「サンクチュアリ ‐聖域‐」

一条真也です。
21日、ブログ「ブレイキングダウン8」で紹介した格闘技イベントが開催されましたが、つまらなかったですね。短時間でのファイトなら、大相撲の方がずっとエキサイティングです。その大相撲をテーマにしたNetflixドラマ「サンクチュアリ ‐聖域‐」全8話を観ました。いやあ、ぶっ飛びました! ムチャクチャ面白かったです!


サンクチュアリ ‐聖域‐」は、Netflixが日本で製作し、2023年5月4日より全世界で配信中の大相撲を題材としたオリジナルWebドラマです。監督は江口カン、脚本は金沢知樹。両者のコンビは、江口の商業映画初監督作品である「ガチ星」以来となります。主人公・小瀬清を演じた一ノ瀬ワタルはオーディションによって選出。本作が初の主演作品となります。なお、力士役を演じるすべての俳優陣は、専門家の指導の下、1年間に及ぶ肉体改造や相撲の稽古を行ったそうです。中学生のときは相撲部の主将としてプロ力士に憧れ、毎日のように四股を踏んでいたわたしにとっては、たまらないドラマでした。


5月4日より全世界で配信されたドラマですが、映画評論家の町山智浩氏が絶賛していました。その動画を観た映画コラムニストのアキさんが教えてくれました。わたし宛のLINEに「Netflixのこちらが面白いらしくて、町山さんも一気見してしまったそうです。私も観てみようと思います」と書かれていました。その後、アキさんは1話を観た直後に、「めちゃ良いです!」「ピエール瀧、きたろう、俳優さんたちの凄味が!!」「キャスティングが絶妙すぎます😊余貴美子のダメ母さんぶりもスゴイです!」「お相撲が題材てのも良いですよね😊」とのLINEを送ってくれましたが、トドメは「主人公は北九州出身の設定ですよ😂」とのメッセージでした。これまでにも、アキさんはブログ「愛の不時着」ブログ「全裸監督」ブログ「クイーンズ・ギャンビット」で紹介したNetflixドラマを紹介してくれましたが、いずれも非常に面白かったです。年間200本を観るという映画インフルエンサーの彼女のオススメにハズレはありません!


Wikipedia「サンクチュアリ ‐聖域‐」の「あらすじ」には、「借金による家庭崩壊の中で足掻く不良の小瀬清は、猿将部屋の猿将親方にスカウトを受け、金を稼ぐために力士となる。センスはあるが、品性も敬意もない彼の態度に、当然のように嫌悪感をあらわにする周囲だったが、清は真剣になることなく勝利を重ねてゆく。た清は、その勢いで部屋を逃げ出す。しかし、同門の清水の説得を受けて心境が変わり、力士を続ける。部屋に戻ってからも、相変わらずふてぶてしい態度の清への、虐待にも似たしごきや、嫌がらせは止まらなかった。そんな中で出会ったホステスの七海と、同じ北九州出身であったことから意気投合した清は、つかの間の心の安らぎを得る」と書かれています。

 

続けて「あらすじ」には、「ある日、父が事故で倒れ、意識はあるが動くことも話すこともできない状態になったことを知る。一切入院費を払うつもりはない、と宣言する母の代わりに、多額の入院費用を工面する必要ができた清は、本腰を入れて相撲に取り組むこととなる。夜更けに公園でひとり、四股を踏んでいた時、桜を見上げて佇む力士静内を見た清は、彼をからかいつつもコーヒーを奢って僅かな交流を果たした。静内もそんな清を邪険にすることなく、共に煙草を吸うなど、交流を深めてゆく。その後、清の態度を見た猿将は、彼に『猿桜』の四股名を授けた。『ダサい』と笑いつつも、清は猿桜として5月場所に挑む」と書かれています。


続けて「あらすじ」には、「勝てば優勝という所まで進むも、その取組は、猿将を毛嫌いする犬嶋親方らが仕掛けた、猿桜を負傷させるための罠であった。猿将から罠のことを聞いていた猿桜は、それを逆手に取り、犬嶋親方の腰巾着である馬山親方に逆襲する。その日、七海と優勝祝いに飲んでいた猿桜だったが、若くして富豪となった村田と出会う。彼は猿桜のタニマチになると言い、その言動には不快感を覚えつつも、猿桜はそれを受け入れた」と書かれています。


続けて「あらすじ」には、「番付も幕下へと昇進し、地位と女、金も手に入れた猿桜は慢心。彼を高く買っており、活を入れようとした古参力士の猿谷を、引退も辞さない負傷へ追い込んでしまう。事件とは無関係に引退を考えていた猿谷は、猿桜を気遣う言葉を掛けるも、彼の心には蟠りが残り、さらに周囲からは孤立する。猿谷との一応の和解を果たすも、そんな中で迎えたのは、強敵・静内との一番。そこで猿桜は、心身共に深く傷付けられるほどの重傷を負う。頭を狙われると取り乱してしまうほどの心的外傷に見舞われた猿桜は、力士として再起不能となった」と書かれています。

