「コット、はじまりの夏」

一条真也です。
東京に来ています。30日は業界の会議ラッシュでしたが、朝一番でヒューマントラストシネマ有楽町を訪れて、アイルランド映画「コット、はじまりの夏」を観ました。早朝にもかかわらず2番シアターが満席だったことに驚きました。映画そのものは静かな作品でしたが、最後は大きな感動をおぼえました。グリーフケア映画の大傑作です。


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ドキュメンタリーを中心に活動してきたコルム・バレードが監督を務め、第72回ベルリン国際映画祭で上映されたドラマ。大家族の中で居場所を見つけられずにいた9歳の少女が、親戚夫婦のもとで夏休みを過ごし、生きる喜びを実感する。ドラマシリーズ『フロンティア』などのマイケル・パトリックのほか、キャリー・クロウリー、アンドリュー・ベネット、キャサリン・クリンチらが出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、「1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中で寡黙に暮らす9歳のコット(キャサリン・クリンチ)は、夏休みを親戚夫婦のショーンとアイリンが営む農場で過ごす。アイリンに髪をとかしてもらったり、ショーンと一緒に子牛の世話をしたりと、緑豊かな環境で穏やかな日々を送りながら、二人からの惜しみない愛情を受けるコット。ショーンたちとの時間を重ねていくうちに、コットは自分の居場所を見つける」です。


心ゆたかな映画』(現代書林)

 

拙著心ゆたかな映画(現代書林)の帯には、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」と書かれています。「すべての映画はグリーフケア映画」というのがわたしの考えなのですが、それはあらゆる映画にはグリーフケアの要素があるという意味です。しかし、それらの映画の中には100%の完璧なグリーフケア映画というものがあります。ブログ「サウルの息子」で紹介した名作ハンガリー映画をはじめ、最近ではブログ「遺灰は語る」で紹介したイタリア映画、ブログ「VORTEXヴォルテックス」で紹介したフランス映画、ブログ「葬送のカーネーション」で紹介したトルコ映画などがその代表です。そして、それらの作品はすべてヒューマントラストシネマ有楽町で鑑賞しました。同劇場は、ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介したドキュメンタリー映画の上映館でもあり、まさに、グリーフケア映画の聖地なのです!


そして、アイルランド映画である「コット、はじまりの夏」も素晴らしい完璧なグリーフケア映画でした。現代は「寡黙な少女」というのですが、大家族の中で寡黙に暮らす9歳のコット(キャサリン・クリンチ)は家庭内でも学校でも孤独です。そんな彼女が夏休みの間に預けられたショーンとアイリンの親戚夫婦には悲しい秘密がありました。その秘密を知ったコットはショックを受けるのですが、それでも夫妻の優しさに閉ざされた心が開かれていきます。夫婦は、本当に打算などまったくない思いやりで孤独な少女に接していくのでした。深い「悲しみ」を共有しながらも、ともに「思いやり」の心を持ったショーンとアイリンの夫妻を見て、わたしはブログ『悲しみの力』で紹介した本の内容を連想しました。

 

 

『悲しみの力』では、「悲しみ」の共有から「思いやり」「人とのつながり」が生まれると指摘しています。「悲しみ」というのは、他人を思いやり、他人に利益をもたらす感情であり、愛情を生み出し、人と人をつなげる手段にもなるというのです。ショーンとアイリンの夫妻は。まさにその実例でした。ショーンはコットに「君は足が長いから、駆けるのが速いだろう」と言って彼女に遠く離れたポストに入れられた郵便物を取りに行かせるのですが、彼は「将来、結婚したい?」と質問します。コットは「お母さんは、男は厄介なだけと言うの」と言うのですが、ショーンは「確かに、それは言えてるな。でも、君と結婚できるのは足が速い男性だけだな」と言うのでした。こんな会話の中にも思いやりに溢れたケアの精神を感じました。


この映画を観て、わたしは「グリーフこそが、コンパッションを生む」という考えを再認識しました。そして、今年の元旦に発生した能登半島地震の被災者のみなさんのことを想いました。避難所で、また二次避難先のホテルや旅館で、被災者の方々は不安な毎日を過ごされていることと思います。でも、周りには被災者の方々に思いやりを示し続けている人々がいることに気づくはずです。また、震災で家族を失った、家を失った、家に帰れなくなったという深い悲嘆の中でも、その悲しみを共有する「悲縁」の存在に気づくはずです。「コット、はじまりの夏」は刺激的な物語ではまったくありませんが、ラストシーンはどんな映画よりも感動的でした。わたしは泣きました。涙を流すと、心が浄化された気分になりました。ぜひ、この素晴らしい名作を1人でも多くの方に観ていただきたいです。

 

2024年1月31日  一条真也