「フューネラルビジネス」に『満月交心』が紹介

一条真也です。
冠婚葬祭業界のオピニオン・マガジンである「月刊フューネラルビジネス」3月号(総合ユニコム)が届きました。「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二氏と小生の共著である『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の書評記事が掲載されています。

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「月刊フューネラルビジネス」2021年3月号

 

記事は「一条真也氏×鎌田東二氏共著『満月交心 ムーンサルトレター』刊行」の見出しで、「作家の一条真也としても知られる、大手互助会(株)サンレー(本社北九州市小倉北区代表取締役佐久間庸和氏と、宗教哲学者・鎌田東二氏の共著『満月交心 ムーンサルトレター』が、2020年10月、現代書林から刊行された。本書は著者2人が2005年から継続している、毎月満月の日にレターを交換するWeb文通『ムーンサルトレター』の第121信〜第180信を納めたもの。過去のレターも書籍化されており、累計5冊目となる。レターの話題は映画や書籍、時事問題など多岐にわたるが、どのレターでも共通する大きなテーマとして『儀礼・儀式』『グリーフケア』が語られており、葬祭業に携わる人にとっても参考になるような内容となっている。コロナ禍によって人と人との関係が希薄になった時代に、心豊かな社会を想像するための知恵を記した一冊」と書かれています。

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

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「月刊フューネラルビジネス」2021年3月号 

 

同誌には、「北九州・サンレー 福岡市初出店となる会館オープン」の見出しで、「北九州市を本拠に、福岡・大分・宮崎・沖縄・石川の5県で事業展開する(株)サンレー(社長佐久間庸和氏)は、2020年12月28日、福岡市博多区浦田紫雲閣』を開業した。同社にとって、88か所目、県内46か所目、福岡市内第1号会館となる。福岡市地下鉄空港線福岡空港駅から車で10分、県道24号線(福岡東環状線)沿いに立地し、隣接する志免町宇美町からのアクセスも良好。敷地面積5,469.39㎡、木造平家建てで延床面積404.11㎡の規模。館内には式場(30席)のほか、式場兼会食室、遺族控室、導師控室、遺体安置室などを配置。駐車場は60台分を確保した。1日1施行の貸切型葬儀だけを行うのではなく、地域に根付いたコミュニティホールとしての活動にも注力しつつ、初年度35件、次年度45件の施行を目指す」との記事も掲載されています。

f:id:shins2m:20201228100855j:plain浦田紫雲閣の前で

 

2021年2月26日 一条真也

『知ってびっくり! 世界の神々』 

一条真也です。
46回目の「一条真也による一条本」は、『知ってびっくり!世界の神々』(PHP研究所)です。2010年6月7日に刊行されたわたしの監修書で、株式会社レッカ社の編著となっています。


知ってびっくり! 世界の神々
(2010年6月7日刊行)

 

カバー表紙には、ポセイドンらしき神のイラストとともに、「雑学3分間ビジュアル図解シリーズ」「神秘の裏に隠された本当の姿とは」「浮気がやめられない神、嫉妬深い神・・・人間くさい神々の真実の姿を描く!」と書かれています。

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本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
「神話発祥地MAP」

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【第1章】メソポタミアの神々

メソポタミア神話の概要  
多くの神話に影響を与えた世界最古の神話
アヌ  若い神々を導く天空の支配者
エア  森羅万象を知り尽くした頼れる水神
エンリル  万人が認めるメソポタミアの権力者
イシュタル  美しくも恐ろしい魔性の女神
エレシュキガル  荒れ果てた大地に住む冥界の主
ギルガメシュ  改心して英雄となった半神半人の王
エンキドゥ  神々に翻弄された獣人の戦士
ティアマト  万物の起源となった怒れる地母神
マルドゥク  最高神を運命づけられた完璧な神
[コラム1]
洪水神話 愚かな人間にくだされる神々の天罰

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【第2章】エジプトの神々
エジプト神話の概要  ナイル川が育んだ神々の物語
ラー  地上を照らす最高神
オシリス  死者の魂を裁く冥界の裁判官
ホルス  亡き父の代わりに王位を奪取した神
アヌビス  死者を導く冥界の守護神
イシス  知略と魔術に長けた慈悲深き地母神
セト  悪役を一手に引き受けた神
プタハ  創造主にのぼりつめたメンフィスの地方神
ハトホル/セクメト  善と悪を併せ持つ二重人格の神
ゲブ/ヌト  天地と神々を生み出した偉大な夫婦神
アテン  わずか20年余で消えた幻の唯一神
[コラム2] 
最初の人間たち 神々がつくった弱き存在

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【第3章】ギリシャの神々
ギリシャ神話の概要  
世界を代表するもっとも有名な神話
ゼウス  オリュンポス12神を束ねる神々の王
ヘラ  結婚に失敗した結婚の女神
ポセイドン  水と嵐を呼んだ大海原の支配者
ヘパイストス  努力して認められた鍛冶の神
アレス  神話史上最弱と揶揄される軍神
ディオニュソス  密儀を考案した狂信女たちの教祖
アポロン  あらゆる分野に秀でた万能神
ヘルメス  したたかに立ち回る神々の伝令者
アテナ  賢く誇り高い戦場の女神
アルテミス  月を司る永遠の処女神
デメテル  娘を溺愛した穀物母神
アフロディテ  肉欲に支配された麗しき魔性の女神
ハデス  王位を逃した冥界の支配者
エロス  自分の幸せも手に入れた愛の神
プロメテウス  人間に味方したティタン神族の賢者
テュポン  女神ガイアが生んだ最後の刺客
モイライ  人間の運命を淡々と紡ぐ三姉妹
ヘラクレス  死後に神となったギリシャ最高の英雄
[コラム3] 
同一属性を持つ神 神格が同じならば性格も同じ!? 

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【第4章】北欧の神々
北欧神話の概要  
世界の終末が預言された悲しき神々の戦記
ユミル  世界の礎となった原初の巨人
オーディン  知識と魔術に長けた北欧神話最高神
ロキ  美しく狡猾なトリックスター
ヴァルキリー  美しくも残忍な戦場の女神たち
トール  北欧神話最強の荒ぶる雷神
シグルズ  オーディンの血を引く英雄
バルドル  死の運命から逃れられなかった悲しき神
フレイ  万能なる貴公子
フレイヤ  美しくも奔放な北欧の魔女
フリッグ  人々から愛された偉大なる地母神
テュール  勇敢な片手の戦士
ヴァフスルーズニル  
          力よりも知識を求めた叡智の巨人
ヘイムダル  ラグナロクを知らせる世界の番人
[コラム4] 
神々のアイテム 無敵の武器から便利な道具まで

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【第5章】ケルトの神々
ケルト神話の概要  消滅の危機を逃れた口承神話
ダヌ  ダーナ神族の始祖となった偉大な女神
ダグダ・モール  心優しき神々の父
アリアンロッド  春を呼ぶウェールズの女神
ヌアダ  もっとも偉大な銀の腕の王
ブレス  英雄から暴君に成り果てた造反の神
ルー・ラヴィーダ  ダーナ神族を勝利に導いた光明神
マナナーン・マクリール  
         海原と妖精を支配する魔術の神
バイヴ・カハ  憎悪と愛情を併せ持つ三女神
エクネ  世界を冒険した詩芸の三神
コルウ・クヮレウィーヒ  
        抜群のチームワークを誇る工芸の三神
クー・フリン  魔槍ゲイ・ボルグを持った最強の戦士
スカアハ  英雄クー・フリンを鍛えた女戦士
フィン・マックール  
      フィアナ騎士団を率いた若き天才
[コラム5] 
神話の英雄  試練を宿命づけられた主人公

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 【第6章】インドの神々
インド神話の概要  
あらゆる神々を包括するインド神話の変遷
シヴァ  ヒンドゥー教最高の神格を持つ破壊神
ブラフマー  宇宙の根本原理を象徴する創造の神
ヴィシュヌ  人々を救済する秩序の神
ヴィシュヌの化身たち  
ヴィシュヌが姿を変えた10の英雄神
トリムルティの妻たち  
               ヒンドゥーの三大神がめとった美しき神妃
ガネーシャ  智恵と学問で繁栄をもたらす象頭神
ハヌマーン  
           空を飛び、姿をさまざまに変える神秘の猿神
カーリー  血に飢えた黒き殺戮の女神
インドラ  太古のインド神話で主役となった戦いの神
アグニ  紅蓮の炎で浄化をなす火の神
アディティ  あらゆる生き物の母となった大母神
アスラ  インドの神々と敵対した先住種族
[コラム6] 
異神話への派生 国を越えて崇拝された神々

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【第7章】日本の神々
日本神話の概要  
天皇家の系譜とともに綴られた神代の物語
伊邪那岐命  世界の礎となった国生みと神生みの神
伊邪那美命  死後に黄泉を支配した悲しき女神
天照大御神  八百万の神々の頂点に立つ最高位の女神
建速須佐之男命  無法者から英雄となった神
月讀命  表舞台に立たない謎めいた神
倭建命  英雄として命を落とした悲劇の武神
大国主神  国土発展に努めた出雲の英雄
[コラム7] 
聖獣と魔獣 神話を彩った幻想世界のモンスターたち 

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【第8章】その他の神々
アフリカ神話  身近な自然要素から生まれた神々
中国神話  漢民族が語り継いだ神々の伝説
朝鮮神話  「生きた伝承」を持つ珍しい神話
アステカ・マヤ神話  
侵略によって全容が失われた神話群
インカ神話  太陽が崇拝されたアンデスの伝承
オセアニア神話  大洋に広まった4つの神話
ハワイ神話  
叙事詩『クムリポ』に残る古来の伝承
「索引」
「参考文献」



人間は神話を必要とする動物です。神話とは宇宙の中に人間を位置づけることであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っています。一般に、アメリカ合衆国には神話が存在しないといわれます。建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家であり、統一国家としてのアイデンティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。それが、映画です。



映画はもともと19世紀末にフランスのリュミエール兄弟が発明しましたが、他のどこよりもアメリカにおいて映画はメディアとして、また産業として飛躍的に発展しました。映画とは、神話なき国の神話の代用品だったのです。それは、グリフィスの「國民の創生」や「イントレランス」といった映画創生期の大作に露骨に現れていますが、「風と共に去りぬ」にしろ「駅馬車」にしろ「ゴッドファーザー」にしろ、すべてはアメリカ神話の断片であると言えます。それは過去のみならず、「2001年宇宙の旅」「ブレードランナー」「マトリックス」のように未来の神話までをも描出す。



また、フランケンシュタインのモンスターやドラキュラ、スーパーマン、バッドマン、スパイダーマンなどは、すべて原作小説やコミックに登場するキャラクターにすぎませんでしたが、映画によって神話的存在となりました。「ロード・オブ・ザ・リング」3部作や「スターウォーズ」シリーズはまさしく神話としての映画を実感させますが、日本においても、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」から「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などの宮崎駿監督のアニメ映画ほど神話的世界を想像力ゆたかに描いているものはありません。映画産業とは神話産業であり、現代人の共感の大きな源泉となっているのです。

 

魂の心理学

魂の心理学

 

 

そう、人間は神々を必要とするのです。なぜなら、多神教の神々にふれると人間の魂は奥底から癒されるからです。そう主張したのは、ユング派「元型心理学」の創始者として知られるアメリカの心理学者ジェームズ・ヒルマンです。彼は、人間の魂は多くの機能を持っており、それぞれが必要とする神々がいると主張しました。オリュンポス12神にしろ、八百万の神々にしろ、多神教の神々は、それぞれの魂の元型が求める役割を演じてくれるわけですね。ヒルマンは、人間の魂はもともと一神教には馴染まないとし、「魂の自然的多神教」という言葉さえ使っています。たしかに、浮気がやめられなかったり嫉妬深かったりする神々を知ると、なんとなく安心してしまいますね。



知ってびっくり!世界の神々』は、世界最古のメソポタミア神話からエジプト神話、さらにはギリシャ神話というように神話の流れに沿って神々を紹介しています。神話や神々についての類書が、いきなりギリシャ神話からスタートする中で、この時系列にあった目次立ては非常にユニークであり、読者が神話の影響関係を理解する大きなサポートになるのではないでしょうか。神々は世界中の民族の「こころ」が投影されたものです。この神様のカタログを読んで、多くの方々に、ぜひ世界の人々の「こころ」を知ってほしいと思います。そして、自分だけの特別な神様を見つけてくれれば、監修者としてこんなに嬉しいことはありません。

 

知ってびっくり!世界の神々 (雑学3分間ビジュアル図解シリーズ)

知ってびっくり!世界の神々 (雑学3分間ビジュアル図解シリーズ)

 

 

 

 

2021年2月26日 一条真也

『ケアの時代「負の感情」とのつき合い方』

ケアの時代「負の感情」とのつき合い方

 

一条真也です。
『ケアの時代「負の感情」とのつき合い方』鎌田東二著(淡交社)を読みました。著者から献本していただいた本です。自然や人為がもたらす災害や、大切な人との死別などで、人の心は傷つけられてきました。宗教や芸術は、人類が悲しみや痛みに立ち向かってきた「ケア」の集積と捉えることができます。本書ではこうした視点から、痛ましい出来事・経験がもたらす怒りや悲しみなどの「負の感情」とのつき合い方を、宗教、芸術、伝統文化から探ります。版元は、茶道に関する出版で有名です。本書は平仮名が多用されており、これまでの著者の本とはちょっと印象が違いました。さまざまな「負の感情」を抱えながら生きていかなければならない現代人にとって救いになるような一冊でした。 

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本書の帯

 

本書の帯には「こころが傷つく時代を生きるために」「キリスト教・仏教・神道伝統芸能の核心は『負の感情』からのケアにある。宗教学者がそのはたらきを、やさしくしなやかに掘りおこす」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「宗教や芸術は、どうしようもない痛みや悲しみや怒りや憎しみや喪失感などのさまざまな『負の感情』に、ある解放(開放)のいとぐちや処方をもたらすものとしてうまれてきたという面があります。宗教と芸術はまさしく人類が苦しみや悲しみや痛みに立ち向かってきた『ケア』の集積であり痕跡であるといえるでしょう。(本文より)」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
第1章 「負の感情」とケアの時代
   ――日本人をつくる災難
第2章 まなざしの転換
   ――キリスト教のメタノイア
第3章 こころの浄化法について
   ――仏教のワザ
第4章 自然の根っこへ
   ――老荘思想道教の心直し
第5章 うたと日本的ケア
   ――神道・和歌・俳諧
第6章 乱世と「負の感情」
   ――伝統芸能のケア
付録「新作鎮魂能舞の台本」
「あとがき」



第1章「『負の感情』とケアの時代――日本人をつくる災難」の1「こころとケア」では、1995年におきた阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、1997年におきた神戸での連続児童殺傷事件、2001年のアメリカ同時多発テロ事件、2005年におきたJR福知山線の列車脱線事故、そして、2011年におきた東日本大震災、その九年後の2020年にパンデミックとなった新型コロナウイルスCovid19の感染拡大などの自然災害や事件や事故や疾病の流行などが取り上げられます。それらによって痛ましい事態がおこってきたとき、じっさいに、それによって傷ついた「こころ」をどうするか、それにどう向き合うかが繰り返し試されてきました。著者は、「どうしてこれほどつぎつぎに痛ましい出来事がおこってくるのでしょう。その出来事を前にして、わたしたちの社会は、『こころのケア』『ターミナル(終末期)ケア』『緩和ケア』『グリーフケア』『スピリチュアルケア』『地域包括ケア』などなど、『ケア』とよばれる対し方や向き合い方を必要とし、それが社会の重要な一角に浮上してきました。それがこの30年ほどの流れです」と述べています。



著者は、また、「じぶんのなかにうごめき、じぶんを苦しめる「負の感情」をもてあましているリアルなこころをまのあたりにするしかない。そんな素の、等身大のじぶんに気づかざるをえません。理性ではこれではだめだ、なんとかしなければとおもっても、そのようにおもえばおもうほど、理性と感情とのぶつかりあいやせめぎあいがおこって、どうすることもできない、みうごきがとれない事態に直面します。認めたくなくても認めざるをえない、じぶんじしんの苦しみ痛んでいるなまのすがたがあるわけです」とも述べます。じつは、宗教や芸術は、このような、どうしようもない痛みや悲しみや怒りや憎しみや喪失感などのさまざまな「負の感情」に、ある解放(開放)のいとぐちや処方をもたらすものとしてうまれてきたという面があるといいます。宗教と芸術はまさしく人類が苦しみや悲しみや痛みに立ち向かってきた「ケア」の集積であり痕跡であるとして、著者は「人間世界のなかで生起する苦しみや痛みを見つめ、うけとめ、ほどくいとぐちとちからをあたえるものとして、芸術や宗教がうまれてきたともいえるのです。どうじに、この『負の感情』をうけとめることによって、じぶんじしんでもおもいがけない次元に飛躍して、前よりも創造的な活動や仕事をしていくこともまれではありません」と述べています。

 

2「わたしじしんのふりかえり」では、著書自身が思いがけない「負の出来事」や、それによって生起してくる「負の感情」についていやおうなく向き合う経験をもったことが紹介され、著者は「もちろん、そのような経験を望んでいたわけではありません。けれども、望まなくても、アクシデントやハプニングはままおこるものです。人生には不条理や不合理だとおもえることがいっぱいおこってきますから」と述べています。そこで、このような経験を通して、著者は「逆境に強い生き方」ということを考えるようになったそうです。そして、「逆境に強い生き方」をしている人に関心をもち、その人のことをよく観察するようになりました。その結論は、「逆境に強いひと」は自分の弱さやはかなさをよく知り、それをしっかりうけとめながらも、それに押しつぶされない強靭な信念や柔軟性をもっているというものでした。最近よく使われる言葉でいえば、「逆境に強いひと」は「レジリエンス」(自己回復力)をもっているということであり、「逆境に強いひと」は「負の感情」に対するつき合い方がうまいということでした。

 

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

  • 発売日: 1992/03/16
  • メディア: 文庫
 

 

第2章「まなざしの転換――キリスト教のメタノイア」の1「もののみかたを変えるとき」では、著者が生家を集中豪雨で失った頃から、だんだんと宗教に関心をもつようになったことが告白されます。10歳の頃から『古事記』を読んだり、ギリシャ神話や聖書を読んだりしているようなちょっと変わった子どもだったようですが、家をなくした夏に一心に読んでいた本はインドの古典でマハトマ・ガンディーの座右の書といわれた『バガヴァッド・ギーター』でした。著者は毎朝、比叡山に向かって、法螺貝や横笛や石笛など、30種類(!)ほどの民族楽器を奉奏するそうですが、ヴィシュヌという神さまの持ち物が法螺貝であることと、その化身であるクリシュナが横笛(バンスリー)の名手であることがとても印象に残ったそうです。『バガヴァッド・ギーター』を読んだあと、著者は本格的に哲学や宗教の勉強に身を入れはじめ、弘法大師空海やドイツの神秘家のヤーコプ・ベーメの著作を読むようになりました。同時に、旧約聖書新約聖書も読むことになりました。そして、読めば読むほど、「キリスト教ほど神秘的な宗教はない」と思うようになり、いまでもその考えに変わりはないとか。

 

 

そのキリスト教における神秘の実体化(神の言葉の受肉、incarnatio Verbi)でもあるイエス神の国に入るために必要な過程として説いた「悔い改め」は、ギリシャ語訳聖書では「メタノイア(metanoia)」といいます。「悔い改める」のギリシャ語は、「メタノエオー(metanoeo)」という動詞で、その名詞形が「メタノイア(metanoia)」になります。語源的にいえば、「メタ・ノエオー(後から考える・思い直す)」ということで、要するに「視点を変える」とか「考え方を変える」という意味です。つまり、習慣化していたそれまでの思考方法を止めて、別の見方をしてみるということです。欲望や願望をかかえこんだ自己中心的なものの見方から、「神の国(天の国)」や聖霊の息吹に吹かれて、もっと大きなものの見方をしてみるということです。「悔い改め」といえば、わたしたちは自己反省とか、懺悔とか、倫理道徳的なこころのふりかえりをすることのようにおもいがちですが、著者は「むしろ、思考や認識のレベルでじぶんの考え方や価値観をおおっている枠組みや殻を打ちやぶってみるということなのです。それを『パラダイムシフト』といういい方とくらべることもできるでしょう。考え方の枠組みを変えて、ものごとをとらえなおす。視点転換する。それが『パラダイムシフト』であるとするならば、それは『悔い改め』と訳される『メタノイア』と大きくは変わらないことになります」と述べます。

 

聖書 新共同訳 新約聖書

聖書 新共同訳 新約聖書

 

 

キリスト教ではそこに、「回心」と訳される神の元への立ち返りという超越的な視点転換が据えられるとして、著者は「神という垂直軸の究極の一点をもうけることによって、じぶんじしんの立ち位置やこれまでのありようを布置しなおすのです。それにより、マインドセットが切り変わるのです。照明の位置が変わって、もののありようや関係のしかたがまったくこれまでとはちがうかたちでうかびあがってくる。それにより、じぶんがこれまでとはちがった星のなかに生きているような視点の転換がうまれてくる。そのような自己突破的な視点転換が説かれているのです」と述べています。表現を変えれば、星座(布置、配置、コンステレーション、constellation)が変わるような変化が起こります。「これまでとはまったく関係性のことなる構図が目のまえにあらわれてきます。ああ、こんな見え方があるんだという、あらたな発見がうまれてきます。そしてそれが神のめぐみ(恩寵)という感覚とともにおとずれてくるので、こころのなかはよろこびにつつまれ、みたされ、『ハレルヤ!』(神をほめたたえることば)というこころもちになります」というわけです。

 

新約聖書〈1〉マルコによる福音書・マタイによる福音書
 

 

