理想土

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「理想土」という言葉を取り上げることにします。1991年2月15日に刊行された『リゾートの思想』(河出書房新社)で初めて提示した言葉です。


リゾートの思想』(1991年2月刊)

 

人類は古来から理想郷と呼ばれるさまざまな憧れの場所のイメージを抱いてきました。
理想郷は3つに区分けすることができます。「ユートピア」と「パラダイス」と「ハートピア」です。まずユートピアは、プラトンやトマス・モアやカンパネルラらが考えた理想都市で、時代が下ってからは社会主義者やSF作家たちが夢想しました。

 

次にパラダイスは、楽園や黄金時代の記憶であり、人類が淡い夢のように大切に心に抱いているものです。さらに、「島の楽園」と「山の楽園」の2つに分かれます。「島の楽園」は、東洋では蓬莱や竜宮、補陀落、西洋では『オデュッセウス』のカリュプソー、西の果てのヘスペリデスの園、シュメールの聖地ディルムンなどです。「山の楽園」は、東洋では須弥山、チベットのシャンバラ、中国の桃源郷、日本の高天原、西洋ではエデンの園ギリシャ神話のオリュンポスなどが代表だと言えます。

 

そして、ハートピア。「心の理想郷」を意味するわたしの造語ですが、人間がこの世に生まれる以前に住んでいた世界であり、死後、再び帰る世界です。そこは平和で美しい魂のふるさとなのです。ユートピアが政治的・経済的理想郷としての「理想都」であるのに対して、ハートピアは精神的・宗教的理想郷としての「理想土」です。つまり、彼岸であり、霊界であり、極楽浄土であり、天国なのです。

 


理想郷の図式

 

リゾートをはじめとした地上の空間づくりに関わるとき、最大のヒントになるのは天国などのハートピアのイメージでしょう。なぜなら、ユートピアやパラダイスの豊富なバリエーションとは異なり、世界中の各民族・各宗教における天国観は驚くほど共通性が高く、それゆえイメージが普遍的だからです。心理学者のユングも言うように、神話は民族の夢であり、天国こそは人々が「かく在りたい」という願いの結晶。その夢や願いを地上に投影したものこそ「理想土」なのです。日本語の「まほろば」(すぐれてよい所の意)にも通じるでしょう。

リゾートの博物誌』(1991年3月刊)

 

リゾートの思想』の刊行後、拙著『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)がわずか1カ月後に刊行されました。同書で、わたしは、「リゾート」の本質について次のように述べています。
「ハレの時間というタテ糸と、ハレの空間というヨコ糸を組み合わせて編んだものがハレの生活であり、それがリゾートなのである。リゾートにおいて、我々はハートピア・ゼアでの生活そのものをシミュレーションするのだ。すなわち、美しい眺望があり、光があり、心地よい風があり、妙なる音楽があり、うまい食物と酒があり、暖かいベッドがあり、ありとあらゆる楽しみがある生活、それを物質的な快楽と批判してはいけない。天上のハートピアの幸福をこの三次元世界に移した時、物質的幸福を伴うのは必然である。いたずらに精神だけを追い求めるのも、ある意味では不健康だ。考えてみれば、あの極楽浄土でさえ物質的理想郷ではないか。物質的幸福もまたよいものである。というより、ハートピア・ゼアの界層世界からもわかるように、人間は物質的幸福を経て精神的幸福へと至るのである。リゾートでの楽しい生活から得る個人の幸福感を本物のハートピア・ヒアへと育てていきたいものである。私的幸福と公的幸福の調和にこそ、真の心の理想郷は生まれる」


「月刊企画情報」1991年9月号

「月刊企画情報」1991年9月号

「月刊企画情報」1991年9月号

「月刊企画情報」1991年9月号

「月刊企画情報」1991年9月号

 

リゾートの博物誌』は発売直後かた大きな反響を呼び、「月刊企画情報」(ソフト・ネットワーク研究所)という雑誌の1991年9月号で巻頭特集が組まれました。じつに18ページにわたる特集記事に、わたしのリゾートの原型を理想郷に求めるという考え方、またその図式などが紹介されました。

 

この世にも奇妙な空間コンセプトブックとしての『リゾートの博物誌』の最後、わたしはこう書きました。
「人類の歴史を眺めてみると、様々な時代、様々な地域に、様々な人々によって、様々な文明や文化が生まれてきた。それは人類が理想郷を追い求めた結果である。おそらく、神は地球という球の上に偉大な芸術を創ってきたのだろう。EARTH(地球)という言葉は3つに分解される。『E』と『ART』と『H』である。私はEとはEDEN(エデンの園)のことだと思う。HとはHEAVEN(天国)のことだと思う。地上の理想郷から天上の理想郷へ、パラダイスからハートピアへと至る方法がアートなのである。パラダイスのような環境に人間を置いて、心をハートピアに遊ばせる。そんなリゾートをつくることこそ、我々の最大のアートではないだろうか。かつて住んでいた美しい世界の記憶がよみがえってくるような、これから訪れる魂の理増強のイメージが湧いてくるような、そして、この世に生きているという幸福感に浸されるような、そんなリゾートを私はつくりたい」


浮かび上がる「EARTH」の秘密!

 

この「E」と「ART」と「H」についての自説は、大きな反響を呼びました。本書の裏表紙にはデザインされた「EARTH」とハートピア計画のロゴが印刷されています。特に宗教界からの反響が大きく、わたしは複数の宗教団体から呼ばれ、有名な教祖にもお会いしました。今では、なつかしい思い出です。

 

2020年10月27日 一条真也

死を乗り越えるルターの言葉

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死は人生の終末ではない。
生涯の完成である。(ルター)

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、マルティン・ルター(1483年~1546年)の言葉です。ルターはドイツの神学者、聖職者です。カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した宗教改革の中心人物として知られます。

 

 

宗教は心を豊かにし、死の恐怖を取り去る文化装置だと、わたしは考えています。ところがルターが生きていた時代には、キリスト教は免罪符という打ち出の小づちを使って、未成熟だった貨幣経済を介した救済に手を染めてしまいました。「免罪符を手に入れればすべての罪はなくなる」として、寄進集めの道具になってしまったのです。

 

 

そうした教会のあり方に異を唱えたのがルターです。当時、グーテンベルグが発明した活版印刷によって、民衆でも『新約聖書』が容易に手に入れられるようになっていました。こうした背景のもと、ルターはイエスの本当の教えに戻ろうという活動を展開しました。これが、やがて全ヨーロッパを巻き込む「宗教改革」へと発展していくのです。

 

 

「聖書に書かれていないことは認めることができない」というルターの言葉は、重税を負わされて苦しい生活を送っていた農民に希望を与えることになりました。生涯、聖書の翻訳に尽くしたルター。この「死は人生の終末ではない。生涯の完成である」であるという言葉は、使命を人生で見つけることができた、力強い言葉だといえます。

 

人生の修め方

人生の修め方

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

それから、現在、「終活」という言葉がよく使われます。これは、人生の「終末活動」の略語です。正直に言って、わたしは「終末」という言葉には違和感を覚えます。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。「人生を修める」は、ルターのいう「生涯の完成」に通じるのではないでしょうか。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

2020年10月26日 一条真也

サンレー杯、120人が熱い対局を展開

一条真也です。
26日の北九州は晴天です。ブログ「サンレー杯『囲碁祭り』」で紹介したイベントが、今朝の「毎日新聞」に紹介されていました。

f:id:shins2m:20201026115445j:plain毎日新聞」2020年10月26日朝刊

 

