ハロウィンの暴徒

一条真也です。
石垣島に来ています。29日は「八重山第二紫雲閣新築起工式」に参列した後、石垣空港から東京に飛びます。台風26号の襲来を心配していましたが、どうやら大丈夫そうです。よかった! 朝食前にホテルのプライベート・ビーチを散歩しました。やはり、波の音を聴いていると癒されます。

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朝のビーチを散歩しました

 

ところで、朝食後に客室に帰ってテレビをつけたら、昨夜繰り広げられた東京・渋谷でのハロウィンの馬鹿騒ぎについて報道していました。なんでも暴徒と化した連中がセンター街に迷い込んだ軽トラックの荷台に飛び乗り、最後は横倒しにしたそうです。これは明らかな犯罪であり、とんでもないことです。周囲には多くの外国人もいたようですが、まったく暴徒たちは「日本人の恥」です。テレビ局も顔にモザイクなどかけずに、暴徒の顔をそのまま放送すればよかったのに!
この夜の渋谷は痴漢や盗撮で逮捕された者も多かったとか。まったく、とんでもない連中です!

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TBS「ビビット!」より

 

それにしても、日本にはまったく馴染みのなかったハロウィンがここまで浸透するとは予想しませんでした。渋谷ではワールドカップの日本勝利後にも馬鹿騒ぎが繰り広げられますが、楽しむのは自由ですは、反社会的行為におよぶ暴徒は絶対に許せません。わたしの知人で「渋谷でのワールドカップやハロウィンの馬鹿騒ぎも儀式のひとつ」と言う人がいるのですが、わたしはそうは思いません。儀式や祭りと単なる馬鹿騒ぎを一緒くたにしてはなりません。それでは、儀式の本質を見失ってしまいます。


サンデー毎日」2015年11月8日号

 

ブログ「ハロウィンは死者の祭り」にも書いたように、もともとハロウィンとは日本のお盆のように死者を供養する年中行事です。けっして仮装して馬鹿騒ぎをするだけが目的ではありません。拙著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)にも書きましたが、年中行事のニューウェ―ブであるハロウィンがこれからクリスマスのように完全に日本に定着するどうかは、「日本人を幸せにすることができるか」という一点にかかっています。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

 2018年10月29日 一条真也

石垣島の夜

一条真也です。
石垣島に来ています。ブログ「石垣島グラウンド・ゴルフ大会」で紹介したイベントが無事に終わった打ち上げと、翌日の「八重山第二紫雲閣新築起工式」の打ち合わせを兼ねて、28日の夜はサンレー沖縄関係者の食事会が開かれました。

f:id:shins2m:20181028185957j:plain「ひとし石敢當店」の前で

 

食事場所は「ひとし石敢當店」でした。ブログ「石垣島に着きました」で紹介した「ひとし」の二号店で、マグロ料理の名店です。昨夜訪れた「炭火焼肉やまもと」と同じく、数カ月先まで予約でいっぱいの超人気店です。

f:id:shins2m:20181028181608j:plainマグロの兜煮

f:id:shins2m:20181028180859j:plain石垣牛握り寿司 

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これは旨い!

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イカスミ焼きそば

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これまた絶品!

 

「ひとし石敢當店」では、新鮮なお造り盛り合わせ、カツオの叩き、海鮮サラダ、マグロの兜煮、石垣牛握り寿司、イカスミ焼きそばなどを食べました。どれも、びっくりするほど旨かったです。オリオン生ビールに泡盛も進みました。

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トイレの内部のようす

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石垣島のキジムナー

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素晴らしい名言を発見!

 

「ひとし石敢當店」はトイレも素晴らしかったです。
八重山保健所」の貼り紙の下に2枚の木の札のようなものがありました。1枚は石垣島の妖怪「キジムナー」の絵が描かれていましたが、もう1枚は名言のようなものでした。それには次のように書かれていました。
「一日だけ 幸せでいたければ 床屋に行け
 一週間だけ 幸せでいたければ 車を買え 
 一ヶ月だけ 幸せでいたければ 結婚をしろ
 一年だけ 幸せでいたければ 家を買え
 一生 幸せでいたければ 正直に生きろ」 


本当は「涙そうそう」を歌いたかった! 

