『日日是好日』

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

一条真也です。
いま、北陸の小松空港のラウンジです。
これからANA3185便で福岡に戻ります。
日日是好日森下典子著(新潮文庫)を読みました。「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」というサブタイトルがついています。著者は、1956年、神奈川県横浜市生れ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週刊朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた『典奴どすえ』を87年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続けています。

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本書の帯

 

本書の帯には映画版に出演した黒木華樹木希林(故人)の写真が使われ、「毎日がよい日。雨の日は、雨を聴くこと。いま、この時を生きる歓び――」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに『お茶』があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる・・・季節を五感で味わう歓びとともに、『いま、生きている!』その感動を鮮やかに綴る」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
序章  茶人という生きもの
第一章 「自分は何も知らない」ということを知る
第二章 頭で考えようとしないこと
第三章 「今」に気持ちを集中すること
第四章 見て感じること
第五章 たくさんの「本物」を見ること
第六章 季節を味わうこと
第七章 五感で自然とつながること
第八章 季節を味わうこと
第九章 自然に身を任せ、時を過ごすこと
第十章 このままでよい、ということ
第十一章 別れは必ずやってくること
第十二章 自分の内側に耳をすますこと
第十三章 雨の日は雨を聴くこと
第十四章 成長を待つこと
第十五章 長い目で今を生きること
「あとがき」
「文庫版あとがき」
「解説」柳家小三治


ブログ「日日是好日」で紹介した映画の原作エッセイです。わたしは、父が千利休よりも古い小笠原家古流茶道の全国団体の会長を務めていることをはじめ、周囲に茶道と関わっている人が多いので、非常に興味深く観ました。わたしの長女もずっと東京の茶道教室に通っているのですが、映画の中の黒木華演じる女性と重なって見えました。茶道は「ジャパニーズ・ホスピタリティ」そのものであると言えますが、親としては少しでも娘に日本人としての「つつしみ」「うやまい」「おもいやり」の心を知り、「もてなし」というものを体得してほしいと思っています。

 

 じつは映画鑑賞の前日に原作である本書を読んだのですが、大変感動しました。本書は茶道の最高の入門書であり、ブログ『茶の本』で紹介した岡倉天心の名著の現代版であり、さらには高度情報社会を生きる日本人のための優れた幸福論であると思いました。「まえがき」で、著者はこう書いています。
「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の2種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。『お茶』って、そういうものなのだ」

 

茶の本 (岩波文庫)

茶の本 (岩波文庫)

 

 

本書は『茶の本』である前に『水の本』です。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが次々に出てきますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。「水」とは「生」そのものなのです。孔子といえば、わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。その中で、ブッダ孔子老子ソクラテスモーセ、イエスムハンマド聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。

 

 

「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子老子ブッダの思想を比較したことがあります。そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という三人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。そして、三人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったのではないかというのです。

 

孔子・老子・釈迦「三聖会談」 (講談社学術文庫)

孔子・老子・釈迦「三聖会談」 (講談社学術文庫)

 

儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測し、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。

 

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 

東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。そして、それは「礼」というコンセプトにも通じます。孔子が説いた「礼」が日本に伝来し、もっとも具体的に表現したものこそ茶道であるとされています。

また、飛行機の操縦士だったフランスの作家サン=テグジュペリは飛行機の操縦士でしたが、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟りました。そしてブログ『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。

 

日日是好日』の本質が『水の本』であることは、「まえがき」の雨の描写において最もよくわかります。次の通りです。
「ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。『あ、夕立が来る』と、思った。庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムウッと土の匂いがたちこめた。それまでは、雨は『空から落ちてくる水』でしかなく、匂いなどなかった。土の匂いもしなかった。私は、ガラス瓶の中から外を眺めているようなものだった。そのガラスの覆いが取れて、季節が『匂い』や『音』という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける1匹のカエルのような季節の生きものなのだということを思い出した。毎年、4月の上旬にはちゃんと桜が満開になり、6月半ばころから約束どおり雨が降り出す。そんな当たり前のことに、30歳近くなって気づき愕然とした」

 

儀式論

儀式論

 

 

 本書は何よりもまず、茶道をテーマにした本です。拙著『儀式論』(弘文堂)の第6章「芸術と儀式」で詳しく述べたように、茶道は単に一定の作法で茶を点て、それを一定の作法で飲むだけのものではありません。実際は、宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術です。その茶道を学ぶことについて、著者はこう書いています。
「人は時間の流れの中で目を開き、自分の成長を折々に発見していくのだ。だけど、余分なものを削ぎ落とし、「自分では見えない自分の成長」を実感させてくれるのが『お茶』だ。最初は自分が何をしているのかさっぱりわけがわからない。ある日を境に突然、視野が広がるところが、人生と重なるのだ。すぐにはわからない代わりに、小さなコップ、大きなコップ、特大のコップの水があふれ、世界が広がる瞬間の醍醐味を、何度も何度も味わわせてくれる」
ここでは、「水」と「コップ」という言葉が登場します。わたしは、これは「こころ」と「かたち」のメタファーであると思いました。

 

 

 水は形がなく不安定です。それを容れるものがコップです。水とコップの関係は、茶と器の関係でもあります。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。
ちなみに、拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)で、わたしは「『人生100年時代』などと言われるようになった。その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の『こころ』ひとつである。もともと、『こころ』は不安定なもので、『ころころ』と絶え間なく動き続け、落ち着かない。そんな『こころ』を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった『かたち』である」と書きました。

 

本書には、茶道の他にもさまざまな日本文化の魅力が語られています。たとえば和菓子について、著者は第六章「季節を味わうということ」で以下のように書いています。
ミルフィーユやシュークリームが大好きで、和菓子など見向きもしなかった私が、お茶を始めて1、2年のうちに、すっかり和菓子の魅力に目覚めていた。
裏ごししたそぼろ状の餡を、餡玉の芯のまわりに寄せ集めた『きんとん』は、3月の『菜の花』、4月の『桜』、5月の『つつじ』と、目先を変える。夏は、葛や寒天で涼しげに『水』を表現する。和菓子には、素材そのものの味に、季節感が加味されていた。1年中、同じ姿のシュークリームやケーキが、なんだかつまらなく思えた」

 