記事は、「サンレー北九州市囲碁祭り 24チーム120人が熱い対局を展開」の見出しで以下のように書かれています。
「『2020サンレー北九州市囲碁祭り』(北九州Jr.IGO事務局主催、毎日新聞社など後援)が25日、小倉北区浅野3のAIMビルであった。市内外から8~90歳の120人が参加し、熱い対局を繰り広げた。1チーム5人の団体戦で、24チームが変則リーグ戦(スイス方式)の4回戦を戦い、山田規三生九段、武宮陽光六段のゲスト棋士2人も加わった。
新型コロナウイルス感染防止のため、参加者たちはフェースシールドを付け、間隔を空けて座るなどしながら対局に臨んだ。糸島市の中学1年、一ノ宮速人さん(13)は『今年は新型コロナの影響で大会が少なくさみしいが、楽しみながら勝ち上がれるようにしたい』と意気込んでいた。
特別協賛した冠婚葬祭会社『サンレー』(小倉北区)の佐久間庸和社長は『久々に対局する人も多く、あいさつの途中から「早く打たせろ」という熱い視線を感じた』と話した。【宮城裕也】」

 

2020年10月26日 一条真也

サンレー杯「囲碁祭り」

一条真也です。
25日の日曜日、JR小倉駅前の西日本総合展示場で「2020サンレー杯市民囲碁祭り」が盛大に開催されました。 わたしも、来賓として参加しました。

f:id:shins2m:20201014142144j:plain「2020サンレー杯市民囲碁祭り」のポスター

f:id:shins2m:20201026090715j:plain大会パンフレットの表紙(左)と裏表紙(右)

 

「2020サンレー杯市民囲碁祭り」は、わが社が長年企画を温めていたビッグイベント。念願かなって、ついに開催です。1チーム5名の団体戦、4回戦、ハンディ戦、各自持時間40分で行われます。参加人員は32チーム、160名(20級以上の方で19路盤で碁が打てる方によって勝敗が競われます。

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控室のようす

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プロ棋士囲碁談義をしました

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囲碁はストレスがなくて優しい!

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山田九段(左)、武宮六段(右)と

 

会場の控室で、わたしは2名のプロ棋士山田規三生九段、武宮陽光六段)の方と名刺交換をし、しばし囲碁談義に花が咲きました。わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いたグランドカルチャー(老福文化)であると思っているのですが、そのことをお話しすると、武宮六段は「まさに、どうだと思います。将棋に比べて、以後は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれません」と言われました。なるほど、将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)黒白をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技なのです。

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さあ、これから開会式です!

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来賓として紹介されました

10時からの開会式では、『2020サンレー 杯市民囲碁祭り』実行委員会、北九Jr.IGO(キタキュウ ジュニア イゴ)の武久事務局長の「主催者挨拶」に続いて、わたしが「来賓挨拶」を行いました。

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登壇して、黒マスクを外しました

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開会式で挨拶しました

登壇したわたしは、最初に黒マスクを外して、「本日は、『2020サンレー 杯市民囲碁祭り』にご参加いただきまいして、誠にありがとうございます。また、このコロナという大変な状況の中、開催に尽力いただきました実行委員会の皆様をはじめ関係者の皆様方に深く感謝申し上げます」と述べました。

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囲碁は「宇宙の遊び」です!

 

また、「今回このお話をいただきましたのが2月、ぜひとも協力させていただきたいと申し上げておりましたところ、その後急速にコロナ禍が進み、一時期は今年の開催は難しいかと思っておりましただけに、本日多くの方々に参加いただき開催できましたことを本当に嬉しく思います。囲碁は、何もないとこから石を打っていくゲームである、宇宙創造を模しているとされています。いわば、宇宙の遊びです。スケールが大きく、心ゆたかな文化です。医学的にも右脳を刺激し判断力を高め、ストレス解消や、ボケ防止など様々な効果があると注目されています」と述べました。

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囲碁は「グランドカルチャー」です!

 

さらに、「囲碁は、長年の経験を積むことによる『老成』や『老熟』が何より物をいう文化とも言われています。同様のものには、生け花や俳句、能といったものが挙げられます。将棋よりは囲碁、生け花よりは盆栽、短歌よりも俳句、歌舞伎よりは能 というとニュアンスは伝わるのではないかと思います。わたしは、これらの文化を総称して『グランドカルチャー』と呼び、八幡西区の『サンレーグランドホール』という施設を高齢者複合施設として位置づけ、カルチャー教室などを通して実践しています」とも述べました。

f:id:shins2m:20201025100512j:plain「人生100年時代」を迎えました 

 

さらに、わたしは「いま、日本人は『人生100年時代』を迎えております。重厚なグランドカルチャーの世界に触れて、これからの長い人生を豊かに過ごしていただくことが、老いるに幸福と書いて、『老福』という、充実した人生を過ごす一つの手段になると思っています。ただ、本日は下は8歳の方から上は90歳の方まで幅広い年代の皆様にご参加いただいているようですので、若い方々におかれましても、老福人生を送られている年長者の方々と碁盤の上で存分に語り合っていただき、貴重な経験を吸収していただきたいと思います」と述べました。

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囲碁で人生を豊かなに!

 

そして、最後に「競技としては勝敗も大事ですが、老若男女の皆様方に、本日の大会を通じて囲碁仲間やご友人を作っていただき、人生をこれまで以上に豊かにしていただけましたら何よりでございます。参加者の皆様が普段の実力を大いに発揮し、健闘されることを祈念致しまして、開催のご挨拶とさせていただきます」と挨拶しました。終わると、盛大な拍手が起こって感激しました。

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コロナ禍でも大盛況!
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熱戦が繰り広げられました!

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プロ棋士も参加しました

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少年棋士も奮闘!

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少女棋士も参戦!



その後、2名のプロ棋士山田規三生九段、武宮陽光六段)による「来賓挨拶」もありました。山田九段は1972年生まれの46歳、武宮六段は1977年生まれの41歳ということで、わたしよりもずっとお若いので驚きました。その後、事務局による競技説明があり、20分から競技が開始されました広い会場内の各所で熱戦が繰り広げられました。チビッ子たちも多かったですが、わたしはブログ「ファヒム パリが見た夢」で紹介した実在のチェスの天才少年を描いたフランス映画を思い出しました。

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「お楽しみ抽選会」のようす

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おめでとうございます!

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山田九段による「総評」

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武宮六段による「総評」


すべての対戦が終了後、「お楽しみ抽選会」が行われました。わが社の有田課長がプレゼンテーターとなって抽選し、番号を発表するたびに大歓声が上がりました。豪華景品を渡すときは、みなさん嬉しそうでした。「お楽しみ抽選会」なら、わが社のお家芸であります! 閉会式は16時50分からでした。最初にプロ棋士からの「総評」と「成績発表」があり、それから「表彰式」が行われました。

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閉会式でも挨拶をしました

 

わたしが、上位5チーム(各5名)を表彰し、表彰状と記念品を贈呈しました。その後、わたしの挨拶となり、わたしは「本日は、『2020サンレー杯市民囲碁祭り』にご参加いただきまして誠にありがとうございました。また、準備、運営にご尽力いただきました関係者の皆様、本大会のために、はるばるお越しいただきました山田棋士、武宮棋士に心より御礼を申し上げます」と述べました。

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みなさん、お疲れ様でした!

