『一発屋芸人列伝』

一発屋芸人列伝

 


一条真也です。
12日夜、全互協の齋藤前会長の慰労会が福岡で開かれました。全互協の政策統括室長として齋藤前会長を支えてきた弟と一緒に参加しました。慰労会の冒頭で、わたしが挨拶をさせていただきましたが、「昭和38年生まれで齋藤前会長と同い年なのですが、日本一尊敬している同級生です!」と申し上げました。全互協会長時代の4年間は素晴らしいリーダーシップを発揮されました。本当にお疲れ様でした。
さて、『一発屋芸人列伝』山田ルイ53世著(新潮社)を読みました。ブログ『芸人「幸福」論』で紹介した本を読んだら、もっと芸人のことが知りたくなりました。本書には、凄い芸人たちの凄い人生が詰っていました。



 

著者は、本名・山田順三で、お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当です。 兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中途退学。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。現在は山梨放送「はみだし しゃべくりラジオ キックス」、文化放送Podcast「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」のパーソナリティーを務めるほか、ナレーション、コメンテーター、イベントなどでも幅広く活動中。著書『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)も版を重ねています。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞の「作品賞」を受賞しました。

本書の帯


 

本書の帯には芸人たちの名前の上に「それでも、人生は続く。」と大書され、「不器用で不屈の人間たちに捧げる、涙と笑いのノンフィクション!」「雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞」と書かれています。
帯の裏には、以下の3人による推薦文があります。
「ブームには例外なく終わりが来る。そして、終わった後も生き続けなければならない。不器用だけれども、一歩一歩前に進んでいる一発屋芸人達。決して憐れな存在などではない。それを髭男爵の山田ルイ53世がホロ苦く教えてくれた」(東野幸治
「ここに出てくる芸人さんたちは、当たり前だが本当は誰も終わってなどいない。むしろ皆さんに共通しているのは、見えにくいけど『今を一所懸命生きている』ということだ。 私はその姿に胸を打たれた」(ジャパネットたかた創業者 高田明
「人の弱さを勝ち誇ったように刺すのは、もういいじゃないか。僕は最近、人はどうやって再生するのか、その人にとっての幸せは何か、ということに興味がある。この本には男爵の驚くような華麗な筆致で、弱さを抱えた人間たちの愛すべきルネッサンス(再生)が描かれている」(テリー伊藤

本書の帯の裏


 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
レイザーラモンHG── 一発屋を変えた男
コウメ太夫──“出来ない”から面白い
テツ and トモ──この違和感なんでだろう
ジョイマン──「ここにいるよ」
ムーディ勝山と天津・木村──バスジャック事件
波田陽区── 一発屋故郷へ帰る
ハローケイスケ──不遇の“0.5"発屋
とにかく明るい安村──裸の再スタート
キンタロー。──女一発屋
髭男爵──落ちこぼれのルネッサンス
「おわりに」


 

本書では、世の中から「消えていった」芸人たちのその後の人生を、自らも「一発屋」を名乗る著者が追跡取材しています。この世で、「一発屋」と呼ばれるお笑い芸人ほど数奇な運命の人間もあまりいないでしょう。とにかく、その人生はアップダウンのきわみ。そんな一発屋芸人の中から、特にわたしのお気に入りたちの凄みをYouTube動画とともに紹介したいと思います。なお、動画の下の文章は本書からの引用です。

 

 

コウメ太夫

「彼には、芸人なら本能的、あるいは経験則に備わっている筈の常識や回避能力・・・・・・“反射”がないのである。言ってみれば、指で突かれても、目を見開いたままの人間。まるで、恐怖心がないようにさえ思える。そうでなければ、『たこ焼き買ったら、1個足りませんでした・・・・・・チクショー!!』
そんな弱い武器で、舞台に上がるおとなど出来ない。
少なくとも、僕には。
失礼を承知で言えば、全てが的外れ。しかし、言い方を変えれば、『必ず的を“外せる”』ということでもある。一度『的を外すことが正解』とルール改正が行われれば、全ては正解になるのだ」



 

●テツ and トモ
「当時のお笑い界、特に若手芸人の世界を見渡しても、テツトモの二人は群を抜いて“ダサかった”。あの頃の若手芸人シーンは、ポップ至上主義。女子高生に『ワーキャー』言われるお洒落な格好と、スマートなネタを披露する芸人が人気を獲得していた。そんな時代に、ギター片手にジャージ姿。古いタイプの『苦節顔』。とてもじゃないが、売れる方程式に該当するスタイルではない。歌ネタの節回しも、若者らしいポップさは皆無。かといって『あえてやっているんだ!』という“戦略的な昭和回帰”でもない」
「一般的なお笑い界から隔絶された環境で、のびのびと“閉鎖的に”笑いに取り組んだ結果、その芸は、独自の進化を遂げた。謂わば、芸風のガラパゴス化ガラケー(携帯)が失った競争力も、ガラゲー(芸)ならむしろ倍増。テツトモは、『井の中』とも言える環境で、蛙ではなく、イグアナになったのである」



 

波田陽区
「そもそも、彼の“毒”は、その成り立ち、前提条件からして違っていた。かつて、事務所の先輩ふかわりょうは、『負け犬みたいな奴が芸能界の外からギャンギャン吠えているから面白かったけど、それが芸能界の内側に入ると、「身内を斬る」ことになってしまう』と分析したそうだが、言い得て妙である」
「遠く離れた外野席から、不意に響き渡る無責任な罵声・・・・・・“負け犬の遠吠え”だからこそ、人は皆許容し思わず笑ってしまう。しかし、金と名声を手に入れ、“芸能人”の仲間入りを果たした波田の毒舌は、その拠り所を失った。(中略)皮肉にも、ギター侍は、売れていない方が面白いという構造的問題を孕んでいたのである」



 

