長崎原爆犠牲者への黙祷

一条真也です。
九州に台風6号が最接近しています。9日の10時から、ブログ「最高の人生の卒業式」で紹介したタクシー業界最大手、第一交通産業の創業者の黒土始氏の初盆が小倉紫雲閣で営まれ、わたしも参列いたしました。この日は「長崎原爆の日」です。その後、サンレー本社の4階で長崎原爆の犠牲者に対しての黙祷を捧げました。4年ぶりです。


「長崎原爆の日」に集まりました

黙祷に先立って挨拶しました

 

8月6日は「広島原爆の日」です。9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山日航機墜落事故の日、15日の「終戦の日」というふうに、8月は3日置きに続けて日本人にとって忘れられない日が訪れます。そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。

わたしにとって、1年でも最も重要な日


鎮魂のメッセージをの述べました

 

まさに8月は「死者を想う季節」と言えるでしょう。特に、「長崎原爆の日」は、わたしにとって1年でも最も重要な日です。わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。そして、日々、生きていることの不思議さを思います。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。

小倉に原爆が投下されていたら・・・

11時02分に黙祷しました

 

78年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたでしょうか。広島に投下された原爆では、約14万人の方々が亡くなられましたが、当時の小倉・八幡を中心とする北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島を上回る数の犠牲者が出たと推測されています。また、当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下されていた場合、確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。その事実を知ってから、わたしは「なぜ、自分は生を受けたのか」「なぜ、いま生きているのか」「自分は何をすべきか」について考えるようになりました。

全員で黙祷しました

わたしも黙祷しました

 

まさに、長崎原爆は、わたしにとって「他人事」ではない「自分事」なのです。わたしも含めて、小倉の人々は、長崎原爆の犠牲者の方々を絶対に忘れてはならないと思います。しかし、悲しいことに、その重大な事実を知らない小倉の人々も多かったのです。そこで「長崎原爆の日」の当日、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで新聞各紙に「鎮魂」のメッセージ広告を掲載。近年、ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきたように思います。


各紙に掲載した「鎮魂」のメッセージ


本日の各紙朝刊

 

毎年、8月9日には、小倉にあるサンレー本社の総合朝礼で、わたしが社員のみなさんに長崎原爆の話をし、最後に全員で犠牲者への黙祷を捧げていました。コロナ禍でずっとそれが叶いませんでしたが、今日ようやく4年ぶりに実現しました。家族葬直葬と、現在の日本では葬儀の簡略化が進んでいます。別に豪華な葬儀をあげる必要はないにせよ、わたしには、死者が軽んじられているような気がしてなりません。しかし、生者は死者に支えられて生きていることを忘れてはならないと思います。わたしは、常に「死者のまなざし」を感じながら生きていきたいです。


産経新聞」2023年8月9日朝刊

 

ブログ「『産経新聞』に供養本の増刷広告が掲載」で紹介したように、昨日の産経朝刊に『供養には意味がある』(産経新聞出版)の広告が半五段で掲載されましたが、予想を超える大反響でアマゾンのカートが落ちて売り切れました。さらなる増刷が検討されています。サブタイトルは「日本人が失いつつある大切なもの」ですが、日本人はまだ大切なものを失ってはいないことを再確認しました。最後に、長崎原爆・広島原爆をはじめ、先の大戦で犠牲となられたすべての方々の御冥福をお祈りいたします。合掌。

すべての戦争犠牲者の御冥福をお祈りします

 

2023年8月9日 一条真也