対談には続きがある

一条真也です。
東京に来ています。感染者が過去最高となる534人となった日の翌日、20日の午前中、わたしは「勇気の人」ことベストセラー作家の矢作直樹氏と久々にお会いし、対談いたしました。

f:id:shins2m:20201120114356j:plain矢作直樹氏と

 

矢作氏はお変わりなく、元気そのものでした。2013年に刊行された矢作氏との対談本『命には続きがある』(PHP研究所)がこのたびPHP文庫化されることになり、「コロナ」をめぐって再対談することになったのです。対談の内容は、文庫に追加掲載されます。同書のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」です。当時の矢作氏は、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長でした。

 

この日は、「附章 新型コロナウイルス禍の中の生と死」として、特別章の対談が行われました。コーディネーターは前回同様に「出版寅さん」こと内海準二さんでしたが、以下のテーマに沿って対話が展開されました。
●コロナ禍で苦悩する社会
   ひっ迫する医療現場(矢作)
   儀式ができない現状(一条)
●変わる看取りと葬儀
   死に向かい合う医師たち(矢作)
   葬儀の意味が問われる儀式の現場(一条)
●変わる死生観
   死を見つめる時代(矢作)
   グリーフケアの重要性(一条)
●コロナ後の世界をどう生きる
   医療はいかに闘うのか(矢作)
   歴史に学ぶ知恵(一条)

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対談のようす

        

コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。拙著『儀式論』(弘文堂)でも訴えましたが、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか?
それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があるのです。

 

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

 

それから、「葬儀」の意味が見失われてきていることを力説しました。厚労省の「人口動態調査」によれば、自宅死と院内死がほぼ拮抗するのは1975(昭和50)年のことです。そのあたりを境に自宅死と院内死は逆転していきます。じつは、現在の直葬家族葬に代表される「薄葬」化はここから始まったと見られています。この当時、子どもだった人々は現在50代ですが、自宅で祖父母が亡くなった経験を持たないために、「死」や「葬」の意味を知らない世代だと言えるのです。いずれにせよ、1975(昭和50)年からは院内死は増え続け、自宅死は減り続けて、現在では院内死が75パーセント、自宅死が10パーセント強となっています。

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対談のようす

 

また、医療人である矢作氏の姿を久々に拝見して「人の道」ということを思い起こしました。ブログ『コロナの時代の僕ら』で紹介した本で、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノは、最後に「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書いています。これを読んで、わたしはアンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想しました。この短い物語には2つのメッセージが込められています。

 

1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第一のメッセージでしょう。では、第二のメッセージは何か。それは、少女の亡骸を弔ってあげなければならなかったということです。行き倒れの遺体を見て、そのまま通りすぎることは、人として許されません。死者を弔わなければなりません。そう、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。今回のコロナ禍は、改めてそれを示したのです。

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対談を終えて

 

コロナ禍のいま、わたしの生業である冠婚葬祭業は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ると思います。以上のようなことを、わたしは語りました。久々に、矢作直樹氏と存分に語り合えて至福のひとときでした。この最新対談が追加されたPHP文庫版『命には続きがある』は、来年2月4日に発売予定です。どうぞ、お楽しみに!

 

 

2020年11月20日 一条真也

感染者534人の東京へ!

一条真也です。
19日、北九州空港からスターフライヤーで東京に向かいました。本当は昨日の18日、副会長を務める一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の正副会長会議、正副会長・委員長会議、互助会保証との意見交換会などが開かれ、わたしも参加したかったのですが、ブログ「サンレー創立54周年記念祝賀式典」で紹介したわが社の大事なセレモニーの日と重なってしまい、参加できませんでした。

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北九州空港の前で

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今朝の北九州空港のようす

 

現在、「第3波」ともいわれる新型コロナウイルスの感染拡大の最中です。東京は特に感染者が多く、18日は過去最多の493人の感染者、19日にはさらに記録を更新する534人の感染者が出ました。小池都知事は、感染者や感染経路が分からない人の数などが大幅に増加し、「急速な感染拡大の局面を迎えた」として、警戒レベルを4段階のうち最も高い「感染が拡大している」に引き上げました。それにしても、「東京五輪は開催します」と発言したIOCのバッハ会長が離日したとたんの感染者爆発、なんだか嫌な感じですね。しかし、東京だけでなく、大阪府も338人、愛知県も219人と、それぞれ19日に過去最多を記録しています。大変なことになってきました。

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スターフライヤーの機内で

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マスクを不織布に替えました

でも、スターフライヤーの東京便は乗客でいっぱいでした。ほぼ満席でしたね。黒マスク姿で機内に乗り込んだわたしですが、すぐに不織布マスクに替えました。先日、弟から「布のマスクはウイルスを完全防備できないので、飛行機や新幹線の中では不織布マスクの方がいい」と聞いていたからです。ずっとポケットに入れっぱなしだったので、不織布マスクはすっかりシワクチャになっていました。

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赤線を引きながら読みました 

 

機内では、読書をしました。この日読んだのは『死ぬときは苦しくない』永井友二郎著(講談社)です。ブログ『希林のコトダマ』 で紹介した本で知ったのですが、軍医としてミッドウェー、キスカ、トラック島で死線をくぐり、戦後は臨床医として多くの死を見送ってきた著者の死生観を示した本です。「あるがままに受け入れれば、死は怖くない」というメッセージが書かれています。

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富士山が見えました

ふと、窓の外に目をやると、富士山が見えました。わたしは富士山を見ると元気になる人間なので、パワーアップした気がしました。「いくらコロナの感染者が増えても、富士山さえあれば、日本は大丈夫!」と思いました。そんなことを考えているうちに、飛行機は羽田空港に到着しました。

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羽田空港に到着しました

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羽田空港のようす

羽田空港にも多くの人がおり、とても「第3波」という印象ではありませんでした。それと、とにかく暑かったです。25度以上はあったのではないでしょうか、薄手のオータムコートを着ていたのですが、暑くて脱ぎました。「腹が減っては戦はできぬ」ということで、まずは昼食を取ることに。空港内の北海道ラーメン店で、塩ラーメンとミニしらすいくら丼を食べました。コロナに勝つには体力をつけないと!

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昼食の塩ラーメン&ミニしらすいくら丼 

 

明日の20日、わたしは「勇気の人」ことベストセラー作家の矢作直樹氏と久々にお会いし、対談いたします。2013年に刊行された矢作氏との対談本『命には続きがある』(PHP研究所)がこのたびPHP文庫化されることになり、「コロナ」をテーマに再対談することになったのです。対談の内容は、文庫に追加掲載されます。同書のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」です。当時の矢作氏は、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長でした。

命には続きがある』(PHP研究所)

 

ブログ「勇気の人」に書いたように、わたしは2011年10月4日に東大病院を訪れ、矢作氏と初対面しました。そのときのことを矢作氏は本書の「はじめに――生と死の交差点に立つ者同士」の中に書かれています。わたしについての過分な評価も書かれており、大変お恥ずかしいのですが、わたしたちの対話の雰囲気がわかっていただけるのではないかと思います。矢作氏は次のように書かれています。
「わざわざ病院のほうにお越しいただき、初対面させていただきました。その中で洗練された文章の裏には幼少時からご自宅の書庫に蓄えられた父上の膨大な蔵書を読破されてこられたことをお聞きして感心しました。それとともに、この文章のもとになる豊富な現場経験をお持ちでいらっしゃることを確認して納得がいきました。本書を手にされた方は、一条真也氏について私よりもよくご存じの方も多いとは存じますが、ご存じない方のためにすこしご紹介すると、50冊を超える著作を持つ作家として、つとに有名ですが、同時に冠婚葬祭業を営まれる企業の代表、経営者としての顔をお持ちです。社長室で執務をするだけではなく、時には葬儀や結婚式などの儀式の現場に立ち会われているとお聞きしています。つねに日本人の死生観と冠婚葬祭業界の使命を熱く語られる姿には、私のほうが年上ではありますが、心から尊敬に足る人物の一人であることを書き添えておきます」


矢作直樹氏との初対面

 

まことに恐縮の至りですが、わたしも「あとがき――グリーフケアの時代」で次のように書きました。
「不思議な運命の糸に手繰り寄せられてやっと会えたわたしたちは、長い間ずっと喋り通しでした。こういうことを言うと不遜かもしれませんが、これほど話題や考え方が自分と合う方には久々にお会いしました。京都大学こころの未来研究センター教授で宗教哲学者の鎌田東二先生以来の運命の出会いかもしれません。とにかく、二人でずっと『命』と『死』と『葬』について夢中になって語り合いました。矢作先生が担当されている患者さんの名前をお聞きして、わたしは驚きました。間違いなく我が国における超VIPの方々ばかりです。矢作先生ご自身が日本を代表する臨床医なわけですが、そんな凄い方が『魂』や『霊』の問題を正面から語り、『人は死なない』と堂々と喝破されました。これほど意義のあることはありませんし、ものすごい勇気が必要だったと思います。しかし、現役の東大医学部の教授にして臨床医が『死』の本質を説いたことは、末期の患者さん、その家族の方々にどれほど勇気を与えたことでしょうか! 多くの死に行く人々の姿を見ながら、多くの尊い命を救いながら、またあるときは看取りながら、矢作先生は真実を語らずにはいられなかったのです。まさに、矢作直樹先生こそは『義を見てせざるは勇なきなり』を実行された『勇気の人』であると思います」


矢作直樹氏との対談のようす

 

7年前、矢作氏とわたしは霊や魂といった、いわゆるスピリチュアルな問題についても正面からガチンコで語り合いました。わたし自身、これほどスピリチュアルな話題を語ったのは、1991年に『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を書いたとき以来でした。そして何よりも、医療界のトップにある方とわたしのような冠婚葬祭業者が「死」について徹底的に語り合ったのは世界でも初めてだと思います。あれからずっと、わたしは、愛する人を亡くした人の悲しみを軽くするための「グリーフケア」の普及をめざしています。グリーフケアは医療・葬儀・そして宗教の3つのジャンルが協力しながら進めていくべき大いなる「こころ」の仕事です。
今回の『命には続きがある』の文庫化が、日本人にとってのグリーフケア普及の一助となることを願ってやみません。明日の矢作氏との7年ぶりの対談、心より楽しみにしています!