キンタロー。
「顔のデカさは長年彼女のコンプレックスだったが、お笑いの世界では強力な武器。とんねるず石橋貴明にも、『君のその体型は宝だ!』と太鼓判を押された。目測四頭身のアンバランスな体型が醸し出すマスコット感、ギャグ漫画感は唯一無二。そこに佇むだけで既に面白く、笑いを誘う。もう1つは、過剰にキレのある動き。日本トップレベルの社交ダンスの実力に裏打ちされた彼女の動きは、男性芸人の“ギャガ―”に匹敵すると言っていい。
最後に、忘れてはならないのが、モノマネ芸、それ自体の精度の高さ。ブレイク前、徐々に披露していた光浦靖子のモノマネなどは、『滅茶苦茶似てる。凄い子が出てきた!』との称賛の声が、筆者の周りでも多数聞かれた。
面白体型の人間が、キレのある動きで、そっくりのモノマネをする・・・・・・出世作、『元AKB・前田敦子のモノマネ』はキンタローの“強み”が全て詰まった真骨頂。売れないわけがない」



 

「おわりに」の最後には、著者は次のように書いています。
「記憶の玩具箱、そこに詰め込まれた一発屋達を、『消えた』、『死んだ』と捨て去る前に、もう一度、目次のページを眺めて欲しい。(中略)ズラリと並んだ芸人達の名が諸君の目に未だ、戦没者リスト、あるいは、墓標のように映るのであれば、それは筆者の力不足。潔く認め、降参しよう。しかし、もしそうでないのなら・・・・・・グラスを酒で満たし、祝杯を挙げさせて頂く。手前味噌で申し訳ないが、勿論、乾杯の発声は、『ルネッサーンス!!!』
フランス語で『再生』と『復活』を意味する言葉である。
掲げられた杯は、彼ら一発屋の復活の狼煙、再生の幕開けとなるだろう」


 

本書を通読して、わたしは、「一発屋」と呼ばれる芸人たちの“いま”が、ブレイクした“あの時”より面白かったりすることに、ちょっと感動しました。
どうしようもなく不器用な人間たちの生き様が描かれた本書を読めば、「生きる」ことへの勇気が得られるように思います。サンレー本社の近くには「チャチャタウン小倉」というシネコンなどが入った商業施設があるのですが、そのイベント広場には、ときどき一発屋芸人が営業で来ています。今度からは、映画鑑賞の前後に彼らの生き様を見てみたいと思います。

 

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝

 

 

2018年9月13日 一条真也

『芸人「幸福」論』

芸人「幸福」論 格差社会でゴキゲンに生きる!


一条真也です。
『芸人「幸福」論』プチ鹿島著(KKベストセラーズ)を読みました。「格差社会でゴキゲンに生きる!」というサブタイトルがついています。著者は1970年長野県生まれのお笑い芸人で、時事ネタを得意とする芸風で知られています。著書に、ブログ『教養としてのプロレス』ブログ『プロレスを見れば世の中がわかる』で紹介した本などがあります。じつは、ブログ『長州力 最後の告白』で紹介した本の最後に「お笑い」が取り上げられており、プロレスラーとお笑い芸人の共通点が多く指摘されていました。それで、プロレス・ファンであるわたしも「お笑い」に興味を抱き、本書を手に取った次第です。

本書の帯


 

本書の黄色いカバー表紙には多くのお笑い芸人のちっこい写真が使われ、やはり黄色の帯には「『気づき』『発想の転換』『開き直り』・・・芸人たちの多彩な人生劇場!」と書かれています。帯の裏には、「このプレゼンで人生が変わった!」と書かれ、以下の31組の芸人たちの名前が並んでいます。
メイプル超合金鳥居みゆき、ハリウッド・ザコシショウ、どぶろっく、U字工事日本エレキテル連合かもめんたるコウメ太夫、ねづっち、中山功太三浦マイルド、BBごろー、猫ひろしゾフィー、ホロッコ、錦鯉、デスペラードエルシャラカーニ、めいどのみやげ、Hey!たくちゃん、セクシーJ、銀座ポップ、島田洋七、ノッチ、冷蔵庫マンガッポリ建設、中村シェフ、横須賀歌麻呂、よしつねつねお、チャンス大城松本ハウス

本書の帯の裏


 

バー前そでには、以下の内容紹介があります。
プチ鹿島が31組の芸人人生を聞いて書いた!
そこには“気づき”や“プレゼン力”、“開き直り”や“発明”、“発想の転換”などがてんこ盛り。芸人の『幸福論』とは何なのか?
売れても売れなくてもゴキゲンな理由とは?」


 

本書は、今やテレビのコメンテーターとしても活躍し、各新聞、雑誌での連載本数も爆増している芸人・プチ鹿島が、隔月刊誌「CIRCUS MAX」で2012年12月号から2018年2月号まで連載した「プチ鹿島の芸人人生劇場」を加筆修正の上でまとめたものです。長期間にわたる連載のため、すでにブレイクを果たしている芸人なのに下積み時代のインタビューだったり、内容が古いものもあります。また、1組あたりのページ数が少なくて情報不足なのが難ですが、独自の視点でさまざまな芸人たちの生き様が興味深く紹介されています。ここは、31組の中から、わたしのお気に入りの(といっても、セクシーJと冷蔵庫マンは本書で初めて知りましたが)6組をご紹介したいと思います。なお、YouTube動画の下の文章は本書からの引用です。とにかく個性的な6組です。


メイプル超合金
カズレーザーは、そもそもお笑いに強く憧れていたわけではない。
『家にモンティパイソンのビデオがありましたけど、中学のときに「笑う犬シリーズ」(フジテレビ)に触れたのが最初かも』
同志社大学在学時に就活するも『とにかく働きたくなかった』。では、時間あたり給料が一番いい仕事はなんだろう、と調べたら横綱だった。さすがにそれはあきらめ、お笑いならいいかなぁと思ったという。合理的だ。高校の時にM-1が始まり、漫才をじっくり見たことでお笑いの面白さは知りはじめていた。ちなみに大学時代から衣装は赤かったらしい。この世界に入ってからはピンで活動していたが、『6年スベり続けていました』。」


