一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「驚」です。


忘年会でエア・ピアノを披露♫

 

わたしは、人を驚かせることが子どもの頃から大好きでした。いつも、親や弟や友達を驚かせようと、変装してみたり、隠れていて突然現われたりしました。長じて会社の社長になっても、この癖は治りません。社員へのスピーチの際には必ず、何らかのサプライズを入れることにしていますし、忘年会や新年会では、打ち合わせなしのコスプレでみんなを仰天させたりします。



以前、吉田松陰についての本を読んでいて、松陰があれほど多くの塾生を集め、かつ彼らに影響を与えることができたのかを考えたとき、「驚き」というのが1つのキーワードではないかと思いつきました。 松陰は学問の心得として、「学者になってはならぬ、人は実行が第一である」と常に塾生に説いていました。そして彼自身も、常にこの教訓を胸に刻んで実践してきたのです。



脱藩して東北を遊歴したり、アメリカ密航を企てたりといった一見、血気にはやったような危険な行動も、若い塾生たちにとっては、血湧き肉踊る武勇伝であり、冒険談でした。それは講談や紙芝居もかなわないエンターテインメントであったとさえ言えるでしょう。萩以外の世界を知らない塾生たちの多くは、松陰の話に大いに驚き、その話を窓として、そこから広大な世界を見ようとしたのです。現代で言うなら、パスポートを持たずに世界中を飛び回ったとか、宇宙からやってきたUFOに乗ろうとしたという話に匹敵します。そんな物凄い体験を重ねている本物の英雄が松陰であり、血沸き肉躍る話を聴いた少年たちは心から彼に憧れ、深い尊敬の念を抱いたのでしょう。



わたしは、人間の心は驚きを必要としていると思います。
人はときどき衝撃を受けて、特に自己に衝撃を受けて驚き、目が覚める、目を覚ますということが最も大切です。退屈とは、案外いけないことなのです。人間の生命というものは、慢性的、慣習的、因襲的になると、たちまちだれてしまいます。これにショック療法として、ときどき衝撃を与えないと生命は躍動しないのです。



世の中にはなぜ、文学や哲学や美術や宗教といった精神の営みの世界があるのでしょうか。その理由には諸説ありますが、1つには、その日その日の生活に追われて、心を失ってしまう、人間が人間であることを失ってしまいやすい時に、はっきりと目を覚ますためだという説があります。古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、「哲学は驚きにはじまる」と言いました。



よく驚くということこそ、人間の本質的な要求なのです。安岡正篤は、この驚くという人間の一番尊い要求が、次第に信仰や学問、芸術などの尊い文化を生んだのであると述べています。なお、「驚」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2024年3月21日  一条真也