2「ことばによる生き直し」では、どのようにすればそのような「メタノイア」ができるのかという問題が取り上げられます。イエスはそれを「福音(euaggelion、Evangelion、エヴァンゲリオン)」として宣べ伝えます。「マルコによる福音書」第1章第15節には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」というイエスの言葉が記されています。ついに、みんながまちのぞんだ神の国の到来というめぐみの時がやってきた。この奇蹟のような時に、「メタノイア」して「エヴァンゲリオン」を信じることを促します。「それは、神のことばの受肉であり、永遠のいのちのことばであるイエスを受け容れ、信じ、身をゆだねるということです」と著者は説明し、また、「神はことばで世界を創造するのです。それが、啓示の宗教とも啓典の宗教ともいわれるユダヤ教キリスト教イスラームの根本にあります。すべての根底に神のことばがあるのです。神のことばは、存在のアルファ(起点)であり、オメガ(終点)なのです。ですから、つねに神は、人類の未来を預言者にたいしてことばをもって示します。その『預言者』とは、神のことばを受託し、あずかり、ひとびとに告げしらせる、ことばの仲介者です。キリスト教では、その神のことばが、預言者への啓示という段階をはるかにこえて、『神の言葉の受肉』という究極的な形態をとります」と述べています。



キリスト教における言葉の絶対性は、「言挙げせぬ国」(『万葉集』)などといわれたわが国の考え方とが大きく異なります。それが「負の感情」の表現や処理をめぐっても大きくことなる方式をとることになるとして、著者は「神も悪魔もすべてことばでものごとを表現し、駆け引き(ディール)し、決着させます。モーセやエリアなどの預言者も、イエス・キリストも、ムハンマドも、みな神のことばにかかわります。そのことばの強度やメッセージの内容に違いはあるとはいえ、ことばが絶対的なちからをもってせまってくる点ではおなじです。『以心伝心』とか『言外のふくみ』とか『言語道断』という非言語世界の表現のあいまいさはありません。すべてはことばで言いあらわされます。そのような神の言語原理主義ともいえる言語観が根底にあります」と述べています。



著者は、「キリスト教という宗教は、世界の諸宗教のなかで、つくづく、もっとも神秘的な宗教、奇蹟の宗教、奇蹟の信仰にもとづく宗教であるとおもいます」と述べます。この信仰を強くもてるがゆえに、イエス・キリストが十字架上で極悪人として処刑されて死をむかえたように、どのようなむごい極刑にもたえて殉教するこころとかまえが生まれたのだといいます。神の言葉、イエス・キリストを受け入れることによって、世界はまったくことなった星座として見えてきたのであり、これが「メタノイア」の力のあらわれの一端であるといいます。


キリスト教徒ではない著者から見ると、「メタノイア」のあらわれは、カトリックの「懺悔(告解、Confession)」という告白のかたちとして様式化されているように思うそうです。著者は、「父と子と聖霊の三位一体の神は、信徒の告白を聴きとり、神父をとおして『ゆるしの秘蹟』を示します。その『ゆるし(許し、赦し)』によって、告白をする信徒のこころに窓が開き、神の光明や希望が入ってきてしだいにこころが解放されていきます。カトリック協会では、この『ゆるしの秘蹟』を『悔い改めの秘蹟』や『悔悛の秘蹟』、『告白の秘蹟」とか「回心の秘蹟」などと呼んできました。いいかえると、これは「メタノイアの秘蹟」となるでしょう。そして、それらはすべてことばをとおしておこなわれます。ですから、ここでは「メタノイア(視点転換・回心・心直し)」は「言直し」として実践されることになります」と述べています。



さて、著者はキリスト教の「死者をみとる儀式」を紹介しており、これが非常に興味深かったです。まず、著者は、ジャック・ル・ゴッフの『煉獄の誕生』(渡辺香根夫ほか訳、法政大学出版局、1988年)という本を取り上げます。同書によると、煉獄のイメージが場所としてあらわれてきたのは12世紀以降のことだとか。とくに、フランスのブルゴーニュ地方にあるクリュニー修道院の役割は大きなものがあったそうです。そこで、煉獄は「火を噴く山」としてイメージされ、絵画などにもえがかれるようになります。煉獄は、この世からさほど遠くはないところにあり、罪をもつひとびとの霊魂が一定期間とどまり、そこで罰をうけることで、罪が浄められていくと考えられました。第5代目の修道院長であったオディロは、罪びとたちの霊魂が煉獄の火を噴く山で罰をうけ、浄められていくことを説き、修道士の祈祷を受けたり、貧者への施しや寄進によって解放されていくと説きました。



クリュニー修道院はそうした死者のための祈りの典礼により莫大な富を築いたといいます。そこでは、死者をみとる儀式も行われました。里村生英氏の『音楽経験を通したスピリチュアルケア―ミュージック・サナトロジーの検討を通して』(京都大学教育学研究科提出博士論文、2017年)によれば、11世紀クリュニー修道院の『慣習書』には、死にゆく修道士のみとりが修道院の全員がかかわる儀式としてすすめられています。そこでは、死にゆくひとをひとりにすることなく、注意ぶかく見まもり、臨終の合図とともに全員がかけつけて最後の瞬間にその場に居あわせ、全員で祈り、グレゴリオ聖歌を詠唱することにより、死にゆくひとをふくめ、その場にいるすべてのひとを癒し、結びつけたといいます。

 

 

4「神が追いかけてくるという逆説」では、ほとんどの人は自分が幸せを求めていると思っていますが、ユダヤ教神学者アブラハムヨシュア・ヘッシェル(1907〜72)によると、その逆で、「人間が幸せを追いかけているのではなく、幸せが人間を追いかけている」と述べていることが紹介されます。ヘッシェルは、『人間を探し求める神』(森泉弘次訳、教文館、1998年)の中で、「神が人間を追いかけている。これこそ聖書的信仰の神秘的逆説である」と述べています。著者は、「信仰や宗教は、ひとびとがしあわせに生きることを実現するいとなみといえますが、このしあわせの発信源は神になるので、ひとが神を探しもとめるのではなく、そのぎゃくに、神のほうが人間を愛して、聖なる使命を託すために人間を探しもとめるというわけです。ヘッシェルによると、このときひとがどれほど逃げようが隠れようが神はどこまでも追いかけてくるといいます。それほどまでに、神は人間を愛し、祝福したいのだとヘッシェルは考えるのです」と説明します。



ヘッシェルの言葉は、いわゆる「宗教的逆説」だと言えますが、有名な宗教的逆説として、3世紀のキリスト教神学者テルトゥリアヌスの言葉とされる「不合理ゆえにわれ信ず(Credo quia absurdum)」とか、12世紀の法然の『選択本願念仏集』の「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」という悪正機説や、13世紀の親鸞のことばを記録した唯円の『歎異抄』の「善人なほもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」などが逆説的表現として有名です。著者は、「こうした逆転満塁ホームランのようなメタノイアの思考は、クザーヌスの『反対の一致』という神の属性についての思考にもつうじるものだとおもいます。人類は『メタノイア』をさまざまな局面であみだし、苦しい現実をのりこえ、ブレークスルーしていく活路を見いだしたのです」と述べています。

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

 

この「宗教的逆説」は、20世紀の日本にも出現しました。ブログ『苦海浄土』で紹介した石牟礼道子の著書がそれです。著者は、「もっとも深刻な胎児性水俣病という病苦におかされた者こそが『いちばんの仏さま』に反転するという、慈悲と諦念にみちた逆説的な神仏の感覚が、素朴な水俣方言によって、ものがなしくもうつくしくかたられます。『煩悩即菩提』という中世仏教思想の逆理が切実なかがやきをはなちます。そこでは、すべてが本来ほとけであるという本覚思想とひとびとの苦しみを背負って生死の海をわたる代受苦思想とのかさなりがみられます。メチル水銀におかされた水俣の『苦海』こそが、この汚濁に満ちた現世のなかの『浄土』であり、神仏を顕現させる場所と機縁になるという逆説。石牟礼さんがつむぎだすのは、そのような『苦海浄土』の逆説的で残虐なまでのうつくしい福音です」と述べます。

 

平安時代から鎌倉時代にかけて広がった天台本覚思想では、「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」とか、「煩悩即菩提」と命題化されました。著者は、「もし仏さまの目で、真如(ありのままの真実)の世界を見ることができるならば、そこでは、人間・衆生のみならず、有情も非情も、草木も国土もみなすべて成仏するというのです。そこでは、『煩悩(母が捨てた胎児性水俣病の杢太郎少年)』にしかみえない苦悩や痛みがそのまま『菩提(爺やんがいう魂のふかい「いちばんの仏さま」)』に転換します。それは、合理的な論理帰結を超えた救済への逆説的福音といえます。こうして、石牟礼道子さんは、目に見える世界である『顕の世界』と、目に見えない『幽の世界』の両界をのぞき見し、往き来しながら、世界の光と影、凸と凹との反転と逆理を観音菩薩のような慈悲のまなこをもって見つめつづけます。闇と光、魔と仏、病と健康、煩悩と悟りという、この世界の二元対立をやわらかくねじりつなぐまなざしをもって透視するのです」と書いています。蛇足ながら、ここにきて著者の平仮名多用作戦は破綻した?(笑)

 

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

  • 発売日: 1971/06/16
  • メディア: 文庫
 

 

7「『ヨブ記』のはげまし」では、神話や歴史書思想書を含む世界中の宗教テキストの中で、最も激烈に、かつ直接に、深く、鋭く、神との交信のさまを描き出しているのは『旧約聖書』であると指摘し、著者は「『詩篇』『コヘレト書(伝道の書)』『ヨブ記』、そして各『預言書』、モーセ五書、それらすべてが一なる神の激烈さと偉大さとともに、人間存在の小ささと痛みや苦悩のふかさと、それゆえに神をもとめつづけるこころの痛みとかなしさを、じつになまなましくえぐりだしているのです」と述べています。その最も代表的かつ典型的な一書が「ヨブ記」であり、ユング心理学の提唱者のカール・グスタフユング(1875〜1961)も「ヨブ記」の記述にひかれた一人であったと紹介されます。

 

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

 

 

40歳前後の当時のユングは、フロイトと決別した時期でもあり、繰り返し大洪水や大寒波などの大破局が訪れてくる夢やヴィジョンを見ていました。第一次世界大戦に突入する前の精神的な危機のとき、ユングは、光と闇、善と悪、神と悪魔という相反する極性を内包する「反対の一致」の統合神「アプラクサス」に行きつきましたが、著者は「この自己の危機と世界の危機、つまり、第一次世界大戦にむかう時代状況の危機的雰囲気を敏感に察知していたユングは、このふたつの危機との格闘のなかから、悪や悪魔をもとりこんだ『四位一体』の神の象徴を見いだしたのです。それが、『アプラクサス』でした。そして、同じような精神的危機にみまわれていた作家のヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)は、このふしぎな神のヴィジョンを匿名で書いた小説『デミアン』(1917年に執筆し、原著は1919年に発表)を書きあげることをとおして危機を脱したのです」と述べます。わたしは、著者に薦められて『デミアン』を読んだことがあります。



第3章「こころの浄化法について――仏教のワザ」では、著者は「宗教に関心をもち、いくらか研究めいたことをしてきたわたしから見ると、仏教ほどガチンコで『心直し』を説いた宗教、あるいは哲学はないと断言できます。仏教は世界の宗教史のなかで、もっともふかく、本質的に『心直し』を説いた宗教・哲学です。仏教は、わたしたちが問題にしている『こころ』とは、ほんとうにそのように『ある』こころなのかを、あらゆる角度から分析し、チェックし、考察しました。そして、わたしたちが、こころにたいしていだいている常識をメタノイアしたのです。それが、『諸行無常』『諸法無我』や『縁起・無自性・空』という仏教独自の存在概念や認識概念になります」と述べています。



仏教が日本に伝来したのは、『日本書紀』によると、第29代欽明天皇の治世の13年(西暦552年)ということになります。しかし、他の資料などを検討したという著者によれば、実際には第28代宣化天皇の治世の3年(西暦538年)であったといいます。欽明天皇も、宣化天皇も、第27代安閑天皇とともに、その前の第26代継体天皇の皇子たちで、兄弟どおしで皇位を継承していきました。この頃に、百済から仏教が伝来し、聖徳太子の父の第31代用明天皇やその妹の第33代推古天皇(ともに欽明天皇の皇子や皇女)の時代に徐々に定着していくことになります。


1「和の国づくりの原理」では、『日本書紀』の推古天皇の治世12年(604年)のくだりに、聖徳太子憲法十七条を定めたことが記載されていることが指摘されます。憲法十七条の第一条は有名な「和を以て貴しとなし」です。そこでは、まっさきに、「和」の価値が強調されました。そこで、日本のことを「和国」というようになり、日本風のことを「和風」といい、日本の伝統的な服装を「和服」とか、日本食を「和食」とかというようになります。その原点がここにあります。著者は、「なによりも『和』を大切にしなければならない。『和』があれば争いはおこらない。人はみな群れたがって、『党』すなわちグループをつくりたがる。そして、その党利党略によって、たがいに争うことになる。そのような道理を見とおし、さとった者はとてもすくない。ようするに、国を乱す『不和』の原因は、この党利党略のもとになるエゴ(じぶんがいちばん大事だという考え)すなわち『我』であり、『慢』であり、「欲」である。その争いのもとになる『我慢』や『我欲』をおさえ、しずめるためには仏教が必要なのである」と述べています。

 

和を求めて

和を求めて

 

続いて、著者は「仏教こそが、精神的ささえとなり、指標となり、模範となる最高の教えであり、規範である。それを、日本という国の精神原理とする。そうすれば、この国はほんとうの『和国』として、平和で、安心で、幸福にみたされた国となる。――憲法第十七条の第二条で、そう宣言するのです。これは、すごいことですね。国の基本方針として、まず、和国づくり宣言をし、その方法論は、仏教を精神原理として採用するということを国内外に知らせるのですから。それも、当時の普遍思想である仏教を『四生の終帰』、また、『万国の極宗』とまでたたえて評価したのですから」と述べているのですが、これには少々、違和感をおぼえました。なぜなら、「和」とは仏教的コンセプトというより、儒教的コンセプトだからです。

 

論語 (岩波文庫)

論語 (岩波文庫)

 

 

論語』の「学而篇」に、「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば、亦た行なわれず」とあります。「みんなが調和しているのがいちばん良いことだ。過去の偉い王様も、それを心がけて国を治めていた。しかし、ただ仲が良いだけでは、うまくいくとはかぎらない。ときには、たがいの関係にきちんとけじめをつける必要もある。そのうえでの調和だ」という意味ですが、この孔子の言葉こそ、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」のルーツにもなった言葉なのです。わたしは著者と15年以上、WEBでの往復書簡を交わしていますが、いつも儒教に対する関心の薄さを感じていました。本書でも、キリスト教、仏教、道教神道について語っていますが、儒教はスルーされています。中国において儒教と並ぶ宗教である道教が取り上げられているのですから、著者が「儒教嫌い」と見られても仕方ないかもしれませんが、「和」が儒教的コンセプトであり、聖徳太子に先立って孔子がいたことだけは申し上げておきたいと思います。

 

世直しの思想

世直しの思想

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: 単行本
 

 

ブログ『世直しの思想』で紹介した本を、わたしは著者の最高傑作ではないかと思っているのですが、その中でわたしが最も興味深く読んだのは、第五章「世直しと教育と霊性的自覚」でした。第一節「韓国儒学の学びから」の冒頭を、著者は「ほとんどの人が儒教を倫理道徳だと理解している。ご多分にもれず、わたしもそのような1人であった。だが、最近、『儒学は道徳の学ではなく、美学である』という認識と意見を韓国で聞いて目を見開かされた。わたしは儒教についてずいぶん表面的で一般的な理解しかしていないのではないかとも反省させられた」と書きだしています。この著者の言葉は、人類史上で孔子を最も尊敬し、「礼」を求めて生きているわたしにとってこの上なく嬉しい言葉でした。「おおっ、鎌田先生、やっとわかってくれましたか!」と叫びたい気分でした。

 

礼記 (中国古典新書)

礼記 (中国古典新書)

  • 作者:下見 隆雄
  • 発売日: 2011/07/10
  • メディア: 単行本
 

 

著者が儒教に対する見方を改めたきっかけは、韓亨祚韓国学中央研究院教授の「儒学は道徳の学ではなく、美学である」という観点と主張でした。著者は「わたしは毎朝、石笛や横笛や法螺貝や雅楽龍笛を奉奏するので、儒学が人倫修養の根幹に『礼楽之道』を置いていることに関心を持っていた。『礼記』『大学』には『修身斉家治国平天下』(自分の行いを正し、家庭を整え、国を治めれば、天下を泰平に導き統治することができるようになる、という儒教の根本思想)と書かれているが、ではその『修身』とはどのようにして可能かと言えば、同じ『礼記』の『楽記篇』にあるように、『楽は天地の和、礼は天地の序』であるから、天地万物の世界秩序を確かなものとするためには『楽』を奏して『天地の和』を実現しなければならない。この『楽』すなわち音楽の演奏が単なる楽器演奏に留まらない人間形成、人格修養の道であることを儒学儒教は一貫して主張し実践し続けてきたのである。天地人の調和を調律する『礼楽』としての儒学の本質。そして韓国儒学の『養生法』。この道徳的修道と美的・芸術的修練との連携・連動に基づく『儒学は美学である』という主張こそ、未来倫理となり得る思想だと思ったのである」と述べています。



聖徳太子に話を戻しましょう。聖徳太子は、574年に用明天皇の皇子として生まれました。本名は「厩戸皇子」ですが、多くの異名を持ちます。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、622年に没しています。内外の学問に通じ、『三経義疏』を著わしたとされます。また、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立しました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞などは「和国の教主」と呼びました。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありません。その真価は、神道儒教・仏教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたことにあります。

 

神道・儒教・仏教 (ちくま新書)

神道・儒教・仏教 (ちくま新書)

  • 作者:和也, 森
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 新書
 

 

日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいます。よく、「日本教」などとも呼ばれますが、それを一種のハイブリッド宗教として見るなら、その宗祖とはブッダでも孔子もなく、やはり聖徳太子の名をあげなければならないでしょう。聖徳太子は、まさに宗教における偉大な編集者でした。これは著者・鎌田氏オリジナルの表現ですが、「儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を実現する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという『和』の宗教国家構想」を説いたのです。


この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。その聖徳太子が行った最大の偉業は、推古天皇12年4月3日(ユリウス暦604年5月6日)に「十七条憲法」を発布したことでしょう。儒教精神に基づく冠位十二階を制定した翌年のことであり、この憲法十七条こそは太子の政治における基本原理を述べたものとなっています。普遍的人倫としての「和をもって貴しとなし」を説いた第一条以下、その多くは儒教思想に基づきますが、三宝(仏法僧)を敬うことを説く第二条などは仏教思想です。さらには法家思想などの影響も見られ、非常に融和的で特定のイデオロギーにとらわれるところがありません。これが日本最初の憲法でした。そして、ここで説かれた「和」の精神が日本人の「こころ」の基本となりました。

 

そして、憲法十七条の最後の十七条には、「それ事はひとり断むべからず。かならず衆とともに論うべし。小事はこれ軽し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮びては、もしは失あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁うるときは、辞すなわち理を得ん」たります。「独断」はダメだ、大事なことはかならずみんなで議論をつくしなさいという意味です。聖徳太子は細心のこころづかいをして憲法十七条を制定したのです。著者は、「和」の実現のために、「いかり(忿・瞋・怒)」や「嫉妬」の抑制が説かれていることを指摘し、これは逆に、いかに怒りや嫉妬をおさえることが難しいかをよく表しているといいます。なにしろ、「憲法」にしるさねばならないほど、しばしばおこってくるということですから。そして、「いずれにしても、憲法十七条が示すように、仏教は、こころと社会の安定秩序形成の基軸となり、基盤とされていき、日本という国の精神のコンパス(羅針盤)となったのです」と述べるのでした。



2「こころの処方」では、かつて、「わかっちゃいるけど、やめられない」という植木等のヒット曲「スーダラ節」の一節があり、大変流行したことを紹介し、著者は「ほんとうに、そうなのです。わかっているけど、やめられないのが、性格・性癖・嗜好という、そのひとにふかく根づき、定着してしまった行動パターンであり、そのような行動をうみだしてしまう思考パターンや感受のパターンです。それをまずは瞑想的な認識によって、それとしてチェックし、うけとめます。それが今日風にいえばマインドフルネスになり、テーラワーダ上座部)仏教ではヴィパサナ瞑想になり、大乗仏教(とくに天台宗)では止観になります。ようするに、それをそれとしてみつめ、うけとめる、ということです」と述べています。自分のこころを支配し、衝き動かしてしまうこころをどのようにして変えることができるのか。仏教はそのこころのシフトの仕方を教え、実修させるために、精緻なこころの哲学を生み出した、と著者は言います。ダライ・ラマ14世(1935〜)は、仏教を、「宗教としての仏教」「哲学としての仏教」「科学としての仏教」の三種に分け、科学としての仏教を認知心理学神経科学ともつながる「感情の科学」と見ました。

 

 

3「『ありのまま』の探求」では、このような視点のさきがけはニーチェであることが指摘されます。フリードリッヒ・ニーチェ(1844〜1900)は、こころに生起する負の感情を「ルサンチマン(怨恨感情)」ととらえ、現代の哲学や宗教は「ルサンチマン」の解放をこそめざさなければならないと主張しました。そのニーチェからすると、キリスト教ルサンチマンの宗教になり、徹底的な批判の対象となります。一方、ルサンチマンからの解放、あるいは負の感情の浄化法としての仏教をニーチェは評価します。たとえば、『この人を見よ』(原著1888年)のなかで、ニーチェは仏教のことを「精神の衛生学(Hygiene)」と呼びました。そして、ブッダを「あの深い生理学者」と称えています。著者は、「これは、仏教を『感情の科学』としてとらえるダライ・ラマ14世と共通の視点だといえます」と述べています。

 

大乗起信論 (岩波文庫)

大乗起信論 (岩波文庫)

  • 発売日: 1994/01/17
  • メディア: 文庫
 

 

ブッダの悟りと説法から始まる仏教(仏法)は、人類史上で最も精緻なこころの理論と卓抜した効果のある実践法(プラクシス)を示しているとして、著者は以下のように述べています。
「仏教の基本的な考え方は、なにごとも実体視しないということです。ですから、『無常・無我・無記』とか、『無心』とか、『無』という否定性をあらわすことばが多用されます。固定したものの見方や実体視を極力排して、とらわれのない、ありのままのすがたを『正見』(八正道の第一道)しようとします。しかし、初期仏教から大乗仏教へと展開していくなかで、『大乗起信論』や、それにもとづいて上書きされていった仏教思想書では、こころを『妄心(心生滅)』と『真心(心真如)』ないし『本心』に分けることになります。そして、その『本心』が『仏性』や『如来蔵』や『本覚』と連鎖していくことになります。つまり、『無常』とか『無我』とか『無記』とか『無自性』とかの否定性を重視した初期の仏教の考え方から転じて、より実体的な、『真我(アートマン)』的な肯定性を重視した心の哲学へと移行していくのです」