対談の後で矢作直樹氏と

 

2020年11月19日 一条真也

サンレー創立54周年記念式典

一条真也です。
18日は、サンレー創立54周年の日です。
この日、小倉の松柏園ホテルで創立記念式典が万全のコロナ対応スタイルで開かれました。

f:id:shins2m:20201118093243j:plain神事のようす

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コロナ対応スタイルで

f:id:shins2m:20201118094732j:plain柏手を打ちました

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最後は一同拝礼!

 

朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。コロナ後のニューノーマル仕様で、コロナ以前よりも人数を減らしてソーシャルディスタンスに配慮し、マスクを着用した上での神事です。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さいました。佐久間進会長に続き、わたしも玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員のみなさんとそのご家族の健康を祈念しました。

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第一会場のようす
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第二会場のようす

f:id:shins2m:20201118100328j:plain会長とともに入場しました

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勇壮なふれ太鼓

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最初は、もちろん一同礼!

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第二会場でも一同礼!

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社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20201118101011j:plainS2M宣言」唱和のようす

 

例年は500名を超える社員が参加しますが、今年は半数以下に制限して、「創立記念式典」が開催されました。また、新館ヴィラルーチェに第二会場も用意しました。最初に、佐久間会長とわたしが第一会場に入場しました。まず、北九州紫雲閣の緒方支配人による「ふれ太鼓」で幕を明け、総務部の國行部長による「開会の辞」に続いて全員でマスクを着けたまま小声で社歌を斉唱し、それから 福岡地区営業所開設準備室の 武富所長によって「経営理念」「S2M宣言」が読み上げられ、これも全員で小声で唱和しました。

f:id:shins2m:20201118101304j:plain創立記念式典のようす

f:id:shins2m:20201118101837j:plain会長訓示のようす

 

それから、佐久間会長の訓示です。会長はまず、「おかげさまで、54周年を迎えることができて感謝しています」と述べました。それから、最近の自身の健康事情に言及し、病気にならない身体をつくるための予防医学の重要性を訴えました。また、「共飲」「共食」「共浴」「共健」「共笑」「共歌」「共遊」「共旅」という「実践共助八美道」というものを示し、アフターコロナの時代に互助会として提供したいと述べました。

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訓示する佐久間会長

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第二会場のようす

 

さらに、会長は古代ギリシャの医学者であるヒポクラテスの思想を紹介し、「病気は自分で治すことが大事」と訴え、「みなさんがいつも健康でいられる環境を作りたいと思っています」と述べ、最後は「コロナはわが社のプラスになる」「これからサンレーはますます良くなります!」と宣言して、降壇しました。

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わたしが登壇しました

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第二会場のようす

 

続いて、わたしの「社長訓示」の時間となりました。
わたしは、以下のような内容の話をしました。
無事に54周年を迎えることができて、大変嬉しく思います。これも日々、各部署で頑張って下さっているみなさんのおかげです。本当に、ありがとうございます。今年は、とにかく、新型コロナウイルスの感染拡大という想定外の事件に尽きる年でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができました。

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礼業は不滅である!

 

もっとも、コロナとの付き合いはまだ終わってはいません。ニューノーマルの時代となっても、わたしたちは、人間の「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、冠婚葬祭を守っていかなければなりません。コロナ禍の中で、わたしは冠婚葬祭業という礼業が社会に必要な仕事であり、時代がどんなに変化しようとも不滅の仕事であることを確信しました。

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日本は最大の国難に直面!

 

日本は、いま最大の国難に直面しています。それは新型コロナウイルスの問題でも、中国の領土侵犯の問題でも、北朝鮮のミサイル問題でもありません。より深刻なのが人口減少問題です。人口減少を食い止める最大の方法は、言うまでもなく、たくさん子どもを産むことです。そのためには、結婚するカップルがたくさん誕生しなければならないのですが、現代日本には「非婚化・晩婚化」という、「少子化」より手前の問題が潜んでいます。

f:id:shins2m:20201118130504j:plain結婚よりも結婚式が優先する!

 

わたしは、結婚式は結婚よりも先にあったと考えています。一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。日本人の神話である『古事記』では、イザナギイザナミはまず儀式をしてから夫婦になっています。

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熱心に聴く人びと

 

つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです。他の民族の神話でも同じです。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しています。結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。結婚式があるから、多くの人は婚約し、結婚するのです。結婚するから、子どもが生まれ、結果として少子化対策となります。

f:id:shins2m:20201118104230j:plain冠婚業は単なるサービス産業ではない!

 

結婚がなくなれば、子どもの出生が少なくなり、子どもが成長して大人となり、老いていって次の世代へ繋がることもなくなります。 すなわち、結婚は生命のサイクルの起点なのです。観光や外食と違って、結婚式は社会の維持のために絶対に必要です。冠婚業はけっして単なるサービス産業ではありません。日本という国を継続させていくエンジンのような存在です。

f:id:shins2m:20201118104501j:plainエッセンシャルワークとは何か?

 

葬儀の方ですが、最近、「葬祭業はエッセンシャルワークですね」とよく言われます。エッセンシャルワークとは医療・介護・電力・ガス・水道などの日常生活に不可欠な仕事です。そして、葬儀もエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。

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熱心に聴く人びと 

 

それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければならないのです。葬儀が必要不可欠のエッセンシャルワークなのです。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心ゆたかに儀式を行う時代が必ず来ます。

f:id:shins2m:20201118103807j:plain冠婚葬祭がなくなることはない!

エッセンシャルワークは社会的インフラとなります。このたびの台風10号では、100人以上の避難者の方々を受け入れました。「魂を送る場所」であった紫雲閣が「命を守る場所」となったことは画期的であり、「セレモニーホール」が「コミュニティホール」へと進化しました。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる社会インフラとしての文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません。

f:id:shins2m:20201118131512j:plain第二会場で熱心に聴く人びと

 

そして、コロナショックは、コロナチャンスです。コロナ禍の中でも、わが社の施設は続々とオープンし続けました。ついに念願の福岡市での紫雲閣オープンも実現します。日本中のサービス業が絶体絶命の状況にある中で、「天下布礼」という高い志を抱くサンレーは元気一杯です。

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鬼滅の刃」が教えてくれたこと
 

大ブームになっている「鬼滅の刃」には人間を食らう恐ろしい鬼がたくさん登場しますが、彼らの弱点は太陽で、日光を浴びると死んでしまいます。東洋の鬼だけでなく、西洋の吸血鬼も太陽が弱点であることは有名ですね。生きとし生けるものに生命エネルギーを与え、邪悪なものを滅する太陽は最強です!

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最後に道歌を披露しました

f:id:shins2m:20201118105556j:plain陽の光あらゆる人に降り注ぎ礼を求めんコロナの今も

 

最後に、「朝の来ない夜はない。陽はまた昇る。何事も陽にとらえ、みんなで力を合わせて、この素晴らしい礼業を守り抜いていきましょう!」と述べてから、「陽の光あらゆる人に降り注ぎ 礼を求めんコロナの今も」という道歌を披露しました。

f:id:shins2m:20201118110029j:plain表彰式のようす

f:id:shins2m:20201118110106j:plain表彰状と記念品をお渡ししました

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盛大な拍手を受ける表彰者のみなさん

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不動産情報提供者には表彰状と金一封を

 

「社長訓示」の後は、各種表彰が行われました。
まずは、「情報売上」上位者表彰(営業の部・内勤の部)の6名の方々に記念品を添えて、また、「不動産情報提供」をして下さった方に金一封を添えて、社長であるわたしが表彰状をお渡ししました。

f:id:shins2m:20201118110941j:plainサンレーおもてなし賞」の表彰をする佐久間会長

f:id:shins2m:20201118110956j:plain会場に向かって一礼する表彰者のみなさん

 

続いて、「サンレーおもてなし賞」の表彰式です。同賞を受賞された9人の方々に佐久間会長が金一封を添えて表彰状を渡しました。表彰されたみなさん、おめでとうございます。人こそが、わが社の宝です!

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「まごわやさしいよ」を説明する佐久間会長

f:id:shins2m:20201118111454j:plain「まごわやさしいよ」をメモする人びと
 

ラストは営業推進部の小谷部長代理による「和のこえ」です。そのとき、壇上の佐久間会長がマイクの前に行き、「最後にみなさんに健康のために良いことを教えましょう」と言って、「まごわやさしいよ」の話をしました。「ま」⇒豆類・大豆製品(大豆・小豆・豆腐・納豆・豆乳・味噌など)、「ご」⇒ごま、「わ」⇒わかめなどの海藻類(ひじき・昆布・のり・もずく・寒天など)、「や」⇒野菜類(緑黄色野菜➕淡色野菜)、「さ」⇒魚類(特に青背魚に注目!)、「し」⇒しいたけなどのきのこ類、「い」⇒いも類(じゃがいも・サツマイモ・里いも・山いもなど)、「よ」⇒ヨーグルト(プレーン)といった体に良い食べ物のことです。

f:id:shins2m:20201118111535j:plainこれが「和のこえwithコロナ」だ!!

