歌道を心得ていれば常の出言に慎みがある(北条早雲)


一条真也です。
今回の名言は、戦国武将である北条早雲の言葉です。
わたしは「庸軒」の雅号で短歌を詠んでいますが、歌というものを見直す必要があると常々思っています。戦国史研究の第一人者である静岡大学教授の小和田哲男氏によれば、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものだったそうです。加藤清正などは、武士があまりに和歌・連歌に熱中してしまうと、本業である「武」の方がおろそかになってしまうことを警戒していたぐらいだったとか。そして、北条早雲は、「歌道を心得ていれば、常の出言に慎みがある」と述べたといいます。


北条早雲 (SPコミックス)

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和歌は五・七・五・七・七の31文字、連歌は五・七・五の上の句と、七・七の下の句の連続で、いずれにしても、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければなりません。早雲は、そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にもあらわれるとみていました。言葉に対する感性や表現力を育てるのです。じつは、歌心があるかないかで、その人に「品格」や「情」があるかないかがわかるという考え方は昔からありました。


徳川家康は何人かの家臣たちと雑談していて、話が源義経のことに及んだとき、「源義経は生まれつきの大将ではあるが、歌学のなかったことが大きな失敗だった」と言い出したそうです。家臣たちは、「義経に歌道がなかったというのは聞いておりません」と家康に言うと、家康は、「義経は、〝雲はみなはらひ果たる秋風を松に残して月を見るかな〟という古歌の心を知らなかった。そのために身を滅ぼした。平家を少しは残すべきだったのだ」と答えたのでした。家康は自分で詩作をするのは苦手だったようですが、よく読んで勉強はしていたと思われます。そして、古歌をただ教養として学んでいたのではなく、自身の生活態度、さらに政治・軍事にも応用していたことがわかる。家康にとって歌学は、生きた学問だったわけです。

 

また、連歌の場合はもう1つの意味があり、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要でした。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」といった信仰があったのです。連歌の場合は連衆(れんしゅう)といって、何人かが車座になって上の句と下の句をつなげていくわけで、明らかに「輪」の文化と呼べるものです。「輪」は「和」に通じ、家臣団の意思統一につながっています。そして、それは、和歌・茶の湯についても同様でした。「輪」すなわち「和」の文化は、コミュニケーションを強化する機能をもつことは言うまでもありません。

 

リーダーのコミュニケーション力は、情報を伝えることよりも、ある組織文化の中で一体感、親近感を生み出すために役立つことが求められる。特に五・七・五・七・七のリズムには、人間の心の奥底にまで届くような魔術的な要素がある。会社の使命や志などを詠込んだメッセージ性のある歌をみんなで繰り返し唱和すれば、あたかも「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えるような宗教的で荘厳な雰囲気さえ生じ、そこに強い連帯感が生まれます。いま、和歌や連歌などの日本文化を見直す必要があるでしょう。
なお、今回の早雲の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2018年9月12日 一条真也