鳥居みゆき
「『小学生のころ、占い師に35歳までしか生きられないと言われたの。それがずっと頭の隅にある。だから、やりたいことはすぐやるようになった。例えば、しゃべってるときも違う話になったら、あ、そっちしゃべんなきゃという風に』何だか、分かった気がする。ともすれば鳥居みゆきは『落ち着かない』と思われる人だ。いろんな意味で。しかしそれは狙いやキャラではなく“タイムリミットがある”という意識が、彼女をそうさせると考えたら腑に落ちるではないか」


ハリウッドザコシショウ
「黒パンツとSNS。すべては『R-1ぐらんぷり』の予選会場で『自分を知らないという空気にしないため』という準備だった。
そしてあの『誇張ものまね』である。『昔からものまね何十連発っていうネタは評判良かった。マニアックな対象でこれだけいけるなら、有名人を誇張してやったらもっとウケるのでは? と気づいて。それが3年くらい前』
ネタの見せ方も変えた。『以前は、古畑任三郎のものまねは曲をいきなり流して登場して“ハンマーカンマー”と言っていたんです。でも、それだとマニアにしかウケない。だからフリップに『誇張しすぎた古畑任三郎』って書いて、ワンクッション置いたんです。突然のギャグでなく、ものまねを懸命にやってる形にした。そしたらウケ方が変わりましたね』」

 日本エレキテル連合
「『志村けん』の影響が今も大きいことも分かる。人間のおかしみや哀しみを過剰なディテールで身を包み、表現する。彼女たちは無意識だろうが、男好きする笑いでもある。そして何より『子供』もエレキテルが好きだ。考えてみてほしい。『ダメよ~、ダメダメ』のあのフレーズは、ドリフが今も現役なら志村けんさんが毎週使っていそうなギャグだ。子供がマネをして、親が苦い顔をしそうなギャグ。どこか、そんな懐かしい風景が現代に甦ったとも言えまいか?」
「最後に『おしゃべりワイフ 未亡人朱美ちゃん3号』のネタは何がヒントだったか聞いてみた。『ジジイが中年のおばさんを口説いていたんです。女の人は感情がなくて、ホント人形みたいで。私たち、ジジイがちゃんと口説けるかどうか、ハラハラしてずっと粘って見ていたんです・・・東村山のジョナサンで』 東村山・・・・・・。やっぱり志村けん!」


●セクシーJ
「あなたは“金玉洗い”という芸を知っているだろうか。知らなくても大丈夫だが、紹介しよう。セクシーJは、ほぼ全裸。ふんどし一丁で舞台に登場する。あろうことか、そのふんどしの下からは『金玉』がぶらぶら。ストッキングに入れた2個のボールで表現しているのだ。裸で玉をぶら下げた胸毛だらけのその男は、粛々と儀式を行なう。金玉洗いとは、どうやら『奉納芸』らしい」


冷蔵庫マン
「その男が舞台に登場すると、会場は何ともいえない幸せな空気になった。男は真っ白に塗った段ボールを上半身にかぶり、自分を『冷蔵庫』に見立てている。『ヒエ(冷え)、ヒエ、ヒエ~』と高いテンションで叫びながらダジャレを言う。そう、冷蔵庫だけに冷え冷えのギャグが売りなのだ。
『なんだあいつ、松茸狩りであんなに喜んだのに1時間も遅刻だよ。絶対許せねー』『待ったぁ?』『けっ!』
『松茸』と『待ったぁ?けっ』・・・・・・。戦慄のダジャレである。最後に『さーむい!寒い!』と言い放ち、男は冷蔵庫の扉をバタンと閉める」


本書に登場する芸人たちの中で、ここに紹介した6組はわたしのお気に入りで、彼らの動画を見ると、何とも言えぬ幸せな気分になります。しかしながら、今一番お気に入りの芸人は、“野性爆弾くっきー”です。わたしは彼が大好物で、彼の芸なら何時間ぶっ通しで見ても飽きません。腹の底から笑えます。世界一面白い芸人だと思います。本書に“野性爆弾くっきー”が出てこないことだけは残念でした。はい。

 

 

2018年9月12日 一条真也

9・11に想う

一条真也です。
この記事は「はてなブログ」の予約投稿により、午後9時11分にUPしました。
今日は、2018年9月11日です。世界を揺るがせたテロ事件から17年が経過したことになります。わたしは、2001年10月1日に株式会サンレーの社長に就任しました。その直前の9月11日に起こったのが、米国同時多発テロ事件でした。

www.youtube.com

 

ニューヨークの世界貿易センタービルでは、じつに2753人が犠牲になりました。ブログ「グラウンド・ゼロ」に書いたように、2014年の9月、わたしはニューヨークを訪れました。マンハッタンの各所を回りましたが、「グラウンド・ゼロ」が最も強く印象に残りました。

「9/11 MEMORIAL」に向かう

犠牲になった消防士のモニュメント

 

Wikipedia「グランウンド・ゼロ」には、以下のように書かれています。
グラウンド・ゼロ(英: ground zero)とは、英語で『爆心地』を意味する語。強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾水素爆弾の爆心地を指す例が多い。従来は広島と長崎への原爆投下爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地、また核保有国で行われた地上核実験での爆心地を『グラウンド・ゼロ』と呼ぶのが一般的であった。しかし、アメリカ同時多発テロ事件の報道の過程で、テロの標的となったニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)が倒壊した跡地が、広島の原爆爆心地(原爆ドーム、正確には原爆ドーム近隣の島病院付近)を連想させるとして、WTCの跡地を『グラウンド・ゼロ』とアメリカのマスコミで呼ばれ、これが定着した」

「9/11 MEMORIAL」の入口

 

「9/11 MEMORIAL」モニュメントの前で

 