 

 

4「心のこころ・観の目」では、剣聖・宮本武蔵が取り上げられます。武蔵は、自身の著作である『兵法三十五箇条』の中で、「意のこころ」と「心のこころ」という、ふたつの「こころ」のちがいを指摘しています。そして、具体的に、「意のこころかろく、心のこころおもく」と注意をうながしています。つまり、「意のこころ」とは表層的なゆれうごく自意識、そして「心のこころ」とは奥そこにどーんと陣取っている深層的な無意識。そのように著者は読み解きます。そして、「たたかうときには、この表層的な意識をかるくして注意をはらい、深層的な意識をふかく不動のものとしながら、でーんとしずまっていることが肝要であると指南しているのだとおもいます」と述べています。



武蔵は、ふたつのこころを区別しつつ、「二天一流」の二刀流の小太刀と大太刀のようにうまく相乗的かつ相補的に使いわけ、使いきりました。著者は、「小さな刀の小太刀は、すぐさま振れて反応できる「意のこころ」の象徴物です。それにたいして、おもいきりふりおろさなければ切れない大きな刀の大太刀は、じっと奥のほうにひかえていて最後の最後で勝負する『心のこころ』の象徴物です。小太刀は天にある月、大太刀は天にある太陽。太陽はすがたかたちは変わりませんが、月は日々すがたかたちを変えていきます。そのような変化してやまぬ月という小太刀を左手にもって、相手をけん制しつつ、じぶんの調子をたしかめ、右手にはかたちを変えることのない太陽のごとき大太刀をもって、相手のまえにたちはだかるとき、さぞかし相手は、その自在で奥ふかい兵法におそれおののいたことでしょう」と述べています。現在、ブログ『鬼滅の刃』で紹介した物語が社会現象と呼べるブームを起こしていますが、呼吸と型による剣法に注目が集まっています。鬼滅ファンも、武蔵の二刀流には魅了されるのではないでしょうか。



5「草木国土悉皆成仏」では、「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」の思想は、回峰行などによる行の裏付けなしには促進されることはなかったとして、著者は「じっさい、比叡山の山中をあるき、うつくしい光かがやく琵琶湖の水面やさまざまに色を変えていく山並みや植物の生育を日々見ていると、それらがそのままほとけと浄土の光景に見えてくるのもよくわかります。命あるものはそのままでうつくしく、完成されている。つけくわえるなにもない。そのままでほとけであるというのが、山岳修行者の実感であったでしょう。のちに体系化されていく天台系や真言系の修験道も、このような本覚思想を内包した即身成仏思想をもっています」とのべます。また、修験道とは、この身をもって天地自然のなかに分け入り、その気やエネルギーにひたされ、いぶかされて、天然自然のちからと叡智を五感・六感すべてで感受し、それを有情無情の存在世界に調和的につなぎ循環させていく知恵とワザの体系であり修道であるとのこと。その知恵とワザは、「生態智」の獲得であり、体現だといいます。



6「ひらく・となえる・うたう」では、仏教は本来は「すわる」こと、そして、瞑想すること、その瞑想(八正道の正定)をとおして真理(法)とさとり、知恵を体現すること、すなわち「成仏」することをめざすと指摘し、著者は、「その仏教が、アートマンブラフマンというような、真我(本来的自己)や宇宙存在という永遠の実在のイメージ(心象)やシンボル(象徴)を大胆に借りてきて、ヒンドゥー教バラモン教的な装飾をちりばめながら、仏教思想のあたらしいモードを発信していくときに、もうひとつのインド的な要素、『となえる』ことや『うたう』ことも、ひとびとにうけいれられやすく、うったえかけやすいかたちで、うまくとりいれられることになりました。それが、真言曼荼羅や印の活用になっていきます」と述べます。



また、「すわる仏教」は、ブッダの教説を「となえる仏教」を経て、「うたう仏教」に変容していき、そしてそれが、空海によって、これまた大胆に日本に導入され、定着していくことになると指摘します。そこにおける仏教本来の負の感情処理法、こころの浄化法としての「心直し」の方法が、真言密教などの神秘的な「言直し」に接続・変容していくことになり、よりいっそう多様で、土着の思想要素と習合しやすい自在なかたちをとっていくようになったとして、著者は「そのような真言密教の民俗宗教化の過程で、四国遍路や御詠歌などの巡礼歌唱文化もうまれてきたのです。そしてそれは、まちがいなく、日本仏教の『負の感情』とのつき合い方として、ひとびとのこころと生活のなかにはいりこんでいきました」と述べるのでした。

 

 

第4章「自然の根っこへ――老荘思想道教の心直し」では、中国には、大きく、鬼道(シャーマニズム民間信仰)、儒学儒教老荘思想道教という大きな宗教文化や哲学思想の伝統があることが紹介され、中でも、儒教道教は、中国宗教哲学の二大潮流として今日まで命脈を保ち、多大な影響を及ぼしているとして、著者は「儒教道教と仏教のちがいをひと言でいいあらわすとしたら、つぎのようになります。儒教は聖人君子となることを理想とする『治国』の道、道教は仙人や真人となることをめざす『治身』の道、仏教は覚者(ブッダ)となることをめざす『治心』の道」であると指摘します。そして、1「空海の『卒業論文』」では、空海の『三教指帰』を取り上げながら、儒教道教と仏教という「三教」の違いを見ていきます。『三教指帰』は三部構成で、一種の戯曲のような思想ドラマの体裁を取っています。巻の上が儒教を論じた「亀毛先生論」、巻の中が道教を論じた「虚亡隠士論」、巻の下が仏教を論じた「仮名乞児論」です。



三教指帰』において、空海は当時の宮廷の最高の漢学者を説得して、儒教道教という中国思想の要点をとてつもない装飾的な美文で要約し、そのうえで、最後にとどめの一発として仏道修行の尊さとすばらしさを説きました。著者は、「そのような思想ドラマを演出して見せることで、この稀代の知的不良少年だった若き空海は、おのが道をむりやり突き進もうとしたのだとわたしは考えます」として、さらに「鴨長明(1155〜1216)の『方丈記』もこころにひびく名文ですが、それは、出家して隠遁者となった、歌人としても有名であった鴨長明が57歳のときに書いたものです。それにたいして『三教指帰』は、なんといっても、24歳の若者が書きました。その年齢差を考えると、空海のすごさが改めてうきぼりになります。こうして、儒教道教を遍歴・包含し、そのうえで、仏教の優位を明確にあきらかにしていく仮名乞児は、最後に『十韻の詩』をつくって、一同全員にうたわせたのです。大事なことは、それをうたったということです」と述べます。



4「気功による『いき』直し」では、気功には、①導引、②吐納、③存思、の3つの要素があり、身体・呼吸・意念とも、調身・調息・調心とも言い換えることができると指摘します。それは、①導引―身体―調身②吐納―呼吸―調息③存思―意念―調心という3つの系をつなぎ、調和させることが「気功」という身心変容技法の目標であり、「身直し」の修練ということになるといいます。著者は、「なかでも、吐納―呼吸―調息は、かなめをなすところです。なぜなら、すべての身心変容技法は、呼吸のしかたがトリガー、身心変容の引き金となるからです」と言います。呼吸といえば、『鬼滅の刃』では、「全集中の呼吸」をはじめ、さまざまな呼吸が描かれ、子どもたちの人気を集めています。



呼吸について、著者は以下のように述べます。
「たとえば、緊張しているときの呼吸はあらくて、はやくなるでしょう。そのとき、からだはかたくなり、緊張し、とても防衛的になっています。そのはんたいに、リラックスしているときの呼吸はゆるやかで、ふかいのです。そのとき、からだはやわらかく、受容的になっています。そこで、意図的に、呼吸のしかたによってからだとこころの状態を変化させ、コントロールできることをまなびます。これが、座禅であったり、気功であったりするわけです。なかでも、峨眉丹道医薬養生学派の気功は、12世紀の南宋末の道士で僧侶でもあった白雲禅師にはじまる『峨眉臨済宗』の身心変容技法として発展してきたものです。ここには、座禅的な呼吸瞑想と、道教的な導引の両方が統合されています」



著者は、東日本大震災や熊本大震災が起こったとき、「こんなときにこそ、気功を役立てないで、いつ気功を役立てるの?」というようなことを言って、峨眉養生文化研修院の理事で気功指導者をしている人に、被災地に入って、少しでも体を楽にしてもらう「かんたん気功法」を教えにいってもらったことがあるそうで、「震災や津波など、自然災害がおこってきたとき、わたしたちは喪失の大きさにいつまでもショックをうけて立ち直れないことがままあります。そんなこころが折れてしまったようなときは、からだのほうからアプローチしてやわらかくしてみることが必要だとわたしはしんそこおもっています。『心直し』をするためには、『体直し』が有効である。これが、わたしが身心変容技法の研究をとおして得た結論であり、現実的な見方です」と述べます。

 

荘子 (中国の思想)

荘子 (中国の思想)

  • 作者:荘子
  • 発売日: 1996/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

5「忘れること」では、『荘子』を取り上げ、その思想と身心変容技法の中で、「忘れる」ということはネガティブなことではなく、その反対に、とても重要な心直しになっていくとして、「忘れることはそれほど容易なことではない。それにもじつはある種の技法が必要である。荘子はそれを、たとえば『坐忘』すなわち忘却という概念によって表現します」と述べます。また、儒教嫌いの著者は、「『荘子』はじつにおもしろいですね。儒教の教祖を手だまにとって、茶化しながら、道学の玄義を明白にしたのですから。『仁義』も『礼学』もともに儒学儒教の最重要のおしえと実践です。しかし、それらをうち忘れて、『坐忘』してはじめて賢者になったというのですから。『自分の身体や手足の存在を忘れ去り、目や耳のはたらきをなくし、形のある肉体を離れ、心の知をすて去』る。それが『大通』である、『大道』に参入することだというのです」とも述べるのでした。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

  • 作者:倉野 憲司
  • 発売日: 1963/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

第5章「うたと日本的ケア――神道・和歌・俳諧」の1「イザナミの『辱』とグリーフケア」の冒頭を、著者は「神道の心直しを考えていくとき、まっさきにおもいうかぶのが、イザナミノミコト(伊邪那美命)の悲しみです。その悲しみがその子のスサノヲノミコト(須佐之男命)にうけつがれ、うた(短歌)の発生につづいていきます。『古事記』は、そのような悲しみの系譜をつたえるグリーフ(悲嘆)ケアや鎮魂の物語だとわたしは考えています」と書きだします。著者によれば、『古事記』には女あるいは母の哀切の語りがありますが、女あるいは母とは、イザナミコノハナノサクヤビメ(木花咲耶比売)、トヨタマビメ(豊玉毘売)です。その中で、特に最初に語られるイザナミの嘆きと哀切が、『古事記』を貫く通奏底音となって鳴り響きます。『日本書紀』には、そういう悲しみの影も、グリーフケアの意図をもつ鎮魂譜の響きはまったくなく、『古事記』のみが、「負の感情」とのつき合い方をテーマにしている古代の書です。そこでイザナミの悲しみは、ドラマティックでスペクタクルな陰影をもって描かれるのでした。

 

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)

 

 

アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクト(1887〜1948)は、『菊と刀』の中で、日本文化の型を、西洋の「罪の文化」と対置して「恥の文化」と規定しました。著者は、「『古事記』までさかのぼっていえば、ベネディクトの主張は一定の説得力をもっているといえます。なぜなら、このイザナミの『辱』の自覚が、そのあとの奇想天外な展開をつぎつぎとうみだしていく原動力ともなっているからです。もし、ここに『辱』ではなく、『愛』の完成成就と和合があったならば、『古事記』はまったくちがう世界とコスモロジーを表現することになったでしょう。そしてそのとき、『古事記』は鎮魂譜やグリーフケアの書ではなく、インド最古の古典である『リグ・ヴェーダ』のような、神聖なる神々の讃歌集になったことでしょう」と述べています。

 

古事記ワンダーランド (角川選書)

古事記ワンダーランド (角川選書)

 

 

しかし、実際は、「辱」から、鎮魂やグリーフケアの必要が生まれてくることになりました。そしてその必要が『古事記』を生み出しましたのです。その意味では、この「辱」というイザナミの「負の感情」の生起は、日本文化にとって決定的に重要な意味を持っています。イザナミの「辱」は負の感情として消えることなく、累積したまま、「恥の文化」にまでつながっていると言えるからです。 ブログ『古事記ワンダーランド』で紹介した本に詳しく書かれていますが、『古事記』の物語は、このイザナミとスサノヲの悲しみが原動力になって、次々と出来事と物語を生み出しています。この非合理的に見えるほど母を強く思慕していることが、負の物語世界の構造を作っていて、それが『古事記』における祭りやうたの発生という一大事につながり、鎮魂譜とグリーフケアの完成につながっていくことには、はかりしれないほどの意味と象徴性があるとおもいます。



古事記』のハイライト・シーンの1つが「岩戸開き」です。天の岩屋戸に隠れていた太陽神アマテラスが岩屋戸を開く場面です。アメノウズメのストリップ・ダンスによって、神々の大きな笑いが起こり、洞窟の中に閉じ籠っていた孤独なアマテラスは「わたしがいないのに、どうしてみんなはこんなに楽しそうに笑っているのか?」と疑問に思い、ついに岩屋戸を開くのでした。『古事記』は、その神々の「笑い」を「咲ひ」と表記しています。そして、この点に注目した著者は、『古事記ワンダーランド』に「神々の『笑い』とは、花が咲くような『咲ひ』であったのだ。それこそが〈生命の春=張る=膨る〉をもたらすムスビの力そのものである。この祭りを『むすび』の力の発言・発動と言わずして、何と言おうか」と書いたのでした。



ちなみに、わが社の社名は「サンレー」といいます。これには、「SUN−RAY(太陽の光)」そして「産霊(むすび)」の意味がともにあります。わが社は葬儀後の遺族の方々の悲しみを軽くするグリーフケアのサポートに力を注いでいますが、それは必然であると思っています。なぜなら、グリーフケアとは、闇に光を射すことです。洞窟に閉じ籠っている人を明るい世界へ戻すことです。そして、それが「むすび」につながるのです。わたしは、「SUN−RAY(太陽の光)」と「産霊(むすび)」がグリーフケアを介することによってつながることを確信しています。ちなみに、わが社の社歌は神道ソングライターでもある著者に作詞・作曲していただいています。毎朝、朝礼の前に流しています。



4「祭りという生存戦略」では、宗教という現象を、「聖なるものとの関係にもとづくトランス(超越)技術の知恵と体系」とひとまず定義してみると、宗教がさまざまなかたちでの「トランス(超越)」の動きや働きを通して、こころやたましいの深みにおりたって、生と死を支える根源的な力を引き出す身心変容技法をもっていることが見えてくるとして、著者は「そうした身心変容技法は、当然のように、自己の内部にわだかまってくる負の感情を浄化したり、昇華したり、開放したり、再意味づけ化したりして、さらなる生存のふかみを掘りおこしつつ、進んでいきます。そこには、大きく分けると、物語(ナラティブ・神話伝承)や儀礼パフォーマンスと、内観(自己を見つめる、インサイト、瞑想、観想)のふたつの道がひらけています。その道は、わが国では、前者をおもに神道がにない、後者を仏教がにないました。そして、前者では、シャーマニズムのトランス的な神懸かりや祭りやうたが、後者では、瞑想的で自己放下的な止観や禅がふかめられました」と述べます。

 

 

拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)で、わたしはコロナ禍の中で2020年に日本の夏祭りがことごとく中止になったことについて、「夏祭りは先祖供養であると同時に、疫病退散の祈りでした。それが中止になったことにより、日本人の無意識が自力ではいかんともしがたい存在である病の克服を願い、疫病すなわち鬼を討ち滅ぼす物語であり、さまざまな喪失を癒す物語でもある『鬼滅の刃』に向かった側面があるのではないか。それは、幕末の『ええじゃないか』にも似た、民衆の無意識の中のエネルギーが大爆発した現象だったのではないか。わたしは、そう考えます。『鬼滅の刃』現象とは、コロナ禍の中の『祭り』であり、『祈り』だったのです。なぜ、コロナ禍の中で『鬼滅の刃』が大ヒットしたのか? その問いの最大の答がここにあります」と書きました。同書を読まれた鎌田東二氏は「面白い」と言って下さいました。とても嬉しく感じました。



鬼滅の刃』といえば、主人公・竈門炭治郎は彼の家に伝わる「ヒノカミ神楽」を舞いますが、ヒノカミとはもちろん「日の神」のことです。著者は、「日の神がいなくなると、ここぞとばかりに、世界にあらゆる災いがつぎつぎにおこってきて、パニック状態におちいります。なにもうまれることのない、非生産的な世界。それは、『むすひ』のちからと働きも死にたえて生命力の枯渇した死の世界、『常闇』の世界です。そこには、未来も希望もなく、いのちのあらわれもてりかがやきもありません。これでは、世界はいのちの根源をなす高天原から崩壊していくことになります」と述べています。また、著者によれば、神道における身心変容のワザとして、禊祓と祭りをあげることができるといいます。

 

妹の力 (角川ソフィア文庫)

妹の力 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 2013/07/25
  • メディア: 文庫
 

 

著者とわたしが15年以上も交わしている「ムーンサルトレター」の第190信で、著者は拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』について、わたしの儀礼論的解釈がその核心にあることに納得・共感できるとして、「『コロナ禍の中の祈りと祭り』としての『鬼滅の刃』。それはどこか、スサノヲ的でもありますね。スサノヲノミコトは八岐大蛇を退治して、妹ならぬ『妹の力』(柳田國男)を持つクシナダヒメと結婚しますが、そこで、二つの神秘が発現します。一つは、八岐大蛇の尾っぽから『天の叢雲の剣=草薙の剣』が発見されたこと。もう一つは、スサノヲが『我が心、清々し』と言って、『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を』という日本で最初の和歌(短歌)を歌ったことです。二つの神秘とは、神剣と和歌の顕在化ということです。この神剣は同時に和歌であり、和歌は同時に神剣であります。神剣は、切ることもできるが、つなぐこともできる。本当の神剣は殺す剣ではなく、祈りの剣、蘇らせる剣です。『鬼滅の刃』とは、鬼を斬るばかりでなく、鬼である妹の心を蘇らせる剣ではないでしょうか?」と書かれており、わたしはあのあまりの的確さに仰天しました。



さらに著者は、「まったく『鬼滅の刃』を漫画もテレビもアニメーション映画も、一切見ておらず、あてずっぽうで言っているだけなので、適切であるかどうか、わかりません。しかし、論理的に考えると、そのようになると思うのです。スサノヲの発見した『天の叢雲の剣=草薙の剣』はヤマタノオロチという一種の「大鬼」を斬ることができる剣ですが、しかし、同時にそれを変容し、生き返らせる剣でもあります。その生き返らせる方法=道が『和歌・短歌』なのです。和歌は人の心を和らげ繋げます。特に恋の歌がそうです。しかし、それは人と人を、男と女を結ぶだけではありません。神と人、人と自然、いのちあるものをむすぶ声の神聖エネルギーなのです。和歌とは剣の変容した姿であり、剣とは和歌の変容した姿です。そのような、中世の『和歌即陀羅尼説』ならぬ『剣即和歌説』をわたしは提唱しています」と述べ、ますますわたしは仰天しました。あてずっぽうで、どうして当たるの?



