3月度総合朝礼

一条真也です。
3月になりました。1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

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総合朝礼前のようす

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最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210301084659j:plain社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20210301204925j:plain春を呼ぶマスク姿で登壇しました

 

全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしが春を呼ぶピンクの不織布マスク姿で登壇しました。わたしは、まず、「昨日で福岡県の緊急事態宣言が解除されました。もうすぐ春です。梅の花が咲き、桃の節句も近いです。わたしもピンクの不織布マスクで、春の訪れを願っています」と言いました。

f:id:shins2m:20210301131312j:plain春を呼ぶマスクを取りました

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炭治郎と金次郎の話をしました 

 

それから、わたしは以下のような内容の社長訓示を行いました。今年1月末に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)がおかげさまで好評ですが、その中でも「鬼滅の刃」が日本人の「こころ」の奥底に触れたために社会現象にまで発展する大ブームになったという部分に共感してくれた読者が多かったようです。そして、わたしは「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎には日本人の「こころ」を支える三本柱である神道儒教・仏教の精神が宿っており、二宮金次郎のイメージに重なると書いたのですが、大変な反響がありました。

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二宮尊徳について話しました

 

妹の禰津子を背負う炭治郎の姿は薪を背負って読書する金次郎の姿を連想させますが、外見的に似ているだけではなく、金次郎もまた神道儒教・仏教の精神を宿した人でした。二宮金次郎は、戦前の国定教科書に勤勉・倹約・孝行・奉仕の模範として載せられ、全国の国民学校の校庭には薪を背負い本を読む銅像が作られました。わたしの書斎には、尊徳の銅像のミニチュアが鎮座しています。金次郎は長じて、尊徳と名乗りました。幕末期に、農民の出身でありながら、荒れ果てた農村や諸藩の再建に見事に成功させた人物として知られます。

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熱心に聴く人びと

 

内村鑑三が名著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛上杉鷹山中江藤樹日蓮と並んで二宮尊徳を取り上げていますが、明治以降、近代日本を創り上げていった人々が尊徳を「師」と仰ぎました。先月紹介した渋沢栄一をはじめ、安田善次郎、御木本幸吉、豊田佐吉松下幸之助土光敏夫といった偉大な成功者たちも、みな尊徳を信奉していました。道徳、勤労、積小為大、推譲といった尊徳思想のキーワードについて、『教養として知っておきたい二宮尊徳』を書いた松沢成文氏は、「これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっているといっても過言ではない。尊徳ほど、独創的な考え方や創造的な生き方を通じて社会を変革した人はいない」と述べています。

f:id:shins2m:20210301131442j:plain尊徳の偉大さを語りました

 

尊徳は、600以上の大名旗本の財政再建および農村の復興事業に携わりました。彼は同時代のヘーゲルにも比較しうる弁証法を駆使した哲学者であり、ドラッカーの先達的な経営学者でもありました。そう、二宮尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だったのです。自らの実践を通じて「至誠」「勤労」「分度」「推譲」「積小為大」「一円融合」などの改革理念や思想哲学を生み出し、人々を導いてきました。これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっています。

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心学を追求した尊徳

 

その尊徳は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぎました。心学の特徴は、神道儒教・仏教を等しく「こころ」の教えとしていることです。日本には土着の先祖崇拝に基づく神道があり、中国で孔子が開いた儒教、インドでブッダが開いた仏教も日本に入ってきました。しかし心学では、この三つの教えのどれにも偏せず、自分の「心を磨く」ということを重要視しました。

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熱心に聴く人びと

 

尊徳は、代表作である『二宮翁夜話』において、「神道は開国の道、儒教は治国の道、仏教は治心の道である」と喝破しました。彼は、いたずらに高尚を尊重せず、また卑近になることを嫌わずに、この三道の正味だけを取ったといいます。正味とは人間界に大事なことを言います。大事なことを取り、大事でないことを捨て、人間界で他にはない最高の教えを立てたわけで、これを「報徳教」と名付けました。また、「神儒仏正味一粒丸」という名前をつけており、「その効用は広大で数えきることができないほどである」と述べてています。

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道歌を披露しました

 

尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、尊徳の「無利息貸付の法」も、この徳の実践でした。その尊徳の心の中心にあった「天道」の名を冠した研修施設が、北九州市小倉北区上富野の「天道館」です。現在、天道館では、実践礼道小笠原流の礼儀作法を取り入れ、サンレー社員としての基本的なスキルを学ぶ場になっています。また、ご近所の皆様が気軽に集える「公民館」や「市民センター」のような施設として、ご利用いただいています。さらには、高齢者同士が隣近所付き合いを活性化させ、共に支え合う社会を目指す拠点ともなっています。わたしたちは、「天道」をつねに意識しながら、『天下布礼』に励みましょう」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

神の道 仏の道に 人の道
  すべて統べるは天の道なり  

 

f:id:shins2m:20210301090009j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20210301090041j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、大会議室で北九州本部会議を開催します。コロナ時代にあっても未来を拓くための有意義な会議にしたいと思います。昨年はなんとかコロナイヤーを黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。明後日の3月3日の桃の節句には、同じ大ホールで「営業推進部総合朝礼」を行います。春よ来い、早く来い!

