グリーフケア・トークショー

一条真也です。金沢に来ています。16日、金沢紫雲閣で北陸初のグリーフケア自助グループである「月あかりの会」が発足しました。その記念として、ブログ「北陸合同慰霊祭」で紹介したセレモニーが10時から開催されました。その後、「グリーフケアの時代~サンレーの取り組み」という15分間の紹介動画を上映した後、東京大学名誉教授で宗教学者島薗進先生とわたしのトークショーが開催されました。


会場は超満員!


コーディネーターは出版寅さん

 

トークショーのコーディネーターは、「出版寅さん」こと出版プロデューサー&編集者の内海準二さんでした。冒頭、内海さんが「グリーフとは日本語に訳すと『悲嘆』。それをケアする活動が『グリーフケア』です。グリーフケアの活動を今まで担ってきたのが宗教でした、最近、現代社会においてグリーフケアの新たな担い手として、葬祭業に携わる方々が注目されています。そこで今回、日本を代表する宗教学者である島薗進氏と、グリーフケアの会『月あかりの会』を支援されておられるサンレー代表の佐久間庸和社長をお招きして、グリーフケアについて大いに語っていただきましょう」との言葉がありました。


出演者の2人


語る島薗先生

 

内海さんは、「早速ですが島薗先生、宗教は『救済』ということを1つの役割として誕生、発展してきた歴史がありますが、救済の中に『悲嘆』は含まれていますよね」と問いを投げかけ、島薗先生が宗教とグリーフケアの関係について語られました。


わたしも語りました

 

続いて、内海さんは「実はグリーフケアというのは身近なものでもあります。そのあたりを一条真也ペンネームで作家活動もされている佐久間社長にお聞きしたいと思います。佐久間社長は常々『すべての小説も、すべての映画もグリーフケア』とおしゃっておられますが、少しご紹介していただいていいですか」との発言がありました。わたしは、「最近、不思議なことがあります。何の小説を読んでも、何の映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づくのです。この現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています」と述べました。そして、その理由についても語りました。


葬儀とグリーフケアについて

 

また、内海さんは「佐久間社長は『葬儀もグリーフケアのための儀礼として誕生した』と言われていますね」と言われました。わたしは、「葬儀をあげる意味とは何でしょうか。葬儀という文化装置がいかにグリーフケアという側面で構築されてきたかを知る必要があります。当然のことながら古今東西、人間は死に続けてきましたが、そこに儀式というしっかりした『かたち』のあるものが押し当てられると、不安が癒されていくのです。親しい人間が死去する。その人が消えていくことにより、愛する人を失った遺族の心は不安定に揺れ動きます。残された人は、大きな不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。つねに不安定に『ころころ』と動くことから『こころ』という語が生まれたという説も『こころ』が動揺していて矛盾を抱えているとき、この『こころ』に儀式のようなきちんとまとまった『かたち』を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです」と述べました。


なぜ、葬儀は必要なのか?

 

また、わたしは「もう1つ、葬儀には、いったん儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、そこから新たに時間と空間を創造して生きていくという意味づけもできます。もし、愛する人を亡くした人が葬儀をしなかったらどうなるか。そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失で歪んでしまった時間と空間を再創造することができず、『こころ』が悲鳴を上げてしまうのではないでしょうか。さらに、回忌などの一連の法要も同様の文化装置です。故人を偲び、冥福を祈るとともに、故人に対して『あなたは亡くなったのですよ』と現状を伝達えることで現実を受け入れ、定期的に主宰することで遺族の心にぽっかりと空いた穴を埋める役割もあります。近年はこうした儀式を形式的だと軽んじる傾向もありますが、動揺や不安を抱え込んでいる『こころ』には『かたち』を与えることが大事なのです。儀式とは、定型であり、伝統であるからこそ、人を再生する力があるのです。そう、『かたち』には『力』があります」と述べました。


葬儀の役割について説明しました

 