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がんばろー!!

f:id:shins2m:20201118111707j:plain最後はもちろん一同礼!

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会長とともに退場しました

 「和のこえ」ですが、コロナで手が繋げないので、各自が拳を突き上げて「がんばろー!」と3回唱える「和のこえwithコロナ」です。大いに盛り上がって、記念式典は終了しました。その後、松柏園ホテルの写場へと移動し、役員と表彰者が揃って記念撮影しました。 コロナ対策のため、恒例の昼食会は中止で、受賞者のみなさんには松柏園特製お弁当をお渡ししました。サンレーグループのみなさん、めでたく54周年を迎え、コロナなんかに負けずに、さらに一致団結して新しい時代を拓いていきましょう! いよいよ、来年は55周年です!

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役員、表彰者による記念撮影のようす


2020年11月18日 一条真也

庸軒ごよみ2021

一条真也です。
11月18日は、サンレーの54回目の創立記念日ですが、2021年(令和3年)度の「庸軒ごよみ」が完成いたしました。わたしが「庸軒」の雅号で詠んだ短歌を掲載したカレンダーです。1年が過ぎるのは早いもので、もうカレンダーの季節なのですね。今年は新型コロナウイルスの感染騒動で、何が何だかわからないほど大混乱した1年でした。

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2021年版ができました!

 

誕生のきっかけは、2006年のサンレー創立40周年にあたり、記念に作成し、各方面にお配りしたことです。すると、嬉しいことに、予想を超える高い評価を賜りました。さらには、「また作ってほしい」との要望をたくさん頂戴しましたので、翌年からも作ることにした次第です。本日11月18日はサンレー創立54周年の記念祝賀式典が松柏園ホテルで開催されます。式典の終了後に、このカレンダーを紅白饅頭と一緒に参加されたOBおよび全社員に配ります。また、互助会の会員様や弊社施設のお客様などで希望者があれば、できるだけお渡しするようにしています。

f:id:shins2m:20201117110310j:plain「庸軒ごよみ」1月〜3月

f:id:shins2m:20201117110330j:plain「庸軒ごよみ」4月〜6月

f:id:shins2m:20201117110413j:plain「庸軒ごよみ」7月〜9月

f:id:shins2m:20201117110426j:plain「庸軒ごよみ」10月〜12月

 

このカレンダーには、わたしが詠んだ12首の短歌が掲載されています。いずれも、石田梅岩の「心学」で盛んだった“道歌”を意識して詠んだもです。「無縁社会」を吹き飛ばし、「有縁社会」そして「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティの到来を呼び込むための言霊を集めました。表紙には「日の本に礼の光を放たんと こころ一つにさらに進まん」という道歌が書かれています。月毎の12首の道歌は、以下のとおりです。

 

1月 ただ直き心のみにて見上げれば
        神は太陽 月は仏よ

2月 神の道 仏の道に 人の道
       三つの道をわれらが結び

3月 ただ想へ 気高く強く一筋に
        天下不礼の日々の務めを

4月 日の本の よき人々の魂を
        結んで送れ 若き桜よ

5月 縁により集ひし人と手をつなぎ
       和のこえ上げて社ぞ栄ゆる

6月 死を越ゆる言葉を求め善く生きる
        そこに開けり幸せの道

7月 自らの使命を知れば迷いなく
      有縁をめざして世直しすべし

8月 人はみな助け求むる人助く
       こころの社求むものなり

9月 縦糸と横糸張りて凧浮かし
        血縁地縁ともに支へん

10月 いにしへの聖なる典を広く読み
        世界の人のこころ知りたし

11月 創業の想いは死なず 天道の
       光の如く 世をば照らさん

12月 新しき時代を前に心せよ
      変へてはならぬものを知るべし

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「庸軒ごよみ2021年」プレゼント

 

このカレンダーには、「月齢」および「六輝」も入っています。また、スケジュールなどの記入も自由に出来る仕様になっています。わたしの短歌の出来は別にしても、「なかなか使いやすい」と好評です。オフィシャルサイト「ハートフルムーン」でプレゼントのご案内を開始しています。数に限りがございますので、ご希望の方は早めにお申し込み下さい。

 

2020年11月18日 一条真也

気業

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「気業」という言葉を取り上げることにします。


「気業」を提唱した『ハートビジネス宣言

 

「気業」という言葉は、1992年に上梓した『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)で初めて提唱しました。企業とは「気業」です。経営者が元気な会社なら、会社も元気です。社長が陽気で強気なら、陽気で強気な会社になります。その逆に社長が陰気で弱気なら、会社もそうなるのです。特に人数の少ない小規模の企業になればなるほど、トップの気はストレートに反映します。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

まさに企業とは、経営者の気が社員に乗り移る一個の生命体なのです。わたしたち人間はハード(身体)とソフト(精神)の両方からできており、目に見える世界と見えない世界で生活しています。「色即是空」「空即是色」という言葉が示すように、見える世界と見えない世界は渾然一体なのです。「気」は見えない世界のエネルギーであり、ハートフル・ソサエティ、すなわち「心ゆたか社会」でのビジネスにおいて、重要なキーワードです。

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

人間と同じく、人間が経営する会社も見える部分(色)と見えない部分(空)の二重構造になっています。色とは、資本金、土地、建物、設備、商品、貸借対照表損益計算書などです。労働力としての人間も色に入るでしょう。一方、空とは、会社のミッションやビジョン、経営者の思想や哲学、経営理念、社員のプロ意識、生きがい、働きがい、社風、企業文化などです。今後の企業は、色と空の両方をバランスよく充実させなければなりません。特に、人々が求心的になっていきます。

ハートフル・カンパニー』(三五館)

 

ハートフル・ソサエティにおいては、企業の空の部分が重要視されるでしょう。心ゆたかな会社、ハートフル・カンパニーの原点は、企業の経営理念、社長の哲学、そして社員の生きがいを確立することです。そして、そこには常に、元気、陽気、強気、勇気といったプラスの気が流れていなければならないのです。ホテル業や冠婚葬祭業など、お客様に元気や勇気を与えるホスピタリティ・サービス業においては、すべての会社が「気業」を目指すべきでしょう。サンレーでは、かつて「気業宣言」を行いました。

f:id:shins2m:20201110212539j:plainサンレーの「気業宣言」

 

2020年11月17日 一条真也

死を乗り越えるダライ・ラマ14世の言葉

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自分のことしか考えない人は、
苦しみのうちに人生を終えます。
ダライ・ラマ14世)

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、ダライ・ラマ14世(1935年~)の言葉です。チベット仏教の最高指導者。2歳の時に先代13世の転生者として認められ、5歳で正式に第14世として即位。チベット亡命政府を樹立。一貫して非暴力平和的手段でチベット問題に取り組みました。1989年にノーベル平和賞を受賞。 

 

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

 

 

ダライ・ラマとは、どういう意味か。「ダライ」は大海を意味するモンゴル語で、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものです。チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマ名跡で、一四代ということです。チベットチベット人民の象徴たる地位にあります。現ダライ・ラマである14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において、2011年に引退するまで政府の長を務めていました。

 

ダライ・ラマ宗教を超えて

ダライ・ラマ宗教を超えて

 

 

 現在のチベット亡命政府では、「チベットチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられています。わたしはダライ・ラマが来日した折に開かれた講演会を拝聴した経験がありますが、鋭い眼光の中にやさしいまなざしを感じたことを覚えています。普通はやさしい目の中に鋭さを感じるものなのですが・・・・・・。

 

Inner World

Inner World

  • 作者:Dalai, Lama
  • 発売日: 2020/08/01
  • メディア: CD
 

 

ちなみに後継者は生まれ変わるといわれています。現ダライ・ラマ14世も3歳のときに13世の生まれ変わりとして認定されたといわれています。高齢になった14世の後継者が話題になることがありますが、興味はつきません。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年11月17日 一条真也

『リーダーの教養書』

リーダーの教養書 (幻冬舎文庫)

 

一条真也です。
読書の秋ですね。『リーダーの教養書』出口治明楠木建大竹文雄&岡島悦子&猪瀬直樹長谷川真理子&中島聡&大室正志&岡本裕一朗&上田紀行著(幻冬舎文庫)を読みました。2017年に幻冬舎より刊行された単行本の文庫化です。

 

本書のカバー裏には、以下の内容紹介があります。
マーク・ザッカーバーグら、米国のトップ起業家はみな、歴史、文学、科学と幅広い分野に精通している。ズバリ、日本が米国のエリートに勝てない理由は『教養の差』にあった! 本書ではその差を埋めるべく、日本が誇る10の分野の教養人が知悉すべき推薦書を挙げ、ビジネスや人間関係への生かし方などを解説。知の土壌を豊かにする渾身のブックリスト」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
序文「日米エリートの差は教養の差だ」佐々木紀彦
対談「なぜ教養が必要なのか?」出口治明 楠木健
教養書120

●歴史  出口治明
●経営と教養  楠木健
●経済学  大竹文雄
●リーダーシップ  岡島悦子
●日本近現代史  猪瀬直樹
●進化生物学  長谷川眞理子
コンピュータサイエンス   中島聡
●医学  大室正志
●哲学  岡本祐一朗
●宗教  上田紀行
おわりに
「『日本3・0』の時代を生き抜くために」
佐々木紀彦
「解説」箕輪厚介