 

それから、わたしは「さて、丸一日に及ぶ熱戦を終えられていかがでしたでしょうか。脳をフル回転させ対局を楽しまれた皆さま、大変お疲れ様でした。年齢や性別に関係なく、幅広い層の人々が 囲碁を打ち熱戦を繰り広げられているのを直に拝見させていただき、大変嬉しく思いました」と述べました。

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また来年、お会いいたしましょう!

 

そして、わたしは「弊社におきましても、今後とも囲碁という素晴らしい日本の伝統文化を少しでも広められるように、また、みなさまが心豊かな生活を送ることができるよう微力ながらお手伝いを続けて参りたいと考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。来年お会いできることを楽しみにしています。本日は誠にありがとうございました!」と挨拶しました。

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上位入賞者に賞状を授与

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優勝チームと記念撮影

f:id:shins2m:20201025170943j:plain最後に「ブービー・メーカー賞」を発表!
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おめでとうございました!


その後、すべての表彰と賞品の授与が終わって、記念写真が撮影されました。しかし、最後に「ブービー賞」と「ブービー・メーカー賞」の発表が待っていました。わたしが賞品をお渡しすると、受け取られた方はとても嬉しそうでした。そして、閉会式は17時過ぎに終了しました。素晴らしいイベントが無事に終わって、安心しました。来年からも、ずっと続けていきたいと思います。あなたも囲碁をやりませんか?

 

2020年10月25日 一条真也

「朝が来る」

一条真也です。
現在、映画館では洋画の上映が少なく、日本映画とアニメ映画ばかりです。もちろんコロナの影響ですが、おかげで最近は日本映画を観ることが多くなりました。24日の土曜日、コロナワールド(!)小倉のシネコンで「朝が来る」を観ました。正直言ってそれほど期待していなかった作品ですが、とても感動しました。何度も泣かされました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ドラマ化もされた直木賞作家・辻村深月の小説を映画化。特別養子縁組で男児を迎えた夫婦と、子供を手放す幼い母親の葛藤と人生を描く。キャストは『八日目の蝉』などの永作博美をはじめ、井浦新蒔田彩珠浅田美代子ら。『殯の森』などの河瀬直美監督がメガホンを取り、『凶悪』などの高橋泉が河瀬監督と共同で脚本を手掛けた」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「子供に恵まれなかった栗原佐都子(永作博美)と夫の清和(井浦新)は、特別養子縁組の制度を通じて男児を家族に迎える。それから6年、朝斗と名付けた息子の成長を見守る夫妻は平穏な毎日を過ごしていた。ある日、朝斗の生みの母親で片倉ひかりと名乗る女性(蒔田彩珠)から『子供を返してほしい』という電話がかかってくる」



この映画には、愛する夫の子どもを産みたくても(夫が無精子症のため)生めない女性と、愛する恋人の子どもを産んでも(まだ14歳だから)育てられない少女が登場し、それぞれの心の葛藤が描かれます。2人はまるで真逆な境遇にあるようですが、「女であるがゆえの生きにくさ」を背負っている点では共通しています。そして、「女であるがゆえの生きにくさ」も「女であることの素晴らしさ」も、いずれも結局は妊娠と出産に極まるように思います。妊娠と出産は、女性を不幸にも幸福にもします。そのことを、この映画は見事に描いています。


 

 

それにしても、不妊治療に励む夫婦の姿には心が痛みます。わたしの同級生をはじめ、何組もそういうカップルを知っており、彼らが結果的に子どもには恵まれなかったことも知っているので、「こういう辛さだったのか」と少しは想像することができました。井浦新演じる清和が会社の同期と居酒屋で飲んだとき、2人の子持ちである相手に対して、「おまえは凄いなあ、奇跡だよ。1人でも子どもができるって凄いことなのに、2人も恵まれるなんて奇跡だよ」と言いながら酔い潰れるシーンはあまりにも切なくて、泣けました。わたしにも2人の娘がいますが、この「奇跡」に感謝しなければと思いました。



そう、わたしには娘がいますが、それだけに、中学2年生の少女が妊娠して出産するというストーリーには不快感をおぼえました。伝説的なTVドラマである「3年B組金八先生」で鶴見辰悟、杉田かおる演じる幼いカップルが子どもを作りますが、彼らでさえ中学3年生の15歳だったのに! しかも、「朝が来る」の片倉ひかりはまだ生理も来ていなかったのです。映画では、産婦人科医が「初潮が来ていなくても排卵はあります」と言うのですが、そんなこと初めて知りました。しかし、中学2年生の男女が避妊もしないでセックスするのは間違っています。ここの部分は変に美化しないで、シリアスに描いたところは評価できました。


主役の栗原佐都子を演じた永作博美の演技の巧さには唸りました。彼女は何度か心を揺さぶられる電話を受けるのですが、そのときの動揺した表情が素晴らしかったです。永作博美が主演した映画といえば、「八日目の蝉」(2011)を思い出します。誘拐犯の女と誘拐された少女との逃亡劇と、その後の2人の運命を描いた、角田光代原作のベストセラー小説を映画化したヒューマン・サスペンスです。子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子(永作博美)は、ちょうど同じ頃に生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡します。しかし、2人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わるのでした。希和子と「朝が来る」の佐都子もまた真逆の人生を歩んでいるようで、血の繋がっていない子どもを愛する点では共通しています。


血が繋がっていない家族の映画には、ブログ「そして父になる」で紹介した是枝裕和監督の作品があります。巣鴨子供置き去り事件をモチーフにして、「フランダース国際映画祭」のグランプリに輝いた「誰も知らない」(2004年)をはじめ、是枝作品にはいつも「家族」さらには「血縁」というテーマがあります。「血がつながっているのに」が「誰も知らない」。「血はつながっていなくとも」が「そして父になる」。「血がつながっているのだがら」が「海街diary」。「血がつながっていても」が「海よりもまだ深く」。そして、「やはり血がつながっていないから」が「万引き家族」ではないでしょうか?



この映画にも登場する「特別養子縁組」は、素晴らしい取り組みだと思います。「特別養子縁組」とは、民法第817条で定められている子どもの福祉のための制度で、様々な事情で親が育てられない子どもを、家庭で特定の親から愛情を受けて養育することを目的としています。原則として6歳未満の子どもとその生みの親との法律上の親族関係を消滅させ、子どもと育ての親の間に実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。詳しくは、社会問題解決集団「フローレンス」のネット記事「ドラマ『朝が来る』のテーマ『特別養子縁組』とは?!」をご覧下さい。フローレンスは「訪問型病児保育」「障害児保育」「小規模保育」など、常識や固定概念にとらわれない新たな価値を創造するイノベーター集団ですが、このような社会が抱えるさまざまな問題を解決する活動を続けておられる方々を、わたしは心より尊敬いたします。


映画の中では、フローレンスではなく「ベビーバトン」という特別養子縁組の支援団体が開催する説明会のシーンがありました。そこには、どうしても子どもを授かることのできない多くの夫婦が参加しているのですが、浅田美代子演じる代表者の挨拶および質疑応答の後、実際に養子縁組を行なった家族が登場します。子どもを前にした妻が、「この子と初めて会ったとき、夫が声も出さずに号泣するんです。ああ、夫も辛かったんだなあとわかりました」と語ります。その後、妻の父親が「わたしもこの娘を授かるまで10年かかり、不妊治療も受けましたので、娘の気持ちはよく理解できました。養子縁組と聞いて最初は『ん?』と思いましたが、こんな可愛い孫ができて本当に良かったです」と語り、妻の母親も「孫は太陽です。この子がいるだけで、家の中が明るくなります。いま、わたしたち本当に幸せです!」と語るのでした。それを聞いた参加者たちは涙ぐみますが、わたしも貰い泣きしました。