さらに、わたしは「細かくみていくと、葬儀には、主に5つの役割があるとされています。それは、①社会への対応、②遺体への対応、③霊魂への対応、④悲しみへの対応、⑤さまざまな感情への対応です。①については、ヒトは社会の中で生きており、会社や友人などいろいろな関係性や縁をもっている。葬儀には、社会に対してきちんとその死を示し、社会はその死について対応するという役割があります。②については、人が亡くなると、物理的にその遺体への対応を行わなければなりません。故人の尊厳を守り、遺体を火葬や埋葬するための過程の行動としての役割があります」と述べました。


トークショーのようす

 

それから、わたしは「③については、ヒトは死によってその存在がなくなるのではなく、実在した「この世」から霊魂となって「あの世」に行くという、遺された人との間に新たな関係性を作り出す宗教的儀式としての役割があります。④については、最愛の人の死は深い悲しみをもたらし、人によっては受け入れるのに長い時間を要する場合もあります。ほとんどの宗教において、葬儀は人の心に沿って段階的(枕経から葬儀、初七日から四十九日に至る法要など)に行われ、人が受け入れやすいように長い年月をかけ形作られています。また葬儀には、悲しみを避けることなく悲しみに正面から向かい、しっかり悲しむ時間を創出する役割もあります」と述べました。


トークショーのようす

 

それから、わたしは「⑤については、人には人それぞれにさまざまな感情があります。例えば、歴史的に人の死は祟りなどに対する恐怖心や、故人に対しての過去からの憎悪や嫌悪感など、葬儀にはこのようなさまざまな人の感情をきちんと弔うことで和らげる役割もあります。さまざまな感情には『怒り』や『恐れ』などがあります。具体的には、『どうして自分を残して死んでしまったのだ』という怒り、あるいは葬儀をきちんと行わないと『死者から祟られるのではないか』という恐れなどです。しかし、残された人々のほとんどが抱く感情とは『怒り』でも『恐れ』でもなく、やはり『悲しみ』でしょう」と述べました。


トークショーのようす

 

「悲しみへの対応」とは、遺族に代表される生者のためのものだといえます。遺された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒していくかという対応方法のことです。通夜、葬儀、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。葬儀とは物語の力によって、遺された人々の悲しみを癒す文化装置です。たとえば、日本の葬儀の9割以上を占める仏式葬儀は、「成仏」という物語に支えられてきました。葬儀の癒しとは、物語の癒しなのです。


会場は熱気ムンムン!

 

わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。ある人の愛する人が亡くなるということは、その人の住む世界の一部が欠けるということにつながります。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、必ず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻す営みにほかなりません。葬儀によって「こころ」に「けじめ」をつけるとは、壊れた世界を修繕するということである。だから、筆者は、幣社の葬祭スタッフにいつも、「あなたたちは、こころの大工さんですよ」と言っているのです。


ときには笑顔で・・・・・・

 

そして、わたしは「葬儀は接着剤の役目も果たします。愛する人を亡くした直後、遺された人々の悲しみに満ちた『こころ』は、バラバラになりかけます。それを1つにつなぎとめ、結び合わせる力が葬儀にはあります。多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の『こころ』のうちに引きこもろうとします。誰にも会いたくない。何もしたくないし、一言もしゃべりたくない。ただ、ひたすら泣いていたいのです。しかし、そのまま数日が経過すれば、一体どうなるか。遺された人は、本当に人前に出られなくなってしまいます。誰とも会えなくなってしまうのではないでしょうか。葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出す。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張り出すのです。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが遺された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです」と語ったのでした。

笑いは気の転換技術!