WTCは、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が管理していました。Wikipedia「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の「同時多発テロ事件とその後」には、以下のように書かれています。
「2001年9月11日の同時多発テロ事件での世界貿易センターの崩壊は、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社にも大きな打撃を与えた。港湾公社の本部もまた世界貿易センターにあり、職員にも多くの犠牲を出した。事件当時、約1400名の職員が世界貿易センターで勤務していたと推定されている。そのうち、ポートオーソリティ警察の警官37名を含む、84名の職員が事件で死亡した。事件で死亡した職員の中には、同年4月からエグゼクティブ・ディレクターを務めていたニール・d・レビンやポート・オーソリティ警察の警視フレッド・モローンもいた。崩壊後の救助作業により、ポート・オーソリティ警察の警官2名が、崩壊から24時間を経過した後で9mもの高さに積み上がった瓦礫の下から救助された。後に、この2名の警官の救出劇はオリバー・ストーン監督、ニコラス・ケイジ主演の映画『ワールド・トレード・センター』で描かれた」

新しい風景が生まれていました

 

 

現在、世界貿易センターの跡地には「9・11メモリアル」のモニュメント、そしてフリーダムタワー(Freedom Tower)が建っています。フリーダムタワーは2009年に「ワールド・トレード・センター・コンプレックス」と名称変更され、2014年末に完成しました。

新しい「ワールド・トレード・センター・コンプレックス」にて

 

日本人にはあまり知られていませんが、9・11以降じつに半年にわたってニューヨークの人々は悪臭に苦しめられたそうです。雨が降ると、街中にプラスチックの焼ける臭いが立ち込めました。グラウンド・ゼロの地下では、ずっと火が消えておらず、くすぶり続ける大量の瓦礫が山のように積み重なっていました。雨が降ると、それらが自然鎮火されてプラスチックを焼いたような悪臭が漂ったのです。ダウンタウン一帯が悪臭に包まれ、30分もすると頭が痛くなってきたとか。そんな話、わたしは初めて知りました。


全犠牲者の名前がプレートに刻まれています

 

そんな歴史を持つ場所に新しい風景が生まれていました。わたしはグランウンド・ゼロで犠牲者の冥福を祈って合掌し、心からの祈りを捧げました。帰り道、犠牲者のための寄付を募っていました。わたしが貧者の一灯を募金箱に入れると、「9/11 MEMORIAL」と書かれた白いリストバンドを貰いました。今でも大切にしています。

白いリストバンドを貰いました

 

1999年7の月、ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」は降りませんでした。20世紀末の一時期、20世紀の憎悪は世紀末で断ち切ろうという楽観的な気運が世界中で高まり、人々は人類の未来に希望を抱いていました。
20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代でした。
何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀と言えるでしょう。
もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わらないが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が1度ならず2度も起こったのです。その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上といいます。そんな殺戮の世紀を乗り越え、人類の多くは新しく訪れる21世紀に限りない希望を託していたのです。

 

しかし、そこに起きたのが2001年9月11日の悲劇でした。
テロリストによってハイジャックされた航空機がワールド・トレード・センターに突入する信じられない光景をCNNのニュースで見ながら、わたしは「恐怖の大王」が2年の誤差で降ってきたのかもしれないと思いました。
いずれにせよ、新しい世紀においても、憎悪に基づいた計画的で大規模な残虐行為が常に起こりうるという現実を、人類は目の当たりにしたのです。
あの同時多発テロで世界中の人びとが目撃したのは、憎悪に触発された無数の暴力のあらたな一例にすぎません。こうした行為すべてがそうであるように、憎悪に満ちたテロは、人間の脳に新しく進化した外層の奥深くにひそむ原始的な領域から生まれます。また、長い時間をかけて蓄積されてきた文化によっても仕向けられます。それによって人は、生き残りを賭けた「われら対、彼ら」の戦いに駆りたてられるのです。

 

ハートフル・ソサエティ

ハートフル・ソサエティ

 

 

グローバリズムという名のアメリカイズムを世界中で広めつつあった唯一の超大国は、史上初めて本国への攻撃、それも資本主義そのもののシンボルといえるワールド・トレード・センターを破壊されるという、きわめてインパクトの強い攻撃を受けました。その後のアメリカの対テロ戦争などの一連の流れを見ると、わたしたちは、前世紀に劣らない「憎悪の連鎖」が巨大なスケールで繰り広げられていることを思い知らされました。まさに憎悪によって、人間は残虐きわまりない行為をやってのけるのです。そんなことを考えて、わたしは『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を書きました。

 

ユダヤ教VSキリスト教VSイスラム教―「宗教衝突」の深層 (だいわ文庫)

ユダヤ教VSキリスト教VSイスラム教―「宗教衝突」の深層 (だいわ文庫)

 

 

21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたと言ってよいでしょう。あの事件はイスラム教徒の自爆テロリズムによるものとされていますが、この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないということを誰もが思い知りました。
世界における総信者数で1位、2位となっているキリスト教イスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教です。つまり、このユダヤ教キリスト教イスラム教の源は1つなのです。ヤーヴェとかアッラーとか呼び名は違っても、3つとも人格を持った唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典をいただく「啓典宗教」です。
啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことです。おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とします。わたしは、21世紀を生きる上で、日本人はこの三大一神教について深く知ることが不可欠と考え、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)を書き、3つの宗教ともに月信仰がベースにあることを突き止めました。

 

月面上の思索

月面上の思索

 

 

アポロの宇宙飛行士の中には、月面で神を感じた者もいました。
詳しくは、ブログ『月面上の思索』をお読み下さい。月から地球を見ると、かのエベレストでさえも地球の皺にしか見えないといいます。それと同じように、神という絶対的な存在にとってみればどんな権力者も貧乏人も民族も国籍も関係ありません。人間など、すべて似たようなものなのです。
アッラーの前には、すべての人間は平等である」と考え、イスラム教を月の宗教としたムハンマドは、このことにおそらく気づいていたのでしょう。月の視線は、神の視線なのです。アポロの宇宙飛行士たちは、まさに神の視線を獲得したのです。そして、すべての宗教がめざす方向とは、この地球に肉体を置きながらも、意識は軽やかに月へと飛ばして神の視線を得ることではないでしょうか。

 

考えてみれば、月はその満ち欠けによる潮の干満によって、人類を含めた生命の誕生と死を司っています。そして、月は世界中の民族の神話において「死後の世界」にたとえられました。世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。

 

ロマンティック・デス―月を見よ、死を想え (幻冬舎文庫)

