなどを小ネタにして爆笑を誘いながら、「多様性」「働き方改革」「セクハラ」「既読スルー」「ルッキズム」「不倫」「分類」、そして最終回は「寛容」と社会的なテーマをミュージカルシーンに昇華するのが最高でした。クドカンは天才ですね!

 

令和の時代について「多様性の時代です」と説明する者に対して、小川は「『がんばれ!』って言われたら、1ヵ月でも会社を休んでいい時代?」と問いかけます。また、「『結婚だけが幸せじゃない』って言うけど、じゃあ『結婚しました。幸せです!』って言っちゃいけないってこと?」という小川の言葉は胸に突き刺さりました。じつは、映画「ブルックリンでオペラを」を観る数時間前に参加した冠婚葬祭文化振興財団の経営会議である問題が話し合われました。財団が主催する小学生の「私がしたい結婚式」絵画コンクールの是非についての話し合いです。最近の小学生は結婚式に参列する機会が以前に比べて格段に少なく、結婚式の存在そのものを知らないこともあって絵画の応募点数が激減しているのです。


そもそも「結婚式をすべき」「結婚するのが正しい」という価値観そのものが多様性の流れに反しているのではないかなどと激論が交わされました。最後は「まあ、冠婚葬祭の振興のための財団なのだから、結婚や結婚式を肯定するのは間違っていない」という結論に落ち着きましたが、いやはや難しい時代になったものです。この会議の途中で、わたしは小川市郎の「『結婚だけが幸せじゃない』って言うけど、じゃあ『結婚しました。幸せです!』って言っちゃいけないってこと?」という言葉を思い出していました。ちなみに、わたしは結婚したら結婚式を挙げるのが当たり前だし、親が亡くなったら必ず葬儀をしなければならないと考えています。でも、それを声高に叫んでもZ世代の耳には届かないかもしれません。そういった想いや、映画「ブルックリンでオペラを」を観て感じた違和感などもミュージカルで声高らかに歌い上げたい気分です♬

 

2024年4月11日 一条真也

「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」

一条真也です。東京に来ています。
9日は銀座でいくつかの打ち合わせをしましたが、その間を縫って、フランス映画「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。現在、わが社のホテルでもスイーツをいろいろ開発・販売しているので、仕事の参考になりました。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「パティシエ、ヤジッド・イシェムラエン氏の自伝を原作に描くヒューマンドラマ。パティシエになることを夢見る少年が、困難の中でパティスリー世界選手権を目指す。メガホンを取るのはセバスティアン・テュラール。リアド・ベライシュのほか、『わがままなヴァカンス 裸の女神』などのルブナ・アビダル、クリスティーヌ・シティ、パトリック・ダスンサオらが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「母親に育児放棄され、過酷な環境で生きるヤジッド(リアド・ベライシュ)の唯一の楽しみは、フォスターファミリー(里親)の家族だんらんの中で食べる手作りのスイーツだった。いつしかパティシエを目指すようになった彼は、児童養護施設で暮らし始め、やがて10代でパリの高級レストランに見習いとして雇われる。夢に向かってまい進する彼をねたんだ同僚のせいでヤジッドはある日突然仕事を失ってしまうが、パティスリー世界選手権に参加するチャンスを手にする」

 

この映画、パリの高級レストランで修業したヤジッド(リアド・ベライシュ)がホテルのシェフとして働くようになったのも束の間、思わぬトラブルからクビになって、プールサイドのBARのバーテンになります。そこから、かつてのホテルでの上客と再会してチャンスを掴む姿はまことにポジティブで、観客は勇気を貰えます。「パリ・ブレスト」という固有名詞がデザートの種類の名前だということは、恥ずかしながら初めて知りました。