6「うたによる負の感情処理」では、そのスサノヲについて、著者は母を恋い慕って泣きさけんでいた荒ぶる声は、喜びにみちたちからづよい声となってほとばしります。破壊的な声が、調和にみちた愛の言霊に転化したのです。「穢れ」のなかにいたスサノヲは、この大蛇退治と詠歌という「浄め」をへて、その「むすひ」と「修理固成」を完成させたのです。こうして、手のつけられない粗暴な子どもであったスサノヲに、手のつけようのない凶暴な八俣大蛇を退治することによって、ちからとこころを制御するワザをもたらすことになりました。すなわち、剣と和歌のワザを身につけ、イニシエーションを達成し、最高の英雄神となったのです。これによって、八俣大蛇の破壊力にも比せられる母イザナギの怒りと悲しみを制御し、鎮撫することができたのです」として、「神話というものは、ほんとうにおもしろく、かつ意味ふかく、深遠です。そして、ここに、日本人の負の感情処理の原型的パターンが示されていると、わたしは考えています。それは、うたをうたうという方法であり、道でした。『心直し』は『うた(による)直し』とともにある、という提案です」と述べます。



6「正負の感情をうけとめるうた」では、「五七五七七」の音数律にせよ、五七調や七五調にしても、わたしたちのこころのおもいやわだかまりに、ある定式をあたえる形式的ちからを持っていることが指摘されます。わたしはいつも不安定な「こころ」を安定させる「ちから」を「かたち」は持っていると言うのですが、和歌や俳句はまさに「かたち」の文芸です。儀式的文芸と呼んでもいいでしょう。著者は、「いかにすばらしい五言絶句や七言律詩をよんでも、理性的にその世界やあじわいを感受し、想像することはできても、身心の波動そのものとしてそのしらべを感受しきることはできません。負の感情も正の感情も、ともに、和歌のリズムやのちの俳句の音数のリズムのなかにこめられるときに、ひとつのおさまりを感じることができるのです。それは、辞世の句によくあらわれてきます」として、幕末の勤王の志士たちに決定的な影響をあたえた思想家・吉田松陰(1830〜59)が弟子にあてた「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と、両親にあてた「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとづれ 何ときくらん」を取り上げています。

 

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

  • 作者:佐伯 梅友
  • 発売日: 1981/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

7「『古今和歌集』仮名序のうたの哲学」では、平仮名であらわされた最初の公的な著作である『古今和歌集』には、仮名序と真名序というふたつの序文が記されており、仮名序を紀貫之(866頃〜945)、真名序を紀淑望(生年不詳〜919)が書いたことが紹介され、著者は「うた、すなわち和歌は、こころの表現です。なにかにつけて『心に思ふ事』を『言ひだせる』ものです。そのうたは、『青人草』とよばれる人間だけでなく、『草木』も『磐根』も、花鳥風月もすべて、森羅万象がうたいます。そのうえ、和歌は、ちからをもいれずして、天地万物をうごかすことができます。また、目に見えない鬼神のこころにも『あはれ』とおもわせる感動をひきおこすことができます。さらには、男女のあいだをひきよせて、やわらげ、むすびつけます。また、勇敢な荒々しい戦士のこころもなぐさめ、しずめます。これほどの効力のあるくすりがほかにあるでしょうか? 万能薬の『くすしきくすり』、それが和歌だというのが、紀貫之のうたの哲学です」と述べます。

 

 

著者はまた、「和歌(やまとうた)とは、繊細微妙なこころの『あはれ』を感受し、表出し、浄化するこころの浄化のワザと道でした。それをさらにみじかく、しかも、宇宙大にまでひろげたのが、松尾芭蕉をはじめとする俳諧師たち、日本語の魔術師たちでした」とも述べていますが、至言ですね。著者は、万葉歌人では山部赤人、『古今和歌集』では小野小町が好きで、『新古今和歌集』では西行法師と式子内親王に惹かれ、俳諧者としては松尾芭蕉を尊敬するそうです。著者は、「俳諧」とは「人に非ず=俳」「皆物言う=諧」、天地人響応のワザであり、文芸だと見ています。そこには、「草木」も「言語」と見てとった、『古事記』や『日本書紀』や『延喜式祝詞』いらいの、あるいはそれいぜんのアニミスティックな言霊自然感覚があるというのです。その点、短歌がより人間的な側面をもつとするならば、俳諧はより大自然的な物の声をひろっていると対比できます。その点で、『古事記』以前の、短歌が生まれる以前の歌の世界を、もういっかい定式化し直した言語定型様式を「俳諧」だととらえているのです。



わたしは短歌を好みますが、儒教の徒であることも含めて「人間」派、著者は俳諧を好み、道教にシンパシーを感じる点で「自然」派なのかもしれませんね。人間派と自然派が15年以上も文通を続けているというのが、よく考えれば面白いと思います。著者は、「短歌は三十一文字(音)。俳句は十七文字(音)。ただでさえ短い詩である短歌を、さらにその半分ちかくにまでちぢめたのです。それも、短歌に定式化されるいぜんのくらげなす古列島の言語観に立脚しつつ、その基層をなすアニミズム的な自然感覚・世界感覚・生命感覚をよみがえらせて様式化した。そう見ていくと、芭蕉の偉大さと俳諧文学のおもしろさが際立ち、それによって、どれほどくらげなす島の負の感情が浄化されてきたか、はなりしれないものがあるとおもうのです」と述べるのでした。



第6章「乱世と『負の感情』――伝統芸能のケア」では、著者は「祭りとうたいがいに、日本の伝統文化というとき、わたしがすぐにおもいうかべるのは、神楽と能とお茶です。この三つは日本文化を代表する芸能や芸道だとおもいます」として、「おそらく、能ほど日本文化の総体をコンパクトに統合し、表現している芸能はないでしょう。まず、ここには、神道があります。仏教もあります。和歌もあります。声明もあります。舞踊や神楽もあります。日本文化の粋をきわめながらも、きわめて総合的、包摂的です。しかも、簡素にして抽象的、かつ象徴的で、世界に類例のない独創的な世界を表現しえているとおもうのです」と述べています。

 

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)

 

 

1「清澄と澱みの同居」では、著者は毎朝、比叡山に向かって、石笛12個、龍笛や能管をふくめて横笛6本、縦笛3本、法螺貝4個、土笛3個、太鼓1個、神楽鈴1振り、チンシャ―(チベットの鈴)1振り、ハーモニカ1個、とおよそ30種類くらいの古民族楽器を奉奏していることを明かします。驚く他はありませんが、それゆえに神楽や能やさまざまな民俗芸能の音楽のことはあるていど体で感知できるそうです。著者によれば、石笛は、自然界と人間の心魂と霊的世界を串刺しにし、接続する音響的媒介です。この石笛の響き自体が、日本人の負の感情の表現と浄化の両方をあらわしているように思うそうです。三島由紀夫が『英霊の聲』で指摘しているように、それは「清澄」(正・浄)と「澱み」(負・忌避)の両方を極端なまでに持っているというのです。

 

風姿花伝・三道 現代語訳付き (角川ソフィア)

風姿花伝・三道 現代語訳付き (角川ソフィア)

  • 作者:世阿弥
  • 発売日: 2009/09/25
  • メディア: 文庫
 

 

2「能の主題は負の感情」では、世阿弥が『風姿花伝』第四神儀云のところで、能=申楽がアメノウズメの天の岩屋戸のまえでの神懸りと神楽に起源をもっているとし、また、釈迦説法中に、1万人の外道(仏教を信じないひとびと)を楽しませる方便として始まったとも説いたことが紹介されます。なので、能には神道と仏教の両方がしっかりと入り込んでいるといいます。そもそも、ワキ(シテの相手役)として登場してくる回国行者の「諸国一見の僧」は仏教者ですが、シテ(一曲の主役)としてあらわれる不審で不思議な土地の者は、じつは、つよい痛みやうらみや悲しみを抱いた神や死者の霊などの化身だといいます。


著者は、申楽にも言及します。申楽は、アメノウズメの「神楽」と「神憑り」に端を発するとされます。つまり、『古事記』や『日本書紀』や『古語拾遺』や『先代旧事本紀』などに記された天岩屋戸神事のさいのアメノウズメの踊りから始まるというのですが、著者は「世界が暗黒につつまれたとき、ふたたび生命力を賦活させ、復活させるこころみとして、神楽の末裔として能は演じられたということです。能が独自なのは、このとき、負の感情の吐露を主題として、それを怨霊や幽霊をとおしてかたらせ、諸国一見の僧の傾聴とご祈祷とによって、鎮魂供養され、まよわず成仏していく過程が演じられることです。『古事記』がグリーフケアやスピリチュアルケアの物語だとすれば、能もまたおなじように、いやもっと自覚的かつ主題的に、グリーフケアないしスピリチュアルケアの物語的表現となっているといえるでしょう」と述べます。


さらに、重要な点は、世阿弥が申楽を「寿福増長(延長)」の「天下の御祈祷」の「芸能」であるとくりかえし強調しているところであるとして、著者は「この『寿福増長』を実現するために、前提としてなにが必要であるかというと、『魔縁』をとりのぞくことだといいます。『魔縁を退けて、福祐を招く、申楽舞を奏すれば、国穏かに、民静かに、寿命長遠なり』と『第四神儀云』にあります。それは、いいかえると、『招福除災』のことですが、災いをとりのぞく『除災』には、『魔縁』の解除がふくまれているのです」と述べます。それでは、その「除災」や「魔縁」の解除はどのようにしてできるのか。ここに、神道や仏教(特に密教)の儀礼が大きく関わってくるのです。



著者は「禊や祓や祈祷や調伏がそれにかかわります。たとえば、初詣の習慣を見れば明白ですが、日本人の神社や寺院への参拝のほとんどが『寿福増長』とか『開運』などの現世利益を期待してのものです。神社やお寺で『家内安全』や『身体健固(健康)』などのご祈祷をしてもらい、お札を受けて自宅の神棚などにそれをおいたり、はったりして、守護してもらう。そのような習慣が生活のなかにとけこんで、年中行事化しているのが実態です」と述べ、さらには「世阿弥は煩悩や怨念のうずまくこの世界に立ちおこってくるさまざまな『魔縁』をうちはらい、『福祐』をまねきよせて、ひとびとを『寿福増長・諸人快楽』にみちびく『天下の御祈祷』としての歌舞が能であると規定したのです」と述べています。

 

平家物語(全十三巻収録)

平家物語(全十三巻収録)

  • 作者:作者不詳
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: Audible版
 

 

4「悲しみを可視化する―『平家物語』と能」では、世阿弥が大成したといわれる複式夢幻能には、「天下の御祈祷」としての祈祷形式が、僧と霊との傾聴と成仏祈願として組み込まれたことが指摘されます。「諸国一見の僧」という回国行脚する修験者や祈祷師がワキとして登場し、回国の場所を示します。次に、その土地にゆかりのあるちょっと特異であやしげな前シテの人物があらわれ、なにか因縁めいたことを告げます。そこで、不審におもった僧がその人物の素性を問いかけると、じつは、その人物は痛みや悲しみや怨恨をもった霊(後シテ)の化身であることがわかってきます。著者は、「そこで、僧は、こころをこらして、ご祈祷の一夜をすごすのです。つまり、怨念をもつ霊をよびだして、その悲しみの声をしかとききとり、ご祈祷によって成仏させるという心的・霊的変容の過程が表現されるのです。そのさまは、まさに鎮魂供養の儀式とも神秘詩劇ともいえます」と述べています。

 

世阿弥 -身心変容技法の思想-

世阿弥 -身心変容技法の思想-

  • 作者:鎌田東二
  • 発売日: 2016/03/25
  • メディア: 単行本
 

 

鎮魂供養の儀式であり、神秘詩劇でもある能では、「神々や霊たちのうらみつらみの声を傾聴する僧と、その僧がもつ仏教のご祈祷力が霊験あらたかなかたちでくみこまれています。そのような神仏協働、神仏習合する鎮魂供養の独自の演劇形式が能楽(申楽)として様式化され、日本文化の精髄を世界に発信しつづけています」と、著者は述べます。こうして、世阿弥をはじめとする能作者たちは、『平家物語』におおくの材を取りながら、そのひとつひとつの「景」をぞんぶんに幽玄かつ哀切な歌舞に仕立てていきます。それにあわせて、囃子方もきりきりと心魂にきりこみ、もみこむように悲嘆の情調をもりあげていきます。著者は、「このようにして、能は悲哀の構造を可視化したのです。一つの演劇的様式のなかに『見える化』する。それによって、メタレベルでのスキャニングができるようになり、このような執著の可視化によって、そこからの離脱をセッティングできる。能が鎮魂供養やケアの芸能と考えられてきたゆえんです」と述べています。まことにわかりやすい、的確な説明であると思います。



著者によれば、時代は、歴史を可視化し、見える化する装置を求めたのであり、それが『平家物語』の創出となっていったといいます。つまり、「死」が「史」を呼び出し、「史」が「詩」を生み出したというのです。著者は、「民族の叙事詩としての『平家物語』は、そのようにして誕生したとわたしは考えています。つまり、『詩』なくして、わたしたちの悲しみの心魂はしずめられないのです。なぐさめられないのです。おさまりきらないのです。生きるために、ひとは物語を必要とするのです。それは根源的な物語としての『神話』のようなものです。そのような神話的物語を支えにすることで、はじめて、時代の激変にたえぬくことができたのです。『愚管抄』も『平家物語』も、そのような、かたれば血のでる『死―史―詩』の連環を内包する物語の創出であったとおもいます」と述べます。この著者の「死―史―詩」論はまことに圧巻です。



7「戦乱とお茶」では、千利休が取り上げられます。利休の芸術について、著者は「たしかに、秀吉にたいする対比的批評はあったでしょう。しかし、戦争(喧噪)と静寂という、この時代の『反対の一致』を実現したその逆説的表現は、たんなる批評の域をこえて、別種の宇宙を構築したとおもわずにはいられません。それこそ、『負の感情』とのつき合い方として、メタ(超)な異次元への移行をなしとげたのではないでしょうか? そう考えることで、未来をもっとおもしろく構想できる仕掛けと種がそこにある、とおもえるのです。千利休が提示した文明批評とお茶の宇宙哲学、その空間演出デザイン、すべてが戦乱の世のなかで、まさに『一服』の一期一会をなしとげる身心変容技法であり、負の感情のこえ方であったとおもうのです」と述べています。



この一文を読んで、わたしは、ブログ「利休にたずねよ」で紹介した市川海老蔵主演の日本映画を思い出しました。映画の中で利休夫妻は愛娘を亡くします。悲しみのどん底で利休は一服の茶を点て、妻の宗恩に差し出します。「そして、これはそなたのために点てた茶だ。悲しい思いばかりさせて、すまぬ」と言うのでした。そのとき、宗恩は「ようやく出来たのですね。あなたの理想の茶が・・・」と言うのでした。この場面には胸を打たれました。わたしはこの場面から、本木雅弘宮沢りえが夫婦役を演じている「伊右衛門」のCMを連想しました。本木・宮沢の2人が利休夫妻を演じても良かったと思いました。 ブログ「おくりびと」で紹介した本木雅弘主演の日本映画が世界中で絶賛されたのは、納棺師の所作の美しさがありましたが、それは明らかに茶道や歌舞伎の形式美に通じています。茶を点てることはグリーフケアにもなりうるのではないかと思いました。



また、ブログ「花戦さ」で紹介した日本映画も思い出しました。かつて戦国の世に、武将たちは僧侶とともに茶の湯と立花の専門家を戦場に連れていったといいます。戦の後、死者を弔う卒塔婆が立ち、また茶や花がたてられました。茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒したのです。まさに、茶道や華道がグリーフケアのワザであったことを映画「花いくさ」は示しました。そして、著者は、「『遊戯三昧』、そのような哲学や世界観や人生観なしに、あの戦国の世で、あの茶室と茶器と茶の作法をあみだすことは不可能だったと考えるからです。そこから学ぶべきケアの時代の『負の感情』とのつき合い方は、無尽蔵なものがあるとおもいます。わたしもそんな『遊戯三昧』をとくとあじわいたいものです。そして、『生への執着もなければ死の恐怖もなく、また恩怨もなければ愛憎もない』という『おさらば』の哲学を身につけたいとも思います」と述べるのでした。



わたしも、茶道とは「おさらば」の哲学を身につける芸術であると思います。ブログ「日日是好日」で紹介した日本映画を観て、わたしは茶とは「こころ」、器とは「かたち」のメタファーであることに気づきました。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。「人生100年時代」などと言われるようになりましたが、その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の「こころ」ひとつです。もともと、「こころ」は不安定なもので、「ころころ」と絶え間なく動き続け、落ち着きません。そんな「こころ」を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった「かたち」であると思います。また、武道や芸道といった「かたち」であると思います。いずれも、儀式文化と呼ばれるものです。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2018/06/20
  • メディア: 新書
 

 

日日是好日」には、春夏秋冬・・・・・・日本の四季がすべて登場します。そして、美しく描かれています。それぞれの四季折々にはふさわしい花があり、菓子があり、そして年中行事があります。世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。正月の初釜で樹木希林さん演じる武田先生が「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」と、しみじみと語るシーンがあります。茶道はたしかに繰り返しです。春→夏→秋→冬→春→夏→秋→冬・・・・・・毎年、季節のサイクルをグルグル回っています。考えてみれば、茶人とは「年中行事の達人」であり、「四季を愛でる達人」なのですね。

 

人生の修め方

人生の修め方

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

そして、季節の他にもう1つ、茶道はさらに大きなサイクルを回っています。それは、子→丑→寅→卯→辰→巳→午→未→申→酉→戌→亥・・・・・・の十二支です。初釜には、必ずその年の干支にちなんだ道具が登場するのだった。干支にちなんだ茶器は12年に1回しか使われません。なんという贅沢でしょうか。茶人は「人生の四季を愛でる達人」でもあるのです。こういうふうに人生の四季を愛でていけば、「老いる覚悟」や「死ぬ覚悟」を自然に抱くことができるのではないでしょうか。まさに、茶道とは「人生の修め方」にも通じています。

 

「あとがき」で、著者は「これまで、なんさつか、本を書いてきた。わたしの本は、漢字がおおくて、むつかしいとよくいわれる。内容がむつかしいのなら、納得するが、内容ではなく、神さまの漢字とかがおおくて、読みにくく、わかりにくい。だから、むつかしい、らしい。しかたないな。とおもうけど、それでもいいともおもうけど、でも、わかいひとや、いろいろなひとに読んでもらいたい、とおもう。そして、すこしでもヒントになったり、ちからになったりすることがあったら、ほんもうだ。ありがたい」と書いています。

 

しかしながら、大変申し訳ないのですが、平仮名を異様に多用した本書は、これまでの著者のどの本よりも読みにくかったです。いちいち、わたしの頭の中で漢字に変換しながら読んだので、時間もかかりました。このブログも、漢字に変換しながら書きました。もちろん、漢字ばかりの本が読みにくいのは当然ですが、平仮名ばかりの本の方が意味をとらえられないので読みにくさでは上だと思いました。なんといっても、漢字は表意文字ですので。まあ、大切なのは漢字と平仮名のバランスで、「ムーンサルトレター」ぐらいの文章ぐらいがちょうど良いように思います。

 

たしかに、著者の本は難しいと思われることが多いと思います。でも、それは漢字が多いからなどという即物的な理由ではありません。京都学派の西田幾多郎田辺元の著作が難しいのと同じで、基本的に哲学書だからです。読者は著者の哲学と格闘しながら読まねばならず、気軽に読み流せないからです。本書で著者は「宗教学者」となっていますが、わたしは著者の本質は「哲学者」だと思います。ふだんは「宗教哲学者」を名乗っておられますが・・・・・・。

 

著者は、「この本は、これまで書いてきたわたしのどの本よりも漢字がすくない。だから、読みやすくなっているはず。でも、ほんとうは、キリスト教や仏教や道教神道など、それぞれの宗教は、とってもわかりやすいところと、神秘ふかしぎで、とてもわかりにくく、なぞで、深遠なところと、両方ある。だから、やさしく書こうとしても、書ききれない。むつかしいというか、わからないところがいっぱいあるのだ」とも書いています。「読みやすくなっているはず」という箇所には断固として反対しますが、本書が優れた宗教入門であることは事実です。特に、キリスト教の章には唸りました。著者は神道研究の第一人者として知られていますが、まさかここまで『新約聖書』を読み込んでおられたとは!

 

最後に、著者は「新型コロナウイルスや自然災害や戦争や飢餓で苦しみ、支援をまっているひとがたくさんいる。ちょくせつ、そのようなひとたちにとどけられるものはない。じぶんは非力だ。でも、まわりまわって、いろんなものをとどけることのできるようなつながりはできる。いっさつの本をとおしても、そのような回路をうみだすことはできる。出版社と読者と、そしていまだ本など読んでいないおおぜいのひとびととをむすぶちからがうまれる可能性はある。未来はあかるいとはけっしていえない。でも、未来はぜつぼうてきだとか、きぼうがないとも、いえないし、いいたくない。じぶんにできること、できないこと、どちらもふくめて、つながりというか、縁というか、むすびというか、いつしか、ふしぎな接続がうまれてくるのだ。ぼくも、この本も、そんな接続点のひとつになりたい」と書かれていますが、まったくその通りだと思います。

 

 でも、しつこいようですが、平仮名が多すぎて違和感をおぼえます。なんだか「かい人21面相」の声明文みたいで、しっくりきません。やはり、この格調高いコロナの未来宣言は「おおぜいのひとびととをむすぶちからがうまれる可能性」ではなく、「大勢の人々を結ぶ力が生まれる可能性」と書いていただきたかったです。人間尊重vs自然崇拝、儒教vs道教、短歌vs俳諧に続いて、著者とわたしの間で「漢字vsかな」論争が起こりそうな気配ですが、これも長いお付き合いゆえの親しさの表現としてご海容いただくたく存じます。最後に、かな多用ゆえの読みにくささえ目をつぶれば、本書は間違いなく「ケアの時代」をひらく名著です!