 

2021年3月1日 一条真也拝 

命には続きがある、だから供養が必要だ!

一条真也です。
3月1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第32回目がアップされました。今回のタイトルは、「命には続きがある、だから供養が必要だ!」です。 

f:id:shins2m:20210226093718j:plain「命には続きがある、だから供養が必要だ!」

 

「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)に続く今年2冊目の著書が発売されました。東京大学名誉教授の矢作直樹氏との対談本である『命には続きがある』(PHP文庫)です。2013年6月に刊行された同タイトルの単行本(PHP研究所)を文庫化したものですが、目玉は、7年ぶりの特別対談。同書の序章「ウイルスとともに生きていく」としてまとめられています。わたしは、コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されたことを話しました。儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えます。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」なのです。

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。ですから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは、先に「かたち」があって、後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか? 
それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。だから、その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があります。

 

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀は行うことができませんでした。ご遺体はご遺族と一切会えないまま荼毘に付され、ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになりました。

 

葬儀後の一連の法要も大切です。そのことを痛感したのが、2011年の夏でした。同年の3月11日に発生した東日本大震災の被災地では、犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要でした。通夜、告別式、初七日、四十九日・・・・・と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスだからです。まさに、葬送の儀礼は日本における最大のグリーフケア・システムでしょう。命には続きがあります。だから、供養は必要なのです!

 

命には続きがある (PHP文庫)

命には続きがある (PHP文庫)

 

 

2021年3月1日 一条真也

「愛の不時着」

一条真也です。
福岡県の緊急事態宣言が28日で終了します。
2回目の緊急事態宣言下において、わたしは『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)、『命には続きがある』(PHP文庫)といった新しい一条本を上梓いたしましたが、他に特筆すべき出来事は、大ヒットの韓国ドラマ「愛の不時着」を全話鑑賞したことです。感動の連続で、もう涙の海に溺れそうなぐらい泣きました。



韓国ドラマなんて観たのは「冬のソナタ」以来ですが、わたしが「コロナ禍に明け暮れた2020年、社会現象を起こしたのは『鬼滅の刃』ぐらいのもの」と発言したところ、ある映画通の人から「いや、『愛の不時着』も社会現象でしたよ」と言われました。その人は、わたしに「鬼滅の刃」を観ることを薦めてくれた人です。本当は、「鬼滅の刃」のように、あまりにも流行になったものはスルーしたいと思っていました。

f:id:shins2m:20210227161149j:plainアニメ「鬼滅の刃」をNetflixで鑑賞

 

しかし、インサイト代表の桶谷功氏が「このようにブームを巻き起こしているものがあったら、たとえ自分の趣味ではなかろうが、軽薄なはやりもの好きと思われようが、必ず一度は見ておくべきです。社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある。それが何なのかを考えるための練習材料に最適なのです」とプレジデント・オンラインで述べているのを知り、「その通り」と思いました。それで、Netflixに加入してアニメ「鬼滅の刃」全27話を1日で一気に鑑賞。その結果、『「鬼滅の刃」に学ぶ』という著書まで書き上げた次第です。

f:id:shins2m:20210227133818j:plain「愛の不時着」のタイトルバック

 

わたしは、桶谷氏の発言が「鬼滅の刃」だけでなく、同じく社会現象となったという「愛の不時着」にも適用できることに気づきました。そこで、同じNetflixでオリジナル・ドラマ「愛の不時着」全16話を観たわけですが、1話が30分の「鬼滅の刃」とは違い、「愛の不時着」は1話が1時間30分(最終話は2時間)もあり、数日間にわたって毎晩、少しづつ舐めるように楽しみながら鑑賞した次第です。最終話となる第16話は、名店の焼き鳥をテイクアウトで用意し、お気に入りのウイスキーハイボールを飲みながら鑑賞しました。しかし、感動のあまり嗚咽してしまい、せっかく飲んだハイボールもすべて涙に変わってしまいました。(笑)

f:id:shins2m:20210226203820j:plain焼き鳥とハイボールで最終話を鑑賞(笑)

 

ドラマ「愛の不時着」は、大韓民国(韓国)のtvNで、2019年12月14日から2020年2月16日まで放送されたテレビドラマです。Netflixにおいて世界190ヶ国で配信され、日本でも2020年2月23日から配信されました。ある日、パラグライダーに乗っていた韓国の財閥令嬢が、突如竜巻に巻き込まれ、非武装地帯(DMZ)を越境してしまい、北朝鮮に不時着したところを、北朝鮮の軍人に救助され、真実の愛に不時着するラブストーリーです。