この映画に登場する高級レストランやホテルの厨房では、「ウィ、シェフ!」という号令が何度も飛び交っていました。わたしは、ブログ「ウィ、シェフ!」で紹介した2022年のフランス映画を思い出しました。移民の少年たちが暮らす自立支援施設を舞台にしたコメディーです。一流料理店のシェフだった女性が、調理アシスタントとして迎えた難民の少年たちと交流を重ねる物語です。カティ(オドレイ・ラミー)は、一流レストランの副料理長を務めていたが、シェフと大ゲンカをして店を辞めてしまいます。移民の少年たちが暮らす自立支援組織の調理担当として働きだしますが、天涯孤独で他者とのコミュニケーションが苦手なカティとフランス語が不得意な少年たちは、料理を通じて少しずつ心を通わせていくのでした。


グルメ映画というか、レストランを舞台にした映画は多いです。わが社はホテルや結婚式場を経営しているので、勉強の意味も込めてなるべくその手の映画は観ています。ここ数年でも、ブログ「ボイリング・ポイント/沸騰」ブログ「デリシュ」ブログ「ザ・メニュー」ブログ「ポトフ 美食家と料理人」といった作品が思い出されます。レストランは訪れた人を幸せにする場所です。特に高級レストランは、非日常的な空間で最高の食材を使った料理を楽しめます。見た目も美しい極上の一皿を口にしたときは、天国にも上るような気分になり、こころが満たされます。そう、そのとき、人はハートフルになるのです。


「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」は料理というよりデザートとしてのスイーツに光を当てた映画ですが、このジャンルではジョニー・デップが主演したラッセ・ハルストレム監督の映画「ショコラ」(2000年)が思い浮かびます。古くからの伝統が根付くフランスの小さな村に、ある日謎めいた母娘がやってきてチョコレート・ショップを開店します。厳格なこの村に似つかわしくないチョコでしたが、母ヴィアンヌの客の好みにあったチョコを見分ける魔法のような力で、村人たちはチョコの虜になってしまいます。やがて村の雰囲気も明るく開放的なものになっていきます。この「ショコラ」にも描かれているように、チョコレートは世界で最も愛されているお菓子です。


映画「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」に登場するパリ・ブレストにも上からチョコレートがかけられています。パリ・ブレストで決まっているのは、リング状のパイ・シュー菓子というだけで、細かい制作方法は決まっていません。パリ・ブレストは、1891年に自転車レースパリ・ブレスト・パリの開催を記念して考案された自転車の車輪の形をした菓子として知られています。この菓子の考案者は、コースの沿道であるパリ・ロングイユ大通りの菓子店メゾン・ラフィットの職人ルイ・デュランだと考えられていますが、デュランは菓子職人ではなくパン職人とする説も存在もあります。デュランが生地に挟むクリームにプラリネを加えたのは、レースの参加者に体力をつけてもらうためだと言われているとか。


味で上顧客の機嫌を損ねてしまうという、あってはならない危機の収束を図るため、先輩パティシエのサトミがヤジッドに助けを求めます。しかし、不本意な理由でフルーツ担当になっていたヤジッドは、拒絶します。そのとき、サトミは「毎晩ここで練習してるでしょ、助けてくれるなら上には黙っておく」と話しかけるのでした。「急ぐなら手伝いを」「了解」ヤジッドは、その言葉を合図に、鮮やかな手つきでみるみる美しいパリ・ブレストを作り上げていきます。サトミを演じたのは、2022年にジュリア・ロバーツと「ランコム(LANCOME)」のCMで共演するなど、パリを拠点にモデルや俳優としてグローバルに活躍中の源利華です。非常に魅力的な女優でした。


映画「パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ」は、主人公であるヤジッド・イシェムラエンのサクセス・ストーリーなのですが、最後まで観て、どうにも違和感が残ることを告白しておきます。これは歴史上の事実なのでネタバレにはならないと思いますが、ヤジッドがメンバーの1人としてパティスリー世界選手権に挑んだフランス・チームは優勝します。しかしながら、チーム内でのヤジッドの役割はスイーツ作りではなく、氷像の製作でした。彼は見事な作品を作り上げるのですが、彼はパティシエとしてではなく、氷細工の職人、いわば彫刻家として栄冠を勝ち取ったのです。「これって、スイーツとは関係なくない?」と思ったのは、わたしだけではありますまい。「夢をかなえたスイーツ」というタイトルも内容と合っていませんしね。これは、邦題をつけた日本の配給会社の責任でしょう。