 

素晴らしい名言に触れて、わたしは感激しました。
食事の後はカラオケに行きたかったのですが、あいにく日曜日でお休みでした。石垣島に来ると、いつも寄る店があるのです。それは、歌手の夏川りみサンの実家スナックである「花あかり」です。前回の石垣島訪問では、「花あかり」で夏川さんの名曲「涙そうそう」を熱唱しました♪ 夏川さんのお母さんとお姉さんにもお会いしました。


夏川りみサンのお姉さん、お母さんと

 

前回は「出版寅さん」こと内海準二さんも一緒でした。内海さんといえば、このたび息子さんがご結婚されました。おめでとうございます!
店が休みでは仕方ないので、おとなしくホテルに帰りました。29日は、「八重山第二紫雲閣新築起工式」に参列後、石垣空港に直行して、東京に飛びます。

 

2018年10月29日 一条真也

石垣島グラウンド・ゴルフ大会

一条真也です。
石垣島に来ています。昨夜は久々に安眠できました。
28日の9時から「第13回サンレー旗親睦グラウンド・ゴルフ大会」が開催。
かなり陽射しが強かったですが、台風26号の影響で風も非常に強くて、わたしはヅラが吹っ飛ぶのではないかと心配でした。

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グラウンド・ゴルフ大会が開催されました

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石垣島の青空に翻るサンレー

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優勝旗返還のようす

f:id:shins2m:20181028091204j:plainトロフィーのレプリカを授与

 

じつに350名もの参加者が集まりましたが、開会式で前回大会の優勝旗返還のセレモニーが行われ、わたしが受け取りました。それから、トロフィーのレプリカを授与させていただきました。そして、わたしが大会長挨拶をしました。

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350名が参加しました

f:id:shins2m:20181028091232j:plain大会長挨拶をしました

 

わたしは、最初に以下のように述べました。「おはようございます。サンレーの佐久間でございます。本日は大変お忙しい中、第13回サンレー旗親睦グラウンド・ゴルフ大会にこのように多数ご参加頂き、また、この伝統ある大会に、わたしどもサンレーが協賛させて頂き誠にありがとうございます。本日、このように盛大に開催の運びとなりましたことを、八重山グラウンド・ゴルフ協会様ならびに本日お越しの皆様には感謝申し上げます」

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大会長挨拶のようす 

 

それから、わたしは以下のように述べました。
「さて、わたしどもサンレー石垣島にて葬儀は紫雲閣、衣裳はアフロディーテと日頃から冠婚葬祭を通じて皆様には大変お世話になっております。ひとえに地域の皆様方のご支援のおかげと心から感謝いたしております。わたしどもサンレーでは、このような大会を通じて『健康』『生きがい』『仲間』『交流』づくりのお手伝いをさせていただいて、生涯スポーツとしてのグランドゴルフが普及・発展することを願うとともに、少しでも皆様方との結びつきを深め、お役立にたてればと考えております」

f:id:shins2m:20181028091350j:plain大会長挨拶のようす

 

最後に、わたしは以下のように述べました。
「今回もサンレーから1チーム参加させていだいております。皆様の足でまといにならないよう頑張りますので、どうか皆様におかれましては、日頃の練習の成果をいかんなく発揮され、楽しく素晴らしい大会になることを祈念いたしまして、開会のご挨拶とかえさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします!」
盛大な拍手を受けて、わたしは降壇しました。

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選手宣誓のようす

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チャーミングな言い間違えに笑みがこぼれる

 

それから、協会会長によるルール説明の後、選手宣誓がありました。選手宣誓も、わたしが大会長としてお受けしました。女性の方が宣誓をされたのですが、かなり緊張しておられて、最後の日付のところで「平成30年」というところを「昭和30年」と言い間違えをされました。わたしが小声で「平成ですよ」と言うと、その方は「ありゃー、すみません!」と大きな声をあげられました。その様子があまりにもチャーミングで、思わず笑みがこぼれました。高齢の方だったのですが、わたしは「この方にとっては平成よりも昭和のほうが身近だったのだろうな。人生の重みを感じるなあ」と思いました。

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これから始球式です

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狙いを定めて打ちました

 

それから、大会長、協会会長、大会副会長、宣誓者、最高齢者2名による始球式が行われました。トップバッターのわたしは狙いを定めて打ったのですが、風が強くてわずかに逸れてしまいました。始球式といえば、わたしはブログ「グラウンド・ゴルフ大会」で紹介した2011年11月5日に開催されたサンレー北九州主催の北九州市八幡西区の穴生ドームでの「グラウンド・ゴルフ決勝大会」の始球式でホール・イン・ワンをしたことを思い出しました。いよいよ試合開始です。

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プレーのようす

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プレーのようす

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元気な高齢者に感動しました

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最後までプレーを観戦しました

 