当然ながら、子どもはペットではありません。人間です。いったん養子縁組をしたら離縁は原則としてできないそうです。育ての親には、子どもにとってその成長にふさわしい養育環境を用意し、成人後も精神的に子どもを支え続けること、すなわち「子どもの一生を引き受ける覚悟」が求められることになります。子どもが病気になることもあるかもしれないし、成長して犯罪を犯すことだってあるかもしれませんが、養親はそれを受け止めなければなりません。それは実の子であっても同じことですが、何が起こってもその子の「すべて」を引き受ける、育ての親にはその覚悟が問われるのです。ちなみに、養子縁組をした子どもには小学校に入学するまでに、その事実を知らせなければならないそうです。まだ年齢が幼いので早すぎるようにも思えますが、おそらくそうすべき確固とした理由があるのでしょう。そこに、さまざまな葛藤や感動があることは言うまでもありません。



実の子を持てなかった夫婦、実の子を育てられなかった少女、この両者をマッチングすることは理想的な問題解決であると言えます。誤解を招く表現かもしれませんが、「WIN-WIN」の関係と言ってもいいでしょう。それでも、「こころ」の収まりがつかないのが人間です。映画「朝が来る」には、わが子を他人の夫婦に託すことについて、「子どもがいないこと以外はすべてうまくいっている人たちが子どもを持って、すべてを手にするわけですよね。妬むのは筋違いだってわかっているんですけど、どうしてもそう思ってしまう」と正直に告白する妊婦の女性がいて、心が痛みました。しかも、彼女は、最愛に人の子どもを産むひかりと違って、風俗勤めで出来た子であり、父親が誰かもわからないのです。「女性の時代」とかなんとか口では言っても、まだまだこの社会は、女性が生きにくい社会なのです。まして、コロナ禍の現在においては・・・・・・。



さて、「朝が来る」では、永作博美の他にも尋常ではない存在感を放っていた女優がいました。特別養子縁組の団体である「ベビーバトン」の代表者を演じた浅田美代子です。これまでの彼女のイメージとは違って、人間としての迫力というか凄味がありました。すぐ、「あっ、樹木希林だ!」と思いました。浅田美代子は生前親しい仲だった故樹木希林を彷彿とさせるような印象だったのです。そういえば、樹木希林が企画した映画「エリカ38」(2019年)で、彼女は主役の渡部聡子・自称エリカを演じました。愛人の指示のもと、支援事業説明会という名目で人を集め、架空の投資話で大金を集めた女の話です。完全な汚れ役ですが、これを演じてから浅田美代子樹木希林が乗り移ったのかもしれません。



最後に、非常に残念なことがあります。この映画は上映時間が139分もあり、トイレの近いわたしはけっこう我慢の限界に近づいていました。それでエンドロールが流れ始めると、すぐに席を立ってトイレに直行したのですが、鑑賞後にネットでユーザー・レビューを見たところ、「エンドロール後の一言に感動!」とか「エンドロールで席を立たないで!」とか「エンドロールを最後まで観ないと、それまでのすべてが台無しです」とか書いているではありませんか。

 

おいおい、それなら、映画の冒頭に「この映画はエンドロールの最後まで御覧ください」と告知してよ! それだったら、適当なところでトイレに行って戻り、場内が明るくなるまで席に座っていたのに! 
それにしても、観ないと「それまでのすべてが台無し」になるエンドロール後の一言とは何か? 
うーん、気になって仕方ありません。わたしの大好きな芸人のコウメ大夫のように「チクショー!!」と叫びたい気分です。コロナ禍がなかなか収まらないことにも「チクショー!!」と言いたい。

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コロナ・ワールド(!)の前で

 

2020年10月25日 一条真也

『FACTFULNESS』

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

一条真也です。
『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング&アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作&関美和訳(日経BP)を読みました。「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」というサブタイトルがついています。新型コロナウイルスに関する、真偽のあやふやな情報が多く出回っていますが、何よりも大切なのはファクト(事実)。本書は、最近読んだ本の中でも最大級のインパクトでした。

f:id:shins2m:20201023094530j:plain本書の帯

 

本書の赤い帯には、「90万部突破」「2020年上半期ベストセラー第1位」「環境・貧困・人口エネルギー・医療・教育」「学校では教えてくれない世界の教養」と書かれています。

f:id:shins2m:20201023142647j:plain本書の帯の裏

 

帯の裏には、「あなたは世界の真実を知っている?」「質問 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる? (A)20%(B)50%(C)80%」「質問 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?(A)20%(B)50%(C)80%」「答えは本書に。正しい世界の見方を身につけよう」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「ファクトフルネスとは――データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、『ファクトフルネス』を解説しよう」

  

 

また、「世界で300大ベストセラー!」として、「ビル・ゲイツバラク・オバマアメリカ大統領も大絶賛!」「『名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない一冊だ』――ビル・ゲイツ」「『思い込みではなく、事実をもとに行動すれば、人類はもっと前に進める。そんな希望を抱かせてくれる本』――バラク・オバマアメリカ大統領」「特にビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生のうち、希望者全員にこの本をプレゼントしたほど」と書かれています。

 

さらに、「教育、貧困、環境、エネルギー、医療、人口問題などをテーマに、世界の正しい見方をわかりやすく紹介」として、「本書では世界の本当の姿を知るために、教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を取り上げている。いずれも最新の統計データを紹介しながら、世界の正しい見方を紹介しているこれらのテーマは一見、難しくて遠い話に思えるかもしれない。でも、大丈夫。著者のハンス・ロスリング氏の説明は面白くてわかりやすいと評判だ。その証拠に、彼のTEDトークの動画は、累計3500万回も再生されている。また、本書では数式はひとつも出てこない。『GDP』より難しい経済用語は出てこないし、『平均』より難しい統計用語も出てこない。誰にでも、直感的に内容を理解できるように書かれている」と書かれています。



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
「イントロダクション」
第1章 分断本能 
「世界は分断されている」という思い込み
第2章 ネガティブ本能 
「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み
第3章 直線本能 
「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み
第4章 恐怖本能 
危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
第5章 過大視本能 
「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み
第6章 パターン化本能 
「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み
第7章 宿命本能
「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
第8章 単純化本能 
「世界はひとつの切り口で理解できる」
という思い込み

第9章 犯人捜し本能 
「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み
第10章 焦り本能 
「いますぐ手を打たないと大変なことになる」
という思い込み

第11章 ファクトフルネスを実践しよう
「ファクトフルネスの大まかなルール」
「おわりに」
「謝辞」
「訳者あとがき」
「付録」
「脚注」
「出典」
「著者プロフィール」
「訳者プロフィール」



「イントロダクション」では、「ドラマティックな本能と、ドラマティックすぎる世界の見方」として、「あなたは、次のような先入観を持っていないだろうか。『世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう』少なくとも西洋諸国においてはそれがメディアでよく聞く話だし、人々に染みついた考え方なのではないか。わたしはこれを『ドラマチックすぎる世界の見方』と呼んでいる。精神衛生上よくないし、そもそも正しくない」と書かれています。



続けて、「実際、世界の大部分の人は中間所得層に属している。わたしたちがイメージする『中流層』とは違うかもしれないが、極度の貧困状態とはかけ離れている。女の子も学校に行くし、子供はワクチンを接種するし、女性ひとりあたりの子供の数は2人だ。休みには海外へ行く。もちろん難民としてではなく、観光客として。時を重ねるごとに少しずつ、世界は良くなっている。何もかもが毎年改善するわけではないし、課題は山積みだ。だが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。これが『事実に基づく世界の見方』だ」と書かれています。



