大正大学公開講座

一条真也です。
24日の夜、日帰りで東京から帰ってきました。
今回の東京出張の目的は、豊島区の西巣鴨にある大正大学で全互協の第1回公開講座に立ち合うことでした。


雨の大正大学の正門

 

大正大学は、1885年に創立され、1926年に大学が設置されました。高楠順次郎姉崎正治、前田慧雲、村上専精、澤柳政太郎らが仏教連合大学構想を提唱したことに始まります。これに天台宗真言宗豊山派、浄土宗の各宗が賛同し、天台宗大学、豊山大学、宗教大学が合併して発足しました。後に真言宗智山派、2018年には時宗が参画し、天台宗真言宗智山派真言宗豊山派、浄土宗の四宗五派の連合大学となりました。天台宗最澄教学を専門的に研究できる唯一の大学です。


大正大学の正門前で

 

わたしが奮闘してきた冠婚葬祭互助会業界の産学共同事業として、國學院大學上智大学に続いて、大正大学公開講座がようやく実現します。ここまで紆余曲折ありましたが、仏教系の名門大学である大正大学との御縁を得て、神道・仏教・キリスト教がようやく揃い踏みします!


公開講座会場の7号館を望む


7号館の入口


村木厚子氏の講義

 

今日は公開講座の初日として、第1講が村木厚子先生(津田塾大学客員教授)による「『地域共生社会』と『ケア』の文化を考える」でした。村木先生といえば、日本の裁判史上にその名を残された方です。2009年6月14日、霞ヶ関に衝撃が走りました。厚労省の現役女性キャリア官僚が逮捕されたのです。偽の障害者団体に便宜を図った疑いでした。しかし、それは全くのでっちあげだったのです。関連した容疑者の裁判で次々と無罪判決が下り、検察の作ったストーリーが否定されていきました。日本の歴史上でも、検察がここまで暴走したのも前代未聞ですが、過酷な裁判を戦い抜き、完全無罪を勝ち取った村木先生の言葉には強い説得力がありました。わたしは、冤罪で逮捕されるほど深いグリーフもないということを痛感しました。


村木厚子氏の講義のようす

 

講義が開始される前に、村木先生と名刺交換をさせていただきましたが、とても物腰柔らかく、かつフレンドリーな方でした。村木先生は、最初に「わたしは164日拘留されましたが、宇宙飛行士の宇宙滞在記録が163日だそうで、1日勝ちました」と述べ、聴衆を笑わせてくれました。その後、無罪を勝ち取るまでの闘いの日々についてのお話は壮絶でしたが、最後に「トータルで考えたら、わたしはこの経験をして良かったと思っています。自分が弱い存在であり、支えられる存在であることを悟ったからです」と言い切られ、わたしは感動をおぼえました。その後の村木先生は、NPO法人を通じて、さまざまな社会的弱者の方々の支援に奔走されています。村木先生は、プロの支援について、「科学的根拠を持った支援」「知識・経験・技術の蓄積、体系化」「チーム支援・多機関連携」「他人の家に入り込む力」「生活を支える技術」の必要性を挙げられました。


村木先生の講義を拝聴しました

 

また、村木先生は、大熊由紀子氏の「誇り・味方・居場所 わたしの社会保障論」を引かれて、支援される人に必要なものが「安心できる居場所」「味方」「誇り」だと指摘。定年退職をした高齢者などには「居場所」と「出番」が必要だそうです。さらに、「すべての公的福祉はJKビジネスのお兄さんに負けている」というのも納得しました。さらに、わたしが感銘をおぼえたのは、これほどの過酷な経験をされていながら、村木先生が非常にポジティブで明るいことでした。「人生100年時代」を考えるためのキーワードとしては、「学び続ける」「異なるものと繋がる」の2つを挙げられ、共感しました。「困難に遭遇した時のために」として、「好奇心」「経験」「気分転換」「食べて寝ること」が大事という発言には、「すごい人だなあ!」と感服しました。究極の困難を乗り越えた村木先生のような方こそ、人生相談をされるとよいですね。


大正大学の首藤副学長が島薗先生を紹介

第2講は、島薗進先生(大正大学客員教授)による「新たなケアの文化と地域社会―精神文化の役割の変容」でした。講義に先立って、大正大学の首藤正治副学長が島薗先生の講師紹介をされました。首藤副学長は、同大学の社会共生学部の公共政策学科の教授でもあり、3期12年にわたって宮崎県の延岡市長を務められました。わが社も延岡市で事業を展開していますので、首藤元市長の素晴らしさはよく存じております。そんな首藤副学長は、島薗先生のことをまず、「わが国を代表する宗教学者」と紹介されました。わたしが大きく頷いたのは言うまでもありません。


ケアについて講義する島薗先生

 