じつに4時間にわたって熱戦が繰り広げられました。
この日は90歳以上の方もたくさんおられましたが、みなさん元気にプレーされていました。その様子を見て、わたしは感動をおぼえました。

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1人づつ記念品をお渡ししました

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1人づつ記念品をお渡ししました

 

15時からは閉会式が開催され、成績発表の後、まずは飛び賞から始まって、わたしが商品授与を行いました。それから、団体と個人の両方の表彰式を行いました。優勝チームとは記念撮影をさせていただきました。みなさん、とても嬉しそうでしたが、わたしが賞状や記念品をお渡しするたびに深々と礼をされる姿に感銘を受けました。

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表彰式のようす

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優勝旗授与のようす

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優勝チームと記念撮影

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最後は大会長挨拶をしました

 

それから、最後は大会長挨拶です。
わたしは、以下のように述べました。
「皆様、本日はお疲れ様でございました。成績はいかがでしたでしょうか? 豪華景品をゲットされましたでしょうか? 今日は天候にも恵まれ大変素晴らしい大会になり、本当にありがとうございました。皆様は今日帰られましたら、美味しいものを食べて飲んで、ゆっくり休養して、明日からの活力源として英気を養い、これからもご活躍ください。また来年も行いますので、その時はどうぞよろしくお願いします!」

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今後ともサンレーをよろしく!

 

そして、わたしは「それでは、八重山グラウンド・ゴルフ協会様の益々の発展と、本日ご参加の皆様のご健勝、ご多幸を祈念して挨拶とさせていただきます。今後ともサンレーをよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございました!」と述べたのでした。盛大な拍手を受けて、わたしは降壇しました。こうして、「第13回サンレー旗親睦グラウンド・ゴルフ大会」は終了しました。もちろん、これからも毎年開催する予定です。

 

2018年10月28日 一条真也

石垣島の朝

一条真也です。
石垣島に来ています。ブログ「法令試験」で紹介した出来事以来、寝不足が続いていました。神経が高ぶっていたせいかもしれませんが、昨夜は久々に安眠できました。石垣島の太陽の光、海の波の音、それから石垣牛を腹いっぱい食べたせいかもしれません。

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夜明けの海はブルー

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陽光きらめく海に変わっていきました

 

とはいえ、6時前には目が覚めました。気分は爽快です。ホテル客室のオーシャン・ビューのバルコニーから海が見えます。夜明けの時間にはブルーだった海の色が太陽が高く昇るにつれて次第に陽光きらめく海に変わっていくさまを眺めました。

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さとうきび畑を訪れました

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さとうきび畑にて

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ざわわ、ざわわ、ざわわ♪

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石垣島の石垣の前で

 

朝食後、かりゆし姿で島内を散歩しました。
昨日に続いて、さとうきび畑も訪れました。それにしても、さとうきびの大きさには圧倒されます。空の青さと雲の白さが眩しかったです。もちろん、ずっと「ざわわ、ざわわ、ざわわ♪」とリフレインしていました。
9時から「第13回サンレー旗親睦グラウンド・ゴルフ大会」が開催されます。わたしは大会長として参加します。それでは、行ってきます!

 

2018年10月28日 一条真也

石垣島へ!

一条真也です。
27日の朝、福岡空港からANA1869便に乗って石垣島に向かいました。28日に開催される「第13回サンレー旗親睦グラウンド・ゴルフ大会」、および29日に行われる「八重山第二紫雲閣」の新築工事起工式に参加するためです。福岡は少し肌寒かったですが、これから南の島に向かうので、わたしは夏の装いでした。

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福岡空港の搭乗口で

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この小さな飛行機に搭乗しました

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ランチは「叙々苑コムタンクッパ」(500円)

 

福岡空港に向かう道がけっこう渋滞していて、けっこうギリギリの時間に到着しました。くわえて、現在の福岡空港は工事中で日本一不便な空港になっています。昼食も取らずに、わたしは11時半発の飛行機に飛び乗りました。
小さな飛行機でしたが、ランチ・メニューとして「叙々苑コムタンクッパ」(500円)を販売していたので、それを食べました。

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機内で小説を読みました

 

燃えつきるまで (幻冬舎文庫)

燃えつきるまで (幻冬舎文庫)

 

 

食後は、『燃えつきるまで』唯川恵著(幻冬舎文庫)という小説を読みました。2002年に発表された作品ですが、結婚を約束していた恋人からふられるという失恋をテーマとしており、一種のグリーフ小説でした。非常に面白く、夢中で読み耽りました。わたしは「グリーフケアは、死別だけでなく、失恋、離婚、一家離散、倒産などを経験した人にも必要だ」と改めて思いました。

