能登半島地震とグリーフケア

一条真也です。
16日の早朝、松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。わが社は「礼の社」を目指していますので、何よりも儀式を重んじます。「こころ」も「かたち」も大切!

月次祭のようす

マスクなしでの神事


玉串奉奠をしました


心をこめて拝礼しました

 

皇産霊神社の瀬津禰宜によって神事が執り行われました。サンレーグループを代表して、わたしが玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに能登半島地震の被災者の方々の日常が早く戻ることを祈念しました。

東専務に合わせて柏手を打つ


神事の最後は一同礼!

 

この日は、わたしに続いて東専務が玉串奉奠をしました。東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。その拝礼は素晴らしく美しいものでした。わが社が「礼の社」であることを実感しました。儀式での拝礼のように「かたち」を合わせると「こころ」が1つになります!

「天道塾」の開催前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社長訓話で登壇しました


最初に義援金のお礼を述べました

 

神事後は恒例の「天道塾」です。この日は、いつも使用しているメインバンケットグランフローラ」が「振袖の祭典」のイベント開催のため使用できず、「ジュエルボックス」で行われました。わたしが登壇し、開塾の挨拶をしました。わたしは、「おはようございます! 今年の元旦は占いの世界では「最強開運日」と呼ばれたそうですが、その日の夕方に、最大震度7能登半島地震が発生しました。この地震による死者は現在のところ石川県内で241人です。犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたしますとともに、被災者の方々にはお見舞いを申し上げます。また、このたびの震災に関してサンレーグループのみなさまから義援金が集められました。心より感謝申し上げます。ある部長も言っていましたが、これほど社員同士が助け合う会社はなかなかないと思います」と述べました


能登半島への訪問を報告

 

元旦に震災が起こり、日本人の正月気分は吹き飛びました。サンレーグループでは各地での社内行事を予定していましたが、式典のみを行い、祝賀会は行いませんでした。また、今年は沖縄の式典に参加できませんでした。沖縄に行く代わりに、わたしは1月9日に石川県入りし、能登半島の七尾まで行ってきました。2月7日には珠洲まで行きました。その日の朝、寝ているベッドが揺れて目が覚めました。あわててスマホを開くと、7日午前6時8分頃、石川県の志賀町震源地とする最大震度4のやや強い地震が発生したニュースが出ていました。この日、わたしは金沢市から珠洲市に向かいました。わが社の施設である珠洲紫雲閣を訪問するためです。ちなみに七尾市能登半島の中央部、珠洲市は最奥部となります。金沢から珠洲までは最短で片道4時間、往復8時間かかります。以下、パワポで写真を見せながら詳しく説明しました。


パワポを使って説明

 

珠洲に向かった7日は、 金沢紫雲閣の大谷総支配人が社用車を運転してくれました。サンレー北陸の郡事業部長も一緒です。彼は能登半島志賀町にある実家に元旦に帰省していたところ被災し、実家は全壊。高齢のご両親とともに避難所で1月20日まで生活し、21日から職場に復帰したのでした。能登半島珠洲はもちろん七尾さえもまだ水道が復旧しておらず、断水状態が続いています。トイレに行くのをなるべく控えるため、この日は朝から水分を控えました。簡易トイレは利用しましたけど。能登半島に入ると、いきなりの大雨でしたが、すぐ止みました。その後は晴れたり雨が降ったりの繰り返しで不安定でした。途中、道路が大破していたり、家屋が倒壊した光景をたくさん見ました。このたびの震災の甚大さを痛感します。


被災地のリアルな状況を報告


熱心に聴く人びと

 

能登半島は一本道なので、渋滞がひどかったです。途中から「のと里山海道」に入り、雪の中を走りました。甲子園出場を決めた日本航空高等学校石川の前を通って、「のと里山空港」に到着。そこで、トイレを借りました。トイレの入口に「自衛隊はトイレットペーパーを携行せよ。」という貼り紙がありました。それにしても、こんな能登半島の最奥部の山の中に空港があるとは驚きましたね。かの自民党の大物政治家が作ったものと推察されます。彼は「石川県のドン」として知られていますが、それなら「大阪・関西万博」など即刻中止させて、その費用をすべて石川県の被災地の復興に充てるべきです。彼の子分である石川県知事は「万博は開催するべき」と発言したそうですが、とんでもないですね!

