一条真也です。2月27日は満月です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「月光経営」という言葉を取り上げることにします。『孔子とドラッカー』(三五館)で初めて提示した言葉です。
『孔子とドラッカー』(三五館)
月光経営とは、北風経営でも太陽経営でもない「第三のマネジメント」です。リストラの嵐を吹きつけ社員を寒がらせる北風経営でもなく、ぬくぬくと社員を甘やかす太陽経営でもなく、月光のような慈悲と徳をもって社員をやさしく包み込むものです。心の経営、すなわち「ハートフル・マネジメント」のイメージそのものです。
慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくる月光
企業経営において利益が重要視されるのは当然ですが、利益とは影のようなものだと言えます。例えば、太陽のような意味のある実態を考えてみると、太陽は照るときもあれば、照らないときもあります。しかし地球上のどんなところでも、冬の北極でも南極でも、一年中一度も太陽が照らないということはありません。そして、太陽が照ると、影ができます。そんなものはいらないと言っても、太陽という実態が照れば影はできるのです。
別府湾の満月(撮影:一条真也)
ビジネスでは、世の中の人に役立つような商品あるいはサービスを提供します。場合によっては、人々はそれに見向きもせず、買ってくれないかもしれません。利用してもらえないかもしれない。でも本当に価値のある商品、意味のあるサービスであれば、必ずその値打ちを認めてくれる人が現われます。そういう認めてくれる消費者、ユーザーが必ず出てきます。それは、いわば太陽のような存在です。
真価を認めてくれる人がいれば、売上は必ず立ち、そういう人がたくさんいれば、要らないと言ってもできる影のように、必ず利益があがるのです。しかし、灼熱の太陽があまりも異常な利益が出し濃い影が浮かび上がったとき、あまりの暑さや日射病を避けるため、人々は木陰や建物の中に逃げ込み、濃い影は一瞬にして消滅してしまいます。それが、バブル崩壊だと言えるでしょう。
低成長時代においては、太陽よりも月が必要となります。暑くもなく、日射病になる心配もない月光はいつまでも地上を照らしていてくれます。また、高度成長期において、私たちはいたずらに「若さ」と「生」を謳歌してきましたが、すでに到来している超高齢社会は「老い」と「死」に正面から向かい合わなければならない時代の訪れを告げています。太陽から月への主役交代とは、それらを見事に象徴しているのです。
慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくるものこそ月光経営です。各企業がそれぞれの社会的使命を自覚し、世の人々の幸福に貢献し、徳業となることをめざすならば、その結果として利益という月の影ができるのです。経営とは、満月の夜の影踏みのような最高の遊びではないでしょうか。わたしは、そのように考えます。
2021年2月27日 一条真也拝