人間の脳は何百万年にもわたる進化の産物であるとして、著者は「わたしたちの先祖が、少人数で狩猟や採集をするために必要だった本能が、脳には組み込まれている。差し迫った危険から逃れるために、一瞬で判断を下す本能。唯一の有効な情報源だった、うわさ話やドラマチックな物語に耳を傾ける本能。食料不足のときに命綱となる砂糖や脂質を欲する本能。これらの本能は数千年も前には役立ったかもしれないが、いまは違う。砂糖や脂質が病みつきになり、肥満が世界で最も大きな健康問題になっている。大人も子供も甘いものやポテトチップスを避けるようにしたほうがいい。同じように、瞬時に何かを判断する本能と、ドラマチックな物語を求める本能が、『ドラマチックすぎる世界の見方』と、世界についての誤解を生んでいる」と述べています。

 

また、ドラマチックな本能は、人生に意味を見出し、毎日を生きるために必要不可欠であるとして、著者は「すべての情報をふるいにかけ、すべてを理屈で判断しようとすれば、普通の暮らしは送れない。砂糖や脂質を完全に断つべきではないし、手術で感情を司る脳の部位を切除すべきでもない。けれども、ドラマチックな本能は抑えるべきだ。さもなくば、ドラマチックなものを求めすぎるあまり、ありのままの世界を見ることはできない。何が正しいのかもわからないままだ」とも述べます。

 

「ファクトフルネスと、事実に基づく世界の見方」として、著者は本書について以下のように述べます。
「ほかの本と違い、この本にあるデータはあなたを癒してくれる。この本から学べることは、あなたの心を穏やかにしてくれる。世界はあなたが思うほどドラマチックではないからだ。健康な食生活や定期的な運動を生活に取り入れるように、この本で紹介する『ファクトフルネス』という習慣を毎日の生活に取り入れてほしい。訓練を積めば、ドラマチックすぎる世界の見方をしなくなり、事実に基づく世界の見方ができるようになるはずだ。たくさん勉強しなくても、世界を正しく見られるようになる。判断力が上がり、何を恐れ、何に希望を持てばいいのかを見極められるようになる。取り越し苦労もしなくてすむ」

 

第一章「分断本能」では、「世界は分断されているという、とんでもない勘違い」として、著者は「人は誰しも、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けないと気がすまないものだ。そして、その2つのグループのあいだには、決して埋まることのない溝があるはずだと思い込む。これが分断本能だ、世界の国々や人々が『金持ちグループ』と『貧乏グループ』に分断されているという思い込みも、分断本能のなせるわざだ」と述べています。

 

なぜ、金持ちと貧しい者のあいだに分断が存在するという考え方が、ここまで根強く残っているのでしょうか。「分断本能」として、著者は「わたしが思うに、人はドラマチックな本能のせいで、何事も2つのグループに分けて考えたがるからだろう。いわゆる『二項対立』を求めるのだ。良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのは、シンプルだし直感的かもしれない。しかも双方が対立していればなおドラマチックだ。わたしたちはいつも気づかないうちに、世界を2つに分けている」と述べます。

 

ジャーナリストは人間の分断本能に訴えたがります。だから話を組み立てる際、対立する2人、2つの考え方、2つのグループを強調することを指摘し、著者は「『世界には極度の貧困層もいれば、億万長者もいる』という話は伝わりやすく、『世界の大半は、少しずつだが良い暮らしをし始めている』という話は伝わりにくい。ドキュメンタリー制作者や映画監督も同じだ。弱い個人が悪徳大企業に立ち向かうさまは、ドキュメンタリー番組でよく描かれる。正義と悪との闘いは、大ヒット映画でお決まりの構図だ。実際には分断がないのに人は分断があると思い込んだり、違いがないのに違いがあると思い込んだり、対立がないのに対立があると思い込んでしまう。どれも分断本能のしわざだ」と述べています。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「話の中の『分断』を示す言葉に気づくこと。それが、重なり合わない2つのグループを連想させることに気づくこと。多くの場合、実際には分断はなく、誰もいないと思われていた中間部分に大半の人がいる。分断本能を抑えるには、大半の人がどこにいるか探すこと」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

 ●「平均の比較」に注意しよう。分布を調べてみると、2つのグループに重なりがあり、分断などないことが多い。
●「極端な数字の比較」に注意しよう。人や国のグループには必ず、最上位層と最下位層が存在する。2つの差が残酷なほど不公平なときもある。しかし多くの場合、大半の人や国はその中間の、上でも下でもないところにいる。
●「上からの景色」であることを思い出そう。高いところから低いところを正確に見るのは難しい。どれも同じくらい低く見えるけれど、実際は違う。

 

第2章「ネガティブ本能」では、「『世界はどんどん悪くなっている』という、とんでもない勘違い」として、著者は「人は誰しも、物事のポジティブな面より、ネガティブな面に注目しやすい。これはネガティブ本能のなせるわざだ。そしてネガティブ本能もまた、世界についての『とんでもない勘違い』が生まれる原因になっている。その勘違いとは、『世界はどんどん悪くなっている』というものだ。世界の現状について、これほどよく聞く意見はほかに見当たらない」と述べています。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ネガティブなニュースに気づくこと。そして、ネガティブなニュースのほうが、圧倒的に耳に入りやすいと覚えておくこと。物事が良くなったとしても、そのことについて知る機会は少ない。すると世界について、実際より悪いイメージを抱くようになり、暗い気持ちになってしまう。ネガティブ本能を抑えるには、『悪いニュースのほうが広まりやすい』ことに気づくこと」といて、著者は以下のように指摘するのでした。

 

 ●「悪い」と「良くなっている」は両立する。 「悪い」は現在の状態、「良くなっている」は変化の方向。2つを見分けられるようにしよう。「悪い」と「良くなっている」が両立し得ることを理解しよう。
●良い出来事はニュースになりにくい。ほとんどの良い出来事は報道されないので、ほとんどのニュースは悪いニュースになる。悪いニュースを見たときは、「同じくらい良く出来事があったとしたら、自分のもとに届くだろうか?」と考えてみよう。
●ゆっくりとした進歩はニュースになりにくい。長期的には進歩が見られても、短期的に何度か後退するようであれば、その後退のほうが人々に気づかれやすい。
●悪いニュースが増えても、悪い出来事が増えたとは限らない。悪いニュースが増えた理由は、世界が悪くなったからではなく、監視の目がより届くようになったからかもしれない。
●美化された過去に気をつけよう。人々は過去を美化したがり、国家は歴史を美化したがる。

 

第3章「直線本能」では、「どうして、いずれ人口は横ばいになるのか」として、著者は「高齢者はもっと長生きするが、人口にはさしたる影響を及ぼさない。国連によれば、2100年には、世界の平均寿命はいまより11年ほど延びるという。寿命が延びることで後期高齢者は10億人ほど増え、2100年の人口は約110億人となる。しかし、同時期に大人の数は30億人も増える。いまの子供世代が年を取るにつれ、各世代の人口が順に倍増していくからだ。この「世代倍増」現象は約45年間続き、やがて落ちつく」と述べています。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「『グラフは、まっすぐになるだろう』という思い込みに気づくこと。実際には、直線のグラフのほうがめずらしいことを覚えておくこと。直線本能を抑えるには、グラフにはさまざまな形があることを知っておくこと」として、著者は「●なんでもかんでも、直線のグラフを当てはめないようにしよう。 多くのデータは直線ではなく、S字カーブ、すべり台の形、コブの形、あるいは倍増する線のほうが当てはまる。子供は、生まれてから半年で大きく成長する。でも、いずれ成長がゆっくりになることは、誰にだってわかる」と指摘するのでした。