また、茶花について、著者は以下のように書いています。
「いろいろな音や匂いに気づくと、同時に『茶花』が見えるようになった。茶花は、いたる所に咲いていた。
犬が散歩するとき、どの電信柱に自分の匂いをつけたか、どこにお気に入りの異性がいるかをはっきりつかんでいるように、私が日々暮らす半径1キロは、顔見知りの茶花の『花地図』で、変わった。
春、向かいの家の土手に『ほうちゃくそう』が、2、3輪、つりがねのような小さな白い花をつける。団地の裏の草地に『二人静』が群生する場所がある。電車から見える土手の斜面が『しょかつさい』(大根の花)で一面薄紫色に染まる。我が家とお隣との塀際に、『しゃが』が列をなして咲く。駐車場の路肩に『ねじばな』が咲き、ガードレールに『昼顔』がからみついて、薄いピンクの花を次々に開かせる。それまで、花は花屋で売られているものと思ってきたけれど、花屋の店先で売られている花は、花の世界のごく一部でしかなかった」

 

茶人という生き物は、四季を愛でる達人だと言えます。
著者は、昔の茶人たちが「節分」「立春」「雨水」と指折り数えて自分自身を励まし、何度も冬への揺り戻しに試されながら、辛抱強く、人生のある季節を乗り越えようとしたことだろうと考えます。そして、「だから茶人たちは、お節句や季節の行事を1つ1つだいじに祝うのかもしれない。季節とは、そういうものなのだ・・・・・・」と思うのでした。さらに、四季には自然の四季だけでなく、人生の四季もあります。
著者が翌日に就職試験を控えて落ちかなかったとき、茶道の師匠である武田先生は、著者のために達磨の絵入りの掛け軸を飾ってくれました。
第八章「今、ここにいること」には次のように書かれています。
「達磨さんには、『七転び八起き』『開運』という意味がある。『喝を入れる』という意味も込められていたかもしれない。
掛け軸は、今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。人生にも、季節があるのだった。先生はその日、私の『正念場』の季節に合わせて、掛け軸をかけてくれたのだった。夕暮れの稽古場で、釜が、シュンシュンと湯気を上げていた」

 

お茶の世界は「わからないこと」だらけですが、次第にすべてのことには意味があるということを著者は悟ります。第十章「このままでよい、ということ」で、次のように書いています。
「濃茶は多量のカフェインを含んでいる。からっぽの胃には、刺激が強すぎる。だから濃茶を飲む前に、懐石料理を食べ、からの胃を満たしておくのだ。
その懐石料理の食後に添えられるデザートが和菓子だ。
(そうか! ふだんは、茶事の流れの中から「懐石」を省略して、デザートの「和菓子」と「濃茶」の部分を稽古してるんだ)
濃茶をおいしく練るには、お湯が熱くなければいけないが、11月以降の寒い季節は、水が冷たく、沸騰するのに時間がかかる。
(だから、懐石の前に「炭点前」をするのか!)
その「炭点前」の時、客たちが炉のまわりに集まる。
(炭火を見ながら暖を取るのか! そして、懐石の間に湯がわいて、寒い部屋が暖まるんだ・・・・・・。なるほど、うまくできている!)
わかってみると、その流れは、実に合理的にできていた。さまざまなことが、ストンと腑に落ちた。すべてのことに理由があり、何一つ無駄はなかった」

 

第十一章「別れは必ずやってくること」では、茶道の一大イベントである「茶事」が取り上げられます。著者は次のように書いています。
「茶事の流れを何度かなぞるうちに、外国映画で見たことのある『晩餐会』にも、そっくりな場面がいっぱいあることに気づいた。たとえば、正式な『招待状』を受け、正装して集まることも、『控えの間』(寄り付き)に集まって、全員そろってから、『ダイニングルーム』(茶室)に入ることも・・・・・・。晩餐会では、長いお食事が終わったら、淑女は化粧直しに、紳士な葉巻きを吸いに行くが、茶事でも、懐石がすんで露地に出ると、腰掛に必ず『煙草盆』と『煙管』が用意されている」

 

また、お茶とワインを比べて、著者はこう述べます。
「レストランなどで、グラスに少し注がれたワインの色を見、味と香りを確かめ、『けっこうです』とうなずく『テイスティング』は、今では日本人にもおなじみになったが、濃茶の最初の一口を飲む場面で、亭主と正客の間にかわされる『お服かげんはいかがでございますか?』『けっこうでございます』のやりとりと重なる」
「お茶とワインは、よく似ていた。その年の5月に摘んだ茶葉を、茶壺につめて秋までたくわえ、11月初旬の炉開きのころ、初めて茶壺の封を切って茶葉を臼で挽いて点てる『口切りの茶事』は、茶事の中で最も正式なものだという。この時から、その年の『新茶』が飲めるようになる。だから、『炉開き』を『茶人の正月』と呼ぶ。『新酒』のワインの封を切って祝うボジョレーヌーボー解禁も11月だった」

 

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

 

 

「一期一会」として、著者と父親の永遠の別れが綴られていますが、著者は以下のように述べています。
「人生に起こるできごとは、いつでも『突然』だった。昔も今も・・・・・・。もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう? いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・・・・」
このあたりのくだりは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)のメッセージと重なります。著者はグリーフケアの核心を衝いていると思いました。

 

続けて、著者は次のように書くのでした。
「だからこそ、私は強く強く思う。会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、100パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・・」
この文章は本書の帯の裏でも使われていますが、とても力強く、読む者の心を打つ感動的な名文であると思います。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

日日是好日」には、春夏秋冬・・・・・・日本の四季がすべて登場します。そして、美しく描かれています。それぞれの四季折々にはふさわしい花があり、菓子があり、そして年中行事があります。世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。
正月の初釜で樹木希林さん演じる武田先生が「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」と、しみじみと語るシーンがあります。茶道はたしかに繰り返しです。春→夏→秋→冬→春→夏→秋→冬・・・・・・毎年、季節のサイクルをグルグル回っています。考えてみれば、茶人とは「年中行事の達人」であり、「四季を愛でる達人」なのですね。

 

人生の修め方

人生の修め方

 

 

