人間というものは時の上にあるのだ。過去というものがあってわたしというものがあるのだ。過去が現存しているという事が又その人の未来を構成しているのだ。
(西田幾多郎)
一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、日本を代表する哲学者である西田幾多郎(1870年~1945年)の言葉です。西田は石川県生まれで、京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者です。
西田は、日本人として初めて哲学を著したといわれています。彼の主著『善の研究』はわたしの愛読書の1つです。西田の周りには多くの死がありました。しかもそれは肉親の死です。姉・弟、そして2人の娘に長男です。彼はそうした別れの中で、自分の哲学を追究し続けます。彼は多くの悲しい別れの悲しみを「時間」というもので乗り切ってきたのかもしれません。
わたしの仕事の1つに悲嘆をケアする(グリーフケア)というものがあります。人生には愛する者との死別をはじめ、さまざまな悲嘆があります。わたしたちは、悲しみの淵にある人に対し、往々にして「時間が解決してくれますよ」という言葉をかけてしまうことがあります。
でも、そこには具体的な長さはありません。1年かければ忘れられるのか、10年かければ立ち直れるのか。逆に時間が経てば深まる悲しみもあります。肉親の死を残り超えてきた西田の言葉には、経験者ゆえの重みを感じます。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。
2021年2月27日 一条真也拝