「フューネラルビジネス」取材

一条真也です。
26日の小倉は朝から雨でした。13時から全互協の「互助会経営者及びコンプライアンス責任者研修会」にサンレー本社でリモート参加した後、業界誌のインタビュー取材を受けました。総合ユニコムが発行している「月刊フューネラルビジネス」の取材です。 

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この日は、小倉織のマスクを着けました

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インタビュー取材のようす

 

同誌はフューネラル業界のオピニオン・マガジンとして知られています。互助会経営者には、基本的に同業者が読む業界誌の取材を受けたがらないという傾向がありますが、わが社は「天下布礼」の旗を掲げていますので、少しでも業界発展のためになるならとインタビューをお受けしました。また、今回は新刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)の話も聞きたいということなので、万障繰り合わせて時間を作りました。わたしは、ネクタイに合わせて紫色の小倉織のマスクを着けてインタビューを受けました。

f:id:shins2m:20210226140445j:plain鬼滅の刃」の話をしました

 

鬼滅の刃」という社会現象になった物語は、わたしが研究・実践している「グリーフケア」の物語です。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して、鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

f:id:shins2m:20210226162028j:plain「鬼滅」は供養の大切さを説いた 

 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。

f:id:shins2m:20210226142324j:plain日本一慈しい鬼退治 とは?

 

さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。『鬼滅の刃』は、まさに現代のグリーフケア物語そのものです。“癒し”を求める現代社会がこの作品を欲しているのも大いにうなづけます。

f:id:shins2m:20210226142947j:plain昨夏は異常な夏だった!

 

令和2年、改元の翌年にわたしたちが迎えた夏は極めて異常なものでした。新型コロナウイルスによってあらゆる行動が制限を受け、ビフォー・コロナどおりの行動をそのまま継続できた例はほとんどなく、さまざまなことが「密」を避けるために変化を求められました。これは夏に行われる祭事、すなわち夏祭りや盆踊りも例外ではありませんでした。全国の花火大会もコロナ禍を要因に中止されました。

f:id:shins2m:20210226144140j:plain祭りの目的とは何か?

 

民俗学者の畑中章宏氏は、「日本の人々がこれまで続けてきた祭りのほとんどは、祖霊を供養するためと、疫病除去の祈願のためだったといっても言い過ぎではない」と指摘しています。確かに、日本の祭礼の目的は(稲の豊作祈願を含めた)祖霊祭祀と病疫除去にあったと考えて間違いありません。そして、その中でもいわゆる夏祭りは、病疫退散が主たる目的といえるものが少なくありません。これは夏という季節が、暑さによる人間の生命力低下とともに、病魔が広がりやすくなる季節であることが理由として挙げられます。

f:id:shins2m:20210226144124j:plain誰が「祖霊祭祀」と「疫病除去」を担うのか?


コロナ禍における祭礼のあり方は、日本人の「こころ」を安定させるためにも今後早急に検討されなければなりません。しかし、現在の状況の中で一縷の望みがあるとすれば、それは「まつりのあるべき姿」や「先祖祭祀のありかた」を見直す声が出ていることでしょう。コロナ禍の現状、ことごとく祭礼が中止されました。その中で生じる最大の問題は、夏祭りや盆踊りが担っていた祖霊祭祀と疫病除去という役割を、誰が担うのかというものです。その答えの1つが、わたしは『鬼滅の刃』という作品だったと思います。

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鬼滅現象とはコロナ禍での「祈り」であり「祭り」!
 

夏祭りは先祖供養であると同時に、疫病退散の祈りでした。それが中止になったことにより、日本人の無意識が自力ではいかんともしがたい存在である病の克服を願い、疫病すなわち鬼を討ち滅ぼす物語であり、さまざまな喪失を癒す物語でもある「鬼滅の刃」に向かった側面があるのではないか? わたしは、そのように考えます。そう、「鬼滅の刃」現象とはコロナ禍での日本人の「祈り」であり、「祭り」だったのです。

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質問をお聴きしました 

 

さらに、「アフター・コロナの葬祭業」について質問を受けました。コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。結婚式は行われず、葬儀の参加者も減少する一方です。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も悲惨でした。

f:id:shins2m:20210226140605j:plainもう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来る!

 

14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。

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グリーフケアについての質問に答える 

 

インタビューの最後には、グリーフケアについての質問も受けました。わたしは、グリーフケアの普及が、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題と位置づけています。上智大学グリーフケア研究所客員教授として教鞭をとりながら、社内で自助グループを立ちあげグリーフケア・サポートに取り組んでいます。2020年からは、副会長を務める全互協と同研究所のコラボが実現し、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組んでいます。このあたりを、話せる範囲でお話しました。

 

 

2021年2月26日 一条真也