 そして、季節の他にもう1つ、茶道はさらに大きなサイクルを回っています。それは、子→丑→寅→卯→辰→巳→午→未→申→酉→戌→亥・・・・・・の十二支です。初釜には、必ずその年の干支にちなんだ道具が登場するのでした。干支の道具は、その干支の年にしか使えません。それも、1年間いつでも使えるわけではなく、正月と、その年の最後のお稽古に限定されています。1年のしめくくりは、いつも、「先今年無事目出度千秋楽」(まず今年無事めでたく千秋楽)という掛け軸と、干支のお茶碗でした。著者は、干支の茶碗が、「いろんなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。じっくり自分を作っていきなさい。人生は、長い目で、今この時を生きることだよ」と言っている気がしたそうです。
茶人は「人生の四季を愛でる達人」でもあるのです。こういうふうに人生の四季を愛でていけば、「老いる覚悟」や「死ぬ覚悟」を自然に抱くことができるのではないでしょうか。まさに、茶道とは「人生の修め方」にも通じているのです。

 

茶をたのしむ ―ハートフルティーのすすめ (日本人の癒し)

茶をたのしむ ―ハートフルティーのすすめ (日本人の癒し)

 

 

拙著『茶をたのしむ』(現代書林)に詳しく書きましたが、茶道は、禅と深い関わりがあります。禅宗は「今をどう生きるか」を説く仏教の一派ですが、茶道には禅の精神が随所に生きています。むしろ禅の思想が茶道の根本にあると言ってもいいでしょう。偉大な茶人はすべて禅の修行者でもあったことを考えれば、茶道の正体とは、茶の湯という「遊び」を通して禅の「教え」を伝える「宗遊」なのかもしれません。人は茶室の静かな空間で茶を点てることに集中するとき、心が落ち着き、自分自身を見直すことができます。『茶をたのしむ』では、わたしなりに茶道の本質を求めましたが、著者は次のように書いています。

「『お茶は、むかしの暮らしの様式美だ』と言う人もいる。『日本の芸術の集大成だ』と思う人もいる。『ひたすらお点前をすることによって無をめざす美の宗教だ』と書いた人もいる。『季節を扱う暮らしの知恵の結集』『禅の1つのスタイル』・・・・・・。お茶は、どんな解釈をも許容する。ならば、私の見方もまた、1つの茶の世界なのだ。もしかすると、お茶はその人自身を映しているのかもしれない。人の数だけお茶があるのだ」

 

 

著者は「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう・・・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう」と書き、お茶とは、そういう「生き方」なのだと言います。そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないというのです。雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」と言いますが、本当は「悪い天気」など存在しません。雨の日を味わうように、他の日を味わうことができるなら、どんな日も「いい日」になります。それが「日日是好日」ということなのです。お茶をやったことがある方も、やったことがない方も、ぜひ、幸福ということを知るために本書を読んでいただきたいと思います。

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 

2018年10月25日 一条真也

 

金沢の夜

一条真也です。
金沢に来ています。ついに、一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験が終わりました。たぶん全問正解だと思います。ジャーナリストの安田純平武装勢力から解放されましたが、わたしも重圧から解放されました。24日の夜、試験を受けるにあたって大変お世話になった方々のために打ち上げの席を設けました。

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乾杯のビールの旨かったこと!

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二次会でムード演歌を歌う♪

 

まずは、サンレー北陸の元社員の方が女将さんをしているお寿司屋さんで食事をし、その後、カラオケに行きました。カラオケなんて歌うのは、ずいぶん久しぶりです。すっかり、歌い方を忘れてしまいました。(泣笑)
この夜は、一緒にいた方々が高齢であったこともあり、わたしは石原裕次郎水原弘小林旭、増位山大四郎などのムード演歌を歌いまくりました♪

 

 

その後、お店を替えて、90年代のJ-POPを歌いました♪ 
山根康広の「GET ALONG TOGETHER」や中西保志の「最後の雨」、徳永英明の「レイニー・ブルー」などを熱唱しました♪
この時代の歌は青春が甦る感じで、いいですねぇ。特に、金沢は雨が多いので、雨のバラードがよく似合う気がします。わたしは雨の多い金沢が大好きです!

f:id:shins2m:20181024203648j:plainこれが法令試験の祭り~だ~よ~♪ 

 

最後は、皆様のリクエストにより、 ブログ「まつり」で紹介した北島三郎の名曲を歌いました♪ イントロの部分で、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日は一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験が無事に終わったとあっちゃ、こりゃめでたいなあ~。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言ってから、歌い出しました。
わたしが「男は~ま~つ~り~を~♪」と歌い始めると、店中が大いに盛り上がりました。次第に「祭りだ、祭りだ♪」の歌詞を「試験だ、試験だ♪」に替え、最後は「これが日本の祭り~だ~よ~♪」の歌詞を「これが法令試験の祭り~だ~よ~♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。

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この夜はガンガン飲みました

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金沢の夜空には満月が!

 

この夜は、昔入れていたウイスキーのボトルに再会し、ロックでガンガン飲みました。今では品薄でなかなか入手できないお酒なので、ひときわ味わい深かったです。へべれけに酔っ払って勘定を済まし、外に出ると、金沢は片町の歓楽街の夜空に月が上っていました。見事な満月です。法令試験のために、ずっと月を見上げることを忘れていました。そうだ、Tonyさんにムーンサルトレターを書かなければ!

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金沢の片町で

 

2018年10月25日 一条真也

室生犀星記念館

一条真也です。
金沢に来ています。ついに、一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験が終わりました。たぶん全問正解だと思います。わたしは、「自分へのごほうび」として、試験会場の石川運輸支局から、ずっと行きたかった場所に直行しました。室生犀星記念館です。

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室生犀星記念館の前で

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記念館の入口で

 

記念館公式HPの「館の概要」には、「生家跡に建つ記念館」として以下のように書かれています。
「金沢三文豪のひとり、室生犀星の生家跡に建つ記念館です。平成14年8月1日、犀星の誕生日に開館しました。
 『ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・』の詩(「小景異情 その二」)で知られる犀星はこの地で生まれ、すぐ近くの寺院、雨宝院で育ちました。館内では、はじめて犀星を知る人でも、犀星の生き方やその文学世界の魅力と出会い、ふるさとや命に対する慈しみの心への強い共感を呼び起こしていただけるものと思います。
記念館周辺では犀星が育った雨宝院、犀星が愛した犀川、詩碑のある『犀星のみち』など、犀星文学の原風景を訪ね歩くこともできます」