 

序文「日米エリートの差は教養の差だ」の冒頭を、ニューズピックスアカデミア学長の佐々木紀彦氏は、「なぜ日本のエリートは、米国のエリートに勝てないのか。なぜ日本のリーダーは、米国のリーダーに勝てないのか。過去10年ほど、私はその問いに向き合ってきた。それに対する暫定的な答えは『教養の差』だ。両者には教養の量と質に圧倒的な差があるがゆえに、知や行動のスケール、実行における成功率に彼我の差が生まれているのである」と書きだしています。では、教養とは何か。佐々木氏は、「普遍的な知恵」のことだと思うとして、「歴史の風雪や、科学の洗礼をくぐり抜けてきた『時代や国を超えた知』こそが教養と言えるだろう。では、なぜそうした知を有することが大切なのかというと、クオリティの高いアイディアが次々と生まれやすくなるからだ」と述べます。

 

「『時代性×普遍性』という最強の掛け合わせ」として、佐々木氏は「『普遍』のストックを自分の中に多く備えていれば、それと時代性を掛け合わせることにより、無数のアイディアが湧いてくる。しかも、普遍に基づいたものは、人間の本質に根ざしているだけに、持続性と爆発力のあるアイディアであることが多い。一方、『普遍』を持たない人間は、つねに『時代性』という名の『今』に振り回されてしまう。ビジネス書の乱読などはその最たるものだろう(もちろん、いいビジネス書もあるが)。ハウツーを記した、似たような内容のビジネス書を読み続けても、それは、一瞬の気晴らしになるだけで、あなたの『知の土壌』を豊かにはしない」と述べています。

 

また、世代や国や分野を超えたビジョンや理念を生むには教養が不可欠だと指摘し、佐々木氏は「それがなければ、目の前の分かりやすい数字を追うだけか、先行者を真似して追いかけるだけに終わってしまう。社会を変えることもないまま、人生が終わってしまうのだ。翻って、マイクロソフトビル・ゲイツフェイスブックマーク・ザッカーバーグ、アマゾンのジェフ・ベゾスといった米国のトップ起業家は、歴史、科学、文学に精通した教養人だ。ネットで検索すると、彼らが薦める書籍が見つかるが、どれも読みごたえがある。われわれはビジネスの前に、教養のレベルにおいて、すでに米国の起業家たちに負けているのだ」と述べます。

 

「教養を高める無数のメリット」として、佐々木氏は、教養とは、短期的に、何か目に見える恩恵をもたらしてくれるものではないと指摘した後、「ただし、中期的、長期的には、確実にあなたの人生を豊かにし、成功確率を上げてくれる。豊かな教養を持つのは、頭の中に多くのブレーンを抱えているようなものだ。何か決断に悩んだときは、本を通じて『心の友人』となった賢人にバーチャルに相談すればいい。たとえあなたが1人でいても、世界屈指の『経営会議』を常に開くことができる」と述べ、さらに、教養を持つことにはほかにも無数のメリットがあるとして、「頭の中で、異分野をつなげやすくなるし、人の交流という点でも幅を広げることができる。教養がある人は話が面白いので、その周りに人が集まるのは世の常だ。そして、教養を育むのは、自分にとって何よりも楽しい。教養とは肩肘張ったものばかりではなく、人生最高のエンタメにもなりうるのだ」と述べるのでした。

 

本書の白眉は、現在は立命館アジア太平洋大学(IPU)学長の出口治明氏(対談当時は、ライフネット生命会長兼CEO)と一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の楠木健氏による「なぜ教養が必要なのか?」と題する対談です。わたしは、これほど「教養」の本質に迫った対談を他に知りません。最初に、「教養がなければ『奴隷』になる」として、楠木氏が「『教養』という言葉は、例によって明治期に翻訳されて定着した日本語ですが、もともとは『リベラルアーツ』ですね。直訳すれば『自由の技術』」と語ります。

 

戦略読書日記 (ちくま文庫)

戦略読書日記 (ちくま文庫)

  • 作者:建, 楠木
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

「自由の技術」というのは「機械的な技術」と対になる概念であると指摘し、楠木氏は「何らかの目的があって、それを上手く達成する方法が機械的な技術。これに対して、教養は自由な市民として持つべきアート。技術というより『技芸』というイメージです。僕にとって一番しっくりくる教養の定義は、人が他者に強制されず、自分自身でつくりあげていく独自の『価値基準』を持っているということです。人はいろいろな物事に囲まれて生きているわけですが、その中で自分の価値基準に照らして初めて、その人なりの意見や考えが出てきます。自分が関わっている事象について、自分が自由に考えるための基盤となるもの、これが教養だという理解です」と述べています。

 

教養が身につく最強の読書 (PHP文庫)

教養が身につく最強の読書 (PHP文庫)

 

 

一方、出口氏は「あえて言うならば教養は、自らの選択肢を増やしてくれるもの、あるいはワクワクして楽しいものだと言えるでしょうね。まず、そもそも人間は何のために生きているのかと考えてみると、動物としては次の世代を育てるために生きていますが、それだけではないですよね。『衣食足りて礼節を知る』というのは全く正しくて、ご飯を食べられなければ礼節も教養も意味がないわけですが、衣食が足りたら足りたで『人はパンのみにて生きるものにあらず』なのです。人間が考えるための脳を持っている以上、単に次の世代を育てる以外にも、どうしたら元気で明るく楽しく生きられるのかを求めるものだと思うのです」と述べます。

 

また、出口氏は「何かを学び勉強することは、そのたびに人生の選択肢を1個1個増やすことだと思っています。もちろん、それは別にやらなくてもいいことですが、とはいえ人生の選択肢はあればあるほど楽しくなるはずです。つまり、教養とは自分の好きなものを学ぶことに尽きると思います。いくら学ぼうと思っても、嫌いなことはなかなか身につきませんから。むしろ嫌いだけれど仕方なしに身につけるものは教養ではなくて、先ほどの先生の言葉で言えば『機械的な技術』にあたるのだと思います。上司から仕事に必要だから読めと言われて読む本と、自分が好きで読む本とでは、やはりワクワク感が違いますよね」とも述べています。

 

「『欲望への速度』が、その人の品格や教養を物語る」として、楠木氏は、個人的に、教養や品格といった言葉はあまり好きではないと告白し、「僕が一番気に入って『品がある』の一定義は、『欲望への速度が遅いこと』。言い換えると、即時即物的にではなく抽象度を上げて物事を理解しようとする姿勢ですね。これは教養の有無と深く関わっていると思います。目の前の具体的な事象に対して『これは要するに何なのか』と考える。これが抽象度を上げるということですが、それは同時に思考の汎用性を上げるということでもありますね」と述べます。

 

 

一方、出口氏は「教養の特徴には、知の広がりの大きさがあると思います。僕は、世の中の事象というのは、“氷山”と似ていると思っています。人間の脳が意識できるのは1、2割で、無意識の部分が脳の活動の大半を占めていますが、それと同様に世の中の事物で見えているのは氷山の内の1、2割で、残りの8、9割は海の中に隠れているわけです。即ち、いわゆる「早わかり」系の知識というのは、氷山の上だけをなぞっているにすぎません。教養は、役に立たないことも含めて関連する情報を全部集めて成り立つものですから、海中に隠れている8、9割の知識もしっかり認識することが必要だと思います。ですから、目に見えるものだけではなく見えないもの、役に立つものだけではなく役に立たないものも含めた氷山全体の大きさが、その人の知的な体系をかたちづくっている気がします」と述べます。非常に説得力がありますね。

 

出口氏は、「すぐ役立つ知識ほどすぐに役立たなくなる」として、実用的な知識というのは1年もすれば陳腐化してしまうかもしれないとして、「アウグストゥスは、『ゆっくり急げ』という言葉を壁に貼っていたそうです。結局、ゆっくり考えて対処する方が、問題が早く解決することになるのだ、と。それと同じように、いろいろなことを知っていれば、すぐに飛びついて決断せずに一呼吸おくことができるんですよね。例えば、僕はよく食べる方なのでフレンチなどに行くと、美味しいパンをついパクパクと食べてしまうのですが、ボーイさんから『この後もまだ美味しいお皿がたくさん出ますから、少し抑えた方がいいかも知れません』と言われたりして(笑)。これも、フランス料理について知識があれば、すぐに手を出さずに抑えながら食事を楽しめるわけですよね。つまり、全体を知っていれば、欲望の速度を抑えることができるのです」と述べます。これは、非常にわかりやすい例えですね。

 

 「『激動おじさん』は信用できない」として、楠木氏は「思考の抽選度が高い人の話の中には、しばしば『いろいろあるけど、要するに・・・・・・』が出てくる。複雑で渾然とした事象の本質を衝き、枝葉末節を捨象する力ですね」と述べ、さらに「とくにビジネスは日々の変化が激しい世界ですが、変わっているのは先ほどの出口さんの言葉でいえば“氷山”の上に出ている部分だけなのです。ここだけを見て、『激変期だ、これまでのやり方は通用しない』と言ってみても、変化を追いかけて目が回るばかりで、なんら有効なアクションは打てません。僕は『激動おじさん』は信用しないことにしています。信用できるのは、表面に出てくる様々な変化に直面したときに、『要するにこういうことだよね』という言葉が出てくる人です。教養の有無は、1つにはこの『要するに』が言えるかどうかで分かると思っています」と述べています。まったく同感です。

 