 

さらに「あらすじ」には、「犬嶋親方は、これを機に完全に猿将部屋を葬ろうと、馬山部屋を使い出稽古の形で猿将部屋の力士連中を虐め抜く。その際に猿桜が起こした暴力事件により、もはや彼の解雇は避けられないものとなった。さらに、以前に恥をかかされたことから猿桜を見放した村田に七海を奪われ、全てを失った猿桜。花の根回しで解雇が取り下げられるも、完全に自信を喪失した猿桜は、自ら部屋を去る。ところが、そんな彼を止めたのは、これまで彼と父を邪険に扱ってきた母であった。猿桜の金を稼ぐ理由のためか、はたまた自分の欲のためか、母は猿桜を激しく叱咤し、ショックによって彼は立ち直ることに成功する」と書かれています。


そして「あらすじ」には、「その日から、猿桜は真面目に稽古に取り組むようになる。さらに猿将や猿谷に教えを請い、猿将の現役時代の取組の型を取り入れ、またそんな彼の態度は、怠惰だった周囲の力士をも変えてゆく。そして、再び馬山部屋の出稽古を迎えるも、今度は実力伯仲となった上、猿桜は勝利を収めた。迎えた、静内とのリベンジマッチ。仲間たちの檄と、清水の声援を受け、闘志に満ちた猿桜。向かい合った両者は、土俵の上でこれまでの人生を回顧し、激しくぶつかり合うところで、物語は幕を閉じる」と書かれています。


このドラマ、なんといっても主演の一ノ瀬ワタルが最高でした。ブログ「ヴィレッジ」で紹介した日本映画では横浜流星が演じる主人公をいじめる悪役で、村長の息子の大橋透を演じていました。横浜流星とのアクションは、お互い元格闘家ということもありリアリティのある迫真のシーンとなりました。そのときの一ノ瀬ワタルがあまりにも強面で、わたしは「こいつ、本当に憎たらしい顔してるなあ」と思ったものです。しかし、「サンクチュアリ ‐聖域‐」を観て、彼に対する認識を改めました。「こいつ、物凄い役者じゃないか!」と思ったのです。また、強面ながらも笑うと愛嬌があってキュートなことも知りました。彼は、1985年7月30日、福岡県・久留米市生まれ、佐賀県嬉野市塩田町出身。北九州市門司区出身の小瀬清と同じく、九州男児です。

 

一ノ瀬ワタルは、幼い頃から憧れていた格闘家を目指し、中学卒業と同時に上京。仕事と格闘技の両立に悩み、沖縄の真樹ジムオキナワで内弟子になりました。その後、更に強くなることを望み単身タイに渡り、ムエタイのジムで2年間修業。顔の傷跡はその時に負ったものだそうです。ジム館長の紹介で三池崇史監督と知り合い、「クローズZERO  II」(2009年)に出演し俳優に興味を持ちました。その後ジムの移籍で再び上京し、アルバイトでエキストラを開始すると、その撮影現場でスカウトされ役者を目指しました。その後、「アンナチュラル」や「獣になれない私たち」といったドラマに出演した他、映画「宮本から君へ」(2019年)でラグビー選手である真淵拓馬の役作りのため、体重を33㎏増量し悪漢を演じきりました。「新解釈・三國志」(2020年)では許褚を演じ、巨体を生かした腹踊りを披露しています。


一ノ瀬ワタルだけでなく、「サンクチュアリ ‐聖域‐」にはバラエティ豊かな役者たちが勢揃いした感があります。猿将部屋の親方を演じたピエール瀧をはじめ、田口トモロヲ、きたろう、松尾スズキ笹野高史・・・あまりにも渋すぎます! ピエール瀧の親方なんて、日本の映画会社では絶対に発想しないでしょう。田口トモロヲは「ザ・カルト俳優」といった感じですし、アキさんからは「私はきたろうに賞をあげたい笑笑」とのLINEが届きました。松尾氏は、わたしと同郷の北九州市出身で同い年。笹野氏はブログ「笹野高史講演会」で紹介したように、2016年にお会いしました。他にも、ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画史に残る名作で葬儀社の事務員を好演した余貴美子の怪演も凄かったです。ブログ「寄生獣」で紹介したSF映画で主演した染谷将太もすごく良かったです。その他、猿桜のライバル・静内を演じた住洋樹が最高でした。彼は元大相撲力士(飛翔富士)で、最高位は東十両13枚目。身長193㎝、体重212㎏の巨漢ですが、現在はハリウッドで活躍しているそうです。