ロマンティック・デス―月を見よ、死を想え (幻冬舎文庫)

 

 

多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然でしょう。死なない人間はおらず、それゆえに死は最大の平等です。すべての人間が死後、月に行くのであれば、これほどロマンのある話はないし、そこから宗教を超えた人類の心の連帯が生まれるのではないでしょうか。そんなことを考え、わたしは『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)を書きました。
すべての宗教を超えて、地球上の人類は月を見上げるべきである。
月を見よ、死を想え! 最古の月神シンの記憶を蘇らせよ!
それこそが「人類平等」「世界平和」への第一歩であると確信します。

 

2018年9月11日 一条真也

歌道を心得ていれば常の出言に慎みがある(北条早雲)


一条真也です。
今回の名言は、戦国武将である北条早雲の言葉です。
わたしは「庸軒」の雅号で短歌を詠んでいますが、歌というものを見直す必要があると常々思っています。戦国史研究の第一人者である静岡大学教授の小和田哲男氏によれば、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものだったそうです。加藤清正などは、武士があまりに和歌・連歌に熱中してしまうと、本業である「武」の方がおろそかになってしまうことを警戒していたぐらいだったとか。そして、北条早雲は、「歌道を心得ていれば、常の出言に慎みがある」と述べたといいます。


北条早雲 (SPコミックス)

北条早雲 (SPコミックス)



和歌は五・七・五・七・七の31文字、連歌は五・七・五の上の句と、七・七の下の句の連続で、いずれにしても、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければなりません。早雲は、そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にもあらわれるとみていました。言葉に対する感性や表現力を育てるのです。じつは、歌心があるかないかで、その人に「品格」や「情」があるかないかがわかるという考え方は昔からありました。


徳川家康は何人かの家臣たちと雑談していて、話が源義経のことに及んだとき、「源義経は生まれつきの大将ではあるが、歌学のなかったことが大きな失敗だった」と言い出したそうです。家臣たちは、「義経に歌道がなかったというのは聞いておりません」と家康に言うと、家康は、「義経は、〝雲はみなはらひ果たる秋風を松に残して月を見るかな〟という古歌の心を知らなかった。そのために身を滅ぼした。平家を少しは残すべきだったのだ」と答えたのでした。家康は自分で詩作をするのは苦手だったようですが、よく読んで勉強はしていたと思われます。そして、古歌をただ教養として学んでいたのではなく、自身の生活態度、さらに政治・軍事にも応用していたことがわかる。家康にとって歌学は、生きた学問だったわけです。

 

また、連歌の場合はもう1つの意味があり、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要でした。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」といった信仰があったのです。連歌の場合は連衆(れんしゅう)といって、何人かが車座になって上の句と下の句をつなげていくわけで、明らかに「輪」の文化と呼べるものです。「輪」は「和」に通じ、家臣団の意思統一につながっています。そして、それは、和歌・茶の湯についても同様でした。「輪」すなわち「和」の文化は、コミュニケーションを強化する機能をもつことは言うまでもありません。

 

リーダーのコミュニケーション力は、情報を伝えることよりも、ある組織文化の中で一体感、親近感を生み出すために役立つことが求められる。特に五・七・五・七・七のリズムには、人間の心の奥底にまで届くような魔術的な要素がある。会社の使命や志などを詠込んだメッセージ性のある歌をみんなで繰り返し唱和すれば、あたかも「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えるような宗教的で荘厳な雰囲気さえ生じ、そこに強い連帯感が生まれます。いま、和歌や連歌などの日本文化を見直す必要があるでしょう。
なお、今回の早雲の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

 

2018年9月12日 一条真也

「ふくおか経済」取材

一条真也です。
11日の11時から、月刊「ふくおか経済」の取材を受けました。同誌は九州の名門経済誌で、わたしも毎月愛読しています。わが社も、よく記事に取り上げていただき、いつも感謝しています。

f:id:shins2m:20180911132323j:plain
インタビュー取材のようす

 

今回は、同誌の11月号に掲載される「FACE」というページの取材でした。少し気が早いですが、今年を振り返り、来年を展望するという内容のインタビュー記事です。いつものように、同誌の八尋修平さんがカメラマンの方と一緒に来て下さいました。まずは、サンレー本社の貴賓室でインタビュー取材を受けました。

f:id:shins2m:20180911132452j:plain八尋さんのインタビューを受けました

 

最初に、わたしは以下のような話をしました。
北九州市の高齢者比率は30パーセントに迫る勢いです。全国に20ある政令指定都市の中でも最も高い数字となっており、日本一の超高齢都市といえます。「高齢化社会」「多死社会」を迎えるにあたってこれまでの「葬儀を行う施設」から「葬儀も出来る施設」への転換、つまり「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」の転換が求められていると考えられます。つまり、「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」への転換です。

f:id:shins2m:20180911111126j:plain冠婚葬祭のアップデートについて述べました

 

わたしは、冠婚葬祭のアップデートについて次のように考えています。

(1)冠婚葬祭1.0(戦前の村落共同体に代表される旧・有縁社会の冠婚葬祭)

(2)冠婚葬祭2.0(戦後の経済成長を背景とした互助会の発展期の冠婚葬祭)

(3)冠婚葬祭3.0(無縁社会を乗り越えた新・有縁社会の冠婚葬祭)

いま、七五三も成人式も結婚式も、そして葬儀も大きな曲がり角に来ています。現状の冠婚葬祭が日本人のニーズに合っていない部分もあり、またニーズに合わせすぎて初期設定から大きく逸脱し、「縁」や「絆」を強化し、不安定な「こころ」を安定させる儀式としての機能を果たしていない部分もあります。いま、儀式文化の初期設定に戻りつつ、アップデートの実現が求められています。「冠婚葬祭3.0」、さらには「冠婚葬祭4.0」の誕生が待たれているのです。

f:id:shins2m:20180911132659j:plain上智大学グリーフケア研究所客員教授就任について

 