 

第4章「恐怖本能」では、「関心フィルター」として、著者は「おそらく、人の頭の中にいちばんすんなり入ってくるのは、物語形式で伝えられる情報だ。そして、物語形式の情報は、ほかの情報に比べてドラマチックに聞こえやすい。わたしたちの頭の中と、外の世界のあいだには、『関心フィルター』という、いわば防御壁のようなものがある。この関心フィルターは、わたしたちを世界の雑音から守ってくれる。もしこれがなければ、四六時中たくさんの情報が頭の中に入ってきて、何もできなくなってしまうだろう。そして、関心フィルターには10個の穴があいている。それぞれの穴は、この本で紹介する本能と対応している。『分断本能の穴』『ネガティブ本能の穴』『直線本能の穴』などだ。ほとんどの情報は関心フィルターを通過できないが、わたしたちの本能を刺激する情報だけは、穴から入って来られるようになっている。人はこうやって情報を取捨選択していく」と述べます。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「恐ろしいものには、自然と目がいってしまう」ことに気づくこと。恐怖と危険は違うことに気づくこと。人は誰しも『身体的な危害』『拘束』『毒』を恐れているが、それがリスクの過大評価につながっている。恐怖本能を抑えるには、リスクを正しく計算すること」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

●世界は恐ろしいと思う前に、現実を見よう。世界は、実際より恐ろしく見える。メディアや自身の関心フィルターのせいで、あなたのもとには恐ろしい情報ばかりが届いているからだ。
●リスクは、「危険度」と「頻度」、言い換えると「質」と「量」の掛け算で決まる。リスク=危険度×頻度だ。ということはつまり、「恐ろしさ」はリスクとは関係ない。
●行動する前に落ち着こう。恐怖でパニックになると、物事を正しく見られなくなる。パニックが収まるまで、大事な決断をするのは避けよう。

 

第5章「過大視本能」では、人はみんな、物事の大きさを判断するのが下手くそだとして、著者は「もちろん、それには理由がある。何かの大きさや割合を勘違いしてしまうのは、わたしたちが持つ『過大視本能』が原因だ。過大視本能は、2種類の勘違いを生む。まず、数字をひとつだけ見て、『この数字はなんて大きいんだ』とか『なんて小さいんだ』と勘違いしてしまうこと。そして、ひとつの実例を重要視しすぎてしまうこと」と述べています。また、過大視本能と、ネガティブ本能が合わさると、人類の進歩を過小評価しがちになるとも述べます。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ただひとつの数字が、とても重要であるかのように勘違いしてしまうことに気づくこと。ほかの数字と比較したり、割り算をしたりすることによって、同じ数字からまったく違う意味を見いだせる。過大視本能を抑えるには、比較したり、割り算をしたりするといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

●比較しよう。大きな数字は、そのままだと大きく見える。ひとつしかない数字は間違いのもと。必ず疑ってかかるべきだ。ほかの数字と比較し、できれば割り算をすること。
●80・20ルールを使おう。 項目が並んでいたら、まずは最も大きな項目だけに注目しよう。多くの場合、小さな項目は無視しても差し支えない。
●割り算をしよう。 割合を見ると、量を見た場合とはまったく違う結論にたどり着くことがある。たいていの場合、割合のほうが役に立つ。特に、違う大きさのグループを比べるのであればなおさらだ。国や地域を比較するときは、「ひとりあたり」に注目しよう。

 

第6章「パターン化本能」では、第二次世界大戦朝鮮戦争を通して、戦場から担架で運ばれてくる兵士の中で、あおむけよりうつぶせのほうが生存確率が高いことに、医師や看護師は気づいたことを紹介し、著者は「あおむけに寝ていると、自分の吐しゃ物で窒息することが多かったのだ。うつぶせになっていると吐しゃ物が口の外に出て、気道はふさがれない。この発見によって、兵士だけではなく数百万もの命が救われた。それ以来、うつぶせの「回復体位」が世界標準になり、地球上どこでも応急処置の講座では「うつぶせ寝」を教えるようになった(2015年のネパール地震で人命救助にたずさわった救急隊員も全員このことを学んだ)」と述べています。

 

しかし、この新たな発見が、当てはめてはいけないケースにまで当てはめられてしまったとして、著者は「うつぶせ寝の効果が証明されたことから、1960年代にはこれまでとは正反対の慣習が勧められるようになった。昔からの慣わしとは違って、赤ちゃんはうつぶせに寝かせたほうがいい、とされるようになったのだ。赤ちゃんも救命が必要な患者も、いっしょくたに考えられてしまったのだった。そんなふうに『いっしょくた』にしてはいけないものをひとくくりにしていることに、わたしたちはなかなか気づけない。理屈そのものは正しいように思えるからだ。一見筋の通った理屈が善意と結びつくと、パターン化の誤りに気づくのはほぼ不可能になる。赤ちゃんの突然死は減るどころか増えていることをデータが示していても、その原因がうつぶせ寝にあるかもしれないことに誰も気づかなかった」と述べます。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ひとつの集団のパターンを根拠に物事が説明されていたら、それに気づくこと。パターン化は間違いを生み出しやすいことを肝に銘じること。パターン化を止めることはできないし、止めようとすべきでもない。間違ったパターン化をしないように努めよう。パターン化本能を抑えるには、分類を疑うといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

●同じ集団の中にある違いを探そう。集団が大規模な場合は特に、より小さく、正確な分類に分けたほうがいい。
●違う集団のあいだの共通項を探そう。異なる集団のあいだに、はっとするような共通点を見つけたら、分類自体が正しいかどうかを改めて問い直そう。
●違う集団のあいだの違いも探そう。ひとつの集団(たとえば、レベル4の生活を送る人、意識のない兵士)について言えることが、別の集団(レベル4でない生活を送る人、眠っている赤ちゃん)にも当てはまると思い込んではいけない。
●「過半数」に気をつけよう。過半数とは半分より多いということでしかない。それが51%なのか、99%なのか、そのあいだのどこなのかを確かめたほうがいい。
●強烈なイメージに注意しよう。強烈なイメージは頭に残りやすいが、それは例外かもしれないと疑ったほうがいい。
●自分以外はアホだと決めつけないようにしよう。変だと思うことがあったら、好奇心を持ち、謙虚になって考えてみよう。それはもしかしたら賢いやり方なのか、だとしたらなぜ賢いやり方なのか、と自問しよう。

 

第7章「宿命本能」では、「積極的に知識をアップデートする」として、著者は「知識に賞味期限はないと思えば、安心できる。一度学んだことはいつまでも使えるし、学び直す必要もないと考えれば、気が休まる。たしかに数学や物理といった自然科学でも、芸術でも、ほとんどの場合はそうだ。こうした科目なら、学校で教わったことの多くは、おそらくいまでも使える。2足す2はいまでも4だ。しかし、社会科学では基礎の基礎になる知識でさえすぐに賞味期限が切れる。牛乳や野菜と同じで、いつも新鮮なものを手に入れたほうがいい。何事も変わり続けるからだ」と述べています。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「いろいろなもの(人も、国も、宗教も、文化も)が変わらないように見えるのは、変化がゆっくりと少しずつ起きているからだと気づくこと。そして、小さなゆっくりとした変化が積み重なれば大きな変化になると覚えておくこと。宿命本能を抑えるには、ゆっくりとした変化でも、変わっているということを意識するといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

