命には続きがある、だから供養が必要だ!

一条真也です。
3月1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第32回目がアップされました。今回のタイトルは、「命には続きがある、だから供養が必要だ!」です。 

f:id:shins2m:20210226093718j:plain「命には続きがある、だから供養が必要だ!」

 

「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)に続く今年2冊目の著書が発売されました。東京大学名誉教授の矢作直樹氏との対談本である『命には続きがある』(PHP文庫)です。2013年6月に刊行された同タイトルの単行本(PHP研究所)を文庫化したものですが、目玉は、7年ぶりの特別対談。同書の序章「ウイルスとともに生きていく」としてまとめられています。わたしは、コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されたことを話しました。儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えます。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」なのです。

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。ですから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは、先に「かたち」があって、後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか? 
それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。だから、その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があります。

 

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀は行うことができませんでした。ご遺体はご遺族と一切会えないまま荼毘に付され、ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになりました。

 

葬儀後の一連の法要も大切です。そのことを痛感したのが、2011年の夏でした。同年の3月11日に発生した東日本大震災の被災地では、犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要でした。通夜、告別式、初七日、四十九日・・・・・と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスだからです。まさに、葬送の儀礼は日本における最大のグリーフケア・システムでしょう。命には続きがあります。だから、供養は必要なのです!

 

命には続きがある (PHP文庫)

命には続きがある (PHP文庫)

 

 

2021年3月1日 一条真也