韓国の財閥令嬢ユン・セリはソン・イェジンが演じ、パラグライダー飛行中の事故で空から落ちてきた彼女を救う北朝鮮のエリート将校リ・ジョンヒョクはヒョンビンが演じました。一見荒唐無稽な物語ではありますが、北朝鮮脱北者の協力を得て綿密に作り上げられた北朝鮮の描写に本国韓国でも驚きと賞賛を持って受け入れられたそうです。コロナ禍のステイ・ホームで自宅での時間が増えた有名人たちの多くもこのドラマにハマったようで、テリー伊藤黒柳徹子笑福亭鶴瓶、千秋、ゆきぽよ・・・数々の芸能人、インフルエンサーの人々が、老若男女関わらず次々と観たことを報告しています。前大阪市長橋下徹氏もドはまりしたとか。(笑)

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メインキャストの4人

 

この「愛の不時着」、たしかに面白い! 毎回、絶望的な場面で終了し、次の回で思いもよらぬ起死回生のドラマが展開されるという繰り返しで、まったく飽きませんでした。登場人物も個性豊かで、魅力に溢れています。真面目で優秀な北朝鮮の将校リ・ジョンヒョク。韓国でも随一の財閥令嬢で、自身による事業も成功しているユン・セリ。平壌でデパートを経営する社長の娘で、ジョンヒョクの婚約者であるソ・ダン(ソ・ジヘ)。セリの元見合い相手で、セリの兄をだまして金を横領し、警察の手から逃れるため北朝鮮に逃亡したク・スンジュン(キム・ジョンヒョン)。この4人がメインキャストで、心ときめく恋愛模様が描かれます。ちなみに、わたしは、ソ・ダンの大ファンになりました。彼女のツンツンした表情がたまりません。もっとも、最終話では彼女のクールな印象は一変しますが・・・・・・。



リ・ジョンヒョクは、ピアノの神童と称されスイスに留学していた過去を持ちますが、ある事件をきっかけに軍人となりました。部下からも慕われていますが、4人の部下がまたユニークで人間的魅力が満点です。ピョ・チス(ヤン・ギョンウォン)は少しお調子者な一面もある憎めないキャラで、セリに対して最初は冷たい態度を取ります。パク・グァンボム(イ・シニョン)は口数が少なく、セリに「イケメン」と称されました。キム・ジュモク(ユ・スビン)は韓流ドラマをこよなく愛しており、その中でも女優のチェ・ジウが大好き。クム・ウンドン(タン・ジュンサン)は、田舎の家族を想う純粋な青年。この4人が大活躍します。

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村の婦人たちとジョンヒョクの部下たち 

 

他にも、「愛の不時着」には、さまざまな個性的な人物たちが登場します。ジョンヒョクが住む村の御婦人方も存在感がハンパではありません。韓国美人のマ・ヨンエ(キム・ジョンナン)は村で主婦たちのボス的存在です。ナ・ウォルスク(キム・ソニョン)は村の人民班長です。ヤン・オクグム(チャ・チョンファ)は少佐の妻で、村で美容師をやっています。ヒョン・ミョンスン(チャン・ソヨン)はマンボクの妻で、セリと友情を深めていきます。セリと彼女たちとの心の交流、そして別れは涙を誘いました。

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憎たらしい極悪人のチョ・チョルガン

 

チョ・チョルガン(オ・マンソク)は北朝鮮の冷徹な軍人で、ジョンヒョクとセリに疑いの目を向け、執拗に2人を追いかけます。リ・チュンリョル(チョン・グクファン)はジョンヒョクの父親で、総政治局長と軍のなかでも高い地位にいます。キム・ユニ(チョン・エリ)はジョンヒョクの母親で、ジョンヒョクの幸せを願っています。コ・ミョンウン(チャン・ヘジン)は平壌で百貨店を経営するダンの母親で、ダンに早く結婚してもらいたがっています。コ・ミョンソク(パク・ミョンフン)はダンの叔父で、北朝鮮の軍人です。チョン社長(ホン・ウジン)は、違法な事業を行っており、スンジュンが北朝鮮に逃げるのを手伝います。チョン・マンボク(キム・ヨンミン)は北朝鮮の軍人で、チョルガンの指示でジョンヒョクを盗聴します。

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韓国側の登場人物たち 

 