それから、4月1日付で、わたしが上智大学グリーフケア研究所客員教授に就任したことについて、いろいろ聞かれました。わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えており、サンレーでも自助グループを立ちあげてグリーフケア・サポートに取り組んできました。これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいと思います。「冠婚葬祭業を超えて、宗教界、医療界にグリーフケアの橋を架けたい。そして、日本人の自死を減らしたい」とも述べました。

f:id:shins2m:20180911115634j:plain

 

 

それから、小倉紫雲閣の大ホールで写真撮影をしました。わが社が推進する「セレモニーホールのコミュニティセンター化」のシンボル的な空間です。サンレーとしては、今後はセレモニーホールをシニア世代が日頃から集える交流施設として活用することにより高齢者が安心して楽しく生活できる街づくりを目指します。また、独居老人の増加やコミュニティの崩壊による孤独死の問題などにコミュニティセンター化を行うことが問題の解決の糸口となるのではないか考えます。このインタビュー記事は「ふくおか経済」11月号に掲載されます。どうぞ、お楽しみに!

f:id:shins2m:20180911115156j:plain「ふくおか経済」11月号に掲載されます

 

2018年9月11日 一条真也拝 

独りで生まれて一人で死ぬ

人の一生は稲妻のような速さで駆け抜けていってしまう。そして、私たちは誰もが独りで生まれて、一人で死んでいく。(『性霊集』)


一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。


超訳空海の言葉

超訳空海の言葉


「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。
わたしは『超訳空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。

 

2018年9月11日 一条真也

『長州力 最後の告白』

長州力 最後の告白

 


一条真也です。
北海道地震の犠牲者は42人になりました。
犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。
長州力 最後の告白』長州力水道橋博士著(宝島社)を読みました。「誰にも語れなかったプロレス重大事件その真相と顛末」というサブタイトルがついています。昭和プロレス関連書はエピソードを掘りつくした感があり、なかなか新しい情報を得ることは難しくなってきました。「もう、この手の本はいいかな」と思いつつも、発売されると読まずにはいられないのは、昭和プロレス、いや、活字プロレス・ファンの性ですね。本書は、ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読を! 

北海道地震の犠牲者は35人になりました。
犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。
北海道地震の犠牲者は35人になりました。
犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。


本書の帯


 

カバー表紙には、前田日明から顔面襲撃された直後の長州力の怒りの形相をとらえた写真が使われています。帯には、長州力水道橋博士の顔写真とともに、「来年中の引退を宣言!」「水道橋博士がガチンコ取材!」「1・4『橋本vs小川』は日大アメフト事件に実によく似ている――」と書かれています。


本書の帯の裏


 

帯の裏には章立てとともに、「お笑いで言えばチンタ(橋本真也)はダウンタウン」と書かれています。また、カバー前そでには「結局は会長(アントニオ猪木)が“インパクトの粉”を振った結果なんです」、カバー後そでには「あなたたちはみんなターザン山本の教え子なんです」という長州語録が掲載されています。


 

さらに、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「1980~90年代のプロレス界において斬新なアングルを使ってスターとなった長州力が、自身が関係した『プロレス事件』についてその舞台裏を告白する。噛ませ犬発言、藤波との名勝負数え唄、ジャパンプロレス設立、前田による顔面襲撃事件、現場監督としてUインター対抗戦を決行、WJ旗揚げと空中分解、アントニオ猪木との確執・・・・・・沈黙の“革命戦士”がすべてを語る」


 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」水道橋博士
第1章 プロレスへの苦悩と「噛ませ犬」発言
第2章 前田日明と「長州顔面蹴撃」の先
第3章 90年代ドーム興行連発の“インパクト”
第4章 「1・4事変」と橋本真也への思い
第5章 長州力引退と「大仁田劇場」の結末
第6章 格闘技と「新日本暗黒時代」の長州力
特別収録 長州力×水道橋博士対談「プロレス芸人論」
「詳細 長州力完全年表」
「おわりに」水道橋博士

真説・長州力 1951‐2015

真説・長州力 1951‐2015

 

 
「はじめに」では、宝島社から長州力のインタビュー本をつくらないかというオファーが来たとき、水道橋博士は「なぜ?」と腑に落ちなかったことを告白しています。ブログ『真説・長州力』で紹介した本がすでに3年前に出版されていたからです。水道橋博士は「この評伝、ノンフィクション作品に対するボクの評価は著しく高い。しかも、著者の田崎健太は、現在、ボクが編集長をつとめるメールマガジン水道橋博士のメルマ旬報』の執筆者というきわめて近い関係であり、彼が数多ある長州本の決定版を著すため、膨大な時間を取材に費やしたことを知っていた」と述べています。

 しかし、最終的に水道橋博士は、このオファーを受けます。この企画が長州サイドからの指名であったことと、当時の水道橋博士が置かれていた状況がオファー受諾の大きな理由でした。2018年上半期の芸能界はオフィス北野問題が大きな話題になりましたが、これはきわめてプロレス的な問題でした。水道橋博士いわく「この世界は『一寸先は闇』であり、選手(芸人)とフロント(背広組)は、周知の環境で権力闘争と離合集散を繰り返すところなど、プロレス界と芸能界の相似な関係を暗喩していた」というわけです。

 

マスコミ嫌いで有名な長州から「博士だったら話す!」と言われ、水道橋博士も気を良くしたのか、これまでの長州力の歴史におけるさまざまな「噂」や「事件」の真相について単刀直入に質問していきます。長州は、プロレスの裏側に触れるような話題になると、これまでと同様に肝心なことは語りませんが、それでもいくつか本音のようなものを吐露しています。水道橋博士による長州へのインタビューは6つの章および対談に再構成され、各章の冒頭に構成者が明記されています。
博士の発言は、当時の状況や博士の感想を紹介するスタイルでまとめられ、それを受けた形で長州の発言が太字で記されています。

 