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石垣島が見えてきました 

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石垣空港に到着しました

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お~りと~り八重山

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南ぬ島・石垣空港の前で

 

あと機内では、なんと、ブログ「天使」ブログ「天使との再会」などで紹介した書家の金澤翔子さんにお会いしました。わたしのすぐ斜め後ろの席だったのですが、わたしが「翔子さん、お久しぶり! 一条ですよ!」と言うと、とても喜んでくれて手を差し出してくれました。わたしたちは握手を交わしました。わたしも、とても嬉しかったです。翔子さんのお母様の金澤泰子さんとも久しぶりにいろいろとお話しさせていただきました。

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八重山紫雲閣の前で

f:id:shins2m:20181027145852j:plain日本最南端の互助会施設です!

 

石垣空港に到着すると、サンレー沖縄の黒木事業部長と下野ブロック長が迎えに来てくれていました。車に乗り込んでホテルに向かう間に、それから、八重山紫雲閣の前を通りました。ここは、日本最南端の互助会施設であります。社員のみなさんに声をかけようかと思ったのですが、ちょうど大きな葬儀が終わったところで、黒いかりゆしを着た参列者の方々が出てこられるところだったので、顔を出すのは諦めました。

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さとうきび畑

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さとうきびの背の高いこと!

f:id:shins2m:20181027150738j:plainざわわ、ざわわ、ざわわ・・・


 

 

それから、さらに車で走っていると、さとうきび畑が見えました。せっかくなので車から降りて写真を撮りましたが、わたしはずっと、「ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・」とリフレインしていました。もちろん、森山良子の名曲「さとうきび畑」の歌詞の一節であります。

f:id:shins2m:20181027183658j:plain炭火焼肉やまもと」の前で

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最高の石垣牛でした

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うー、こりゃ、うめ~!

f:id:shins2m:20181027190350j:plainホルモンも旨かった!

 

夜は名店として知られる「炭火焼肉やまもと」で最高の石垣牛に舌鼓を打ちながら、黒木事業部長、下野ブロック長、大濱支配人と4人で明日・明後日の打ち合わせをしました。ここは超有名な店で数カ月先まで予約がいっぱいです。わたしの父である佐久間会長がここの大将や女将さんと親しいとのことで、入店できました。大濱支配人は当ブログの大ファンだそうで、毎日楽しみに読んでくれているそうです。彼と格闘技やプロレスの話などをしているうちにお腹もいっぱいになり、泡盛で心地良く酔いました。

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石垣島の海に癒される 

 

ホテルの客室は、オーシャン・ビューで眺めが最高でした。海を眺めていると、なんだか癒されます。じつはブログ「法令試験」で紹介した出来事以来、寝不足が続いています。毎日疲れてはいるのですが、2~3時間しか眠れないのです。試験で極度の興奮状態になったために副交感神経がおかしくなったのかもしれません。もともと睡眠時間は長いほうではありませんが、さすがに体が辛いです。毎晩なんだかんだで酒は飲んでいるのですが、いくら飲んでも熟睡できません。でも、石垣島の昼間の太陽の光を浴びて、夜の波の音を聴いていると、「今夜は熟睡できるかも」と思いました。

 

2018年10月27日 一条真也

ドラッカー講義

一条真也です。26日の九州は雨でした。
なにはともあれ、法令試験が終わって一安心です。
しかしながら、わが「天下布礼」に休みはありません。
わたしは、九州国際大学九国大、KIU)の客員教授として「教養特殊講義」を担当しています。その講義が26日の16時20分から行われました。

f:id:shins2m:20181026155658j:plain九州国際大学のキャンパスで

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前回の講義の質問を紹介

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質問について真摯に答えました

 


ブログ「孔子講義」で紹介したように、前回は10月19日に「孔子からのメッセージ」と題した特別講義を行いました。前回の評判がクチコミで広まったようで、この日は前回同様に200名もの学生さんが受講してくれました。登壇したわたしは、「九国大の学生さんたちが幸せな人生を送るヒントになるような内容のある講義をしたいと思います」と述べました。それから、前回の講義の質問について真摯に答えました。

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今日のドラッカーについての講義です

f:id:shins2m:20181026163502j:plainドラッカー思考』の内容に沿って話しました

 

この日は、『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)の内容に沿って、「自己実現」「マネジメント」「マーケティング」「イノベーション」「リーダーシップ」「未来創造」という6つのドラッカー思考を紹介し、自分の考えも述べさせていただきました。