韓国の登場人物たちも、個性では負けていません。
ユン・ジュンピョン(ナム・ギョンウプ)はセリの父親で、後継者を決めようとしている財閥の会長です。ハン・ジョンヨン(パン・ウンジン)はセリの継母で、セリとは長年にわたって確執があります。ユン・セジュン(チェ・デフン)はセリの長兄で、長男であることから、後継者にふさわしいと考えています。セジュンの妻のト・ヘジ(ファンウ・スルヘ)は元女優で、後継者を目指す夫を応援しています。ユン・セヒョン(パク・ヒョンス)はセリの次兄で、後継者になるためにセリを出し抜こうと考えています。セヒョンの妻のコ・サンア(ユン・ジミン)は財閥令嬢で、夫を後継者にしようと画策します。ホン・チャンシク(コ・ギュピル)はセリの会社の広報チーム長で、いつもセリに振り回されています。パク・スチャン(イム・チョルス)はセリの加入している生命保険の担当者で、行方不明になったセリが生きていると信じています。



「愛の不時着」では、このようにバラエティ豊かな登場人物たちが活躍しますが、それぞれの人物を韓国を代表するトップ俳優たちが演じています。脚本も素晴らしくて、年末の「一条賞」にドラマ部門があれば与えたいほどですが、この秀逸なドラマから、いつかのキーワードが浮かび上がってきました。わたしは、それを①おとぎ話、②障害のある愛、③プラトニック・ラブ、④家族愛、⑤隣人愛、⑥ハートフル・マネジメント、⑦グリーフケア、⑧平和・・・・・・8つに分けてみました。名づけて、「愛の不時着」の8大キーワードです!

f:id:shins2m:20210227144309j:plain竜巻に飲まれたセリは北朝鮮へ! 

 

まずは、①おとぎ話。ヤフー・ニュースに紹介されたノンフィクションラーターの吉崎エイジーニョさんの書かれた「韓国で『愛の不時着』第1話放送、実は『スベった』 南北問題の当事国はどう観たか」という記事によれば、「愛の不時着」は、当初2019年秋の企画段階の期待感がかなり高かったそうです。しかし、その後トレーラー映像が公開されるや、「理解ができない」「ありえない」という反応に変わっていったとか。パラグライダーに乗って北朝鮮へと越えていくという設定自体が、話にならないと思われたようです。わたしも第1話を観たとき、「おいおい、それはないだろう」と思いましたが、セリが竜巻に飲まれて車や豚が空中を舞っているのを目撃する場面で、名作「オズの魔法使」でドロシーが竜巻に飲まれてエメラルドの国へ行くシーンを連想しました。第1話の竜巻のシーンは明らかに「オズの魔法使」へのオマージュか、あるいはパロディであり、「この話は、基本的におとぎ話ですから、そこのところヨロシク!」というメッセージだと思いました。

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現代のロミジュリ?

 

②障害のある愛。「愛の不時着」の主人公の2人、リ・ジョンヒョクとユン・セリは「現代のロミオとジュリエット」そのものです。ロミオとジュリエットの場合は、敵対する家同士に生まれた2人が恋に落ちるという悲劇でした。しかし、「愛の不時着」の2人は韓国と北朝鮮という究極の敵国に分かれて住む者同士。出会いも奇跡なら、その愛が成就するのはもっと奇跡。ドラマを観ていくうちに、ジョンヒョクとセリには過去にも運命的な出会いがあったことがわかって感動します。お互いに心惹かれながらも引き離された2人が再会する方法も、想像を絶するものでした。世の中、不倫に代表される「許されない愛」ほど燃えるものですが、この2人の愛の前に立ちはだかる障害の大きさがドラマを盛り上げた大きな要素であると言えるでしょう。



プラトニック・ラブ。このドラマ、ベッドシーンがまったく登場しません。ジョンヒョクが服を脱いでセリに身体を見せようとするシーンはありますが、それは彼が訓練で負った傷を見せるためのもので、エロとは無縁でした。キスシーンはありましたが、ベッドシーンがまったくないラブロマンスというのは日本ではありえません。完全な「プラトニック・ラブ」の物語だと言えます。かつて古代ギリシャの哲学者プラトンは、昔の人間は球体で、2つに分かれた者は半球になったという伝説を紹介しました。何年も何年も別れた半球をさがし求め、無駄に終わった者もいれば、幸運に恵まれた者もいました。そして、これこそ愛の起源でした。愛は心の底にある強い憧れであり、完全になりたいという願いであり、自分とぴったりの相手にめぐり合えたときには、故郷に帰って来たような気がするといいます。ジョンヒョクとセリは、まさにお互いにとっての半球体でしたね。

f:id:shins2m:20210226213851j:plainジョンヒョクの無事を喜ぶ両親 

 