出口氏は、「世界中の大脳生理学者は、人間の脳は1万3000年前のドメスティケーション(定住。農耕や牧畜の始まり)以来一切変化していないと述べています。進化しているのは技術や文明だけなのだ、と。脳が変わっていない以上、人間の喜怒哀楽や経営判断は変わりません」と断言し、「教養なきリーダーは去れ」として、「経営者やプロジェクトのトップを担うようなリーダーに教養は必要かという質問に対しては、『必要に決まっている』というのが僕の意見です。なぜなら人間は1人では仕事ができないからです。誰しも何らかのかたちでチームで仕事をするわけですが、では人間の最大の労働条件は何かと言えば、それは上司なのです。部下は上司を選べないので、上司が労働条件の100%になるわけです。すると、トップに立つ人物に教養があれば様々な物事に理解があるため、社員はみな元気で明るく楽しく過ごせます。それだけでも、部下にとってはありがたいことです」と述べています。

 

逆に、教養がないような「激動おじさん」だったら、部下は上司が騒ぐたびに右往左往させられるだけなので、上に立つ人間には教養がなければいけないと指摘し、出口氏は「もっと言えば、教養がない人間は上司になってはいけないのです。先ほども述べたように、教養がなければ人生を楽しめませんから、職場を楽しくすることもできませんし、部下も楽しく過ごすことができないのです。それと、リーダーが経営判断をしないといけないときは、実はそれほど多くないのです。しょっちゅう経営判断をしているようにみんな思っているようですが、基本的には何かが起きたときに、わからないことを決めるのがリーダーの役割です。その点を考えると、リーダーが右往左往したらロクなことはありません。『ゆっくり急ぐ』ための時間軸を取るだけの教養がなければいけないのです」と述べます。

 

その後、以下のような対話が展開されます。
楠木 どんなに分析して予測しても、実際にやってみなければ分からない面がある。だとすれば、事前に最も強固な拠りどころとなるのは、その人の中にある「論理的な確信」しかない。それは、具体的なレベルで仮定に仮定を重ねて、各オプションの期待値を計算していくような作業ではなく、物事を単純化して「要するにこういうことだ」と本質をつかみ、自らの確信に基づいて決断するということです。この「論理的な確信」の淵源となるものが教養なのだと思います。教養がない人には重大な意思決定は任せられません。
出口 なるほど。僕は、「論理的確信」のことを「数字・ファクト・ロジック」と呼んでいますが、おっしゃる通り、物事の構造をシンプルに見ることができなければ判断することはできないですね。
楠木 そうです。シンプルになっていなければ、判断の根拠を人に上手く伝えることもできません。

 

「数字やファクトは未来予測のためのものではない」として、楠木氏は「数字・ファクト・ロジック」を誤解している人が世の中に多いように思うと述べ、さらに「数字やファクトの重要性というと、『事前に定量的なデータに基づいて選択肢の優劣が判断できる』とか、それがエスカレートすると、『事前に優劣が確定していないと意思決定はできない』という話になりがちです。最近では、オプションの優劣の決定にAIを活用すれば、最適解を導いてくれるのではないかとする論調が多いですよね。それは大間違いだと思います。数字やファクトというのは、すべて過去についての出来事であって、未来予測をするものではありませんから」と述べています。

 

僕が大切にしてきた仕事の超基本50

僕が大切にしてきた仕事の超基本50

 

 

それに対して、出口氏は「数字やファクトを集めて正確な判断をするには、いくつかの前提条件があります。まず、検討するための時間が無限にあること。それから、部下も大勢いてみんな賢いこと。こうした条件があるならば、膨大なデータを数量化できるかもしれませんが、通常、そのような状況は誰もが手に入れられるわけではありません。だから普通の人間の判断は、データが足りない中でしなければなりません。そのときに必要なのは、『要するに』と抽象化することのできる能力で、これを『直感』と言ってもいいと思いますが、まさしく『論理的な確信』がないと判断することはできません」と述べます。

 

それから、「教養の深さがパターン認識を広げ、判断力を鍛える」として、以下の対話が展開されています。
楠木 教養がある人は、そうしたパターン認識の引き出しが豊かですね。ですから、いくらビジネス環境がめまぐるしく変化していても、多くのパターンから物事を捉えているためジタバタしない。
出口 これはどこかで見た現象と似ているな、と気付けるわけですよね。
楠木 ええ、それこそがリーダーにとっては大切で、優れたリーダーは、新しい出来事に直面しても、「いつかどこかで見た風景」「いつか来た道」として捉えているフシがありますね。俗に言う「ブレない」というのは、こうしたパターン認識の豊かさに依拠しているのだと思います。

 

また、「リーダーは、ベースとなる人間観を持て」として、出口氏は「このようなパターン認識のベースには、その人なりの人間観があるように思います。おそらく、人間観は2種類に分けられて、1つは『人間は愚かでどうしようもない動物だから、それほど賢い判断は不可能だ』とする考え方です。そしてもう1つは『人間はなかなか立派で賢い動物だから、ちゃんと教育して育てればリーダーは育つ』とする考え方。僕は、人間観はこのどちらを取るかに尽きると思っているのです。僕自身は、人間はチョボチョボだと思っていますから、前者の考え方で世の中を見ています。ですから、人間を変えるためには、世の中の仕組みから変えていくしかないと思っています。優れた家来がいて、『王様、こうしたらどうでしょうか』と進言したくらいで人は変わらないと思うのです」と述べます。

 

一方、楠木氏は「その人の教養は究極的には人間観に表れるのでしょうね。近代の代表的な政治思想として、社会主義自由主義保守主義・民主主義があげられますが、1つの分類軸として、誰か特定の設計者がいる思想と、自然に生まれて人間社会に定着した思想とに区別できます。民主主義と社会主義は特定少数の人が考えた思想です。提唱者なり設計者がいる。これに対して、自由主義保守主義は自然の成り行きで定着した思想です。やはり特定の人間が考えたことには脆弱性があると思います。逆に言えば、自然に人間社会が必要として定着したという意味で、バークのいう保守主義は頑健だと思います。僕自身が人間観として大切だと思っていることは、人間は多面的で、一貫性がないものであるということです」と述べます。

 

「本は圧倒的にコストパフォーマンスが高い」として、出口氏は「本を選ぶときにお薦めなのは、まずは表紙の綺麗な本を選ぶことです。表紙がいい本は、出版社も力を入れているはずですから、優れた本が多いのです。そして、表紙で惹かれたら本文の最初の10ページを読んでみてください。書き手の気持ちになってみれば、読んでほしいから本を書いているはずなので、最初の10ページでその本の面白さがある程度はわかるはずです。それだけ読めばその本との相性がだいたい分かるでしょうから、本は人に比べればとても選びやすいのです」と述べています。

 

そして、楠木氏は、読書の最大の効用の1つは「事後性の克服」であるとして、「われわれは周囲からいろいろなことを教わります。それでも、実際に経験してみるまで理解できないことというのが、この世の中にはたくさんある。どれほど聡明な人でも頭だけではなかなか分からないものです。読書は、実際に何かを経験した人がその経験を終えた後に書いているわけですから、それを読むことで疑似的に追体験することができます。こうすることで、本来であれば後になってみなければ体験できないことも、読書を通じて考えられ、ある程度まで事後性を克服することが可能になるのです。ただし、人と会うことと比べて劣っている点もあります。それは、本の場合だと論点が整理されすぎてしまっていることです。“ノイズ”から得られる洞察を得る可能性が低い。しかも、人間相手だと自分の言ったことに反応が返ってくる。それは本にはない価値です。その点には注意が必要です」と述べるのでした。

 

仕事に効く 教養としての「世界史」 (祥伝社文庫)

仕事に効く 教養としての「世界史」 (祥伝社文庫)

  • 作者:出口治明
  • 発売日: 2020/06/12
  • メディア: 文庫
 

 

「歴史」の章は、出口治明氏が担当します。
章扉には、「歴史という生きた教材を通じて人間についての理解を深めることはリーダーの資質を鍛えることに必ずなる」と書かれています。最初に、「人間観を養うため、リーダーこそ歴史を学ぶべきだ」として、出口氏は「なぜリーダーに歴史の教養が必要なのだろうか。リーダーには、あらゆる行動の前提になる『人間観』が必要だからだ、というのが1つの答えになるだろう。歴史を勉強することは、過去の人間たちがどのような条件下でどういった暮らしをし、どのような思考を持っていたかを追体験することを意味するが、そうしていくうちにわれわれ現代人と過去の人々がさほど変わらないのではないかということに気付けるはずだ」と述べています。

 

また、「歴史こそ最大の教材である」として、出口氏は「いってみれば、未来のことがわからない以上、僕たちに残された教材は歴史の中にしかない。そして、人類はこれまでに膨大な数の歴史を蓄積してきたのだから、そうした「パターン」の中から示唆を得ることは多分に可能だろう。歴史は、おそらく、いくら勉強しても決して飽きることがないケーススタディの宝庫である」と述べています。さらに、「人間は古来ちっとも変っていない」として、「歴史といっても、所詮は過去のことだから今の社会には何ももたらさないのではないかという意見を持つ人もいるかもしれない。ところが、もちろんそんなことはない。実は、人間はずっと昔から、全く変化していないとも言えるのだ」と述べます。

 