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ドラッカー思考の例

f:id:shins2m:20181026164020j:plainドラッカー著書と功績を紹介

 

2001年10月に冠婚葬祭会社の社長就任以来、わたしは経営学ピーター・ドラッカーの全著作を精読し、ドラッカー理論のもとに会社を経営していると自負しています。彼の遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)に感動し、同書をわたし個人に対するドラッカーからの問題集ととらえ、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)というアンサーブックを上梓したくらい彼をリスペクトしています。そして、2009年のドラッカー生誕100周年の年に『ドラッカー思考』を上梓したのです。

f:id:shins2m:20181026164559j:plainドラッカーからの問いに答える

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大教室がいっぱいに!

 

「マネジメントの父」とも呼ばれたドラッカーは、世界最高の経営思想家でした。経営学そのものの創始者でもあります。ウィーン生まれですが、ナチスを嫌ってアメリカに移住し、長らくカリフォルニア州クレアモント大学の大学院で教授を務めていました。20世紀において、世界のビジネス界に最大の影響を与えた思想家であり、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいち早く知らせるとともに、「マネジメント」という考え方そのものを発明しました。また、マネジメントに関わる「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」、そして「選択と集中」などの理念の生みの親で、それらのコンセプトを発展させました。

f:id:shins2m:20181026164857j:plainマルクスvsドラッカー

f:id:shins2m:20181026165325j:plainドラッカー思考(1)自己実現

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君たちは何になりたいのか?

 

ドラッカーは、「自己実現」の大切さを強調してきました。
そして、そのための「自己刷新」や「自己啓発」の大切さを説きました。わたしは、よく講演などで若いビジネスピープルに「自己刷新」という考え方を伝えています。今日も学生さんに、「あなたは何によって記憶されたいか?」「あなたは何をしているのですか?」「あなたは何になりたいですか?」といった問いを投げかけ、自己刷新・自己啓発自己実現の重要性を訴えました。

f:id:shins2m:20181026165741j:plainドラッカー思考(2)マネジメント

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会社は社会のもの

 

それから、「マネジメント」について語りました。
「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされています。
ドラッカーが発明したマネジメントとは何でしょうか。ドラッカーは、『新しい現実』(上田惇生訳・ダイヤモンド社)で、こう述べています。
「マネジメントとは、人にかかわるものである」
「マネジメントの機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである」
「マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である」
このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのです。
そして「会社は社会のもの」というドラッカー思考のキモを説明しました。

f:id:shins2m:20181026170222j:plainドラッカー思考(3)マーケティング

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わが社が提供するもの

 

ドラッカーは、企業の2つの基本的機能として、マーケティングイノベーションを定めました。また、「顧客の創造」としてのマーケティングと「価値の創造」としてのイノベーションを、マネジメントに不可欠の2つの要素と位置づけてもいます。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」と問うことが重要なのです。顧客を満足させることこそ、会社の使命であり、目的です。そして、自社が何の会社であるかを明らかにできるのは顧客のみです。自社がどのような顧客の欲求に対応し、どのような顧客満足に貢献しようとしているのかによって定められるのです。わたしは、自身が経営するサンレーが何を売っているかということも話しました。

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ブルー・オーシャン戦略について

 

それから、「イノベーション」について話しました。
ドラッカーは、企業の2つの基本的機能として、マーケティングイノベーションを定めました。また、「顧客の創造」としてのマーケティングと「価値の創造」としてのイノベーションを、マネジメントに不可欠の2つの要素と位置づけてもいます。ドラッカーの師である経済学者シュンペーターは何よりも「イノベーション」という考え方を重視しました。資源を陳腐化した古いものから新しい生産性の高いものへと移すイノベーションこそ、経済の本質であると主張し、その基盤となる「起業家精神」の存在を重視しました。起業家の行う不断のイノベーションが経済を変動させるというのです。

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明治維新とは何だったのか?