 第1章「プロレスへの苦悩と『噛ませ犬』発言」では、1982年10月8日の後楽園ホールで起こった「噛ませ犬事件」が取り上げられます。6人タッグマッチのパートナーであった藤波に対して、長州は「俺は、お前の噛ませ犬じゃないぞ!」と牙を剥いたわけですが、この“黒幕”“仕掛人”はアントニオ猪木だったのではないかという水道橋博士の質問に対して、現在の長州は、「あの時、事を起こしたきっかけとして、(猪木)会長の言葉というのは、やはりありますよ。あの日、控室に呼ばれて『お前は、藤波に対してどういうものを持っているんだ?』『このままじゃ、メキシコから帰ってきてもずっと同じ、お前は、このまま終わるぞ』というようなことを言われて」と語っています。

 

長州は、次のようにも語っています。
「具体的にアレをしろとかいうのはないんですよ。謎かけみたいなもので。だから、それをどう捉えるかは、自分次第。こういう会長が振りかけるインパクトは、ある意味で怖いところもありますよね。たぶん、全員にはわからないことを会長はする。だから藤波さんは、なぜ僕がああいう行動を取ったのかわからなかったはずですよ。あそこで僕は『ああ、こういうもんなんだな』と感じて、行動に出た」
最後に、長州は「アントニオ猪木の怖さというか醍醐味というか、ファンを捕まえるっていうところなんじゃないですかね」と語っています。これに対して、水道橋博士は「いまも、噛ませ犬発言のウラトリに決定的な証拠はないんだけど、ボクは長州の告白にある、猪木の言い回しに、日大の悪質タックル事件の内田監督を彷彿させるものがったと思う」とコメントしています。


「みんな永遠に猪木会長の手のひらの中」という長州は「インパクトの粉」という言葉を使って、次のようにも語っています。
「僕やアキラ、高田なんかが新日本を飛び出したっていうのは、結局は会長が“インパクトの粉”を振った結果なんですよ。そのインパクトの粉というのは、誰にも振られるわけではないし、振られたところでどうするのかは、その選手次第。全員がなにかをやれるとは、絶対に言えないですからね。大きく言えば、プロレスという世界があるわけだから、そこでまず波を起こしていくというインパクトは必要。会長はその波を起こさせるために、インパクトの粉を振っていたんでしょう」


この「インパクトの粉」という長州の独自の表現に痺れた水道橋博士は、前田日明の「カッコウの巣」理論を思い出したそうです。かつて、前田は猪木のことをカッコウにたとえて、「猪木さんの毒なしでは生きられなくなってしまったレスラーは多い。猪木さんは毒に対する抵抗力の強い人間には、カッコウの卵を産みつける。カッコウは、モズやホオジロなどのほかの鳥の巣に卵を産む。そして、卵がかえると、カッコウのヒナは、自分の周りの卵をすべて巣の外に落としてしまう。とんでもない習慣を持った鳥だよね。猪木さんは、カッコウと同じように他人の人格のなかに猪木イズムを産みつける。成長しながら、その人間個性や感覚を消していくんだ。つまり猪木イズムがカッコウのヒナなんだよ」と語りました。


長州力前田日明も、ともに「言葉のプロレスラー」です。もちろん両者は実力と人気を兼ね備えた一流のプロレスラーでしたが、言葉というものを武器として闘った表現者でもありました。その2人が大事件の主役となったのが、第2章「前田日明と『長州顔面襲撃』の先」で取り上げられる1987年11月19日の後楽園ホール大会でした。6人タッグマッチで前田が背後から長州の顔面へキックを放ったのです。たちまち長州の目は腫れ上がり、鼻から血が吹き出します。怒り心頭の長州は前田に殴りかかり、大混乱になりました。このいわゆる「顔面襲撃事件」について加害者の前田は、キックを放つ前に長州の肩を叩いて合図をしており、あれは長州の受け方に問題があったのではないかと発言しています。しかし、被害者となった長州の見解は異なっており、「僕は怒ってましたよ、あの当時は。いまはアキラが勝手に(真相を)成立させてますけど、『受け方が失敗』ってのはアキラの言い方であって(笑)、コッチからすると『アキラの未熟なキックが』ってね。『あの野郎、蹴りやがったな!』って(笑)。撲、アキラに会ったら『いまなら許してやるから。お前、本当に蹴っただろ?』って聞くんだけど、いつも『いや、違います』って言う(笑)」と語っています。

 

 

第4章「『1・4事変』と橋本真也への思い」では、99年1月4日の東京ドームで行われた橋本真也vs小川直也での小川の“セメント暴走”、通称「1・4事変」が取り上げられます。新日本プロレスの強さの象徴でもあった“破壊王”橋本が、元柔道世界王者の小川にセメントを仕掛けられ、完膚なきまでに叩き潰されました。まさに、プロレス界を根底から覆しかねない大事件でした。水道橋博士は、「この事件の真相には諸説あるんだけど、小川が猪木の指令を受けて“仕掛けた”というのが一般的だ。ただ、けしかけた猪木も、あそこまでやるとは思っていなかったという説もある。抽象的な言葉で、『橋本を潰してこい』と言われた小川が、キャリアが浅かったから、やりすぎてしまったという。個人的にこの話は、先頃世間を騒がせた日大アメフト部の危険タックル事件に実によく似ていると思う。『噛ませ犬事件』のところでも、この話はしたけど、猪木が内田監督で、小川が危険タックルを仕掛けた宮川選手、そして佐山サトルが井上コーチと考えればわかりやすい」と述べています。


「1・4事変」の背景には、大仁田厚の新日マット初登場があったようです。大仁田の過剰な「毒」を嫌った猪木が、大仁田戦を遥かに超えるインパクトを橋本vs小川で示そうとしたというのです。猪木は新日のレスラーたちに対して「お前たち、あの毒を飲み込めるのか? 飲み込めないのなら大仁田だけは触るな」と言ったとか。
第5章「長州力引退と『大仁田劇場』の結末」では、98年1月4日、新日本プロレス・東京ドーム大会で引退した長州が、度重なる大仁田からの挑戦パフォーマンスの結果、2000年7月30日の横浜アリーナ大会で大仁田とのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチでプロレス復帰を果たしたことが取り上げられます。
水道橋博士から復帰の真意を問われた長州は、「インディー対メジャーのイデオロギー? そんなのはまったくなかったです。プロレスはすべてが興行。興行会社にイデオロギーなんてものはない。だってインディーの選手は他にもいるわけだから。単純に、大仁田に客を呼ぶ能力があったということなんです。思想的なことは、その辺で止めておかないと」などと答えています。