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自宅の庭園を再現

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庭園を背に・・・・・・

 

また、記念館公式HPの「室生犀星」には以下のように書かれています。
「明治22年8月1日、金沢に生まれた犀星は、生後まもなく真言宗高野山派、千日山雨宝院にもらわれ、養父母のもとで育ちました。高等小学校を中退して12歳で働きはじめた犀星は、文学への思いを募らせて20歳で単身上京、生活苦にあえぐなかで数々の詩をつくりました。
『愛の詩集』『抒情小曲集』などの抒情詩は大正期の詩壇を牽引し、さらに小説家としても活躍しました。その作品は抒情的な作風の『幼年時代』や『性に眼覚める頃』などの初期小説、市井鬼ものと称される『あにいもうと』などの中期小説、『杏つ子』『かげろふの日記遺文』『蜜のあはれ』など次々と新しい境地を拓いていった晩年の小説など多岐にわたり、随筆、童話、俳句にもすぐれた作品を残しています。不遇な出生をのりこえて描かれた犀星文学は、故郷の山河に対する深い思いや、小さな命、弱いものへの慈しみの心があふれ、人生への力強い賛歌ともなっています」

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壁一面に飾られた犀星の著書

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まさに壮観です!

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犀星の著書を背に・・・・・・


ようやく法令試験を終えたわたしの心に、犀星の言葉が染み入るように溶け込んでいきました。ブログ「泉鏡花記念館」ブログ「西田幾多郎記念哲学館」ブログ「鈴木大拙記念館」なども素晴らしいですが、金沢は本当に文化の香りが満ちていると思います。今日は、久しぶりにリラックスすることができました。

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犀川のほとりで・・・・・・

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犀川のほとりで・・・・・・

 

2018年10月25日 一条真也

法令試験

一条真也です。
金沢に来ています。ついに、24日になりました。いよいよ今日は、一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験の日です。朝は雨でしたが、昼近くになって晴れました。

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試験会場にやってきました!

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変な人ではありません!

 

わたしはザルそばの昼食を取った後、サンレー北陸の伊藤支配人が用意してくれた「必勝」のハチマキを頭に撒いて石川運輸支局に向かい、13時30分から法令試験を受けました。自分でも驚くほど、問題はスラスラ解けました。
試験時間は45分だったのですが、しっかりと二度見直しをした上で5分ほどで退出しました。試験官の方や同時受験者の方は驚いている様子でした。自分で言うのも何ですが、「兵は神速を貴ぶ」の心境でした。はい。

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戦いを終えて・・・・・・

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ああ、やっと終わった!(笑)

 

待合室にいた社員のみなさんも、開始5分で姿を現したわたしを見て仰天していました。サンレー北陸の小久保本部長のはからいで、なんと「天下布礼」の幟を2本持ってきてくれました。試験中、小久保本部長は合格祈願として幟を振り続けるつもりだったそうです。わたしは「そこまでしなくてもいいのに・・・・・・」と思いましたが、せっかくですので、「絶対合格」のハチマキを頭に巻いて石川運輸支局の前で記念撮影をしました。ようやく、「終わった」という実感が湧いてきました。

f:id:shins2m:20181024124644j:plain次女のペンケースを借りました

 

やはり過去問を何度もやったのが良かったようです。昨夜も、13年間分の過去問を解きましたが、すべて全問正解でした。今日の試験は全30問で、27問以上の正解で合格です。たぶん全問正解ではないかと思います。
試験勉強中、ずっと次女のミニーマウスのペンケースを借りて使っていましたが、今日もこれを持参しました。次女が慶應義塾大学法学部の受験勉強中に使っていたペンケースです。法律の神様が助けてくれたというか、なんだか次女が一緒に法令試験を受けてくれているような気がしました。次女は、翌25日に19回目の誕生日を迎えます。

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わたしの『自動車六法』

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『自動車六法』で勉強しました

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『自動車六法』で勉強しました

f:id:shins2m:20181019113437j:plain『自動車六法』で勉強しました

 

今回は、担当者の報告ミスという不測の事態で、本来は1年半かけてやる勉強を実質1ヵ月半で仕上げました。分厚い『自動車六法』(3000ページ以上!)を手にしたときは途方に暮れました。字も小さくて読みにくいので、Hazuki(ハズキ)ルーペをかけて一生懸命読みました。今では内容のほとんどは頭に入りました。
これも「日日是好日」という茶道の精神で何事も「苦難」ととらえずに、「今ここに生かされていること」に感謝し、勉強を楽しんだことが良かったのだと思います。サンレーグループのみなさんも、ぜひ、「日日是好日」の精神で頑張って下さい!

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愛用の Hazuki(ハズキ)ルーペ

 

注解 自動車六法〔平成30年版〕

注解 自動車六法〔平成30年版〕

 

 

 それにしても、こんなに一般貸切旅客自動車運送事業の法律の知識が頭に入ったのですから、忘れるのがもったいないです。この知識を活かしたいです。
「いっそ、法令試験のコンサルタントを目指そうかな」とか「『決定版 法令試験入門』を書こうかな」などと思いましたが、まあ止めておきます。でも、いろいろと法律が変わったので、互助会各社の社長さんたちもいずれご自身で法令試験を受けなければいけないかもしれません。そのときは、どうぞ、ご相談下さい。わたしも勉強するコツをつかんだというか、新しい知識を身につける楽しさを知ったので、次は宅建やファイナンシャル・プランナーなどにも挑戦しようかなどと考えています。いや、ほんとに。

 

2018年10月24日 一条真也拝 

試験の地・北陸へ!