 

そして、「リーダーシップ」について語りました。ドラッカーが唱えた「チェンジ・リーダー」についての説明を行い、人類史上最大の社会的イノベーションとしての「明治維新」についても自説を展開しました。「明治維新」といえば、今月23日に150周年を迎えたばかりです。わたしはNHK大河ドラマ西郷どん」のエピソードなどもまじえて「明治維新」の特殊性を話しました。

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f:id:shins2m:20181026172705j:plainドラッカーの法則」を説明しました

 

それから、「未来創造」について語りました。
ドラッカーによれば、未来を知る方法もまた2つしかないといいます。
1つの方法は、すでに起こったことの帰結を見ること。
彼自身の予測についても、すでに起こったことの帰結、つまりすでに起こった未来を知らせたにすぎないそうです。そうやって、さまざまな兆候から、ドラッカーソ連の崩壊を予測し、それを見事に的中させました。
未来を知るもう1つの方法は、自分で未来をつくることです。
具体的には、子どもを1人つくれば、人口が1人増えるといった話です。これなら、誰でも未来をつくることができますね。それと同じように、たとえ小さな会社でも何か事業を起こせば、世の中を変えてしまう可能性をもつのです。歴史はそうやってつくられるのだとドラッカーは言います。歴史とは、ビジョンを持つ1人ひとりの起業家がつくっていくものだというのです。最後に、わたしは「みなさんが未来を創ってください!」と訴えました。最後は、盛大な拍手を頂戴して感激しました。
27日の朝から石垣島に出張します。その後、石垣島から東京に飛びます。わが社が主催する「石垣グラウンドゴルフ大会」と「八重山第二紫雲閣起工式」に参加するのです。「天下布礼」に休みはありません!

 

2017年10月26日 一条真也

「ハナレイ・ベイ」

一条真也です。金沢から小倉に戻りました。
ようやく法令試験が終わったので、「自分へのごほうび」に映画を観ることにしました。勉強期間中もなんだかんだで映画鑑賞はしていたのですが、試験の直前は風邪をうつされることを恐れて映画館には行きませんでした。というわけで、試験後は晴れて日本映画「ハナレイ・ベイ」を観ました。この作品の内容がグリーフケアに関連すると知り、「これは観なければ!」と思ったのです。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「作家・村上春樹の短編集『東京奇譚集』に収められた一編を映画化。ハワイのハナレイ・ベイで息子を亡くしたシングルマザーが、一筋の希望を見いだす。主人公に『ラブ×ドック』などの吉田羊がふんするほか、GENERATIONS from EXILE TRIBEの佐野玲於、『武曲 MUKOKU』などの村上虹郎、モデルとしても活動している栗原類らが共演。『トイレのピエタ』などの松永大司がメガホンを取った」 

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ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「シングルマザーのサチ(吉田羊)は、一人息子のタカシ(佐野玲於)がハワイ・カウアイ島のハナレイ・ベイでサーフィン中の事故でこの世を去ったことを知る。現地で息子と対面したサチは遺骨を手に日本に帰る前に、息子が亡くなった浜へ向かう。それから10年間、毎年息子の命日の時期にハナレイ・ベイに来るサチは、片脚の日本人サーファーのうわさを聞く」

 

監督の松永大司には「トイレのピエタ」(2015年)という作品があります。手塚治虫の病床日記に着想を得たオリジナルストーリーに、RADWIMPSの野田洋次郎が余命3か月の若者役で主演を務めた恋愛ドラマです。忍び寄る死に恐怖を募らせる主人公が、杉﨑花が演じる純粋な女子高生と出会い、生きる喜びを見つけだす姿を描きました。「ハナレイ・ベイ」で主演の母親役を演じた吉田羊 は「もともと村上作品が好きだったので、二つ返事でオファーを受けました」とコメントしましたが、「私は松永監督の『トイレのピエタ』を拝見して『いつかこの監督に呼ばれたい』と思ったんですけど、こんなに早く願いが叶うとは」とも感慨深そうに語っています。サーファー役を演じた村上虹郎も「トイレのピエタ」が好きであることを明かし「原作を読む前に、松永さんが監督されると聞いただけで出演を決めました」と述懐しています。

  

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 

 

 

 

「ハナレイ・ベイ」は『東京奇譚集』に収められた村上春樹氏の短編小説です。文庫本で40ページほどしかありません。わたしも10年以上前に読んだ記憶がありますが、自宅の書庫を探したのですが見当たりませんでした。25日で19歳になった次女が村上作品をわりと読むので、東京に持っていったのかもしれません。それで、わたしは映画館と同じ商業施設に入っている書店でもう1冊買いました。改めて読み直してみると、なんとも不思議な味わいの小説だと思いました。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

大きな鮫に片脚を食いちぎられて死んだ息子と思しき日本人サーファーのくだりは、幽霊が登場する怪談の香りがします。拙著『唯葬論』(サンガ文庫)の「怪談論」において、わたしは、怪談の本質とは「慰霊と鎮魂の文学」であると述べました。村上春樹氏といえば、ノーベル文学賞に一番近い日本人作家とされていますが、じつは彼の小説のほとんどは基本的に怪談であると言われています。