第6章「格闘技と『新日本暗黒時代』の長州力」では、“400戦無敗”のヒクソン・グレイシーをめぐる貴重な新情報(長男ホクソンの死の真相など)も興味深かったですが、なんといっても、長州史上最強の男は“赤鬼”ウィレム・ルスカだったという事実が明かされたことが衝撃でした。
「柔道家からプロレスラーになった強豪では、東京オリンピックの金メダリスト、アントン・ヘーシンクもいるが」という水道橋博士の問いかけに対して、長州は「ヘーシンクが出てたのは全日本でしょ? それよりヘーシンクには負けたけど銀メダルを獲った神永昭夫さんのスパーリングパートナーが坂口さんだったの知ってますか。ということは坂口さんもすげえ強かったってことだよね(笑)」 それでは、ルスカ以外にも強い男はいたのか。長州は、「全日本にいた叫ぶヤツ・・・・・・(ブルーザー・)ブロディにはヤバいとか怖いっていう感覚はなかったですね。バッドニューズ・アレンは悪くないこど、ルスカとは素材がまったく違いますからね。ルスカはリングのなかで成立しないんですよ。ヤバいと思ったのはルスカだけですよ。試合とかそういうのはもう度外視してた。強さだったら僕はもうすぐにルスカって言いますよ。要するにどんなに強くてもリングの中では試合は成立しますよ。でもルスカは成立しないんです(笑)」と語ります。

 

特別収録「長州力×水道橋博士対談『プロレス芸人論』」では、両者が「お笑い」についてガチンコで意見を交わします。長州力は、「引退したら毎日テレビを観る」と断言するほどのテレビ魔だそうです。特に好きなのはバラエティ番組で、「リモコンが壊れるんじゃないか」というくらいにチャンネルを変えながら、貪るようにお笑いをウォッチしているとか。芸人というものをリスペクトしているという長州ですが、「いまの時代、テレビでツッコミとボケっていう言葉がよく出るじゃない。僕から言わせると、プロレスと同じでそこまで知るべきことじゃなくて。芸人が『この野郎、ツッコミやがって』とか『お前はボケが下手だ』って、普通の会話のなかでやってる。僕はよくわかんないんだけど、自分たちで自分の首を絞めてないか?っていう」と疑問を呈します。

 

これに対して、芸人としての水道橋博士が、「まあ、もともと隠語、符丁ですよね。業界用語。それはやっぱり、ダウンタウン以降ですよ。ダウンタウンがツッコミとボケというのを公にして、かつ、2人があんなに見事なツッコミとボケだったという。あれは形としてツッコミとボケという役に徹していて、本人たちもツッコミとボケがなにかということを知っていたので。本当にもう、奇跡的なくらいに2人とも上手なんですよ。でも、言ってみれば松本(人志)さんが本当に天才で、もちろん浜田(雅功)さんも天才だけど、浜田さんはものすごくツッコミを練習しましたよ。『どういう大きさでどういう風に言えば、この松本が輝くか?』というのを。で、松本さんのことを浜田さんは『松本は本当の天才だ』って知っている人」と答えます。

 

これを聞いた長州は、「プロレスとそんなに変わらないですよ。マスコミが知ったような顔で『受け身』『受け方』って言葉で自分たちの雑誌に書き出しておかしくなった」と語り、博士は「なるほど。それはプレイヤー、経験者でもない人がしべてをわかったつもりで、異界のことをしたり顔で書くから、活字プロレス、いわば、ターザン山本の弊害だとは思うけど」などと述べます。
また博士は、ボケとツッコミとは別のお笑いの定義を紹介します。「お笑いとは何か?」というと「Mが主導権を握るSMショー」という言い方があるそうです。普通のSMショーはムチを入れる側であるSが主導権を取っていますが、お笑いというのはボケが主導権を握っています。つまり、ボケがネタを書き、Sに「ここでムチを打て」というスタイルでできているというのです。面白いですね!


最後に、「長州のプロレスはドキュメンタリー」として展開される2人の会話が興味深かったです。博士が「長州さんが維新軍をやり、体制に反乱し、その闘いを凝縮させたものをリングの中で見せていき、時代を生み、大衆の共感を呼んだんだと思います」と言ったところ、長州は「まあ、興行ですからね(笑)。そこのところを外しちゃうと成り立たない」と言うのです。
しかし、それを聞いた博士は「でも長州さん、それを言うんだったら、映画の監督が『作品の意図はなんだった?』と聞かれ、それに対して『映画は興行ですから』って言ってしまったら、その質問に意味を持たせられないじゃないですか。試合も含め大衆にさらしてるものを“作品”と捉えるからこそ批評は成り立っているわけで」と述べるのでした。この博士の発言には「さすが!」と思いました。



それを聞いた長州は、「ああ、そうか! だから、僕のプロレスはドキュメンタリーに走るんですかね(笑)。これは、選手1人ひとり違うと思うんだけど。大それた考えかもわからないけど。僕はドキュメンタリーの感覚だったし、ドキュメンタリーの要素が強かったのかなって」と言うと、博士は「本来は、レスラーと観客と虚構の王国であるプロレスの世界のなかでのドキュメンタリーですよね」と述べるのでした。


本書に書かれてあることはすでに周知の事実となっていることも多いですが、基本的にプロレスラーをリスペクトしている水道橋博士、お笑い芸人をリスペクトしている長州力の間に強い信頼関係があって、両者は心地よい言葉のプロレスを繰り広げていると思いました。水道橋博士は長州だけでなく、前田、高田とも懇意だそうですが、ぜひ、いつの日か長州・前田・高田の3人が一堂に会するトークショーを開催していただきたいと思います。それができるのは水道橋博士だけでしょう。

 

長州力 最後の告白

長州力 最後の告白

 

 

 

2018年9月9日 一条真也