一条真也です。
23日は明治改元から150年の「明治150年」の日です。各地では周年記念イベントが花盛りだったようですが、いよいよ明日は一般貸切旅客自動車運送事業の法令試験の日です。わたしは風邪をうつされないようにマスクをつけて、試験会場である北陸信越運輸局・石川運輸支局のある金沢に向かいました。

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JR小倉駅のホームで

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のぞみ24号の車内で

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車内で駅弁を食べました

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車内で勉強をしました

 

飛行機だと何かのトラブルで飛ばないリスクがあるので、JRを乗り継ぐことにしました。もっとも最近は、さまざまな理由で新幹線も止まることがあるので、油断はできませんが・・・・・・。まずは、小倉駅から「のぞみ24号」に乗り込んで京都を目指しました。駅弁を食べてから法令試験の勉強をしました。すぐ近くの席に咳の止まらない老僧がいましたので、わたしはマスクを外さないでいました。

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JR京都駅のホームで

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サンダーバード25号に乗り換えました 

 

京都駅に着くと、そのまま「サンダーバード25号」に乗って、金沢へ。ここでも勉強をしました。全互連の仲間である有明冠婚葬祭互助会の荒木社長から「明日頑張って下さい! 応援しています!」というラインが届き、嬉しかったです。金沢駅に到着すると、サンレー北陸の小久保本部長と伊藤支配人が迎えに来てくれていました。わたしは、小久保本部長に「おかげさまで、久々に勉強をする機会を得ました。ありがとうございます」と慇懃無礼に言いました。

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JR金沢駅のホームで

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ホテルで最後の勉強をしました

 

駅に隣接したホテルまで歩いていき、チェックインしました。わたしはホテルのレストランで夕食を取ってから、部屋に引きこもり、過去問の復習をしました。今回の法令試験の管轄である北陸信越運輸局はもちろん、北海道から九州までの運輸局の入手しうる過去問は全部解きました。やれることは全部やりました。

 

30年以上ぶりに、こんなに真剣に試験勉強をしました。他人が1年半かけるところを1ヵ月半で仕上げたわけですが、単行本を2冊書き下ろしたぐらいのエネルギーを費やしました。今は「人事を尽くして天命を待つ」の心境です。これで明日、万が一うまく行かなかったら、ちょうど北陸にいることですし、そのまま東尋坊に直行します。そこで今後のことを考えます。ということで、今夜は早めに寝ます。おやすみなさいzzz。 

 

2018年10月23日 一条真也

『お化けの愛し方』

(099)お化けの愛し方: なぜ人は怪談が好きなのか (ポプラ新書)

 

一条真也です。
23日、金沢に向かいます。24日はいよいよ法令試験の日です。飛行機だと何かのトラブルで飛ばないリスクがあるので、小倉から京都までは新幹線のぞみ、そこから特急サンダーバードで金沢入りします。「試験があるのに、どうして毎日、本が読めるの?」と疑問に思う方がいるかもしれませんが、最近の読書ブログはすべて過去に書いてストックしておいたものです。ちなみに、読書ブログのストックは常に数十冊分あります。
ということで、今回は『お化けの愛し方』荒俣宏著(ポプラ新書)を紹介いたします。「なぜ人は怪談が好きなのか」というサブタイトルがついています。

 

これまでにも、ブログ『フリーメイソン』ブログ『0点主義』ブログ『「死」の博学事典』ブログ『喰らう読書術』ブログ『戦争と読書』などで、著者の本を紹介してきました。著者は、1947年東京生まれの作家・博物学者です。武蔵野美術大学客員教授サイバー大学客員教授。『帝都物語』がベストセラーになり、日本SF大賞受賞。『世界大博物辞典』でサントリー学芸賞受賞。神秘学・博物学・風水等多分野にわたり精力的に執筆活動を続け、著書・訳書多数。現代日本を代表する「博覧強記」の1人です。

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本書のカバー表紙 

 

本書のカバー表紙には、著者の顔写真とともに、「『牡丹燈篭』のお露さん、あなたはアジアが生んだ純愛の理想像だった!?」「お化け生活70年、私にとって最後の『お化け学』出版物であり、その結論といえる」と書かれています。
また、カバー裏表紙には「未来への挑戦!」と書かれ、以下の内容紹介があります。
「“現代の知の巨人”荒俣宏が見つけた“究極の人生の答え”がここにある!」「お化けは『怖い』。そうしたイメージは、いつから生まれたのか。『牡丹燈篭』や『雨月物語』。タイの昔話に、西洋恋愛怪談の『レノーレ』。乱歩が見出した幻の書『情史類略』・・・・・・。怪談の起源を探る中で見えてきたのは、実は人間とお化けは仲良くなれるし、恋だってできるという、衝撃の価値観だった――。この本を読めば、あなたも『あの世』に行きたくなるかも?」

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本書のカバー裏表紙 

 

さらに、カバー裏表紙には「博覧強記の怪物が語りつくす、お化けと人間の新たな関係性とは!?」として、以下のように書かれています。
 ●起源はなんでも中国か?――志怪と伝奇
 ●人生を幸福にする要素としての「お化け」
 ●乱歩の「怪談入門」が発掘したもの
 ●近代怪談の初代ヒット作、『剪燈新話
 ●浅井了意翻案で日本化した「牡丹燈籠」 
 ●怪談の背景に戦争と伝説がある
 ●西洋お化けの革新も恋愛物に始まった
 ●平田篤胤による日本の幽冥界維新

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
まえがき「お化けはこわいのか?」
第一章 お化け愛の始まり――日本に登場した新しい怪談
第二章 馮夢龍と「解放の怪談」
第三章 怖い怪談の呪縛――日本の場合
第四章 お化けとの恋愛が認められるまで
第五章 日本に広がった「牡丹燈記
第六章 町人文学の大暴れ――『牡丹燈篭』から『聊斎志異』へ
第七章 怪談愛の至高点『雨月物語
第八章 アジアへヨーロッパへ――『メー・ナーク』と『レノーレ』
第九章 西洋でも、生死を越えた恋が成就した!
第十章 圓朝版『牡丹燈篭』と文章変革
第十一章 駒下駄の音と新しい演出
おわりに「霊との共同生活、ついに実現!」
あとがき「お化けとの恋愛を志願する」

 

まえがき「お化けはこわいのか?」で、著者は小学生頃から「お化けはたのしい」と思っていたそうで、その「きっかけ」について次のように述べています。
「『きっかけ』の1つは、小学校3年生のときに祖父が交通事故死し、ばらばらになった遺体が縫いあわされた状態で、家に帰ってきたことだった。私はこわさを忘れて、おじいさんの顔をのぞき込んだり、すっかり冷たくなった両手を触ったりした。でも、祖父は目を開けない。この現実をどう受け入れればいいのか困った。死という現実にぶつかったのだが、祖父はそんなこともあろうかと、私が赤ん坊のころから現世は無常であの世のほうが永遠である、という哲学を、芸者歌謡や都々逸などを通じて、変な趣味の孫に教え込んでいたふしもある」