●小さな進歩を追いかけよう。毎年少しずつ変化していれば、数十年で大きな変化が生まれる。
●知識をアップデートしよう。賞味期限がすぐに切れる知識もある。テクノロジー、国、社会、文化、宗教は刻々と変わり続けている。
●おじいさんやおばあさんに話を聞こう。価値観がどれほど変わるかを改めて確認したかったら、自分のおじいさんやおばあさんの価値観がいまの自分たちとどんなに違っているかを考えるといい。
●文化が変わった例を集めよう。いまの文化は昔から変わらないし、これからも同じだと言われたら、逆の事例をあげてみよう。

 

第8章「単純化本能」では、シンプルなものの見方に、わたしたちは惹かれる。賢い考えがパッとひらめくと興奮するし、「わかった!」「理解できた!」と感じられると嬉しいとして、著者は「パッとひらめいたシンプルな解が、ほかのたくさんのことにもピタリと当てはまると思い込んでしまうのは、よくあることだ。すると、世界がシンプルに見えてくる。すべての問題はひとつの原因から生まれているに違いない。だから、なにがなんでもその元凶を取り除かなければならないと思ってしまう。すべての問題がひとつのやり方で解決できると思い込むこともある。すると、異論は許されない。そう考えれば、なにもかもシンプルになる」と述べています

 

でもここに、ひとつちょっとした問題があるとして、著者は「それでは世界をとんでもなく誤解してしまうということだ。そんなふうに、世の中のさまざまな問題にひとつの原因とひとつの解答を当てはめてしまう傾向を、わたしは「単純化本能」と呼んでいる。むしろ、自分が肩入れしている考え方の弱みをいつも探したほうがいい。これは自分の専門分野でも当てはまる。自分の意見に合わない新しい情報や、専門以外の情報を進んで仕入れよう。自分に賛成してくれる人ばかりと話したり、自分の考えを裏付ける例を集めたりするより、意見が合わない人や反対してくれる人に会い、自分と違う考えを取り入れよう。それが世界を理解するすばらしいヒントになる」と述べます。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ひとつの視点だけでは世界を理解できないと知ること。さまざまな角度から問題を見たほうが物事を正確に理解できるし、現実的な解を見つけることができる。単純化本能を抑えるには、なんでもトンカチで叩くのではなく、さまざまな道具の入った工具箱を準備したほうがいい」として、著者はこう指摘するのでした。

 

●自分の考え方を検証しよう。あなたが肩入れしている考え方が正しいことを示す例ばかりを集めてはいけない。あなたと意見の合わない人に考え方を検証してもらい、自分の弱点を見つけよう。
●知ったかぶりはやめよう。自分の専門分野以外のことを、知った気にならないほうがいい。知らないことがあると謙虚に認めよう。その道のプロも、専門分野以外のことは案外知らないものだ。
●めったやたらとトンカチを振り回すのはやめよう。何かひとつの道具が器用に使える人は、それを何度でも使いたくなるものだ。ひとつの問題を深く掘り下げると、その問題が必要以上に重要に思えたり、自分の解がいいものに思えたりすることがある。でも、ひとつの道具がすべてに使えるわけではない。あなたのやり方がトンカチだとしたら、ねじ回しやレンチや巻き尺を持った人を探すといい。違う分野の人たちの意見に心を開いてほしい。
●数字は大切だが、数字だけに頼ってはいけない。数字を見なければ世界を知ることはできないが、数字だけでは世界を理解できない。数字が人々の生活について何を教えてくれるかを読み取ろう。
●単純なものの見方と単純な答えには警戒しよう。歴史を振り返ると、単純な理想論で残虐な行為を正当化した独裁者の例にはことかかない。複雑さを喜んで受け入れよう。違う考え方を組み合わせよう。妥協もいとわないでほしい。ケースバイケースで問題に取り組もう。

 

第9章「犯人捜し本能」では、物事がうまくいかないと、誰かがわざと悪いことを仕組んだように思いがちだとして、著者は「誰かの意思で物事は起きると信じたいものだし、1人ひとりに社会を動かす力と手立てがあると信じていれば、おのずとそう考えるようになるだろう。個人が社会を動かしていると考えれば、社会は得体の知れないものだという恐怖心を取り払える。わたしたちは犯人捜し本能のせいで、個人なり集団なりが実際より影響力があると勘違いしてしまう。誰かを責めたいという本能から、事実に基づいて本当の世界を見ることができなくなってしまう。誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。一発食らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう」と述べています。

 

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「誰かが見せしめとばかりに責められていたら、それに気づくこと。誰かを責めるとほかの原因に目が向かなくなり、将来同じ間違いを防げなくなる。犯人捜し本能を抑えるためには、誰かに責任を求める癖を断ち切るといい」として、著者はこう指摘するのでした。
●犯人ではなく、原因を探そう。物事がうまく行かないときに、責めるべき人やグループを探してはいけない。誰かがわざと仕掛けなくても、悪いことは起きる。その状況を生み出した、絡み合った複数の原因やシステムを理解することに力を注ぐべきだ。
●ヒーローではなく、社会を機能させている仕組みに目をむけよう。物事がうまくいったのは自分のおかげだと言う人がいたら、その人が何もしなくても、いずれ同じことになっていたかどうかを考えてみるといい。社会の仕組みを支える人たちの功績をもっと認めよう。



 ここで、コロナ禍の中ではドキッとするようなことが以下のように書かれています。「エボラを抑え込むには、接触者をたどって隔離するしかない。そのためには、感染者が誰と接触したかを包み隠さず正直に話してもらわなければならない。調査員は貧しいスラム街に入って、愛する家族を亡くしたばかりの人に、故人が死ぬ前に誰と接触した可能性があるかを聞かなければならないのだ。もちろん、聞き取りを受けている人もたいていの場合は故人に接触していて、エボラに感染している可能性がある。恐れが広がり、噂が噂を呼ぶ中で、焦りに任せて過激な手を打っても効果はない。力任せのやみくもな対策では感染経路はたどれない。冷静で地道な細かい作業を通して、感染経路を掘り起こすしかない。亡くなった家族に愛人が何人もいたことを隠す人がたったひとりでもいたら、何千人もの命が危険にさらされる」



感染症の世界的な流行」として、ここでもドキッとすることが以下のように書かれています。
第一次世界大戦中に世界中に広がったスペインかぜで、5000万人が命を落とした。大戦の犠牲者よりも、スペインかぜで亡くなった人のほうが多かった。4年にわたる戦争で人々の体力が落ちていたこともあるだろう。スペインかぜの流行で、世界の平均寿命は33歳から23歳へと10年も縮まった」



さらには、「感染症の専門家のあいだではいまも、新種のインフルエンザが最大の脅威だというのは共通の認識になっている。その理由は、インフルエンザの感染経路にある。インフルエンザウィルスは目に見えない粒子になって飛沫感染する。感染者が地下鉄に乗ると、同じ車両の人は全員感染する可能性がある。接触しなくても感染するし、同じ場所に触らなくても感染する。あっという間に広がるインフルエンザのような感染症は、エボラやHIVエイズのような病気よりもはるかに大きな脅威になる。感染力が強くどんな対策も効かないウィルスからあらゆる手で自分たちを守ることは、あたりまえだがかなり重要だ」と書かれているのでした。