充実の役者陣の中でも、ヒロイン的存在である忽那汐里の美しさが印象的でした。世渡り下手な新聞記者の国嶋飛鳥をえんじているのえすが、彼女は上司にも、横暴な力士にも、そして、相撲のしきたりにも噛み付きます。生きづらさを抱えつつも信念を持ち真正面からぶつかっていく国嶋の成長も見どころの1つだと言えます。忽那汐里は1992年、オーストラリアのシドニー生まれ。2006年、14歳の時に学校の冬休み(北半球では夏)にシドニーから訪日。オスカープロモーション主催の第11回全日本国民的美少女コンテストに参加、審査員特別賞を受賞。2007年、『3年B組金八先生』(TBS)で帰国子女の少女役で女優デビューしました。ブログ「海難1890」で紹介した2015年公開の日本映画でヒロインを熱演しましたが、当時の彼女は22歳。「サンクチュアリ ‐聖域‐」の出演時は30歳で、女優としての成熟を感じました。


わたしは子どもの頃から相撲が大好きなので、大相撲エンターテインメントといえる「サンクチュアリ ‐聖域‐」は最高に面白かったです。このドラマを観て、相撲の魅力を再認識しました。もともと相撲に似た競技は、中央アジアで王の葬礼として始まりました。日本では、『古事記』の中に、建御雷神と建御名方神が出雲の国をかけた力競べをして、建御雷神が勝ったという記述があります。これが相撲の起源とされますが、「国ゆずり」のように重大な事件がこれによって決せられたということは、相撲が一種の神占いであったことを示しています。時代が進むと相撲はいつしか闘いよりも、豊作を願い神に奉納する神事として、また余興として取られるようになりました。


『日本書記』には、紀元前642年皇極天皇百済の使者をもてなすために宮廷の兵士を召集して相撲を取らせたとあります。日本における相撲の誕生です。それが、大相撲という興行になってから、相撲は大きく変化しました。「興行」という日本語は「ショー」という意味です。そう、大相撲とは最初からショーなのです。ですから、力道山以前の「プロレス」は「西洋相撲」と呼ばれていたのです。作家の村松友視氏は1980年刊行の『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局)で、大相撲の本質がプロレスとほとんど変わらないことをすでに明言しています。わたしは、外国人力士を土俵に上げた瞬間から、相撲は「ショー」であり「エンターテインメント」であることをカミングアウトしたのではないかと思っています。

儀式論』(弘文堂)

 

拙著『儀式論』(弘文堂)に書いたように、相撲の本質は「神事」です。大相撲における「神」は八百万の神々であり、土俵のしつらえや力士が行う所作の1つ1つが、神と関わっています。そして、ドラマのタイトルである「サンクチュアリ ‐聖域‐」とは、ずばり土俵のことです。「土俵」は円形であることから、わたしは「日の丸」「円」「和」などに通じる、まさに日本人の「こころ」を「かたち」にしたものであると思っています。大相撲の場所の前日には、土俵祭を行います。相撲の神様を神聖な土俵にお招きするための神事ですが、土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを奉じて、場所中の安全を祈ります。大相撲が開催される15日間の土俵は、「神様の庭」という捉え方です。千秋楽の表彰式が終わって、最後に土俵上で行司を新弟子らが胴上げする「神送りの儀」という儀式があります。15日間、見守っていただいた神様に感謝し、天にお送りするというのがその意味です。


サンクチュアリ(聖域)としての土俵

 

土俵は「聖域」であり、神聖な場所です。神が降りる場所ですから、穢れを入れないのが大原則です。すなわち、四股は土の中にいる魔物を踏みつぶす所作ですし、取組の前に塩をまくのは、土俵に穢れを入れないためと、己の穢れをはらい、安全を祈るためです。立合いでは手をつくように厳しくルール化されていますが、それは悪霊を追い祓う所作だからです。勝負に勝って、懸賞金を受け取る手刀には、勝負の三神への挨拶にほかなりません。手刀をする場合、手は左、右、中央の順に動きますが、三神とは、左=神産巣日神、右=高御産巣日神、中央=天御中主神を意味します。手刀とは、それらの神への感謝の意を示す作法です。このような神事としての大相撲の世界で頂点をきわめる横綱とは、神に近い存在ではありますが、けっして神そのものではありません。


サンデー毎日」2018年1月21号

 

数々の疑惑とともに引退した横綱白鵬は、 ブログ『相撲よ!』で紹介した著書で、「横綱が土俵入りをすることが、なぜ神事となるのか」という問いに対し、「横綱が力士としての最上位であるからだ」と即答し、さらに「そもそも『横綱』とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る『注連縄』のことである。さらにその綱には、御幣が下がっている。これはつまり、横綱は『現人神』であることを意味しているのである。横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである」と述べています。この「現人神」という言葉は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味し、戦前までは「天皇」を指しました。この言葉を使うからには、白鵬は「横綱」を神であるととらえているのでしょう。一方で、貴乃花はつねづね「土俵には神様がおられる」と言いました。横綱という存在を神だとはとらえていないのです。