 

ケアの時代「負の感情」とのつき合い方

ケアの時代「負の感情」とのつき合い方

  • 作者:鎌田東二
  • 発売日: 2021/01/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年2月25日 一条真也

『悲しみとともにどう生きるか』

悲しみとともにどう生きるか (集英社新書)

 

一条真也です。
『悲しみとともにどう生きるか』柳田邦男&若松英輔星野智幸&東畑開人&平野啓一郎島薗進著、入江杏編著(集英社新書)を読みました。タイトルからわかるようにグリーフケアの書です。著者の柳田氏は1936年生まれのノンフィクション作家。若松氏は1968年生まれの批評家・随筆家。星野氏は1965年生まれの小説家。東畑氏は1983年生まれの臨床心理学者。平野氏は1975年生まれの小説家。島薗氏は1948年生まれの宗教学者で、上智大学グリーフケア研究所所長。編著者の入江氏は「ミシュカの森」主宰で、上智大学グリーフケア研究所非常勤講師です。

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本書の帯

 

本書の帯には、「誰に遠慮することなく、どこまでも、どこまでも、幸せになっていい」「喪失の悲しみから希望の物語へ」と書かれています。カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「悲しみから目を背けようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。共感と支え合いの中で、『悲しみの物語』は『希望の物語』へと変容していく。『グリーフケア』に希望の灯を見出した入江杏の呼びかけに、ノンフィクション作家・柳田邦男、批評家・若松英輔、小説家・星野智幸、臨床心理学者・東畑開人、小説家・平野啓一郎宗教学者島薗進が応え、自身の喪失体験や悲しみとの向き合い方などについて語る。悲しみを生きる力に変えていくための珠玉のメッセージ集」 

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「まえがき」入江杏
第一章 「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える
    (柳田邦男)
第二章 光は、ときに悲しみを伴う 
    (若松英輔
第三章 沈黙を強いるメカニズムに抗して 
    (星野智幸
第四章 限りなく透明に近い居場所
    (東畑開人)
第五章 悲しみとともにどう生きるか
    (平野啓一郎
第六章 悲しみをともに分かち合う
    (島薗進
「あとがき」入江杏

 

ずっとつながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし

ずっとつながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし

  • 発売日: 2006/05/01
  • メディア: 大型本
 

 

「まえがき」を、入江氏は「『世田谷事件』を覚えておられる方はどれほどいらっしゃるだろうか?」と書きだし、「未だ解決を見ていないこの事件で、私の2歳年下の妹、宮澤泰子とそのお連れ合いのみきおさん、姪のにいなちゃんと甥の礼くんを含む妹一家4人を喪った。事件解決を願わない日はない。あの事件は私たち家族の運命を変えた」と述べています。事件から6年経った2006年の年末、入江氏はは「悲しみ」について思いを馳せる会を「ミシュカの森」と題して開催するようになりました。「ミシュカ」とは、にいなちゃんと礼くんがかわいがっていたくまのぬいぐるみの名前で、入江氏は『ずっとつながってるよ―こぐまのミシュカのおはなし』という絵本も書いています。

 

入江氏は、「さまざまな苦しみや悲しみに向き合い、共感し合える場をつくることで、「ミシュカの森」を、犯罪や事件と直接関係のない人たちにも、それぞれに意味のある催しにしたい。そしてその思いが、共感と共生に満ちた社会につながっていけばと願ったからだ。それ以来、毎年、事件のあった12月にゲストをお招きして、集いの場を設けている。この活動を継続することができたのは、たくさんの方々との出逢いと支えのおかげだ」と述べています。本書はこれまでに「ミシュカの森」に登壇した多くの講師の中から、6人の講演や寄稿を収録したものだということです。

 

入江氏は上智大学グリーフケア研究所の非常勤講師を務めている数年前より、グリーフケアという言葉が人口に膾炙していくのを間近に見てきました。グリーフとは喪失に伴う悲嘆のことです。悲嘆をもたらす喪失は、決して特別なものではなく日常のものであり、かけがえのない人やもの、関係、事柄を喪って悲しみにある人に、心を寄せることからグリーフケアは始まります。入江氏は、「グリーフケアを通して、私は自分のグリーフだけでなく、さまざまな悲しみを知った。悲しみの共通の水脈の広がりに気づかされた瞬間、悲しみは生きる力に向かっていったように思う」と述べています。

 

また、入江氏は「自分の悲しみだけでなく、人が苦しむ姿に寄り添い、耳を傾ける。自分のことばかりに関心を抱くだけでなく、他者の悲しみに思いを馳せる。事件の解決には必ずしもつながらないかもしれない。それでもグリーフケアの学びは、事件に遭遇する前からの、私の根源的な疑問に立ち戻らせてくれた」とも述べます。「何のために人は生きるのか? 自分だけが幸せになるのではなくて、どうすれば世の中がよくなるのか?」と自問する入江氏は、「悲しみから目をそむけようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。生きる上で悲しみを避けて通ることはできないからだ」ということに気づきます。

 

グリーフケアは、悲しみと向き合い、立ち直るための処方箋や対処法としてのみ受け取られがちでした。しかし、入江氏は「個人の悲しみを準当事者としてみなが支え合う社会があるからこそ、十分に悲しめるのだと思う。悲しんでいい。助けを求めてもいい。誰かが悲しんでいる時は、見て見ぬふりをするのではなく、そっと手を差し伸べたい」と述べます。新型コロナウイルスパンデミックにより世界中に悲しみがあふれる今、悲しみを通じてこそ得られる経験の次元を大切にする「グリーフケア」への注目が高まっています。入江氏は、「グリーフケアには、悲しみのさなかにいる人、それを支えたい人はもちろん、すべての人が豊かに深く生きるヒントが詰まっているのではないか。喪失に向き合い、支え合う中で、『悲しみの物語』は『希望の物語』へと変容していった。悲しむことは愛すること」と述べます。

 

わが息子・脳死の11日 犠牲 (文春文庫)

わが息子・脳死の11日 犠牲 (文春文庫)

  • 作者:柳田 邦男
  • 発売日: 1999/06/10
  • メディア: 文庫
 

 

第一章「『ゆるやかなつながり』が生き直す力を与える」では、柳田邦男氏が「いのちや死には人称性があり、誰の死かによって死の意味は変わる」として、「脳死状態の息子のベッドサイドでさまざまな思考をめぐらすうちに、脳死を『死』と認められない自分と、『脳死は人の死』と言い切る医学者との違いは、一体何に由来するのかということを考えるようになりました。その問題に答えを見出すことができたのは、息子の死後やや経ってからでした」と述べています。

 

柳田氏が見出した答えとは、誰のいのちの死なのかという、死の人称性の問題でした。「一人称の死」とは「私の死」のこと。「二人称の死」は、大切な家族や恋人の死。三人称の死は、彼、彼女、知人、友人や無縁の人の死。そこで、柳田氏は「被害者に寄り添う『二・五人称』の視点」を提唱し、「専門的職業人である裁判官や医療者などが持つべき視点として『二・五人称』というキーワードをつくりました。自分も二人称の立場になって寄り添うとなると、あまりにも過剰に寄り添い過ぎて、感情を同一化してバーンアウトしてしまう。かわいそうと思うあまり公平性や客観性を失って、支える側も倒れてしまう。医師であれ、法律家であれ、かわいそうだと涙を流すだけでは正しい判断ができなくなってしまいます」と述べています。また、「二人称では感情が入り過ぎる。かといって、三人称では冷たくなる」とも述べます。至言だと思います。

 

「『意味のある偶然』から生き直す力をつかむ」として、柳田氏は、1997年春に神戸で起きた少年A事件で、幼い彩花ちゃんを喪ったお母さんの山下さんが、秋の夜に満月を見上げていたら、月が彩花ちゃんの顔のように見えてきて、「お母さん、私は大丈夫。だから、もう人を憎まんでもええんよ」という彩花ちゃんの声が胸に響いてきたそうです。驚いた山下さんは家に飛び込んで、ご主人に「写真を撮って」と頼みました。現像してみると、1枚だけ、煌々と黄金色に輝いた月がハートか胎児のような形に写っていたそうです。山下さんは、天の彩花ちゃんに会えたことで、憎しみと怨みの感情ばかりの中から脱け出して、少しずつ温かい心を取り戻して生き直すことができるようになったといいます。

 

この不思議なエピソードについて、柳田氏は「この話は科学者が聞いたら、『それは幻覚に過ぎません』と言うでしょう。だけど、彩花ちゃんの声と顔に触れたことは山下さんにとって生きる上で決定的に大事な経験なんですね。これを、臨床心理学者の河合隼雄先生は、『意味のある偶然』という言葉で捉えています。意味のある偶然とは、何の科学性も論理性もないけれども、その人が生きる上では、決定的に重要な不思議な体験なのです。その人自身が、何かを必死に求める、生きようとする、模索する。そうした姿勢があると、偶然、向こうから何かがやってくるという不思議な現象が起こるのです」と述べています。

 

 

また、柳田氏は「自分自身を見つめ、自分が必死になってもう一度生き直さなきゃならないと切実に思う気持ちになってくると、感覚が研ぎ澄まされ、何か不思議なことに出会うと、敏感に反応するのかもしれません。自己否定的になったり投げ出したりするのではなくて、何とか生きよう、何とかしよう、そう思う気持ちを捨てないでいると、『意味のある偶然』に遭遇することがあるのではないかと思うのです」とも述べています。

 

そして、「亡くなった人たちが、人をつなぐ役割を果たしてくれる」として、柳田氏は「人は一人では生きられないといわれます。辛いことを経験した人も、人とのつながりを持つことで、生きていく力を取り戻すことができる。それは人間の精神性のいのちがあればこそだと思います。そして亡くなった人も、精神性のいのちが生き続けることで、これからを生きる人々をつないでいく、とても大事な役割を果たしてくれるに違いない。私はさまざまな出会いの経験から、そう思っています」と述べるのでした。

 

クリスマス・キャロル (岩波少年文庫)

クリスマス・キャロル (岩波少年文庫)

 

 

第二章「光は、ときに悲しみを伴う」では、若松英輔氏がチャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』を取り上げます。「『クリスマス・キャロル』に教会が出てきない理由」として、若松氏は「特筆すべきは、この小説はクリスマスに描いているのに、キリスト教の教会の風景が一切、出てこないことです。出来事はすべて教会の外で起こります。こうした表現方法を取ることによってディケンズは、クリスマスをあらゆる人々に開かれたものにしようとしている。別な言い方をすれば、クリスマスとは、宗教の違いを超えて手を携える日でなくてはならない、というディケンズの信念が生きているといえます」と述べています。

 

魂にふれる——大震災と、生きている死者 【増補新版】

魂にふれる——大震災と、生きている死者 【増補新版】

  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2021/02/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

トークセッション」で、入江氏と対話した若松氏は「やはり死者の唯一の願いというのは生者の幸せだと思うのです。その人がどんなに苦しい死に方をしたとしても、そこは揺るがないと思います」と述べています。また、若松氏は小説家・原民喜の『鎮魂歌』という作品に言及し、「自分のために生きるな、死んだ者の嘆きのために生きよと言っています。この『嘆き』は『悲しみ』と言い換えてもいいと思います。悲惨なものではなく、何か祈りみたいなものですね。心の底からほとばしるような言葉です。生きている者は死んだ者の嘆き、あるいは悲しみのために生きろというのです」と述べます。

 

さらに若松氏は、「生きている人間は幸せにならなくてはならない。あるいは、どこまでも幸せになっていい。それだけが死者の望みだと思うんです。だから、まず、自分の幸せを恐れない。そして、死者を恐れない。恐れる必要は全くない。あとは、自分はどこまでも幸せになる。生きていて申し訳ないなんて思う必要はなくて、誰に遠慮することなく、どこまでも、どこまでも、幸せになっていいんです」とも述べています。

 

クリスマス・キャロル』について、若松氏は「精霊はいつも生者の近くにいる。特に生者自身よりも近いというわけです。自分自身より近い他者というと言語的には少し奇妙な表現ですが、そんな実感なのではないでしょうか。死者は、時に自身よりも自己に近い『不可視な隣人』です。自分より自分に近い存在となると、もうそれは単なる他者ではありません。自分が今ここにいることと死者が臨在することが同義となる。そこでは死者は思い出す対象ではなく、協同する者になる。そうなった時に初めてその人の中で『死者』という言葉の意味が新生する。死者が回顧の対象でなくなった時、私たちは尽きることのない力の泉を発見します」と述べています。

 

そして、若松氏は「こうして死者を語るのは、単に死者の臨在を強調したいからではないんです。人々の中で『死者』という言葉の意味が変貌することが、死者を発見し、自分を発見することだと伝えたいからなんです。死の経験はしばしば、悲しみの経験になります。悲しみが極まった時、希望を失ったように感じますが、それは、これまでとは別の方法で光が存在することを強烈に教えてくれている経験でもある。太陽が見えないからといって、太陽がなくなったと言ってはならない。それは見えないだけであり、同時にそれは内なる太陽を発見する時でもあるのです」と述べるのでした。「内なる太陽を発見する」という若松氏の言葉は、わたしの心の深いところに響きました。

 

「人生を大きく揺るがす出会い」として、若松氏は「自分が他者に何を与えられるかを人はほとんど知らないのだと思います。また、逆に何かを与えていると思っている時は、相手にとってはいらないものだということが多いかもしれません」と述べます。与えるつもりなんてなくて、朝、明るい声で「おはよう」と声をかけただけでも、声をかけられた人は幸せな気持ちになって、そのことをずっと忘れない、ということもあるのです。若松氏は、「人間が人間を幸せにするというのは、本当に些細なことが影響しているのではないでしょうか」とも述べています。

 

また、「幸せに準備は必要ない」として、「人は生きつつあるとともに死につつある存在であることを忘れずにいたいと思います。ですから、いかに生きるのかとは、いかに死を迎えるのかという問題でもあるわけです。直面しているのは、生だけでなく、死でもある。昔の言葉でいえば『生死一如』の現実に直面している、というべきかもしれません。こうしたことを前提にしてお話しすると、人間が変わるのに時間はいらないと思うのです。何かをやるには、ある一定の時間が必要だと思い込みがちですが、『クリスマス・キャロル』とは、人間は1日にして根源から変わりうるということを描き出した作品だといえると思います。そして、死はいつも傍らにある、ということも伝えてくれている」と述べます。

 

悲しみの秘義 (文春文庫)

悲しみの秘義 (文春文庫)

 

 

さらに、悲しみは誰にとっても固有の経験であり、同じ悲しみはこの世には存在しないことを指摘し、若松氏は「もし、僕が皆さんに対して、『あなた方の悲しみなんて大したことないですよ』と言ったら、皆さんは猛烈に憤りを覚えるでしょう。それは、魂の正常な反応だと思います。僕の悲しみよりあなたの悲しみは浅い、もしくは、あなたの悲しみは深くて、僕の悲しみは浅い。そういうふうに言えるような悲しみは存在しないと僕は思っています。悲しみはその人の悲しみで、意味も、出来事としても全く固有なんです」「僕はこの数年間に、妻だけではなく、親父とか恩師とか、いろんな人と離別しています。こういう言い方をするとちょっと誤解を生むかもしれませんが、彼らと死別して、彼らとより近くなったという感じがします。僕はより幸せになったといってもいいぐらいなんです」と述べています。

 

詩集 たましいの世話

詩集 たましいの世話

  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2021/01/23
  • メディア: 単行本
 

 

そして、「死者は幸せな存在」として、個人の思いであると断りながら、若松氏は「死者というのは幸せな存在だと思っているんです。死者は苦しんでいないと思う。僕は絶対にこれは疑わないですね。被災地に行ってもこれだけは必ず言って帰ってきます。もしこの世界に、幸福な人間というのが存在するのであれば、それは死者です。そういう僕の個人的な思いを前提にすると、我々にとって死者が存在するということはとっても幸いなことなんです。そのことと、人と離別する悲しみは矛盾しないと思うんです。離別の悲しみはありながら、もう片方の実感として、僕は離別の幸せを言わずにいることができないんです」と述べます。

 

だから若松氏は、死者が苦しんでいると言う人間を信用しないといいます。そういうことを言って生者を脅かす人間を軽蔑するとして、「死んだこともないくせに、なぜそんなことがわかるんですか。生者の定義は簡単です。死んだことがないということです。我々はみんな死を知らない。死を知らないのに、何でそんな死に対して雄弁になるんですか。もっと謙虚に、知らないなら知らないと言えばいいんです」と述べています。この「死者は幸せな存在」という考えには、まったく同感です。

 

最後に、「悲しみこそ光」として、若松氏は「考えてみたいのは『光は、ときに悲しみを伴う』という地点から一歩深めて、悲しみこそ光なのではないか、ということなのです。悲しみを感じたことがあるということは、朽ちることのない光を宿しているということにほかなりません。その光は絶対に消えることはありません。そして、私たちの中に光があるように、ほかの人にも光があります。さらにいえば、許せないと思う人にも光はある。この光の証人になること、そして、それを伝えていくこと、それが人間の『人生の仕事』なのではないかと思うのです」と述べるのでした。ちなみに、わたしは月光は「グリーフ」そのものであり、太陽光は「グリーフケア」そのものであると考えています。わが社のサンレーという社名には太陽光あるいは産霊という意味があります。そして、わたしはグリーフケアこそは自分の「人生の仕事」であると考えています。

 

 

第三章「沈黙を強いるメカニズムに抗して」では、星野智幸氏が「言葉によって、自分の悲しみを受け止める」として、入江氏の著書『悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ』の中で紹介されている「喪失のカレンダー」というものに言及します。喪失をロスとゲインで考える、貸借対照表、あるいは損益計算書のような捉え方です。この捉え方は面白いという星野氏は、「『喪失』が実は力になる。入江さんの言葉を借りれば『悲しみが生きる力になる』ということを実感するようになったのは、ここ数年です。それ以前は、さまざまな喪失体験に自分自身が縛られていて、逃れることができないということがたくさんありました」と述べています。

 

野の医者は笑う―心の治療とは何か?―

野の医者は笑う―心の治療とは何か?―

 

 

第四章「限りなく透明に近い居場所」では、東畑開人氏が「ケアとは面倒くさいことを肩代わりすること」として、「ケアとは話を聴くことといわれることがあります。僕はあれは若干違うと思っています。話を聴くことが、ケアになる場合と、逆に傷つけてしまう場合とがあるからです。例えば、1995年の阪神・淡路大震災の時に、臨床心理士が被災地に行って、そこで話を聴くことを提供しようとしたらしいんです。そうしたら、被災者の方たちから『今はそんなことを話している場合じゃないんだ』と大変に怒られたと聞きます。話を聴くことそのものが相手を傷つけてしまっているんです。それで、臨床心理士は水くみに行ったり、炊き出しをしたりしたんです。これはよかった」と述べていますが、この東畑氏の発言には目から鱗が落ちた思いでした。

 

ケアとは傷つけないことですが、それは別の言葉でいえば相手のニーズを満たすことであるとして、東畑氏は「僕らはニーズを満たされない時に傷ついてしまうんですね。だから、被災地では話を聴くことではなく、水を運ぶことがケアになった。そのことを別の言葉で説明すると、『依存を引き受けること』というふうにもいえると思います。『依存を引き受ける』とか『ニーズを満たす』というと抽象的でイメージしにくいですが、実際には、『面倒くさいことを肩代わりしてあげる』ということではないかと思います」と述べていますが、これも目から鱗が落ちた思いでした。

 

 

「セラピーとは手を出すの控えること」として、東畑氏は「ケアと反対なのがセラピーです。僕がカウンセリングルームでやっているのはどちらかというとセラピーです。セラピーは、傷つけないというより、傷つきを抱えている人のその傷つきと向き合っていく。雪だるまに対して氷を持っていって溶けないようにするのではなくて、『君はこのままだと溶けちゃうんだよ、自分でもわかっているでしょう。どう思っているの?』みたいな感じで話し合っていく。これは結構傷つきを抱えている人には辛いんです。だけど、心の痛いところを一緒に触っていくのが、おそらくセラピーといわれる仕事なんだろうと僕は思います」と述べています。

 

東畑氏によれば、ケアが依存を引き受けることだとすると、セラピーは自立を促します。手を出すのを控えることで、「例えば、子どもが仮病を使っている時。ケアだったら、『休みたいのね』と言って休ませてあげる。セラピーだったら『これ、仮病だよね』と言って行くように促す。対応が正反対なんですね。重要なことは、ケアとセラピーだったら、基本はまずケアです。ケアが足りているならば、次にセラピーに移る。仮病でいえば、まず休ませて、それでまだ何日も仮病が続くようなら、『仮病だよね』という話をしたほうがよいということですね」と述べるのでした。

 

 

トークセッション」で、入江氏と対話する東畑氏は、サイコセラピスト、心理療法家の作られ方について、「心理療法家は医者とはちょっと違うんです。医者というのは、試験に受かって、ある種の訓練プログラムを受けるとお医者さんになれますが、心理療法家は自分自身が治療を受けるんです。お医者さんは自分ががんの手術を受けなくてもがんの手術ができるけど、心理療法家は自分自身が治療を受けることを通して治療者になっていく。治療する側と治療を受ける側というのが同じものを抱えている」と語っています。

 

また、東畑氏は「不思議なことのように思えて、実は昔の治療者たちはそんな感じだったんです。例えば沖縄のシャーマン、ユタは自分自身が患者だった人が、ユタに治療してもらって、一緒にお祈りをしていくうちに、最後にその人は、神の声が聞こえるようになって、シャーマンになる。つまり、傷ついている人が癒やされる過程で自分が治療者になっていく。そういうメカニズムが僕らの治療文化の深いところに流れている。それを今でもありありと残しているのが心理療法家で、もう1つは自助グループですね。自助グループで自分の傷つきを語るということを通して、それに励まされる人がいて、あるいは、そのことによって自分の傷つきに気づく人がいて、それが回復につながっていく。ぐるぐる回る循環があるということが、心理療法家にも自助グループにも重なるところです」と述べています。

 

東畑氏の話を聴いた入江氏は、「『遺族業界』の不自由さ、居心地の悪さ」として、「メディアのまなざしで、こちらの物語が描かれるわけです。私のことは、当然、犯罪被害者遺族のフレームにはめて見ていますから、その枠組みから逸脱するとは誰も思っていない。例えば仮に、派手な帽子を被ったり、すごいコスプレで出たりしたら、違和感を抱くと思うんですね(笑)。メディアに出る時はドレスコード的にだいたい、黒を着ていますけど、名前すら出さず、顔出しもしていなかった2002年当時、初めてテレビに出た時に、被害者遺族の先輩みたいな人に忠告されました。『遺族の手許って案外注目されやすいんですよ。とにかく指には気をつけてください』と。何のことかと思ったら、マニキュアのことなんですね。私はもともとマニキュアをする習慣はないんですけど、そんなことをいちいち言うのか、と驚きました。『遺族業界ではこういうことに気をつけたほうがいいです』みたいに言われて、『遺族業界』というのがあること自体にも衝撃を受けたんです」と語っています。わたしも衝撃を受けました。

 

葬送 第一部(上) (新潮文庫)

葬送 第一部(上) (新潮文庫)

 

 

第五章「悲しみとともにどう生きるか」では、北九州市出身の芥川賞作家・平野啓一郎氏が「僕は1歳の時に父を病気で亡くしており、子どもの時から人間の死について考える機会が多くありました。とはいえ、子どもというのはなかなか死を理解できないんじゃないかという気がします。ただ、一応、『葬式仏教』程度ですが、家が浄土宗だったので、三回忌や七回忌、十三回忌の法事に親戚が集まって、坊さんがお経を上げると、普段は明るいうちの母も親戚の人たちもすごく泣くんです。その姿を見て、人が死ぬというのはこういうことなんだと幼心に感じていましたし、現に自分に父親がいないという事実も考えさせられました」と述べています。

 

また、「犯罪の被害者の心の中に芽生える感情は複雑」として、平野氏は死刑制度に言及し、「死刑で一件落着、それが1つの区切りになるなどという考え方で犯罪被害者の方のすべての感情を物語化することはできない。誰かと話したいとか、じっくり1時間、2時間、話を聞いてもらいたいとか、孤独に寄り添ってほしいとか、事件のこととは関係なく、楽しくごはんでも食べに行きたいとか、被害者というカテゴリーにくくられたくないとか・・・・・・、それは当然、さまざまです。だけど、『被害者の気持ちを考えたことがあるのか』と言う人は、そのうちの『憎しみ』の部分にしか興味がありません。それ以外の部分で、被害に遭った方の悲しみをどういうふうに癒やすのかということには、全くコミットしようとしないわけです。これが非常に大きな問題ではないかと思います」と述べています。

 

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

 

 

「『赦し』と『罰』は同じ機能を果たす」として、平野氏は哲学者ハンナ・アーレントの『人間の条件』という著作を取り上げます。アーレントは同書の中で、赦しと罰というのはまるで正反対のことのように思われるけれど、何かを終わらせるという意味でいえば、実は同じ機能を果たしているという趣旨のことを述べています。平野氏は、「つまり、憎しみが連鎖して報復合戦が続いていく中で、どこかで終わらせるために、1つは、第三者が罰を与えて、この一件は終わりにしようという方法があり、もう1つには、赦しを与えることでそれを終わらせる手段とするというものです。その赦しという社会的機能を発見したのがナザレのイエスという人だった、というのがアーレントの解釈です」と解説します。