 

祖父の遺体が戻ってきたとき、著者は、ある芸者歌の1つによって戸惑いを救われたそうです。「明治一代女」という戦前にはやった歌でしたが、「怨みますまい この世のことは 仕掛け花火に似たいのち もえて散る間に 舞台が変わる まして 女はなおさらに」という一節がありました。著者は述べます。
「この世は仮の世で、死後の世界こそが真実だ、という。たしか江戸川乱歩のお気に入りの名言にも『うつし世は夢 夜の夢こそ真実』というのがあった。おじいさんはダンプカーに轢かれて亡くなったけれど、それはただ『仮の世』からいなくなるだけのこと、死んでまた別の世に移ったにすぎない、と理解した。悲しいことの多いこの世を脱して、新しい『生』を開始できるのなら、お化けになることはむしろ喜ばしいことなのではないか、と気がついた」

 

さらに、著者は以下のように述べるのでした。
「もっとはっきり言い切ろう。日本のお化けとまっとうにお付き合いするには、ホラーを観るという感覚だけではいけないのだ。死んだ者や異界の者と、恋をしたり、家族を作ったり、コミュニティを作ったり、という建設的な方向も、あってしかるべきだ。私もここ10年くらいで、お化けとのお付きあいの仕方や、お化けとの恋愛について多少の知恵がついた。70歳に近くなったせいもあるが、いよいよ『親しい感じ』が強くなってきている。きっと『妖怪感度』が磨かれたのだろう」

 

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

 

 

本書の前半部分では、著者は中国の怪談に多く言及します。日本の怪談話は少なからず中国の影響を受けているからです。中国の『牡丹燈記』から日本を代表する怪談である『牡丹燈籠』が生まれました。両作品の差違について、著者は当時の中国の価値観や作者の境遇、さらには恐怖を演出する話芸などにも言及しています。『牡丹燈籠』と同じく、“死者との恋”を描いている『雨月物語』の「浅茅が宿」も、著者は徹底的に分析しています。

 

本書で最も興味深く読んだのは、第四章「お化けとの恋愛が認められるまで」でした。ここでは、孔子が登場します。著者は、「儒教の開祖であった孔子は、怪力乱神については、怪しい神々や荒っぽい化け物のことをことさらに語らなかったけれども、まるで無関心だったわけではない。孔子すらもじつは易学のような神秘的な学問に熱中していた」と述べています。

 

著者は、孔子が易のような宇宙モデルによって、眼に見えないが実在するらしい異空間の存在を説明しようと考えていたふしがあると指摘し、以下のように述べます。
「実際、孔子の一族というのは、元来お葬式の管理や葬礼に関係した一族だったといわれる。霊とか魂とかの問題の専門家筋でもあったのだ。孔子が唱えた『古えの神君、名君への敬慕』は、『礼』をもって祖先霊を祀る儀式に源を発した可能性が高い。葬儀というのは基本的には霊の世界を鎮めることだから、孔子一族には霊との付き合いやルール、考え方というものが家業と結びついていたことにもなる」

 

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

 

 

続いて、著者は「日本でも銅鐸などがたくさん作られたが、あの銅鐸は霊を鎮める葬礼の楽器であった可能性もあり、元は孔子一族やら菅原道真の先祖一族のような葬礼と墳墓づくりを担った『神霊知識』の専門グループに伝えられた霊的産業技術の一例とも考えられる」などと述べています。このあたりはブログ『孔子伝』で紹介した白川静の名著に詳しいです。

 

さらに、孔子は、韋編三絶のエピソードにからんで、「あともうちょっと寿命をくれたらこの『易経』のシステムを解明して、みんなに残すことが出来たのになあ」と悔しがったという話を残していることを紹介し、著者は「このエピソードからも推測できるのは、彼が魂や宇宙の問題にも大きな関心を有し、実際に葬儀の礼に関係したと同時に、世界の運行を占い知る易をも研究していた、いわばファウスト博士のような立ち位置だ」と述べます。とても興味深いですね。

 

雨月物語 (ちくま学芸文庫)

雨月物語 (ちくま学芸文庫)

 

 

第七章「怪談愛の至高点『雨月物語』」では、『雨月物語』が創始した死女愛の文学が語られます。そこで著者は、歌舞伎について以下のように述べます。
「歌舞伎も風俗紊乱の元凶として目の敵にされ、とりわけ女の歌舞伎役者が一掃されて、江戸時代に『女形』というじつに不可思議な芸が誕生するのだが、歌舞伎もまた『霊魂観の一大転覆』に深く関わっている。歌舞伎流行のきっかけをつくった出雲の阿国は、周知のように出雲大社の巫女だったといわれる」

 

そればかりでなく、出雲の阿国浄土教とも関係した「鎮魂師」でもあったらしいとして、著者は以下のように述べます。
阿国が舞台に載せた演目を基にして書かれたといわれる『歌舞伎草子』に、その意味がちゃんと表現されている。この時代、『風俗』と名付けられた『浮世=憂世』の退廃的な光景が絵や物語や演劇を覆い尽くしていた。この末世末法、『憂世』感覚が、中国で伝奇小説を発生させ、日本でもお伽草子阿国歌舞伎を生み出す原動力だった」

 

第八章「アジアへヨーロッパへ――『メー・ナーク』と『レノーレ』」では、冒頭で「アジアに広がった『浅茅が宿』型ロマンス」として、著者はこう述べています。
「中国に端を発した志怪・伝奇の妖しい物語は、漢字文化圏の拡大とともに周辺国へも伝わっていった。その行先は日本だけではない。東南アジアへも華僑の進出とともに怪談が運ばれ、以前から存在していた地元の民話と結合しながら、東南アジア全体に新たなバリエーションを波及させた。つまり、『雨月物語』のようなゴーストとのラブストーリー、ハリウッド映画で言えば『ゴースト/ニューヨークの幻』のような話が、各国それぞれの風土に適応してその土地なりの幽霊物語に深化していった」

 

怪談

怪談

 

 