土俵に拝礼する猿桜

 

横綱≠神」と考える貴乃花、「横綱=神」と考える白鵬・・・・・・この両者の横綱観にこそ、2人の大横綱の考え方の違いが最も明確に表れているのではないでしょうか。日馬富士の暴行事件に始まった2017年の一連の騒動は「貴乃花親方vs.白鵬」の構図に集約されていきました。わたしは、白鵬ほど横綱にふさわしくない力士はいないと思いました。最も憤慨したのが、同年の九州場所11日目での行為です。結びの一番で初黒星を喫した後、土俵下で右手を挙げて勝負審判に立ち合い不成立をアピールし続け、勝負後の礼をしないという前代未聞の振る舞いをしたことです。長い大相撲の歴史でも、横綱の品格が最も損なわれた瞬間でした。相撲の原則は「礼に始まり礼に終わる」であり、礼をしないで横綱が土俵を下りるなど言語道断でした。ちなみに、「サンクチュアリ -聖域-」でわたしが最も好きな場面は、無作法な荒くれ者だった猿桜が相撲が神事であり、土俵が聖域であることに気づき、土俵に深々と礼をするシーンでした。

猿谷の断髪式のようす

 

聖域である土俵で行われる儀式は「土俵祭」だけではありません。大相撲の引退した力士がそのシンボルともいえる大銀杏を切り落とす儀式である「断髪式」も行われます。葬儀が「人生の卒業式」なら、断髪式は「力士の卒業式」です。土俵上は女人禁制ゆえに、男性のみが鋏を入れる為に土俵に上がることができます。断髪式は引退力士にとって、長年頭の上にあった髷がなくなるため、「本当に大相撲から引退してしまうのだな」という気持ちや、今までの相撲人生において沢山の想い出が甦るという理由からか、引退時記者会見ではさっぱりとした表情で話をしていた力士であっても、ほとんどの場合感極まって目から大粒の涙を流してしまう場合が多いです。「サンクチュアリ ‐聖域‐」では、猿将部屋の部屋頭であり元小結の猿谷の断髪式のシーンがあります。猿谷には妻と息子がいますが、妻は女人ゆえに土俵に入れず、まだ小学生の息子が泣きながら父親の髷を入れるシーンや、最後に親方が大銀杏を切り落とす前に猿谷が四股名を初めて授けられたときの思い出を語ったシーンなどは大いに泣けましたね。


最後に、「サンクチュアリ ‐聖域‐」を観て、大相撲の取り組みとは対戦する両力士の人生を懸けたドラマだと思いました。このドラマのラストでは、猿桜と静内が対戦します。猿桜は、幼少時に借金で家庭崩壊しています。貯めた金で父・浩二の寿司屋を取り戻そうとしていましたが、目標金額には遠く及ばず腐っていたところに、猿将のスカウトを受けて入門しました。一方の静内は、顔に大きな傷のある力士です。「化物のような強さ」と称されますが、桜が好きなのか、よく桜を眺めている。常に無表情ですが、全力を出す前などに微笑むことがあります。しかしこの微笑みは過去の母の発言である「悲しいことはこれからもたくさんある そういう時は 無理してでも笑うの」という台詞のトラウマ描写でした。その微笑みの直後、静内は、友情が築かれようとしていた猿桜を必要以上の圧倒的暴力とも取れる行動で再起不能にまで追いやっています。


それぞれの人生を懸けた対決!

 

静内には、暗い過去がありました。かつて、幼少時に起きた事件で死んだ母と弟の死亡現場に、凶器である包丁を持って立っていたのです。その事実を掴んだ闇記者が、リークをしない代わりに負けるよう八百長を持ちかけます。しかし、静内はそれを無視し、取組相手である清を徹底的に撃破しました。じつは、優しかった母が育児ノイローゼから虐待をするようになり、弟と共に目の前で無理心中を図ったのです。その際、居合わせた静内が凶器を拾っただけであり、彼は殺害に関与していませんでした。このシーンを見たわたしは、両親ともに亡くなって自分だけが生き残った市川猿之助を連想しました。愛する家族を亡くした静内にとって相撲を取ることは「グリーフケア」でしたが、猿桜にとっては家族再生のための「祈り」でした。そんな2人がそれぞれの人生を懸けてぶつかり合う姿は観る者に最高の感動を与えてくれます。本当に素晴らしいドラマでした。紹介してくれたアキさんに感謝いたします!

 

2023年5月22日 一条真也