④家族愛。「愛の不時着」では、さまざまな家族愛が描かれます。韓国でのセリの家族は、父親こそセリを愛していますが、彼女が母親とは違う女性から生まれたことと、セリが2人の兄たちよりも経営者として優秀であったために、長男夫妻からも次男夫妻からも疎まれます。しかし、どこか抜けている長男夫妻と違って陰湿な次男夫妻はいろいろと策を弄してセリを韓国に帰還できないようにします。セリの義母は、夫の不倫相手の娘であるセリを最初は憎みますが、次第に本当の母のような愛情をセリに注ぐのでした。一方、ジョンヒョクの両親はジョンヒョクを信頼し、愛します。特に母親は、ジョンヒョクにもしものことがあれば自分も命を絶つとまで覚悟するのでした。ジョンヒョクの婚約者だったソ・ダンの母親もひたすら娘の幸福を願います。家族のいない詐欺師のク・スンジュン、極悪人であるチョ・チョルガンの深い孤独感も見事に描かれ、全篇を通して「家族愛」の素晴らしさが謳われています。わたしは孔子をこよなくリスペクトする者ですが、韓国にも北朝鮮にも、孔子の教えである儒教の精神が強く影響していることを、このドラマから感じました。非常に興味深かったです。

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助け合う村の隣人たち

 

⑤隣人愛。ジョンヒョクの住む北朝鮮の田舎村では、昭和の日本のような地縁が存在し、住民たちは助け合って生きています。もちろん、軍で高い地位にある者やその家族にへつらったり、人民の監視という恐怖心を利用した人間関係もありますが、基本的には隣人愛が根づいています。村の主婦たちは、毎日のようにボス的存在であるマ・ヨンエの家に集まって「隣人祭り」を行います。マ・ヨンエの大佐の夫が逮捕されたとき、彼女に近づくのは自身の立場を危うくすることなのに、主婦たちはマ・ヨンエに同情し、食べ物や薪を持ち寄るのでした。また、「耳野郎」と呼ばれる盗聴の仕事をしているマンボクの妻のヒョン・ミョンスンとその息子が怪しい連中に連れ去られようとしたときも、村の主婦たちが団結して撃退しました。拙著『隣人の時代』(三五館)で、わたしは、「隣人愛」は「相互扶助」につながると書きました。つまり、「助け合い」ということです。わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略です。よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。その本能が暗黒国家のイメージが強い北朝鮮でも発揮されている場面を観て、わたしは非常に感動しました。

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部下たちと抱き合うジョンヒョク

 

⑥ハートフル・マネジメント。北朝鮮軍の中隊長であるジョンヒョクには4人の部下がいます。彼らは心からジョンヒョクを慕い、ジョンヒョクもまた彼らを家族のように愛します。ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した大ヒットアニメ映画を観たとき、「『鬼滅の刃』は、マネジメントやリーダーシップの観点からも興味深い点が多い」と感じました。恐怖心で鬼たちを支配する鬼舞辻無惨はハートレス・リーダーであり、鬼殺隊の剣士たちを心から信頼し、かつリスペクトする産屋敷耀哉はハートフル・リーダーです。そして、リ・ジョンヒョクはハートフル・リーダーです。それも産屋敷耀哉のように自身は戦えないために鬼退治を部下の柱たちに任せている(そのことを彼は自覚し、柱たちに深く感謝しているのですが)のではなく、ジョンヒョクは自らが率先垂範で、部下たちの先頭に立って行動します。煉獄杏寿郎のような存在と言ってもいいでしょう。部下たちに何かを食べさせてやるときのジョンヒョクの顔は穏やかで、見ているだけで癒されます。ちなみに韓国に潜入した彼の部下たちが食べるものもなくてお腹を空かせている場面を観たとき、わたしは「こいつらに焼肉でも腹いっぱい食わせてやりたいな」と思いました。その後で、実際に彼らが焼肉を腹いっぱい食べるシーンが出てきたので嬉しくなりました。



グリーフケア。「鬼滅の刃」と同じく、「愛の不時着」はグリーフケアの物語です。というか、最近、あらゆる小説、映画、ドラマにはグリーフケアの要素があるという事実に気づいてしまいました。やはり、「死」は人類最大のテーマであり、「死別」は最大の悲嘆なのです。リ・ジョンヒョクの兄は、軍の一部の陰謀によって殺されました。そのことで、ジョンヒョクの家族はずっと深い悲しみにとらわれています。兄の死によって演奏家としてスイス留学していたジョンヒョクは北朝鮮に帰国し、軍人となります。ジョンヒョクは兄のことを忘れた日はなく、いつか兄の仇をとりたいと願っています。そして、セリを愛するようになったジョンヒョクは、「もう、愛する人を二度と失いたくない」との想いから、セリを死ぬ気で守るのでした。一方、最終話では最愛の恋人を殺されたある女性が、殺人の黒幕に復讐する場面が登場します。 ブログ「『鬼滅の刃』最終巻」で紹介したコミックでは、社会現象まで起こした『鬼滅の刃』の最後に壮大な復讐劇が展開されます。自分の大切な人を奪った相手に復讐するということは、ある意味で究極のグリーフケアなのです。もっとも「負のグリーフケア」ではありますが・・・・・・。「愛の不時着」にも、そんな悲しい場面が描かれていました。