 

「ファクトフルネス」とは何か。それは、「『いますぐに決めなければならない』と感じたら、自分の焦りに気づくこと。いま決めなければならないようなことはめったにないと知ること。焦り本能を抑えるには、小さな一歩を重ねるといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

 

●深呼吸しよう。焦り本能が顔を出すと、ほかの本能も引き出されて冷静に分析できなくなる。そんな時には時間をかけて、情報をもっと手に入れよう。いまやらなければ二度とできないなんてことはめったにないし、答えは二者択一ではない。
●データにこだわろう。緊急で重要なことならなおさら、データを見るべきだ。一見重要そうだが正確でないデータや、正確であっても重要でないデータには注意しよう。正確で重要なデータだけを取り入れよう。
●占い師に気をつけよう。未来についての予測は不確かなものだ。不確かであることを認めない予測は疑ったほうがいい。予測には幅があることを心に留め、決して最高のシナリオと最悪のシナリオだけではないことを覚えておこう。極端な予測がこれまでどのくらい当たっていたかを考えよう。
●過激な対策に注意しよう。大胆な対策を取ったらどんな副作用があるかを考えてほしい。その対策の効果が本当に証明されているかに気をつけよう。地道に一歩一歩進みながら、効果を測定したほうがいい。ドラマチックな対策よりも、たいていは地道な一歩に効果がある。

 

 11章「ファクトフルネスを実践しよう」では、「最後にひとこと」として、著者は「世界中のすべての人が、事実に基づいて世界を見る日がいつかやって来るだろうか? 大きな変革はなかなか想像できないものだ。でも、そんな日がやってきてもおかしくないし、いつかきっとやってくると思っている。理由は2つ。ひとつは、正確なGPSが道案内の役に立つのと同じで、事実に基づいて世界を見ることが人生の役に立つからだ。もうひとつは、もっと大切なことだ。事実に基づいて世界を見ると、心が穏やかになる、ドラマチックに世界を見るよりも、ストレスが少ないし、気分も少しは軽くなる。ドラマチックな見方はあまりにも後ろ向きで心が冷えてしまう。事実に基づいて世界を見れば、世の中もそれほど悪くないと思えてくる。これからも世界を良くし続けるためにわたしたちに何ができるかも、そこから見えてくるはずだ」と述べるのでした。

 

「訳者あとがき」の冒頭は、「『ファクトフルネス』の著者、ハンス・ロスリングは医師であり、公衆衛生の専門家であり、またTEDトークの人気スピーカーでもあります。動くバブルチャートを両手で追いかけながら、コミカルに早口で話すハンスの姿を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか? ハンスはスウェーデンのウプサラに生まれ、母国スウェーデンとインドで医学を学び、医師になりました。その後モザンビークのナカラで医師として働き、貧しい人々の間で流行していた神経病の原因を突き止めます。この病気がコンゾです。この本にも当時の経験のいくつかが描かれています。その後、スウェーデンに戻ってカロリンスカ医科大学で研究と教育に励みました。この頃から、人々の知識不足と闘うことがハンスの人生の使命となったのです。以来、世界の舞台で『事実に基づく世界の見方』を広めることに尽力してきました」t書きだされています。

 

訳者は、「間違いを認めて許せる空気」として、「玉石混淆の情報であふれている社会を生き抜くには、情報を疑う力や、自分の頭で考える力は必要です。間違った情報を鵜呑みにするのは、たしかに愚かなことです。しかしそれを警戒しすぎるあまり、事実に基づいた正しい情報も否定し、事実に基づかない『真実』を鵜呑みにしてしまってはいけません。たとえば本書では、『ワクチンは危険だ』という事実に基づかない『真実』を信じてしまい、ワクチンを子供に受けさせようとしない親がいることについて警鐘を鳴らしています」と述べます。

 

事実に基づかない「真実」を鵜呑みにしないためには、どうすればいいのでしょうか。それは、情報だけでなく、自分自身を批判的に見る力が欠かせません。
「訳者あとがき」には、「この情報源を信頼していいのか?」と問う前に、「自分は自分を信頼していいのか?」と問うべきなのだとして、「そのセルフチェックに役立つのが、本書で紹介されていた10の本能です。もしどれかの本能が刺激されていたら、『この情報は真実ではない』と決めつける前に、『自分は事実を見る準備ができていない』と考えたいものです」と書かれています。

 

とはいえ、「自分自身を批判的に見るべきだ」という主張も押し付けすぎるのはいけないといいます。なぜなら、本能に支配されて事実を無視してしまう人をおとしめても、世の中は良くならないからです。最後に、「訳者あとがき」には、「必要なのは、誰もが『自分は本能に支配されていた』と過ちを認められる空気をつくることです。そういう空気をつくるためには、本能に支配されていた人や、本能を支配しようとする人を叩くことよりも、許すことのほうが大事です。『ファクトフルネス』がつくろうとしていたのは、まさにそんな空気です」と述べるのでした。情報過多で、しかも信用するに値しない偽情報が流通している昨今、本書はあらゆる国の、あらゆる年齢の、あらゆる人々が読むべき必読書であると言えます。

 

 

2020年10月24日 一条真也

未来医師が『満月交心』を紹介!

一条真也です。
22日、東京から北九州に戻りました。「未来医師イナバ」こと稲葉俊郎さんといえば、いま日本で最も注目されている医師ですが、自身のブログで、今月28日に発売される『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)を紹介して下さいました。

f:id:shins2m:20201022113146j:plain稲葉俊郎氏のブログ 」より

 

稲葉さんは、「一条真也さんから頂いた、 鎌田東二先生との共著『満月交心 ムーンサルトレター』現代書林(2020/10/28)。ものすごい分量!厚い!!内容も熱い!!! 満月の夜に交わされ続けている二人の往復書簡は、テーマが森羅万象に渡っていて驚愕します。博覧強記の霊性の高いお二人が交わると、すごい化学反応を起こすものです。特に宗教関係の考察には、いつも学ばせてもらっています。満月の夜空を見る度に、一条さんと鎌田先生お二人が、いまも往復書簡を交わしているのか!と・・・」と書かれています。

f:id:shins2m:20201022113249j:plain稲葉俊郎氏のブログ 」より 

 

また、稲葉さんは「人の心を深いところで支えているのが『宗教心』のようなものだと思うのですが(特定の宗教という意味ではなく)、『宗教心』は霊性の次元の場所でもあり、自分の魂の眼を開かないと見えてこない薄明の、それでいて個を支えるものであり。当直中に、すこしずつ読みふけり中ですが、読むたびにいつも頭が高速回転するので目が冴えます。笑」と述べられ、最後に「ぜひおよみください!!」と書いて下さいました。嬉しかったです!

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稲葉俊郎さんと 

 

稲葉さんは1979年熊本生まれの医師で、心臓を内科的に治療するカテーテル治療や心不全が専門ですが、西洋医学のみならず伝統医療や代替医療など幅広く医療を修めています。ブログ『いのちを呼び覚ますもの』ブログ『からだとこころの健康学』で紹介した本などの著書があります。2014年から2020年3月まで、東京大学医学部付属病院循環器内科助教を務めておられましたが、2020年4月から軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授(山形ビエンナーレ2020芸術監督) に就任されています。わたし宛のメールには、「コロナ禍の中で、本当に医療機関は多忙で、ヘロヘロです」と書かれていましたが、どうか自分の体も大切にされて下さい。このたびは、ブログでの紹介、本当にありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしています!

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

2020年10月23日 一条真也