事実、人間の脳は1万3000年前から変わっていないことが科学的にも証明されているとして、出口氏は「たしかに社会は進歩したし、様々な技術も生まれたが、脳のレベルでいうと、人間自体には何ら進化がないのだ。今ではAIやフィンテックなどについて多くの本が書かれており、これまでの社会とは全く異なるステージにわれわれがいるかのような印象を持ってしまうだろう。ところが、そのように見えるのは、実は、社会という“氷山”の一角を見ているに過ぎず、本当はその氷山の下に多くの変わらないもの、変化に動じないものが堆積しているのだ。多くの物事は、ほとんどが過去の出来事の延長線上にあると、考えていいのである。おそらくここに、古典など昔に書かれたものを読んでも今のわれわれが感動したり心を動かされる本当の理由があるように思う」と述べています。まったく同感です。

 

第二次世界大戦1939-45(上)

第二次世界大戦1939-45(上)

 
第二次世界大戦1939-45(中)

第二次世界大戦1939-45(中)

 
第二次世界大戦1939-45(下)

第二次世界大戦1939-45(下)

 

 

最後に、出口氏は「われわれには歴史という生きた教材しかない。けれど、歴史という長大な教材、有益な教材があるとも言える。そして、歴史を通じて社会や人間についての理解を深めることは、必ずや、次なるリーダーとしての資質を鍛えることに通じるであろう。これだけはまちがいなく断言できる」と述べるのでした。各章の担当者がおススメ本を紹介する選書コーナーでは、出口氏は多くの歴史書を紹介していますが、これまで出口氏の著書ですでに取り上げられていた本も多かったです。本書で初めて知ったアントニー・ビ―ヴァー著『第二次世界大戦1939-45』(上・中・下)が興味深く、早速、アマゾンで注文して購入しました。

f:id:shins2m:20201027151047j:plain7冊合計で4866ページ !

 

続く「経営と教養」の章は楠木氏が担当。章扉には、「情報それ自体には価値がなくなった時代において、教養は、情報や知識よりもはるかに実践的で実用的なものである」と書かれています。選書コーナーでは、「全人類必読の遺産」とまで絶賛する『ヒトラー』上下巻、イアン・カーショー著(白水社)、さらに『スターリン――赤い皇帝と廷臣たち』上下巻、サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著(白水社)を紹介していました。これも、早速、アマゾンで注文して購入。『第二次世界大戦』は3冊で1576ページ、『ヒトラー』は2冊でなんと約1950ページ(!)、『スターリン』も2冊で約1340ページある大冊です。7冊合計で4866ページ(!)ですが、まあ10日もあれば読めるでしょう。リーダーシップのみならず、人間の心の闇を知るためにも読んでみたいと思っています。

 

ヒトラー(上):1889-1936 傲慢

ヒトラー(上):1889-1936 傲慢

 
ヒトラー(下):1936-1945 天罰

ヒトラー(下):1936-1945 天罰

 
スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

  • 発売日: 2010/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

楠木氏は、「10冊のビジネス書より1冊の教養書」として、「教養とは本来、『その人がその人であるため』の知的基盤を形成するものである。教養は人間の知的能力のもっと根本的なところに関わっている。それは要するに、『自分の言葉で対象をつかみ、自分の言葉で考え、自分の言葉で伝える力』である。教養は、人間の思考や判断といった知的活動の中核となる。スポーツに喩えれば、野球、水泳、卓球、相撲、カーリング、種目が何であろうと、足腰の強さは基礎的な能力として役に立つ。足腰が強いだけでは勝てないが、足腰が強くなければどんなにその種目に固有のテクニックを磨いたとしても限界がある。それと同じである。教養は、何らかの物事を前にしたときに自分が拠って立つ思考の基軸となる。判断に際しても、教養はその人に固有の価値基準を形成する。この意味での知的能力の「核」に影響を与えることができる本こそ、『教養書』と呼ぶに値する」と述べています。素晴らしい「教養」の定義であると思います。

 

また、「もはや情報自体に価値はない」として、楠木氏は「ここで改めて確認しておくべきは、近年、情報の価値が急速に低減しつつあるということだ。かつては情報の獲得コストや流通コストは今よりもはるかに高かった。その時代には、他の人が持っていない情報を持っているだけで、それなりの価値があった。それが今では、円ドルレートはもちろん、ビジネスに関わるありとあらゆる情報が極めて低いコストで行き渡るようになった。つまり、情報それ自体には価値がない時代にわれわれは生きている」と述べます。ところが、「教養を獲得する」という行為が、情報収集の速度を上げたり、情報源を多様化させるといった「量的な問題」にすり替わりがちであるとして、楠木氏は「情報を持つことそれ自体の価値が下がっているにもかかわらず、『量的』な方向に走ってしまう。これは実に皮肉な成り行きだ。知性や教養の本質は、仕事や生活の中で触れるありとあらゆる情報から、いかに自分の考えを形成し、それを自分の言葉で語るかという質的な側面にこそある」と述べるのでした。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

  • 作者:倉野 憲司
  • 発売日: 1963/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

楠木氏の選書コーナーの最後には、なんと『古事記』が紹介されています。楠木氏は、「若い頃に文庫で読んだきりで、しばらくの間『古事記』を読んだことも忘れてしまっていた。しかし10年ほど前に、自分の人生にインパクトを与えた本は何かという話をしていたとき、大前研一さんがまっさきに『古事記』を挙げたのは意外だった。『日本人なら古事記を読め!』ということなので、真面目に読み返してみた。改めて読んでみると、さすがに古典中の古典だけあって、日本とは何かを深く考えさせる内容である。『ギリシア神話』がヨーロッパ文化の基盤を示す古典だとすれば、日本でそれに該当するものが『古事記』。凡百の日本論よりも、まずは虚心坦懐に本書を読むことを勧める」と述べています。

 

行動経済学の使い方 (岩波新書)

行動経済学の使い方 (岩波新書)

 

 

「経済学」の章は、大阪大学社会学経済研究所教授の大竹文雄氏が担当。章扉には、「人間は常に合理的な行動をする生き物ではない。このことを理解しなければ、ビジネスはできない」と書かれています。最初に、「環境の変化が速い時代にハウツー本は通用しない」として、大竹氏は「当然のことではあるが、リーダーは組織を運営する大きな役割を担っている。環境変化が著しい時代において、組織が作られたときには合理的だった仕組みや制度も、いつの間にか合理性を失っているかもしれない。環境にうまく適合しなくなっているかもしれない。そのときに時代との齟齬に気付き、改革を訴え、推進していくのは次の時代を担うリーダーの役割だ。改革にはそれまでの運営とは異なった視点が求められる。例えばトップに立つ者は、ある分野に特化して専門知識を深めるのではなく、様々な分野に対して横串を通して見る必要がある」と述べています。

 

経済学のセンスを磨く 日経プレミアシリーズ

経済学のセンスを磨く 日経プレミアシリーズ

  • 作者:大竹 文雄
  • 発売日: 2015/05/09
  • メディア: 新書
 

 

経営企画と人事制度など、事業部ごとに損得を分けるだけではなく、企業のビジョンを通じて組織全体の利益を生み出すような俯瞰する視点が求められると指摘し、大竹氏は「時間さえかければ、熟考を重ねて新しい最適なシステムへ組織改革ができると思いがちだ。しかし実際にはそううまくはいかない。他人は思う通りに動かず、現実を取り巻く環境の変化は速く、情報が不完全なもとで判断を下さなければならない。リーダー自身が適切な視点と戦略を持たなければ、誤った判断を下す可能性がある。煩雑を極める組織の運営、改革に、生半可なハウツー本は通用しない。原理原則から学び、様々な現実の事象に応用できる経済学だからこそ、これからのリーダーは明日につながるヒントを手に入れられるのではないだろうか」と述べます。

 

 

また、「人間の不合理さが分からなければビジネスはできない」として、大竹氏は「リーダーの使命とは、組織を運営するだけではなく、社会自体を方向づける使命を担うこととなるだろう。企業の既得権を勝ち得るというよりは、日本の市場を活性化させることも期待される。そのためには個人の主義主張を熱く語るのではなく、個人の想いと合致する組織の理念やビジョンをクールな目線で合理的に捉え、判断し、代弁することが求められる。人々の判断を鈍らせる材料は、あらゆるところに内在している」と述べています。

 

40歳が社長になる日(NewsPicks Book)

40歳が社長になる日(NewsPicks Book)

  • 作者:岡島 悦子
  • 発売日: 2017/07/29
  • メディア: 単行本
 

 

「リーダーシップ」の章は、三菱商事ハーバード大学MBA(経営学修士)、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、現在は経営者育成を手がけるプロノバ代表である岡島悦子氏が担当。章扉には、「リーダーシップに必要な『人間理解』を古典からは、多く得られるが、現実の状況に落とし込んでいく姿勢も忘れてはならない」と書かれています。岡島氏いわく、リーダーシップの学び方には3種類あります。(1)古典的ビジネス書(2)同時代のビジネス書(3)経験です。結論的に言えば、リーダーシップを学ぶ上で自らの経験以上の「教材」はありませんが、書籍だからこそ学べることもあるとのこと。

 

 

では、どのような書籍から学べるかというと、岡島氏は『イノベーションのジレンマ』で知られるクレイトン・M・クリステンセンの最終講義録である『イノベーション・オブ・ライフ』を取り上げ、「この講義で彼は、『あなたは、死ぬときに天国の門で何と言われたいか』と聴衆に問いかける。あなたはキャッシュを誰よりも持っているから天国に行かせてもらえると思うだろうか、あるいは資産をたくさん持っているから天国に入れると言うだろうか、と。それについて、ぜひ一度思いをめぐらしてみてほしいと訴えかける。要するに、自分を突き動かす原理的なもの、すなわち『モノサシ』が何であるかを突き詰めよということだ。経営は単に私利私欲のためにあるのではないし、組織は常に何らかのミッションのために存在している。『ビジョナリー・カンパニー』の議論を彷彿とさせるが、リーダーがいかなる『指針』を持っているかが、その組織の今後を大きく左右するのだ」と述べるのでした。