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永世中立国・スイスで抱き合う2人
 

⑧平和。ここまで読まれた方は、きっと「愛の不時着」を鑑賞された方だと思いますので、ここからはネタバレ覚悟でお願いします。「愛の不時着」では、韓国の人々も、北朝鮮の人々も、同じ朝鮮人として描かれていました。同じ人間として描かれていました。もし、この感動的なドラマを北朝鮮金正恩朝鮮労働党総書記が鑑賞する機会があれば、朝鮮民族の悲願である南北統一が実現する可能性が高まるのではないかと思うのは、わたしだけではありますまい。「愛の不時着」のラストの舞台は、スイスです。永世中立国であるスイスは「平和」のシンボルのような国です。そのスイスで、リ・ジョンヒョクとユン・セリは平和な時間を過ごしています。ジョンヒョクは軍を除隊して演奏家に戻りましたが、セリは実業家のままでソウルが活躍の場です。つまり、2人は一緒に生活はしていないのですが、その熱愛ぶりを見ると、おそらく2人は結婚するのだと思います。



「結婚は最高の平和」であるというのは、わたしの信条です。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、それぞれ仲間を集めて抗争となり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。そして、結婚式というのは五輪などよりもずっと「平和の祭典」なのだということを訴えたいです。いま、リ・ジョンヒョクを演じたヒョンビンとユン・セリを演じたソンイェジンが実生活でも恋人同士であるという報道が流れています。本当だとしたら、とても素敵なことです。ぜひ、2人には結婚していただきたい。彼らの結婚によって、「愛の不時着」という韓国に限らず、世界のドラマ史上の金字塔といえる名作が真の意味でのハッピー・エンドを迎えるのではないでしょうか。最後に、音楽も素晴らしいこの至高のドラマの鑑賞を薦めて下さった方に心より感謝いたします。



2021年2月28日 一条真也

新生ムーンサルトレター

一条真也です。
本日、2月27日は満月です。わたしは、満月の夜ごとに「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とWEB上の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を交わしているのですが、その第191信がUPされました。レター交換は月1回、1年に12回ですので、191回ということは16年です!

f:id:shins2m:20210227202843j:plainムーンサルトレター」を収めた5冊 

 

これまでの「シンとトニーのムーンサルトレター」は、第1信から第30信までが『満月交感 ムーンサルトレター(上)』、第31信から第60信までが『満月交感 ムーンサルトレター(下)』、第61信から第90信までが『満月交遊 ムーンサルトレター(上)』、第91信から第120信までが『満月交遊 ムーンサルトレター(下)』(いずれも水曜社)、そして第121信から第180信までが『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)に収められています。往復書簡の継続期間および文章量は他に例を見ないということで、現在、ギネスブックへの申請も真剣に検討されています。

f:id:shins2m:20210227203056j:plain新しくなった「鎌田東二オフィシャルサイト

 

これまでは鎌田先生のオフィシャルサイトにUPされてきましたが、2月27日(土)の満月の夜の21時から鎌田先生のオフィシャルサイトがリニューアルされました。鎌田先生に御縁のあるWEBページ制作者の方が新サイトを作られました。その方は、わたしの著書も何冊か読まれたことがあるとか。わたしも何度かメールのやり取りをさせていただきましたが、非常に理知的で利他の精神に溢れた素晴らしい方です。

f:id:shins2m:20210227203159j:plain新生 ムーンサルトレター

 

早速、わたしは第191信を投稿しましたが、2月2日の節分祭、矢作直樹氏との対談本である『命には続きがある』(PHP文庫)のこと、さらには鎌田先生の最新著作である『ケアの時代「負の感情」とのつき合い方』(淡交社)を読んだ感想などを書きました。 新サイトにUPされた「ムーンサルトレター」は旧サイトに比べて格段に読みやすくなりました。写真画像も大きく、きれいに見えます。さらには、YouTubeも貼り付けることができるようになりました。今回は、ブログ「利休にたずねよ」ブログ「花戦さ」ブログ「日日是好日」で紹介した映画の予告編の動画を貼り付けました。

f:id:shins2m:20210227203302j:plainYouTube も貼り付け可能に!