 

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

 

 

思想家の内田樹氏は、ブログ『もういちど村上春樹にご用心』で紹介した著書において、ブログ『1Q84』で紹介した大ベストセラーをはじめとした村上作品が世界中の読者に読まれていることについて、村上作品が決して「前衛的」でも「反文学」でもなく、ほとんど古典的な「世界文学」の系統に位置づけられると指摘した上で、こう述べています。
「村上作品は、あらゆる文化圏の人々の琴線に触れる『原型的な物語』を語っています。初期の『羊をめぐる冒険』から『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『アフターダーク』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』を経て『1Q84』まで、変わることなく、ひとつのプリミティヴな物語の構造が反復されていると僕は思っています」

 

その「プリミティヴな物語」とは、どういう物語なのか。内田氏は続けて述べます。
「それは、ごく平凡な主人公の日常に不意に『邪悪なもの』が闖入してきて、愛するものを損なうが、非力で卑小な存在である主人公が全力を尽くして、その侵入を食い止め、『邪悪なもの』を押し戻し、世界に一時的な均衡を回復するという物語です」
それは、ほとんど古典的な「ビルドゥングスロマン」と同じなのです。アメリカやヨーロッパはもちろん、ロシア、東欧、インドネシア、中国など世界中の読者に読まれている村上春樹氏の凄さが改めて思い知らされます。
なぜ、村上春樹はここまでの「世界性」を獲得したのでしょうか。内田氏は、それは彼の小説に「激しく欠けていた」ものが単に80~90年代の日本というローカルな場に固有の欠如だったからではないからだといいます。それは、「はるかに広汎な私たちの生きている世界全体に欠けているもの」だったからであるというのです。

 

では、この世界に生きるわたしたちが「共に欠いているもの」とは何か。内田氏は、「それは『存在しないもの』であるにもかかわらず私たち生者のふるまいや判断のひとつひとつに深く強くかかわってくるもの、端的に言えば『死者たちの切迫』という欠性的なリアリティである」と述べています。
内田氏いわく、生者が生者にかかわる仕方は世界中で違います。しかし、死者が「存在するのとは別の仕方で」生者にかかわる仕方は世界のどこでも同じだというのです。

 

さらに内田氏は、「『激しく欠けているもの』について」という村上文学の本質を衝くエッセイの最後に次のように書いています。
村上春樹はその小説の最初から最後まで、死者が欠性的な仕方で生者の生き方を支配することについて、ただそれだけを書き続けてきた。それ以外の主題を選んだことがないという過剰なまでの節度(というものがあるのだ)が村上文学の純度を高め、それが彼の文学の世界性を担保している」


ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書

わたしも、明らかに村上文学とは「死者と生者との交流」が最大のテーマであると思ってきました。拙著ご先祖さまとのつきあい方双葉新書)の「生命の輪は廻る~あとがきに代えて」にも書きましたが、もともと村上春樹の文学には、つねに死の影が漂っています。彼の作品にはおびただしい「死」が、そして多くの「死者」が出てくるのです。内田氏も、「およそ文学の世界で歴史的名声を博したものの過半は『死者から受ける影響』を扱っている。文学史はあまり語りたがらないが、これはほんとうのことである」と述べ、村上春樹のほぼ全作品が「幽霊」話であると指摘しています。

 

もっとも村上作品には「幽霊が出る」場合と「人間が消える」場合と二種類ありますが、これは機能的には同じこと。このような「幽霊」文学を作り続けてゆく村上春樹の心には、おそらく「死者との共生」という意識が強くあるのではないでしょうか。その「死者との共生」のために存在する文化装置として、葬儀や墓といったものがあります。映画「ハナレイ・ベイ」には日本の仏式葬儀の場面が登場しましたが、今は亡き愛する人を忘れないように、世界中の人々は葬儀や墓を大切にしているのです。

 

やがて死ぬけしき (サンガ新書)

やがて死ぬけしき (サンガ新書)

 

 

しかし、この「ハナレイ・ベイ」に限っては「幽霊」話とか怪談とかいうのとは少し違う気がします。それはグリーフケアの物語であり、「祈り」の文学ではないかと思うのです。僧侶で作家の玄侑宗久氏は、ブログ『やがて死ぬけしき』で紹介した著書で、東日本大震災後の石巻で娘さんが行方不明だという父親に会ったエピソードについて書いています。もう震災から2ヵ月ほど経っていたそうですが、その父親は23歳の娘の生存を、信じていました。玄侑氏は「祈りが膨らませる想像力」として述べます。
「私は思いきって訊いてみたのです。いったいどう考えたら、今も生きていると信じられるのですか、と。すると50代、つまり私と同世代と思えるその男性は、しばらく黙って虚空を睨んでいましたが、けっしてその場で考えたというふうではなく、きっぱりした口調で答えたのです。『津波に襲われた瞬間に記憶喪失になって、どこかしらねえ浜さ流れついでさ、しらねえ人の世話になって生きてるんでねえが』」