 

 

「日本近現代史」の章は、大宅壮一ノンフィクション賞作家で元東京都知事猪瀬直樹氏が担当。章扉には、「リーダーを目指す人間にとって、読書は不可欠だ。読書には時間もコストもかけない人間は、絶対に出世しないと言い切れる」と書かれています。最初に猪瀬氏は、「リーダーを目指す人間にとって、読書は不可欠だ。人間は、30歳までにどれだけの本を読んだかによって、その後の情報収集力が決まる。思想や世界観が固まっていない20代までが勝負だ。それまでに読んだ本は、必ず“知識のインデックス”となって、自分の中に蓄積されることになる。このインデックスが多ければ多いほど、情報も集めやすくなるし、情報とクズとの見分けもつくようになる。グーグルなどの検索エンジンがいくら発達したとしても、自分の“外”でなく、自分の“内”に情報インデックスがあることが大切なのだ。読書に時間もコストもかけない人間は、絶対に出世しないと言い切れる」と述べます。

 

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

 

 

また、猪瀬氏は「自分が生きている社会が歴史の中でどういう位置づけにあるのか、そして現状の社会システムの全体像を捉えて自分がどこにいるかを知る。そうした知的作業を行うには、長い歴史の風雪に耐えてきた古典や、歴史の本を読むのがいい。そうした本は、一般的なビジネス書に比べると、消化しにくいものも多いかもしれない。そのためには多少の筋トレも必要になる。肉体と同じで筋力をつける時期は20代、知性の『筋肉』も時期を遡っては身につかない」と述べます。さすがは、実績のある作家だけに鋭いことを言いますね。

 

 「自分のアイデンティティを知るためには、3代以上遡らなくてはならない」として、猪瀬氏は「読書の中でも、とくに歴史を学ぶことを薦めるのはなぜか。それは、歴史を知ることは、われわれがなぜ現在ここに立っているのかを知ることにつながり、さらに自分自身を知ることにつながるからだ」と述べ、もう1つ歴史を学ぶ効用としては、「家長」の意識を持てるということがあると指摘します。「家長」とは、当事者であり、リーダーであり、「責任をとる人間」ということです。猪瀬氏いわく、「次男、三男は、太宰治みたいに生きていてもいいが、家長たる長男は稼がないといけない。批判するだけであれば楽だが、家長は批判するだけではすまない。ビジネスにおいても、家長である経営者は、自分で提案し、実行し、利益を生み出さないといけない」と言うのです。

 

しかし、今の日本は、政治も経済もメディアも文学も、家長の流れが途切れてしまっているという猪瀬氏は、「例えば、日本の文学の歴史には、大まかに、夏目漱石森鴎外の系譜が存在するが、太宰治を含む夏目漱石の系譜だけが日本文学の歴史になってしまっている。つまり、放蕩息子の側に文学が行ってしまっているのだ。それに対して、森鴎外は当事者の側で必死に悩みながら小説を書いた」と述べます。鴎外は国家というのは「形式」が間違ってはいけないという強い家長意識を持って、昭和の生みの親となったのだとして、猪瀬氏は「つまり、人間には『統治する側』と『統治される側』があるが、日本文学の系譜において森鴎外側が途切れてしまった。夏目漱石自体は偉いが、漱石の系譜はだんだんと私小説のほうに流れてしまい、結局、太宰治になってしまった。昭和の戦争に至る過程においても、『これでいいのか、アメリカと戦争なんてしたら破産するじゃないか』という発想の文学はなかった。そうして、小説は官僚機構や国家には何の影響力も持たないものになってしまった。では、家長の意識はどうやったら芽生えるのかというと、やっぱり歴史だ。歴史を学ぶことを通して、家長の意識が高まってくる」と述べています。

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 
鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

 

選書コーナーで、猪瀬氏は、三島由紀夫の『金閣寺』『鏡子の家』を紹介し、「日本人は日本人の文体で日本人の日常性の中にあるものから言葉を編んでいくが、三島の場合はそれを外国語に翻訳したときにどういう状態になっているかということから逆に日本語をつくっていく。それはヨーロッパ近代が世界の基準だからだ。それゆえに、三島の作品は未だに西洋で翻訳として読まれている。三島由紀夫はほかの日本の文学者とはレベルが違う。戦後日本に天才がいたとすれば、三島だと思う。彼が天才たる所以は、ヨーロッパ人の文学の文脈を全部心得た上で、それを日本の文学として表現しようとしたところだ。日本文学を世界文学として書かないといけないという意識が強かった。三島は常に『日本とは何か』を考えながら書いていたのだ」と述べるのでした。

 

 

「進化生物学」の章は、総合研究大学院大学副学長の長谷川眞理子氏が担当。章扉には、「生物学的に『自然な』制度設計を学ぶことで社会を変える制度や商品の開発に応用できる」と書かれています。選書コーナーでは、長谷川氏は、ジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』(上・下)を紹介し、「人類の歴史600万年の中で、文字を使う文明が生まれたのはわずか5400年前のこと。『現代』として切り取られる時代は、長い人類史の中ではほんの一瞬に過ぎず、はるか昔と捉えられがちな伝統的社会はいわば『昨日までの世界』である。その『昨日までの世界』に生きた人類が、どのような生活の営みをし、社会の問題を解決してきたのかを解き明かすのが本書だ。子どもを作りすぎたときに、口減らしのために殺すことも珍しくなかった社会が、それをやめたきっかけはなんだったのか。群れで歩くことについていけなくなった高齢者をどう扱っていたのか。仕事や結婚、高齢者介護、育児など、現代にも通じる人生の課題にスポットをあて、原初の人類がたどった経験から現代社会の問題解決のヒントを導き出すという手法は見事であり、非常に読み応えがある」と述べています。

 

 

コンピュータサイエンス」の章は、NTT研究所、マイクロソフト本社を経て、現在はソフトウェア会社のUIEvolution代表の中島聡氏が担当。章扉には、「プログラミングの基礎を学び、勘所を摑むだけでもエンジニアとの仕事が一気にやりやすくなる。文系ビジネスパーソンこそプログラミングを学ぶべきだ」と書かれています。しかし、「プログラミング知識だけではiPhoneは作れない」として、中島氏は「iPhoneが革命的な製品になったのは、プロダクトに携わる人々が『なぜこれを作るのか』を常に問い、個人個人の夢をすり合わせていったからだ。もちろんその中心にはスティーブ・ジョブズの強烈なリーダーシップがあったが、もし開発者の中に『仕様書で書かれていたから作る』という態度の人が多数いたら、あそこまで革新的な製品はできただろうか。そうした『哲学』を身につけるのに、紙の書籍は効果を発揮する。ここで読むべきは、コンピュータに関する技術書ではない。経営者や経済学者の知恵の結晶である、良質なビジネス書を読むべきだ」と述べています。

 

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
 

 

選書コーナーでは、中島氏は、ピーター・ドラッカーの『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』を紹介し、「ドラッカーが本書の中で発した『知的労働者はボランティアのように扱わなければならない』という言葉は、まさに至言だと思う。本書の中でドラッカーは、知的労働者が働く理由の推移について考察している。近年になり、知的労働者を惹きつけ、とどまってもらうことが企業の重要な経営課題となっており、アメリカでは数十年にわたり、高額なボーナスやストックオプションを使って人材を引き止める手段が取られてきた。しかし現在では、トップのビジョン、与えられた責任、学習機会といった金銭的報酬以外の面で、知的労働者は組織を選ぶとドラッカーは喝破する。これはまさに昨今のソフトウェアエンジニアの世界を表現した言葉だ。どの企業もエンジニア不足に悩み、エンジニアは『引く手数多』の状態。その中で彼らを惹きつけるものは何か。それはトップのビジョンに他ならない」と述べています。

 

スティーブ・ジョブズ I
 
スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

 

 

また、中島氏はブログ『スティーブ・ジョブズ』で紹介したウォルター・アイザックの著書を取り上げ、「私はエンジニア、そして経営者として、ジョブズには改めて尊敬の念を覚える。彼はビジョンに突き動かされてプロダクトを開発し、周囲との摩擦を全く恐れず、偏執狂のごとく製品を磨き抜くことに固執した。その性格が災いして、レストランで出された野菜ジュースを何度も作り直させるなど突飛なエピソードも残っているが、それでも彼の執念がなければMacもiPhoneも生まれなかっただろう。残念ながらジョブズ亡き後のアップル製品は、いくぶん「執念」の要素が薄まったように感じる。彼の思いは同社のカルチャーとして残っているが、もしジョブズが存命なら、アップルウォッチは、あの大きさ、暑さでリリースされただろうか。『あと数ミリ薄くする代わりに、製品のリリースが1年遅延する』といったシビアな状況があったとしても、ジョブズは躊躇なく断行したような気がしてならない」と述べています。

 

 