第十一章「駒下駄の音と新しい演出」では、「小泉八雲の手厳しいコメント」として、著者は以下のように述べています。
「精神の柔軟さがあるからこそ、日本人はお化けにリアリティーを抱ける。お化けとの恋愛の話とは、まさにそうした心のリアリティーの究極形態だ。ひとことに要約するなら、日本人は幽霊と恋ができるほどやわらかいメンタリティーを磨き上げてきたのだ。それゆえ、圓朝も怪談を俗っぽい人情劇と重ね合わせることができた。
そういうわけで、『怪談』を書いた明治期の文学者小泉八雲ラフカディオ・ハーン)も、日本の怪談に興味を感じたきっかけは、歌舞伎で演じられた『牡丹燈籠』にあった。三遊亭圓朝の高座で直に聞いたのか、あるいは速記本を読んでもらったのか、『カラーン、コローン』と鳴る駒下駄の響きが、よほど耳に残ったのだろう。八雲も、お露の立てる駒下駄の響きに幽霊の繊細な気配を感じたようだ」

 

 

本書では、中国の怪談が大きく扱われています。
著者は『怪奇文学大山脈』(全3巻、東京創元社)を刊行したときに全精力を使い果たし、身も心も「出し殻状態」となり、もう何も書く気が起こらなかったそうです。そんな著者にわずかに残っていたのは、中国の怪談への興味だけだったといいます。中国を最後のお化けの探検地とかんじた著者は、さまざまな書物を読んで中国文化の真の奥深さを知るようになったとか。さらに決定的だったのは、白川静の労作『字通』に親しんだことでした。

 

字通 [普及版]

字通 [普及版]

 

 

漢字の字源のほとんどに「神」か「化け物」か「まじない」がかかわっていることを『字通』で知り、がぜん生き返った著者は以下のように述べます。
「早い話、荒俣宏の『荒』という字からして運命的だったのである。白川さんによれば、荒の字は『草かんむり』に、野ざらしの頭蓋骨を意味する『ボウ(※荒から草かんむりを除いたもの)』が加わって成立している。『ボウ』はさらに分かれて、『亡』の部分が頭、その下の『川』に似た字形が『頭蓋骨に付着した長い髪の毛』を表すという。髪の毛がへばりついた頭蓋骨が野原に転がっている光景が『荒』だというので、思わず、すでにハゲあがってぬれ落ち葉のごとき毛が何本か取りすがっている我が頭を鏡に映しながら、戦慄を覚えた」

 

あとがき「お化けとの恋愛を志願する」の最後に、お化けとのお付き合いにかかわる「最も東洋的な部分」の鉱脈を探り当てたことで満足したいという著者は「あとは自分が実際に死者になったときに、ウソかマコトかをたしかめればよろしい。なんだか、死ぬのが楽しくなってきた。できれば、あの世での恋人はこころ優しい死女におねがいしたい」と述べるのでした。

 

本書は“死者との恋愛”を中心に怪談を論じているため、それ以外の幽霊や妖怪の類は登場しません。著者が「お化け生活70年、私にとって最後の『お化け学』出版物であり、その結論といえる」と言うわりには、怪談全体のほんの一部、それもコアな話題しか取り上げておらず、物足りない印象は否めません。サブタイトルである「なぜ人は怪談が好きなのか」という問いにも答えているとは言えないでしょう。せっかく、水木しげる大先生の妖統(?)を受け継ぐ著者なのに、ちょっと残念でした。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

わたしは『唯葬論』(サンガ文庫)の「怪談論」で、「怪談」こそは古代から存在するグリーフケアとしての文化装置であると指摘しました。怪談とは、物語の力で死者の霊を慰め、魂を鎮め、死別の悲しみを癒すこと。ならば、葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づきます。人間の心にとって、「物語」は大きな力を持っています。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、物語の力を借りて、自分の心の形に合わせて現実を転換しているのかもしれません。つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動き、死別の場合であれば愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。

 

仏教やキリスト教などの宗教は、大きな物語だと言えるでしょう。「人間が宗教に頼るのは、安心して死にたいからだ」と断言する人もいますが、たしかに強い信仰心の持ち主にとって、死の不安は小さいでしょう。なかには、宗教を迷信として嫌う人もいます。でも面白いのは、そういった人に限って、幽霊話などを信じるケースが多いことです。宗教が説く「あの世」は信じないけれども、幽霊の存在を信じるというのは、どういうことか。それは結局、人間の正体が肉体を超えた「たましい」であり、死後の世界があると信じることです。宗教とは無関係に、霊魂や死後の世界を信じたいのです。幽霊話にすがりつくとは、そういうことなのです。

 

死者が遠くに離れていくことをどうやって表現するかということが、葬儀の大切なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために、葬儀というものはあるのです。たとえば、日本の葬儀の九割以上を占める仏式葬儀は、「成仏」という物語に支えられてきました。葬儀の癒しとは、物語の癒しなのです。人類は葬儀、そして怪談という物語の癒しによって「こころ」を守ってきたのではないでしょうか。どうですかね、荒俣さん?

 

2018年10月23日 一条真也

『古生物学者、妖怪を掘る』 

 

古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実 (NHK出版新書 556)

 

一条真也です。
『古生物学者、妖怪を掘る』荻野慎諧著(NHK出版新書)を読みました。「鵺の正体、鬼の真実」というサブタイトルがついています。ブログ『怪異古生物考』で紹介した本と同じテーマですが、同書の監修者が荻野氏慎諧氏です。同書の刊行が2018年6月12日、本書の刊行が同年7月10日です。わずかな時間の差ですが、先に出た『怪異古生物考』のうほうが文章も読みやすく、久正人氏の素晴らしいイラストも付いているので、本書はちょっと損をしていると思いました。

 

著者は1978年山梨県生まれ。鹿児島大学大学院理工学研究科生命物質システム専攻博士課程修了、理学博士(地質・古生物学)。京都大学霊長類研究所産業技術総合研究所の研究員を経て、株式会社ActoWを設立。現在は兵庫県丹波市で自然を生かした地域づくりを行っています。古生物学の視点から日本各地の古い文献に出てくる妖怪や不思議な生き物の実体を研究する「妖怪古生物学」を提唱しています。


本書の帯

 

本書の帯には「鵺の歯」なるものの歯の写真が使われており、「妖怪は生きていた?」と大書され、続けて「鵺(ぬえ)とは、鬼とは、河童とは――科学の徒が挑む、スリリングすぎる知的遊戯!」と書かれています。
また帯の裏には「日本に隠されていた古い文献を『科学書』として読んでみると、“怪異”は全く新しい姿を見せ始める――」として、以下のような言葉が並んでいます。
◆鬼は人を喰らうというけれど、じつは・・・・・・。
ヤマタノオロチはなぜあんな形状なのか
◆鵺は、動物園にいる「あの生物」!?
◆一つ目小僧や入道はどうして一本足?
◆「月の落とした運子」が珍重されていた!? 