珠洲紫雲閣で誕生日祝い!

 

金沢を出発してから4時間半以上経過して、13時頃に車中で「ちょい弁当」という可愛いお弁当を食べました。お茶も飲みたかったのですが、トイレに行きたくなるので我慢しました。珠洲市に近づくと、倒壊したお墓がありました。ようやく珠洲市に入ると、東京から来た赤十字社のテントをはじめ、他県からの応援の車両がたくさんありました。そして、ついに、わが社の珠洲紫雲閣に到着! 想像していたよりも建物の被害が少なく、看板なども無事だったので安心しました。下野支配人と中川副支配人が迎えてくれました。この日は下野支配人の54回目の誕生日だというので、「お誕生日、おめでとうございます!」の言葉を添えて、ブログ「松柏園オリジナルワインが完成!」で紹介したワインをプレゼントしました。

正院町の惨状を報告しました


熱心に聴く人びと

 

それから、珠洲紫雲閣を出発したわたしたちは、下野支配人と中川副支配人の先導で珠洲市内でも最も震災の被害が大きかった正院町に向かいました。そこには信じられないような光景が広がっていました。見渡す限りの家々が倒壊しています。まるでゴジラに蹂躙されたような、まさに「カタストロフィー」といった光景でした。見ると、新しく建てたような家が飛び飛びにまったく損傷なく残っています。つまり、耐震基準の厳格化(1980年)以降に立てられた家は無事なのです。それ以前に建てられた家はすべて破壊された印象でした。そして、倒壊した家々の瓦礫の山の上には美しい青空が広がっていました。そう、悲しいほどお天気なのです。その後、わたしは正院町の瓦礫の山を見渡せる竹林に移動して、数珠を持って犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました。今年は、ぜひ、珠洲で「月への送魂」を行いたいと思います!


大谷総支配人の奮闘を紹介

 

このたびの震災では、 金沢紫雲閣の大谷総支配人の実家が全壊されました。彼が元旦に能登半島志賀町の実家に帰省していた際に地震が発生したのです。彼には高齢のご両親がおられ、近所の方々も高齢であったため、震災直後から自宅前に臨時の避難所を設置したりしていました。その後、ご両親と一緒に現地の避難所に入りました。自力でテレビを設営したり、自衛隊員と一緒に簡易トイレや簡易風呂を設営したりと大活躍の様子をLINEで報せてくれました。そんな大谷家は、今年の1月10日が大谷支配人のお祖母さまの一周忌でした。被災した大谷家はすぐに菩提寺と料理店に一周忌のキャンセルを伝えたそうです。それでも一周忌の当日が来ると、大谷総支配人は「何としてでも祖母のお参りはしなければならないと」いう思いにかられました。そして、自宅の中でも被害の少なかった玄関の下駄箱に祭壇を設え、お参り出来るようにしたそうです。そこで住職にお経をあげて頂いたといいます。


大切なのは祈る「こころ」である!

 

大谷総支配人は、LINEで「後で考えると『供養』とはまさに人間の本能ではないかと思います。それと同時に、珠洲市輪島市の惨状を目にすると、これから法要を予定していたけど出来ない方がたくさんいるのだと思いました。それを考えると、被災地には『お祈りする場所』が必要なのかもしれません。これは私を含め、今後グリーフケア士が災害支援を行う上での、大きなヒントとなるような気がしました」とのメッセージを送ってくれました。大谷総支配人からのLINEメッセージには、下駄箱の上に作られた祭壇の写真が添えられていました。それは、まさに「お祈りする場所」でした。供養で大切なのは何よりも「こころ」です。その「こころ」を表す「かたち」は華美なものである必要はありません。いま・ここで可能な「かたち」でいいのです。そこに「こころ」さえあれば、「かたち」はどんなものでも構いません。大切なのは、祈る「こころ」です。大谷総支配人が極限の状況の中でお祖母さまの一周忌を行ったことは素晴らしいことでした」と言ってから、降壇しました。


オンラインで大谷総支配人が登場!