 

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である
 

 

平野氏は、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者で思想家でもあるインド出身のアマルティア・センの著作『アイデンティティと暴力』にも言及。同書でセンは、なぜインドで深刻な宗教対立や民族対立が起きるのかということに関して、個人を1つのアイデンティティに縛りつけてしまうことがすべての社会的な分断、対立の始まりだと分析しています。「対立点からではなく、接点からコミュニケーションを始める」として、平野氏は「1人の人間は複数の属性の集合体であり、どこかにチャンネルが開かれている、とセンは『属性』という言葉を使っていますが、僕は『分人』という言葉を用いてちょっと違ったアプローチで議論しています」と述べます。

 

 

平野氏によれば、人間は、決して分断されて自分の中で完結しているわけではなくて、コミュニケーションの中で外部と混ざり合っていく他者性が自分の中にあります。そうして混ざり合っていく中で、わたしたちは他者に対して柔軟にコミュニケーションを交わしていくことができますし、その結果としてわたしたちの中にはいくつかの人格が一種のパターンのようにしてできていくというのです。平野氏はそれを、「個人」という概念に対して、「分人」と名づけているわけです。

 

「分人の集合として自分を捉える」として、平野氏は「分人という考え方を用いて、対人関係や場所ごとに自分を分けて相対化してみれば、会社の時の自分はすごく辛くて嫌だけど、家で家族といる時の自分はストレスなく生きていて、辛くないと思えます。大学時代の気の置けない親友と会っている時の自分はすごく好き。そんなふうに思うことができれば、今、辛いと思っているのは、あくまで会社にいる時の自分だというふうに相対化できるわけです。そうすることで、自分の全体を否定してしまうような感情や、自殺の衝動を抑制することができる」と述べています。

 

さらに平野氏は、「問題は会社にいる時の分人なのだから、今の会社を辞めて、その分人を生きることをしばらくやめて、もう少し心地いい分人を生きる時間を増やしてみよう、というふうに人生を具体的に変えていくことができるのではないかと思います」と述べます。わたしはSFのパラレルワールドの考え方がグリーフケアの機能も果たし、自死の防止にもつながると思っているのですが、平野氏のいう「分人」もそれに近い考え方かもしれません。

 

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2007/07/04
  • メディア: 単行本
 

 

そして、「愛する人を喪失した人へ」として、平野氏は「僕たちは自分が愛している人との分人を生きたいわけですけど、その相手を失うことによって、それができなくなってしまう。その辛さが愛する人を亡くした時の大きな喪失感ではないでしょうか。だけど、生きている人たちとの関係の中で新しい分人をつくってみたり、今まで仲がよかった人との分人の比率が大きくなっていくことで、その後の人生を続けていくことができるはずだと思います」と述べるのでした。

 

トークセッション」で、入江氏と対話する平野氏は、「僕自身は、自分が死んだら終わりだと思っていますが、例えば、僕が誰かに殺されたとして、その後、幽霊になってあの世から自分の子どもたちを見ていたとします。そして、子どもたちが父親を殺された恨みを抱えながら、人生の大半の時間を費やして生きていく姿を見たとしたら、僕は彼らに、『一度しかない人生だし、もっとほかのことに時間を使ったほうがいいよ』と声をかけてあげたいと思います。友達と飲みに行ったり、誰かを好きになって結婚したりと、事件のことはしばらく忘れて、心が軽くなれる時間を過ごすことも大事だよ、というふうに言ってあげたい。これは、あくまで僕のケースですが」と語っています。

 

 

第六章「悲しみをともに分かちあう」では、島薗進氏が「悲しみの響き合い」として、「死者を弔う集合行動は動物にもあるのかもしれない。それは不確かでも、人類の歴史とともに古いことは想像できる。考古学的な遺跡から弔いや墓制に関する遺物が多数掘り出されてきた。葬儀や慰霊の儀礼は古来、さまざまに行われてきた。これらは、死別の悲嘆に対する癒やしのための社会装置と見ることができるだろう。時代が下り、人それぞれの生き方が多様化するにつれ、集合的な弔いだけでは塞がった胸が開かないと感じる人も増えてくる。だが、魂の痛みや疼きのあるところ、それを感じ取り、ともに感じ合おうとする心の動きが生じ伝わっていく。それがともに悲嘆を経験するかたちとなり、癒やしと学びの場となっていく」と述べています。

 

死生学1 死生学とは何か

死生学1 死生学とは何か

  • 発売日: 2008/05/22
  • メディア: 単行本
 

 

島薗氏は日本における死生学のパイオニアであり、第一人者でもありますが、「死生学の広がりは英語圏から始まったが、世界各地に広がっていった。日本でも80年代以降、死や死刑について語った書物やアニメや映画などが増えていく。普通の人が死について思うことが、共同体を通してというより、メディアを通して共有される傾向が増していく。このようにメディアを通して死について思いをともにする傾向と、死別の痛みを分かち合う集いがあちこちで形成されていく過程が重なり合っている」と述べています。

 

 

「欧米と異なる日本のグリーフケアの展開」として、島薗氏は「欧米諸国ではグリーフケアというと、まず精神科医療や心理臨床でのそれが思い浮かべられる、という状況は続いている。これは1対1の心理臨床が早くから発達しており、心に痛みがあると心理臨床家に相談に訪れるのが普通のことになっている文化背景がある。悲嘆で相談に来るクライアントが多数おり、悲嘆専門の心理臨床家が多数いるという社会ではそうなることに不思議はない。ところが、日本ではむしろ『集い』が思い浮かべられる」と述べています。ちなみに、わが社が実践しているグリーフケア活動も「集い」が基本です。

 

 

「悲嘆の文化の変容とグリーフケア」として、島薗氏は、集合的な悲嘆と宗教文化は深い関わりを持っていたことを指摘し、「個々人の悲嘆もほかの人々の悲嘆とともにある。人の心には悲嘆を通して察知される超越的な次元があって、宗教的な表象と結びついて伝承されてきた。社会がますます個人化され、『ともに分かち合う』ことがしにくくなっているが、宗教的な表象を引き継ぎつつ、悲嘆を「ともに分かち合う」新たな形が求められている。切実な欲求である。地縁・血縁で、あるいは信仰をともにする者同士で、宗教儀礼を通してともに悲嘆を分かち合い、超越的な次元に何かを託すという経験が乏しくなってきた。そこで個人は悲嘆を胸の内に抱え込むことになる」と述べています。

 

一方、亡くなった死者との関係はこれまで以上に濃密になっています。島薗氏は「つき合いのある人は多い。普段は仲間が多い、忙しいと思っている。ところが、とても大切な他者は多くない。数少ない深いつながりがあり、それは共同体に支えられていない。なので、それが喪われた時の痛みがことさらに大きい」として、「このように考えると、現在、次々に立ち上がってきているグリーフケアの集いは、孤立化を招きやすい現代社会で、人々がつながり合う新たな場を求める運動の一角をなすものと見ることができる」と述べるのでした。本書に登場するどの言葉も優しく、悲しみを生きる力に変えていくための珠玉のメッセージばかりです。この共感と支え合いの中で、入江氏が言うように「悲しみの物語」は「希望の物語」へと変容していくのだと思いました。

 

 

2021年2月24日 一条真也

『LIFESPAN』

LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界

 

一条真也です。
2月23日は「天皇誕生日」ですね。
今上陛下の61歳のお誕生日を心よりお祝いするとともに、いつまでもお元気であられることを願っています。
『LIFESPAN: 老いなき世界』デビッド・A・シンクレア&マシュー・D・ラプラント著、梶山あゆみ訳(東洋経済)を読みました。「年齢の壁は消えてなくなる」ことを謳った話題の書で、興味深い内容でした。


著者のデビッド・A・シンクレアは、世界的に有名な科学者、起業家。老化の原因と若返りの方法に関する研究で知られます。とくに、サーチュイン遺伝子レスベラトロール、NADの前駆体など、老化を遅らせる遺伝子や低分子の研究で注目を浴びています。ハーバード大学医学大学院で、遺伝学の教授として終身在職権を得ており、同大学院のブラヴァトニク研究所に所属。他にも、ハーバード大学ポール・F・グレン老化生物学研究センターの共同所長、ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア・シドニー)の兼任教授および老化研究室責任者、ならびにシドニー大学名誉教授を務めています。また、マシュー・D・ラプラントは、ユタ州立大学で報道記事ライティングを専門とする準教授。ジャーナリスト、ラジオ番組司会者、作家、共著者としても活躍しています。

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本書の帯

 

本書の帯には「人類は、老いない身体を手に入れる」と大書され、「ついに、最先端科学とテクノロジーが老化のメカニズムを解明」「ハーバード大学の世界的権威が描く衝撃の未来」「世界20か国で刊行!」「ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「誰もが人生120年時代を若く生きられる!」と大書され、「人類の若さを左右する長寿遺伝子とは?」「いつまでも若く健康でいるために今すぐできることとは?」「山中伸弥教授の発見が、なぜ若返りを可能にするのか?」「『病なき老い、老いなき世界』における人生戦略とは?」と書かれています。

 

カバー前そでには、「生命は老いるようにはできていない」「老化は治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」「『老化の情報理論』が導く長寿革命が、私たちの世界観や人生観を一変させる!」と書かれています。

LIFESPANが明かす、「5つの衝撃ポイント」

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さらに、アマゾンの「内容紹介」では、【人類が迎える衝撃の未来!】として、「人生100年時代とも言われるように、人類はかつてないほど長生きするようになった。だが、より良く生きるようになったかといえば、そうとはいえない。私たちは不自由な体を抱え、さまざまな病気に苦しめられながら晩年を過ごし、死んでいく。だが、もし若く健康でいられる時期を長くできたらどうだろうか? いくつになっても、若い体や心のままで生きることができて、刻々と過ぎる時間を気に病まずに、何度でも再挑戦できるとしたら、あなたの人生はどう変わるだろうか?」と書かれています。

 

続けて「内容紹介」には、こう書かれています。
ハーバード大学医学大学院で遺伝学の教授を務め、長寿研究の第一人者である著者は、そのような世界がすぐそこまで迫っていることを示す。本書で著者は、なぜ老化という現象が生物に備わったのかを、『老化の情報理論』で説明し、なぜ、どのようにして老化を治療すべきなのかを、最先端の科学的知見をもとに鮮やかに提示してみせる。私たちは寿命を延ばすとともに、元気でいられる期間を長くすることもできる。老化遺伝子が存在しないように、老化は避けて通れないと定めた生物学の法則など存在しないのだ。生活習慣を変えることで長寿遺伝子を働かせたり、長寿効果をもたらす薬を摂取することで老化を遅らせ、さらには山中伸弥教授が突き止めた老化のリセット・スイッチを利用して、若返ることさえも可能となるだろう」

 

さらに続けて、「では、健康寿命が延びた世界を、私たちはどう生きるべきなのだろうか。著者によれば、寿命が延びても、人口は急激に増加しない。また、人口が増加しても、科学技術の発達によって、人類は地球環境を破壊せずに、さらなる発展を目指すことができるという。いつまでも若く健康で生きられれば、年齢という壁は消えてなくなる。孫の孫にも会える時代となれば、私たちは次の世代により責任を感じることになる。変えられない未来などない。私たちは今、革命(レボリューション)の幕開けだけでなく、人類の新たな進化(エボリューション)の始まりを目撃しようとしているのだ」と書かれているのでした。

 

アマゾンには、「世界を代表する、知識人が大絶賛!」として、「鋭い洞察に満ちた刺激的な書。 広く深く読まれるべき傑作だ」・・・シッダールタ・ムカジー(科学者・ピュリッツァー賞受賞作家)、「知的好奇心を掻き立ててやまない一冊。 じつに興味深い洞察を提供してくれる」・・・アンドリュー・スコット(ロンドンビジネススクール教授『ライフシフト』著者)、「衝撃を受ける覚悟をせよ。デビッド・シンクレア博士は、 老化・長寿研究界のロックスターだ」・・・デイヴ・アスプリー(『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』著者)といった讃辞が紹介されています。



本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに
 ――いつまでも若々しくありたいという願い」
第1部 私たちは何を知っているのか(過去)
第1章 老化の唯一の原因――原初のサバイバル回路
第2章 弾き方を忘れたピアニスト
第3章 万人を蝕む見えざる病気
第2部 私たちは何かを学びつつあるのか(現在)
第4章 あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法
第5章 老化を治療する薬
第6章 若く健康な未来への躍進
第7章 医療におけるイノベーション
第3部 私たちはどこへ行くのか(未来)
第8章 未来の世界はこうなる
第9章 私たちが築くべき未来
「おわりに――世界を変える勇気をもとう」
「謝辞」
「原註」
「シンクレアの利害関係情報開示」
「大きさの比較」
「登場人物紹介」
「用語集」
「索引」



「はじめに――いつまでも若々しくありたいという願い」では、「死を迎えるということ」として、「高齢になるなど、読者にはまだ先の話のような気がするかもしれない。だが、私たちの誰もがいつかは人生の終わりを迎える。最後の息を吸ったあと、全身の細胞は酸素を求めて泣き叫び、毒素が蓄積し、化学エネルギーが使い尽くされて、細胞の構造が崩れていく。ものの数分で、私たちの大切にしてきた教育のすべて、知恵のすべて、記憶のすべてが、そして未来の可能性のすべてが消え去り、それは二度と元に戻らない」と書かれています。



また、「死をつぶさに眺め続けたという意味で、フランスの映画監督クロード・ランズマンの右に出る者はまずないだろう」として、彼の代表作であるホロコーストを題材にした長編ドキュメンタリー映画『ショア』が紹介されています。ランズマンの見る(「警告する」といってもいい)死は、背筋を寒くするものですが、彼は2010年に「死とはことごとく暴力的なものである。自然な死などというものはない。眠っているあいだに愛する者たちに囲まれながら父親が静かに息を引き取る――そういう光景を思い描きたいかもしれないが、そんな死に方があるとは思わない」と語っています。

 

「私たちはすでに長く生きすぎているのか」として、1000年また1000年と歴史を刻む過程で、人間の平均寿命は確かに少しずつ延びてきたことが指摘され、「それは懐疑派も認める。かつては私たちの大半が40歳まで生きられなかったのに、それができるようになった。50歳にも達しなかったのが、届くようになった。ほとんどが60歳を見ずに人生を終えていたのに、60の声を聞けるようになった。この理由としては、安定した食料ときれいな水を利用できる人の数が増えたことが大きい」と書かれています。

 

また、平均値は上から引っ張られたというより、主に下から押し上げられたことが指摘されます。つまり、乳幼児のうちに命を落とす者が減ったために全体の寿命が長くなったのであり、単純な算数です。しかし、平均寿命が上昇を続ける一方で、最大寿命のほうはそうなっていません。記録をひもとけば、100歳に達した人はいますし、それより何年か長く生きた人もいました。でも、110歳に届く人はごくわずかしかおらず、115歳を迎える人となると限りなくゼロに近いのです。

 

第1部「私たちは何を知っているのか(過去)」の第1章「老化の唯一の原因――原初のサバイバル回路」の「老化の原因に注目すべき理由」では、「今現在の老化研究は、1960年代のがん研究と似たような段階にある。老化がどのようなもので、私たちにどんな影響を及ぼすものなのかについては、すでに十分な理解がある。しかも、老化の原因は何か、どうすればそれを食い止められるのかについても、研究者のあいだで意見の一致を見つつある。この様子で行くと、老化を治療するのはそれほど難しくなさそうだ。少なくとも、がんを治癒させるよりはるかに簡単なはずである」と書かれています。

 

 

また、「なぜ生物には寿命があるのか」では、「20世紀の前半までは、生物は老いて死ぬのが『種のため』だとする見方が一般的だった。この考え方はアリストテレスにまで遡る(それより古くはないにせよ)。一見すると正しいように思えるし、人が集まってこの話題になればそういう説明をよく聞く。だがこれは完全な間違いだ。私たちが命を終えるのは、次の世代に道を譲るためなどではない」と書かれています。

 

ヒトは、進化から不運なカードを配られました。手足はか細く、寒さに弱く、嗅覚は劣り、眼は明るい昼間に可視光線しか捉えられません。にもかかわらず、比較的大きな脳を活用して文明を発達させ、その不利な条件をはねのけてきたのです。本書には、「じつに風変わりな生物であり、今も次々と新しい工夫を編み出している。すでに豊富な食料と栄養と水を確保し、捕食者や厳しい気候や、感染症や戦争による死を減らしてきた。こうした要因はどれも、かつては長い寿命を獲得するうえでの足かせとなっていたものである」と書かれています。

 

そのマイナス要因が取り除かれたのですから、あと数百万年もすればヒトの寿命は2倍になり、長寿番付の上位を占める生物の寿命に近づいてもおかしくはありません。だが、この生物はそんな悠長なことをしなくていい。各段に短い時間で済むとして、「なぜなら、新しい医薬品やテクノロジーを生むことに精を出し、それで補うことによって、はるかに長命な生物がもつ頑丈さを手に入れつつあるからだ。進化から与えられた短所を文字通り克服しようとしているのである」と述べます。



「老化を説明する統合理論の確立に向けた努力」では、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が空飛ぶ機械を組み立てられたのは、気流や気圧や風洞についての知識をもっていたからだったとして、「アメリカが人類を月に送り込んだ快挙も、冶金や液体燃焼やコンピュータについて理解していたからだし、月がチーズでできているわけではないという確信がそれなりにあったからでもある。そうでなければ、とうてい実現は不可能だったろう。同じように、老化に伴う苦しみを軽減しようとするなら、そして実のある成果をあげたいなら、そもそもどうして年をとるのかを説明できる統合理論が必要だ。たんに進化の見地からだけではなく、根本的なレベルで理由を語れるような理論が」と書かれています。



「私の考える『老化の情報理論』――老化とはエピゲノム情報の喪失である」の冒頭には「ごく単純にいえば、老化とは情報の喪失にほかならない」と明言され、DNAはデジタル方式なので、情報の保存やコピーを確実に行なうことができるとして、「途方もない正確さで情報を繰り返し複製できる点においては、コンピュータメモリやDVD上のデジタル情報と基本的に変わらない。DNAはじつに頑丈な物質でもある。私が初めて研究室で働き始めたとき、沸騰した湯の中に数時間入れられてもこの『生命の分子』が壊れないことに衝撃を受け、少なくとも4万年前のネアンデルタール人の死骸からもこの分子を取り出せると知って興奮したものだ。情報を格納するための生体分子として、鎖状につながった核酸が過去40億年ものあいだ選ばれてきたのは、デジタル情報の保存に適した長所をもっていたからである」と書かれています。



しかし、体内にはもう1種類の情報が存在します。こちらはアナログ情報だとして、「生体のアナログ情報について私たちが耳にすることは少ない。これが比較的新しい研究分野だからという理由もあるし、情報の観点から説明されることが滅多にないからでもある。しかし、当初は紛れもなく情報として捉えられていた。このアナログ情報が注目されるようになったのは、遺伝学者が植物を繁殖させていたときに、DNAの遺伝情報によらない奇妙な変化に気づいたからである。今日、このアナログ情報は『エピゲノム』と総称されるのが一般的である。これは、親から子へと受け継がれる特徴のうち、DNAの文字配列そのものが関わっていないものを指す。DNAによらないこうした遺伝の仕組みを『エピジェネティクス』と呼ぶ」と書かれています。

 

また、ゲノムがコンピュータだとするなら、エピゲノムはソフトウェアだといえるとして、「分裂したばかりの細胞に対して、どんな種類の細胞になればいいのかを教えるのだ。しかもその細胞に対し、場合によっては(脳細胞やある種の免疫細胞などのように)何10年も同じ種類であり続けるよう指示をしている。この指示があるおかげで、脳細胞がある日いきなり皮膚細胞のようにふるまうこともなければ、1個の腎細胞が分裂して2個の肝細胞を生み出すこともない。エピゲノムの情報がなかったら、細胞はすぐに自らのアイデンティティを失い、新しく生まれる細胞もアイデンティティを喪失する。そうなれば、組織や臓器はしだいにうまく機能しなくなって、ついには働きを停止する」と書かれています。

 

第3章「万人を蝕む見えざる病気」の「老化を死因と認めない社会」では、「死と老化の結びつきがあまりに強いため、前者が不可避であることが後者に対する考え方を縛るようになった。17世紀、ヨーロッパの諸地域で死亡証明書が初めて公的に管理されるようになった頃、『老化』は立派な死因の1つだった。『老衰』や『高齢による衰弱』が、死因としてごく普通に受け入れられていたのである。17世紀に『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(栗田出版会)を書いたイギリスの人口統計学者ジョン・グラントによれば、『恐怖』『悲嘆』『嘔』も死因の仲間に入っていたという」と書かれています。

 

時代が下るにつれて、わたしたちは高齢であることを死の原因とはしなくなっていきました。今や「年をとった」せいで亡くなる者などいないとして、本書には「過去100年のあいだに西洋の医学界では、『老化』より直接的な死因がかならずあると考えるようになった。それだけではない。死因を特定することが至上命令だと信じるに至ったのだ。それが証拠に、ここ数10年の私たちは、まるで憑かれたかのような細かさで死因を分類している」と書かれています。

 

「加齢と『人間の死亡率の法則』」では、1825年、イギリスの保険数理士で王立協会のフェロー(メンバーのこと)でもあった博学のベンジャミン・ゴンパーツは、自ら編み出した「人間の死亡率の法則」に基づいて命の上限を説明しようとしたことが紹介され、「この法則は、老化を数学の切り口から表現したものといえる」と書かれています。ゴンパーツは、「死というものは、おおむね並び立つ2つの原因によってもたらされていると考えられる。1つは偶然であり、死や衰えへと向かう傾向が前もって見られなかった場合にあたる。もう1つは衰えであり、言葉を換えれば、破壊に耐える能力がしだいに失われることといえる」と記しました。

 