本書の帯の裏

 

さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「鬼、鵺、河童、一つ目入道・・・・・・。誰もがよく知るあの妖怪は、じつは実在した生き物だった!? 遺された古文献を、古生物学の視点から“科学書”として読み解いてみると、サイエンスが輸入される以前の日本の科学の姿がほの見えるだけでなく、古来『怪異』とされてきたものたちの、まったく新しい顔があらわれる──。科学の徒が本気で挑む、スリリングすぎる知的遊戯!」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「まえがき」

第一章 古生物学者、妖怪を見なおしてみる

一 鬼の真実──ツノという視点から

     ツノある者は何食う者か

        架空生物のツノ

        なぜ架空の生物にツノが付くのか

        現代人のツノ観

        アントラーとホーン

        節分で鬼に豆を投げてはならぬ

二    井上円了寺田寅彦

        怪異は分けたら怖くない

        科学リテラシーと創造科学

        寺田寅彦と日本の神話

        先達の歩んだ道の先に

三    妖怪「科学離れ」考

        科学フィーバーのノスタルジー

        敵は無関心にあり 

第二章 古文書の「異獣・異類」と古生物 

一 鵺考──『平家物語』『源平盛衰記』を読む

        鵺はネコ科のあの動物?

        仮説がネットで拡散する

        レッサーパンダ類とは

       「ジャイアント」より「レッサー」のほうが先

        最古のレッサーパンダ

        時間の隔たりをどう考えるか

        他の食肉類の分布の広がり

二   「一つ目」妖怪考── 化石との関係

       「一つ目の妖怪」の化石

        ゾウを見たことのない人は骨から姿を復元できるか

       「竜骨」としてのゾウ

        竜骨大論争、その後

        1メートルの蛇の頭骨?

三 地誌の異獣考──『信濃奇勝録』を読む

       「雷獣」は空を飛び、雲に乗る?

        サルの手を持つ不思議なタヌキ

        ムササビ様の不気味な異獣

        江戸時代の人が地質変動を知っていた?

        亀の甲羅に似た石

        魚骨石や亀石がおもしろくないのはなぜか

        ゾウではない? 一つ目髑髏

        「一本足」の正体

       水中に生きる妖怪「野茂利」

        ヤツガシラに似た異鳥

       「石羊」という謎の存在

       イタチ科は50種類以上もいる

       アナグマ亜科と小さなトラブル

四 奇石考──『雲根志』『怪石志』を読む

        木内石亭、11歳で石への愛を知る

        天狗の爪は何の化石?

        月の落とした神秘のウンコ

        化石研究者=蒐集家なのか? 

第三章 妖怪古生物学って役に立つの? 

        あらためて妖怪古生物学とは

一   「分類」という視点から見た妖怪

     分類のない世の中は幸せか

        河童の分類から生類を再考する

        江戸の博物学はなぜ花開いたか

二    復元と想像・創造のはざま

        化石の復元と美術の視点

        創作畑に足を突っ込む

        けものの歯はノコギリ型か?

        観察というまなざし

「あとがき」

「参考文献」

「図版の出典一覧」

 

ブログ『怪異古生物学』を先にアップしたので、鵺や鬼をはじめとした怪異の正体をすでに知っている方も多いでしょう。ここは、妖怪の正体を明かすよりも、「妖怪古生物学」の考え方を紹介したいと思います。
「まえがき」で、著者は以下のように述べています。
「江戸時代くらいまでの『怪異』や『妖怪』といった事象は、今でいうサイエンス――科学――のポジションとまったく同じというと語弊があるので、少なくとも代替とはなっていたという前提で進めていこうと考えている」

 

日本において、世間が科学を広く認識はじめたのは明治時代以降ですが、著者はもっぱら古い文献に記された不思議な生類の像に迫っていくとして、以下のように述べます。
「目の前に現れた未知の生物、それを正確に記述する姿勢は、各々の時代においては最先端の知の集大成であっただろう。文書がウソをついていないという前提ではあるが、科学以前の『科学者』である当代の識者らによって記載された珍しい動物や自然現象の正体は何か。私の興味はそこである。怪異とされたものを古生物学視点から見つめ直してみる。本書ではその手法を『妖怪古生物学』として提唱したい」

 

本文の最後となる第三章「妖怪古生物学って役に立つの?」の終わりに、著者は以下のように書いています。
「妖怪、というと、ステレオタイプの河童や鬼、天狗などが想起されるため、なんとなくイメージが固まっていったもの、という印象がある。しかしながら、具体的な観察記録のもとに記録された種も少なくない。記録を紐解くと、具象か抽象かの二元論で問えば、具象なのである。これは、目撃や体験がベースにあるからで、したがって抽象的な妖怪というのは構造的に生まれにくい。異獣や異類のような具体的なものであったり、カマイタチのような実体を伴わない現象も、結局は具象を切り取ったものだ。当時の科学では説明できず、不思議であったとしても、曖昧ではない。ゴミ箱的とはいえ当時の分類の枠に収まった。今、妖怪と呼ばれているものの多くは、不思議を実体化させるために不可欠な概念であったと言えるだろう」

 

UMA事件クロニクル

UMA事件クロニクル

 

  

わたしは、著者のこの文章を読んで、妖怪古生物学への情熱を感じました。それから、ブログ『UMA事件クロニクル』で紹介した本を連想しました。UMAとは未確認生物のことですが、本書でいう「妖怪」にきわめて近い存在です。ネッシー、イエティ、モスマンジャージー・デビルチュパカブラ、ニンゲン・・・・・・世界各地のUMAを著者の妖怪古生物学で調査していったら、果たしてどのような真実が明らかになるのでしょうか。そのことに、わたしはとても興味があります。ぜひ、著者には科学の徒として本気で挑んでいただきたいものです。

 

古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実 (NHK出版新書 556)

古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実 (NHK出版新書 556)

 

 

 2018年10月22日 一条真也