 

この父親の言葉について、玄侑氏は以下のように述べています。
「きっと、毎日毎晩、彼は娘の無事を祈り、なんとか生きていてほしいと思い続けたことでしょう。それだけでなく、あらゆる可能性の中から、彼は可能性の高い低いは関係なく、とにかく望ましい可能性を選び、そのイメージを具体的に膨らませていたのではないでしょうか。そこには本当の意味での『祈り』があります」
その「祈り」とは「物語」というものと深く関わっています。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、物語の力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのかもしれません。つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、仏教やキリスト教などの宗教は、大きな物語だと言えるでしょう。「人間が宗教に頼るのは、安心して死にたいからだ」と断言する人もいますが、たしかに強い信仰心の持ち主にとって、死の不安は小さいでしょう。なかには、宗教を迷信として嫌う人もいます。でも面白いのは、そういった人に限って、幽霊話などを信じるケースが多いことです。
宗教が説く「あの世」は信じないけれども、幽霊の存在を信じるというのは、どういうことか。それは結局、人間の正体が肉体を超えた「たましい」であり、死後の世界があると信じることです。宗教とは無関係に、霊魂や死後の世界を信じたいのです。幽霊話にすがりつくとは、そういうことだと思います。


葬式は必要!』(双葉新書

 

拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書きましたが、葬儀のポイントは、死者が遠くに離れていくことをどうやって表現するかということです。それをドラマ化して、物語とするために、葬儀というものはあるのです。たとえば、日本の葬儀の9割以上を占める仏式葬儀は、「成仏」という物語に支えられてきました。葬儀の癒しとは、物語の癒しなのです。
わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。自分の愛する人が亡くなるということは、自分の住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、かならず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。

 

まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことにほかなりません。
息子がハワイのハナレイ・ベイで亡くなって、母親は現地で息子を荼毘に付してから、日本で葬儀を行います。しかしながら、その葬儀のもつ物語では母親は癒されませんでした。それで息子が亡くなったハナレイ・ベイを毎年訪れることになるのですが、いくら愛する人が死んだ場所に足を運んでも、愛する人は帰ってきません。

 

最終的に、母親の心に変化を与えたのは息子の形見である手形でした。現地の女性グリーフ・カウンセラーが「いつか必要になる時がくるから」と、断る母親を相手に粘り強く交渉して息子の手形を残したのです。そして、それは実際に母親を救いました。
もう1つ、彼女を救ったものがありました。息子が止まったホテルのオーナーが持っていた息子の写真です。手形とか写真といった、人が生きた証の持つ力の大きさをこの映画が教えてくれました。

 

最後に、この映画を観て、あることを思い出しました。
もう12年も前のこと、わたしは家族で一度だけハワイに行ったことがあります。そのとき、オアフ島南東部のハナウマ・ベイでシュノーケリングをしました。そのとき長女は中学生だったのですが、湾で遊んでいる姿が突然消えて、慌てて探し回ったことがあります。なかなか見つからないので、監視員に相談し、「中学生くらいの黒いスクール水着の日本人の女の子が見えなくなった」と伝えました。すぐにライフ・セーバーたちが動き始めました。妻もまだ小さかった次女の手を引きながら、海に向かって何度も長女の名前を叫び続けました。 

 

 

すると、遠くの方の波間から長女が顔を出しました。
魚が大好きだった彼女は、水中で魚を見ている間にずいぶん遠くまで流されていたのです。わたしが泳いで迎えに行き、事なきを得ました。でも、もし、あのハワイの海で長女がずっと姿を消したままだったらと思うと、ゾッとします。無事で良かったと思うとともに、人の生死というものは紙一重のような気もします。この世はパラレルワールドで、娘が海から姿を現した世界と、そのまま姿を現さなかった世界が同時に存在しているような気もします。「今は亡き愛する人が生きている世界も存在している」という考えるSF的発想は、グリーフケアにおいても重要ではないでしょうか。映画「ハナレイ・ベイ」に映し出される綺麗な海を見て、そんなことを考えました。

 

2018年10月25日 一条真也