 

WEBページ制作者によれば、新サイトは、技術的にはスマホで見た際にどう見えるかを優先されたとのこと。ブログ「新HPができました!」で紹介した昨年10月20日にリニューアルされた一条真也オフィシャルサイト「Heartful Moon」と同じですね。かなり高機能でWEB閲覧がスマートフォンでしやすく、Googleなどの検索エンジンにも引っ掛かりやすく、情報が引き出しやすくなる仕組みになっているシステム(WORDPRESSの高機能版)を使っています。
往復書簡といえば、ゲーテとシラー、フロイトユング柳田国男南方熊楠の往復書簡などが有名ですが、鎌田先生とわたしは「明るい世直し」を目指して、またギネス登録も視野に入れて、おそらくはどちらかが死ぬまで、また、死んだ後も満月の夜ごとに文通を続けていくことでしょう。今後とも、「シンとトニーのムーンサルトレター」のご愛読をよろしくお願いいたします!

 

2021年2月27日 一条真也

月光経営

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一条真也です。2月27日は満月です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「月光経営」という言葉を取り上げることにします。『孔子とドラッカー』(三五館)で初めて提示した言葉です。


孔子とドラッカー』(三五館)

 

月光経営とは、北風経営でも太陽経営でもない「第三のマネジメント」です。リストラの嵐を吹きつけ社員を寒がらせる北風経営でもなく、ぬくぬくと社員を甘やかす太陽経営でもなく、月光のような慈悲と徳をもって社員をやさしく包み込むものです。心の経営、すなわち「ハートフル・マネジメント」のイメージそのものです。 

f:id:shins2m:20210226192615j:plain慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくる月光

 

企業経営において利益が重要視されるのは当然ですが、利益とは影のようなものだと言えます。例えば、太陽のような意味のある実態を考えてみると、太陽は照るときもあれば、照らないときもあります。しかし地球上のどんなところでも、冬の北極でも南極でも、一年中一度も太陽が照らないということはありません。そして、太陽が照ると、影ができます。そんなものはいらないと言っても、太陽という実態が照れば影はできるのです。

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別府湾の満月(撮影:一条真也

 

ビジネスでは、世の中の人に役立つような商品あるいはサービスを提供します。場合によっては、人々はそれに見向きもせず、買ってくれないかもしれません。利用してもらえないかもしれない。でも本当に価値のある商品、意味のあるサービスであれば、必ずその値打ちを認めてくれる人が現われます。そういう認めてくれる消費者、ユーザーが必ず出てきます。それは、いわば太陽のような存在です。



真価を認めてくれる人がいれば、売上は必ず立ち、そういう人がたくさんいれば、要らないと言ってもできる影のように、必ず利益があがるのです。しかし、灼熱の太陽があまりも異常な利益が出し濃い影が浮かび上がったとき、あまりの暑さや日射病を避けるため、人々は木陰や建物の中に逃げ込み、濃い影は一瞬にして消滅してしまいます。それが、バブル崩壊だと言えるでしょう。


低成長時代においては、太陽よりも月が必要となります。暑くもなく、日射病になる心配もない月光はいつまでも地上を照らしていてくれます。また、高度成長期において、私たちはいたずらに「若さ」と「生」を謳歌してきましたが、すでに到来している超高齢社会は「老い」と「死」に正面から向かい合わなければならない時代の訪れを告げています。太陽から月への主役交代とは、それらを見事に象徴しているのです。



慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくるものこそ月光経営です。各企業がそれぞれの社会的使命を自覚し、世の人々の幸福に貢献し、徳業となることをめざすならば、その結果として利益という月の影ができるのです。経営とは、満月の夜の影踏みのような最高の遊びではないでしょうか。わたしは、そのように考えます。

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

2021年2月27日 一条真也拝  

死を乗り越える西田幾多郎の言葉

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人間というものは時の上にあるのだ。過去というものがあってわたしというものがあるのだ。過去が現存しているという事が又その人の未来を構成しているのだ。
西田幾多郎

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、日本を代表する哲学者である西田幾多郎(1870年~1945年)の言葉です。西田は石川県生まれで、京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者です。

 

 

西田は、日本人として初めて哲学を著したといわれています。彼の主著『善の研究』はわたしの愛読書の1つです。西田の周りには多くの死がありました。しかもそれは肉親の死です。姉・弟、そして2人の娘に長男です。彼はそうした別れの中で、自分の哲学を追究し続けます。彼は多くの悲しい別れの悲しみを「時間」というもので乗り切ってきたのかもしれません。

 

西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫)

 

 

わたしの仕事の1つに悲嘆をケアする(グリーフケア)というものがあります。人生には愛する者との死別をはじめ、さまざまな悲嘆があります。わたしたちは、悲しみの淵にある人に対し、往々にして「時間が解決してくれますよ」という言葉をかけてしまうことがあります。

 

西田幾多郎講演集 (岩波文庫 青 124-9)

西田幾多郎講演集 (岩波文庫 青 124-9)

  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 文庫
 

 

でも、そこには具体的な長さはありません。1年かければ忘れられるのか、10年かければ立ち直れるのか。逆に時間が経てば深まる悲しみもあります。肉親の死を残り超えてきた西田の言葉には、経験者ゆえの重みを感じます。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年2月27日 一条真也