「高齢になればなるほど怪我や病気からの回復が遅れる」では、高齢になればなるほど、怪我や病気によって死へと追いやられる時間は短くなっていくことが嘆かれます。わたしたちはしだいに崖の縁へ縁へと押されていき、ついにはそよ風が吹いただけでも向こう側へ送られるとして、「体が衰えるとはまさしくそういうことだ。それと同じことをする病気があれば、肝炎であれ腎臓病であれ、あるいはメラノーマであれ、世界で最も致死性の高い疾患のリストに載るだろう。なのに科学者は、私たちの身に起きることを『回復力の低下』で片づける。私たちのほうもおおむねそれを、人間である以上仕方のないこととして受け入れている。人間にとって、老化する以上に危険なことなどない。にもかかわらず、私たちはそれが猛威を振るうに任せ、もっと健康になろうと別の方向を見て闘っているのだ」と書かれています。

 

高齢者医療 メルクマニュアル
 

 

「老化を病気と認めれば老化との闘いには勝利できる」では、「老化は身体の衰えをもたらす。老化は生活の質を制限する。老化は特定の病的異常を伴う。これだけの特徴をすべて備えているのだから、1個の病気と呼ぶための基準に残らず合致しているかに思える。ところが、1つだけ満たしていない条件がある。影響を受ける人の数が多すぎるのだ」と書かれています。『高齢者医療メルクマニュアル』(メディカルブックサービス)によると、病気とは、人口の半数未満がこうむる不調のことをいうそうですが、当然ながら老化は誰にでも訪れます。

 

では、このマニュアルは老化をどう表現しているのでしょうか。いわく、「外傷、疾病、環境リスク、あるいは不健康な生活習慣の選択といった要因が存在しなくても、時とともに臓器の機能が不可避的かつ不可逆的に低下すること」です。それが老化なのだとして、「老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう」と書かれています。

 

そして、「『老化の情報理論』から始まる老化との闘い」では、老化を病気と呼ぶのは、健康や幸福に関する一般的な見方から大きく逸脱することを意味するとしながらも、「これまでは旧来の見方を根本に据えて、致死性の疾患に対する様々な治療法が確立されてきた。しかし、そもそもそんな枠組みになったのは、老化の原因が突き止められていなかったからという理由が大きい。だからつい最近になるまで、私たちの武器は『老化の典型的特徴』を並べたリストがせいぜいだった。『老化の情報理論』ならこの状況を変えることができる」と書かれています。

 

第2部「私たちは何かを学びつつあるのか(現在)」の第4章「あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法」の「間違いなく確実な方法――食べる量を減らせ」では、「私は約25年にわたって老化を研究し、何千本という科学論文を読んできた。そんな私にできるアドバイスが1つあるとすれば、『食事の量や回数を減らせ』である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。もちろん、こうしたことが唱えられるのは今に始まったことではない。古代ギリシャの医師だったヒポクラテス以来、医師たちは食べる量を制限することがいかに有益かを説いてきた。それも、キリスト教の『七つの大罪』にある『貪食』を慎むだけでなく、『意図的な禁欲』によって量を抑えるのである」と書かれています。



第5章「老化を治療する薬」の冒頭は、「人間が空を飛ぶという夢は、20世紀の初めになって急に現われたものではない。それと同じで、人間の寿命を長くしたいという夢も、21世紀の初めになって急に湧いて出てきたわけではない。何事も『初めに科学ありき』ではないのだ。『初めに物語ありき』である。ウルクの都を126年間統治したとされるシュメール王のギルガメシュから、ノアの大洪水以前に969年生きたと伝えられる族長メトシェラまで、人間の聖なる物語からは、私たちが心の底から長寿に魅せられてきたことがわかる。とはいえ、それらはあくまで神話や寓話の世界だ。それを除けば、100歳をゆうに超えるまで寿命を延ばす人がいたという科学的証拠は無きに等しかった。そもそも生命の仕組みに関する深い知識がないわけだから、寿命を延長できる見込みなどまずなかったわけである。しかし今では、研究仲間や私自身によって、まだ不完全ながらもその知識がついに手に入ったと確信している」と書かれています。



また、「死は必然であるとする法則はない」では、生命を研究することで、かなり重要な点も明らかになっているとして、ノーベル賞も受賞した著名な物理学者リチャード・ファインマンが「生体のふるまいを調べても、死が避けがたいことを示すものはまだ何1つ見つかっていない。だとすれば死とは少しも必然ではなく、この厄介事の原因を生物学者が発見するのも時間の問題と思われる」と述べたことが紹介されます。これは正しいとして、「生命に終わりが訪れなければならないような法則は、生物学的、化学的、あるいは物理学的に調べても見当たらないのである。確かに、エピゲノムの情報が失われて無秩序へと至るわけだから、老化はエントロピーの増大といえなくもない。しかし、エントロピーが増大するのは、外部の環境と切り離された『閉じた系』の場合だ。生物は閉じた系ではない。必要不可欠な生体情報を保存でき、宇宙のどこかからエネルギーを取り込める限り、生命は永遠に存続する可能性を秘めている」と書かれています。

 

第6章「若く健康な未来への躍進」の「問題が何かを理解すれば、老化と闘うのはがんと闘うよりやさしい」では、「老化は変えられないものであり、仮に変えられるとしても一筋縄ではいかないに違いない」がわたしたちのこれまでの考えだった(そもそも老化について考えることがあればの話だが)として、「確かに、人類の歴史が始まって以来、老化は季節の移り変わりと同じものとして捉えられてきた。春から夏へ、次いで秋へ、そして冬へと向かう季節の移ろいは、幼年期から青年期へ、次いで中年期へ、そして『老後』へという、人生の段階を表わすたとえとして広く用いられていた。すると、20世紀の後半になって新しい発想が生まれる。老化は避けて通れないにしても、老後を不快にする病気の一部に対してなら手を打てるかもしれないとみなされるようになったのだ」と書かれています。

 

第7章「医療におけるイノベーション」の「新しいオーダーメードのがん治療法」では、「希望は私たちすべてにある。人間は男女を問わず、115歳より長く生きられるのを私たちは知っている。過去にはいたし、これからだって現われる。たとえ100歳の誕生日までにしか届かないにしても、80代と90代を素晴らしい時代だったと振り返れる人生を送るのは夢ではない。そこまで行く人の数を増やすには、新しい治療法やテクノロジーのコストを下げることが重要だ。また、けっして患者本人を置き去りにしないようなやり方で、それらを利用することも大切である。ただし、新しいテクノロジーは、何か問題が起きたときに診断を下すためだけにあるのではない。そもそも不調が生じる前の段階で、各人が自分のために何ができるかを知る手段ともなるのだ」と書かれています。

 

「パーソナル・バイオセンサーの時代へ」では、「この文章を書いている今、私は平均的な大きさのリングを指に嵌めていて、これで心拍数や体温、それから体の動きをモニターしている。毎朝目覚めると、よく眠れたかどうか、どれくらい夢を見たか、日中はどれくらい冴えた頭でいられるかをこのリングが教えてくれるのだ。こうしたテクノロジーはけっして目新しいものではなく、バットマンブルース・ウェインや007のジェームズ・ボンドなども使っていた。それが今や数百ドルで手に入り、誰でもネット経由で注文できる」と述べます。

 

小さいアクセサリーであっても、皮膚を刺すものなら何1000種類ものバイオマーカーを追跡できますし、そうしていけない理由など見当たりません。それを身につけて家族全員の数値を測定するとして、「祖父母も両親も、子どもたちもだ。赤ん坊や4本足の家族にもモニターを装着してやる。なぜなら、自分の気持ちを最も伝えられないのが彼らだからだ。いずれは、こうしたモニタリング装置なしに暮らしたいと思う人がほとんどいなくなるんじゃないだろうか。スマートフォンが手放せないように、センサーなしでは家を出たくなくなる。次世代のセンサーは無害な皮膚パッチ型になり、やがては皮膚下に埋め込むインプラント型が主流になるだろう。未来のセンサーはただたんに血糖値を測定するだけではない。基本的なバイタルサインや血中酸素量、ビタミンのバランス、さらには何1000種類もの化学物質やホルモンも監視・追跡するようになる」と述べます。



「『バイオクラウド』データとDNA解析を使って感染症の世界的大流行(パンデミック)を阻止する」では、1918年、「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザが世界規模で大流行したことに言及し、「当時はまだ、現代のように超高速の複雑な交通網がいっさい発達していない時代である。にもかかわらず、アメリカに端を発したともいわれるこのインフルエンザの流行は、伝染病による死者の絶対数で史上最悪の記録を打ち立てた」と書かれています。



航空機時代は幕をあけたばかりであり、ほとんどの人は自動車にすら乗ったことがありませんでした。それなのに、H1N1ウイルスは最辺境の地にまで入り込み、離島や北極圏の村々をも襲ったのです。人種も国境も関係がなく、まさに新たなペストのように人々の命を奪っていったとして、「アメリカの平均寿命は55歳から40歳に落ち込んだ。最終的には元に戻ったものの、それまでには全世界のあらゆる年代で合計1億人以上の命が絶たれた。こうした世界的大流行は再び起きてもおかしくない。100年前と比べると人との接触も動物との接触も増え、地球の各地が密につながっている。それを思うと、感染症が簡単に広がるお膳立ては整っているといっていい」と書かれています。


次なるパンデミックを絶対に起こさないようにすることが、バイオトラッキング革命最大の贈り物となるかもしれないとして、本書には「もちろん個人のレベルで見ても、バイタルサインや体内の化学物質をリアルタイムでモニターすれば途方もないメリットが手に入る。健康状態を最大限に高めて、緊急事態を防ぐ助けになるだろう。だが、集団のレベルで効果を発揮させれば、パンデミックの先手を打つことができるのだ。ウェアラブル機器のおかげで、1億人以上の体温や脈拍などの生態指標をリアルタイムで把握することが、すでに技術的に可能になっている。必要性が認識されさえすれば、そして文化に根差した抵抗感が払拭されさえすれば、実際にその段階まで行くのは不可能ではない」と書かれています。本書が書かれた当時は、まだ新型コロナウイルス(COVID-19)の感染は見られなかったことを思うと、著者の先見性には驚きます。



2017年の「ミュンヘン安全保障会議」の場で、マイクロソフト社のビル・ゲイツは、「自然の気まぐれで発生するのであれ、テロリストの手でばらまかれるのであれ、空気中を高速で移動する病原体は1年足らずで3000万人もの命を奪える。それが疫学者たちの見解です。そして、世界が今後10年から15年のうちにそうした大流行を経験する確率は、けっして低くはないと研究者は指摘しています」」と、聴衆に語りかけました。その予見力には感嘆するばかりです。実際にパンデミックが起きたら、3000万人というのは相当に控えめな見積もりかもしれないとして、今や、私たちの輸送ネットワークは到達範囲とスピードを拡大し続けている。世界を旅する人の数も、その行き先も移動速度も、すでに先祖たちには想像もつかなかったレベルに達した」と書かれています。



それとともに、ありとあらゆる病原体もまた、かつてないほどの速さで移動しています。しかし、正しいデータが正しい人の手に渡れば、私たちもかつてないほど迅速な行動をとることが可能だといいます。特に、大量の「バイオクラウド」データと、超高速のDNA解析を組み合わせれば、病原体が主要輸送ルートを通って都市から都市へと広がっていくのを検知できるとして、「それがわかったら、殺人病原体の先回りをして緊急移動制限措置を発動したり、医療資源を配備したりすればいい。病原体との闘いでは1分1秒が物をいう。何の手も講じないままに1分が過ぎれば、そのツケは人の命となって跳ね返ってくる」と書かれています。



「革新の時代はかならずやってくる」では、わたしたちは自分で思っている以上に、物の見方を変えるのが得意だとして、「人生から何を期待するかや、年齢とはそもそもどういう意味なのかについてもそうである。たとえばトム・クルーズのことを考えてみてほしい。あの『トップガン』俳優は、50代後半に入った今も第一線で活躍している。筋肉は盛り上がり、額にはほとんどしわがなく、まっすぐな生え際から黒い髪がふさふさと生えている。ただ演技をするだけではない。長らく若い役者の領分とみなされてきたような役にも扮してみせるし、危険なスタントもたいていは自分でこなす。猛スピードのバイクで路地を駆け抜けたかと思えば、離陸する飛行機にしがみつき、世界一高いビルの屋上からぶら下がりもすれば、大気圏の上層部からスカイダイビングもする」と書かれています。



最近では「今の50歳は30歳と同じ」という言葉をよく口にする人々が多いとして、「50を過ぎた人生はどうあるべきかというかつての見方を、私たちは忘れているのだ。それも、何100年も前の話ではなく、ほんの数10年前のことだというのに」と一昔前の50過ぎは、飛行機から飛び降りるトム・クルーズのようではなかった。その姿はまさにウィルフォード・ブリムリーだった。ブリムリーは1993年の映画『ザ・ファーム 法律事務所』でクルーズと共演した俳優である。当時、クルーズが30歳だったのに対し、ブリムリーは58歳。すでに白髪の生えた老人であり、セイウチのようなひげを生やしていた」と書かれています。



その数年前、ブリムリーは『コクーン』という作品に出演しました。高齢者グループがエイリアンの「若返りの泉」を見つけ、そこから若々しいエネルギーを(若々しい外見を、ではなかったが)もらうという物語です。本書には、「年寄りが10代の若者のように走り回る姿は、大いに観客の笑いを誘ったものだ。あれほどの高齢者がそんな若々しいふるまいをするのは、恥ずかしいと当時は考えられていた。しかし、映画が公開されたとき、ブリムリーは今のトム・クルーズより7歳くらい若かったのである。『ニューヨーカー』誌のイアン・クラウチの言葉を借りるなら、クルーズはやすやすと「ブリムリーの壁」を打ち破ったのだ」と書かれています。

 

第3部「私たちはどこへ行くのか(未来)」の第8章「未来の世界はこうなる」の「科学技術は想像を超える速さで進歩する」では、実際に医療革命が起き、これまでと同様のペースで寿命が一直線に延びていくとしたら、日本で今日生まれた子どもの半数は107歳以上生きるとの推計があるとして、「アメリカの場合は104歳以上だ。その種の見積もりは甘すぎると、眉をひそめる研究者は多い。だが、私はそうは思わない。むしろ控えめすぎる数字ではないだろうか。とりわけ有望な療法や治療法がほんのいくつか実現するだけでも、今の時点で何の病気もなければ誰でも健康な状態で100歳を迎えられる。しかも、現在の50歳並みの活動レベルで。そう期待しても1つも無謀ではないと、私はかねてから発言してきた。今のところは120歳が寿命の上限とされているが、それが例外的な人のための年齢だと考える理由はどこにもない」と書かれています。



さらに、「来たるべき革新をいち早く知る立場にある者として、これだけははっきりといっておく。私たちが生きているあいだに、世界で初めて150歳の声を聞く人が現われても少しもおかしくはないのだと。細胞のリプログラミングが真価を発揮すれば、今世紀末までに150歳は手の届く年齢になっている可能性があるのだ。この文章を書いている時点で120歳を超えている人は(少なくともそう証明されている人は)、地球上に1人もいない〔訳注 2020年5月時点での世界最高齢は日本人女性の田中カ子さんで117歳〕。だから、私が正しいかどうかを確かめるには最低でも数10年かかる。ことによると、あと150年待たなければならないかもしれない」と書かれています。田中カ子さんは福岡県福岡市東区在住ですが、2021年1月2日、118歳の誕生日を迎えられました。



「かつてないほど広がる格差」では、1997年のSF映画『ガタカ』が予言した世界へと、すでに私たちは不確かな一歩を踏み出しているといいます。「つまり、もともとは人の生殖を助けるための技術が、『不利な条件』を排除するために使用される社会へ、だ。ただし、その道は金銭に余裕のある者だけに開かれている。安全上の問題が生じたり、未知のものに対する反発が世界中で起きたりしない限り、この先数10年で遺伝子編集の技術はさらに進歩し、おそらくは世界中で受け入れられていくだろう。そうなれば世の親には選択肢が与えられる。生まれてくる子のゲノムを編集するのだ。そうすれば、病気へのかかりやすさを減らすことも、特定の身体的特徴を選ぶことも、さらには知的能力や運動能力を高めることまでできるようになる」と書かれています。



また、本書には「『ガタカ』のなかで医師がカップルに向かって話すように、子どもに『できる限りいいスタート』を切らせてやりたいなら、金さえあればその願いは叶う。長寿遺伝子を操作することで、『できる限りいいエンディング』を迎えさせてやるのも夢ではない。遺伝子強化を受ける人間はただでさえ数々のメリットを得ることになる。おまけに、長寿薬や臓器移植や、現時点では想像もつかないような療法を利用できる財力があるわけだから、そのメリットは何倍にも膨れ上がっていく」と書かれています。まさに、SF映画の先を行く時代をわたしたちは生きているのです。



「高齢者が活躍できる社会へ」では、「古の文化では、高齢者が知恵袋として尊ばれていた。それはそうだ。文字もない、ましてやデジタル情報などあろうはずもない時代には、古老たちだけが知識の源泉だったからである。それが短期間で大きく変わるきっかけをつくったのが、15世紀ドイツの金細工師ヨハネス・グーテンベルクだ。活版印刷を発明し、それが『印刷革命』をもたらしたのである。その後、19世紀から20世紀にかけて『教育革命』が起こり、情報が入手しやすくなったのに呼応して識字率が向上する。長く伝えられてきた情報を得るのに、もはや長老たちばかりに頼らなくてもよくなった。高齢者は、かつては社会が適切に機能するために欠かせない財産とみなされていたのに、しだいに厄介者扱いされるようになる」と書かれています。

 

第9章「私たちが築くべき未来」の「なぜ、老化研究に割かれる予算は少ないのか」では、「老化は病気だ。これほどわかりきったことを何度も繰り返さなければならないなんて、ほとんど常軌を逸している。だが、そうするよりほかに手がないので、もう一度声を大にしよう。老化は病気だ。しかも、ただの病気ではない。あらゆる病気の母であり、私たちの誰もがその魔手から逃れられない。あいにく、老化を病気と分類している公的助成機関は世界に1つもない。なぜか? それは、幸運にもある程度長く生きられれば、私たちの全員に降りかかってくるものだからだ。結果的に、健康寿命を延ばすための研究予算はかなり少なく、すでに認められた病気に今なお最も多額の公的資金がつぎ込まれている。この文章を書いているまさに今も、老化は病気とは認定されていない。どこの国でも」と書かれています。

 

「今すぐ国は老化研究に資金を投じるべきだ」では、「老化が病気だということを、慣行のうえでも書類のうえでも最初に規定する国が、未来の方向性を変える。急増しつつある民間からの資金援助に加えて、多額の公的資金をこの分野に振り向ける地域の第1号が、実のある繁栄を手にするだろう。まず恩恵を受けるのは市民だ。医師は、患者が取り返しのつかないほど弱ってしまう前に、ごく普通にメトホルミンのような薬を処方する。雇用が創出され、科学者や医薬品メーカーが大挙してその国に拠点を置く。産業が栄える。国が投じた資金は、大きな利益となって返ってくる。その国の指導者たちは歴史に名を残す。特許を保有する大学や企業は、使い道に困るほどの額を手にするだろう」と書かれています。

人生の修め方』(日本経済新聞出版社

 

「人生の終え方を考える」では、死に方の中で一番多いのが病気になることであるとして、「人生の盛りに病魔に襲われることもある。50歳で心臓疾患に。55歳でがんに。60歳で脳卒中に。65歳で若年性アルツハイマー病に。葬儀の場でよく聞かれるのは、『あまりに早すぎる』という言葉だ。その病気ですぐには命を落とさないにしても、病の度重なる攻撃を退けるために数十年のあいだ苦しみ続けなくてはならない。どうやって死ぬかという問いへの答えがこれでは、あまりにひどすぎる。私たちが必死に(健康寿命を延ばそうとするのと同じくらい必死に)目指すべき答えは、『準備のできたときに、苦痛なく速やかに』だ」と書かれています。ちなみに、わたしは「人生の終え方」とか「終活」という言葉が嫌いなので、「人生の修め方」とか「修活」という言葉を提唱しています。



「自ら尊厳のある死を迎えられるようにする」では、著者のデビッド・A・シンクレアは「私が思うに、健康な状態なしに生だけを引き延ばそうとするのは、断じて許しがたい罪である。この点は重要だ。寿命を延ばせても、同じくらい健康寿命を長くできないのなら意味がない。前者を目指すのなら、後者も実現するのが私たちの道義的な責務である。たいていの人と同じように、私も永遠に生きたいとは思わない。病に苦しむのを少なくして、たくさんの愛に満ちた人生を送れればそれでいいのだ。この分野で研究しているほとんどの人にしても、死をなくすために老化と闘っているわけではない。ただ、健康に生きられる時間をできるだけ長くして、今よりずっといい条件で死を迎えられるようにしたいと考えているだけである。それも、できれば自ら決める条件で。準備のできたときに、苦痛なく速やかに、だ」と述べるのでした。



本書は世界的な大ベストセラーであり、非常に興味深い内容でした。しかしながら、どうしても違和感が残るのは「老い」が悪だという視点が感じられることです。「老い」も「死」もあって、初めて「人生」であり、人間は老いることが避けなれないというより、必要なことであると思うのです。わたしは、社会現象になまでなった『鬼滅の刃』に登場する鬼の祖である鬼舞辻無惨を連想しました。『鬼滅の刃』には、超高齢社会を生きる日本人への大切なメッセージも込められています。ブログ「『鬼滅の刃』最終巻」で紹介したコミックでは、「不死身」を目指す無惨がついに太陽光に滅せられますが、その死に至るまでの悪あがきにはすさまじいものがありました。彼は老いることと死ことを異常に恐れ、「不老不死」を得て、「完全な生物」をめざします。最後は、炭治郎に自身の血を与えて鬼と化します。無惨は炭治郎を「完全な生物」の後継者にしようとするのでした。無惨の「不老不死」「完全な生物」への夢は、部下である鬼たちも共有しています。



ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した映画では、「上弦の鬼」である猗窩座と「炎柱」である煉獄杏寿郎との死闘が描かれます。猗窩座は練り上げられた武と共に、強者に対しての敬意を持ちます。精神も肉体も強靭な煉獄にリスペクトの念を抱いた猗窩座は「お前も鬼にならないか?」「俺はつらい 耐えられない 死んでくれ杏寿郎 若く強いまま」などと言います。彼にとって、人間とは老いて死すべき不完全な存在であり、不老不死である鬼こそが完全な存在なのです。しかし、煉獄は「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」と言います。このセリフには100%共感し、感動しました。わたしも、人間の醍醐味は「老いる」ことと「死ぬ」ことにあると考えています。また、生物とは「死ぬ」から生物なのであり、死なない生物がいたとしたら、それが「完全な生物」ではなく、逆に「不完全な生物」であると思います。



わたしは、「完全な生物」という夢を見る鬼舞辻無惨から秦の始皇帝を連想しました。始皇帝は古代中国を統一した英雄です。現代中国の力の源泉は、14億という膨大な人口にあります。では、なぜこれほどの人が暮らす広大なエリアを、中国の歴代帝国は何度も統一し支配することができたのか? そのような場所は、人類史上、中国大陸以外に存在しません。答えは初の統一帝国・秦にあります。秦が採用した統治のノウハウが2000年にわたって引き継がれたために、中国は繰り返し統一されたのです。大ヒットした漫画『キングダム』では、秦の真実がエンターテインメントとして見事に描かれています。始皇帝は、度量衡を統一し、「同文」で文字を統一し、「同軌」で戦車の車輪の幅を統一し、郡県制を採用しました。そのうちのどれ1つをとっても、世界史に残る難事業です。始皇帝は、これらの巨大プロジェクトをすべて、しかもきわめて短い期間に1人で成し遂げたわけです。



それほど絶大な権力を手中にした始皇帝でしたが、その人生は決して幸福なものではありませんでした。それどころか、人類史上もっとも不幸な人物ではなかったかとさえ私は思います。なぜか。それは、彼が「老い」と「死」を極度に怖れ続け、その病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいったからです。始皇帝ほど、老いることを怖れ、死ぬことを怖れた人間はいません。そのことは世の常識を超越した死後の軍団である「兵馬俑」の存在や、徐福に不老不死の霊薬をさがせたという史実が雄弁に物語っています。いくら権力や金があろうとも、老いて死ぬといった人間にとって不可避の運命を極度に怖れたのでは、心ゆたかな人生とは無縁であります。 

老福論』(成甲書房)

 

逆に言えば、地位や名誉や金銭には恵まれなくとも、老いる覚悟と死ぬ覚悟を持っている人は心ゆたかな人であると言えます。どちらが幸福な人生かといえば、疑いなく後者でしょう。拙著『老福論』(現代書林)にも書きましたが、心ゆたかなに人生を修めるには、万人が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが必要なのです。そのことを兵馬俑をながめながら、考えました。ある意味では、異常なまでに「老い」と「死」を怖れたからこそ、現実的にはあれほどの大事業を遂行するエネルギーが生まれたのかもしれません。始皇帝は天下を統一し、皇帝となりましたが、それまで誰もが使っていた「朕」という言葉を、皇帝以外は使ってはいけないとするなど、皇帝の絶対化を図りました。皇帝の絶対化は国家を運営していく上で必要でしたが、始皇帝は次第に自分を絶対的な存在であると考えるようになったのです。

f:id:shins2m:20210223013929j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

天下統一の大事業を成し遂げた自分は、普通の人間ではない、絶対者であるという気になっていったのです。絶対者とは、具体的に言えば、不老不死の人間、つまり神や仙人のような存在です。『史記』に「死を言うを悪む」とありますが、始皇帝は「死ぬ」と言うのを非常に嫌いました。そして、「群臣あえて死の事を言うなし」、家来たちも「死ぬ」というようなことは口にしません。それは禁句になっていたのですが、いくら禁句にしても死は迫ってきます。死から逃げ回った生涯でしたが、とうとう河北省の沙丘というところで死の恐怖にうちまみれながら始皇帝は死んでいったのです。
拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書きましたが、わたしたちが心ゆたかに生きるには、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持たなければならないのです。そして、心ゆたかな社会とは、人々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」、つまりは死生観を持っている社会であると言えるでしょう。世界的ベストセラーである本書を読んだ後も、超高齢社会を生きる日本人が死生観を持つべきであるという考えは変わりません。

 

 

2021年2月23日 一条真也

「ハートフル・スタンプ2」できました!

一条真也です。
22日の小倉は、素晴らしい快晴となりました。気温も20度を超えて、ポカポカと暖かいです。春一番も吹きましたし、いよいよ春の訪れを感じますね。
さて、ブログ「『ハートフル・スタンプ』できました!」で紹介したように、昨年12月15日にLINEの「一条真也のハートフル・スタンプ」が発売されましたが、大好評につき、第二弾が発売されました。

f:id:shins2m:20210222113012j:plain一条真也のハートフル・スタンプ2

 

前回同様に、わたしのいろんなシチュエーションにおけるスタンプが全24種公開されました。わたしがこれまでに購入した数十種類のスタンプの中から特に使う機会の多いシチュエーションを厳選しています。また、ハートフル・スタンプの愛用者の多いサンレー小倉南営業所のみなさんからのリクエストも参考にさせていただきました。ありがとうございました!

f:id:shins2m:20210222113101j:plain一条真也のハートフル・スタンプ2

 

前回同様に今回も「OK」とか「大丈夫!」とか「ファイト!」とか「ぱちぱちぱちぱち(拍手)」とかポジティブなものが多いですが、中には、わたしが食べ過ぎたり、飲み過ぎて酔っぱらったり、吸血鬼になったりする遊び心のあるスタンプも揃えました。読書中や入浴中なんてのもあります。(笑)

f:id:shins2m:20210222113231j:plainサンレー創立55周年を盛り上げます!

 

それから、サンレーグループ創立55周年を盛り上げるために「GO!GO!」というのも作りました。そして、もちろん、「一同礼!」も。本当は、神社で参拝したり、教会での結婚式に参加したり、お葬式で数珠を持って礼拝するなどの冠婚葬祭スタンプも作りたかったのですが、宗教関連はNGということであきらめました。冠婚葬祭は宗教というよりも日本人の生活慣習なのですけどね・・・・・・。ともかく、新しいスタンプを使って「天下布礼」にさらに励みたいと思います。ハートフル・スタンプ2、よろしくお願いいたします!

f:id:shins2m:20210222113132j:plain天下布礼」に励みます!

 

2021年2月22日 一条真也

『残酷な進化論』

残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか (NHK出版新書)

 

 一条真也です。
『残酷な進化論』更科功著(NHK出版新書)を読みました。「なぜ私たちは『不完全』なのか」というサブタイトルがついています。著者は1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業勤務を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。現在、東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学立教大学兼任講師、東京学芸大学早稲田大学文教大学非常勤講師。著書に、ブログ『爆発的進化論』ブログ『絶滅の人類史』ブログ『宇宙からいかにヒトは生まれたか』で紹介した本などがあります。

f:id:shins2m:20201029175311j:plain本書のカバー表紙の下部

 

本書のカバー表紙には人体骨格標本の写真が使われ、「読書の原点を思い出させてくれる良書! 加藤徹明治大学教授)読売新聞 2019/12/8」「最新の研究が明らかにする、人体進化の不都合な真実――」「各メディアで大反響! 3.5万部突破」とかかれています。

f:id:shins2m:20201029175432j:plain本書のカバー裏表紙の下部

 

また、カバー裏表紙には、「『人体』をテーマに進化の本質を描く知的エンターテインメント」「●ヒトのほうがチンパンジーよりも、じつは『原始的』だった!」「●ヒトは腸内細菌の力を借りなければ、食事も1人でできない!」「●人類よりも優れた内臓や器官を持った生物は山ほどいる!」「●生物の寿命も進化によってつくられた!」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「ヒトは心臓病・腰痛・難産になるように進化した! 複雑な道具を使いこなし、文明を築いて大繁栄した私たちヒトは、じつは『ありふれた』生物だった──。人体は「進化の失敗作」? ヒトも大腸菌も生きる目的は一緒? 私たちをいまも苦しめる、肥大化した脳がもたらした副作用とは? ベストセラー『絶滅の人類史』の著者が『人体』をテーマに、誤解されがちな進化論の本質を明快に描き出した、知的エンターテインメント!」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
  序章 なぜ私たちは生きているのか
第1部 ヒトは進化の頂点ではない
  第1章 心臓病になるように進化した
  第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない
  第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」
  第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係
  第5章 いまも胃腸は進化している
  第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か
第2部 人類はいかにヒトになったか
  第7章 腰痛は人類の宿命だけど 
  第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か 
  第9章 自然淘汰と直立二足歩行 
 第10章 人類が難産になった理由とは 
 第11章 生存闘争か、絶滅か
 第12章 一夫一妻制は絶対ではない 
   終章 なぜ私たちは死ぬのか
「おわりに」



序章「なぜ私たちは生きているのか」では、「生きるようにつくられたのが生物」として、著者は述べます。
「私たちはいろいろなことを考えながら生きている。もちろん、夢を追ったり、人のために努力したりするのは尊いことだ。可能なときは、そういう生産的な行動を積極的にするのもよいだろう。しかし調子が悪いときは、前向きに生きられないこともある。さまざまな事情で自由に生きられない人もいる。そういうときには、私たちは人間である前に、生物であることを思い出すのもよいかもしれない。生物は生きるために生きているのだから、私たちだって、ただ生きているだけで立派なものなのだ。何もできなくたって、恥じることはない。そんな生物は、たくさんいる」



第1部「ヒトは進化の頂点ではない」の第1章「心臓病になるように進化した」では、著者は「血管の内側にコレステロールなどが溜まって、血液が流れにくくなったり血管が硬くなったりすることを動脈硬化という。狭心症心筋梗塞は、冠状動脈の動脈硬化によって起きる。その原因としては、高血圧、高脂血症(血液中の脂肪が増えること)、喫煙、肥満、糖尿病の5つがよく挙げられる。たしかに、これらの原因とされることを注意深く避ければ、狭心症心筋梗塞になる可能性は減るだろう。しかし、それでも完全に避けることはできないようだ」と述べています。



また、「アイスマンが教えてくれること」として、1991年にイタリアとオーストリアの国境付近の氷河から、およそ5300年前のミイラが発見されたことを紹介し、著者は「このミイラはアイスマンと呼ばれ、この付近の山麓に住んでいた可能性が高い。アイスマンは喫煙もしなかっただろうし肥満でもなかっただろうが、遺体の分析から動脈硬化を起こしていた可能性が高いことがわかった。このような狭心症心筋梗塞の徴候は、アイスマンにかぎらずエジプトやペルーなどのさまざまなミイラの分析からも報告されている」と述べます。



さらに、進化は心臓にも優しくないようだと指摘し、著者は「若くて子供がつくれるあいだは心臓にも元気に働いてほしいけれど、そのあとのことまでは考えてくれない。冠状動脈などの心臓の構造は、進化における設計ミスではなくて、進化にとっては理想的な構造かもしれない。ただそれが、私たちにとっては不都合な構造だったということだ。私たちと進化の利害関係は、しばしば一致しない。ときに進化は私たちの敵になる。もしそうなら、私たちも進化の言いなりになっている必要はないだろう。医学や健康な生活習慣は、進化と闘うための武器なのである」と述べるのでした。



第3章「腎臓・尿と『存在の偉大な連鎖』」では、「存在の偉大な連鎖」として、著者は「世界にはさまざまなものが存在する。生きているものも生きていないものも、たくさんある。このような世界の多様性を説明する仕組みとして、中世ヨーロッパのスコラ哲学者たちは『存在の偉大な連鎖』を考えていた。『存在の偉大な連鎖』とは、世界の多様性を石ころから生物、そして神へと上っていく階級制度に置き換えたものだ。ヒトは生物の中では一番上で、天使の下に位置しているとされた。しかし19世紀になると、『存在の偉大な連鎖』の地位が揺らいでいる。生物の多様性を説明する別の考え方が、広まってきたからだ」と述べています。



第2部「人類はいかにヒトになったか」の第7章「腰痛は人類の宿命だけれど」では、「脊椎の不自然な使われ方」として、著者は「もしかしたら、私たちの腰痛の大きな原因は、老化のせいかもしれない。野生の動物は、腰痛が始まる前に死んでしまうだけかもしれない。最近はイヌなどのペットが長生きするようになった。高齢化したペットには、たとえ体重が軽くて四足歩行をしていても、脊柱に問題が起きることが結構あるのである」と述べています。



第9章「自然淘汰と直立二足歩行」では、「なぜチンパンジーはいまも四足歩行か」として、著者は「直立二足歩行をする生物は、人類しかいない。しかし、直立しなくてもよければ、二足歩行をするサルや類人猿はたくさんいる。樹上を二足歩行するサルや類人猿もたくさんいる。約700万年前にその中の1種が直立二足歩行を始めた。もしかしたら、それは私たちでなくてもよかったのかもしれない。他のサルや類人猿でもよかったのかもしれない。進化では偶然も大きな役割を果たしているのである」と述べています。



第12章「一夫一妻制は絶対ではない」では、「人類が類人猿から分かれた理由」として、わたしたち人類が、チンパンジーに至る系統と分かれたのは、およそ700万年前と考えられていることが紹介されます。分かれた理由としては、人類の配偶システムが一夫一妻的なものになったからだという説があるそうです。「オスとメスがいる生物では、オスはたくさんの精子をつくるが、メスは限られた数の子しか産めない。したがって、オスはなるべく多くのメスと交尾して、たくさんの子をつくろうとする傾向がある」。ここまでは、一般論としては正しいだろうとしながらも、著者は「でも、そこから『一夫多妻が本来の姿なのだ』と結論するのは正しくない。それなら、オスとメスがいる生物は、自然淘汰の結果、すべて一夫多妻になるはずである。でも、実際にはそうなってはいない。生物の行動は、そこまで単純ではないのである」



また、著者は「なぜ牙がなくなったか」として、「チンパンジーは多夫多妻的な群れをつくる。群れの中には複数のオスと複数のメスがいて、乱婚の社会をつくる。そのため、メスをめぐってオス同士で争いが起きる。このとき使われるのが、牙だ。この牙で相手を殺してしまうことも珍しくないようだ。ところが人類には牙がない。だから、テレビのドラマを見ていると、犯人が人を殺すのにかなり苦労している。犯人は、拳銃とか刃物とか花瓶とか、わざわざ凶器を使わなくてはならない。チンパンジーなら、噛むだけで済むのに」と述べます。



では、どうして人類には牙がなくなったのでしょうか。この問いについて、著者は「大きな犬歯(牙)をつくるには、小さな犬歯をつくるよりも、多くのエネルギーが必要である。その分、たくさん食べなくてはならない。だから、もしも牙を使わないのなら、犬歯を小さくしたほうがエネルギーの節約になる。したがって、もし牙を使わなければ、自然淘汰によって、犬歯は小さくなっていくだろう。したがって人類は、あまり牙を使わなくなったと考えられる。おそらく、あまりメスをめぐって争うことがなかったのだろう。人類はチンパンジーより平和な生物なのだ」と答えています。



現生の類人猿では、オランウータンと多くのゴリラは一夫多妻、ゴリラの一部とチンパンジーボノボは多夫多妻的な群れをつくるとして、「一夫多妻や多夫多妻の社会では、メスをめぐるオス同士の争いをなくすことは難しい。1頭のメスに、同時に複数のオスが集まるからだ。一方、一夫一妻的な社会では、メスをめぐるオス同士の争いは、一夫多妻や多夫多妻の社会よりも穏やかになる。そのため、約700万年前の人類は、一夫一妻的な社会をつくるようになったので、オス同士の争いが穏やかになり、犬歯が小さくなった可能性がある。だから、一夫一妻的な社会を仮定すれば、犬歯が小さくなったことを説明できる。ところがそれだけでなく、直立二足歩行を始めたことも説明できるのである」と述べます。



「難産と社会的出産」として、著者は人間の脳が進化によって大きくなってきたことを指摘し、「脳が大きくなることによって進化した特徴の1つは難産だ。難産については第10章で述べたが、簡単にまとめれば、人類は直立二足歩行をすることによって、少し難産になり、脳が大きくなることによって、さらに難産になった。ヒトはすべての哺乳類の中で、もっとも難産な種の1つである」と述べています。また、「難産になったため、出産には誰かがつき添うことが多い。現在では医療機関で出産することも多いが、かつては出産する女性の母親や姉妹や親族の女性などが、つき添うことが普通だった。このように、出産中に誰かがつき添う社会的出産は、単なる文化的なものではなく、何十万年も前から行われてきた生物学的なものである可能性がある」と述べます。



著者によれば、ヒトは脳が大きくなって、行動が複雑になったことは確かだといいます。そのため、行動の選択肢が増えて、いろいろな配偶システムでもやっていけるようになり、生まれた場所の文化にしたがって、そこの配偶システムに馴染んでいけるようになったのではないだろうかと推測しています。そして、「私たちは一夫一妻制に向いていないのか」として、著者は「私たちヒトは世界のさまざまな地域に住み、その地域によって、さまざまな配偶システムが存在する。一夫一妻も、一夫多妻も、多夫一妻も、多夫多妻も存在する。ヒトの行動には柔軟性があり、どの配偶システムでもそれなりにうまくやっていけるのだろう。それでも一番多いのは一夫一妻だ。子供の世話が大変なので、ゆるやかに一夫一妻に向かう進化傾向があるのかもしれない。しかし、そういう進化傾向があったとしても、文化的な影響のほうが大きいのだろう。そのため、さまざまな配偶システムが存在していると同時に、一夫一妻が多数を占めているのではないだろうか」と述べるのでした。



終章「なぜ私たちは死ぬのか」では、「細菌は40億歳」として、著者は「昔の生物は死ななかった。でも、私たちヒトは必ず死ぬ。どうしてだろうか。なぜ昔の生物は死ななかったかというと、細菌かそれに似た生物しかいなかったからだ。もちろん細菌も、環境が悪くなったり事故にあったりすれば、死ぬことはある。でも、好適な環境にいれば、細胞分裂を続けながら永遠に生き続けることができる」と述べています。また、「地球上に生物がいた最古の証拠は、約38億年前のものである。生物が生まれたのは、とうぜん最古の証拠よりも前のはずだから、ざっと40億年ぐらい前のことだろう。ということで、とりあえず細菌が生まれたのを約40億年前とすれば、現在生きている細菌は約40億年のあいだ生き続けてきたことになる。つまり、細菌に寿命はないのだ。無限に細胞分裂を繰り返すことができるのだ」とも述べています。

 

また、「寿命は進化によってつくられた」として、最高齢の記録には不確実なものが多く、どこまでを事実と考えてよいのか難しいけれど、少なくともフランス人のジャンヌ・カルマン氏(女性、1997年没)が122歳まで生きたのは確実とされていることが紹介されます。著者は、「おおよそこの辺りが、私たちの寿命の上限と考えてよいだろう。いくら好適な環境で生きていても、永遠には生きられないのだ」と述べます。現在では、世界一の長寿者は日本の田中カ子さんです。現在118歳の福岡県福岡市東区在住の長寿の女性ですが、日本並びにアジアの歴代最高齢者となっています。世界最高齢者であった都千代さんが2018年7月22日に死去して以来、長寿世界一並びに日本一となりました。



さらに、「『死』が生物を生み出した」として、著者は「自然淘汰が働くためには、死ぬ個体が必要だ。自然淘汰には、環境に合った個体を増やす力がある。しかし、なぜそういうことが起きるかというと、環境に合わない個体が死ぬからだ」「死ななくては、自然淘汰が働かない。そして、自然淘汰が働かなければ、生物は生まれない。つまり、死ななければ、生物は生まれなかったのだ。死ななければ、生物は、40億年間も生き続けることはできなかったのだ。『死』が生物を生み出した以上、生物は『死』と縁を切ることはできないのだろう。そういう意味では、進化とは残酷なものかもしれない」と述べるのでした。



「おわりに」では、死なないようにする行動、つまり生きようとする行動は、すべて生存闘争だとして、著者は「寒くて凍えそうだから、少しでも暖かくなろうと思って、手を擦り合わせる。それも生存闘争なのだ。気持ちよく晴れた春の午後。木々の梢を飛び回る小鳥たちが楽しそうにさえずっている。そんな小鳥たちは、いま何をしているのかというと・・・・・・、もちろん生存闘争をしているのだ。そよ風が吹く草原で、ウシが草を食んでいる。森林性の動物たちとは棲み分けて、のんびりと暮らしている。そんなウシたちが、いま何をしているのかというと・・・・・・、もちろん生存闘争をしているのだ」と述べています。



地球の大きさが有限である以上、生存闘争は必ず起きるとして、著者は「平和な風景で中の生物を見ていると、つい見逃してしまいがちだけれど、いつでもどこでも生存闘争は起きているのである。そして生存闘争というのは、自然淘汰が働くための必要条件である。小鳥たちには空を飛ぶのに適した翼がある。ウシたちには草原を走るのに適した蹄がある。これらは自然淘汰でつくられたものだ。したがって、そういう翼や蹄があることが、生存闘争が起きている証拠なのだ」と述べます。



さらに、「生存闘争」という言葉がよくないのかもしれないという著者は、「『自分の命を大切にすること』とでも言い換えればよいのかもしれない。『生存闘争』とはかなりイメージが異なるけれど、同じ意味だから。小鳥たちが飛び回る木々の梢や、そよ風が吹く緑の草原を生み出した進化をどう見るか。自分の命を大切にする平和な進化と見るか、生存闘争による残酷な進化と見るか。いや、そのどちらも正しい。それは単なる見方の問題であって、実際には1つのものを別の面から見ているだけにすぎない」と述べます。

 

そして、最後に著者は「ヒトは単なる生物の1種である。でも、おそらくは脳が大きいために、自分を特別視するくせがついてしまったのではないかと思う。でも、そういう視点は、ヒトという種を見るときにも、他の生物を見るときにも、目を曇らせてしまうだろう。とはいえ、あるがままに見るというのは、なかなか難しいことでもある。それは、ときに残酷なものを見なければならないから。『世界をあるがままに見たうえで、それを愛するには勇気がいる』。フランスの文学者、ロマン・ロランが言ったことは、ヒトの進化を考えるときにも当てはまるようである」と述べるのでした。前作『宇宙からいかにヒトは生まれたか』に続き、本書もロマン・ロランの素敵な言葉で締め括られました。著者の本は、科学を語っていながら、いつも文学の香りが漂っています。

 

 

2021年2月22日 一条真也