「医学」の章は、医療法人社団同友会産業医産業医の大室正志氏が担当。章扉には、「組織を率いるリーダーや経営者にとって、動物としての‟ヒト”のメカニズムを理解しておくことは、きわめて重要だ」と書かれています。選書コーナーでは、大室氏はブログ『死すべき定め』で紹介したアトゥール・ガワンデの著書を取り上げ、「この本は、現代人が持つべき医学への姿勢を示した新しいスタンダードになるだろう。かつて、キューブラー・ロスは 『死ぬ瞬間』の中で、人間が死を受け容れるまでの段階を述べていたが、『死すべき定め』はそのプロセスがもっと複雑であることを示す。死ぬ瞬間にはいろいろなパターンがあり、人によって揺らぎがあるのだ、と」と述べています。

 

 

もともとアメリカでは、看取り専用の施設が早くから発達していましたが、死に直面した際の人間の「孤独」や「絶望」といった点については十分に対応してこなかったと指摘し、大室氏は「例えば、糖尿病患者が『どうしても食べたい』と言って甘いものなどを食べてしまうと、すぐにそれは看護の怠慢と受け取られてしまう。しかし、その行為を『自由の象徴』として解釈することも、本来であれば可能だ。そうした受け取り方においてはやはり看護側の判断が多分に影響するわけだが、その点をこの本は追究している。要するに、医学の営みには定量と定性の間の葛藤が多分にあり、単に科学的にのみ決められるわけではないのだ。公衆衛生的に図式に当てはめ解決するのでもなく、文学的にロマンチックに死を美化するのでもない方向で、死を目前にした患者の『生』を論じている。秀逸な本だ」と述べます。

 

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 

「哲学」の章は、玉川大学文学部人間学科教授の岡本裕一朗氏が担当。章扉には、「今は、技術的、学術的に大きな転換点にあり、一度まっさらな状態になって考え方そのものを問い直す必要がある。そして、それこそが、哲学の使命だ」と書かれています。岡本氏いわく、哲学とは「人間の考え方」を問い直すものであり、「本当の知識」を探し続けることで真理や物事の本質に近づこうとする学問です。岡本氏は、「ビジネス書やハウツー本にあるような、明日のビジネスや生き方の即戦力になるものではないが、新しい時代を担うリーダーたちは学ぶ必要がある。なぜなら哲学こそ、ビジネスや社会生活の本質を捉え、考え改めていく足掛かりになりうるからだ。そもそも、なぜこれまで通用していた考えを改めなければいけないのか。それは、現代が世界的な流れの中で大きな転換点に立っているからだ」と述べています。

 

 

「社会が変化していく中でも変わらない、下敷きとなる共通性を見極める」として、岡本氏は「私たちは、無意識のうちに現代的価値観が根付いており、そのフィルターを通して現実を見ている。哲学的教養を身体に染み込ませれば、そのフィルターを意識的に取り外す方法を習得できるだろう。読者であるリーダーたちは組織の運営を担うだけの存在ではない。教養から得たものを発展させ、新たなフィルターを発見し人々に伝えることができる存在でもある。哲学をヒントに、課題を模索する方法、解決方法、そして隠れた時代の変化の兆しをぜひ見つけてほしい」と述べます。

 

 

「宗教」の章は、東京工業大学教授でリベラルアーツ研究教育院長の上田紀行氏が担当。章扉には、「宗教者の持つ大きさや言葉や生き方にも触れていないと、四半期の業績を引き上げるぐらいの短期的な成功で終わってしまうはずだ」と書かれています。最初に、「宗教的リテラシーがないことは、『言葉がしゃべれない』ことと等しい」として、上田氏は「リーダーにとって宗教の教養が求められるのには『外的な意味』と『内的な意味』がある」と指摘しています。

 

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2010/05/14
  • メディア: 文庫
 

 

まず「外的な意味」としては、今の世界の中で、「宗教がどれだけ大きな役割を果たしているか」「どれだけ多くの人を支えているか」「どれだけ紛争の種になっているか」を考えれば、宗教的なリテラシーの重要性がわかるとして、上田氏は「宗教的なリテラシーがないということは、ある種、『言葉がしゃべれない』『世界の国境がどこにあるのかわからない』ということに等しい。元素の周期表すらわからないまま物理学を学ぶようなものだ。だからこそ、世界の力学を知るときに宗教は絶対に必要になる。多くの人たちは、世界は計測可能なお金や政治の票などで構成されていて、宗教は残余のもの、目に見えないものであると感じているかもしれないが、実は宗教というのは世界を支配している大きな力なのだ」と述べています。

 

立て直す力 (中公新書ラクレ (666))

立て直す力 (中公新書ラクレ (666))

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: 新書
 

 

「リーダーには自分の内にマグマを溜め込んでいるかが問われる」として、もう1つの「内的な意味」が説明されます。それは、リーダーとして、自分が何を支えにして、何を原動力にして生きていくかということだと指摘し、上田氏は「内的に自分を動かすものが何かを突き詰めた人間しか、基本的にリーダーにはなれない。その部分において、日本のリーダーは弱いところがある。周りの空気を読みながら、他人が決めた指標の中でいかに評価されるかを考える、他動的、他律的なリーダーが結構多い。人間としての信念を欠いていて、弱さを感じさせる人が少なくない。ある意味、調整型のリーダーとして才能があると言えなくもないが、自分をドライブしている根本的なものへの訴求のない人は、どこか浅くて頼りない人に見えてしまう」と述べます。

 

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

  • 作者:上田 紀行
  • 発売日: 2005/01/20
  • メディア: 新書
 

 

さらに上田氏は、「松下幸之助本田宗一郎といったリーダーは、ある意味の宗教性を感じさせる。松下幸之助水道哲学で有名だし、本田宗一郎も技術に対する確固とした信念を持っていた。自分を支えるものが、自分の中から湧いているし、それが世界の深いところへとつながっている。自分の自己実現が世界の幸福であるとか、何かしらの大きな世界の基層みたいなものとつながっているリーダーでないと、周りの人間が動かない。単に人の上に立つのがリーダーなのではなく、リーダーは活火山のようなものであり、その下側にどれだけ深いマグマがあるか、ある種の深みがあるかをリーダーは問われるのだ」とも述べています。

 

覚醒のネットワーク (河出文庫)

覚醒のネットワーク (河出文庫)

 

 

そのエネルギーの源泉は何かというと、世界の多くの人たちは宗教から得ているケースが多いと、上田氏は指摘します。そして、「宗教とあまり関係がないと思っている日本人でも、自分の宗教性に触れ合っていくことが、リーダーとしてその人が立つときに必須だと思う。みなが京セラの稲盛和夫氏のように宗教心を前面に出す必要はないが、宗教心を突き詰めていくことが大きなきっかけになるはずだ。自分の深いところに到達するためのアートや技術として、宗教が果たす役割はとても大きい」と述べるのでした。

 

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

 

 

選書コーナーでは、上田氏はブログ『宗教の理論』で紹介したジョルジュ・バタイユの著書を取り上げ、「人間は、聖と俗の両方を持っており、俗なる世間でこつこつ貯めたお金を一気に消費したりするときや、社会的なタブーを破ったときに、ものすごい快感と高揚感を得られる。エクスタシーがないと宗教ではないし、タブーは破るときの快楽のためにあるというのが彼の立場だ。例えば、お祭りで神輿をかついだり、後先考えずに酒を飲んだりすると、ものすごい快感が吹き上がる。そうしたハレの空間や体験がないと、人間は生きている実感が得られずに枯れてしまう。リーダーになる人は、やたらと部下をノルマで締め上げたりしてはいけない。リーダーは、他のメンバーに対して、生きていて楽しいというエクスタシーや自己肯定感を与えないといけないのだ。もちろん自分自身にも!」と述べています。

 

日本3.0 2020年の人生戦略 (幻冬舎単行本)

日本3.0 2020年の人生戦略 (幻冬舎単行本)

 

 

おわりに「『日本3・0』の時代を生き抜くために」では、先に紹介した佐々木氏が「この『リーダーの教養書』は、NewsPicks(ニューズピックス)と幻冬舎のコラボで始めた「NewsPicks Book」シリーズの処女作となる。本シリーズの1つのポリシーは、普遍と最先端を両立させることだ。とくに両者の融合は、ビジネスの世界において大事になる。なぜなら、ビジネスの世界にいると、『新しいもの病』にかかってしまうからだ」と説明します。

 

 

また、「『頭の中のOS』を切り替えよ」として、佐々木氏は「本を本だけで楽しむのもいいが、本を基点として、より多くの人とつながったり、知の化学反応が起きたりすればさらに面白くなる。本を切り口としながらも、本だけで終わらずに、実際にリアルの場で学び、語り合うことによって、本がより進化していく。今後の本とは、教科書、バイブルとして、人をつなぐ媒介になるのだ。本を基点として、対話や出会いが生まれ、本に書かれていた以上のアイディアや考えが生まれてくる」と述べます。

 

米国製エリートは本当にすごいのか?

米国製エリートは本当にすごいのか?

 

 

そして、佐々木氏は「『頭の中のOS』を形づくるのが教養である。だからこそ、具体的なスキル(アプリ)をダウンロードするより前に、まずOSである教養を積み重ねないといけないのだ。しかし日本では、18歳まで受験まっしぐらで勉強した後、『頭の中のOS』を切り替えるための時間や場がない。そのため、18歳のままのOSで一生過ごすことを余儀なくされている。 今後のイメージとしては、10年に1回、長くとも20年に1回は、OSを切り替えることが必須になるだろう」と述べるのでした。わたしも日頃から「教養」について考え続けており、自分なりの見解も持ってはいますが、本書に示された各界の第一人者の人々による「教養」論には大いに刺激を受け、学ばせていただきました。最後に、リーダーにとって「教養」が必要であることは言うまでもありません!

 

 

2020年11月16日 一条真也