「フューネラルビジネス」取材

一条真也です。
26日の小倉は朝から雨でした。13時から全互協の「互助会経営者及びコンプライアンス責任者研修会」にサンレー本社でリモート参加した後、業界誌のインタビュー取材を受けました。総合ユニコムが発行している「月刊フューネラルビジネス」の取材です。 

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この日は、小倉織のマスクを着けました

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インタビュー取材のようす

 

同誌はフューネラル業界のオピニオン・マガジンとして知られています。互助会経営者には、基本的に同業者が読む業界誌の取材を受けたがらないという傾向がありますが、わが社は「天下布礼」の旗を掲げていますので、少しでも業界発展のためになるならとインタビューをお受けしました。また、今回は新刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)の話も聞きたいということなので、万障繰り合わせて時間を作りました。わたしは、ネクタイに合わせて紫色の小倉織のマスクを着けてインタビューを受けました。

f:id:shins2m:20210226140445j:plain鬼滅の刃」の話をしました

 

鬼滅の刃」という社会現象になった物語は、わたしが研究・実践している「グリーフケア」の物語です。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して、鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

f:id:shins2m:20210226162028j:plain「鬼滅」は供養の大切さを説いた 

 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。

f:id:shins2m:20210226142324j:plain日本一慈しい鬼退治 とは?

 

さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。『鬼滅の刃』は、まさに現代のグリーフケア物語そのものです。“癒し”を求める現代社会がこの作品を欲しているのも大いにうなづけます。

f:id:shins2m:20210226142947j:plain昨夏は異常な夏だった!

 

令和2年、改元の翌年にわたしたちが迎えた夏は極めて異常なものでした。新型コロナウイルスによってあらゆる行動が制限を受け、ビフォー・コロナどおりの行動をそのまま継続できた例はほとんどなく、さまざまなことが「密」を避けるために変化を求められました。これは夏に行われる祭事、すなわち夏祭りや盆踊りも例外ではありませんでした。全国の花火大会もコロナ禍を要因に中止されました。

f:id:shins2m:20210226144140j:plain祭りの目的とは何か?

 

民俗学者の畑中章宏氏は、「日本の人々がこれまで続けてきた祭りのほとんどは、祖霊を供養するためと、疫病除去の祈願のためだったといっても言い過ぎではない」と指摘しています。確かに、日本の祭礼の目的は(稲の豊作祈願を含めた)祖霊祭祀と病疫除去にあったと考えて間違いありません。そして、その中でもいわゆる夏祭りは、病疫退散が主たる目的といえるものが少なくありません。これは夏という季節が、暑さによる人間の生命力低下とともに、病魔が広がりやすくなる季節であることが理由として挙げられます。

f:id:shins2m:20210226144124j:plain誰が「祖霊祭祀」と「疫病除去」を担うのか?


コロナ禍における祭礼のあり方は、日本人の「こころ」を安定させるためにも今後早急に検討されなければなりません。しかし、現在の状況の中で一縷の望みがあるとすれば、それは「まつりのあるべき姿」や「先祖祭祀のありかた」を見直す声が出ていることでしょう。コロナ禍の現状、ことごとく祭礼が中止されました。その中で生じる最大の問題は、夏祭りや盆踊りが担っていた祖霊祭祀と疫病除去という役割を、誰が担うのかというものです。その答えの1つが、わたしは『鬼滅の刃』という作品だったと思います。

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鬼滅現象とはコロナ禍での「祈り」であり「祭り」!
 

夏祭りは先祖供養であると同時に、疫病退散の祈りでした。それが中止になったことにより、日本人の無意識が自力ではいかんともしがたい存在である病の克服を願い、疫病すなわち鬼を討ち滅ぼす物語であり、さまざまな喪失を癒す物語でもある「鬼滅の刃」に向かった側面があるのではないか? わたしは、そのように考えます。そう、「鬼滅の刃」現象とはコロナ禍での日本人の「祈り」であり、「祭り」だったのです。

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質問をお聴きしました 

 

さらに、「アフター・コロナの葬祭業」について質問を受けました。コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。結婚式は行われず、葬儀の参加者も減少する一方です。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も悲惨でした。

f:id:shins2m:20210226140605j:plainもう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来る!

 

14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。

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グリーフケアについての質問に答える 

 

インタビューの最後には、グリーフケアについての質問も受けました。わたしは、グリーフケアの普及が、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題と位置づけています。上智大学グリーフケア研究所客員教授として教鞭をとりながら、社内で自助グループを立ちあげグリーフケア・サポートに取り組んでいます。2020年からは、副会長を務める全互協と同研究所のコラボが実現し、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組んでいます。このあたりを、話せる範囲でお話しました。

 

 

2021年2月26日 一条真也