死を乗り越える やなせたかしの言葉

 

一日一日は楽しい方がいい。
たとえ十種の病気持ちでも
運は天に任せて、
できる限りお洒落もして、
この人生を楽しみたい
やなせたかし

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、やなせたかし(1919年~2013年)の言葉です。彼は、日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人・作詞家。日本漫画家協会理事長、日本漫画家協会会長などを歴任。出身は高知県。漫画の代表作にアンパンマンがあります。作詞家としては、名曲として名高い「手のひらを太陽に」を作詞しました。



「手のひらを太陽に」は、1961年にNET(現在のテレビ朝日)の朝のニュースショー内の今月の歌として発表したもので、作曲は、いずみたく。歌は宮城まり子が歌いました。当時のやなせは仕事は順調だったものの、劇画の時代について行けず、先行きに不安を感じていました。夜中、眠くならないように暖房を消して1人で仕事をしていて、筆がとまったときに電気スタンドで手を温めていると指の間がきれいに赤く見え、子供のころに懐中電灯で手を照らして真っ赤に見えて面白かったことを思い出しました。こんなにも落ち込んでいるのに血は元気に流れていると励まされたような気がして、歌詞の一節が思い浮かんだと述懐しています。



「手のひらを太陽に」は、もともと童謡ではなくホームソングを作るつもりで書かれたとか。歌詞の中でアメンボが出てきますが、これは当初はナメクジでした。1962年、NHK「みんなのうたで、宮城まり子ビクター少年合唱隊の歌唱、映像はやなせ自身制作のアニメーションで放送。当時、歌は反響もなくヒットしませんでしたが、1965年にボニージャックスが歌ってキングレコードから発売され、その年の紅白歌合戦で歌唱すると、広く知られるようになりました。1969年からは、小学校6年生の音楽の教科書に掲載されました。2006年に文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定した「日本の歌百選」にも入っています。

 

 

日本人で『アンパンマン』を知らない人はまずいないでしょうが、PHP研究所が発行する青年向け雑誌「PHP」の通巻第257号に当たる、「こどものえほん」の1969年10月剛に掲載された青年向け読み物「アンパンマン」(絵と文:やなせたかし)が初出です。この時期、やなせたかしが「こどものえほん」のために執筆した読み物は連載12本の短編で、「アンパンマン」はその6本目の作品でした。これら12篇は、株式会社山梨シルクセンター(3年後、株式会社サンリオに社名変更)より単行本『十二の真珠』として1970年に刊行されています。

 

 

初期の「アンパンマン」では、空腹に喘ぐ人の所へ駆け付けて、自らの大事な持ち物であるパンを差し出して食べるよう勧めるという、のちのアンパンマンに通じる物語の骨組みが、すでに整えられています。絵本・漫画・アニメなど、のちに描かれるアンパンマンとの大きな違いと言えば、第一に主人公のアンパンマンが普通の人間のおじさんであり、パンは所有物に過ぎなかったことです。



多くの子どもたちから愛された「アンパンマン」という作品を遺したやなせたかし。しかもこの物語を生み出したのは50歳を過ぎてからだといいます。90歳を超えても創作を続けた彼の作品は、今もなお世代を超えて読み継がれています。彼の人生を振り返ると、わたしには、彼が晩年になって神からのご褒美をもらったような気がしてなりません。「引き寄せの法則」というのがあります。前向きな思いが幸せを呼び、後ろ向きな考えが、マイナスに作用するというものですが、彼のこの言葉が、まさに幸せを引き寄せたのではないでしょうか。



これにあわせて、テレビアニメ版「アンパンマン」の主題歌である「アンパンマーチ」は「人は何のために生きる」という歌詞が出てきます。こんな哲学的な問いを子どもたちに投げかけるなんて、なんと素晴らしいことでしょうか! じつは、やませたかしの弟は神風特攻隊で若い命を散らしており、その自己犠牲の精神が反映されているとも言われています。いずれにしろ、この名曲には、やなせたかしの死生観が込められていると言えるでしょう。なお、今回の名言は死を乗り越える名言ガイド(現代書林)に掲載されています。

 

 

2024年4月12日  一条真也