 

さらに、内海さんが「佐久間社長は葬儀後のケアも大切だと言われていますね」と言われました。わたしは、「サンレーがサポートする『月あかりの会』や『うさぎの会』などの自助グループでは、さまざまな活動を行っています。また、 サンレーグリーフケア・サポートおよび隣人交流サポートでは、毎月、漫談家を招いて『笑いの会』を開き、半年に一度は落語家を招いて大規模なイベントを開催していることを紹介しました。笑いこそは、自死孤独死を防ぐ最大の力を持つと考えているからです。『笑う門には福来たる』という言葉があるように、『笑い』は『幸福』に通じます。笑いとは一種の気の転換技術であり、笑うことによって陰気を陽気に、弱気を強気に、そして絶望を希望に変えることができるのです」と述べました。


死の不安を軽減するグリーフケア

 

そして、わたしは「悲縁」について述べました。グリーフケアには死別の悲嘆を癒すということだけでなく、死の不安を軽減するというもう1つの目的があります。超高齢社会の現在、多くのお年寄りが「死ぬのが怖い」と感じていたら、こんな不幸なことはありません。死生観をもち、死を受け入れる心構えをもっていることが、心の豊かさではないでしょうか。人間は死の恐怖を乗り越えるために、哲学・芸術・宗教といったものを発明し、育ててきました。グリーフケアには、この哲学・芸術・宗教が「死別の悲嘆を癒す」「死の不安を乗り越える」ということにおいて統合され、再編成されていると思います。特にご高齢の会員を多く抱えている互助会は、2つ目の目的においても使命を果たせると思っています。それらのミッションを互助会が果たすとき、「心ゆたかな社会」としての互助共生社会の創造に繋がっていくことでしょう。


質疑応答のようす


真摯にお答えしました

 

悲嘆や不安の受け皿の役割は、これまで地域の寺院が担ってきました。しかし、宗教離れが進み、人口も減少していく中で、互助会は冠婚葬祭だけでなく、寺院に代わるグリーフケアの受け皿ともなり得ると思っています。「月あかりの会」を運営して気づいたのは、地縁でも血縁でもない、新しい「縁」が生まれていることです。会のメンバーは、高齢の方が多いので、亡くなられる方もいらっしゃいますが、その際、他のメンバーはその方の葬儀に参列されることが多いです。楽しいだけの趣味の会ではなく、悲しみを共有し、語り合ってきた方たちの絆はそれだけ強いのです。「絆(きずな)」には「きず」という言葉が入っているように、同じ傷を共有する者ほど強い絆が持てます。たとえば、戦友や被災者同士などです。


自助グループについて説明しました

 

「月あかりの会」のような遺族の方々の自助グループには、強い絆があります。そして、それは「絆」を越えて、新しい「縁」の誕生をも思わせます。この悲嘆による人的ネットワークとしての新しい縁を、わたしは「悲縁」と呼んでいます。寺院との関係が希薄になっているいま、紫雲閣を各地に展開するわが社をはじめ、地域にセレモニーホールを構える互助会は、コミュニティホールの機能を担うことができますし、また、担っていかなければいけないと思います。そして、そのコミュニティを支えるものは「悲縁」となるのです。悲縁は、ブログ「大正大学公開講座」で紹介した島薗先生が発表された「慈悲共同体」や「コンパッション都市」の中核をなすものであるように思います。このトークショーの終了後は、ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介したドキュメンタリー映画が上映。


トークショーには、西田幾多郎記念哲学館の浅見洋館長もお見えになられていました。同館では、2024年10月13日~14日に「日本エンドオブライフケア学会第7 回学術集会」が開催されます。13日には島薗進先生が「日本人の死生観とグリーフケア」の特別指定講演を、14日にはわたしが「ホスピタリティー・インダストリーのグリーフケア」の講演を行う予定です。こうして、「月あかりの会」の発会記念イベントは無事に終了しました。ご参集いただいたみなさま、東京からお越しいただいた島薗進先生、コーディネーターの内海準二さん、準備をしてくれたサンレー北陸のスタッフに感謝いたします。

西田幾多郎記念哲学館の浅見館長を挟んで


島薗先生、お疲れ様でした!

 

2023年月日 一条真也