島薗先生の講義は、「遠ざかる死と死生の文化」「グリーフケアと弔いの儀礼文化」「日本の死生学受容とグリーフケア」「ケアと利他のスピリチュアリティ」といった大きなテーマで進みました。わたしは、これまでに島薗先生の講義や講演を何度も拝聴していますので、だいたいのことは知っていましたが、今回は知らなかった話も多かったです。例えば、柳田國男の『涕泣史談』を取り上げ、「わたしが宗教学の道を志したのは、柳田國男の学問に触れたことが大きな理由です」と言われましたが、これは初めて知りました。ちなみに、日本民俗学の巨人といえば、柳田國男折口信夫南方熊楠の3人ですが、わたしは現代の柳田は島薗先生、現代の折口は鎌田東二先生、そして現代の南方は荒俣宏氏だと考えています。


グリーフケアの文献を説明する島薗先生

 

島薗先生は、さまざまな「ケア」の文化に言及されましたが、やはり専門である「グリーフケア」についての説明が最も興味深かったです。島薗先生は、グリーフケアが登場してくる前に「悲しみを分かち合う文化の後退」があったのではないかと述べられ、ブログ『死と悲しみの社会学』で紹介したジェフリー・ゴーラーグリーフケアの古典的名著に言及されました。イギリス人であるゴーラーは、5歳のときにエドワード7世が死去したことを鮮明に記憶しており、「死」と「葬」について意識したことを告白しています。島薗先生は、先日のエリザベス女王国葬にも触れられ、「荘厳な儀式でした」と述べられました。


金沢の弔いについて説明する島薗先生

 

その後、島薗先生は、金沢や沖縄の葬送文化についても説明されました。日本では、明治維新の前までは葬儀の際には大人も号泣していたそうですが、明治大正期の大人は泣かなくなったそうです。その理由として、柳田國男は「文明の進歩」を挙げています。そのために、第一に病気や空腹などの不幸が少なくなり、泣く必要が減った。第二に、感情が敏活で細やかになり、泣かれるのに耐えられなくなった。第三に、他の表現手段、とりわけ言語表現に重きを置きすぎた結果だといいます。近代以前の日本人は、言葉少なでしたが、身体表現が多彩でした。さらに「泣き」は重要な身体言語で、言葉には置き換えられない表現手段であったと柳田は主張したそうです。


「コンパッション都市」について語る島薗先生

 

この日、一番大きなインパクトを受けたのは、「悲しみをともにする共同体」としての慈悲共同体の考え方でした。慈悲共同体の概念は、1986年の「健康づくりのためのオタワ憲章」(WHO)の原則を取り上げ、それを人生最終段階ケアに適用し、共同体の責任としたものです。「共同体」とは、都市全体、学校、工場、死にゆく人自身の社会的ネットワークなど、いずれにしても当てはまります。慈悲共同体モデルでは、死にゆく人と非公式の介護者が社会的ネットワークの中心に置かれているという図を見ることができます。このネットワークには、家族だけでなく、友人、隣人、同僚、雇用主、学校、信仰共同体なども含まれるそうです。都市としての慈悲共同体は「コンパッション都市」と呼ばれるそうですが、これには非常に衝撃を受け、かつ感動しました。これこそ、互助会が創造すべきコミュニティのモデルではないですか! 

 

 

アラン・ケレハーの『コンパッション都市』という洋書があり、もうすぐ翻訳書が慶應義塾大学出版会から刊行されるとのこと。アマゾンで調べてみると、カバー写真のイメージから「コンパッション都市」とは「悲しみを共にする共同体」であり、「弔いの共同体」であることがわかります。英語の「コンパッション」を直訳すると「思いやり」ですが、多くの著書で述べてきたように、思いやりは「仁」「慈悲」「隣人愛」「利他」「ケア」に通じます。「ハートフル」と「グリーフケア」の間をつなぐものも「コンパッション」であることに気づきました。ついに、究極のキーワードに巡り合った思いです。


「コンパッション都市」の考え方に感動!

 

質疑応答の時間では、わたしが挙手して「わが社は、日本の政令指定都市で最も高齢化の進む北九州市グリーフケア活動などもやっていますが、これがコンパッション都市の原型のように思いますが、いかがでしょうか?」と質問させていただいたところ、島薗先生は「北九州市にはホームレス支援の奥田知志さんもいらっしゃいますし、まさに隣人愛や慈悲の共同体のモデルだと思います。サンレーさんには大いに期待しています!」と言っていただき、恐縮いたしました。島薗進先生の講義は、多くの示唆に富んだ素晴らしい内容でした。日帰りで北九州に帰ったら、早速、社員に話したいと思います。これからのサンレーは、「コンパッショナリー・カンパニー」を目指しますが、「ミッショナリー」から「アンビショナリー」、そして、「コンパッショナリー」へ。わが社が目指す企業コンセプトのアップデートの歴史はまるで大河ドラマのようです!

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「アンビショナリー」から「コンパッショナリー」へ!

 

2022年9月25日 一条真也