被災体験とグリーフケアについて報告


わたしも聴きました


じつに興味深い報告でした

その後は、北陸から大谷総支配人が登場。グリーフケアの力~能登半島地震の被災経験から~」と題して、震災を体験して感じたこと、上級グリーフケア士としての想いなどを30分にわたって話しました。この内容は録画され、グリーフケア活動の啓蒙動画として、一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団の経営会議および理事会で流され、さらには一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会の各地のブロック会議でも流されます。深い考察に基づいた素晴らしいレポートで、わたしは感服しました。これは、日本のグリーフケア界において大きな一歩となると確信しました。


被災地の感情プロセスにおける「怒」の分析


被災地でのケアのアンテナ


将来的に被災地で必要なこと


上級グリーフケア士らしい素晴らしい報告でした!

大谷総支配人の報告内容は「能登半島地震発生」「津波警報~高台へ避難」「今ここにいる自分の役割」「安否確認~自主避難所開設」「損壊状況の確認~情報収集」「志賀町(旧富来町)の被災状況」「危険箇所の緊急補修」「避難所の環境整備」「被災地の感情プロセス」「祖母の一周忌」「自衛隊の支援活動」「スペシャリストの支援活動」「被災地へのグリーフケア士派遣(将来イメージ)」「被災地でのケアのアンテナ~何をキャッチしたか~」「将来的に被災地で必要なこと(グリーフケアの観点から)」「養成講座で学んだこと~実践へ~」「語りのきっかけ(実例:家の写真)」「感情の言語化(避難所の降霊女性との会話)」「被災者のケア」「ケア者のケア」「グリーフケア士のケアとして必要なこと」「グリーフケアのメッセージ」「グリーフケア士の社会的役割~葬祭業として~」に分かれて、簡潔にポイントをまとめていました。


再登壇して感想を述べました

 

大谷総支配人の話の後、わたしが再び登壇しました。わたしは、「わが社のグリーフケア士をいつか被災地に派遣したいという夢を持っていましたが、今回、計らずも実現しました。大谷総支配人の体験は日本のグリーフケアにおいても大きな意味があると思います」と述べました。わたしのブログを彼が心の支えにしていてくれたこと、そのブログ記事を避難所の方々に回覧していたことを知り、嬉しかったです。それにしても、昨年12月16日、能登半島地震が発生するちょうど半月前に北陸で「月あかりの会」が発足したことには運命的なものを感じます。北陸では、「月あかりの会」に入会させてほしいという申し込みが相次いでいますが、これはアップデートした互助会の在り方ではないだろうかと思えてなりません。


「月あかりの会」と「笑いの会」の時代!

 

そして、ウェルビーイングとコンパッションの陰陽のバランスを考えれば、『笑いの会』も大事です。世間を騒がせている松本人志問題は『お笑い』というものの根本的なパラダイムシフトを起こすでしょう。ハラスメントな笑いは廃れます。そして、これからの時代は殺伐とした格闘技のようなお笑いではなく、「やさしい笑い」が求められると思います。「やさしい笑い」には2つの意味があって、1つは「人にやさしい笑い」。誰をも傷つけないコンパッションのある笑いです。もう1つは、「誰にでも理解できるやさしい笑い」。「M-1」に登場する漫才コンビのような難解な笑いではなく、老若男女が誰でも笑えるユルイ笑い。それには、芸人が一目で笑えるような外見をしている、つまりは道化であることが大事です。チャップリンのような笑いですね。松本人志から小ノ上マン太朗へ! 

喜びも悲しみも共に分かち合う「互助共生社会」へ!


最後は、もちろん一同礼!

 

ということで、わが社は「月あかりの会」とともに「笑いの会」の活性化と会員増大に力を入れていきます! 喜びも悲しみも共に分かち合う社会、すなわち互助共生社会を実現することがわが社の願いです。最後に「ウェルビーイングとコンパッションの両面から、ハートフル・ソサエティを実現していきましょう!」と述べてから、わたしは降壇しました。明日は、ついに復活した小倉昭和館で映画「グリーフケアの時代に」が上映されるので、わたしは舞台挨拶に立ちます。「天下布礼」に休みなし!

「振袖の祭典」の会場前で

「振袖の祭典」のようす

 

2024年2月16日 一条真也