 

2024年4月10日 一条真也

桜散る東京へ 

一条真也です。
9日の朝、迎えの車に乗って北九州空港へ。スターフライヤー80便で東京に飛びます。この日の北九州は気温16度で晴天。しかし東京は警報級の大雨で、満開だった桜が散っているようです。今回は条件付きフライトで北九州空港に引き返すこともあるとか。出発も30分遅れました。

北九州空港の前で

本日の北九州空港のようす

いつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京出張は、副理事長を務める一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団の経営会議に参加します。また、本日初校が出た宗教学者島薗進先生との対談本『今ここにある宗教~現代日本人の死生観を問う』(仮題、弘文堂)に関する打ち合わせ、芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久先生との対談本『お経と冠婚葬祭~日本人と仏教』(仮題、現代書林)の対談内容についての打ち合わせ、4月15日に発売予定の次回作『ロマンティック・デス』『リメンバー・フェス』のR&Rブックスオリーブの木)のプロモーション打ち合わせも行う予定。時間に余裕があれば、ミニシアターで東京でしか鑑賞できない映画も観たいですね。


昼食に、かけうどん(天かす入り)を食す

 

この日は出発が30分遅れたのと、東京に到着するとすぐに打ち合わせがあるため、北九州空港の軽食カウンターで昼食を済ませておくことにました。前に食べたカレーライスが外れだったので、今日は「かけうどん」を注文。以前は「丸天うどん」とか色々あったのに、今は「かけ」のみ。出てきた商品を見ると、天かすが乗っていました。これで499円。味は、ノーコメントです。

機内のようす

機内ではマスクを着けました

 

この日は、11時30分発のスターフライヤー80便に搭乗。ブログ「マスクを楽しむ!」で紹介したように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。現在、コロナも多くなっている上にインフルエンザも流行していますしね。コロナが5類に移行した後も、わたしはしばらく着用するつもりです。第一、大量のカラフル・マスクのストックがありますから、使わないともったいない!(笑)

機内で、読書しました

 

機内では、いつものように読書をしました。この日は、『私だけの仏教』玄侑宗久著(PHP文庫)を読みました。著者の玄侑先生と5月29日に対談することが決定しましたので、これから先生の著書を固め読みします。本書はすでに何度も読んでいる名著ですが、以前は講談社+α新書版でした。今回はコンパクトな文庫版です。本書はずばり、もっとも実践的な「仏教の入門書」です。その内容はヴァイキング形式で書かれていますが、著者は「ホテルのヴァイキング形式で自分用の皿に盛りつけするように、自分用の仏教を作ってもいいのではないか」と提唱します。そう、つまり仏教は全部学ぶことなど不可能なほど膨大なので、自分用にアレンジしていいのです。そしてそのための仏教の見取り図を示しつつ、そのエッセンスを平易に説いたのが本書なのです。ちなみに新書版の本書を読んで感激し、「私だけの仏教」から更に出家してしまった方もいるそうです。

雨の羽田空港に到着!

羽田空港にて

 

羽田空港には、予定通りに13時40分に到着。北九州は気温16度で晴れでしたが、東京は気温15度の雨でした。昼食をすでに済ませていたわたしは、今夜の宿がある銀座に向かいました。現在、東京のホテルがどこも満室状態で、しかも通常よりもずいぶん高価格になっています。まあまあのホテルは白人の観光客ばかりですね。このクレイジーな円安、どうにかならないの?!

さあ、行動開始です!

 

2024年4月9日 一条真也